スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

憎しみの連鎖

「ダダーブが大変な事になっています」とモウリドから報告をメールで受けたのは、12月22日。私は、休暇で妻の実家の韓国にいた。キャンプの市場などで2日続けて地雷が爆発し、警察官1人が死亡、数人がケガをした。これで、1カ月半で地雷の爆発は計6件、犠牲者は警察官4人に。しかも、これまでの爆発は新しく開かれたキャンプやキャンプ外の道路上など、一般の難民が通るところではなかったが、今回爆発したのは、キャンプの市場や食料配給地の近くで、人が賑わうところだった。私たちの工場からも500メートルほどしか離れておらず、勤務時間中の出来事で、モウリドは「従業員たちも地雷の音を聞き、遠くから煙が立ち込めるのを見て、パニック状態に陥っていました」と報告した。パトカーがひっくり返された写真と、地雷で深さ1メートル以上の穴が開いた写真が送られてきて、私は背筋が凍った。

 モウリドが言う「大変な事」は、これで終わらない。爆発の次の日から、ケニア警察による難民たちへの取り締まりが一気に強化された。「テロリストをかくまっているのは誰だ!」と、同僚4人を殺された警察官たちが、難民の家や市場の店、一軒一軒を回り、お金などを取り上げ、建物を壊し、難民に暴行を加え、「犯人はどこだ?」と尋問を始めたのだ。

 けが人の数や被害額などの真相は全くわからない。それでも、警察官がモウリドの家にも来たこと。モウリドはライフラインの運営資金を持って必死に逃げたこと。難民キャンプの外に逃げ出す難民までいたこと。モウリドが送って来た写真に、背中に棒か何かで殴られた痕がある男性がいたこと。モウリドが、従業員の安全が保障できないため、工場を3日間閉鎖すべきだと提案してきたこと。そして、モウリド自身が、キャンプの外のホテルへ一時避難したことなどを考えれば、警察の取り締まり、いや人権侵害は、相当の範囲で行われたことが伺える。

 国連やNGOも一時活動を自粛。国連から「特に外国人スタッフは、ダダーブの国連の敷地外からは滅多なことがない限り出ないよう」という要請も来た。モウリドの要請を受け、ライフラインは、クリスマス休暇含め6日間、工場を閉鎖した。これにより、支援を必要とする難民への支援が再び滞る。そして、人の安全を守るはずの警察が、難民にとって、最大の脅威となってしまったことは、これからのキャンプの運営に、大きな影響を及ぼすことは必至だ。

 モウリドは「地雷の爆発を間近で経験し、警察からの脅威にさらされ、精神的に参りました。私たちは戦争や飢饉から逃れ、ケニアに安全を求めてやって来た。そして、その安全を守るはずの警察が信用できないのだとしたら、私たちのことを誰が守ってくれるのか?」と嘆いた。

 就職することはもちろん、十分な水や食料を得ることさえ難しい難民キャンプで、必死に築いてきた生活基盤が「テロとの戦い」の大義名分のもと、一瞬にして壊されるのだとしたら、そこに残るのは憎しみの連鎖でしかない。一体、私たちは何と本当に戦っているのか、何と戦うべきなのか、わからなくなる。
スポンサーサイト

ソマリア飢饉緊急報告会ーダダーブ難民キャンプからー

私の初の講演会のお知らせです。


ソマリア飢饉・緊急報告会
ケニアのダダーブ難民キャンプから


過去60年で最悪の干ばつに襲われ、飢饉に苦しむソマリア。20年間無政府状態が続き、十分な支援を受けられず、2011年だけで、約15万人のソマリア人がケニアのダダーブ難民キャンプに逃れてきました。現在も約25万人が栄養失調に苦しみ、紛争の激化で、支援がさらに滞る恐れが出ています。ダダーブは人口46万人を抱え、世界最大規模。そこで2010年3月から働く、黒岩揺光さんをお招きし、現地報告会を企画しました。

発表者プロフィール:黒岩揺光(クロイワ・ヨウコウ)
       元毎日新聞記者。2010年3月からダダーブ難民キャンプの国連事務所で勤務し、2011年5月から、同キャンプの米国NGO、International Lifeline Fundのプログラム・マネジャー。難民が料理する時に使う「かまど」を製造する工場をキャンプで運営。従業員はすべて難民。

日時:2012年1月7日(土)13時30分開場 14時開演 ~16時半まで(予定)

場所:東京大学駒場キャンパス
   駒場コミュニケーションプラザ北館2階多目的教室4
事前予約:不要です。
質問などございましたら、takashi.shibuya@aiesec.net までお問い合わせください。

参加費:無料
主催者の紹介:AIESEC東京大学委員会
AIESEC(アイセック)団体概要
アイセック・ジャパンとは110の国と地域で活動する世界最大級の学生組織AIESECの日本支部として、海外インターンシップ事業を運営する学生団体です。国内24大学にある委員会が活動主体となっています。
公式ホームページ: http://www.aiesec.jp/

2011年打ち上げワークショップ

12月15日は、今年の締めくくりとして、合同ワークショップを開き、その後、特別にヤギ一匹(約7000円)を市場から購入して、ご馳走を従業員にもてなした。
 ワークショップは、まず工場Aの従業員たちによる劇・歌で幕を開けた。「ライフライン」が障害者も差別することなく、雇用したり、コンロを配ったりする様子を劇で演じ、皆拍手で盛り上がった。前回の劇より、従業員たちが楽しそうに演じているのが、何より印象的だった。
 そしたら、工場Bの従業員たちは「劇をするなんて、指示されていません!」と不満を漏らしてきた。私は、「工場Aは、私に言われて劇をしているのではない。自分たちで決めて、練習してきたのです。私は、この定期ワークショップはあなたたちのためにあるもので、あなたたちに何をするか決めてほしかった」と伝えた。今回は私が司会を務めたが、次回からは、従業員の中に実行委を作り、司会・進行をすべて任せられるようにしたかった。
 
 次に、9~12月の間で入って来た新しい従業員5人が挨拶。そして、私が「ハナムから皆さんにうれしいニュースがあります」と促し、ハナム(30歳、女性)が「11月に新しい子供が生まれました。『ヨーコー』と名付けました」と話した。

「他に、うれしいニュースがある方?」と参加者に尋ねると、右足に障害を持ち、11月から工場Aの従業員になったアフメッド(35歳・男性)が「私はこの難民キャンプに来て7年になります。ずっと職を探してきましたが、足の障害があって難しかった。11月にここに就職して、先月末、初めて給料もらって、とても嬉しかった」と大きな声で発表し、会場は拍手喝さいに包まれた。

アフメッドは、私が障害者支援のNGOに「手さえ使えればできる仕事はあるので、足に障害を持った方を雇用させてください」とお願いして、送られてきたのだ。毎日、汗だくになりながら、レンガの運搬作業にいそしんでいる。

 次は各工場の主任からの活動報告。

 9~11月の成果。

1. ライフラインのTシャツが配られた
2. ライフラインの看板ができた
3. 各従業員に就業に関する契約書が配られ、サインした
4. コンロの質が上がった

 課題。

1. 環境やコンロに関して従業員の研修がもっと必要
2. レンガが足りない

これからの目標

1. 新しい工場を三つめのキャンプに作る

私は、「ありがとうございました。一つ質問ですが、成果に挙げられた4点は、誰がやった成果ですか?」従業員たちは「工場長です」と答えた。

「そうですね。課題に関しても、目標に関しても、すべて私が関わることで、従業員の皆さんがどうこうできる問題ではありません。私は、できたら、皆さんが出した成果を聞きたい。皆さんの中にある課題、そして皆さんで達成可能な目標について考えてほしい」

と、伝えると、1人の女性従業員が「私たちは工場長の言う通りにやってきました。それ以上、何を望むと言うのです?」と尋ねて来た。確かに、私が工場長になって半年、就業規則を作り、罰則を厳格にし、従業員たちは目標生産数達成のため、努力してきた。それでも、工場長に指示された以外の部分で、従業員の主体性で挙げた成果もあるはずだ。

その女性が「どんな例があるのか、教えてほしい」と言ってきたので、私は「どうですか、皆さん。皆さんで達成可能な目標や成果はどんなものがあるでしょう?」と尋ねた。

工場Bの副主任のアブデュラヒが「来年は、ニーズ調査のやり方を変えたい。どの住居地区に行けば、最もコンロを必要としている人にコンロを配ることができるのか、新しいシステムを作りたい」と言った。

私は、「こういうのが従業員だけで達成できる目標の良い例ですね」と伝えた。

難民キャンプで20年過ごすというのは、過保護の両親の下で20年暮らすようなものだ。住居、食べ物、医療、教育、すべて無料で提供されてきた。私も7人兄弟の末っ子で、とにかく甘やかされた。泣けば、机やゲームを買ってもらえたし、行きたいレストランに連れて行ってもらえた。そんな甘えん坊に育てられたため、自分の性格に嫌な部分があれば、それはすべて親のせいにする子供だった。

キャンプの難民も同じようなところがある。昨年、国連で働いていた時、難民の若者のイベント実地後、若者たちに課題を尋ねると、「NGOの人たちの支援が足りなかった」「NGOの人たちが時間通りに来てくれなかった」などなど、すべて支援団体を非難するもので、自分自身の中にある課題について語ることはできなかった。(『若者』と言っても、ほとんどが25~30歳くらいの成人である)

私の従業員も同じだ。すべて、ライフラインという団体がやってくれるものだと思い込んでいる。自分たちでできることについて考えた事がない。

 自分たちの課題が見えなければ、成長することは難しい。そして、いつの日か、難民キャンプが閉鎖された時、一体、彼らは誰を非難することができるのだろう。次のワークショップは来年3月。次は従業員のアイデアがどれだけ出てくるのか、楽しみだ。

法の上に皆平等なり

 ダカネとラホの対立をうけ、12月8日、工場Aで全体ミーティングを開いた。

 まず、私は、ダカネとラホにそれぞれの立場を話してもらった。

 ダカネは、ラホによって、日雇い作業の機会が奪われ、ラホの妹が優遇されたことと、自分ばかりが大変な作業を割り当てられることへの不満を話した。ラホは、ダカネに作業をお願いしたら無視され、他のスタッフを仲介して、それについて何度ダカネに尋ねても、返答をもらえなかったこと。日雇い作業の割り当てについては、同じ人が繰り返し割り当てられないよう、配慮した結果だったという。

 私は、ラホに、「同じ人が繰り返し割り当てられないようにしたということは、毎回、誰が選ばれたのか、記録は取っていたのですか?」と尋ねた。「名前は記録していません」と言う返答だった。

 私は、「ダカネが挙げている二つの問題は、大事な共通点がありますが、何かわかりますか?」と全員に尋ねた。

 男性従業員が「お互いの誤解から生じているという点です」と答えた。

 私は「誤解もあると思いますが、この問題に共通しているのは、『従業員が平等に扱われていない可能性がある』ことをほのめかしているということです。二つの問題について、どうしたら解決できるでしょうか?」と尋ねた。

 別の従業員は「工場長が出した提案を私たちは受け入れます」といつもの答えが返って来た。私は、いつも通り、「これはあなたたちの問題です。いつも言っていますが、私は、あなたたちの問題は、できる限り、あなたたち自身で解決してもらえるようになってほしい」と伝えた。

 話し好きのダヒールが「ここにいる従業員1人1人に、ラホの指導に満足しているかどうか尋ね、総合的評価を下すのはどうでしょう?」と提案してきた。

 私は、思わず、「それは、とても危険な提案です」と、少しきつい言い方で返した。(おそらく、モウリドが柔らかい言い方のソマリア語に訳してくれたのだろうが)「人の言動を、主観的感情で判断するのは、最善のやり方ではありません。感情というのは、『この人はソマリア人だから好きだけど、あの人はエチオピア人だから嫌い』という風に、とても曖昧で、流動的で、非論理的なものです。勿論、主観的判断に頼らなければならない時は多々ありますが、客観的事実に基づいた解決策があるのなら、それを探るべきだと思います」と説明した。

 従業員の中に1人でも不満を抱いている者がいるなら、その不満に工場全体で向きあってこそ、組織は成り立つのだと思う。彼の提案だと、少数派の思いが踏みにじられる可能性がある。様々な国籍や部族出身の従業員が入り混じる工場において、それはとても危険をはらむ。

 そしたら、ドゥボウが「皆が嫌がる仕事については当番表を作るのはどうでしょうか?」と提案し、私は「それです!」と思わず声のトーンを挙げてしまった。

 「レンガを焼く作業も、日雇い労働の割り当ても、1人1人がわかるように、誰がいつやるのか紙に書かれていれば、今回の様な問題は起きなかったと思います。主任のラホが、当番表を作っていればよかったのでしょうが、これはラホだけの問題ではなく、従業員1人1人がいつでも提案できたことです。皆で、どうすればスムーズに工場運営ができるのか考えていきましょう」と伝えた。

 その後、ダカネと他の従業員との誹謗中傷合戦が始まった。ダカネが、「ラホの使い手4人が、私に電話をして説得してきた」と他の従業員に伝えた事で、名指しされた4人が、「そんな電話はしていない!」と怒り、「やった」「やってない」の言い合いになった。ラホも「ダカネのしている事は、私たちを部族の違いで分断しようとしている。非難されるべきです!」と感情的になっていった。

しまいには、「今まで言わなかったけど、私は昔、ダカネに『XXXX』と中傷された」という者まででてきて、収拾不可能な議論に発展していったため、私は、「もう時間も経っているし、ミーティングは切り上げましょう。昔の話まで出し始めると、きりがありません。ダカネは確かに、作業を断る理由をしっかりラホに伝えるべきでした。でも、今回の問題はダカネ1人の問題じゃないと思っています。
私は半年前にこの工場に来た時から、この工場にはとても近い親戚数人が働いていることを知っていました。でも、それ自体は問題だとは思っていません。皆一生懸命仕事をしてくれれば、それで私は満足です。ただ、20人の従業員の中に、主任と近い親戚が数人交じっているのなら、従業員1人1人が不平等に感じないよう最善の配慮がされるべきです。当番表を作るのも、日雇い労働を誰が割り当てられたのか記録するのも、1人1人が平等に扱われることを保障するためです。
9月に就業規則を作りましたが、そこには「主任からの真っ当な指示には従う」という項目があります。今回は、ダカネは指示が「真っ当」と思えなかった。これからは、指示が「真っ当」なものであるよう、1人1人が最善の努力をしましょう」とまとめた。

 会議は11時に始めたが、もう午後1時を過ぎていた。私は、「それでは、会議を終わらせましょう」と伝えたら、ラホが「最後に一つだけ」と言ってきた。「こうやって終わらすのは良くない。お互いの手を取って許しあって終わりにしましょう」と皆に呼び掛けた。皆に促されるように、ダカネが渋々と立ち上がり、ラホの前に行き、手を握った。ラホは、ダカネの頭を笑顔で撫でた。ダカネの表情が初めて緩んだ。私も皆に交じって、1人1人と握手をした。

 さっきまで怒鳴り合っていた従業員たちが、いつのまにか笑い合っていた。2日前まで「もうダカネとは働けない」と言っていたラホが、こういった形でダカネに歩み寄りを見せたのには感動した。自分だったらネチネチと怨み続け、そんなにあっさりいかないだろうけど、彼らは違う。切り返しが早い。屈託のないあの笑顔に、私は、とても惹きつけられるし、自分自身が何か救われた気分になる。また、彼らに感謝する事が一つ増えた。
 

 

従業員の生い立ち ~ カトラ ~

 今年の干ばつでダダーブ難民キャンプの人口は30万人から45万人へ急増した。新しく入って来た難民の多くは学校で学んだことがない女性や子供で、キャンプで仕事に就ける者は少ない。ライフラインは、その中から2人の未亡人女性を工場に従業員として招き入れた。

 その内の1人、カトラ(仮名、20代後半)はソマリア南部のハガールで生まれた。父親は4人の妻がいて、兄弟が15人いた。ヤギや牛を飼う遊牧民の家庭で、7歳から家畜の放牧を任された。近くに通える学校などはなかった。

近所の子供たち5~6人で、100匹以上のヤギを連れて、赤道直下の砂漠を一日中歩いた。水たまりを見つけるまで歩かなければならず、「雨が降らない時は12時間ほど歩きまわらなければならず、午後には喉が渇いて大変だった」と振り返る。ヤギが一匹でも逃げるようなことがあれば、父親から棒で叩かれ、夜通し探し回らなければならなかった。雨が溜まった池で友人たちとよく泳いで遊んだが、友達の1人が溺れて亡くなってから、遊ぶのを辞めた。

 1991年、カトラが10歳の時、ソマリアで内戦が勃発した。間もなく、離れて暮らす伯父の訃報が届いた。銃撃戦に巻き込まれ、流れ弾が命中したという。実の兄を亡くした母親は一日中泣き続け、情緒不安定に陥った。次の日から、視線に入る男性すべてに「お前が兄を殺した」と殴りかかるようになり、生後間もない妹を背中に抱えたカトラさえ、棒で叩かれた。父親が、母親の見張り役となり、カトラや子供たちが家畜の世話をした。

 当時妊娠していた母親は、無事出産はしたものの、母乳をすることができなかった。そして間もなく、食べ物を拒むようになり、栄養失調で亡くなった。40歳だった。

 長女のカトラは11歳で母親の代わりとして家事を担った。15歳の時、村が武装集団に襲われ、家畜を連れて森の中へ逃げた。一ヶ月間、避難生活をした後、村に戻った。

 16歳でお見合い結婚。父親から紹介された親戚の男の子だった。3人の子供を授かり、昨年、夫が病気で急死。干ばつが襲いかかり、家畜がバタバタと亡くなっていった。

 生活の糧を失い、2~8歳の子供3人と父親と、夫の家族からお金を借り、今年7月、ダダーブへバスで向かった。

 9月、私が、新しい難民が住む地域を歩いた時、その地区の女性リーダーに「夫を亡くした女性を、私の工場で雇いたい」と伝えたら、連れてこられたのが、カトラだった。

 「学校すら行っていない私が、仕事に就けるなんて思ってもいなかった。父も喜んでいます」と言う。今は、親戚に頼んで、毎晩、文字の読み書きを学んでいる。「難民キャンプの存在をもっと早く知っていたら、良かった。本当は学校に行きたかった。将来は先生になりたい。失う物ばかりだったけど、これからは得る物もあるかもしれない」と希望を胸に託した。

パンドラの箱を開ける日 後編


 私とモウリド、ダカネの3人になり、お互い顔を近づけ会わせ、声のトーンを下げて話し始めた。

 私は「今回の事を話してくれてありがとう。こういう閉鎖的なコミュニティーでで、こういう事を外部の私に言うということは、とても難しいことです。でも、こういう問題点を指摘してくれる人がいるから、組織は強くなっていく。今回も、あなたのおかげで、これからしっかり当番表を作り、任務の割り当てに不公平が出ないよう心がけるようにします。
あなたの話を聞いていると、他にも色々な不満があるように聞こえました。この機会に、私に話してくれませんか?」と尋ねた。

ダカネは何の躊躇もなく、話し始めた。

「この工場は、ラホの支持者とそうでない人に分かれています。私を含め、8人の従業員は後者で、これまで不平等に扱われてきました。例えば、支持者の人が無断欠勤しても、出勤扱いにされ、私たちが5分でも遅刻すれば、欠勤扱いにされました。
 
 3年前、ここで働いていた従業員が結婚休暇で数日いなくなり、ラホは親戚を1人連れてきて、その従業員を解雇し、親戚を代わりに雇用しました。
 ラホは、仕事をさぼることが多かった。自分の使い手にレポート作成をやらせてね。

 今回の事だって、ラホは、誰が当番なのかもわからず、私に辛い仕事をやらせようとしただけです」

主任による特定集団への優遇措置。これが本当の事だとしたら、とんでもない話だ。ダカネは一つ付け加えた。「あなたが工場長になったから、こういう問題が明るみに出るようになりました。これまでは、工場長が工場に来る回数が少なかったし、主任以外の従業員と話すことはありませんでしたから」

 私は、ラホを呼んだ。

 「ダカネの言っている事についてどう思う?」と尋ねたら、「ああやって私についてデマを言うのは納得できない。彼とはもう仕事はできない!」と感情の高ぶりを抑えられない様子だ。

私は、率直に彼女に私が抱いている違和感を伝えた。

「10月初旬、私が、レンガを焼く作業を何人かにお願いしたら断られた。その時点で、この作業が最も辛いもので、誰も率先してやりたがらないものだということがわかった。だから、私はあなたに、任務を平等に分けるように伝えた。しかし、11月の週予定表には、ダカネが毎回レンガを焼く作業に充てられていた。私が主任だったら、特定の人間に、最も辛い作業を毎回与えることはしない」

ラホは、またしても、何度か的外れな返答をした後、「私は、彼がこの作業を誰よりも巧くやるという自信があったから割り当てました。これはポジティブに考えるべきことです」と言う。

 私は「自分が良かれと思ってやったことが相手に対してはそうでないことはよくある。その場合どうするべきかわかりますか?」

 ラホは、「彼に仕事を割り当てる前に、尋ねるべきでした。でも、彼がやりたくないということは知らなかった」

 私は「それはおかしいですね。10月初旬の時点で、私がレンガを焼く作業を皆にお願いした時、誰も率先してやる人はいなかった。つまり、あの時点で、ダカネが率先してこの作業をやると予測するのはおかしいのではないですか?」

ラホは、黙っていた。彼女の論理は常に破たんしていた。いや、彼女は論理など考える必要がなかった。独裁者に論理はいらない。

ミーティングを終え、私はモウリドに尋ねた。「どう思う?」

モウリドは、「これは『革命』ですよ。でも、今、ラホを代えるのは難しい。ダカネが告げ口したことがあまりにも明白で、ラホの部族が、ダカネを襲うこともあり得ます。来年の4月、ラホの契約が切れる時が一番自然なタイミングかもしれません」

 しかし、これから、ダカネが工場で肩身狭い思いを強いられないだろうか?ラホは、どんな手を使っても、ダカネを追い出そうとするだろう。そうなれば、工場内の亀裂は取り返しのつかないものになりかねない。

 パンドラの箱を開けてしまった。開けることができたことを誇りに思う反面、開けなければ、解決しなくて良かった問題が、あふれ出てきたことに、少し戸惑いもある。工場は、また、新たな局面に入った。

パンドラの箱が開かれる日 (前篇)

 ソマリアは部族社会だが、普段の仕事上の会話でそれを悟るのは難しい。日本の非差別部落に似たもので、部族について語るのは「タブー」とされている。12月5日、その「タブー」に少し触れることになった。

以前にも書いたが、私が工場長になる以前、新しい従業員の雇用は、主任のラホに任されてきた。それによって、彼女の妹、親戚ら、ラホの部族の人たちが次々に雇用され、ラホの独裁政権が築かれていた。工場Bと違って、従業員内の対立がない代わりに、従業員の慣れ合い感がすさまじく、偽りの報告書記載や無断遅刻・欠勤などが横行していた。主任が従業員の既得権益を守ろうとするため、工場長にとっては新しいポリシーが実行しづらい状態だった。

 12月5日、モウリドが「ラホとダカネが対立して、私1人じゃ解決できないレベルです」と報告してきた。これまでラホに楯突く人間はほぼ皆無だったため、私は驚きを隠せず、事情を聞くために工場へ向かった。

 従業員たちは通常通り仕事に励んでおり、ダカネ(43歳)も黄色いTシャツに帽子をかぶって、握手を求めて来た。「個別に事情を聞く方がいいのか、一緒に聞いた方がいい?」と尋ねたら、ダカネは、「どちらでも」と答えたので、モウリドとラホとダカネの4人で別室に行った。

 まず、ラホから話を聞いた。

「11月29日に、レンガを焼く作業をダカネにお願いしたら、『できない』と断られた。できない理由を聞いても、答えがなかった。その後、他の従業員がダカネに聞いても、答えがなく、ダカネは私に『このままだと、大変な事になるぞ』と言ってきた」

要するに、ダカネがラホの命令に逆らったということだ。ただ、ダカネの最後のセリフが気になる。まるで、ラホの弱みを握ってるかのようなセリフ。次に、ダカネの言い分。

「11月17日に、私はレンガを焼く作業をしたから、11月29日は、私の番じゃなかった。しかも、同じ日、レンガをトラックに積み上げる日雇い労働があり、私が(賃金を稼ぐために)やりたかったのに、ラホは、自分の実の妹である、ミンシャにこの仕事を与えた。最後に、この対立について、私が工場長に告げ口しようとしたら、ラホの使い手の4人が私に電話をし、口止めを図った」

 コンロの骨格となるレンガをオーブンで焼く作業は最も辛い仕事だ。私が工場長になる以前は、週に1度か2度焼くだけだった。しかし、そのペースでは、工場Bに十分なレンガを輸送することができず、頭を悩ませていた。それで9月下旬、「もう少し、焼く頻度を上げられないか?」と尋ねても、「焼いた後はレンガが熱く、1日以上、放置しなければならないのです」と従業員が言う。試しに、レンガが焼かれた翌日に触ってみたら、全く熱くなく、「ぽかぽか暖かい」という表現が適切だった。つまり、従業員は、『熱い』というのを言い訳に、仕事を楽にしようとしていたのだ。私は「全く熱くない!これからは週に最低3回は焼いてください!」と指示を出した。これも、従業員同士の慣れ合いが引き起こす非効率な工場運営の例である

 誰もこの仕事を率先してやりたくないため、10月初旬、私はラホに「当番制にして、各従業員が平等に作業を担うようにして」とお願いした。

 そこで、2人の対立する争点の一つ「11月29日はダカネの順番か?」という点。報告書を見ると、11月17日、21日、24日、27日、29日に、レンガが焼かれた。ダカネが17日に作業をしたことは目撃者の証言で判明。その後、4回目のレンガを焼く作業で、ダカネの当番が回ってくるというのは、論理にかなっているのか?

 ラホに、「この作業をできる人は何人いる?」と尋ねたら、「10人」と言う。私は「10人いるなら、10回焼いて、やっと次の当番が回ってくる計算だけど、ダカネは4回目で回ってきているのは、なぜかな?」と尋ねた。

(ちなみに、文章にすると、会話がとてもスムーズに行われているように読めるが、通訳のモウリドが、論理的な返答が返ってくるまで、ソマリア語で何度も何度も繰り返し同じ事を言っているのが行間に消えているだけだ)。

 何度か的外れな返答をした後、ラホは、「私も、色々な作業をして忙しいのです。当番が誰なのかわからない時だってあります。でも、それなら、ダカネは『今日は私の当番じゃない』と言えば良かった」。ダカネは、「それは伝えた」と言った。

 そして、妹に日雇い作業を割り当てた件は、ラホは「確かに彼女は私の妹だけど、それは単なる偶然でしかない。私が雇用したわけではないのです。彼女がたまたま、その日、手が空いていたから、彼女にその仕事をお願いしただけです」と答えた。

 ラホが妹を優遇しているということを証明するのは難しい。ただ、問題は、ダカネが、ラホの妹の件を、外部の私に公然と告げ口したことだ。ソマリア人は同胞内の信頼関係をとても大切にする。難民として世界へ散らばったソマリア人たちは、同胞内にできたネットワークで、国境を越えてお金の貸し借りをし、新しい仕事を始めるなど、生活の糧にしている。

ダカネは、工場で自分の立場が危うくなるのというリスクを犠牲にしてまでも、私に、自分の不満を伝えようとしている。ラホが主任を辞めさせられたとしても、文字の読み書きができないダカネが後任になる可能性はない。つまり、物質的に得することは何もないのだ。「ラホによる特定部族の優遇は納得できない。このままでは、私はこの工場では働けない」とダカネは言う。

今回の事件は、氷山の一角で、おそらく、ダカネの中には、溜まりに溜まった不満があるのだろう。ラホのいる前で、すべてを吐き出すことは難しい。私が工場長に就任した半年前からずっと気になっていた「ラホの独裁政権」の実態を、私は知りたかった。

私は、「ダカネと2人きりにしてください」とラホに退出を願った。 (続く)

気まぐれ工場長

自分はとても気まぐれな人間。特定の人に対してこみあげていたイライラが、ちょっとしたきっかけで吹っ飛ぶことがよくある。

 工場Aの主任ラホ。私が何度も指示していることが工場で実行されない。レンガを週に3回焼くとか、レンガの材料はなくなる2週間前に注文するとか。12月1日の全体ミーティングが終わった後、個別で話し合い、注意をしようと思っていた。来年4月で彼女の契約は切れるから、「契約更新できないかもしれない」とほのめかすことまで考えていた。

 全体ミーティングの議題は「難民キャンプでコンロを売ることは可能か?」。お金がない難民にコンロを売りつけるなんて、とても非道に聞こえるかもしれない。でも、ダダーブは20年前に作られた「都市」だ。実際、市場にはコンロが600円くらいで売られている。商売にすることで、従業員のビジネス能力が培われ、本当にコンロを必要としている人にコンロが届くようになる。

 しかし、従業員は「売る」ことに関しては否定的だった。自分たちの給料が減る可能性が出てくるわけだから、無理もない。私は「商売にすることで、得られるものは何でしょうか?」と尋ねても、従業員たちは答えない。

 「今、ソマリアが平和になって、祖国へ戻ったら、あなたたちは、自分で工場を運営できますか?」と尋ねたら、過半数が頷いた。そこで、頷いた女性従業員に「では、今、あなたの工場がオープンし、私たちが顧客でコンロを買うように説得してみてください」と促した。その従業員はもう3年も工場で働いているにも関わらず、コンロがどういう機能で、使用する薪の量を節約できるのか説明ができなかった。

 私は、「難民キャンプには、たくさんレストランがあります。あなたが、そこの料理人で、たくさんのお客が料理した物に文句を言ったら、あなたはどうするでしょう?」。従業員の1人が「その料理が、どうすれば美味くなるのか、他の人に聞いたりします」という。

 私は、「そうですね。お客を失えば仕事を失うわけですから、どうすれば料理を美味くできるのか自分なりに努力するでしょう。では、この工場はどうでしょうか?皆さんは、これまでどれだけ、コンロについて知ろうと努力してきたでしょうか。コンロの使い方について説明している図柄が工場にありますが、この図柄について完ぺきに説明できる人は、あまりいませんでしたね。3年、4年働いて、いつでも尋ねることができたのに、なぜ、聞かなかったのでしょう。それは、あなたたちが、コンロを無料で配布し、給料が援助資金で賄われているため、『必然性』がなかった。でも、長期的にみたら、それは、あなたたちのためになっていない」

 従業員たちは、黙って聞いていた。自分たちに対する批判を、素直に受け止めるのは難しい。私は、空気が重くなったのを感じ、「それでは11月の給料を支払います」と話題を変えようとした。

 そしたら、それまで黙っていたラホが、「ちょっと、待って、一つ言わせてください」とゆっくりとした口調で話し始めた。私は、「待ってました」と心の中でつぶやき、いつもの様に彼女が、従業員の弁護人として擁護発言をすると思っていた。しかし、彼女が言ったことは、私の予想とは正反対のものだった。

 「2007年から、これまで色々な工場長の下で働いてきましたが、あなたの様に、私たち1人1人の能力や知識を試そうとする人はいませんでした。私たちの能力を伸ばすために、様々なプログラムを組んでいただき、心から感謝しています」

 ゆっくりと、一語一語、ソマリア語で丁寧に話そうとするラホを見て、自分の胸が熱くなり、眼が少し潤んだ。これは、社交辞令ではなく、胸の内を明かす時の表情。私は、思わず、右手をラホに差し出した。「ありがとう」。ラホも笑顔で、自分の右手を差し出した。

 ラホに会ってから6カ月。感謝されるのは初めてだ。ラホは従業員の既得権益を優先し、私は組織の利益を優先し、いつも対立してきた。

 私は「難民キャンプというのは『緊急援助の場』と位置付けられています。水、食糧、医療、住居、在留資格、などの支援が主で、長期的人材育成のプログラムは乏しい。でも、このキャンプはもう20年もあり、たくさんの可能性を秘めた人材がいる。その人たちが、将来のソマリアを復興するのです。だから、私はあなたたちの可能性を最大限伸ばしたい」

 最年長のユスフが「あなたの言葉は、私たちの胸を突き動かすものがある。キャンプの住人は、将来の祖国のリーダーになるという発想は、私たちにとってとても新鮮です。心から感謝している」と言った。いつも冗談交じりの発言しかしないユスフが、真剣な表情で語りかけている。

 ミーティング後、隣に座っていた通訳兼アシスタントのモウリドがソマリアの諺を一つ教えてくれた。「魚を贈呈するのではなく、魚の釣り方を教えなさい」。私はそれを聞き、ソマリアには自律支援を美徳とする文化が昔からあったことに驚いた。「難民は怠慢」とよく言われるが、ひょっとしたら、援助団体が難民を怠慢にさせてしまったのかもしれないと、危惧してしまった。
 
 ラホに小言を言おうとしていたのが、遠い昔の出来事のようだ。

あなたと話がしたい

 11月30日、難民キャンプの国連事務所周辺を歩いていたら、「I Want To Talk To  You!」(あなたと話がしたい)と20代のソマリア難民女性が遠くから英語で言い寄って来た。足元がふらついて、目線がどこか別のところを向いている。呂律が回っていない。敬虔なイスラム教徒のシンボルで、ほとんどの難民女性が頭に被るヒジャブは身につけていない。薄いスカーフを頭にかけているが、短髪の髪型は丸見えだ。午後2時半ごろなのに、すでに泥酔状態だ。

 一緒に歩いていたモウリドが、「彼女はキャンプの有名人ですよ。知っていますか?」と尋ねて来た。私は、深く頷いた。昨年、同じ所を歩いていた時、突然、同じセリフで胸倉を掴まれ、持ち歩いていた水筒を奪い取られた。

 今回も、彼女は腕を振り上げて近づいてきたため、モウリドが前に立ちはだかってくれた。「お酒を飲むと、彼女はいつもこうなるのです」とモウリドは説明した。私が外国人だから、私に話せば欧米諸国へ定住できるチャンスが広がると勘違いしているのだという。夜はセックスワーカーとして働き、生計を立てる。私が車の中に避難した後も、周辺にいた援助団体の職員の胸倉をつかみ「彼と話しをさせろ!ファックユー!」と暴れ続けた。

 人口46万人の都市「ダダーブ」は、様々な意味で特殊な都市だ。その一つが、彼女の様に精神的に病んだ人に出くわす率の高さだ。300万都市のナイロビを歩くよりも数倍の率で、キャンプの市場を歩く日は、少なくとも1度、多ければ3度ほどからまれる。歩いている自分の横に来て「チャンチュンチョン!」と中国語を真似た様な言葉を繰り返し叫び続けてくる人。木の下に寝転がって、独り言を言いながら下半身をさらけ出してくる人。木の杖を振りかざし、腕を掴み引っ張ってくる人。

 祖国で20年間紛争が続き、家族や友人を亡くすなど様々なトラウマを抱え、未来の展望もないまま、飢饉、戦争、そして洪水など、次々とキャンプに押し寄せる人災・天災。

国連やNGOの代表が集まる会議では、食糧、医療、初等教育などの目に見えやすい「緊急援助」に関しては活発な議論がなされるが、長期的な避難生活を余儀なくされる人たちのメンタルケアに関して議論されることは少ない。

明日終わるかもしれない戦争から逃れている人たちに、長期的支援をするのは難しい。「あなたと話がしたい!」という彼女の悲痛な叫びは、難民キャンプの支援の難しさを象徴しているようだ。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。