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こういう時だからこそ「ライフライン」

昨日「手榴弾を投げられたらどうするか」というタイトルのメールが流れてきた。想像するだけで怖くなり、メールを読むことができなかった。
 ケニア軍がソマリアへ侵攻し、治安は悪化の一途。2日前に、ナイロビ市内でディスコと乗り合いバスに、それぞれ手榴弾が投げ込まれ、多数の死傷者が出た。同じ日、ソマリア北部で、またしても援助関係者3人が誘拐された。そして、今日はケニア北部のソマリアとの国境地帯でバスに手榴弾が投げ込まれ、4人が死亡した。
 もう、私が1年半過ごし、親しみなれたダダーブは遠い世界のようだ。ダダーブの国連やNGO関係者が暮らす周囲3キロの塀に囲まれた敷地の入口のゲートでは、全員の身体検査が行われるようになった。難民キャンプは三つあり、この敷地からは5~17キロ離れている。月に20日間は通っていたキャンプには、もう2週間も行っていない。もう、市場でラクダのステーキを食べることもないのかもしれない。援助機関も食糧、医療以外の活動はほとんどが自粛。いまだに1日何百人規模でキャンプに入ってくる難民たちに十分な支援ができなくなった。
 そして、私は難題にぶつかった。私がキャンプに行けない状態で、果たして「ライフライン」の活動は継続できるのか?一応、二つの工場は難民35人で稼働できている。しかし、彼らだけでできるのか、正直不安だ。私は本部にメールで「活動継続するなら、誰か、私の代わりになりうる、優秀で信頼できるソマリア系ケニア人でも雇わないとだめです」と提案した。ソマリア民族はケニア北東部にたくさん住んでおり、ダダーブ周辺はほとんどがソマリア系だ。彼らは同じ言語・宗教で、外見は難民と変わらないから、武装集団に狙われる可能性は少ない。
誘拐してもお金はないし、同胞に危害を加えれば、祖国から反発されることは必至だ。本部は「それでいこう。誰か、信頼できる人はいるのか?」と尋ねてきたので、私は真っ先に、友人のモウリドに電話した。彼との付き合いは1年以上で、昨年一緒に、ユースフェスティバルという若者が集まって歌や踊りを披露するイベントを企画・運営した。彼は「わかった」と二言返事で引き受けてくれた。25歳の彼は地元の高等学校をトップの成績で卒業し、本来なら今月から奨学金で大学に入る予定だったが、ビザの手続きが複雑で断念したばかりだった。
 治安が悪化した時、外国人は無力だ。しかし、こういう時こそ、「難民にできることは難民で」をモットーにしてきたライフラインの特殊性が光る。難民がほとんどすべて自分たちでこなしているから、治安が悪化しても、ほとんど活動に支障が出ない。
 10月27日、給料を配布する日なのだが、工場に私が行くことはできないから、交通費を支給して工場Aの従業員20人にダダーブまで来てもらった。
私は従業員に「本部から『こんな治安が悪いなら活動を自粛した方がいいんじゃないか?』と聞かれた」と嘘をついた。活動が自粛になれば、彼らは収入源を失う。まさに死活問題だ。そして私は続けた。「でも、私はこう言いました。『従業員たちはとても真面目です。彼らだけですべてできます。自信あります』と。他のNGOは自粛しているけど、私たちはほとんど難民ですべてを回しているから、自粛する必要がない。こういう時こそ、私たちの力を見せてやりましょう。もし、何か問題があったら、『やっぱり自粛しよう』という事になりますから、気を付けましょう」と従業員にプレッシャーをかけた。とにかく、今は私とモウリドの信頼関係にすべてをゆだねるしかない。あーあ。私は一体、いつになったら、あの牛の糞くさい工場に戻れるのだろうか?
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難民リーダーに支援を -朝日新聞朝刊10月22日、「私の視点」掲載されました

私の視点
 アフリカ東部のソマリアは20年余りも続く内戦で無政府状態にあるうえ、「過去60年間で最悪」ともいわれる大干ばつに見舞われた。国連によると、全人口約1千万人の3分の1以上が飢餓などによる生命の危険に直面している。昨年3月以来、私が「ILF」のスタッフとして活動する隣国ケニアのダダーブ難民キャンプには、毎日平均1千人を超す難民がソマリアから逃れてきている。
 未曽有の大震災に襲われた日本からすれば「遠い大陸の心配をしている場合か」という人がいるかもしれない。だが私はあえて、こういう時にあっても日本に救済支援の力を発揮してほしいと願う。
 ダダーブ・キャンプは20年前に設けられ、現在44万人余りの難民が暮らす。このうち、16万人が今年になって流入してきた。
 赤道直下に近い乾燥地帯をひと月も歩いてキャンプにたどりついた20代の男性は途中、5人の子どもを栄養失調で亡くした。9月初旬にはキャンプで麻疹が流行し、妻も失った。「出身の村ではここ3年間、ほとんど雨が降らず家畜が次々に死んでいった」と嘆く。だが、内戦下でソマリア南部を実効支配する急進派イスラム武装組織が村人の移動を制限し、外国の援助団体の支援を拒んでいたため、逃げることも支援を受けることもできなかったという。
 キャンプには、高等教育を受けて英語や現地のスワヒリ語、アラビア語を話し、欧米系NGOで子どもの教育支援などで活動する難民も少なくない。彼らは今回の飢餓で「共同体緊急援助チーム」を結成し、キャンプ内だけでなくケニア内外で暮らすソマリア人から資金を募り、粉ミルクやビスケット、毛布などを購入し援助が必要な人たちに配布している。私が働くILFは、ダダーブ・キャンプで難民たちが料理で使うかまどを製造し無料で配っている。私以外のスタッフ30人は全員が難民だ。
 しかし、こうした「難民リーダー」たちがキャンプ全体の支援のあり方を提言する機会は乏しい。日本や欧米諸国の政府高官らがダダーブを視察に訪れても、難民リーダーらと面会することは滅多にない。国連主導でダダーブで毎週開催される緊急支援会議などに招待されることもない。
 難民リーダーたちは、いずれ内戦後のソマリア再建を担うことになろう。将来に向け、今こそ彼らの潜在能力を十分に引き出せるような支援の枠組みを作れないか。日本は、国連の主要な資金拠出国として、また幾多の災害を乗り越えてきた国として、そのノウハウと人材などさまざまな分野で支援の手をさしのべてほしい。

戦争とメディア

 国境なき医師団のスペイン人職員2人が誘拐された2日後、ケニア軍がソマリアへ侵攻した。国家の安全を脅かすテロ集団「アルシャバーブ」掃討し「自己防衛」という大義のもとに。「Operation Linda Nchi」(国家防衛作戦)と称された、今回の作戦は、1963年独立以来、ケニア軍が他の国で行う初めての軍事活動となる。ケニア政府もメディアも、何の根拠もなしに、誘拐事件はアルシャバーブの犯行と断定。今年8月にソマリア首都、モガデシオで自爆テロがあり、70人以上が犠牲になった時、アルシャバーブは犯行声明を出した。今回の誘拐が彼らの犯行だったとしたら、犯行声明を出さない理由はあるだろうか?

 ダダーブ周辺の国境地帯には武装した集団はいくらでもいる。私のエチオピア人従業員は8月、自宅で突然、銃を持った二人組に襲われた。発砲されたが運よく命中せず、逃げ延びた。ブログにも書いたが、新しく流入してきた難民が、キャンプへ辿り着く前に武装集団に襲われたケースはいくらでもある。それらがすべてアルシャバーブの犯行だとは到底思えない。

 アルシャバーブの報道官は改めて犯行を否定した上で、「ケニアがソマリアの主権を侵すなら、報復する。ナイロビには高層ビルなど、ターゲットは多い」と話した。ナイロビのショッピングモールの警備が厳重になり、全車両のトランクの検査が始まり、入口には渋滞が起きるようになった。
ケニア政府はソマリア南部の主要都市をいくつか制圧したと宣言し、アルシャバーブも反撃のために戦闘員を動員しているという。

 確かに、今回の事件を含め、欧米人の誘拐事件はこの1カ月半で3件起きた。しかし、それらがアルシャバーブの犯行と裏付けるものは何も示されていない。にも、関わらず、新聞紙面上では、あたかも既成事実の様に、彼らの犯行と書かれている。誘拐された人がすでに、アルシャバーブの基地にいると報道する新聞まである。
 仮に、3件の誘拐事件が彼らの犯行だったとしても、戦争を起こすまでの話なのか?私は大学院時代、ビルマ(ミャンマー)の反政府武装組織が、どういった「物語」で、自分たちの戦闘行為を正当化しているのかを研究した。だから、今回、ケニア政府がどういった「物語」を作っているのかとても興味があったので、毎朝ケニアの新聞を2紙買って熟読した。
 
ケニア政府の議論は主に

1.ケニアでのテロ行為の可能性
2.誘拐による観光業界への打撃
3.海賊による経済への被害
4.国境沿いに仕掛けられた地雷や捕虜となったケニア軍の兵士2人を取り戻す

 などなど。でも、これらはすべて、戦争することで逆効果になることはないのだろうか?2006年、エチオピア(人口の大半はキリスト教徒)がソマリアへ侵攻した際、「キリスト教徒による支配に対し立ち上がろう!」という物語で勢力を拡大したのが、他でもない急進派イスラム勢力「アルシャバーブ」だった。その時、ダダーブ難民キャンプの人口は2倍に増え、ソマリアの治安は一気に悪化した。そして、エチオピアを後方で支援したのが、「イスラム過激派掃討作戦」を世界で展開中だった、ブッシュ米政権。

 昨日の社説では、「これまでケニア軍は他国に侵攻したことがない東アフリカ唯一の国だったが、他の諸国の仲間入りができた」など、市民を煽り立てる文章が目立つ。日本だったら、世論調査で市民の何割が軍事行為を支持するのか報道されるところだろうが、そんなのは皆無。「メディアが政府に寄り添う」ということが、どういうことか、何となく、わかった気がした。

 ソマリア暫定政府を支援する国連機関で働く友人と話しても、今回のケニアの軍事侵攻の大義はよくわからないという。アラブ諸国で起きた政治革命と世界経済の停滞でアルシャバーブが資金難に陥り、今年8月に首都モガデシオから撤退し、弱体化したテロ組織を壊滅することでケニアの国際社会での地位を高めようという説もあるという。

 友人の1人は、スペイン人2人の誘拐事件から2日後にケニア軍が侵攻したことについて、「ケニア政府にしては対応が早すぎる。まるで、前から準備していたようだ」と言う。つまり、侵攻する事は前から決まっており、理由は何でも良かった?

 一応、私も元新聞記者。記者では、戦争や貧困の最前線で生きる人と長期的に関わることが難しく、そこでできた人間関係を通してしか報道てきない現場の事情は数多くあると思い、援助業界に転身した。そして今回の様に、現場の感覚とはかけ離れた報道がなされた場合、現場に長くいる私たちが、情報を率先して発信していく義務があるということを、強く感じる。

 新聞では75人のアルシャバーブ戦闘員が殺されたとか、ヘリコプター事故で5人のケニア軍兵士が亡くなったとか、報道されている。そこで、忘れてほしくないのは、ソマリアは今年、過去60年で最悪の干ばつに見舞われており、すでに8万人が栄養失調で亡くなったと見積もる国連の調査もある。そして今回の戦闘地域は、干ばつ被害が最も大きかった地域だ。戦争勃発により、援助団体も撤退を余儀なくされ、支援されないことで亡くなる「目に見えない犠牲者」が多くいるということも、是非、報道してほしいものだ。

すべてが変わる日


 自分の中の「ダダーブ」が「やりがいある活動場所」から、「恐ろしい場所」へと急変した。

13日午後1時20分ごろ、ダダーブ難民キャンプで活動するNGO「国境なき医師団」の診療所が5人の武装集団に襲われ、スペイン人女性2人が誘拐され、ケニア人運転手1人が銃で撃たれ、重傷を負った。世界最大の難民キャンプでの悲劇に、BBCやアルジャジーラなど大手メディアは、トップニュースで報じているが、日本ではなぜか、あまり騒がれていない。

国境なき医師団職員は全員、活動を中断しナイロビへ一時退避。他の国連やNGOも、特別な事情がない限り、キャンプへの移動を制限するという。

ここ2カ月で、ソマリアに近いケニアのリゾート島でフランス人やイギリス人旅行者が誘拐された。そして、ダダーブでもNGOの車がハイジャックされ、運転手ごとソマリアへ連れて行かれた。治安が悪くなっていることはわかっていた。でも、今回の事件は、あきらかに、外国人の援助関係者を狙ったもので、旅行者や車が狙われたこれまでのとは違う。つまり、私が誘拐されていても、全くおかしくなかったのだ。

私は、これまで、ソマリア人武装集団は、とても「実用的」な所があり、「援助関係者を狙うことはないだろう」と思っていた。人口45万人のダダーブは今やケニア第三の都市規模で、ソマリア全体の人口が800万人といわれているから、その約7パーセントを抱えていることになる。ビジネスが得意なソマリア人はダダーブでも、とてつもない規模の経済活動を行っており、武装集団だって、その経済活動に資金を依存している部分はあるはずだ。そして、ダダーブの経済活動を下で支えているのは、他でもない様々な福祉・教育サービスを無料で提供している25以上の援助団体。5000人以上の難民の就職口にもなっている。つまり、援助団体関係者を襲撃し、彼らが活動を中断した場合、一番の不利益を被るのは、他でもないソマリア人自身なのだ。

これまで、ソマリア南部を実効支配しているイスラム急進派組織「アルシャバーブ」が外国でテロ事件を行ったのは、昨年7月のウガンダ首都カンパラ。自爆テロで70人以上が犠牲になった。ソマリアからより近いケニアでなく、ウガンダで行ったのは、ウガンダならソマリア人人口が少なく、彼らの経済活動に支障が出ないからだと指摘する専門家もいた。

ソマリア難民キャンプで働いているというと、「怖くないですか」と良く聞かれる。これまでは、上記の事を考えながら、「そんなに怖くないし、怖い目に遭ったこともないですよ」と言ってきた。でも、今は、正直「怖い」。私の工場は難民キャンプの心臓部に位置し、鍵のかかったゲートはあるにせよ、5人の武装集団が来たら、ひとたまりもないだろう。他のNGOも活動中止を考えているという。私も、本部と話し、これからのことを考えなくてはいけない。

しかし、ウガンダのテロでは、アルシャバーブは翌日犯行声明を出したのに、今回は出していない。ダダーブでの緊急会議でも、5人がアルシャバーブメンバーだという話は一切なかった。でも、ケニア政府は「アルシャバーブの犯行」と発表し、メディアもそれをそのまま引用している。BBCは、アルシャバーブの関係者の話として、「私たちはやっていない」と報じた。5人の武装集団がアルシャバーブの一員と断定できる物は何もない。彼らが、アルシャバーブのユニフォームでも着ていない限り無理だ。

それでも、ケニア政府は「アルシャバーブ」と関連付けたい。なぜなら、欧米諸国から「テロ集団」と言われる「アルシャバーブ」の犯行にすれば、「難民キャンプがテロの温床」と宣伝でき、欧米諸国から支援を受けられるだろうし、彼らにとって邪魔な難民キャンプを一日も早く閉鎖できるからだろう。

わからないことは、「わからない」と言うこと。それは、正確な報道をする原点だと思っている。誘拐された2人の女性の運命が、誰かの政治目的に利用されるなら、それは新たな悲劇としかいいようがない。

世界のIKEAに意見を述べる

 世界最大の家具チェーン「IKEA」が、ダダーブ難民キャンプ支援のため、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に6200万ドル(約48億円)寄付することになった。一企業がUNHCRに寄付する額としては、これまでで最高額。さすがは世界のIKEA。恐るべし。日本の企業もこれくらいやってくれたらな、、、。

 10月11日、IKEAのCSR部門にあたる「IKEA Foundation」の代表と、各NGOの代表とのミーティングがあった。私も、弱小NGOではあるが、正規従業員が私しかいないため、ライフラインの「代表」として、他の国連機関、CAREやOXFAMなどの大きい組織の事務所長たちと一緒に会議に出席させてもらった。

今年の飢饉で、当初9万人のために作られた三つのキャンプに、40万人以上が暮らすことになったため、UNHCRは新たに三つのキャンプを開き、現在、難民の移住が進んでいる。IKEAの資金は、主にその内の一つのキャンプに充てられ、3年越しの計画を立てて、キャンプ作りを支援するという。

額が額なだけに、40人ほど集まった会議室は、いつもとは違う熱気があった。UNHCRからは、ダダーブの事務所長は勿論、ナイロビの所長、そしてスイス・ジュネーブの本部から数人来ている。IKEA Foundationの代表、ヘゲンスさんは、「20年も支援を受けることに慣れきった難民の人たちが、少しでも自律できるような支援をしたい」と、私がこの1年半、ずっと考えて来たことを単刀直入に話した。「私たちは、彼らが自分たちの手で自分たちを世話できるようになれるような支援をしたい」という。まさしく、ライフラインの哲学と同じだ。ヘゲンスさんは、一通りの考えを述べた後、「それでは、皆さんの意見をお聞かせください」とNGO側に耳を傾けた。

各NGOの代表たちは、教育、食糧、保健衛生、若者の支援、ケニア政府との関係など、色々な方面から興味深い意見をたくさん述べていた。1時間、2時間と時間が過ぎ、大体ほとんどの人が手を挙げて話をした。ヘゲンスさんは、1人1人の話にじっくり聞き入り、メモを熱心にとり、聞き終わった後は、ジョークを交えたりして、感謝の意を表していた。

こういう機会に、ライフラインの存在も示さなければ。私も、頭の中で自分が言いたいことはあったが、さすがにVIPと大先輩たちを前に緊張し、心拍数が上がった。でも、こういう場で自分の意見が発表できるようにならなければ、いつまでも「工場長」の成長はない。ちょっとくらい的外れなこと言っても、皆、優しい人たちだ。「彼は若いから、仕方ない」と言ってくれるだろう。

1人の発表が終わった後、思い切って手を挙げたら、ヘゲンスさんは笑顔で「ライフライン」と、私のTシャツに書かれた文字を音読してくれた。私は嬉しくなって立ち上がり、

「International Lifeline Fundのヨーコーと申します。私たちは二つのキャンプで毎月1000個のコンロを作って配布しています。36人の従業員がいますが、内訳は日本人が1人で、残りの35人はすべて難民です。8割が文字の読み書きができず、高齢者、障害者、家庭内暴力の被害者、セックスワーカーなどがいます。私はいつも、『あなたたちが将来のソマリアの環境問題のリーダーにならなければいけない」と激励しています。

私はこの仕事を今年5月からしています。私がこのNGOに入ったのは、昨年1年間、UNHCRで働いた時に、自分がやっていることに自信が持てなかったからです。私は、今年3月までUNHCRのダダーブ事務所で若者支援担当をしていました。スピーチコンテスト、ユースフェスティバルなどを催し、他のNGOがやっている音楽大会、演劇大会や様々な職業訓練を観察しました。でも、不思議なことに、そういう会場に行くたびに、なぜか、いつも同じ若者を見るのです。キャンプには10万人以上の若者がいるのに、いつも同じ若者ばかりに会うのはおかしいと思い、今年2月、私たちは若者の実態調査をやりました。18歳から35歳までの男女1300人にアンケートを配ったのです。

結果は驚くべきものでした。まず、キャンプの中には大きな格差がありました。20パーセントが高等学校を卒業し、英語、スワヒリ語を操り、NGOで働いている一方、20パーセントは文字の読み書きすらできない。驚きはそれだけではありませんでした。質問事項の一つに、「NGOや国連の訓練や研修を受けたことがあるか?」というのがありました。高等学校卒業者の9割が「Yes」と答えたのに対し、文字の読み書きができない人に限れば、たったの1割でした。私たちが若者に向けて行ってきた支援が、特定の若者にしか届いていないことがわかったのです。しかも、その特定の若者というのは、一番支援を必要としていない、エリート層の若者だったのです。

もし、これから新しいキャンプの人たちの自律支援をするなら、私の工場で働いている様な、支援の枠から外された若者たちを取り込むことが必要なのではないでしょうか?」

最後に私が「ありがとうございました」と頭を下げると、何人かの出席者が拍手をしてくれた。これまでの人の発表では拍手などなかったのに。私は発表の仕方が下手というか、場に応じた適合能力がないのか、なぜかいつも選挙の街頭演説みたいになってしまう。だから、他の出席者も「拍手でもしてやらないと」という気になったのだろう。恥ずかしい。ヘゲンスさんは笑顔で「色々、考えることを与えてくれてありがとう」と頷きながら返答してくれた。

その晩はヘゲンスさんたちを囲む晩さん会で、ヘゲンスさんに改めて名刺を差し出したら、「ああ、君か。もう、ライフラインは忘れないよ。次来ることがあったら、工場を見せてくれ」と言ってくれた。他のNGOの代表たちも「君は将来日本の首相になるのかな?」「私もライフラインに入りたい」とからかってきた。まあ、とりあえず、ライフラインの知名度が少し上がったことは間違いなさそうだ。ああ、緊張した。

初めての合同会議(5)

 最後は私からの訓示。前の晩、パソコンに向かって概要を用意した。最初は、ありとあらゆる小言を一つ一つ書き連ねていったが、書き終わった後、「批判ばかりしても、彼らは受け入れてくれない。しっかり褒めることからしなければ」と自分に言い聞かせ、文書の最初の部分へスクロールを戻した。そして、主に5つのポイントを挙げて、従業員たちに称賛の文章を綴った。

 訓示に入る前に、「今日のワークショップはどうでしたか?」と尋ねたら、「とてもよかった。色々新しいアイデアを学べた」「初めてで、他の工場の従業員と話ができて良かった」「演劇について学ぶことができた」などなど、ポジティブなコメントが多く出た。ただ、「具体的に何が良かった?どんなアイデアを学んだ?」と尋ねても、はっきりとした答えは返ってこなかった。

 私は「この5カ月間、あなたたちと働いて、私は5つの点であなたたちのことを尊敬しています」と訓示を始めた。

「第一に、あなたたちの強さ。家族を戦争で亡くし、栄養失調や麻疹などの病気と日々戦いながらも、あなたたちはこの工場で一生懸命働いている。とても勇気付けられます。

 第二に、あなたたちの適合力です。この5カ月、私はあなたたちに色々指導してきましたが、その度に、勤務態度や仕事の成果が上がりました。コンロがあまり使われていなかったことを指摘したら、数日後、コンロはしっかり難民に使われるようになりました。

 第三に、あなたたちの隠された能力です。今回の演劇や歌にしても、あなたたちが難民にコンロの使い方を説明する時も、あなたたちの奥底に秘められた能力にはいつも感心させられます。

 第四に、あなたたちの優しさです。私は日本人で、宗教も文化もあなたたちとは全く異なっている。それでも、あなたたちは私を温かく迎え入れてくれた。家に行けば、お茶とかランチとかを出そうとしてくれる。

 最後に、あなたたちの評判です。外部から見学者が来るたびに、あなたたちの働きぶりに皆感心します。そして、あなたたちがこのキャンプの人々のために大きく貢献していることに感動します。それを聞いて、私も鼻高々です。

 この5カ月間、本当にありがとうございました。」

と、これで称賛のパートは終わり、課題に移ろうというところだったが、ここまで褒めてしまうと、なかなか、批判をしづらい雰囲気だ。いつもは私語を慎むことを知らない従業員が、この時ばかりは皆、私の目をじっと見つめている。おそらく「褒められる」という機会はあまりないのだろう。私も、胸の中が熱くなっている。

 停職処分や解雇処分を出したことなど、簡単に話したが、紙に書いた概要はほとんど飛ばして読んでしまった。私も、自分の気付かない部分で従業員たちに情が移っている。裏切られることもあったし、対立することもあったけど、それ以上に従業員たちは私に笑顔で接してくれた。新しい指導方針にも何とか付いてきてくれている。19歳から60歳までの従業員34人。なんだかんだ言って、私は彼らのことがとても好きなんだ。好きだから、ダダーブがどんなに暑かろうと、飯がまずかろうと、下痢になろうとも、ここでの生活を投げだそうとは思わないのだろう。

 私は、他人の失敗に対して言及することに何の抵抗も感じないくせに、他人への愛着とか友情を表現するのは、なぜか恥ずかしい。本当は逆であるべきなのに。相手を見下すことで、自尊心を保とうとする嫌な人間。でも、そんな自分を受け入れてくれる従業員たちに感謝の気持ちは忘れないようにしよう。

 初めての合同会議は、この後、昼食のパスタを食べて幕を閉じた。皆、満足そうだったが、工場Bはドラマ発表で負けたことが悔しかったらしく、「次は勝つ!」と燃えていた。

 スピーチを終えたところで、何人かが拍手をしてくれた。おそらく、批判の部分がなかったら、もっと大きな拍手だったのだろうな。

初めての合同会議(4)

最後の質問。

「就業時間は午後1時までと定められているのに、従業員数人が正午で仕事を辞め、帰る支度をしています。あなたが主任だったら、何と言いますか?」

これは、両工場の主任らが入ったグループに出題した。この発表も、私が従業員役となって、椅子で座って休んでいる従業員に語りかけるというシミュレーション方式にした。

主任:就業時間は1時までという決まりだ。仕事をしなさい。
従業員:そんな決まりどこにあるのですか?
主任:君がこの工場に働き始めた時、話しただろ?
従業員:そんなの覚えていません。どこかにルールが書かれているのですか?
主任:書かれたものはないが、口頭で約束したはずだ
従業員:口頭でなんて、覚えていないですよ。今日の課題はクリアしました。もうやることはありません。
主任:やることはいくらでもある。レンガの整理もあるだろ。
従業員:明日やります。

 私は、就業規則がないという、この工場の致命的な欠点について従業員たちに知ってもらいたかった。これがないから、従業員や主任が自己の裁量で色々勝手に決めてしまう。従業員同士の関係もこじれやすい。そもそも、私が工場長に就任した当時、誰一人として明確な就業時間を理解していなかった。これでは、工場がうまく運営できるはずがなかった。私は、現在、他のNGOの人事担当を訪れて、各NGOがどんな就業規則を持っているのか話を聞き、今月中にも、規則を作り、ソマリア語に訳し、従業員全員に同意を得るつもりだ。従業員も主任も、そして工場長も、規則の上に立つことはできない。これについて、このワークショップで話したら1時間じゃ足りないため、私は「これについては、また、後で、話させていただきます」と言い、10分の休憩に入った。

 休憩後、お待ちかねの「劇団ライフライン」のドラマ発表に移った。約2週間、従業員たちは練習にいそしんできた。この日のために審査委員3人を他のNGOや国連から招いた。私が審査したら、負けた工場との関係がこじれる不安があったため(それほど従業員のやる気はすごかった)、審査は外部の人に任せることにした。

まず、工場Aが発表した。

劇は、2人の難民女性が、焚火で料理をしているシーンから始まった。女性たちは、三つの石の上に鍋を乗せ料理しているが、石が不安定で鍋が落ちてしまった。そこに自治会長とライフライン従業員が訪れ、「コンロを差し上げるから、研修を受けに来てくれ」と言った。女性たちは簡単な研修を受け、いざ、コンロを受け取るという時になったら、身長190センチの従業員オケロが、コンロを運ぶ「ロバ」役として登場。尻にはヒモがぶら下がり「尻尾」になり、顔面には木の枠を付けて「耳」を演出している。オケロが「ヒヒーン」と鼻から息を吐くと、会場は笑いの渦に包まれた。オケロは、コンロを運び、出て行った。

 そして、「詩」の朗読。(ソマリア人は詩や諺が大好き!)10人の従業員が横一列になって、「ライフラインは難民全員にコンロを配るNGOです!」などと大きな声で語った。最後に、皆で飛び跳ねながら、退出し発表は終わった。

 次に工場Bの発表。

 劇は同じように、2人の女性が焚火で料理をし、ライフライン従業員たちに研修に連れて行かれ、コンロをもらうというもの。劇の後は、歌。7人の従業員がライフラインの垂れ幕を持って、右腕を上下に動かしながら「ILF!ILF!」と歌いながら工場に入って来た。その後、2人の女性従業員の詩朗読。「ライフラインは、どんな人にも門を開いたNGOです。ダダーブで最も重要なNGOです」と話した。そして、全員が体を左右に振り、手拍子をしながら、「ライフライン!ライフライン!」と歌った。皆楽しそうに笑顔だったのが印象的だった。

 そして、審査発表。私は、表情が固かった工場Aに比べ、皆楽しそうに歌っていた工場Bが勝つと思ったが、結果は2-1でAが勝った。Aの出場メンバー1人1人に、私が着ないTシャツや日本から持ってきたかきの種などを商品として配った。審査員の3人は皆口を揃えて「すばらしい発表だった」と褒めてくれた。劇などと全く縁のなかった彼らが、堂々と発表する姿は確かに感動的だった。

 これで、次、キャンプで何か大きな催し物がある時は、ライフライン代表として、彼らの劇や歌を発表できる。そうすれば、一気に、彼らが毎日やっていることが、周りから認められ、彼らの生活の糧になってくれるのではないだろうか。

 その日の夜、審査員の一人から「あのロバ役は、彼ら自身が考えだしたものですか?」と聞かれたので、「いや、私の提案です(笑)」と正直に返答してしまった。工場長なら、嘘でも、「いや、彼らが自分たちでやったのです!」と称えてあげるところだったのだが、まだまだ甘い。

初めての合同会議(3)

第二の質問は、

「ライフラインは新しい従業員を1人必要としています。10万人いる難民から、どういった基準でその人を選びますか?」

 この質問も二つのグループが解答した。

 一つ目のグループは、「社会的弱者を選びます。夫がいない女性など、生活支援を必要としている人」

 二つ目のグループは、「コンロ作りは技能が必要ですから、あらかじめ経験があって、NGOで働いたことがある人」

と、うまい具合に意見が分かれた。私は早速、「皆さんはどう思いますか?」と全員に尋ねた。そしたら、「社会的弱者の方が、一生懸命働いてくれる」という意見や、「両方のグループが必要だと思います」という意見もあった。

 私は「確かに両方のグループがあった方がいいですね。一つ、皆さんに聞きますが、コンロ作りの仕事というのは『特別な技能』が必要なのでしょうか?それとも、簡単に学べるのでしょうか?」

 そしたら、「簡単に学べる」という声が上がった。実際、従業員のほとんどは誰一人としてコンロ作りの経験がなかった。

 私は「そうです。簡単に学べるのです。就職口が限られたこの難民キャンプで、25以上あるNGOは、難民にとって最大の就職口です。でも、その大部分は文字の読み書きを必要とする職です。例えば、今ここにいる通訳のハサンは大学まで卒業して、CAREというNGOで働いている。こういったNGOが、いくら社会的弱者を雇おうと思っても、なかなか難しいです。その面、ライフラインはそれができる、という強みを忘れないでください」


 第三の質問は「ライフラインについて全く知らない難民に、ライフラインについて簡単に説明してください」

 これは一つのグループが解答した。「他のNGOと同じように難民を支援するNGOで、コンロを作って、配布しています。ソマリア人、エチオピア人、そして日本人のスタッフがいます」

 私は、「日本人」という単語が出たことに嬉しくなり、思わず発表者のハサンに「ありがとう」と肩を抱き寄せた。そしたら、周りから拍手が沸き起こった。

 そして、「ここ最近、日本、アメリカ、インドなどのジャーナリストが工場を訪れました。そして、皆、この『工場はすごい』と言っていました。それは、ライフラインは、他のNGOにはないところがあるからです。それは何でしょう?」と尋ねた。

 この質問に関しては、誰も、口を開くことができなかった。内部者にとってはあまりにも日常的なことで、外からの目で気づくことも、気づかないことはよくある。

 私は「ライフラインの従業員は全員で何人?」と尋ね「35人」という答えが来た。そして、「その内、難民は何人ですか?」と尋ねると、「34人」と答えがきた。「つまり、従業員のほぼ全員が難民ですね。そんなNGOは他にあるでしょうか?」と尋ねると、従業員たちは「ありません」とはっきりと答えた。

 「ジャーナリストたちが最も感銘を受けた点は、仕事のほぼすべてを難民自身がやっているということです。一番大きなNGOのCAREは2000人の難民スタッフがいますが、それに対して300人ものケニア人スタッフがいます。難民スタッフの比重の大きさでライフラインに勝てるNGOはありません」

 従業員たちは深く頷いていた。私は、彼らがどれだけこのキャンプにとって特別な存在なのかを知ってもらいたかった。彼らがやろうとしていることは、キャンプにある「支援依存症」からの脱却を図るためにも、他のNGOにとって模範になりえるということを。そして、私の役目は1人でも多くの人に彼らの存在を知らせることなのだ。

初めての合同会議(2)

 グループ討論では、34人の従業員を6つのグループに分け、各グループに一つの質問を振り分け、10分で討論し、発表してもらった。グループ分けは、まずエチオピア人2人はソマリア語ができないため、英語ができるソマリア人従業員3人と一緒にグループにさせた。後は、適当に各従業員に番号を振り分けた。女性と男性を混合にするかどうか迷ったが、とりあえず、初めは混合でやってみて、どうなるか探ることにした。

 番号を振り分けた後、各グループが集まる場所を大きな声で指示しても、なかなか動かない。通訳がうまく伝えきれていないのか、こういった集団行動に慣れていないのか。私が1人1人に「君はそこ」「あなたはあそこ」と指で指示して上げないと動けない従業員が何人もいた。しかも、私が指示を出している間、私語がやむことはない!何度も「人が話している時は、私語は慎んで!」と言っても、全く効果がないのだ。

 討論の質問は全部で四つ。前の晩に友人らと一生懸命考えた、とっておきの質問だった。

① 難民の女性にコンロを配ったが、彼女は私たちのコンロは使おうとせず、従来通りの焚火で料理をしています。彼女に何と忠告しますか?

 二つのグループがこの質問に答えた。発表はシミュレーション方式で、難民女性の役を誰かにやってもらい、彼女に話しかける様に発表してもらった。

一つ目のグループ、「コンロを使えば、使用する量の木々を減らすことができますよ」

二つ目のグループは、「ほら、コンロなしで料理すると、風が吹いて、たくさんの木々を使うでしょう。私たちのコンロを使えば、木の量を10分の1に減らすことができますよ」

 ここで、私は、全員に「どちらの答えが良かったか?」と尋ねた。工場Aの主任ラホが真っ先に手を挙げ、「二つ目が良かった。風の話など、具体的だった」と言った。私は「そうですね。具体的な説明があると、難民の人たちも理解できます。でも、二つ目のグループは、コンロを使うと木の量を10分の1に減らすことができると言いましたが、それは間違いです。本当の数値を知っていますか?」

 この質問には誰も正確に答えることができなかった。皆、7~8割の薪の量を減らすことができると思っていた。私が「コンロが適切に使われた場合、3割の薪の量を減らすことができます」と伝えると、皆、納得いかない様子だった。一体、これまで、従業員たちはどんな教育を受けてきたのか、私の疑問は深まるばかりだった。

 私は、「あなたたちが祖国へ戻った時、自分たちの『コンロ工場』を経営してもらうことが私の夢です。もし、あなたが工場を経営するなら、コンロを誰かに買ってもらわなければなりません。皆さんの中には家畜を飼育していた人が多いですが、家畜も人に買ってもらわなければならない。でも、他にも同じ家畜を売る人がいた場合、あなたはどうやって自分の家畜を買ってもらうようお客を説得しますか?」

 工場Bの主任アデンは「その家畜がどれだけ太っているとか、何歳とか、家畜について良い点を買い手に話します」と言った。

 私は「そうです。コンロも同じことです。もし、あなたたちがコンロを売らなければならないのなら、そのコンロについて知識を持っていなければ、売り込むことはできない。だから、皆さんがコンロについて知ることは大事なことなのです」

 皆、納得してくれているようだった。彼らは今、支援で成り立つ工場で働いているため、コンロについて知識がなくても、彼らの生活が脅かされることはない。私たちNGOがこれまで彼らに教育してこなかったのは、確かに悪いが、しかし、彼ら自身も、自分たちがコンロについて知識がないということは自覚しているはずなのに、それについて何もしようとしなかったことは大きな問題である。

初めての合同会議


 9月29日、ライフラインがダダーブで4年前に活動を開始してから初めてのワークショップが開かれた。工場が二つのキャンプにありながら、これまで、一度も従業員全員が集まって親睦を深めた事がなかったというのが、信じられなかった。

 当初、従業員たちに「ワークショップをやりたいか?」と尋ね、皆、頷いたため、「じゃあ、なんでやりたいのか、このワークショップがライフラインにとってどういう利益をもたらすのか、簡単な企画書を書いてくれ」と主任たちに伝えた。従業員たちは「他の工場の同僚たちと色々なアイデアを共有したい」「昼ごはんは、ラクダの肉が食べたい」などと漠然としたことを言うだけで、具体的にワークショップで何をしたいのかという考えを言うことができなかった。

何日経っても、企画書は提出されず、主任たちは「こういうものは普通、NGO側が用意して、難民たちはそれに出席するのではないでしょうか?」と言うのだ。20年間、難民キャンプで暮らし、NGOにすべて用意してもらうのが当たり前という感覚なのだろう。従業員のほとんどは、ワークショップなど出席したことがないし、「なんで必要なのか?」なんて尋ねられたことはないのかもしれない。

 結局、最初のワークショップは私がすべてリードすることにし、次回から少しずつ、従業員に任せられる部分を見つけていくことにした。ワークショップ開催の目的は三つ。

1. 従業員の結束
2. 二つの工場の成果を発表し合うことで競争意識を高める
3. ライフラインの活動についての知識を深める

 ワークショップは全部で4時間。自己紹介、各工場主任の発表、グループ討論、ドラマ発表、工場長からの訓示、そして昼ごはんで解散。本来なら、午後までやりたいところだが、通常の業務時間外になるし、従業員たちの集中力がそこまで続くとも思えなかった。

 会場は、1歳未満の赤ちゃんがいる従業員が2人いる工場Aにし、工場Aの主任に、椅子を他のNGOからレンタルし、昼ごはんのアレンジを頼み、工場Bの主任には、10キロ離れた工場Aまでの車の手配をお願いした。

 当日朝。工場Bの従業員14人が軽トラックの荷台に詰め込まれてやってきた。妊婦2人は助手席に座っている。

 午前8時半、大きな丸い円になって座った従業員34人の前で、私は「それでは、第一回ワークショップを開催します」と伝えた。まずは自己紹介。単に自分の名前を言うだけではおもしろくないと思い、「何か自分が自慢できることを一つ話してください」と伝えた。

 そしたら、これが意外に難しいらしく、「周りの人から『ジョー』と呼ばれてます」とか、「コンロを作るのが得意です」とか、「工場に時間通りに来るのが得意です」とか仕事関連か的を得ない回答ばかり。料理、スポーツ、家畜の世話など、彼らの日常を知る機会になると思ったし、ちょっとした冗談も出て、場の雰囲気が和むと思ったのだったが、失敗だった。自分に自慢できる部分があるなんて考えたこともないのだとしたら、それはとても悲しいことだ。

 次に、各工場の主任からの発表。これについては2週間前から各主任に、過去3カ月の成果、課題、これからの目標を発表するよう指示しておいた。そしたら、工場Aのラホが「ちょっと昼ごはんのアレンジで出なければいけないので、キモに代役をお願いしました」と言って、退出した。自信がないのか?キモは、紙に書かれた物を読むだけで、質問には応じることができなかった。成果は月200個のコンロを作り、課題は「給料が少ない」。これからの目標は、これまで通りの業務を続けるという簡単な内容だった。

 次に工場B。先日選挙で主任に選ばれたアデンが、毎月600個のコンロを作ったこと、課題として前主任が横領したことなどを堂々と述べた。毎月200個のコンロしか作れなかった工場Aとは歴然の差だった。工場Aの課題は団体に対する要求だったのに対し、工場Bは従業員の規律に関して述べている。

そしたら、工場に戻って来たラホが、突然、「二つの工場は違う!」と甲高い声で話し始め、200個しか作れなかった理由などについて長々と演説した。ラホの競争心むき出しの表情はいつ見ても頼もしい。ライフラインは、2007年に工場Aから活動を出発し、工場Bは2009年になってできた。工場Aは自分たちが「元祖」という自負心があるため、工場Bよりも生産量が低いということに我慢できない。

最後に工場Bのアデンが「給料が少ない!」と大きな声で述べると、会場は拍手に包まれ、これまで生産量で競い合っていた工場同士のライバル心が一気に吹き飛んだ。肉体労働週30時間で月5500シリング(約5500円)では確かに少ないが、他のNGOと歩調を合わせると、どうしてもこうなるのだ。文字の読み書きができない従業員が、他のNGOで同等の収入を得ることは難しい。

最初の自己紹介では静まりかえり、工場主任同士の発表ではいがみ合い、給料の少なさに対する不満で結束した。さて、ワークショップはこれからどうなっていくのか?
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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