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国連を目指す若者が増えないのはなぜか

日本政府が邦人数十人を選抜し国連機関に派遣する選考試験の応募者がピークの1000人から、ここ最近は300人前後と推移している。政府は大学などで説明会を開くなど、広報に力を入れるが、なかなか増えない。

一方で、マイナビが今年6月に発表した2016年卒の大学生就職意識調査では、「行きたくない会社」を聞く質問(二つ選択)で、2001年卒と比べ、「休日・休暇がとれない(少ない)会社」は倍近い27・4%に、「残業が多い会社」は4倍近い11・4%に上った。福利厚生を意識する若者が増えている。

私はこの調査結果を見て「おかしい」と感じた。日本の会社と比べ、国連は休日も取れるし、残業も少ない。私は9時半に出勤し、6時には帰宅。妻も6時半には帰宅。休日は、年間30日の有給休暇が取れ、私はその内の18日+土日・祝日を使って、先月、1ヶ月間の休みをもらった。

福利厚生もしっかりしている。年金手当もいい。子供の教育費も22歳まで学費の75%を出してくれる。つまり、大学卒業までの教育費の大部分を出してくれるのである。(詳細はここをクリック

じゃあ、なぜ、これが応募者増につながらないのか?国連が一般の就職先候補として選択肢にあがらないといえば、そうなのかもしれないが、じゃあ、なぜ、国連が就職先として一般化されないのか。

国連で働く日本人の体験記は、様々なサイトや雑誌で発信されている。そこで、よく、「国連で働く魅力は何ですか」という質問がされるのだが、「休みが取れるから」「残業少ないよ」とか福利厚生的な答えを出す人は少ない。他の国連機関で働く知り合いのMさんも毎日午後6-7時には帰宅し、家族との時間を大事にしている。男性だが、1ヶ月の育児休暇もしっかり取った。私と一緒にご飯を食べる時は、「国連で働くと、毎晩夜10時とか11時とかまで働く日本の生活にはもう戻れないですよね」とよく言っている。

しかし、そのMさんも、あるサイトの国連体験記に取材された際、働く魅力を聞かれ、「全職員が同じ使命に向かって働いていること」などと答えている。確かにそれが魅力なら、それでいいのだが、なぜかそこには、本音と建前的なものを感じてしまう。

開発とか人道援助に従事する者が、「休み」とか「残業したくない」とか言ってはけしからんみたいな雰囲気。東京でサラリーマンやっている兄は毎晩残業。私の勤務時間を告げると、「お前が仕事しないことで、死んでしまう難民の数が増えたりはしないのか?」と言われた。そんなこと言われたら、日本で毎年4-5000人交通事故で亡くなる人のために、警察の交通課職員は、四六時中仕事をしなければいけないのか?それによって、その職員の家族関係や友人関係にヒビが入り、交通事故犠牲者が減る代わりに、他の理由で亡くなる人(例えば自殺者)が増えたりはしないだろうか?

確かに、国連職員でも、毎日残業して、休日にも出勤するような人はたくさんいるが、私がこれまで出会った、その様な「ワーカホリック(労働中毒者)」に占める日本人率は極めて高い。

私だって、世界平和のために、情熱や使命感を持った若者たちが国連に来てほしい。でも、その情熱で、彼らの家族や友人と過ごす時間を犠牲にはしてほしくない。それに、そういった情熱や使命感を発揮できる場所は国連だけじゃない。家族のために料理、洗濯するのだって、近所の福祉施設で働くのだって立派な社会貢献である。

私にとっての国連の魅力は多様な価値観が尊重されること。私が勤めるUNHCRは、女性幹部職員が全体の4割を占める。幹部職員には同性愛者も多い。そしてその多様性を支えているのは、様々な「働き方」への尊重であり、その一環に充実した福利厚生、休暇制度がある。だから、休日が多いことや残業が少ないことを、もっともっと胸を張って宣伝したらいいと思う。それこそが多様性の尊重の証なのだから。
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恐るべし韓国野球

4週間の休暇を取って、韓国と日本で過ごした。野球好きな私は、4週間で4回、プロ野球を観に行った。2回は韓国で、2回は日本で。

日本のプロ野球を観に行くたび、いつもジレンマに悩まされる。好きな選手を大きな声で応援したいが、その選手の近くでも見たい。でも、両方はできない。応援団が外野席にあるためで、内野席は基本、静かに応援する。東京ドームとかだと、内野席で立ち上がったりすると、係員から怒られてしまう。

高いお金を払う内野席のお客が静かに見れるように配慮されているのだろうな、と納得していたが、先日、韓国のプロ野球を初めて観に行き、日本の様な熱狂的な応援団が内野席、しかも選手のベンチ裏を陣取っているのを見て、驚いた。韓国人の友人は、「一生懸命応援する人ができるだけ選手の近くで観戦できるのは当然のこと」と言う。

韓国では地下鉄内で携帯電話通話ができたりと、日本とは「騒音」の定義が少し異なる。10年ほど前、タイで高速バスに乗った時、運転手と添乗員が「わっはっはは」と大きな笑い声を出していた。「勤務中のくせに、お客の迷惑だろ」と私は不機嫌になった。しかし、その笑い声が、10分、20分、30分とずっと続くうち、「自分が、こんなに長い間笑い続けたことってあっただろうか?」と逆に、羨ましさと楽しさが交互するようになっていった。

やかましいファンが選手の近くにいられるだけでなく、韓国野球では、日本では見られない光景がいくつかあった。試合中に投手が投球練習をする最中、外野の選手が、中学生くらいのボールボーイとキャッチボールをしていた。その外野手は、将来メジャーに行くかもしれないほどのスター選手らしく、私が中学時代、外野にいるイチロー選手とキャッチボールをする光景を想像し、勝手に興奮してしまった。ちなみに、日本の場合、選手がベンチから出てきて、外野手とキャッチボールをする。

5回終了時のグランド整備中には、両チームの選手が全員グランドへ出てストレッチを一緒にする。試合中に、敵対するチームの主力選手同士が雑談をする姿は、とても新鮮だった。そして、試合後は、負けたチームも、勝ったチームも両方がベンチ前に出て、ファンに一礼。日本は、ホームチームが勝った場合のみ、挨拶をする。

野球一つとっても、異なる点が多い日本と韓国。違いばかりを強調するのではなく、学び合える部分は学び合って、スポーツ交流を計っていってほしい。野球が国民的スポーツの国というのは、世界的にみたら、とても珍しいことなのだから。
ちなみに、日本で見た2試合は、もちろん、カープ戦だったが、なんと、2試合のカープの合計得点が0点!!!(9月23日と24日)。

妻が私の知らない男友達を家に5日間泊める

自分はつくづく嫉妬深いと思う。

日本のNGOで働く妻の元同僚が、我が家に5泊したいという。さらに、この元同僚が去った後、韓国のNGOで働く妻の元上司が3泊したいという。計8連泊。2人ともジュネーブで開催される大きなNGO会議に出席するために日本と韓国からそれぞれ訪れるという。妻から初めて打診された時は、「最寄りのバス停から遠いから不便だけど、それを了承した上でならいいよ」と軽い気持ちで考えていた。家もそれなりに大きいし、ジュネーブのホテルは高いし、NGOの財政難は身をもってわかっているし、何より、色々学べる機会になるだろうし、、、。

しかし、ところがどっこい。実際に、もてなしてみると、色々ある。まず、前の記事で書いたが、私はノルウェーで緊急援助ロスターの研修が10日間あり、朝8時から夜11時までみっちり特訓/宿題で大忙しだった。ヘトヘトで戻ってきた次の日から、8連泊のもてなしが始まった。
私としては、とても疲弊しきっていることに、少しでも妻が思いを馳せてくれることを願うのだが、それがことごとく裏切られる。その裏切り行為が一つ一つ、ボクシングのジャブの様に私にダメージを与えていった。
最初のジャブが、妻の一言。「そろそろ空港に来る時間だから、コーヒーでも飲みにいこうよ」。え?私も、空港まで出迎えにいかないといけないの?「せめて、休ませてくれよ」と思いながらも、いや、妻がお世話になった人なのだから、しっかりもてなさなければと考え直し、重い腰をあげた。

空港で、その元同僚を出迎える。元同僚Bさんは、30代後半の米国人男性。私と面識はない。既婚者で子どももいる。3人でコーヒーを飲むが、妻はBさんと思い出話に花を咲かせる。

妻が作った夕食を食べた後、私は疲れているので部屋へこもる。妻は居間でBさんと話し込んでいる。「私ももてなしたほうがいいのかな?」「でも疲れているしな」「かといって、妻とBさんがずっと2人きりで話すのも、なんかムカツク」と色々考えてしまい、結局、疲れをいやすことができない。

次のジャブ。普段、私たちは午前8時45分ごろ家を出るのだが、Bさんは8時に出たいという。車は一台しかなく、最寄りのバス停までは歩いて20分。「それなら8時に出ましょう」と言いたいところだが、妻にせめて「じゃあ、私が8時に、Bさんをバス停まで送っていくから、あなたはゆっくり寝てて良いよ」という一言があれば、もっと気持ちよく言えるのになと、期待しても、妻からは全くその一言はない。妻からすれば、「お客様のために普段より30分早く出るなんて当たり前」なのである。

普段、朝ご飯は私が用意するのだが、妻のお客さんが来た時くらい、妻がやるのかなーと期待していたが、全くその気はないよう。せめて、「疲れているところ悪いけど、朝ご飯お願い」という一言がないかなー。

そして、その日の晩、妻はBさんや他のNGOとの方たちと夕食に出かけるという。私にとっての理想は「あなたは疲れているだろうから先に帰って休んでて。なるべく遅くならないように帰るから」という妻からの心遣いだが、現実は「あなたも来るでしょ?」。しかも、私が「話題についていけないと思うから」とやんわりかわそうとしても「知らない話題だからおもしろいんじゃない」とさらに押してくる。結局、参加しなかったが、あれだけ押されると、変な罪悪感が残る。

こんな細かいことを考えれば考えるほど、私の口数は少なくなり、妻からすれば「なんてお客様に対して失礼なの」という表情になり、妻も口数が少なくなっていく。

普段は気にならないようなことも、どんどん気になっていく。例えば、妻が白熱した様子でBさんと日本や韓国の難民問題について話す時。私は心の中で「へえー。そんな問題があるなんて一度もスージンから聞いた事なかったな」と思いながら、Bさんが「元同僚」から「男友達」へと変わっていく。

極めつけは4泊目の夜。Bさんは別の友人と2人で飲みに行き、バスで 1人で戻ってくるという。もちろん、バス停までは私か妻かが車で出迎えなければならない。しかし、夜11時になってもBさんからは連絡がない。さすがの私も「大丈夫かな?」と妻に言い、妻が連絡しても返答なし。ようやく、連絡が取れ、「11時45分着のバスで戻る」という。


ここで、私にとっての理想は「心配かけてごめんね。私がバス停まで迎えに行ってくるから先に寝てて」という妻の心遣い。しかし、現実はめっぽう厳しく、「一緒にバス停まで行く?」。「行くわけないだろ!大体、人の家に泊まりにきて、こんな時間に帰ってくるなんてありえない!」と怒鳴りたい気持ちを抑え、私は寝室に行った。

11時50分に帰宅してきた妻は、苛立って眠りにつけない私に、「なんで何も話さないの?」という。「こんな遅い時間にあなたのゲストが戻ってきて、何も感じないの?」と私が聞いても、「別に、いつもあなたはこの時間に寝るじゃない」と言う。「でも、11時まで連絡なかったら心配するし、疲れている時は11時に寝る時だってあるよ」と言うが、妻は「別に私が出迎えに行っているわけだから、あなたは寝れたでしょ」と言う。「あなたが11時40−50分に部屋と家を出入りしてたら、なかなか眠れないよね」と言う。

妻にとっては、財政難に苦しむNGOへ手を差し伸べることを、よく思わない夫。夫にとっては、出張から帰った直後、出会った事のない妻の男友達が家に5連泊することの心労を理解しない妻。このギャップは、想像以上に深く、議論は堂々巡りになり、私は「もう、一切、ゲストに部屋を提供するのはやめよう。あなたの元上司も断る!」と言い、妻は「じゃあ、8月に日本から来るあなたの家族も断ろう!」と極論に走り、私は、別の寝室で寝た。別々の寝室で寝るというのは、数年ぶりというか、初めての事である。

次の日、改めて話し合いを試みた。

私:昨日のことは忘れて、何もなかったことにしたいという気持ちもあるけど、今回の事はしっかり話し合ったほうが良いと思う。今後、またこういうことが起きないように。

妻:もうお互い出し切ったじゃない。

私:いや。しっかり話し合った方がいい。あなたがもし、誰かの家に泊まりに行って、11時45分に一人で戻ったら、あなたはそのご家族に申し訳ないと思わない?

妻:私が遅れた人なら、そりゃ申し訳ないと思うわ。

私:その申し訳ないという気持ちは、家族全員に対して?それとも、あなたを招いた友人にのみ?

妻:家族全員。

私:それはなんで?

妻:心配かけたんじゃないかと思うから。

私:はい。そうだよね。昨日の状況で、私が心配したというのはそれでわかるよね。

妻:でも、それで、なんで、私が、あなたに申し訳ないと思わなければならないのかがわからない。遅れてきたのはBさんでしょ。

私:Bさんは、あなたが招いたゲストだからだよ。

妻:Bさんは、私たち夫婦のゲストでしょ。

私:私はBさんとこれまで出会った事がなかった。出会ったことがない人を家に5連泊してもらうのは、あなたがBさんを知っているから。大体、妻の男友達に出会うのを嫌がる男性だっているのに、、。

妻:Bさんが男性か女性かなんて関係ないでしょ。じゃあ、Bさんが女性だったら何の問題もなかったの?

私:男性か女性か関係ないなんてことはありえない。私が男友達と2人で夜出かけるのと、女友達と2人で出かけるのとでは、違うでしょ?

妻:その友達がどんな友達かにもよるけどね。Bさんの場合は元同僚で、しかも子どもまでいるし。

私:女友達だったらすべて解決とかそういう問題じゃない。今回のは小さなことが積み重なっている。

妻:あなただって、女友達を自分の実家に泊めたりしてたじゃない。

私:泊めるか泊めないかの議論はしていない。私は、Bさんを泊めることは了承したし、空港までも迎えに行って、歓迎しようと心がけた。問題は、その時にどんな配慮が必要かってこと。一言の配慮があるだけで、ずいぶんと状況は変わることがある。「私の友達が遅く帰ってきてごめんね」「出張後で疲れているのに、朝早く出勤させてごめんね」「朝ご飯は私が作るから心配しないでね」。こういう一言が、どれだけ私の気持ちを楽にさせたか。

妻:あなただったら、私にそんな気を遣うかな?先日だって、あなたのオランダ人家族が新潟の実家に泊まってたけど、あなたは、自分の家族にそんなに気を遣っていた?

私:私が、あなたの出会ったことのない女友達を家に5連泊させたことがないから、何とも言えないよね。とても稀なケースだったと思う。

妻:あなたはそんな配慮しないと思うな。

私:とにかく、出張後で疲れきっている時に、2人のお客さんが交互に8連泊するのと、しないのでは、回復力に違いが出るのは想像できるよね?

妻:うん。

私:それへの配慮がほしかった。ただそれだけだよ。

妻:わかった。

ということで、一応、一件落着。気になったのは、妻が「男か女かは関係ないでしょ」と言ったこと。「嫉妬心」というのは、とても非論理的なもので、「嫉妬なんかして、かわいい!」とか馬鹿にされることもあり、プライドが高い人ほど認めるのが難しい。でも、本来、人間関係を支配しているのって、こういう超非論理的な感情であって、それを「幼稚」と片付けてしまうと、問題の本質から外れてしまう可能性がある。私からみたら、妻だって結構嫉妬深い。お互いの嫉妬深さに素直に向き合える夫婦になりたいと思う。

やっぱり現場に戻りたい

UNHCRには「緊急援助ロスター」という、難民が大量発生する地域に瞬時に職員を派遣する制度がある。毎年、3−4回、世界中で働くUNHCR職員に募集をかけ、40人を選抜。選抜されたら、10日間の特別研修を受けた後、招集がかかれば72時間以内に、現場に出動し、2−3ヶ月間そこで働くことになる。

妻は2012年に選抜され、南スーダンに3ヶ月間派遣された。仮説のプレハブ小屋に3人共同で寝泊まりし、毎日ヤギ肉のシチューを食べる生活で、げっそり痩せて帰ってきた。

UNHCRにとって主要活動の一つである緊急援助。そのロスターに選抜されるかどうかは、今後のキャリアを積んでいくうえでも重要な要素だし、すでにダダーブを離れて2年半になり、現場が恋しくなっている自分がいた。

昨年、ロスターに応募しようか妻に相談したら、「私はアゼルバイジャンでの仕事を辞めて、ジュネーブに来たのに、それで3ヶ月もいなくなるなんてありえない」と言われ、断念。

そして、ジュネーブでの共同生活が1年たち、ようやく妻も「行きたいのなら、応募してみたら」と承諾。

次に必要になるのは上司からの承諾。直属の上司だけでなく、上司の上司の上司の上司にあたる、局長からの捺印が必要になる。なにせ、突然3ヶ月消えられるわけだから、その部署にとって欠かせない人材だとしたら、なかなか承諾はしてもらえない。そしたら「部署にとっては痛手だが、君のキャリアにとても重要だ」と上司4人がほぼ口を揃えて承諾。ちょっと複雑な気分(笑)。

応募しても選抜されなければ意味がない。多い時には300人が応募してくるこのロスター制度。選抜の際、優遇されるのは、妻みたいに難民認定作業にとって欠かせない、保護官や認定官などの経験を持つ職員や、緊急援助で重要になる、ロジスティック、人事、総務、広報の部署で働く人たちなど。私みたいに、元記者で七輪工場長という一貫性がないバックグラウンドだと選抜されるのはなかなか難しいのではないかと思われた。
そしたら、予想通り、合格ではなく、「補欠リスト」に入れられた。38人の合格者から辞退者が出た場合、繰り上げ合格になるという。補欠リストには8人も入れられ、そんなにたくさん辞退するかよー、と思いながら、日々の仕事をこなしていたら、2週間後、「研修に参加する準備をして。飛行機のチケットを予約して」という通知が届いた。

研修はノルウェーの「市民防衛隊基地」で開かれた。「市民防衛隊」というのは火災や洪水など自然災害時に市民の命を守るために結成された組織で、武器を持たない自衛隊みたいなもの。

研修にはアフリカ、中東、南米、アジアなどで働くUNHCR職員38人が集まった。パキスタン、イラク、ソマリアなど、現場中の現場で5年、10年、20年と働いてきたベテランもいた。

研修は想像以上にタフなもので、朝8時から夜8時までびっちり講義があり、講義後もグループ別に出された宿題をこなさなければならなかった。10日間の研修のうちの4日間は「キャンプ生活」を想定したもので、大きな運動場に場所を移し、各チームに二つのテントが与えられ、そこで仕事をしながら寝食を共にした。

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中央アフリカ共和国から押し寄せてきた数万人の難民から、5000人を新しいキャンプへ移動する計画を立てる宿題が出され、10人のチームでプランを練った。新しい土地にキャンプを設立する際の交渉術や、国境で難民が祖国へ強制送還させられる場面での軍との交渉方法を学ぶため、実際にノルウェー人の一般市民50人に軍、政府関係者、援助関係者、難民の役をそれぞれ演じてもらい、シミュレーション形式で学んだ。とても実用的な研修とは聞いていたが、まさか、地元市民を動員するような組織性があるものとは想像もしていなかったため、驚いた。

難民に暴力を振るう軍人、おなかがすいたと叫ぶ難民、「国連は何をしにきた!」と叫ぶ地元政府関係者、そんな「緊急事態」で、様々な国籍の職員からなるチームとしてどう迅速に行動できるか。

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瞬時の決断が必要とされる中、イラク、パキスタン、ソマリアなど職員一人一人が自分たちの経験をもとに話し合い、ベストな方法を模索する。そして、シミュレーション後は、講師たちとの反省会。ここをこうすべきだった。ああすべきだった。ダダーブでの2年8ヶ月の記憶がよみがえり、「現場の匂い」が自分の体を包んでいった。

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参加者の国籍の多様性はすさまじい。イラク、アフガン、グルジア、マケドニア、ハンガリー、韓国、日本、フィンランド、米国、ドイツ、ウガンダ、コンゴ、ケニア、ガーナ、モーリタニア、スーダン、エチオピア、イラン、パキスタン、ネパール、インドネシア、タイ、フランス、ロシア、イタリア、ベニン、トルコ。

研修は無事終了。これで、私は、いつでも「招集」がかかる身となった。はたして、招集はいつかかるのか。そしてどこへ派遣されるのか。そして、今度はどんなすばらしい同僚たちとの出会いがあるのか。

国連の会議は9歳から出席できる

世界を舞台に転勤/出張を繰り返す国連職員を親に持つ子どもは大変だ。親の都合で、仲良くなった友達といつまで一緒にいれるかわからない。次の年はどの国に住んでいるのかさえわからない。肝心の親は出張で不在が多い。

と、いつも知り合いの同僚らの子どもたちに出会うたび、深く同情してきたが、今回、ノルウェーに出張して、国連職員の子どもも悪くないと思えた。

ノルウェーでは、自然災害など、気候変動や環境破壊が原因での緊急事態にどう対応できるかを話し合う国際フォーラムに出席した。フォーラムは、国連とノルウェー政府が主催し、世界約40カ国から政府関係者、国連やNGO、民間会社など100人以上が出席した。そんな長い出席者の一覧に、一人、9歳の女の子が混じっていた。プロフィールには、「イザベル。ジュネーブの小学校4年生。ネパールに3年滞在経験と4年の公衆演説の経験あり。ウェンディーの娘でもある」とある。

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ウェンディーは国連職員でこのフォーラムの元締め。17年間、ハイチ、ネパール、パキスタンなどで仕事をし、4年前からジュネーブで働いている。UNHCRとは関係が深く、私も何度か会議などで一緒になったことがあった。

母と娘の2人暮らしで、普段、出張する時は、イザベルをベビーシッターに預けるが、今回は学校を休ませ、連れてきたという。

フォーラムでは、イザベルがマイクを質問者に手渡したり、資料を配ったり、賞を受賞する団体の紹介をしたり、花束を渡したりした。竜巻や火山噴火の現場を映像で取り続けるジャーナリストが活動を発表した際は、「自分の身はどうやって守っているの?」などと質問し、ものすごい存在感だった。英語とフランス語を操り、今は中国語を学んでいる。

一応、大臣クラスも出席するハイレベルな会議だ。そういうところに9歳の女の子がいて、その子がイベント企画者の娘だとしたら、「公私混同だ!」と言う人が出てきそうである。しかし、全くそういったことはなく、皆、イザベルの発言に笑い、休憩中にイザベルに話しかけ、心を和ませているようだった。

ある新年会とかに出席すると「子どもはお断り」とかいうこともあるのに、この違いは何なのだろう。

色々な文化や国籍が混じる国際機関で働の魅力の一つに、こういった包容力というか柔軟力みたいなものがある。日本では「変人」と思われるような、私の日常的な行為、例えば、突然叫んだりとかゲップとシャックリの間のような音を喉から出したりとかも、国際機関では「たくさんいる変人の一人」として受け入れてもらっているような気がする。

イザベルは大の寿司好きで、私が初日にノルウェーで一番人気の寿司屋に言ったことを伝えると、一緒に行きたいと言う。

私は5席予約し、「他に3人好きな人選んで」と伝えると、予想外にもイザベルは、ウェンディー以外の会議で出会った人を探し始めた。「お母さんとはいつも一緒にいる。せっかくなら、新しく出会った人と行きたい」という。9歳とは思えない自立性。しかし、私とウェンディーは顔見知り程度の関係だ。出会ったばかりの9歳の女の子を保護者なしで連れ出すわけにはいかず、結局、私とイザベル、ウェンディー、そしてマダガスカルの男性と4人で行く事になった。

イザベルはサーモン寿司を17個食べ、もっと注文しようとしたら、さすがにウェンディーにとめられ、すし飯をもらって、それに醤油をかけて空腹を満たしていた。

ウェンディーは今月末に、ジュネーブから南米のパナマに異動する。「イザベルには、1年でジュネーブに戻ってくると伝えているの。あまり不安にさせたくないから。向こうに行って、良い友達ができて『もっといたい』となることを願っている」と、ウェンディーは言う。

将来が楽しみな9歳だ。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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