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感情的なメール

 前任者のJからは「最高のチームワーク」と評されていた工場Bで、主任のハサンが従業員を「犬」と呼び、工場長と主任の全面対決までに至った。Jのハサンの評価は特に高く、JはハサンにTシャツとか帽子とかをプレゼントしていた。Jとは昨年、とても仲良くさせてもらい、来月には彼の結婚式に出席するためにタンザニアまで行く予定だ。
しかし、仕事の上でのJの顔は全く知らなかった。それで、前任者と後任者という関係になって、様々な方針の違いに気づき、色々伝えたいと思うことがあった。でも、仲の良い友人の気分を害するような批判はしたくないし、もうすでに去った人の名誉を傷つけても仕方がないという思いがあった。

でも、今回は、ハサンの「犬」発言に私は怒り、Jの評価と現実とのあまりのギャップに私は戸惑いを隠せず、Jに少し感情的なメールを送った。

 「工場Bで、ハサンが従業員を『犬』とか『馬鹿』とか呼んでいたことを知ってた?ハサン自身が事実を認めた。それで、従業員の何人かが主任を代えてくれと申し出た。通訳を雇って2時間のミーティングを開いて、一応の和解には至ったけど、おそらく、しこりは残っているでしょう。
 ハサンはとても責任感がある反面、とても強権的だ。従業員は半年間で14日の有給休暇が取得できるはずなのに、ハサンは7日間しか認めていない。
 Jの一番お気に入りだったハサンに警告文を出さなくてはいけないかも。」

Jが気分を害するかもしれないとは知りつつも、ぶっきらぼうな書き方になってしまったことは否めない。Jからは、すぐ返信が来た。

 「ハーイ。ヨーコーの工場だから、ヨーコーの判断で好きにやればいい。でも、強権的な手法は、あの工場にとって必要だった。ハサンが主任になった当時、従業員の勤務態度はひどかった。それは、ハサンの前任の主任が、従業員に甘すぎた結果だった。もちろん、従業員を犬とか馬鹿とか呼ぶのは許されない。私がそう言ったとハサンに伝えてもらって構わない。でも、彼は、あの状況で必要なことをやろうとしていただけだった。従業員の規律を正し、生産量を一気に上げた。彼はよくやったと思う。
 有給休暇に関しては、私が彼の裁量に任せたから、私にも責任はある。主任を代えることに関してだが、考慮してもらいたいことは、今年2月、新しい主任を選ぶさい、7人の従業員が全会一致で彼が主任になることを決めた。ハサンがあまりに厳しく、これまでのような楽ができなくなったから、ハサンを代えようとしているだけなのかもしれない。
 最終判断はあなたに任せられているけどね」


Jは、私に「従業員が私を恐れていることは良いこと」と言っていた。確かに、「厳しさ」は必要だけど、それだけじゃないと思う。「上司が怖いから」という動機だけで仕事に取り組まれても、それは長続きしない。それに、「犬」と呼ぶことは許せないと書いている反面、主任を代えたいという従業員たちが、それまでの様な楽な日々を取り戻したいからそう言っているのだと書くところも、どこかスッキリしない。

 日本の会社にいた3年半で上司や先輩に「馬鹿」と呼ばれたことは3回ある。3回とも本気で仕事を辞めようと思ったし、実際一度は「こんな腐った会社辞めてやる!」と上司に言って、電話をこちらから切った。それが、「馬鹿」ではなく「犬」とかだったら、辞めるどころか、何か物を投げつけていたかもしれない。

 私は、できるだけ冷静に、今度はJの気分を害さないように配慮しながら、返事を書いた。

 「はい。Jの書いていることはよくわかる。従業員たちがサボろうとするのはよくわかるし、それに対して厳しく対処するのは当然です。私が、工場Aの従業員2人を停職処分にしたのも、私の厳しい一面だったと思うし、その後、工場の生産が上がったことも嬉しかった。
 Jの友人として、私が伝えたかったのは、生産の向上だけが、部下を称賛する理由になるべきではないということ。従業員がサボる時、ハサンのお決まりの言葉は「ヨーコーに通達するからな」だった。おそらくJが居たころは「ヨーコー」の部分が「J」だったのでしょう。ハサンは、工場長のJから常に称賛されていたから、従業員に対して何をしても大丈夫だと思うようになった。従業員たちは、Jがハサンに帽子とかTシャツとかを贈呈し、仲良くしていたから、どんな不満を漏らしたとしても、Jはハサン側に立つと思ったでしょう。
 これで、ハサンは、自分の言葉で従業員を説得する必要がなくなり、彼のマネージメント能力が伸びる機会は失われ、従業員とハサンの間に信頼関係ができずらくなってしまった。
 仕事を失う怖さから、自分の事を犬と呼ぶ上司に、忠誠心を誓わなければならないとうことは、とても辛いことです。
 Jが前のメールで書いているように、ハサンは、自分が主任になって工場の生産量が上がったことを示して、自分が従業員に対してしたことを正当化しようとしていた。私はハサンに「工場の生産性よりも、従業員の尊厳の方が大事」と伝えた。
 上司に対しての「恐れ」が、真面目に働く動機になるべきじゃないと思う。従業員たち自身が、自分たちのやっていることに意義を見出してもらわなければ、生産性も長続きしない。
 私はただの理想主義者なのかもしれない。今度、二つの工場の全従業員を集めて研修をする。そこで、従業員が出してきた意見をできるだけ工場の運営に取り入れたい。そうやって、彼らの意欲を高めていけたらと思う。
Jがこのメールを読んで気分を害したら謝る。でも、Jがこれから人道支援の道を進んでいくなら、大事な事だと思った。
いつも、アドバイスをありがとう。この仕事はとても自分に合っている。とても疲れるけどね。昨日は9時に寝てしまったよ。」

改めて読み返してみると、Jに対してかなり上から目線で、物事を決めつけて書いている。熱くなると、いつもこうなる。でも、Jはおそらく理解してくれるだろう。

Jの返信は再び素早かった。かなり長い文章で、すべてをここに綴ることはできないが、主な点は

1.工場運営に対する意見はヨーコーと同じ。
2.ハサンがそんな事をしているとは知らなかったし、知っていたら、しっかり批判はしていた。
3.工場の当時の状態を考えたら、ハサンの従業員に対する厳しい姿勢を称賛することは避けられなかった。

私の書き方に対する批判などは全くなく、逆に、「気分を害してなんかない。こういうことを考えさせてくれて感謝している」と書いてくれた。救われる思いだった。

私は「いつも、良い聞き役になってくれてありがとう。私はすぐ感情的になって、それを誰かに対して放出しなければすまない人なのです。もしかしたら、ハサンは、私が工場長になってから変わったのかもしれません。私が細かい事をいつも厳しく批判するから、ストレスがたまって、従業員たちに対してああいう行為に出たのかも(笑)」

Jは来週末、タンザニアで結婚する。私も妻と二人で結婚式に出席する。そんな忙し時期に、私のうだうだメールに付き合ってくれた友人に感謝したい。

3日後、工場Bを再び訪れたら、ハサンがすっきりとした表情で「工場があのミーティングで一気に変わりました。皆、私の言うことを素直に聞いてくれるし、お互いに配慮し合うようになった。仕事を楽しくやっている。何の問題もなくなりました」


そして、他の従業員たちも「ハサンが変わりました!」と興奮した表情で報告してくれた。ハサンに「犬」と呼ばれて憤慨していたノアが笑顔で、ハサンと話していた。こんな光景を見るのは初めてだった。

ハサンと、ハサンに対して暴言を吐いたノアとアブディ、合計3人に警告文を出そうかと考えていたが、彼らのすっきりとした表情を見たら、そんな気は失せてしまった。彼ら自身で解決できたのだから、「犬」の話を持ち出すのはよくない。
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工場長と主任の全面対決

遂にこの日がやってきたか。指導方針が全く異なる工場長と主任の全面対決。
 ダダーブには難民キャンプが三つあり、そのうちの二つのキャンプに私の工場はある。無断欠勤や成果の水増しなどの問題があった工場Aに対し、前任者のJからは、「工場Bは、最高のチームワークだ!」と引き継ぎを受けていた。確かにBの従業員はよく働く。毎週150のコンロを生産し、生産量は半年前に比べたら2倍に増えていた。
 主任のハサン(仮名)は、責任感が人一倍強く、誰よりも早く出勤し、時間外労働も全くいとわない。そして、今年1月に主任に就任してから、一度も有給休暇を取らず、仕事に専念してきた。
 しかし、私は、最初からハサンの指導方法に疑問を抱いていた。まず、自分の部下に対する悪口が多い。「あんなダメな奴は初めてです!」「こいつがこれまでしてきたことは、前任者に聞いてもらえばわかります」などなど、私からみたら、「文句があるなら、その人に直接話せばいいのに」と思うようなことばかりだった。
 そして、新人に対しては特に厳しい。「新米のくせに、何言ってんだ?」という、私の一番嫌いなセリフを平気で口にする。このセリフは、私が3年半在籍した日本の会社に最後まで馴染めなかった大きな理由の一つだ。「新米のくせに」ではなく、「新米だからこそ」意見に耳を傾ける価値がある。「こんな企画どうでしょうか?」と先輩や上司に言って、「お前一年生のくせに何言ってんだ」という様な目で見られ、何度、涙を流したことか。誰でも短所長所はある。1人1人の長所を引き出していける組織こそ、伸びていくと思うのだが、「新米のくせに」と特定のグループにレッテルを張ることで、伸びる芽もの育たなくなってしまう。
 ある日、ハサンから携帯メッセージが届いた。「アブディを15日間の停職処分にしました」という。本来、停職処分は私が下すもので、主任にその権限はない。「3人で話をさせてくれ。それまで待ってくれ」と返答した。
 次の日、工場でハサンから話を聞いた。ハサンによると、金曜日の午後2時、キャンプ内の市場で、ハサンがアブディにお使いを頼んだら、断られたために、停職処分にしたという。
 金曜の午後2時は勤務時間外だ。しかも、金曜日はイスラム教にとっての休息の日。その時間に、主任からお願いされた仕事を断っただけで、停職処分は、少し厳しすぎる。しかも、12人いる従業員の中でなぜアブディにお願いしたのか、ハサンに聞いても、はっきりとした答えは返ってこない。アブディは少し生意気なところがあり、ハサンは、よくアブディの事を悪く言っていたから、気に入らない部下をターゲットにしたのだろうか?だとしたら、むしろ、そちらの方が問題だ。
 ハサンは、私のあいまいな表情に気づき、さらに続けた。「今朝、そのことで彼に話したら、彼は私に『馬鹿』と言ってきたのです」。私は、「馬鹿」という言葉には、反応せざるをえなかった。従業員が上司に、そんな口を叩いたとしたら、それは問題だ。
 早速、アブディを呼び、一対一で話した。しかし、アブディは「『馬鹿』とは言っていない」、と言う。ハサンを呼び、3人で話す。突っ込んで話を聞いてみると、ソマリア語が適切に通訳されていないということに気付いた。
 アブディが何と言ったのか、ソマリア語でノートに表記してもらった。「バララクレ」。「意味のわからない事を話し続ける人」という蔑視的な表現で、「馬鹿」とも解釈できなくもないが、少し意味が異なる。日本語だと「やかましい!」みたいなもんか?「馬鹿」ほど、蔑視的ではないように思える。
 私は、従業員全員を集めて、「勤務時間外に、主任から仕事をお願いされたら、もちろん、できる限りの範囲で協力してほしいですが、無理なら、はっきりと断る権利があります。ただ、お互いを尊重し合うことが大事なので、蔑視的な表現は避けましょう」と伝えた。アブディは、自らの過ちを認め、ハサンと拍手をした。その日は、和解の意味を込めて、従業員全員を連れて近くの食堂で昼ごはんをした。ハサンは、初め、皆と同じテーブルには座らず、私が「なんで1人で座っているの?」と言い、「混んでいるようだったので」と言いながら、私たちのテーブルにやってきた。ハサンと従業員の間に、もやもやしたものがあると、肌で感じた。

 2週間後、ハサンが久しぶりの休暇を取った日、工場を訪れると、従業員の1人、ノアが話しかけてきた。ノアが私と直接会話するのはこれが初めてのことで、事の重大性を悟った。主任代理のアブデュラヒの通訳で、ノアは、これまで胸の中に溜まっていたものを吐き出すように話し始めた。

 「先週金曜日、土を混ぜる作業をハサンに指示されて、『ちょっと疲れているから明日の朝やらせてくれ』とお願いしたら、『犬』と呼ばれた。ここにいる皆がそれを聞いていた。もう、彼の下で仕事をするのは無理だ。主任を代えてくれ」

 「犬」とは、イスラム教で「不浄」の意味を持ち、これ以上、人の尊厳を傷つける言葉はないのではないか。他の従業員、全員が聞いている中で、ノアが、初対面同然の私に「主任を代えてくれ」と請願するということは、事態は、私が予想していた以上に深刻だった。
 
 私は、「ハサンにも事情は聞いてみる。それで、全員でミーティングをしよう。英語とソマリア語ができる通訳を連れてくるから、ハサンも話し合いに参加できるようにする」と告げた。

 初めから分かっていたことだが、私の工場には、大きな構造的問題がある。私と従業員の間には言語の壁があり、ソマリア語と英語ができる主任を通さない限り会話ができないということだ。これは、自然と、主任に大きな権力がもたらされる。なぜなら、工場長は主任の報告を通してしか従業員の様子がわからないからだ。だから、主任の都合で、「あいつはだめだ、あいつはやくやっている」と言えば、それに従って評価が決まってしまう。従業員が何か言いたくても、通訳するのが主任だったら、「バララクレ」が良い例だが、主任の都合よく通訳されるだろうし、主任に対する文句は言いづらくなる。

 3日後、まず、ハサンと2人きりで話す。ハサンは、自分がノアに対して、「ひどい事は言ってません」と断言し、ノアが指示通りに動かず、ハサンに対して、「俺に、ファックしろって言ってんのか?」と暴言を吐いたと言った。

 その後、外部の通訳者を招き入れ、全体ミーティングを開いた。外部の通訳を入れることで、ハサンも話し合いに参加できるようになるし、従業員もハサンに対して正直な事を言いやすくなる。ハサンが、自分の都合の良いようにソマリア語を英語に訳す心配もなくなる。

私「これまで、従業員同士の問題を数多く聞いてきました。このミーティングで、すべて、出し合いましょう。今日は、特別に通訳をお願いしました。これで、ハサンもソマリア語で話し合いに参加できるようになります。私たちは、人間なのですから、問題があるのは当然です。その問題に対して、正直に話し合うことが大切です。暴言は慎み、お互いの言っていることを尊重しながら、話し合いましょう。それでは、まず、ノアから始めましょう。」

ノ「これまで、ハサンからは、様々なパワハラを受けてきました。一度、遅刻した時は、『首にするぞ!』と脅されました。職場で少しふざけ合っていたら、『お前は臭い』と言われました。前の主任を引っぱたいて、大問題になったこともありました。彼が主任になってから、事態はさらに深刻になりました。彼は、自分の指示を強制します。私が、今は疲れているからできないと言っても、『これは義務だ』と言い張ります。だから、私は『俺にファックしろって言っているのか?』と暴言を吐きました。先週の金曜日も、土を混ぜろと指示され、他の従業員がやればいいと思い、別の事をしていたら、『犬』『馬鹿』と呼ばれました」

私は「他にはありますか?」と尋ねた。

アブディラフマンが手を挙げた。

ア「職場の人間関係が悪くなっているのは感じています。おそらく、今は一番悪い状態でしょう。何か私たちが気に入らないことをすれば、『工場長に報告する』と脅されます。ある日、私が働いていたら『家に帰れ』と言われました。主任は、もっと私たちのことを尊重しなければいけません。別の日に、携帯電話を充電しに市場に行きたかったのですが、それも許されませんでした」

他にも数人がコメントをした後、私は、「それでは、ハサンにも主張する機会を与えましょう」と言った。

ハ「私は、前の主任を引っぱたいていない。誰の事も、臭いとは言っていない。誰の事も犬とは言っていない」

と、すべて否定した。

私「ノアは、ハサンが『犬』と呼んだと言って、ハサンは言っていないと言っていますが、誰か他に聞いた人はいますか?」

お互いの表情を見あいながら、3人の男性従業員が「私は『犬』とハサンが言ったのを聞きました」と証言した。おそらく、女性従業員も聞いていたのだろうが、主任の手前、それを言うことはできないのだろう。女性従業員の1人が、「『馬鹿』と言ったのは聞こえましたが、『犬』は聞いていません」と言った。そしたら、ハサンは、「『馬鹿』とは確かに言った』と認めた。

私「ノアを含めて4人が、あなたが『犬』と言ったと証言していますが」

ハ「彼らの受け止め方次第だと思いますが、私は言っていません」

私「わかりました。では、主任は『馬鹿』と言ったと言っていますが、それについてはどう思いますか?適切だったと思いますか?」

と皆に尋ねると、2~3人の女性従業員が「不適切だったと思います。そんな言葉づかいはすべきじゃない」と言った。


ハ「説明させてください。私は、彼が、自分の過ちに気付き、言動を改めてほしかっただけです」

私「あなたは、誰かに『馬鹿』と言われて、自分の言動を改めようと思えますか?もし、言動を改めてほしいと思うのなら、しっかり向かい合って話し合ったらいいじゃないですか?君はこういうところがいけないと思うのだけど、君はどう思うか?『馬鹿』とののしれば、相手の言い分を聞く機会を失ってしまいます」

私は、4人の目撃証言がありながら、『犬』と言ったことを否定し続けるハサンの姿勢が、どうしても許せなかった。

私「もう一度、ハサンに聞かせてください。4人の従業員はあなたが『犬』と呼んだと証言しているのですが、あなたは言っていないのですね?」

ハ「わかりましたよ!みんなで、私に『言った』と強制的に認めさせたいなら認めますよ!」

私「それは違います。私たちは、あなたの正直な気持ちを聞きたいだけなのです。私たちから強制されているとは思わず、自分の胸に手を当てて、正直に言ってください」

ハ「私はジェントルマンです。そんなことは言いません」

これについてはもう諦めよう。これ以上詮索する価値もない話だ。しかし、もう一つ、私は引っかかるところがあった。

私「一時間前、私はハサンと二人きりで話しました。その時、ハサンは、『自分はノアに対しては何も暴言は吐いていない』と断言しました。しかし、今は、『馬鹿』と言ったと言っていますが、どうしてでしょうか?」

ハ「私も人間ですから、忘れることはあります

私は、この言葉を聞いて、思わず、空を見上げて落胆を露わにした。ノアが彼に言ったことは覚えているくせに、自分の言ったことは忘れたと??どこまで、自分の都合の良い方に、話を進めようとすめば、気が済むのか。

ハサンは続けた。

ハ「私が、主任になってから、工場の生産量は飛躍的に上がりました。それは私の指導力あってのことです。」

彼がこう開き直るのは、想定の範囲内だった。

私「工場の生産量よりも、1人の従業員の尊厳の方が大事です。それを忘れないでください」

ハ「私がこれまでやった功績はゼロということですか?」

もう、こんな議論はしたくない。私は、ノアに目を向けた。

私「ノア。君は、自分がハサンに言ったことについて申し訳ないと思っている?」

ノ「はい」

私「ハサンには謝った?」

ノ「いえ。他の従業員が私の代わりに謝ってくれました。私が謝っても受け入れられないと思ったので。」

私「謝るというのは、結果が大事じゃない。あなたの謝るという気持ち、努力が大事なのです。」

ノ「あなたが、謝れというのなら、謝ります」

私「いや。謝罪というのは人に言われてやるものじゃない」

ノ「わかりました。」

ノアは立ち上がって、ハサンと握手をし、抱き合った。

私は「ハサン。あなたは、ノアに対して謝りますか?」

ハ「もちろんです」

ハサンは立ち上がって、ノアを抱きしめた。

とりあえず、この場は、これで一件落着させよう。ハサンは、もう、十分に制裁を受けた。従業員全員の前で、多くの批判を受け、謝罪したのだから。彼なりに、かなり譲歩をした。そして、従業員たちも、良く話してくれた。上司の悪口を公然の場で、冷静に話すことは難しい。

私は最後に、「何か問題があったら、その人に直接話してみてください。もしだめなら、チーム全体でミーティングを開いて話し合ってみてください。それでもだめなら、私を呼んでください。できるだけ、自分たちで解決できるようにしたら、このチームはますます、結束されていくと思います」と締めた。

 ミーティングは2時間続いた。通訳に謝礼を払って、工場に戻ると、みんな和気あいあいと話していた。ハサンを批判した、アブディラフマンが笑顔で私に握手を求め、「ありがとう」と言った。そしてハサンとも握手をし、お互いの頭をなで合って、抱き合っていた。女性従業員のゾウトは、お腹をさすりながら、「お腹に溜まってモヤモヤが、このミーティングで、一気に出た感じでスッキリしました。いつも、問題ばかりですいません」と謝ってきた。私は「これが私の仕事だから。みんなが正直に話してくれてうれしいよ」と伝えた。

 ハサンも、普段通り、私と、次の日の仕事の段取りの打ち合わせをした。このミーティングを契機に、何か変わってくれたらいいのだが。

 しかし、前工場長のJは、工場の生産量を上げたハサンに全幅の信頼を置いていた。ハサンが、従業員の事を犬とか馬鹿とか言っていたことを知ったら、さぞ、驚くことだろう。生産量を上げることよりも、大事なことがあるということ。これからも、色々衝突はあるかもしれないが、ハサンに分かってもらえたらうれしい。

夫の結婚式

 いつもの様に工場を訪れると、話好きのハナム(仮名)が「今日は頭痛がする」と言う。いつもは、少し出ている前歯をむき出しに、ソマリア語で色々話しかけてくるのだが、今日はどうしたのだろう。
 「何かあったの?」と尋ねると、

「今日は夫の結婚式なの」

という。つまり、夫が2人目の妻と、今日、結婚するのだという。とても興味深い話で、私は仕事を忘れて、彼女のそばにすり寄り、色々質問をした。

私が「1人目の妻として式に出席しなくていいの?」と冗談交じりに尋ねると、下を向きながら首を振る。他の従業員は爆笑。

 「私は嫉妬深いから、辛い」という。そりゃ、私だって、自分の妻が2人目の夫と結婚するとしたら、自殺したい気分になるだろう。

 ただ、一夫多妻が社会的に認められている中で、ハナムの様に、公然と一夫多妻を嫌がる女性がいるということに少し驚いた。

「私は5人の子供がいますが、今の夫との間にできた子供ではないのです」と言う。ソマリアの首都・モデガデシオで2005年に結婚した1人目の夫は、難民キャンプに来て、例の中毒性のあるコカインの様な葉っぱ、カートにはまってしまい、暴力を振るうようになり、2010年に離婚。そして、今年1月に2人目の夫と「私以外の人と結婚しないこと」を条件に結婚したという。そしたら、たったの7か月で約束は破られてしまった。

 「私は何度も何度も、結婚に反対したのです。でも、夫は、私を無視して結婚してしまいました。どうすればいいでしょうか?」とハナムはうつむく。

 私は「日本に行けば、一夫多妻はないけどね」と言うと、「私みたいな出っ歯でも、相手見つかりますかね」と冗談で返してきた。

 夫は33歳で、イスラム教の聖典・コーランを学ぶ学校、マドラサの教師をしている。ハナムは29歳で、夫の2人目の妻は18歳。ハナムは2人目の妻と会ったことはないという。

 私は、「なんで、一夫多妻は社会的に認められているのに、それを嫌がるの?」と尋ねてみると、「人間は2人を同時に愛することなんてできないと思う」と言う。でも、そしたら、宗教の教えに反していることにはならないのか?いや、お酒を飲むイスラム教徒がいるように、宗教に対する解釈なんて、人それぞれか。

 1人目の夫はカート中毒になり、2人目の夫は、2人目の妻と結婚した。いずれも、ハナムが猛反対したにもかかわらず、全く受け入れてもらえなかったという。「男を見る目がないよね。1人目の夫とも離婚できたのだから、2人目の夫とも離婚したら?」と言うと、「そうですね。5人の子供は彼とは血縁関係はないし。でも、もう、彼との新しい命を身ごもってしまっているのです」という。

 自分が妊娠中に、夫が2人目の妻と結婚か、、、。想像しただけでも、吐きたくなるな。私は、「じゃあ、いっそのこと、中絶したら?」と言ったら、再び工場が笑いの渦に。

 私は、「今日の彼の結婚式に、私が来賓として出席して、『新郎に質問です。あなたは、1人目の妻と結婚する際、他の女性と結婚しないことを約束したはずですが、その約束はどうなったのでしょうか?』と祝辞を述べてもいいかな?」と言ったら、ハナムは白い出っ歯をむき出しに笑った。

 ずっと愚痴っていたハナムだが、コンロを作る手を止めることは決してなかった。彼女の真面目さには脱帽。それにしても、ハナムの家族生活、これからどうなっていくのだろう。仕事に影響しなければいいけど。

「人道危機」の真っただ中で

 日本の友人から「大丈夫か?」というメールが届いた。「過去60年の間で最悪の干ばつ」のため、ダダーブ難民キャンプにはソマリアから1日平均1000人以上が流入してきている。6月だけで3万人以上。エチオピア、ソマリア、ケニアなどで1000万人以上に影響が出ているという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011071402000030.html
 改良釜戸(コンロ)の需要は一気に高まり、連日、工場には、100人以上の難民の方たちがコンロを求めてやってくる。その辺にある木の枝と布で組み立てた「仮住居」に水も食糧も十分に与えられないまま、住みつく難民たち。難民登録するために国連の事務所を訪れた子供が空腹で倒れたケースまであったという。
 
ほんの数キロしか離れていないダダーブの国連の敷地に住む私。友人の「大丈夫か?」という質問に、少々戸惑いを感じる。工場で作られるコンロの数は限られている。だから、難民の人口が急激に増えたところで、仕事の忙しさは変わらない。そして、周りの人が栄養失調で倒れても、私は国連の敷地内という「別世界」で暮らしているため、生活に困ることはない。水も食糧も電気も家もすべて揃っている。今日は、エアコンを付けながら、ナイロビから仕入れたサバの缶詰と大根を、醤油と酒で煮て、夕ご飯にした。たったの数キロしか離れていないのに、全く別世界の人間が暮らしている。助ける側の人間が、助けられる側の人間と、あまりにもかけ離れて贅沢な暮しをしているということに、違和感を抱きつつも、「私が自分の財産をすべて捨てて彼らのように暮らしたところで何の解決にもならない」と勝手に自己完結してしまっている自分がいる。

大学院時代にタイの難民キャンプで活動する国連職員が、ものすごい豪邸に暮らしていることに違和感を覚えたが、ダダーブという行動制限が極端にかけられる場所で生活していると、休暇に高級リゾートホテルに泊まったり、カジノで気分転換くらいしないと、精神的に持たないと肌で実感した。
 
「家族を殺された」「明日食べるものさえない」という難民の方たちの叫び声は、10年前に初めて旧ユーゴスラビアで聞いたころに比べたら、そこまで胸に響くものでなくなってしまっている。ダダーブにいる難民38万人全員の話に胸を痛ませて、ノイローゼにかかるよりはましだと、頭ではわかりつつも、何かしっくりこない。

 今日も工場でコンロを配布する従業員に、支援の重複を避けるために、「必ず、その難民がすでにコンロをもらっていないか確認するように」と、指示している。目の前で、コンロを請願する難民の目には、とても冷たい人間に映っているかもしれない。
 
 20歳の時、コソボの国内避難民キャンプを訪れて、セルビア人の年老いた女性と手を握った感触は今でも私の右の掌に染みついている。肉の骨がベットの周りに散らばり、寝たきりのその女性は、私に笑顔で何かを語りかけていた。彼女はおそらく「この中国人何しに来た?」と思っていただろうが、私は、「何かしなきゃ」という若者特有の使命感にとらわれた。

 あれから10年が経過し、人道危機の真っただ中にいるのに、あの時抱いた使命感は、まだあるのだろうか?
 

停職処分されても、あなたは私のボスですから

キャンプに住んでいる人は、あらゆる面で私とはかけ離れた人生を送ってきている。そんな彼らから学ぶことは多い。今日は、そのことを改めて思い知らされた。

正午ごろ、いつもの様に工場での仕事を終えて、国連の事務所に向かって難民キャンプの市場を歩いていると、後ろから「Yoko!」と私の名前を叫ぶ声が。振り返ると、何と、そこには、先日停職処分を下したイブラヒムが笑顔で手を振って歩いてきた。私は、思わず嬉しくなって、イブラヒムと抱き合って再会を喜び合った。停職処分を下した日は、かなり落ち込んでいる様子だった。私を怨んでいるんじゃないかと思ったし、停職期間中に一度は様子を見に行こうと考えていたところだった。まさか、笑顔で歩み寄られるとは思ってもいなかった。
 出勤してくるときは汚いTシャツを着ているイブラヒムだが、今日は「お出かけ用」なのか、襟付きの白いシャツを着ている。ポケットから紙を取り出し、「病院に行ってきた」と片言の英語で話しかけてきた。「病気なのか?」と、ジェスチャーを使いながら聞くと、「今は、大丈夫」だと答えた。
 国連事務所でジュースを買って、2人で飲んだ。事務所にいる通訳にお願いして、イブラヒムに色々聞いてみた。

私:何の病気なの?
イ:マラリア。
私:え!!もう大丈夫なの?
イ:はい。
私:毎日、どうして過ごしているの?
イ:特に何もしていません。
私:8月には戻ってくるね。
イ:はい。明日にでも戻れますけど。
私:いや。罰則を受けたのだから、それは無理だけど。なんで、停職処分を受けたのかは分かっている?
イ:私が出勤していないのに、出勤したと嘘をついたからです。
私:うん。なんで、そんな嘘をついたの?
イ:わからない。もう、絶対、あんなことはしません。これが最後です。
私:今日は、とても嬉しそうに私に挨拶してくれたけど、私に停職処分を下されたのに、気まずくなかった?私に対して怒っていたのではない?
イ:そんなことないですよ!あなたは私のボスなのですから。怒ったりしないですよ。

 イブラヒムの言葉に、私はしばし言葉を失った。私だったら、自分を停職処分にした上司に対して、あんな自然な笑顔で歩み寄ることはできない。おそらく、上司に気づかれないように、その場から去るだろう。プライドを傷つけられたという自分のエゴか。それとも、上司に対して迷惑をかけたという気まずさからか。いや、相手から嫌われる前に、その人間関係を断つことで、自尊心を保とうとする「臆病さ」かもしれない。

 イブラヒムは28歳。ソマリアでは農家で、トマトや玉ねぎなどを耕していた。2007年に戦闘の激化で父親を亡くし、難民キャンプに来た。1人目の妻とは離婚。2人目の妻もソマリアに帰ってしまい、今は、1人暮らしだという。キャンプに住む孤独な若者だ。

 私が2人の従業員を停職処分にしたことを国連の友人らに話すと、「報復されるんじゃないか?」とからかわれた。確かに、これまでも、難民キャンプでは、従業員を解雇した団体の車や事務所に石が投げられるケースがあった。しかも、キャンプの若者は「暴力的」というイメージがある。実際、私も全く報復を恐れなかったと言えば嘘になる。

 私を含めて誰も、停職処分を受けた本人から笑顔で歩み寄られるなんて思わなかった。「治安の悪い難民キャンプ」「就職ができず、暴力的な若者」。ダダーブ難民キャンプが国際メディアに取り上げられる時、よく「テロの温床」として扱われることがある。でも、そんなキャンプの中にも、私が生まれ育った平和な日本では学べなかった美しい感動はあるのだ。

 色々書いてしまったが、イブラヒムが、実は自分がしたことに全く反省しておらず、一か月の「休暇」を楽しんでいたから笑顔だったのかもしれない(笑)。それで「ボス、休みをありがとう!」と言うために歩み寄ったのだとしたら、それはもう笑い話でしかない。8月からの彼の勤務態度でその説はないということを証明してほしい。

パトカーの気持ちもわかる

 従業員の規律が乱れに乱れている工場だが、6月の出勤簿を見ると、遅刻のケースがほとんどない。何か臭う。午前7時半の出勤時間が、本当に守られているのだろうか?私が寝泊まりしているダダーブの国連の寮から、難民キャンプまでの距離は7キロ。治安が芳しくないため、移動の際は必ずパトカーの護送を付ける決まりになっていて、普段の定期護送車は午前8時と10時だ。だから、私自身が午前7時半前までに工場に辿り着くことは不可能で、それは頭の良い従業員もよーく知っている。
 しかーーーし!今年4月からの急激な難民の増加により、定期護送車が午前6時にも出るようになった。これは、おそらく従業員も知らないだろうし、知っていたとしても、朝6時の便で来るほど工場長が仕事熱心だとも思わないだろう。
 私は、新しく主任代理として雇用することになったアデン(仮名、25歳男性)と午前6時半に待ち合わせをし、キャンプの市場で朝ごはんを食べた後、歩いて工場まで行った。アデンは、「午前6時にキャンプに来るNGOスタッフは初めてです。仕事熱心ですね」と言う。
 午前7時15分、工場に行くと、主任のラホがすでに到着していた。出勤簿を付ける主任が遅刻していたら、どんな罰を与えてやろうかと思っていたが、まず一安心。しかし、私の予想通り、7時半までに来た従業員はたったの4人。さすがに8時までにはほぼ全員出勤して来ていたが、9人が「遅刻」マークを出勤簿に付けられた。
 6月は毎日ほぼ全員が時間通りに来ていたのに、私が来た今日に限って9人が遅刻するなんて事がありえるだろうか?主任のラホに「今日に限って変だねえ」と皮肉たっぷりに言うと、「おかしいですね。今日に限って」と少し不安げな表情で彼女は返答した。
 中には「私の住んでいる所はここから遠いのです」「朝ご飯を作るのに時間がかかったのです」なんて言い訳する従業員も。しかし、6月には毎日時間通りに来ていることになっているのだから、そんな言い訳は残念ながら通用しない。私が「でも、これまでは時間通りに来ていたのですよね?なんで今日に限って?」と尋ねると、黙り込んでしまった。主任が少しくらいの遅刻なら大目に見てくれていたとは言えないだろう。
 しかし、正直、私も心中穏やかではない。私が従業員の立場だったら、「そこまでしなくてもいいだろう。嫌な工場長が入ってきたな」と思うだろう。これまでの特権を、一つ一つ失っていくのだから。今朝難民キャンプに行く車の中で思い出したのは、日本で時速40キロ制限の田舎の農道で、隠れてスピード違反者を探すパトカー。数分のうちに1台、また1台と違反チケットを切られていた。その時は、「そこまでしなくてもいいだろー。誰もいない農道を60キロで走ったくらいで」と運転手たちに同情していたが、今はパトカーの気持ちもわかるようになった。
 厳しい工場長と従業員の信頼関係は果たして築かれるのだろうか?アデンの様に、「仕事熱心」と受け止めてくれればいいけど、まあ、それは期待できないだろうな。

救世主を求めて

工場長になって実質2週間で、2人が停職、1人が警告、1人が身分証を紛失、そして1人が2カ月無断欠勤。規範意識がないというか、だらけているというか。しかも、この工場、生産性が良くない。3年前は10人だった従業員の数は、現在17人。なのに、製造されている改良釜戸(コンロ)の数は3年前と変わらないのだ。つまり、7人分の人件費が無駄になっている。勤務時間は7時半から13時半なのだが、遅れてくる者もいれば、色々な理由をつけて早退する者もいる。難民キャンプにいるから、日本で暮らすよりは、欠勤しなければいけない理由は多い。病気にかかりやすい。月に2回ある食糧配給を取りに行かなければならない。各家庭に子供が7~10人いるから、冠婚葬祭も多い。それでも、従業員の数に比例して、工場の生産性が上がらないのは、問題だ。
 何が問題なのか?前任者の批判になってしまうが、タンザニア人のJがこのブログを読むことはないので、書かせてもらう。主任のラホは、この工場が開設された当初からいる古株だ。これまで新しい従業員を雇う時、Jはラホにすべて任命権を与えてきた。これによって、従業員はすべてラホの親戚や友人から雇われることになり、従業員同士の慣れ合い感はピークに。1か月前、Jと工場を訪れた時は、ラホが勝手に連れてきた男性が、「インターン」と称して働いていた。おそらく、私たちに相談なしに、彼を新しく雇おうとしていたのだろう。少しくらい遅れたり、早退しても、ラホは叱責しない。次第に、工場の生産性よりも、お互いの職や名誉を守ることが優先されるようになっていった。主任代理のアブラシードが水増しした記録を月間報告書に書いたのだって、おそらく、ラホが指導してこなかったことに最大の責任がある。
 これを打開するには、新しい救世主を工場に迎えるしかない。主任代理として、新しい人を雇い、工場のあり方を抜本的に変えてやる。
 本来なら、人材募集の紙を難民キャンプの提示版に張り出し、書類審査をして、面接するのだが、そんな時間はない。アブラシードが1カ月停職している間に、新しい主任代理を入れなければならない。私は、早速、去年、国連で若者支援担当として働いていた時に、仲良くなった青年組織リーダーのバシール(仮名、31歳男性)に連絡した。「工場に新しい主任代理が必要だ。英語ができて、指導能力があって、仕事を探している人を4~5人リストアップしてくれ」とお願いした。青年組織は、主に、キャンプの高校を卒業し、英語を流暢に話し、NGOなどで働いているエリートたちの集まりだ。今回、工場の主任代理に求められる能力は、英語のコミュニケーション能力。ソマリア語しかできない従業員と私との橋渡し役をしてもらうわけだから、それ相応の英語能力は必須。そして求められる人材像は、正直に工場の様子を私に報告する真摯さ。改良釜戸(コンロ)についての専門知識なんて必要ない。工場に入ってから覚えてもらえばいいことだ。
 7月2日、バシールにリストアップしてもらった4~5人と面接。午前8時半に国連の事務所前で待ち合わせということだったのだが、誰も時間通りに来ない、、、、。8時40分ごろに1人、9時ごろに3人になった。やる気あるのかよーー、と一気に暗い気分になったが、とりあえず、彼らの話を聞いてみることにしよう。誰も適格な人がいなかったら、また探せばいい。
 面接の質問は、ほとんど準備していなかった(汗)。ただ、彼らの専門性というよりも、英語の能力と人柄を見たいだけだったので、わざわざ質問を準備する必要もなかった。

 質問は大きく分けて三つにした。一つ目は、英語の会話能力を見るために、難民キャンプ内で、国連事務所前から、彼らの家までの行き方を説明してもらった。難民キャンプは面積約25平方キロメートル。道の名前も標識もなければ、建物はすべて同じような外見で、しかも迷路のように道が縦横無尽に作られているため、方角について口頭で説明するのは至難の業だ。しかも、一般の就職面接でこんな事聞かれることはないから、皆、不意を突かれた表情で、「何?」と聞き返してくる。
 
  まず1人目。「セクションL-2に行って、そこで聞いてくれればわかります」と答える。私は、「L-2まではどうやって行くのですか?」と尋ねると、「日の出の方向に歩いてください」と言ってきた。わかりずらいなーー(汗)。

 2人目。「キャンプの市場まで行き、そこに一番大きなレストラン『マンダジ』があります。そこの裏に行って歩けばそこです」と言う。市場までの行き方は教えてくれなかったが、レストランを目印に使おうとするところが、プラス。しかも固有名詞が含まれているのも、わかりやすい。

 3人目。「、、、、。ちょっと難しいです。セクション、M-3としかいいようがありません」。終わり。

 と、こんな感じで、かなり苦戦模様。誰1人として、「メインゲートを出て、左に何メートル先の交差点を右、、、」という説明はできなかった。おそらく、難民キャンプの外から来客が来ることは滅多にないだろうし、来たとしても、バス停まで迎えに行くだろうから、家までの行き方を説明したことなんてなかったのだろうな。それだけ閉ざされた世界に生きているということか、、。逆に、親戚、友人が家の場所を知っているということでもあるから、うらやましいことでもある。日本で、自分の家の場所を知っている友人なんて、何人いただろう?私なんて、兄弟の家の行き方さえ知らないのに。
 
 二つ目の質問は、どれだけ正直で真面目な性格かを見るため「人生で犯した最大の過ちについて話してください」と尋ねた。過ちを犯さない人間なんていないわけで、それに対して、どれだけ正直に話せるか。私がいない工場で、何か問題が起こった時に、正直に話してくれる人なのかどうか、ここで見極めたいのだ。

 1人目。「過ちなんて、私は犯したこと、ありません!」ときっぱり。おそらく、過ちについて話したら、マイナスポイントになるとでも思ったのだろう。こういう人は、絶対雇いたくない。

 2人目。「私の人生の最大の過ちは結婚を早まったことです」とのこと。面白い!私が「なんで?」と尋ねたら、「親にお見合い結婚をさせられたのです。高校卒業する1年前で、結婚したせいで、高校を中退しなければなりませんでした」という。
 
 3人目。「警察にこん棒で拷問されたことです」という。うーん(汗)。おそらく、かなり痛かったろうし、彼にとっては相当な経験だったのだろうが、質問の答えになっていない。ちょっと、否定しにくい場面ではあるが、「拷問されたのは、あなたの『過ち』ではないですよね?私は、あなた自身が犯した過ちについて聞いているのですが」と聞き返すと、「ああ。過ちですか。私は、過ちなんて犯してことありません」ときっぱり。

彼の答えを聞いて、自分が少し酷な質問をしていたということに気づかされる。彼の様に、難民キャンプには、自分の出身地や民族、部族が理由で、無差別に暴力を受けたり、家族を失ったり、家から追い出されたりしている人がいる。自分の力ではどうにもならない部分で人生を台無しにされた人たちは、「私たちは悪いことはしていない」と信じることだけが、過酷な環境でも1日1日を送っていく糧になっている。だから、自分に過ちがあるということを認めることは、自分の人生をすべて否定することにつながりかねない。難しいな。

 ちなみに私が、面接でこの質問をされたら何て答えるだろう?さすがに、100パーセント正直にはなれないだろうな。大学時代にカジノ舟で数十万負けたこと?いや、中学時代に初めて付き合っていた女の子に、恥ずかしくて自分から全く電話ができず、1カ月でふられたことか?

 三つめの質問は、現在の危機的な工場の状況を説明し、この状況で、主任代理として何ができるか、という質問だったが、最初の二つの質問で、大体、人選は固まった。結婚を早くしすぎて高校を卒業できなかった彼だ。家の方角についての質問でも、彼が一番まともな答えをしていた。

 次の日、バシールに電話し、彼に朝6時15分に国連事務所前に来るよう伝えた。彼が遅れてこないことを願うのみだ。彼が、工場の救世主となってくれるか否か。また、明日が楽しみだ。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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