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結局、私も「難民」に対して無知だった

2日前、突然、眼鏡のレンズが縁から外れ、大ピンチに陥った。予備の眼鏡もない。眼鏡がなければ仕事にならない。あーーあ!

ダダーブに眼鏡を治せる店があるとは思えない。仕方ないから、キャンプに行く時に付ける、度が入ったサングラスで辛抱することに。ただでさえ、髭が伸びて人相が悪いのに、サングラスかけながら、事務所で仕事していたら、単なるヤクザにしか見えない。夜なんて、通りすがりの人から、怪しい目で見られる。

国連で働く友人らに「眼鏡が壊れたのだけど」と尋ねても、「ナイロビに行くしかない」という返答ばかり。

そして、今日、サングラスかけながら仕事をする私を見てファラが「どうしたのですか?目が悪いのですか?」と尋ねてきた。事情を説明すると、「え?キャンプで治せますよ」と言うではないか!工場の従業員に手渡したら、なんと、5分で市場の時計屋で治して戻ってきた。修理費は50シリング(50円)。

モウリドに、「ダダーブに数年いる国連の友人に尋ねても、ここで眼鏡が治せるとは思っていなかった」と伝えると、開いた口が塞がらないようだった。

2年半もダダーブにいるのに、いまだに、難民キャンプでどんなサービスが受けられるのか、把握できていない自分に腹が立った。実は、2年前にも一度、サッカーをしている時、ボールが顔面に当たって、眼鏡を壊した事があった。その時も、誰1人として、「キャンプで治せる」と教えてくれる同僚はいなかった。

治安悪化で、自由にキャンプ内を移動することができないことなんて、言い訳にはできない。ダダーブは、人口50万人弱の大都市だ。住民のニーズを満たすため、様々な商売が繰り広げられている。何十台、何百台のタクシー車両、それを修理する車両工場、送金業者やインタネットカフェなどが並ぶ大市場に、眼鏡を治せる職人がいることくらい、なぜ、想像できなかっただろう?
おそらく、自分の頭の中に植え付けられている「難民」=「弱者」というイメージが、想像力を麻痺させてしまったのかもしれない。

人材育成や開発支援をする時、そこに住む人の能力がどれほどのものなのか、わからなければ、効果的な支援は難しい。例えば、昨年の飢饉で、学校机3万台が、ある先進国の政府系機関から寄贈されたが、実際、ダダーブには、机を作れる職人は、100人以上いる。そういった支援は、職人たちの仕事を奪うだけでなく、「職人になりたい」と思う子供たちの希望さえも継ぐんでしまう可能性がある。

と、かっこよく批判ばかりしている私も、結局は、眼鏡をナイロビで修理しようと思っていたわけだから、同罪だ。難民キャンプと国連敷地の距離は、近いキャンプで5キロ、遠いキャンプで20キロ。しかし、心理的距離は、その数倍、数十倍にも思えた。
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難民の「自立力」のシンボルが消滅する

写真2
29日午後7時ごろ、ダダーブ難民居住地区にあるキャンプの一つ、「ダガハリ」キャンプの市場で大規模な火事が発生した。数十センチの通路を隔てて引き締め合う店舗が次々と焼かれ、30日午前7時ごろまで延焼した。

30日午前9時ごろ、私は、国連の治安担当者とケニア警察と一緒に現場に向かい、延べ5000平方㍍に及ぶ 、市場の大部分が「消滅」したのを目の当たりにし、しばし呆然とした。野菜を買った食材店通りも、お茶を飲んだレストランも、すべて鉄板とがれきの山とかしていた。幸い、死人はおらず、数人がやけどなどのけがを負ったという。

 現場一帯は、白い煙に包まれ、多くの人たちが、ブラスチックのタンクで水をくみ、自分たちの店の跡地の消火活動や、残った貴金属類を拾い集めるなどしていた。中には、地面にまき散らされ、土まみれになった砂糖の山を、袋に入れている子供もいた。拳銃を肩にかけたケニア警察は、現場の跡地から物を盗もうとしている難民がいないか監視し、少しでも怪しい行動があれば、容赦なく、こん棒を振りかざし、私も危うく巻き添えを食らうところだった。

友人6人とお金を出し合って、昨年始めた雑貨屋を失った39歳男性は「店には200万シリング(約200万円)くらいあったけど、すべて失いました」と肩を落とした。男性によると、300以上の店が全焼し、数百万単位の損失は「めずらしくない」と言う。中には1000万シリング以上を失った人までおり、火事の深刻さを物語っている。

出火場所は、市場の店舗に電力を供給していた発電所で、電線を通して、電力供給先の各店舗へ一瞬で延焼し、市場から1キロ離れた所に暮らす男性は「爆発音を聞いてから、市場へ駆けつけようとしましたが、その時には、辺り一面火が燃え上がり、どうすることもできなかった」と言う。

ダガハリでの火事は、これで3度目。これまでは、援助機関も消火器を持って消火活動に当たることができたが、昨年からの治安悪化で、援助機関は、身動きがとりづらかった。 ダガハリでは先週、路肩爆弾が爆発して6人が重傷を負ったばかりだった。そのため、火事の一報が入った際、誰もが放火の可能性を考え、現場に近づくのをためらった。店舗を失った難民たちは口々に「なぜ、私たちを見捨てたのか?」と訴えた。

問題は、なぜ、店舗や住居が密集しているキャンプで、消火対策措置が設置されてこなかったということだった。店舗を失った男性は「昔の店舗はすべて、木造だったけど、みんな火事を恐れて鉄板を使う様になった。でも、今回の様に、発電所から電線を通して延焼するなんて予想しなかった」と言う。

私が国連に勤務していた昨年3月、ダガハリの青年組織が、消防団結成のための企画書を国連に出した。丁度、私の任務が終わる頃のことで、引き継ぎ書に記して、私は国連を去ったが、結局、上層部の判断で実現されることはなかった。今回の火事で、難民居住地区にも消防団などの長期的視野を入れた開発が必要なのだということを、私たちに改めて教訓とさせた。

ホテル、送金業者、レストラン、インターネットカフェ、DVDシネマ、雑貨屋、肉屋などが連なった市場は、1991年にキャンプが設立されて以来、住民たちが自分たちでコツコツ貯めた「財産」の結晶だった。また、市場の発展には、援助機関はほとんど関与しておらず、まさしく難民の「自立力」の証明でもあった。援助機関と難民が協力して、これらの「宝」を二度と失わないよう、対策を練らなくてはならない。

なぜ、特定の難民を狙う事件が増えているのか

今回の、外国人援助スタッフの拉致未遂事件と、昨年10月のスペイン人拉致事件は、外国人を狙ったという意味で同じだが、キャンプの住民は、この二つの事件に、全く異なる受け止め方をしている。

昨年10月の事件では、外国人が狙われた事から、難民たちは「私たちには関係ない」という態度だった。しかし、昨年末から、援助関係者だけでなく、難民を狙った事件が増え始めたため、今回の拉致未遂事件も、その延長線上ととらえ、難民たち自身も全体の治安悪化の延長ととらえ、大きなショックを受けている。

キャンプ内では、何年も前から、店荒らしや強盗事件はあったが、以前は無差別に店が荒らされていたのが、最近になって、特定の難民を狙った事件が起き始めた。今年4月、モウリドが「キャンプに住んで20年、こんなこと初めてです」と声を震わせながら話した。ある電気店を経営する難民宅に、拳銃を持った若者たちが押し入り、男性の店へ連れ出し、現金200万シリング(約200万円)を奪い取った。

特定の難民が狙われたことで、「次は自分が狙われるのでは?」という恐怖心を、モウリドを含む富裕層の難民すべてが抱き、「体感治安」が一気に悪化した。一方、私がショックを受けたのは、200万シリングという大金を、ダダーブの住民が所有しているという事実だ。ケニアの大学卒業したエリートが5年以上働いて稼ぐ金額であり、ダダーブの経済規模は、私の想像していたものより、遥かに大きいものだった。

キャンプ全体の治安が悪くなった要因はいくつか考えられるが、ケニア政府や新聞が挙げる要因は主に二つ。
——昨年の飢饉で16万人の難民がソマリアから押し寄せ、中には、20年続く内戦で戦っていた元兵士が含まれている
——ケニア軍がソマリアに侵攻したことから、その報復行為として、ケニア警察や軍を狙う犯行が増えた

上の二つは、事実だろう。でも、これだけでは、裕福層の難民が狙われる事件の増加について、説明する事ができない。

各キャンプには、「チェアマン」と「チェアレイディー」という、男性と女性の「難民首長」がいるのだが、6月には、あるキャンプのチェアレイディーが乗った車が路肩爆弾で爆発し、彼女は重傷を負った。明らかに金銭目的の事件ではないため、彼女に「恨み」がある者の犯行であり、上記の二つの要因でも、説明がつかない事件だ。

私の難民の友人たちの話では、このチェアレイディーは、ダダーブ地区選出のソマリア系ケニア人の国会議員と親戚関係にあり、彼女に嫌われた援助機関はダダーブで活動ができなくなるため、援助機関は彼女と蜜月関係を保つためなら何でもするという。例えば、援助機関が井戸を掘る事業をするにあたり、工事の請負業者を決める際、彼女が推薦した業者に仕事がいき、彼女が仲介料を徴収するという仕組みだったという。

それにより、彼女は大きな資産を蓄え、ダダーブで唯一の鉄筋コンクリートの自宅を昨年築き、住民を驚かせた。前章でも書いたが、この20年、援助機関は、特定の難民を優遇してきた。そして、昨年の飢饉で16万人の「貧困層」がダダーブに押し寄せ、格差が一気に拡大し、それまで築かれた援助機関と裕福層の難民の馴れ合い関係のツケが、今、こういった事件の増加という形で現れてきているような気がしてならない。

 ライフラインにナイフを持った若者たちが訪れ、お金を要求してきたのも、こういう歴史の延長線上にあるのかもしれない。しかし、それにより、七輪製造はストップし、本当に援助が必要な人たちに援助が行き届かなくなってしまった。皮肉としか言いようがない。

拉致未遂事件が私たち援助機関に突きつける問題

先月29日に武装集団に拉致された友人たちが、3日後、無事に生還した!ソマリア国内を歩いて移動している途中に、ケニア軍が見つけ、実行犯は銃撃戦の末、殺されたという。

友人らはそのまま直接ナイロビへ行き、母国へ戻ったため、私は会うことはなかったが、無事帰還の知らせを聞いた時は、皆、抱き合って喜んだ。ケニアの新聞は勿論、BBCやアルジャジーラなど大手メディアは、この「ミラクル救出劇」を大きく報道し、友人たちは一躍、有名人になってしまった。

しかし、無事生還したからといって、ダダーブの治安が良くなったわけではない。そして、今回の事件は、大きな課題を、私たち援助関係者に突きつけた。

まず、先進国出身のスタッフが人質に狙われやすいということ。実行犯は身代金目当てのため、比較的お金がある国の出身者を狙っていると思われる。今回は4人とも、非黒人で、しかも、彼らが所属する団体「ノルウェー難民委員会」(NRC)の事務総長(組織のトップ)を乗せていた車両群が狙われたことから、実行犯は、より地位の高い人物を狙うことで、より多くの身代金を要求しようとしていることがうかがえる。(だから、某国の政府系機関の方が、以前、ネクタイ、スーツ姿でダダーブに来られた時は、「なぜ、わざわざ、狙われるような格好をするのか?」と同僚は首をかしげていた。昨年、訪れた国連事務総長でさえ、ネクタイはしていなかったのに)

次に、NRCの事務総長を乗せた車両群を、実行犯は待ち構え、計画的に狙っていたことから、日帰りでダダーブを訪れていた一行の行程が、内部の者から漏れていた可能性があること。「内部の者」というのは、同団体で働く難民従業員の可能性もあり、何らかの「報酬」の見返りに、協力したのではないかと指摘されている。

最後に、拉致が実行された場所である。「ダダーブ難民キャンプ」という呼称は、しばし、東京ドームくらいの大きさに人が引き締め合って暮らしているというような、謝ったイメージを外部の人に与える。実際は、五つのキャンプが散らばっており、端から端までの距離は30キロ以上、車で1時間以上かかる。つまり、「ダダーブ難民居住地区」という呼称の方が適切なのだ。
なぜ、このことを、ここで強調する必要があるのかというと、拉致が実行された場所は、昨年設立されたばかりの「イフォ2」キャンプで、昨年の飢饉で逃れた人が主に住んでいるところだ。1991年からある、他のキャンプとは違い、大きな市場もなく、ほとんどが、その日食べる物を調達することで精一杯の日々を送っている。要するに、居住地区の貧困層が暮らしている地区なのだ。

「難民は皆、貧困なのではないの?」と思うかもしれない。しかし、他の古いキャンプには大きな市場が形成され、送金業者、インターネットカフェ、ホテル、レストラン、電気店などなどが並び、車やテレビを所有している難民も珍しくなくなっている。私のアシスタントのモウリドも、ライフラインで働く前からパソコンを所有していた。アメリカに住む友人たちにお金を借りたのだという。

昨年10月に起きた拉致事件も、同じキャンプで発生しており、貧困地区の方が、「協力者」が得られやすいからではないかと推測される。

新聞は、今回の拉致事件を「ソマリア南部を実行支配するイスラム武装組織『アルシャバブ』のシンパによる犯行」と書いている。「シンパ」とは、「同調者」を意味する。しかし、ダダーブに住んで2年以上になるが、アルシャバブの過激的な「イスラム」の解釈に不満をぶちまけるソマリア人には大勢会ったが、それに同調するという人に会ったことはなく、もし、協力する人がいるとしたら、それは、食べるものがない故、数少ない収入源を確保するためだと、私はみている。

もし、このダダーブ内にできた難民間の「格差」が、今回の拉致事件と関連があるとしたら、私たち援助機関はこの格差是正のために何をしてきたのだろうか?食料配給は、20年間、すべての難民に一律に支給されており、平均月20日分の米、豆、トウモロコシ、油などが支給されるのみで、野菜や肉はなく、10日分は、自分たちのお金で購入しなければならない。自分が、貧困な難民で、テレビを所有している人が同じ分の生活保護を受けていたら、どんな思いがするだろうか?

それだけじゃない。援助機関が実施する若者対象の職業訓練や研修は、本来、文字の読み書きができない貧困層の難民が優遇されるべきなのだが、現実は全く逆だ。募集の張り紙が英語で書かれていたり、研修自体が英語で行われたり、援助機関で働くエリート層の難民従業員を通して告知がされる傾向があるため、自動的に、学校に行けず、日々、肉体労働でわずかな賃金を稼ぐ若者たちには、そういった機会が与えられないのが現状である。昨年2月に私が実施した調査では、若者全体の2割にも満たない高等学校卒業者の9割が、何らかの研修を受けた事があるのに対し、文字の読み書きができない人に限れば、1割だけだった。

本来、弱者に寄り添うべき、私たち援助機関が、逆に格差拡大に貢献してしまっている実態があるのだ。そして、そこから取りこぼされた人たちが、貴重な収入源確保のために、テロ行為に加担しているのだとしたら、自分のダダーブでの存在意義って、何なのだろう。

20年間、「緊急援助」の現場とダダーブは位置づけられてきた。だから、「難民」にはすべて、食料、医療、教育が一律、無料で提供され続けている。一方、その間、ダダーブは大規模の経済活動の拠点となり、貧富の格差が拡大した。それでも、果たして、一律に支援し続ける必要ってあるのだろうか?

今回の事件を受け、すべての援助機関の代表が集まって対策を練った。誰も、私が指摘する「格差問題」について言及する者はおらず、私自身、言うことができなかった。同僚が拉致されショックを受けている時に、「悪いのは私たちです」と言えるだけの度胸は私にはなかった。結局、何も言えない私は、誰を責める権限もなく、ただ、大きな流れに身を委ねたまま、日々を送っている。

人を「助ける」って、一体、何なのだろう。

友人、武装集団に連れ去られる

6月29日午前11時半ごろ、ダダーブで活動するNGO「ノルウェー難民委員会」(NRC)の車両3台が10人以上の武装集団に襲われ、ケニア人スタッフ1人が銃で撃たれて死亡、外国人スタッフ4人が連れ去られた。他に2人、重傷を負った。連れ去られた4人は、ノルウェー人、パキスタン人、カナダ人、フィリピン人。これまで援助機関を狙った事件はいくつも起きてきたが、これほどの規模のものは初めて。

ダダーブには現在五つの難民キャンプがあり、事件が起きたのは、昨年開かれたばかりの「イフォ2」キャンプ。昨年10月には同じキャンプで、国境なき医師団で働くスペイン人2人が拉致されており、未だに行方がわかっていない。

私は、事件発生時は、現場から約4キロ離れた工場Bにおり、工場を去った直後の12時15分ごろ、工場Bの主任、ファラからの電話で、事件を知った。その後、午後6時に全援助機関を集めた緊急会議が開かれ、事件の詳細が知らされた。集まった約40人の表情は重く、報告後、質問する人は誰1人いなかった。

連れ去られたメンバーには、私の知り合いも含まれ、個人的に連絡を取り合うことはなかったが、食事会や会議で会って話をすることは頻繁にあった。1人は、ピザが好きで、ナイロビから材料を仕入れ、友人10人以上を招いてピザを振る舞う陽気な性格だった。そんな彼らと、一瞬にして連絡が取れなるという現実を受け入れることは容易ではなく、特に親しかった人たちの中には、泣いている者までいた。

武装集団は、車両ごと連れ去り、数時間後、現場から30キロ離れた所で、車両が乗り捨てられているのが見つかった。ダダーブから100キロ離れたソマリアとの国境をすでに超えている可能性もあり、捜索活動は難航を極めるだろう。また、昨年10月の拉致事件の2日後には、ケニア軍がソマリアに侵攻しており、今回の事件が、国際関係に影響を与える可能性も指摘される。

日本にいる友人からはよく、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」などと、聞かれることがある。そして、身近な人間がこういう事件に巻き込まれると、それらの質問が、自分にずっしりと重く響く。「国際協力だったら、もっと、安全な所でもできる」「日本にも困っている人たちはいる」などなど、自問し始めたらきりがない。

「みんながそんな風に考えたら、誰も紛争地帯に住んでいる人を支援する人はいなくなる」という、かっこつけた返答をしたこともあったが、今、改めて考えると、本当の自分の思いはもっと違うところにあるような気がする。

20歳の時、旧ユーゴスラビアで初めて難民に出会った時、自分とはかけ離れた人生を歩む人たちへの「好奇心」が沸いた。以来、もっと、その人たちのことを知りたいと思い、インターンや大学院で難民の研究に携わった。新聞記者になっても難民の記事をいくつか書いたが、数日の現場取材だけでは断片的な事しか書けず、長期的に人間関係を作ることでしか伝えられないストーリーを書きたいと思った。

それで2年前、ダダーブに来た。正直、好奇心が先行して、自分が危険な事件に巻き込まれる可能性など、あまり深く考えることはなかった。

でも、日本から遠く離れたアフリカで暮らしていると、「危険」という単語の定義も、あやふやになってくる。日本では、確かに外国の武装集団に複数が拉致されるという事件は滅多に起きないから、そういう意味では、ダダーブより安全なのかもしれない。でも、ここ10年以上、年間3万人以上が自殺で命を落とし続けているという現状は、「危険」ではないのか? 交通事故でも、年間約5000人が亡くなり、そして、昨年の原発事故。ケニアの治安は日本より悪いが、事件、事故、自殺を合わせて年間3万人以上が命を落とすことはないのではないか。

自殺や交通事故はメディアに取り上げられないが、「拉致」、しかも、イスラム武装組織の関与が指摘されれば特にメディアの関心は高くなる。それで、ダダーブは「テロの温床」「危険」などといイメージになるが、援助関係者が巻き込まれる事件は、この20年で数えるほどしかない。

そして、その仕事の「危険度」を、人生選択の重点基準にすること自体に、私は違和感がある。自分のやりたいことを一つもこなせずに80年生きるのと、やりたいことを一つでも達成して40年生きるのとでは、どちらが幸せなのだろうか。

少なくとも、今、私は自分の仕事におおきなやりがいを感じることができている。それは、日本の会社で働いている時のやりがいよりも、比べ物にならないくらい大きい。

「給料挙げろ!」しか言えなかった従業員たちが、自分たちのお金で識字教室を始めたり、全身をベールで覆ったイスラムの女性は、自分とは別世界の人間だと思っていたが、彼女たちが私と同じ様に野球のバットを思い切り振り、笑顔で一塁ベースへ走る姿を見たりと、私の好奇心はさらに壮大になっている。

だから、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」という質問には、「別に危険だから行く事に決めたわけじゃない。自分のやりたいと思った事が、たまたま、そこにあっただけ」と答えることしかできない。

連れ去られた友人らは、一体、どんなきっかけで、人道支援の世界に入ったのだろう?そんな事を考えながら、友人たちの無事の生還を祈る日々が続く。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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