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男は火星から女は水星から

 「男はプライドを守ることを大切にし、女は円満な人間関係を維持することにより重きを置く」。1992年に出版され大ベストセラーになった「Men are from Mars, Women are from Venus」(男は火星から、女は水星から)のメッセージ。週末、妻と喧嘩になり、この本が、うまい具合に仲裁してくれた。

 事の発端は、ある共通の友人が私の言動に対して怒ったこと。詳細は割愛するが、その友人は「もう絶交だ!」と携帯メッセージを妻の携帯へ送った。それに対し、私は同じ日に謝罪のメッセージを送ったが、何の返答もなく、あきらめかけていた。

そしたら、5日後、他の友人とそれについて話している時、妻が「もう仲直りしました」と言うのだ。私は驚き、「どういうこと?」と尋ねると、「え?知らないの?彼からEメールが届いていたの」と言う。友人は、妻だけにメールを送っていた。妻は、「てっきり、あなたにも送られていると思っていた」という。

 家に帰って、妻から転送されたメールを見て、さらに驚いた。私が謝罪の携帯メッセージを送った翌日、妻が、個人的にメールで、「私の夫は冗談を言って人を和ますのがうまいのですが、それが人の逆鱗に触れることもありまして」とその友人に謝罪メールを送り、友人はそのメールに「わかりました。今回の事は水に流しましょう」と返信していたのだ。

 私は以下の三つの点でプライドを傷つけられた。

1. その友人が私の携帯メッセージに返信せず、妻のメールには返信したこと。
2. 妻が、私に相談なく、別途、謝罪メールを送ったこと。
3. それに返信が来ていたにもかかわらず、私に妻が報告しなかったこと。

 日本の会社員時代、「どんなに真っ当な提案でも、報告の順番を間違えたら、すべて台無しになる」と先輩から言われたことを思い出した。それは、報告を受けるべき人間の面子(=プライド)を保つためである。

しかも、その友人が女性なら、まだ良かったかもしれないが、男性だったという事実も、さらに私のプライドを傷つけさせた要因だったかもしれない。

 しかし、自分のプライドが傷つけられたと人に告げることは、さらに自分のプライドを傷つけることでもある。私は妻に回りくどい形で、文句を言った。

1. なぜ、メールを送る前に相談してくれなかったのか?
2. 返信が来たのに、なぜ、私に伝えてくれなかったのか?

 妻は、
1. 彼は妻の友人でもあるから、妻が個人的に謝罪メールを送ることに、特に問題があるとは思わなかった。
2. 怒らせた場面に妻も立ち合わせていたため、自分にも責任があると感じた。
3. 返信メールが私にも送られていると思ったため、報告する必要はないと思った。

 という。妻はこの友人の妻と特に仲良しで、彼との関係悪化は、女性同士の関係にも波及すると恐れたのだろう。いずれも、彼女が友人との人間関係を最優先に考えた結果であり、真っ当な答えだ。しかし、「プライド」を最優先に考える私は、「友人からの返信メールが私にも届いていると勝手に結論付けるというのはありえない!」と妻を責め続けた。

 妻は、自分なりに努力した結果なのに、責められることが理解できず、泣き始めた。私も、妻に、「自分のプライドが傷つけられた」と言うことができず、理解してもらえないのが辛かった。

 そこで、私は、この本のメッセージを思い出し、妻に「男はプライドを大事にする。一言、相談があるかないかだけで、その人のプライドを傷つけなくて済む場合が多い。だから、これから、気を付けてくれ」とお願いした。妻は頷いたため、私は、それで喧嘩は解決されたと思い、早く忘れたいから部屋を出た。

 しかし、妻にとってはまだ終わっていなかった。40分後、話しかけても、応じてくれない。まだ泣いている。「どうしたの?」と聞くと、「あなたは自分の言いたいことだけ言って、それで終わり。私の事を理解しようとは全くしてくれない」と言う。

 結果だけ見れば、妻のおかげで、この友人との関係が保たれたのだ。しかし、私はその経緯だけに執着し、妻を責め、一番大事な一言を忘れていた。

「ありがとう」

 妻の涙がようやく止まった。
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テーマ : 結婚生活
ジャンル : 結婚・家庭生活

最大の憤り

 この難民キャンプで働いていて、一番憤りを覚えること。それは、難民に騙されることでも、栄養失調の子供を目のあたりにすることでもない。それは、難民が、他の人と同等に扱われていないと感じることだ。

昨晩、新しいアシスタントとして雇ったモウリドから携帯メッセージが届いた。「私たちの青年グループが提出したビジネス企画書が書類審査を通過して、明日午前8時から、面接になりました。なので、ミーティングは出席できないかもしれません」という。若者の雇用創出支援の一環として、ダダーブ難民キャンプでは、援助団体がいくつかの青年グループに頭金を支払い、小売店、本屋、レストランなどの新しいビジネス展開を後押しするプログラムがある。この面接は年に一度あるかないかの大事なものだ。私は「わかりました。面接が終わったら来てください」と返答した。

 次の日、モウリドから電話が来ない。午前11時ごろ、「書類審査を通過したグループが九つあって、私たちは最後の順番になりました」と言う。モウリドの話では、9グループの代表全員が午前8時に団体の事務所に集合するように言われ、午前9時に面接に関しての説明が始まり、実際の面接が午前10時ごろから始まった。
 
 冷静に考えてほしい。もし、一般企業の入社面接で、9人を個別に面接するとしたら、果たして全員を同じ時間に呼ぶだろうか?一つの面接がどれくらいの時間を要するか吟味し、それに応じて、個別に異なる時間を伝えるのが筋だ。モウリドは午前8時に呼ばれ、結局午後3時まで面接を受けられなかった。計7時間を無駄にしたわけだ。難民だから、他にすることがないとでも思っているのだろうか?それとも、団体がお金を善意で出しているのだから、受益者に文句を言う権利はないとでも?

 援助する側と援助される側の信頼関係なしに、本当の「援助」はできない。食糧や水を配布するだけの「緊急援助」なら信頼関係はそこまで重要ではないかもしれないが、人材育成などの長期的「開発支援」の場合、信頼関係は必須だ。後者は受益者の「自助努力」が大切で、援助する側が信頼できなければ、努力しようとする気にならない。

「難民にお金を渡してはいけない」とよく言われる。実際、難民従業員にお金の管理を任せて、私は痛い目に遭ったし、ライフライン以外にお金の管理を難民に任せる団体はない。しかし、難民キャンプを歩けば、難民の人たちが、どれだけの規模のビジネスを展開しているかが見てわかる。ホテル、レストラン、タクシー、インターネットカフェ、雑貨店、薬屋などなど、お金の管理能力なしにはありえない市場がある。では、なぜ、「難民にお金を渡してはいけない」というイメージがあるのか。

今年、過去60年で最悪の飢饉で月約3万人の難民が押し寄せた時、難民登録作業が追い付かず、登録なしに食糧配給をする緊急体制がとられた。これにより、同じ人が食糧配給を2回以上受け取るケースが計4万件に上った。毎年、数千人の難民がダダーブから欧米諸国へ定住している。ダダーブの国連事務所には毎日のように「こんな病気があります」「ある武装集団から命を狙われています」と相談しに来る難民がいるが、その中には少なからず、欧米諸国へ定住するのが目的で、作り話をしている難民も混ざっている。「難民」=援助団体の善意を最大限利用する存在、というイメージがこういうところからきているのかもしれない。

でも、それは46万人いる難民の一部でしかない。どんな制度にも不備はあり、その不備を利用しようとする人間はどの社会にもいる。生活に困窮した人が多い社会なら、なおさらだ。

人口50万人の都市「A」があるとして、その一部が犯罪を起こしたら、「Aの住民にお金を渡してはいけない」という風にはならない。一般の社会ならあきらかに不自然なことでも、「難民」という枠組みになると、それが不自然なこととして扱われなくなる。

難民キャンプはテロの温床として、難民は犯罪者の予備軍として、一般社会からは決して良い目で見られることはない。そして、私たち、彼らと一番近くにいる援助関係者が、彼らを同等の人間として扱わなければ、一体、誰が彼らの尊厳を守るというのか。

今回のモウリドの件だけじゃない。難民の青年リーダーが、あるNGOからの連絡待ちをしていた時、そのNGOの関係者にそれを伝えたら、「俺たちは彼らに支援してやっているのだから、彼らに文句を言う権利はないだろ」と言っていた。私が、治安悪化によって、工場に行くことができなくなったことを友人に伝える度、「従業員は本当に働いているの?寝ているのじゃないの?」と毎日、からかわれる。

ライフラインの従業員は私以外は全員難民。難民だけでもしっかり工場が稼働できるということを証明できたら、それは他のNGOに「難民だって信頼できるのですよ」というメッセージを送ることができる。私が、これまで従業員と対立を繰り返してきたことが示すように、難民側の自助努力は言うまでもなく必要だが、私たち援助関係者も、しっかり肝に銘じなければならない。難民も同じ人間で、彼らとの信頼関係なしに、長期的支援はありえないということを。

祖国への軍事進攻を支持する人たち

 ケニア軍がソマリア侵攻してから一カ月。ソマリアの急進派イスラム武装組織のメンバーがケニアにも潜伏されているとされ、ケニアに住むソマリア人に対する取り締まりは一気に厳しくなった。ナイロビの大きなソマリア人街「イーストレイ」を歩いた。

 イーストレイは市中心部から東へ数キロ離れた所にあり、市内でも有数の繁華街だ。衣類・バック、金物、電気製品、家具、携帯電話の小売店が立ち並ぶ。ナイロビのソマリア人人口は10万人とも言われ、難民だけでなく、出稼ぎや留学などで来ている人も多い。「バンコク」や「香港」などと名付けられた5階建てショッピングモールがあるのは、商売上手なソマリア人が、中国や東南アジアなどからの輸入品を売っているからだ。ダダーブ難民キャンプにも大きな市場があり、売られている物の多くはイーストレイから取り寄せられている。

 「ケニアの軍事侵攻で、生活のすべてが変わりました」と嘆くのは、専門学校生のフセインさん(25)。10月18日、いつものように乗り合いバスで学校に向かうと、道路脇で検問している警察官に呼び出された。それまでなら、学生証を見せれば問題なかったのに、「滞在許可証はないのか?」と問い詰められた。

 フセインさんは、ダダーブ難民キャンプの住人で、本来ならキャンプから出てはいけない。しかし、フセインさんの様に、キャンプ内の教育や雇用の機会の乏しさから、ナイロビに来て学校に通ったり、親戚のビジネスを手伝う難民は少なくない。ケニア政府も、ソマリア人が行う経済活動からの税収に頼る部分があるからなのか、これまで、彼らの非正規滞在については曖昧にしてきた。

 「テロリストの友人はいないのか?」「ソマリアの武装組織について何か知らないか?」7人の警察官からフセインさんに対する尋問は一時間続いた。「今回は見逃すが、次は逮捕するぞ」と解放された。

 それ以来、フセインさんは、イーストレイのアパートから出ることは滅多になくなった。家庭教師の仕事も、日課だった午後8時のモスクでの礼拝も中断した。学校卒業まで後1年ある。同胞の子供たちに英語を教え、月1万5000シリング(約1万5千円)を稼ぎ、学費と生活費を工面してきた。卒業後はダダーブのNGOで働きたかった。

 賑やかだったイーストレイは、午後6時以降になると、ひっそりと静まり返る。「皆、警察からの取り締まりを恐れて出ることができないのです」とフセインさんは言う。

 しかし、こんな生活を強いられながらも、その原因となったケニア軍のソマリア侵攻については、「全面的に支持します」と言う。「私たちはもう20年も避難生活を続けている。どこにいても自由に動き回ることができない。ソマリアの武装集団が壊滅され、平和が訪れるのなら、何でも支持します」という。2週間前、ソマリア暫定政府の大統領がケニア軍の侵攻を批判したら、ダダーブの住人がそれに対してデモを行った。「暫定政府はケニア軍を支援すべきだ!私たちを祖国へ帰れるようにしろ!」と。

 今年2月、私がダダーブで行った実態調査では、アンケートした1300人の若者のうち、8割がキャンプで一番困ることは、「教育・雇用の機会の乏しさ」か「移動の制限」のいずれかを挙げていた。勉強しても勉強しても、それが生活の質の向上につながらないストレス。ソマリアで住む場所を失い、ダダーブで居場所を失い、そしてナイロビでまた居場所を失いつつあるフセインさん。彼が、落ち着ける場所を見つけることはこれから果たしてあるのだろうか。

どこまでが「自己責任」?

11月5日午前、ダダーブの難民キャンプへの道路沿いで地雷が発見された。幸いけが人はなかった。11月6日、ダダーブから100キロ離れた都市・ガリッサの教会に手榴弾が投げられ、2人が死亡した。高さ2メートルの金網の塀で囲まれた国連敷地内にいることさえ安全と言えなくなった状況で、怖くて眠りに就けない友人まででてきた。ここまで治安が悪くなった中で、支援活動を継続していると、2004年にイラクで人質に取られ、解放後「自己責任」と国内で批判を受けた日本人たちを思い出してしまう。

 当時、大学院生で冒険心に満ち溢れていた私は、日本人はなんて冷たいのだろうと思っていた。でも、今、実際に現場で活動してみると、「人の好奇心や冒険心は批判されるべきでない」なんて単純な感情だけで、あの事件を分析すべきじゃないことがわかる。

 10月13日にスペイン人女性二人が連れ去られた直後、活動を一時停止したり、一部の従業員をナイロビへ退避させるNGOが続出。別のNGOでインターンをしていた大学生の友人(19歳)もナイロビへ一時退避した。友人は「1週間くらいして、治安が大丈夫そうだったら、帰ってきます」と、ダダーブへ戻る気満々だった。

 確かに、一度始めたインターンを途中で辞退するのは無念だろう。私が19歳だったら、おそらく同じことを言っている。しかし、残念ながら、私はもう19歳ではない。友人よりも10年以上の人生経験を積んだ者として、私は三つの点を挙げ、冷静に考えるよう促した。

1. 自分がダダーブにいるか、いないかで、難民の人たちの生活がどれだけ向上するのか?
2. 援助関係者2人が人質に取られて多くの団体が活動自粛を迫られ、もし、また別の援助関係者の身に何か起こった場合、さらに多くの支援活動が停滞し、難民の人たちの生活にどれだけ悪影響が出るか?
3. インターンとして、ダダーブで積む経験は、果たして違う場所で積むことはできないのか?

 結局、友人はダダーブに戻ることはなかった。

 果たして、自分の場合はどうなのか?「3」に関しては、友人同様、ダダーブである必要は特にない。コンロを必要とする人はいくらでも他の所にいる。「2」に関しても同様、私が人質に取られた場合、支援活動には大きな影響が出る。問題は「1」だ。工場で作られるコンロは、料理に使う薪を節約できるというだけで、薬や食料と違い、それがなかったら、難民の人たちの生活が一段と向上するわけではない。

しかし、工場は35人の難民を雇用している。その多くは、文字の読み書きができない、他で就職口を探すのが難しい人たちだ。キャンプで配布される食糧が十分でない以上、難民の人たちは、生活を送るために、何かしらの現金収入を得なくてはならない。しかし、35人のために自分の命を懸けられるか、と問われれば、自分にも家族がいる。
 
問題は国連の敷地内にいることがどれだけ安全なのか。でも、それは、はっきりした答えはない。今回の人質事件を受け、日本政府は、ダダーブ難民キャンプの治安の警戒レベルを一段階引き上げたが、まだ「避難勧告」まではいっていない。国連職員も何人かは休暇や出張で、自発的にダダーブから一時離れるようになった。

 私は本部にメールを出した。「ダダーブの国連敷地にいることが安全でなくなり、私たちの活動が、ほとんど難民たちだけでできていることを考えたら、私がダダーブに今常駐する必要はないのではないでしょうか?ナイロビに拠点を一時動かし、出張ベースでダダーブに月2~3回訪れ、活動を視察するという風にはできないでしょうか?」

 活動をすべて一時停止することもできる。でも、それは、従業員たちの収入源を取り上げてしまうことだ。これまで色々な問題が起き、彼らだけで工場を稼働させるのは不安があるが、こういう時だからこそ、逆にライフラインの強みを発揮できる時だ。今回の治安悪化を受けて、新しくアシスタントとして雇ったモウリドは、まだ2週間しか経っていないが、ものすごい速さで仕事を覚えていっている。彼らならできる。

 本部は「了解」とすぐ返事をくれた。とにかく、これ以上、治安が悪くならないことを祈るばかりだ。いや、逆に、もしモウリドが暫定工場長としての手腕を発揮して、本当に難民だけでこのNGOの活動が継続できたら、それはそれで画期的である。本部から「君の人件費は無駄だった」なんて言われたらどうしよう、、、。
 

人質に取られた場合の対処法

ダダーブの治安悪化を受け、国連はNGO職員対象に「武装集団に人質に取られた場合、どうするか?」と題した3時間の研修を催した。アフガニスタンやソマリア国内で活動してきた国連の専門家が講師。

やってはいけないこと

1. 逃げる
2. 抵抗する
3. 感情的になる
4. 家族の電話番号を教える
5. 泣く
6. 脅迫する
7. 宗教や政治について話す

 一番大事なことは、犯人と信頼関係を作ること。初めから人質を殺そうと思って犯行に及ぶ人は滅多にいない。自分も同じ人間だということをわかってもらえたら、無事に生還できる可能性が高くなるという。1,2,3、6は明らかに、関係を結ぶ上で障害になる。7は、犯人が特定の宗教観、政治観を持った場合、障害になりうる。5は、少し以外だったが、特に男性の場合、「泣く」という行為は見下される場合が多いという。4は、信頼関係とは少し違うが、人質解放の交渉が別のルートで行われている中で、犯人が家族と直接連絡を取り合えば、さらなる混乱を招くだけだという。

では、やるべきこと。

1. 楽観的でいる
2. 1日のスケジュールを決め、忠実に守る
3. 犯人と共通の興味・関心を探す
4. 犯人たちの上下関係を探る

 2は、時計などはすべて取り上げられ、時間感覚がなくなると、精神的に不安定になりやすいためだという。4は、誰が司令塔か知ることで、何か交渉する時(本やペンなどの使用許可)、話を通す人を間違わないようにするためだという。3は信頼関係のため。1は、あまりにも理想的に聞こえるかもしれないが、講師は二つの興味深い例題を挙げ、楽観的でいることが可能であると言った。

 まず、ストックホルム症候群。1970年代、スウェーデンの首都、ストックホルムの銀行に武装集団が押し入り、従業員や客を7日間、人質に取った。その間、武装集団たちの境遇に、人質たちが同情し、解放後、犯人たちの情状酌量を求めたという。しかも、その後、犯人の1人が人質の1人と結婚したというのだから、もう笑い話だ。

 そして、リマ症候群。これは日本では有名な、1996年のペルー大使館占拠事件が由来。この時は、人質になった日本人たちが、犯人たちに出前の日本料理などを振る舞い、一緒にゲームをするなどして信頼関係を作り、逆に犯人たちが、自分たちの犯した罪と向きあうようになったという。

 講師は「とにかく生き残ることが第一。映画のヒロインみたいに抵抗したり、逃げたりしたらだめですよ」と言う。とても、有意義な研修だったが、ここで得た知識が、あまり役に立ってほしくないな。

非組織人を「組織人」にするには

私は、新聞社、国連と、これまで大きな組織で働いてきたが、生まれつき自分勝手な性格で、なかなか組織の一部になりきることができなかった。(というか、一部になりたくなかった)私と従業員の間に、何か共通点があるとしたら、この「組織の一部になりきれない」という部分に尽きる。しかも彼らは私のレベルのはるか上をいっている。

 私の場合、平日午後10時に10年上の先輩が一生懸命仕事している時、ソファーで横になるとか、大きなイベント準備で皆が忙しくしている時、先輩に相談せず、勝手にイベントとは関係のない仕事のアポを取るとかのレベルだった。

 私の従業員たちは、もっとすごい。

 10月初旬、「レンガの運搬を手伝ってくれ」と従業員の1人にお願いしたら、「マヤ!(ソマリア語でNO)」と言われた。「レンガ作りに忙しいから」というのが理由。
 同じ時期、3人の男性従業員が仕事を3日間、ボイコットした。後で理由を聞くと、「俺たちは仕事を頑張っているのに、誰も認めてくれない」という言い分だった。
 コンロがしっかり使われているかどうかの調査を任されて、帰って来た従業員が「今日はもう疲れた」と言って、まだ就業時間中なのに、何もしないで休んでいた。「時間はまだあるからコンロ作りをして」と頼んでも、「俺の今日の仕事は調査をすることです」と主張してきた。
 就業時間は午後1時までなのに、正午には着がえをして休んでいる。

 元犯罪者が、どうすれば犯罪を防止できるかアドバイスできるのと同じように、非組織人の私が、他の非組織人である従業員を、どうすれば「組織人」にできるか、良く分かっているつもりだ。
 就業規則を作り、それにサインさせ、罰則規定を確立する。抵抗はあるだろうが、工場が組織として成り立たなくてはならない以上、少しの痛みは伴わなくてはならない。

私は他のNGOの人事担当を訪れ、どんな就業規則を使っているのか教えてもらい、参考にした。それをもとに、就業時間、休暇、賃金、そして「上司の指示に従う」「就業時間内、10分休憩は取っても良いが、それ以外の時間は仕事をする」など約20の規則を作り、「契約書」を作った。

しかし、従業員の8割は文字の読み書きができない。そこで、私はまず、新しいアシスタントのモウリドに英語をソマリア語に訳してもらい、そのコピーを人数分印刷した。そして、従業員全員を集め、3時間かけて、契約書に書かれていることを口頭で説明した。そして、「ソマリア語で書かれたものを、文字の読み書きができる親戚や友人に見せ、何度も読んでもらい、頭の中に記憶してください」と頼んだ。

ミーティングでは予想通り、「就業時間の徹底」と「上司の指示に従う」という部分で、従業員たちとやり合った。

私が、「就業時間は午前8時から午後1時までの5時間です。主任は、従業員全員がこの時間内ずっと働けるよう、仕事をしっかり振り分けてください。もし、午後12時半に私かモウリドが工場を訪れ、皆が仕事をしていなかった場合、指示を出さなかった主任か、指示に従わなかった従業員に、注意文書を出します」と伝えた。

そしたら、「私たちは、午前8時に来て、一生懸命働き、正午には疲れきってしまうほど、全力を尽くしているのです。私たちの仕事は肉体労働です。とてもキツイ労働だということをわかってほしい」とリーダー格のバーレが言った。

私は、「肉体労働の仕事はいくらでもあるけど、そのほとんどは1日8時間とかしている。1日5時間なんて工場はあまりないのではないか?」

そしたら、「そういう工場はもっと給料が高いですよ」と返してきた。

私は、なんて、説得すべきかわからなくなった。1日5時間という労働時間が『キツイ』というのは、ちょっとありえない。が、「ありえない」と言って、彼らが納得するだろうか。何と比較して説得すればいいのか。うーん。

私は「とにかく、この難民キャンプには、たくさん仕事がなくて困っている人がいます。1日5時間の肉体労働をしても構わないという人がいるわけですから、皆さんにも頑張ってもらいたい」と伝えた。

次に、上司の指示に従うという部分。私は、主任から出されるすべての指示が、真っ当なものという確信がなかったため、「真っ当な指示に関しては、すべて従う」という文面にした。ここで、問題なのは「真っ当な指示」の解釈である。

「どんな、指示は『真っ当』ではないでしょうか?」と尋ねると、「就業時間以外に仕事を振り分ける」と真っ先に返答が来た。

私は「そうですね。それでは、就業時間内に、『レンガの運搬を手伝ってくれ』という指示は真っ当でしょうか?」と尋ねると、「時と場合によります」という、予想通りの返答が来た。彼は「もし、その人が、自分の仕事で忙しかった場合、手伝うのは無理です」と言った。

私は「ここははっきりさせてもらいます。従業員が自分の仕事に『忙しい』か『忙しくない』か、という状態は、主任が判断します。主任の判断によって、レンガを作る人が少なくなり、結果、その日の生産が少なくなっても、それは構いません。どの仕事が優先されるべきか、主任が判断した結果だからです。しかし、もし1従業員が、どの仕事が優先されるか決め始めたら、指示がバラバラになり、組織が組織として成り立たなくなります。つまり、この指示は「真っ当」であり、従わなかった場合は、即、注意文書を渡します。」

従業員たちは黙って私を見ていた。ほとんどが遊牧民かその子供たちだ。「組織」という概念自体、新しいのかもしれない。

仕事を3日間ボイコットした3人には、規則通り、10月分の給料から1割引かせてもらった。彼らは私に何度も「今回だけは見逃してください」と請願してきた。給料を渡したその日の夜、長ーい携帯メッセージが来た。誰かに英語で書いてもらったのだろう。「私は親がいない。頼れる人もいない。だから、今回だけは、どうかお願いします」。

胸が痛かったが、私は心を鬼にした。7月に停職処分を出した2人は、今は見違えるほど一生懸命働いてくれている。今回、しっかり罰則を与えることは、彼らにとっても良いことなのだと、私は自分に言い聞かせた。これが、彼の「組織人」への第一歩になってくれればいいのだが。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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