一難去って、また一難

 長年使っていなかった倉庫を掃除すると、すればするほど汚れが出てきて、「これではきりがないから、もうほっておこう」と掃除する気力さえ失うことがある。今日の私の心境だ。
 今月から月例ミーティングを開始。作業はせず、ミーティングのみで、一月を振り返る。外部から通訳を招き入れ、主任も従業員と一緒になって話し合う。
横領疑惑で解雇された工場Bの元主任の後継者選びについて、今朝の定例ミーティングで、工場Bの従業員たちに尋ねた。先週、従業員たちは、外部から新しく主任を雇うのではなく、自分たちの中から選びたいという意思を示していた。元主任の下でかなり嫌な思いを虐げられただろうから、彼らの気持ちはよくわかった。
 そしたら、アブディが「彼が主任になるのではないのですか?」と、新しく研修生として招き入れたアブディサマンを指差した。ハサンが解雇され、工場に英語を話せる従業員が主任代理のアデンだけになったため、私は、青年組織に連絡し「英語を話せて、汚い仕事もいとわない人を1人探してくれ」とお願いし、アブディサマンが選ばれたのだ。
 アブディの隣にいるノアも「外部の人を主任として選ぶべきです。私も、アブディサマンがいいと思う」と言う。彼ら2人は先週の段階で、「外部の人を主任にしても、工場のことをよくわからないからうまくいかない。内部から選ぶべき」と言っていたのだ。2人とも、ハサンと一番対立していたから、人一倍、自分たちの知っている人を主任に選びたいのだろうと思っていた。
 それが、今朝になって、2人が2日前に研修生として工場に入って来たアブディサマンを推薦するとは驚きだった。私が「あなたたちはアブディサマンをいつから知っているのですか?」と尋ねると、「2日前」と言う。何か臭い始めた。
 女性従業員のリーダー的存在のレゲが「この工場では横領という起きてはいけないことがすでに起きました。もう、工場内での腐敗は防ぐべきです。昨日、アデンに『お前を主任として推薦するからお金をよこせ』と要求した人がいました。アデンは断りました。もう、私たちはこういった腐敗とは決別すべきです。アデンは、この工場の主任としてふさわしいと思います。私は、アデンを推薦します」
 他の女性従業員たちから拍手が起こった。アデンは、工場内で唯一英語とソマリア語ができ、冷静で声を上げることもなく、私も何となく彼の言っている事を信用することができていた。ハサンが主任の時も、「アデンの方が主任にふさわしい」という声が従業員から上がっていた。
 ノアはすかさず反論した。「この工場は女性ではなく、男性の私たちが責任を持って管理すべきです。アデンは、昨日のコンロ配布の際、170人の受益者の名前があったのに96個しか配布しなかった。これでは、ハサンの時と同じ様に工場が腐敗してしまう。」と言う。
 私は「受益者の名前の数と配布した数が違うことと、ハサンとアデンの関係には、どういう関連があるのですか?」と尋ねても、ノアは、論理的な返答をすることができなかった。
 それまで私の隣に座っていたアデンが立ち上がり、従業員の輪の中に入って座り、「私に話をさせてください」と、神妙な顔つきで話した。
 「昨日、ノアとアブディに呼ばれ、工場の外で3人で話しました。2人は私に『お前を主任に推薦してやるかわりに1000シリングをよこせ』と言ってきました。私は、断りました。そんな腐敗を繰り返してまで主任なんてやりたくなかったからです。もし、彼らが別の主任を選びたいなら、彼ら自身の中から推薦したらどうでしょうか?」

 従業員が輪になって囲まれる中で、私は頭を抱え、しばらく目をつぶった。一体、私は誰を信用すればいいのか?この腐敗の連鎖はいつまで続くのか?ノアが「ハサンに犬と呼ばれた!」と言った時や、アブディがハサンに理不尽な扱いを受けた時、私は少なくとも彼らに同情した。なんでこんな人たちに同情したんだろう?自分が情けなくなった。

 無論、2人は否定した。しかし、他の女性従業員たち全員が、昨日2人がアデンを工場の外に連れて何やら話していたのを目撃していた。それについて、ノアは「受益者リストの数と配布したコンロの数が違うことについて話し合った」と言う。そんなことについて、なぜ、わざわざ工場の外にいく必要があったのかよくわからなかった。私は「受益者の数が170人とあなたは言いましたが、その数はどこから出てきた数ですか?」と尋ねると、「アブディから聞いた」という。しかし、アブディは「知らない」と言い、ノアの話は、ことごとくつじつまが合わない。

 私はノアに、

「先週は外部からの主任は嫌だと言っておきながら、今日は、初めて会ったばかりの人を主任に推薦するというのは理解に苦しみます。そして、あなたは思っていることを人にストレートに伝えるタイプの人間だと思うのですが、受益者リストの人数とコンロの配布した数が違ったと言うだけで、わざわざ工場の外にアデンを呼びつけるというのも不自然に思います。最後に、あなたがアデンを主任に推薦しない理由として、どこから取って来た情報かもわからない『170』の受益者の数を挙げるというのも、理解しづらいものがあります。あなたが嘘をついているとは言っていません。ただ、このグループの中で二つの異なった説明があり、誰かが嘘をついているというのが明確な時、『不自然』な言動というのは疑われる余地を残してしまいます」

 最後に、昨日、コンロの配布した数について、ノアは96個、アデンは155個と主張し、女性従業員たちはアデンを、男性従業員はノアを支持し、意見が真っ二つに分かれた。コンロを運んだタクシー運転手に聞けば早い話なのだが、果たして、そこまでする必要があるのだろうか?従業員たちに尋ねると、「工場長の判断に任せます」という。

 私は、2人が推薦の見返りにアデンに1000シリング要求したかどうかという事実は、結局のところアデンの証言以外で裏付けるのは難しいし、裏付けた所で、支払いが行われたわけでもないのだ。「それでは、これまでの事は忘れて、私がこれから配る紙に主任にふさわしいと思う人の名前を書いてください」と伝え、紙を配った。読み書きのできない従業員は、通訳の人に耳打ちして書いてもらった。

 結果は、アデン9票、ノア2表だった。女性従業員は全員拍手で結果を喜び、男性従業員たちは茫然と座ったままだった。私は手を叩きながら「拍手しないの?」と男性従業員に尋ねると、「俺たちは負けたんだから」と返答してきた。「勝ちも負けもない。私たちは家族だ。私たちのい新しいリーダーの誕生を皆で祝おう」と男性たちも嫌々ではあるが拍手をした。

 私は1人1人に「新しい主任に協力する」という宣誓を求めた。ノアは「彼がしっかり不正を行わずやってくれるなら応援します」と言った。私は「彼はまだ主任になったばっかりだ。不正を行うような時間はまだないでしょ?」と皮肉った。アブディは「彼と一緒に働きます」とぼそっと言った。私は「一緒に働くということは当たり前なのだけど、彼の言っていることに耳を傾けてくれるね?」と言い、アブディは頷いた。

 他の従業員たちは「もう、この工場で誰かが嘘をつくのを見るのは、こりごりだ!私たちはイスラム教徒で、誰も嘘をつくべきじゃない!」と意思表明する者もいれば、「Yokoが工場長になって、皆の意思疎通が取りやすくなりました。ありがとう」と感謝してくれるものもいた。

 私は「工場長になった3カ月。工場Aで2回嘘をつかれ、工場Bで1回。すでに3回、嘘をつかれました。そして、今日、全く異なる二つの証言がこのグループからありました。これは、この中の誰かが嘘をついているということになりますよね?私だって、親にも妻にも嘘をついたことはあります。でも、あなたたちにはまだ一度もない。あなたたちが私や同僚たちに嘘をつくことで、不利益をこうむるのは誰かわかっていますか?私たちは、飢えや紛争に苦しんでいるあなたたちの同胞を助けるために毎日働いている。その仕事に支障をきたすようなことをすれば、あなたたちの同胞を助けることができなくなるということです。皆が皆、この工場の目指している者をもう一度再確認して、お互いに正直になるようにしましょう。あなたたちの同胞を裏切るようなことはしないようにしましょう」とミーティングを締めた。

 ノアもアブディも、ソマリア人同士でひそかに行われた賄賂未遂が、日本人の私に「告げ口」されるとは、夢にも思わなかっただろう。それだけ、工場内に「腐敗はもうこりごり」という雰囲気があるということ、そして、私が従業員と、それなりの信頼関係を築くことに成功しているということなのだろう。それに対して、喜ぶべきなのかどうか、正直、わからない。工場に足を運べば運ぶほど、新しい問題が出てきて、「知らない方が幸せだった」とつぶやいてしまうこともしばしばだ。

 はあああ。今日も疲れた、、、。
スポンサーサイト

分断統治

 英国がアジアの国々を植民地にした際、各植民地の住民からの抵抗を抑えるために用いた方法の一つが「分断統治」だった。その国の主要部族ではなく、少数派の人たちを植民地政府の主要なポストに置き、忠誠を誓わせ、主要民族の動きを「監視」させた。私は、この「分断統治」を、工場で試してみることにした。
 工場Aの主任ラホとの対立(8月5日記事)の後、工場のエチオピア人スタッフのキモ(仮名)から「ラホはあの日、工場長が帰った後、スタッフを全員集めて『もし、私がこれ以上叱責されるようなことがあったら、みんなで仕事をボイコットしよう!』と言っていました」と伝えてくれた。ソマリア人が主流を占めるダダーブ難民キャンプでエチオピア人は人口の全体の2パーセントにも満たない。敬虔なイスラム教徒のソマリア人と違い、彼らはキリスト教徒で、ソマリア人よりも肌色が黒く、背も高い。
前にも書いたが、工場Aの従業員の大部分はラホによって雇用された。ラホの親戚や同じ部族の者ばかり。それによって、職場の「慣れ合い感」は頂点に達し、その日作ったレンガの数が間違って記録されても、コンロの使い方についての説明表が半年間、道具箱の中に封印されていても、誰一人、それについて指摘することはなかった。工場内の問題について外国人工場長に報告するということは、彼らにとっては「同胞殺し」になるからだ。
しかし、今年2月から、エチオピア人従業員が2人入り、彼らは、他の従業員から聞くことができない内部情報を教えてくれる。先週、キモから電話があり、「今日、アデンが9時に出勤したのに、出勤簿に『P』と記しました」と言う。Pとは、Participationのことで、勤務開始時間から終わりまで働いたことを指す。遅れてきた場合は「L」(Late)と記す決まりになっている。アデンは、停職処分2人を出した後に、救世主として工場の主任代理として働き始めた人物だ。私が工場長になってから雇った唯一の従業員で、英語はラホより堪能だ。
アデンは、ラホや他の従業員とは違う部族出身だ。ダダーブに暮らすソマリア人の過半数は、ダロッド部族に属する。ダロッドの中にもさらに支族が枝分かれしており、キャンプで一番大きいと言われるのがオガデン支族(オガデンの中にもさらに小さな支族があり、その中でも勢力が異なるという)。ラホたちはオガデンに属するが、アデンは同じダロッド部族だが、支族はオガデンではなく、別の少数派支族になる。
私が、自分よりも英語がうまいアデンを主任代理に抜擢し、ラホには2回も警告文を出したため、アデンによると、ラホは「アデンを主任にする気なのでは?」という危機感を抱き始めていた。これで、ラホはアデンのミスを、アデンはラホのミスを、そしてエチオピア人は双方のミスを私に報告するようになり、工場内の情報の流れ一気に良くなった。
アデンが「P」と記したことは、ラホにとっておきの攻撃材料となった。「私は彼に注意したのですが、彼は私の言うことを聞かないのです」という。

早速、アデン、ラホ、キモ、私、そしてキャンプの青年組織幹部の5人でミーティングを開いた。青年組織幹部を呼んだのは、アデンが青年組織から推薦されて雇われた人物であり、彼の失態は、1000人のメンバーを抱える青年組織の名誉に関わるということを彼に伝えるためだ。

私「先週の8月17日、アデンは何時に出勤したのですか?」
ア「8時8分」
私「キモ、アデンは何時に来ましたか?」
キ「9時くらいです」
私「ラホは?」
ラ「私は風邪で休んでいました」
ア「説明させてください。私が遅れたのは、仕事をしていたからです。私はコンロに使うネジを買いに行っていたのです」
私「それは、誰かに命じられて行ったのですか?」
ア「いえ」
私「それは、私かラホの了承はとりましたか?」
ア「工場に着いてから、ラホに電話しました」
私「そういう事は、事前に電話して了承を取ってください」
ア「でも、私は、組織のために仕事をしていたのです!」
私「『組織のための仕事』というのは誰が定義するのですか?従業員1人1人が勝手に『組織のための仕事』を定義するようになったら、大変なことになります。私かラホの了承を取ってください」
ア「、、、、。私は、キモに色々指図されるのが気に食わないのです!彼は、いつも私の仕事をチェックし、何かあればすぐに『工場長に報告するぞ』と脅してきます」

 アデンは、その大きな体で、声も大きく、一気に捲し立てるような口調で話した。そこには他人が口をはさむ余地などあたえない勢いがあった。それにつられて、私も自然と声が大きくなり、周りからみたら「怒鳴っている」と言われても仕方がない口調になってしまていた。

アデンが、自分の部下にあたり、しかもエチオピア人のキモに色々チェックされるのが気に食わないのはわかる。しかも、今回の事を私に報告されるなんて、思っていなかっただろう。私は工場長として、従業員が犯したミスに関しては徹底的に追及し、すべての従業員を平等に扱う姿勢を貫きたかった。主任のラホばかり叱責し、アデンのミスに対して甘かったら、工場長としての威厳を失うのは目に見えていた。

私「とにかく、今回、あなたがしたことは大きな過ちです。どういった理由であれ、上司の了承なしに仕事に遅れてきたのに、出勤簿に遅刻と記さないのは、あなたが私に『嘘』を付いたことだと思います。もし、もう一度、こういうことがあったら警告文を出します」

 アデンは静かに頷いた。

私は、そのまま続けた。

私「もう一つ。あなたは、私と面接した際、肉体労働もいとわないと言っていましたが、この二カ月間で、コンロ製造に関わったのは何回ですか?」

ア「一回です」

私「この二カ月で一回だけとはどういうことですか?」

ア「住民がコンロを持っているかの実態調査、配布作業、そしてモニタリングなどでキャンプ内を歩き回っていたので、製造に直接かかわることがありませんでした」

キ「アデンが何もしていない時、私が手伝ってくれと頼んでも、『それは俺の仕事じゃない』と言って断られました」

ラ「他の女性従業員が同じようにお願いしても、『それは俺のレベルの人間がやることじゃない』と断られたと言っていました」

私「コンロの作り方がわからなければ、モニタリングに行っても意味がない。モニタリングでは、コンロの作り方を住民に教えなければいけないこともあるのです」

ア「一回やったからわかります」

私「とにかく、これからは、実態調査や配布作業などは他の従業員にやってもらい、アデンにはコンロ製造に集中してもらいましょう」

アデンは納得しない様子で、頷いた。アデンの様に高等学校まで行っていると、肉体労働に対して強い忌避感を抱く若者は多い。実際、工場に面接しに来た若者の中には、「こんな汚い仕事できません」と言って、面接前に姿を消した人がいた。アデンも面接前に会った時は「肉体労働ならできません」と言っていたが、面接では「何でもやります!」と断言していた。教養が高ければ高いほど、ビジネスが好きなソマリア人の若者は、襟付きのシャツを着てオフィスで働くのに憧れる。

間もなくミーティングは終わった。工場からの帰り道、私はアデンと2人きりになった。アデンは、複数の人の前で叱責されたことが気に食わなかったらしく、「ああいうのは、一対一で注意すればいいじゃないですか?」といまだに興奮した口調で話した。「キモはひどい奴です。私を脅すのですから。今日は、彼にとっての一番幸せな日だったでしょうね!私を陥れることに成功したのですから!」と言う。

私は「とにかく、ラホやキモに攻撃材料を与えないことだ。遅刻したなら、遅刻したと正直に記せば良かった。君が工場にいるおかげで、色々な情報が入ってくるから嬉しいよ」と伝えた。

エチオピア人のキモ、少数部族のキモ、そしてラホ。工場内の勢力を三つに分け、お互いを監視させることで、工場内の様子を工場長が把握しやすいようにさせた。

もちろん、リスクもある。キモとアデン、もしくはラホとアデンが、これから衝突することだってあるのだ。しかし、信じられないような職務怠慢が当たり前の様に行われる工場よりは、少しくらい従業員の間に緊張感があったとしても、それが刺激となって真面目に働くようになるなら、リスクを冒すべきではないだろうか。

ラクダ・ダービー

 ケニアならではのイベントーー「ラクダ・ダービー」が8月20、21日と、ケニア北部の村、マララルで開催された。首都ナイロビから北へ350キロ。遊牧民族が暮らす地帯で、ケニア人、外国人が集まってラクダに騎乗し、レースに挑む。
 友人13人とワゴン車二台でマララルへ向けて19日午後2時に出発。ツアーを企画した旅行会社からは「片道4時間」と聞かされていたから、夕食前には到着すると思っていた。そしたら、午後7時に休憩した村では「これから砂利道で4時間はかかる」と言われた!
 ガタガタ道を時速10~20キロほどで行く。無数の星が空一面に広がる中、体が鞭うち状態になり、中には気持ちが悪くなって吐いてしまう人も。午後10時ごろにはタイヤがパンクし一時停車。完ぺきに旅行会社に騙され、途方に暮れた私は「なんで、ちゃんと地図で調べて時間を計算しなかった!」と妻に八つ当たり。
 深夜0時ごろ、やっと着き、バンガローで就寝。
 20日午前9時に起床。40~50頭のラクダから自分と相性が良さそうなものを選ぶ。馬と違って、飼い主の言うことを聞かないラクダ。飼い主が「座れ!」と鞭で地面をたたいても座ろうとせず、中には、食べた草を胃から吐きだして、飼い主の頭を緑色にしてしまうラクダもいた。
 午前10時、約40頭のラクダに騎乗した素人旅行者たちが一斉にスタート。各ラクダとも飼い主に鞭で叩かれながら走りだすが、なかなか言うことを聞かない。私のラクダは、うまい具合に走り出したが、腰をかけるクッションと、足をかけるサドルの位置がかみ合わず、ものすごい上下の振動で、全身に引き裂かれるような痛みが走る。両手でいくら支え棒をつかんでも、振動に対しては全く無力。飼い主が「走れ走れ!」と言うのに逆らい、「ちょっとストップ!」とお願いすることに。
 ラクダは一旦走ることをやめ、ゆっくり歩行を始めた。すでに先頭のラクダとは百メートルほどの差が出ていた。人一倍競争意識の高い私でも、体に走る痛みが強すぎで、勝ち負けなどはどうでもよくなっていた。とりあえず、適当な騎乗する体位を編み出さなければ、このまま10キロも騎乗を続けることは不可能だった。
 乗馬経験がある私は、昔習ったことを思い出しながら、少し腰を前に出して、両足のサドルを固定させ、ラクダの上下の振動に合わせ、腰を動かすよう心がけた。そしたら、急に体が楽になり、支え棒を握る腕力も少し緩めることができた。
 それから「行け行け!」と私のどなり声で、ラクダはゆっくり走りだし、一頭、また一頭と抜き始めた。私は無我夢中になった。村人たちの声援を後押しに、あたり一面広がる草原を駆け抜けた。結局、それから8人を追い抜き、6位でゴールイン!後半のペースで最初から走ることができたら、間違いなく、優勝争いに参加できたと思うと悔しかった。
 私の友人たちは、騎乗中にラクダに噛まれた者、振り落とされて腕に傷を負った者、ラクダが全く走らず、最初から自分の足で走った者やトラックの荷台に積まれてゴールインした者など、完走さえできなかった人が多かった。9時間かけて来たうえに、ラクダでさらに体を痛めつけられた友人たちは「来年は絶対来ない」と断言。
 私は、負けた悔しさ一杯で、午後のラクダ・トライアスロン(2キロ走り、3キロラクダ、5キロ自転車)にも参加したが、今度はラクダが全く走ってくれず、10人中4位。
 騎乗中の振動の激しさで、参加者のほとんどは、尻の皮が剥けてしまい、レース後からは椅子に座るたびに、しかめ面をするようになってしまった。着用する下着は、ことごとく皮が剥けた部分からの出血で赤くなってしまい、帰りに車もガタガタ道を走るから、尻への刺激は相当だった。恐るべし、ラクダ・レース。折角の週末だったのに、全く休むことができなかった(涙)。来年こそはリベンジだ。

解雇通知

ハサン(仮名)の横領発覚から二日後、私は工場Bがあるキャンプへ向かった。ハサンに解雇通達をするために。人の人生を大きく左右する通達をするということに少し緊張し、「逆ギレ」でもされたらどうしようという不安もあった。昨年、ある組織で働いていた従業員が上司に暴力をふるって解雇された次の日、その組織の車に石が投げられた事件があった。暴力のターゲットは私だけでなく、横領疑惑の絶対的証拠となった「目撃証言」を提供した他の従業員たちに及ぶ可能性もあるのだ。
 午前7時半からハサンの携帯に何度電話しても出ない。午前8時半には工場に着き、他の従業員に聞いても、ハサンの居場所はわからないという。仕方なく、主任代理のアデンとハサンの家に歩いて向かおうとしたところ、ハサンから電話があった。「今から国連の事務所で会いたい」と私が言うと、「わかりました」と暗い声で返答があった。場所を工場ではなく、国連の事務所にしたのは、そちらの方が数人の警備員がいるため、万が一の時に備えやすいと思ったから。
 工場から約1キロ離れた国連事務所まで、「ピキピキ」と呼ばれるバイクタクシーで行き、ハサンを待った。ハサンは約5分後、同じようにバイクタクシーに乗ってやってきた。いつもの様にイスラム教の円形の帽子をかぶっている。
 事務所の外壁に面して細長い椅子を置き、そこに隣り合わせになって座りながら、話しを始めた。

私「家族は元気ですか?」
ハ「はい」
私「本部と相談した結果、君を解雇することになった」
ハ「、、、、。解雇?どんな理由があってですか?」
私「組織のお金を横領したこと。自分が配布したという150個のコンロについて説明責任が果たせていないこと」
ハ「だから、配ったと言っているでしょう。これは、他の従業員たちが仕掛けた策略です。特定の部族を排除しようとしているのです!」


 「特定の部族」という彼の発言は、20年以上続くソマリアの内戦が泥沼化した事を象徴するかのようだ。アフリカで唯一、国名と主要言語名が一致する国・ソマリア。皆、敬虔なイスラム教徒で、同じ言語・文化・習慣を共有するが、ソマリア民族は、日本の昔の「伊達家」「足利家」の様に、様々な部族・支族に枝分かれしており、主要部族間の権力闘争で内戦が勃発したとされている。
 先日、ハサンが他の従業員を前に「文字の読み書きもできない人たちの言っていることを信じるのですか?」と発言した時、ハサンが従業員に対してではなく、何かもっと別の大きな物に対して「憎しみ」を抱いているように感じた。それが少し気になり、アデンと二人きりになった時、私は「ハサンの部族は何?」と尋ねたら、アデンは少し不意をつかれた様に「彼の部族はこの辺では少数派なのです」と答えた。ソマリアでの部族間にある不信感が、キャンプ内に持ち込まれても全く不思議ではない。むしろ、ソマリアで殺し合っていた人たちが、ケニアに来て平和に暮らすことができるとしたら、そちらの方が驚きだ。
 無論、他の従業員が、ハサンが少数派だから追い出そうとしたとは思っていない。ただ、戦争から逃げてきた人たちの心の奥底に横たわっている、とても複雑な何かを垣間見たような気がした。

私「配ったコンロを一つもあなたは私に見せることができなかった。解雇するにあたり、自転車と身分証明書を返してほしい」

自転車は、7平方キロメートルほどあるキャンプ内を従業員が移動するのに使うために買ったのがだ、彼がずっと私物化してきた。私が口頭で注意し、文書で「組織の物は家に持ち帰ってはいけない」と通達したにも関わらずに。

ハ「身分証明書を返すのなら、推薦書を下さい」

「推薦書」とは、組織を辞める時に通常もらう物で、キャンプで次の就職先を見つける時にとても役立つものだ。しかし、お金を盗んだ人を推薦する組織などあるわけがなく、私は「冗談、顔だけにしろ!」と叫びたくなったが、「それはできません」と冷静に即答した。

ハ「自転車ですが、私は、これまで自分のお金で自転車を何度も修理してきました。そのお金をもらわなければいけません」

私「これまで仕事に関する費用が出た時はすぐ要求してきたのに、自転車修理のお金に関してはなぜ今になって報告するのですか?

ハ「自転車は『私の物』だと思っていました」

私「あれは組織のお金で買った物です。口頭でも伝えてきたし、文書に書いて説明もしてきたはずです」

ハ「もう何度も修理して、修理代が3000シリング(3000円)以上もかかりました」

私は、もう、彼の顔をこれ以上、冷静に見ることができなかった。

私「短期的に雇った門番に払うお金はどうした?」

ハ「別の話をするのはよしましょう」

私「とにかく、今週末までに、自転車と身分証明書が工場に戻っていなかったら、警察に通報させてもらう!」

私は、手で彼を追い払うように「もう私の前から消えてくれ」と伝えた。

ハサンは「ここまで来るのにタクシー代が100シリングかかりました」と言ってきた。「組織から盗んだお金を使ったら」と言いたい所だったが、私は、これで彼の顔をこれ以上見ることがないなら安い金額だと思い、ポケットから100シリング札を出した。彼が、国連の敷地内で知り合いと何やら話し始めたから、私は、警備員に「彼との話はもう終わった!彼を出してくれ!」と伝え、ハサンは無言で門から出て行った。

 私はそのまま工場に戻り、従業員たちにハサンに解雇通知を出したことを伝えた。そして、ハサンがもし報復行為に出るようなことがあったら、すぐに私と警察に連絡し、自転車などについて彼に挑発するようなことは避けるよう指示した。

 私が工場長に就任した時には考えられないことだった。ハサンは、前任者のJから全幅の信頼を得ていた。彼が主任になってから生産量が上がり、従業員の勤務態度も良くなったという。それが、就任後3カ月にもならないうちに、解雇することになってしまうとは。

 おそらく、彼が自転車と身分証明書を返すことはないだろう。合計2万5000シリングの横領。給料約4カ月分にもなる。工場の外では、ソマリアの同胞たちが栄養失調で亡くなっている時に、その人たちを一番支援できる人たちが、組織からお金を盗んでいる。そのお金は、ソマリアの人たちに向けて送られた支援金である。人々の善意に対する背信行為、同胞の苦しみに対する無関心さ。一体、ハサンはなぜこうなってしまったのか?

 彼の背信行為は、私たち支援団体に、とても複雑な問題をつきつけているような気がした。

 ちなみに、私も会社員時代、会社の携帯電話で妻【当時は彼女】に毎晩電話して、上司にその分のお金(5万円)を請求されたことがある。いろいろ、カッコつけて書いてみたものの、ハサンも私も、そんなに変わらないのかもしれない(涙)。(無論、私はハサンと違って自分の失態を認め、謝罪し、お金は戻しましたけどね!)

難民不信

従業員を「犬」呼ばわりして全面対決になった工場Bの主任・ハサン。全体ミーティングで胸の内を明かしあった後、問題は解決されたと思っていた。
 8月10日、私は休暇でタンザニアのザンジバル島にいた。ハサンから携帯メッセージが届き、「従業員が毎朝6時から働き、今週はいつもより多くのコンロを生産しています」と書いてきた。通常は週に150個のコンロを生産するのだが、今週は300以上になるという。それに伴って、コンロを輸送する費用が通常よりかかるから、お金を送ってほしいという。
 私は休暇に出る前に、すでに前もってその週の分の輸送費は渡してあったから、それに上乗せしてさらに5000シリング(5000円)を送った。ケニアやタンザニアでは携帯電話を通じてお金を送ることができる「M-PESA」というシステムがある。
 普段の倍以上のコンロを生産したということに、喜ぶべきなのか、疑うべきなのか、少し迷った。でも、こんな簡単に発覚する嘘をつくとは思えないし、嘘と発覚したら職を失うことにもなりえるわけだから、5000円はその代償としては少なすぎる。私は、ハサンを信じてお金を送った。
 そして8月15日、休暇から戻った私は工場Bへ直行した。ハサンはその日欠勤しており、主任代理のアデンがいた。私は早速、生産表を見た。「8月9日、火曜日、150。8月12日、金曜日、配布」と記されていた。アデンに、「先週は2回、配布したのだね?」と尋ねると、「いや、一度だけですけど?」と返答した。
 私は、生産表を見せると、主任代理のアデンは驚いた様子で、「いや。ハサンは私にこういった物は見せてくれませんから。火曜日に、150個のコンロを配布したという記憶はありません」と言う。
 私は、他の従業員にも尋ねた。誰一人として、先週の火曜日に150個のコンロを配布したと記憶している者はいなかった。「一週間に300個も作れるわけがない」と口を合わせる。私は、これまでハサンに寄せてきた信頼が、崩れ落ちていくのを肌で感じた。
 そしたら、突然、工場に来訪者が。「6月にコンロの輸送を請け負ったのだがそのお金をもらっていない。7000シリング」と言う。そして、7月末に2週間、短期で雇用した門番も「2400シリングの給料をもらっていない」と言う。ハサンにすべて渡されているはずのお金である。私は、「私からはハサンにすべてお金は払っている。とりあえず、今日は彼がいないから、明日朝、彼と話し合うようにしたい」と伝えた。
 従業員たちも、ハサンが、私に300個のコンロを生産したと報告をしたことにショックを受けていた。主任が組織のお金を横領したという可能性を、受け入れることができない様子だ。私は「とりあえず、まだ、何も確定したわけではない。だから、このことは誰にも言わないで。間違っても、ハサンには言わないように」と口止めをした。
 その日、私は何度も何度もハサンに電話した。午後4時ごろ、ようやくハサンから電話が来た。「明日朝、話がしたいから、工場に来てくれ」とだけ伝えた。自分の頭の中は混乱していた。ハサンとは指導方針が違うことは分かっていたが、彼の仕事に対する真面目な姿勢には全幅の信頼を置いていた。主任になってから一度も休暇を取らずにいたし、時間外労働もいとわなかった。彼がこれまで私に話してきたことは、一体何だったのか。とにかく、彼の話を聞かなくてはならない。もしかしたら、何か誤解があったのかもしれない。こんないとも簡単に発覚できる嘘がまかり通ると思うほど、ハサンの判断力が鈍いとも思えない。その晩は色々な事が頭の中を巡り巡って、あまり寝付けなかった。

 次の日の朝、午前8時半ごろ工場Bに着くと、ハサンはいつものように主任席に座っていた。表情にいつもの笑顔がない。私は簡単に挨拶をすませ、工場外にある別室で二人きりになって話しをした。

私「先週、火曜日と金曜日に二度、コンロを配布したということだけど、それでいいのかな?」

ハ「はい。火曜日に150.金曜日に170です」

私「金曜日に、コンロを配布した数が記されていないけど?」

ハ「これまで数は記してきませんでした」

私「いや。4月も5月も記しているよ」(生産表を見せる)

ハ「私の頭の中で覚えているから大丈夫です」

私は、こんな小さい事に時間を割いている場合じゃないと自分に言い聞かせ、本題に入った。

私「従業員たちは、先週、配布したコンロは金曜日に170だけと言っている。火曜日には配布していないと言っているよ」

ハ「火曜日は勤務時間外の午後2時、別のNGOから電話でコンロを配布してくれと要請が来ました。だから、私は1人で工場に行き、1人で配布したのです」

私「つまり、火曜日、従業員が勤務を終えた時点で、150個のコンロが工場にあり、水曜日の朝にはそれがなくなっていたということで、いいのかな?

ハ「はい。」

私は、彼とのミーティングを終了させ、全体ミーティングを開いた。通訳はハサンではなく、主任代理のアデンにお願いをした。

私「ハサンは、先週、火曜日と金曜日の二回、合計320個のコンロを配布したと言っています。皆さんの意見を聞かせてください」

従業員は、皆、私と目を合わそうとしなかった。自分たちが見たことを正直に発言することの意味の重さを、彼らは十分理解しているようだった。

 1人の女性従業員が工場の外を向きながら「配布は一回だけでした。金曜日だけです」と言った。別の男性従業員も「金曜日に165個配布しただけです」と付け加えた。

 私は、内心ホットした。ハサンの働きかけで、口裏合わせが行われ、一晩で従業員たちの証言が変わる可能性も考えていたからだ。

 私は、従業員の名前を1人1人呼び、意見を求めた。皆、配布は一回だけで、火曜日に150のコンロは工場に存在しなかったと言った。

 ハサンは「彼らは私を陥れようとしているだけです!いいですよ!私がこの工場を辞めるくらい、たいしたことじゃない。別の組織で働くことだってできる」

と、言った。従業員たちは「別に陥れようとしているわけじゃない。見たことを正直に話しているだけです」と言う。

 私は、「もし、150個のコンロが工場からなくなっていれば、誰の目にも一目瞭然でと思いませんか?」とハサンに言うと、「彼らにコンロの数がわかるのですか?」と言ってきた。「彼らは文字の読み書きもできないのですよ!私とは違うのです。彼らの言っていることを信用するのですか?」と尋ねてきた。

 私は、正直、彼を罵倒したかった。特定のグループの人間の尊厳を傷つけるということに、何の罪悪感もないハサンが心底、許せなかった。彼のこのコメントで、私は、これまで抱いてきた一つの大きな疑問の答えが見つかった。なぜ、ハサンは発覚容易な嘘を平気でついたのか?それは、彼が文字の読み書きもできない従業員を心底見下し、彼らの証言が聞くに値することでないことと、本気で思っていたからではないか。

「もう、ハサンがこの工場で働くことはない」この時点で、すでに、私の腹は固まっていた。すでに10人の目撃証言という絶大な証拠はあるにせよ、集められる証拠はすべて集めた方がいい。「従業員がハサンを陥れる策略を立てた」という可能性を限りなくゼロにさせるために。

 私は、まず、火曜日に配られた150のコンロの受け取り表を見せてくれとハサンに行った。「家にあります」という。工場にあるべき物が、なぜ家にあるのか、理解に苦しむが、もうそんなことはどうでも良かった。タクシーを呼び、ハサンとアデンと3人で、ハサンの家に向かった。普通ならタクシー運転手と値段交渉をするところだが、そんな事に時間を割いている精神的余裕は私にはなかった。私は、ハサンが誰とも連絡できないよう、携帯電話を取り上げ、後部座席に彼と隣り合わせに座り、アデンを助手席に座らせた。

 ハサンの家に着き、黒いノートを私は手渡された。そこにはたくさんの名前が書いてあり、最後の日付は6月27日だった。ハサンはそのリストにある90人近くの名前は、火曜日に配布された人のリストだと主張した。私は「日付がないけど?」と尋ねると、「その日は、とにかくたくさんの人を1人で相手にしたので、わけのわからない状態でした」という。

 私は「では、コンロを受け取った人たちの所へ連れて行ってくれ」と言い、タクシーを再び走らせた。そこでは、何軒かの家を回ったが、誰も火曜日に受け取ったという人はおらず、90人近くの名前を読み上げても、誰一人、知っている者はいなかった。横の連帯が強いソマリア人コミュニティーで、近所に住んでいる人の名前がわからないということはありえない。

 その地区の代表の所へ行き、90人のリストを見せても、首をかしげることしかできなかった。ただ、この代表は、「60個のコンロは火曜日に受け取った」と証言した。「ただ、今は少し忙しくて、そのコンロをあなたに見せることはできない」と言う。私はハサンに、「他の90個のコンロは?」と尋ねたら、「もうあの日は大変で、フォローすることはできません」と受け取った人の名前も住んでいる所もわからないという。

 私はハサンに伝えた。「私は、あなたが組織のお金を横領した疑いがあると思っている。上司と相談して、君のこれからのことを考えるから、それまで自宅で待機していてくれ」。

 ハサンは「私が嘘をついていると言うのですか?今はラマダンで、断食をしている。誰も嘘を付けるわけがない。私は、これまで組織のためにすべてをかけて働いてきたのです!」と言った。「ラマダン」とはイスラムの断食の月の事で、約一ヶ月間、日の出から日の入りまでは飲み食いすることを慎み、飢えに苦しむ人たちに思いをはせる時間なのだという。

 私は、彼の言っていることを無視し、タクシーで彼の家まで送って行った。アデンとハサンが何やらソマリア語で言い合っているが、私は、上の空だった。

 工場にアデンと共に着き、アデンは「疲れた!」と座り込んだ。私は、従業員に「これからどうしよう?」と尋ねた。

 従業員たちは、ハサンは工場を解雇されるべきで、新しい主任は、自分たちの中から選出されるべきだと言った。私は、民主的な形で主任が選ばれれば、彼らも自分たちの下した決断に責任を持つだろう。「君たちの好きなように、主任を選んでくれ。それまでは、とりあえず、アデンが代理として主任の役割をしてください」と頼んだ。

 私は、早速本部に事の経過をメールし、本部はハサンを解雇することで全会一致だった。ハサンと出会って3カ月足らず。彼は小さなミスはたくさん犯してきたし、何度か主任を代えるべきかと考えたこともあった。しかし、「いや。簡単にあきらめちゃいけない。自分の常識はここでは通用しないのだから。ハサンに一つ一つ教えてあげれば、いつかは立派な主任になれる」と自分に言い聞かせてきた。その自分の思いは、いとも簡単に裏切られ、私は人間不信、いや「難民不信」に陥った。

 あーあ。ハサンに解雇通達するの、気が重いなあ、、、、。

ギャクギレする人たち

 停職処分2人を出して以来、特に大きな問題がなかった工場Aに、再び波が襲ってきた。コンロを難民に配布する際、コンロの使い方を約1時間かけて説明してから配布することになっているのだが、私が従業員の配布する現場に立ち合った時は、なんと、コンロの持ち方や置く場所について1分ほど説明するだけで終わっていた。しかも、工場Bで使われている、コンロと木材の図柄で詳しく使い方が説明されている解説シートも使っていなかった。
 私は、何か事情があるのかと思い、NGOの本部や前任者のJにメールで「コンロについての説明が1分ほどで終わっているのだけど、これは何か事情があるのでしょうか?」と問い合わせた。そしたら、滅多にメールの返信をしない代表理事から「それは信じられない!!説明は1分より長いのが当たり前だ!」というショッキングなメールが来た。前任者のJは「普段は1分より長くやっているはずだよ。Yokoが新しいボスだから、なめてかかっているだけでは?」と返事をした。
 なめてかかられているとは思えない。停職処分を出してから、従業員は彼らなりに成果を出していた。コンロの基盤となる粘土レンガを作る数が、それまで一日平均200個前後だったのが、230まで増えていた。つまり、私が工場長になる前から、常態化していたということではないだろうか?
 私は早速、次の日、主任のラホに尋ねた。「工場Bでは、コンロの使い方を説明するのに解説シートを使っているのだけど、ここにはないのかな?」。ラホは「ありますよ」と即座に答え、道具箱の奥底から解説シートを取り出してきた。
 それを持ち、前回、コンロ配布の作業をした従業員のキモ(仮名、男性)に見せたら、「こんな解説シートは見たことがありませんでした」と言う!キモは今年2月からこの工場で働いている。つまり、解説シートは今年になってから一度も使われてこなかったということだ。
 コンロを配布する目的は、料理に使用する木材の量を減らすことにある。あまりたくさんの木をコンロに入れたりしたら、コンロを使う意味がなくなってしまうため、工場の活動事態が無意味なものになる。そのために必要不可欠な解説シートが長い間、道具箱の奥底に眠っていたのだとしたら、それはかなり深刻な職務怠慢だ。
 主任のラホに説明を求めても、「コンロのタイプが変わったから」とかはっきりした答えが返ってこない。
 私は、ラホに警告文を書いた。「あなたがコンロの配布する作業に従事させたキモは、配布するためには必要不可欠な解説シートを見たことがなかった。しかも、あなたは、本来、コンロの使い方について1時間ほどしっかりとした説明が必要であることを知りながら、従業員が1分程度の説明しかしていないことに関して、何の注意もしなかった。これは私が就任してから早くも二つ目の警告文です。」
 一つ目の警告文は、彼女が主任代理に任命したアブラシードがレンガを作った数を水増しして報告書に記録し停職処分になった時、ラホの任命責任を問うものだった。
 私は次の日、彼女と、新しく主任代理になったアデンと3人で小さなミーティングを開き、ラホに「ちょっと深刻な話があります」と切り出した。
 「あなたは、コンロの使い方について、配布するまえにしっかりとした説明が必要だということは知っていたのに、なぜ、従業員が1分足らずしか説明していないのを知っていて、何も忠告をしなかったのですか?それと、今年2月から働いているキモが、なぜ、解説シートを見たことがなかったのですか?」と尋ねた。
 ラホは「これからしっかり説明しようと思っていたのです」と答えた。到底、納得できる説明ではなかったため、私は、警告文を取り出し、声を出して読み上げ、ラホに渡した。ラホは警告文を睨みつけるように覗き込み、「わかりました」と言って、手に取った。
 それでミーティングは終わり、全体ミーティングに移った。そしたら、従業員全員の前で、ラホが「私から話したいことがある」とソマリア語で言ってきた。アデンが通訳となり、ラホは、これまでたまっていたものを吐き出すように話し始めた。

「私は、この工場で4年働いてきた。前の工場長のJとも、その前のSとも仲良くやって来た。しかし、今は違う。アブラシードが報告書に偽った記載をしたという理由で、私は警告文を受け、さらに、今回二つ目の警告文をもらった。新しい工場長がこういった態度で接してくるとしたら、私は、これ以上一緒にやっていく自信がない!」

 彼女が犯した行為に関しての説明がない。しかも、私が警告文を手渡した時に言うのではなく、全体ミーティングになってソマリア語で言うというのは、他の従業員の支持を取り付け、私に対してプレッシャーをかけようとしているとしか思えなかった。工場の従業員の過半数はラホが選んで従業員になった。だから、ラホは彼らに絶対的な権力がある。

 私はできるだけ冷静に、声を上げずに説明した。「この工場にとって、コンロの使い方を難民に説明するというのは、活動の大きな柱です。これがしっかりなされないと、皆さんが毎日汗を出している作業の意味がなくなってしまう。それにとってとても重要な解説シートが、今年2月から働いているキモに一度も見せられなかった。さらに、7月初めから働いている主任代理にアデンにも共有されなかった。この責任は誰にあるのか?それは工場の活動をすべて取り仕切る主任のラホだと思います。だから、私は、ラホに警告文を出しました」と話した。

 他の従業員は黙ったまま。ラホは「私は新しい赤ちゃんに頭がいっぱいでそんなことまで考えられなかった」という。私は、「でも、解説シートについて説明するのなんて、そんなに時間がかかることだとは思えません。この数カ月間、全く時間がなかったということですか?」と尋ねた。

 ラホは「文書ではなく、口頭での注意でもよかったのではないか?」と言う。私は、よく違いがわからなかった。とりあえず、「この件については、私とあなたとの間の話です。他の従業員は直接関係ありません。だから、また、時間を作って話し合いましょう」と伝え、中断させた。

 自分が叱責された「行為」については何も言わず、叱責や罰則を受けたという事実に対して逆切れするというのは、無断欠勤や遅刻を数回して減給された工場Bのシナサンが先日、給料を机に投げつけた時と似ている。これまで、ラホには細かいミスを指摘することが数回あったが、いずれも、不快な表情を浮かべ、私が話している途中で、他の従業員に話しかけたりするなど、自分に対する批判を聞き入れるということができていなかった。おそらく、私の言い方にも問題はあるのだろうが、何かぎこちなさを感じていた。

 ラホの逆切れ具合に少し圧倒された私は、自分のしたことが少し厳しすぎたのかと思い、本部の人や、工場Bの主任のハサンらに相談した。

 本部は「ラホはとても重要な部族出身の人らしいから、コミュニティからは尊敬される対象。だから口頭の注意でもいいのではないか」と言う。ハサンも「従業員に忠告するべき立場の主任が、注意を受けるというのはとても辛いことです。だから、まず口頭注意でもいいのではないか」と言う。私は、口頭注意も文書での注意も、対して変わりはないと思っていた。文書だと、自分の言いたいことが、相手にしっかり理解してもらえるくらいのつもりだった。前任者のJからは、従業員が何か悪いことをした場合、「主任からの注意→工場長からの注意→停職→解雇」の順と聞いていた。

 とりあえず、もう一度、ラホと2人でじっくり話し合ってみることにしよう。

20年振りに親子が再会



 工場Bのリーダー的存在で身長が180センチほどあり、10人の母親でもあるレゲ(仮名、33歳)が「給料2カ月分を前借りし、10カ月ローンで返させてほしい」とお願いしてきた。とても深刻な表情で、声にも力がない。「母親が病気なのです」という。私は「こういうことがこれまで了承されてきたの?」と主任のハサンに尋ね、ハサンが首を振ったので「本部と相談させてください」と、とりあえず返答した。
 6月初旬、レゲは「ソマリアで暮らしていた母親が干ばつで、ケニア国境に逃れてきたから迎えに行かせてください」と休暇を申請してきた。12日間の有給休暇を消化し、その後も「母親の看病をしなくてはいけない」と数日休暇を申請し、6月はほとんど出勤しなかった。私は、「古株のレゲが休みがちになると工場全体に影響がでないかな」とハサンに相談し、胸の奥底ではレゲの事を疑っていた。
 ソマリアがここ60年で最悪の干ばつに見舞われ、毎日1000人以上がダダーブ難民キャンプに避難しに来ていることは頭の中で知っていた。でも、それが自分の身近にいる人に影響しているという実感を、なぜか持つことができなかった。いや、工場の生産を第一に考えるもう1人の自分が、それを邪魔する要因を自動的に排除するよう仕向けていたのかもしれない。
 自分の母親が危篤状態で、それを上司から疑われたら、どれほど悲しいことだろう。昨年、ダダーブの国連事務所で働いている時、上司に「38度の熱が出たので、仕事にいけません」と携帯メッセージで伝えたら、「総務に伝えて」と一言返信があった。心身共にやつれきって、何事にも敏感になっていた自分は、上司が「お大事に」の一言も書いてくれなかったということが、とても冷たく感じた。「もしかしたら、私の事を疑っているのでは?」と考え始めると、とても自分がみじめになったのを思い出した。
 私は「思いやりのある上司にならないとだめだ!」と自分に言い聞かせ、次の日、工場に出向き、前日同様冴えない表情でコンロを作っているレゲに「お母さんのお見舞いに行かせてくれ」とお願いした。レゲは「ありがとうございます!」と即答し、仕事を中断し、コンロ製造に使われる土で汚くなった手を洗いに行った。近年急増し、キャンプ内に50台はあるとされるタクシーを1台拾い、工場から約1.5キロ離れたレゲの自宅に向かった。工場長に就任して2カ月弱だが、従業員の自宅を訪問するのはこれが初めて。
 タクシー運転手のモハメッドとは前からの顔見知りで英語が堪能なため、彼に200シリング(約200円)で通訳をお願いし、レゲの家に入った。レゲの夫が笑顔で出迎えてくれ、固く握手をした。「レゲはとてもよく働いてくれるのです」と笑顔であいさつした。そして、赤土で作られた約10平方メートルの建物の中に案内され、奥のマットレスの上に横たわっている母親、マイマン(70歳)に出会った。マイマンは、黒い布に全身を覆い、小柄で体が極度に痩せ細っており、最初見た時は、布の下に人がいるとは思えないほどだった。
 「お話はできるのですか?」と、マイマンに話しかけると、布から顔を出し、細目で私を見て、「よく来てくれました」と挨拶をしてくれた。両腕は骨と肉の皮1枚しかない。
 高度の熱が出ており、頭と胸に痛みを感じるという。歩くことはできず、寝たきりのままだ。横になりながら、私の質問に、丁寧に答えてくれた。
 マイマンは、ケニアーソマリア国境から約100キロ離れた都市アフマドウ近くの村で生まれ育った。遊牧民で、ラクダ、ヤギ、牛、羊が何百匹もいたという。1991年内戦が勃発し、村は敵対する部族の武将集団に襲撃され、娘のレゲは親戚らと共にケニアへ避難した。マイマンは「家畜を残すことはできない」とソマリアに残り、村周辺を歩き回りながら夫らと暮らした。現在でも内戦は続いており、何度も何度も武装集団に襲われ、家畜を奪われた。それでも、すべての家畜が略奪されることはなく、「一頭でも一匹でも家畜が残っている限り自分はここに残る」とケニアに来ることは考えなかったという。「家畜と生まれ、家畜と育った自分は、家畜と死ぬ運命にあると思った」と話す。
 しかし、今年に入り雨が一滴も降らず、家畜がバタバタと死んでいった。栄養失調で、やせ細った家畜は市場で売りに出すことができなくなった。どんなに武装集団に襲撃されようとも、頑なに守り続けてきた故郷への執念は、自然の力によってあっけなく打ち砕かれ、今年5月、20年音信不通になっていた娘のレゲを頼りにケニアに向けて旅立った。無論、交通手段もお金もない。足腰も弱っている。ケニアに避難するという同じ村の親戚が持っているロバの荷台に乗せられ、総勢20人ほどのグループで歩いて、100キロ離れた国境を目指した。
 マイマンなどの高齢者や子供たちに、限られた水や食料が優先に分け与えられた。ほぼ赤道直下の乾燥地帯。昼間は日差しが強いから木陰で休み、夜に歩いた。舗装された道路などはない。くねくね、でこぼこした砂道を一歩一歩歩く。出発して一週間で、2歳半の孫が栄養失調で亡くなった。何度も「もうだめだ」と思った。それでも、国境まで行けば、娘が迎えに来てくれることだけを望みに、踏ん張った。
 出発して16日目、ケニア側の国境の町、ディーフに着いた。そこからダダーブ難民キャンプへバスで向かう人に「難民キャンプに暮らす私の娘、レゲに伝えてください。母親がここで待っていると」と伝えた。4日後、レゲがディーフに来た。20年振りの再会はあまりにも不幸な形で親子に訪れた。栄養失調で、生きているのがやっとの母。大量の涙が流れ出てきた。一緒にバスに乗り、ダダーブのレゲの家へ向かった。
 レゲの家には夫と子供10人で、10平方メートルの寝室で寝ていた。そこに新たに、マイマンら5人が加わり、極度に混雑した。マイマンは、親戚から進められた栄養ドリンクを飲んでいるという。こんな状態なのにも関わらず、まだ一度も病院には行っていない。「『医者』や『病院』という概念が母にないのです。でも、私が説得して連れて行きます」とレゲは言う。
 マイマンの頭は白髪で、前歯などはもうない。私は、心の中で自分の胸に呟いていた。「レゲが母親と残された時間は、もうあまりないのでは?」。
 1時間ほどの話を終え、私はマイマンに「今、一番欲しいものは?」と尋ねたら「ラクダの牛乳」と初めて頬を緩めた。部屋を出ようとするとき、レゲは「私は工場に戻るべきでしょうか?」と尋ねてきた。「母親と一緒にいたい」という彼女なりのお願いの仕方だった。しかし、私は非情にも「工場に戻ろう」と即答した。時計は午前9時半を指していた。勤務時間終了まで4時間あった。マイマンの看病はレゲの夫や子供たちがしていた。レゲはすでに20日以上の休暇を取っていた。勤務が午後1時半に終われば、夜まで、レゲは母親といれる。一生懸命、自分の判断を正当化しようとしていた。でも、胸はズキズキと痛んだ。
 帰りのタクシーの中で、レゲは私に何度も「ありがとう」と言った。「他の従業員から白い目で見られているような感じがして。でも、ボスが看病に来てくれたのだから、もう誰にも疑われる心配はなくなりました」と言ってきた。私は、「私たちは一緒に働いているんだ。あなたの問題は私の問題だから」と伝え、「給料の前払い、了承するよ。工場に着いたらお金を渡すから」と伝えた。本部からの了承は取っていない。もし、レゲがお金と共に消えるようなことがあったら、自分の財布から工面する。給料2カ月分と言っても、日本円にしたら1万円くらいだ。それが、工場長として、レゲにしてやれる最大の思いやりだった。
 工場に着いた後も、レゲは「有給休暇は取れないでしょうか?」と尋ねてきた。私は「君の体調がもしすぐれないようだったら、休んでください。でも年次有給休暇は、もうすでに消化してしまっています」と伝えた。レゲは「わかりました。仕事に専念します」と返答した。
 自分が11歳から33歳まで出会うことができなかった母親が「死」と直面している。1分、1秒でも一緒にいて、これまでできなかった親孝行をしたいと思うのは当然だ。でも、それを許可することができない自分が何か腹立たしく、レゲの立場になって考えると、自然と涙が出てくる。
 私の常識では考えられない世界で生きてきた従業員たち。生きるのに何の苦労もいらない環境で蓄積されてきた自分なりの論理なんて、ここでは全く通用しない。「工場のことなんて忘れて、毎日、母親と一緒にいてやりなさい」と、なぜレゲに言ってやれないのか?
 医者を連れて行って、マイマンの容体がどの程度深刻なのか知ることができたら、自分の判断にもう少し自信を持つことができるのかもしれない。
 でも、レゲはおそらく私を責めることは決してしないだろう。車の中で何度も何度も私にありがとうと言ったのだから。でも、だからこそ、なおさら胸が痛くなってしまうのだ。
 

成果主義への転換

 従業員が30人もいれば、無論、仕事への姿勢に大分個人差が見られる。毎朝、勤務開始時間30分前に出勤し、もくもくと汗を出してコンロを作り続ける者もいれば、無断欠勤を繰り返し、勤務時間途中で横になって勝手に業務を終わらせる者もいる。これだけ差があっても、もらう給料は同じ。工場長として頭が痛いところ。頑張ったらその分の報酬を受けられるシステムを作って、やる気のない従業員に刺激を与えようと、成果主義を導入することにした。
 まず、各従業員に怠慢な行動が見られる度にポイントを付ける。怠慢の度合いによって、付けられるポイントが異なる。

1. 警告文書が出されたら  15点
2. 無断欠勤        5点
3. 無断遅刻        3点
4. 欠勤(主任承認)    2点
5. 早引き(主任承認)   1点

付けられるポイントに応じて給料を差し引いたり、上乗せしたりする。

1.従業員が15点以上取得した場合、給料1割カット
2.従業員が0点で1カ月を終え、日々の勤務態度も真面目な場合、給料の1割分をボーナスとして贈呈する。
3.従業員全員が5点以内で1カ月を終了した場合、全員に給料5パーセントをボーナス
4.従業員が1人でも停職処分を受けたら、従業員全員の給料1割カット
5.工場の生産アップや知名度アップにつながる提案をした場合、給料1割をボーナス

 これを書いたものを工場Aの主任のラホと主任代理のアデンに見せた。おおむね賛成だったが、4番目の「1人でも停職処分を受けたら全員の給料1割カット」には、2人とも大反対だった。アデンは「腐った従業員なんてどこにでもいます。そいつのために、全員の給料を減らすのはどうかと思う」といつもの威勢の良い声でまくしたてる。確かに、日本でもこういう制度は珍しいかもしれない。
 工場Aで2人の従業員を停職処分にした時、工場全体にある「どうにでもなれ」的な雰囲気に2人が「いけにえ」になった感が否めなかった。成果を水増ししたのだって、無断欠勤を繰り返したのだって、工場全体にそういう「やる気のない」雰囲気が作り出されたから。だから、あの2人だけにすべての罪を負わせるのは、少し胸が痛かった。この制度を作ることで、誰も停職処分を受けないよう、全員が注意を払うようになることを期待したつもりだった。
 私がいくら説明しても、アデンは「頭がおかしい従業員が、一生懸命働いている他の従業員に脅迫することだってできるようになる。これは絶対反対です」と譲らなかった。仕方なく、私は折れるしかなかった。「腐った従業員がいても、あきらめず、その従業員が腐らないようにアドバイスすることが、あなたたちの仕事だということは忘れないで」と付け加え、2人とも深く頷いた。
 他の従業員にもこれについて説明し、皆賛成してくれた。

 しかーーし!7月の出席簿に基づき、各従業員に給料を配ったら、「こんな金要らない!」とお金を机に投げつけてくる従業員がいた。無断欠席2回、遅刻2回で15点となり、減給されたシナサンだった。シナサンはそのまま自分の座っていた場所に戻り、私は、お金を投げつけられたことに腹を立て、「はい、給料要らないのね。それでは次の人」と意に介さず給料の配布を続けた。1割カットされた人はシナサンの他に2人。いずれも女性で、2人は渋々給料を受け取った。
 全員配り終わった後、数人の従業員から「今回は許してやってください。減給は来月からにしてはどうでしょうか?」とお決まりの相互扶助精神が出てきた。私は、「お金を机に叩きつける行為に関してはどう思いますか?」と聞き返した。「あれはいけない行為でした。どうか許してやってください」と他の従業員。「その言葉は本人から聞きたいですね」と言うと、シナサンが、私から5メートル離れた座ったままの状態で、ぶっきらぼうに「すいません」と言った。他の従業員は全員シナサンに「ちゃんと謝れ」と促し、シナサンはようやく重い腰を上げ、私の所へ歩み寄り、握手を求めた。「他の人が自分より多く給料をもらっているということに苛立ち、あんな事をしてしまいました。すいません」と言ってきた。私は「このシステムが導入されたことは知っているのでしょう?」と尋ねると、「はい。知っていました」と言う。
 自分が一度了承したシステムなのに、それに対して腹を立て、あんな子供っぽい行為に出るなんて、、、。彼女はもう30歳近くだ。私は落胆を隠すことができず、彼女が握手を求めてきた時も、笑顔で応じることができなかった。先週は従業員を「犬」と呼んだ主任のハサンを叱責したが、シナサンの様な従業員と日々向き合わなければならないハサンも大変だろうと思った。
 私はハサンに「君ならどうする?今回は減給せずに、3人とも通常の額にするか?」と尋ね、ハサンは「私は判断できません」と言ってきた。どうすればいい?ここで折れたら、従業員の思うつぼか。それとも、新しいシステムで最初くらいは見逃してやり、次から本気にさせるか。うーーん。難しい。ハサンに「君が決めてくれ」と言い、ハサンは「それでは、通常の額にしましょう」と言ってきた。私は、差額分のお金を取り出し、明細書を手書きで書き直し、3人に配った。私の表情は終始、強張っていた。
 滅多に感謝の言葉を口にしな従業員たちだが、この時ばかりは全員「マーサンタイ」(ありがとう)と私に言ってきた。
 減給ばかりしたわけではない。勤務開始時間30分前に毎朝来て、手を決して休めることのない工場Bの年長者、ノートには給料1割分をボーナスとして贈呈した。他の従業員は皆拍手で祝った。今回、減給を見送るなら、それと引き換えに、ノートのボーナスも見送るべきだったかな?
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR