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キャンプの保険制度

キャンプには保険会社も銀行もない。万が一、病気などで大金が必要な時や、お金を盗まれた時などの「保険制度」はどうなっているのか。

1月31日、月末の給料日に、いつものように、1人1人の従業員に給料を手渡すと、皆、特定の従業員に、給料の1割にあたる500シリング(約500円)を差し上げる。毎月、順番で、決められた従業員がもらう仕組みで、「これがソマリア人の貯金制度です」とモウリドは説明する。

「でも、別に利子があるわけでもないのだから、結局、1人がもらう金額は変わらないのに、なぜこんなことをするの?」と尋ねると、「もし、あなたのお母さんが病気になって、薬代が必要なのに、手持ち合わせがない時、順番を早めて、この人にお金を渡すことで、一種の保険になっているのです」と説明を受け、納得がいった。

キャンプの食料配給は、トウモロコシ粉、小麦粉、油や塩などが毎月2回配られるが、一人当たり10日ほどしかもたないといわれる。しかも、野菜や肉は配られない。つまり、何かしらの現金収入がなければ生きていけない仕組みになっている。しかし、キャンプ内には仕事がない人はたくさんいるのに、飢えで人がバタバタ死んでいくことはない。それは、おそらく、この従業員同士がやっている保険制度のように、ソマリア人の相互扶助の精神が、底辺で人々の命の支えになっている。

日本には1万人の路上生活者がいることを伝えると「あんなお金持ちの国なのに、なぜ、誰も彼らを家に招いてあげようとしないのか?」と彼らは首をひねる。

従業員との全体ミーティング後、特定の従業員と個別ミーティングをする時があるが、それが30分や1時間かかろうが、他の従業員たちは、それが終わるのを待つ。自分は中学校時代、よく先生に怒られ、放課後残されていたが、自分のことを待ってくれる友人なんていただろうか?そんなことを考えながら、従業員たちに少し嫉妬してしまう。
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英語はできるけれど


キャンプの若者の英語力にはいつも感心させられる。高等学校に行っていない人でも、日常会話を英語がこなせることがある。キャンプ内の学校がケニアのカリキュラムを使い、公用語の英語が使用されているからだと思うが、母国語のソマリア語に加え、スワヒリ語に英語と、多言語を使いこなす難民の若者たちは頼もしい。キャンプの高等学校をトップレベルの成績で卒業したモウリドの英語力は、会話だけでなく読み書きもネイティブ並みだ。

しかし、得意なものがあれば、不得意なものもある。それが算数。七厘を配布された難民の家に調査に行く際、従業員は、七厘を使うことで何%の薪を節約できているか尋ねることになっているのだが、これがなかなか難しい。報告書を見ると、すべての難民が口を揃えて「30%」と返答したことになっている。これは何か怪しいと思い、主任/副主任との会議で、テストしてみた。

「いまここには、私を含めて6人の人間がいますが、女性の割合は何%でしょう?」そこにいた女性は、ラホだけだったが、まず、副主任のキモが「80%」と言い、私がしかめっ面をしたのを見て「あ、10%ですかね」と言い直してきた。他の答えは10%、8%、1%などなど。モウリドでさえ、「10%」と答え、高等学校卒業者でも簡単な算数ができないということが判明した。

四捨五入した正確な答えなど期待していなかったが、せめて、「10人に1人なら10%なのだから、それより少し大きい割合で15パーセントくらい」など、少しでも論理的思考を働かせた答えが出てくるかとは思っていた。

これで、工場の報告書にいくつもの記載ミスがあったのも、従業員から非論理的な要望をいくつも受けるのも、少し納得がいった。英語も大事だけど、人間の論理的思考力を鍛える算数、数学も同じくらい大事なはず。もっと、バランスの取れた教育制度にできないものだろうか。

難民自身が活動を担う重要性

ここ最近は、七厘を配布する前に実地する説明会の質向上に取り組んできた。説明会は、その日に七厘の配布を受ける人を対象で、約1時間かけて七厘の使い方やライフラインの紹介などをする。

「七厘の使い方なんて説明されなくてもわかる」と言う人もいるかもしれない。しかし、相手は、生まれてからずっと、焚き火で料理をしてきた人たち。突然、七厘を渡されて、料理の習慣を変えるのは難しいし、「なぜ、七厘を使うと環境保全につながるのか?」を説明することで、難民たちの環境への意識を高める効果もある。

私が工場に来た頃の説明会はひどいものだった。150人の難民を前に説明し、寝ている者もいれば、連れてきた子供を叱りつけている者もいて、真剣に説明に耳を傾けている者は少なかった。別の工場では、説明会がまともに開催されず七厘が配布され、数日後、彼らの家に行くと、七厘が使われていないことも多かった。

問題の根幹にあったのは、従業員自身が七厘について知識を持ち合わせていなかったため、それを難民に伝えることができなかった。だから、まず、 七厘についての説明書を作り、ソマリア語に訳し、従業員全員に配布した。そして、従業員に研修を施し、クイズ大会などを開き、二つの工場の従業員の知識を競い合わせた。4年働いている従業員が、「七厘が環境保全につながることを初めて知りました!」と感想を話し、逆にこちらが驚かされた。

彼らの中では、七厘は鍋を固定させるのに役立つくらいの認識だった。森林伐採も、日陰の場所が少なくなるから不便とか、家畜の餌が減るくらいの感覚で、酸素と二酸化炭素で動物と植物が相互依存していることも知らなかった。

その後、説明会に何度も立ち合い、

1.参加者を30人以内に抑えること
2.ゆっくり話し、参加者に質問をしながら、理解してもらっていることを確認しながら進行すること
3.実際に七厘で料理をしてみせること
4.説明書を読みながらではなく、参加者の目を見ながら話すこと
5.他の団体が配布する七厘を批判しないこと
6.聞いていない参加者や、遅れてきた人には「七厘をあげません」と厳しく対応すること
7.ライフラインの名前には、受益者の自助努力を促す意味が込められていることを伝えること
9.その一環として、この説明会が開かれ、参加者の能力向上をはかっていることを、しっかり説明すること

などなど、色々、指導していくうち、説明会の質はみるみる上昇していった。私が来た頃は、「説明会なんか早く終わらせて、七厘を頂戴!」と怒鳴っていた参加者が、最近は、治安悪化で、他の団体が活動を制限する中、「こうやって、丁寧に説明会を開いてくれるのは、あなたたちだけだよ」と感謝してくれるようになった。また、「私も、七厘の作り方を学びたい」と言ってくれる20歳の女性参加者もいたりした。

昨年6月、私がライフラインに入った時、ほとんどの難民が2007年から活動している「ライフライン」の存在を知らなかった。治安悪化で、多くの支援活動が自粛され、キャンプ運営を外国人に依存するリスクが露呈。活動のすべてを難民自身でやるライフラインは、普段通り活動を続けている。七厘を配る前に行う実態調査で、ライフラインの従業員が難民の自宅を訪れると「まだ、活動している団体もあるのね!」と驚くという。これを機に、「難民自身でできることは難民で」の大切さを、難民自身がわかってくれたらと願う。

2回目のキャンプ生活

先月、工場Bで働き始めたファラ(30代、男性、仮名)は、昨年11月に、ソマリアから逃れてきた。ソマリアでは大学の講師として英語を教え、給料は350ドルで、現在の5倍近く貰っていたという。それなのに、「この工場で働くのは楽しい!」といつも笑顔で言うのは、なぜなのか?

「干ばつで、すべての価格が上がり、私の給料では生きていけなくなりました」と言う。ソマリア南部に昨年襲った干ばつで、畜産業や農業が壊滅的打撃を受け、一杯の牛乳が20円から、250円に跳ね上がったという。

さらに、昨年10月にケニア軍がソマリアに侵攻したことを受け、ソマリア南部を実行支配するイスラム武装組織「アルシャバブ」は「(ケニアの公用語の)英語を話す者は、ケニアのスパイとみなす」とラジオで住民に通達した。10月半ば、武装勢力メンバー3人が、ファラの留守中に家を昼と夕方の2回訪れた。妻が「夫はいません」と告げると、3人は去っていった。
携帯電話で妻から報告を受けたファラは、恐怖で家に戻ることができなかった。サッカーのワールドカップを観戦した者を「西洋に魂を売った」という理由で処刑するアルシャバブに、住民は皆怯え、その組織名を口にすることさえ避けた。「英語の講師である私を捕まえにきたのだとしたら、もうここでは生きていけない」と、ダダーブへ向かう車を手配した。

ダダーブ難民キャンプに来るのは2度目だった。小学生時代に、ソマリア内戦が勃発。夕方、近所でサッカーをしていると突然銃声が鳴り響き、母親に「逃げるわよ!」と遠くから呼ばれた。走りながら、一緒にサッカーをしていた友人が流れ弾に当たり、倒れた。それでも、走り続けた。

そのままダダーブへ家族と行き、ダダーブで小学校、高等学校、教員養成学校を卒業し、2004年、当時、比較的安定していたソマリアへ家族と戻った。

小さな店を経営する両親はソマリアに残り、先週、妻がダダーブへ来て、2ヶ月ぶりに夫婦生活が戻った。
私は「君みたいな能力の高い人は、より良い待遇の仕事があったら、すぐそちらへ行くだろうな」と皮肉ると、「とんでもない!私は、ずっとライフラインにいたいです」という。「なぜ?」と訪ねると、「ソマリアから追われた私に最初に手を差し伸べてくれた場所だし、従業員が皆まじめに働いているのに惹かれます」と答えた。

少し間を置いてから、「それに、、」と、少し改まった表情で、「あなたのような、外国人のNGOの代表が、難民従業員と同じ椅子に座って話してくれるのは、新鮮で嬉しいです」と、白い歯をむき出しにして言ってくれ、彼の身の上話を聞いて痛んでいた心が少し和らいだ。

治安悪化は弊害なのか?

1月19日、ダダーブで活動する約30の団体の代表が集まる代表会議。今年初めての会合ということで「2012年の課題」について、話し合った。
 
 最大の懸案事項は、治安悪化の中で、どうやって支援を継続するか。昨年末に警察官を狙った地雷爆発があり、今月初旬には、治安担当をしていた難民リーダー2人がキャンプ内で銃で撃たれて殺された。殺害の背景には、ケニア警察と協力関係にあることから、ソマリアのイスラム武装集団に、「裏切り者」扱いされたのではないかという声もある。これによって、難民の中には、ナイロビやソマリア国内へ避難する者まで出て来た。

 昨年10月に援助関係者3人が拉致され、いまだに行方がわからない状況で、援助関係者を守るべき警察が狙われる事態となり、多くの活動が自粛状態にある。援助関係者の大部分が暮らすダダーブの住居施設から、キャンプまでは数キロあり、キャンプに行くことさえできない人がほとんどだ。会議の参加者からは、活動再開へ向け、色々な意見が交わされた。

 私は「確かに、今回の治安悪化は、活動に多くの弊害をもたらしました。しかし、逆に、良い機会でもあると思います。これによって、私たちは、難民たちに活動の一端を担ってもらう重要性を再認識させられたからです。

 私のNGO,ライフラインには40人の従業員がいますが、難民でないのは私だけです。七厘の生産、調達、説明会、物資の運搬・調達、すべて難民従業員だけで担っています。そのおかげで、今回の治安悪化をうけても、活動を自粛する必要はありませんでした。

 しかし、私が昨年6月にライフラインに入った時、従業員たちに、そこまでの自立精神はありませんでした。無断遅刻・欠勤は当たり前、横領もあれば、報告書に偽りの記載。そして、従業員自身が、なぜ、七厘を作り、配っているのか理解していませんでした。

 原因の一つに、私たちライフラインが、彼らに、七厘の重要性や、就業規則について十分な説明を行ってこなかったことにありました。まず、就業規則を見てみたら、私でも理解不能な難しい英語で書かれ、文字の読み書きさえわからない従業員に、理解しろといっても無理な代物でした。なので、私はそれを簡単な文章に直し、ソマリア語に訳し、半日、従業員と一緒に規則を読み上げ、理解を求めました。

 そして、七厘の重要性については、説明書を作り、研修を何度か行い、理解を得るようにしました。

 そうやって、彼らとコミュニケーションをとっていくうち、彼らの中に、何かが芽生え始めました。自分たちで、歌や劇のチームを作り、他の難民たちに七厘の重要性を伝えるようになりました。

 私が入った時、毎月400個くらいしか作っていなかった七厘が、今では1000個近くにまでなりました。

 2012年、私たちは、難民従業員との関わり方を見直すべきじゃないでしょうか?彼らにできることは何か、できないことは何かを調べ、できることは、できるだけ彼らに任せる。

 それによって、難民従業員が、私たちの仕事を奪い、結果として仕事を失う人も出てくるかもしれない。でも、ソマリアの政情不安と一生関わっていくのは、私たちやケニア人ではなく、難民自身です。私たちは、あくまで外部者であって、ソマリアと一生関わっていくことは難しい。だから、できるだけ彼らに責任を与え、彼らがソマリアに戻った時、彼ら自身の手で援助ができることを皆で願おうではないか」

 先輩たちの前で発言するのは、いつも緊張し、心拍数が上がる。でも、会議後、「今度、話を聞かせてくれ」と私の電話番号を求めてくる参加者もいて、嬉しかった。ピンチをチャンスに切り替えられるか。正念場だ。

それは「かまど」でなく、「七厘」だった

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 講演会の数日前、正月に家族で実家で集まった際、「果たして、揺光がちゃんとした講演ができるのか?」という不安の声が兄姉から上がった。悲しいことに、何歳になろうが、弟は弟。常に子供扱いされる。そこで、ミニ発表を兄姉の前でやり、発表のコツを伝授することになった。

 パソコンの画面で写真を見せながら話していくうち、これまでブログで「かまど」や「コンロ」と表現してきた物を写真で見せた瞬間、兄から「これ、七厘(しちりん)だ」と指摘された。外国生活11年になる私は、これまで「七厘」という言葉を知らず、早速、広辞苑で調べてみた。

 そしたら、なんと!!!

 七厘の語源が「わずか7厘(重量単位)の重さの木炭で十分な火力を得ることができたことから」と書いてあった。

 私たちがダダーブで、難民が料理する際に使う薪の量を3割減らすためにしてきた活動が、そのまま表記されていたのだ。これまで、私たちが作っている物を表記する適当な言葉が思い当たらず、ブログ読者から「何を作っているのかイメージが付かない」というクレームが届いていた。

 しかし、表記の問題はこれで解決した。ウィキペディアによれば、「七厘」は日本独自のもので、江戸時代から、「少ない木炭消費で安全に長時間の煮炊きが出来るよう、町人文化の中で生まれ工夫改良されてきたもの」だという。

 米国NGOに所属し、「改良かまど」という耳慣れない物を作り、日本人には説明しにくい活動だと思っていた。しかし、祖国の先代の人々が、限られた資源を最大限に利用するために知恵を振り絞って作った「七厘」を、私が、今こうして、ソマリア難民に配っているということに、何か運命的な物を感じ、仕事が一層好きになった。

在ケニア大使館ホームページ掲載記事

この度、在ケニア大使館から取材を受け、HPに掲載されました。以下が記事です。


国際協力に興味を持ったきっかけ

 私は7人兄弟の一番下で, 中学時代, 兄姉よりも成績が悪いことにコンプレックスを抱き, 毎週末, 競馬場に新幹線で通う非行少年でした。当時から, 今と変わらない老け顔だったので, 競馬場の職員から注意されることは滅多にありませんでした。

学歴社会から逃げ出そうと, 15歳でアメリカに留学したのですが, 今度は競馬場ではなく, カジノクルーズに通うようになってしまいました。

20歳で転機を迎えます。旧ユーゴスラビアを放浪した時, 生れて初めて「難民」に出会いました。彼らの境遇は, アメリカに留学して, 言語の壁にぶつかるなど苦しい想いをした自分と何か重なる物を感じ, 難民問題に傾倒するようになりました。



勤務している「International  Lifeline Fund」(ILF)とはどのようなNGOか

 「ライフライン」とは, 日本語で,海で溺れた人を助ける時などに使う「命綱」という意味です。溺れた人が助かるためには, 命綱を渡す人も, 溺れた人も, 両方が綱を掴み, 引かなくてはなりません。援助する側が一方的に支援するのではなく, 支援される側の努力があってこそ「支援」とは成り立つ, という団体の考えです。
ILFが活動するダダーブ難民キャンプは, ケニア北東部, ソマリアとの国境沿いに位置し, 約46万人(2011年11月現在)の難民が暮らす, 世界最大の難民キャンプです。

キャンプでは, 食糧, 医療, 教育などが無料で提供されており, ILFは, ここで, 「改良かまど」を毎月1000個製造する工場を運営しています。乾燥地帯のダダーブでは, 一般の女性は週約20時間, 薪を集めるために周辺を歩き回ります。そこで, 武装集団に襲われる事も少なくありません。かまどは, 女性たちが料理する際, 薪の使用する量を約3割減らす効果があり, 難民の生活向上だけでなく, 森林保全にも貢献します。

「難民ができることは難民自身で」をモットーに, 私以外の従業員35人はすべて難民です。かまど製造だけでなく, 研修, 物資の調達, 報告書作成など, ほとんどすべて彼らだけで担っています。



ILFに入った動機

 私はILFに今年5月に入ったのですが, それまで1年間, 同じキャンプで, 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の若者支援担当をしていました。20年前に設立されたキャンプには, 高等学校を終え, 英語, スワヒリ語, アラビア語を使いこなす, NGOで働く優秀な若者がたくさんいます。彼らをコミュニティのリーダーとして育成し, 将来, 祖国が平和になった時, 復興を担う人材として育てるため, スピーチコンテスト, ユースフェスティバルなどを一緒に企画しました。

しかし, キャンプには10万人以上の若者がいるのに, そういうイベントには, なぜか, いつも同じ若者が集まるのです。それで,今年2月, 私たちは若者の実態調査を行いました。18歳から35歳までの男女1300人にアンケートを配ったのです。

 結果は驚くべきものでした。2割が高等学校を卒業している一方,2割は文字の読み書きすらできない。そして,「NGOや国連の訓練や研修を受けたことがあるか?」という問いに,高等学校卒業者の9割が「Yes」と答えたのに対し,文字の読み書きができない人に限れば, たったの1割でした。私たちが若者に向けて行ってきた支援が, 一番支援を必要としていない, エリート層の若者に集中していたのです。

 ILFの工場は35人の従業員のうち,8割が文字の読み書きができません。6割は女性で, 高齢者, 障害者, 孤児, 性的暴力の被害者や元セックスワーカーなどがいます。社会的弱者の集まりが, 難民キャンプで一つの工場を稼働しているということにドラマを感じました。



日々の仕事内容

 工場の生産性を高めるため, 従業員の監督・指導・人事が主です。私が働き始めた当初, 従業員による横領, 偽りの報告書作成, 職員同士の対立, 2カ月間の無断欠勤など, 規律の乱れは顕著でした。就業規則を作り, 規則違反に対しては解雇や停職処分などを出し, また 一生懸命働いた従業員には特別報酬を与える成果主義を導入しました。従業員同士のトラブルについては, ミーティングを開いて, 徹底的に話し合いをさせました。

 また, 1年以上工場で働いているのに, 「改良かまど」を配布する意義について, 知らない従業員がたくさんいることにも驚かされ, 研修プログラムを組んで, かまどと環境の関係について教えました。そして, 「君たちが祖国に戻った時, 環境保全分野でリーダーになることがILFの夢です」と何度も伝えました。

9月には, 従業員で劇団を結成し,かまどの重要性を伝える劇や歌を作りました。キャンプでは, 「環境の日」「難民の日」など,頻繁に大きな行事があり, そこで, 彼らの劇や歌を通して, 従業員とコミュニティの繋がりを深められたらと思います。



国際協力に関心がある人に向けて

 場所を問わず, 率先して色々な人と友達になってください。自分が苦手だな, と思う人とは特に。国際協力は, 多種多様な職種・現場がありますが, 誰しも通らなければならない難関は, 異なる文化の人と信頼関係を作るということだと思います。どんなに素晴らしい知識・経験があったとしても, 同僚や受益者と信頼関係を作れなければ, その知識・経験を活用することは難しいです。そして,信頼関係構築というのは, その人の仕事の能力とは関係のない部分, ユーモア, 思いやり 謙虚さ, などなどが大きく作用します。

後は, 人に「伝える」という力を鍛えてほしいですね。「国際協力」と言うと, 一般の人は少しかけ離れた世界に聞こえるかもしれません。しかし, 私が現在している職務内容は, 日本の片田舎の町工場の工場長がしていることと,共通する部分が少なくないと思います。私の父は, 故郷の新潟で国際協力とはかけ離れた仕事をしていますが, 従業員を監督するという部分で共通点があり, 色々アドバイスをもらっています。私たち現場にいる人たちが, わかりやすく仕事内容を情報発信していけば,「国際協力」という単語が一般の人にも身近になっていくのだと思います。

http://www.ke.emb-japan.go.jp/ganbaru8.html

母親からの自立

1月6日に故郷の新潟県南魚沼市で、7日に東京大学で、「ソマリア飢饉報告会」と題して発表した。きっかけは、昨年5月に日本に帰国した時、母親から「あなたは自分の仕事について全く話してくれない」と言われたことだった。私は「聞きたいことがあれば、聞けばいいじゃない」と言うと、「何から聞いていいのかわからない」と言う。「じゃあ、次帰って来た時は、報告会をやろう」という話になった。

 東京大学は、アイゼックという学生団体メンバーが昨年9月にケニアに来た時、「ダダーブで活動している日本人は少ないですよ。できたら日本で報告会でもしたいな」と自慢げに言ったら、「じゃあ、やりましょう」と乗っていただき、年末年始返上で、チラシ作成などの準備をしていただいた。

 「50人集まればすごいね」と話していたが、どうしてどうして。新潟では約100人、東京では150人も集まった。新潟では、約100キロ離れた新潟市から来る医大生から、小学校時代に担任だった先生まで、様々な人たちに来ていただいた。東京は、援助関係者、学生、私の元同僚、知り合いなどなど。

驚いたのは、小学校時代の同級生2人が東京の会場に来ていたこと。私は小学校時代、7回学級委員長に立候補して、ことごとく敗退した。この2人が私に投票していた記憶はなかったのだが、20年経つと、人間の感情の変わるのだろう。

そして、さらに驚いたのは、新潟の発表会を取り仕切った72歳の母が、東京の発表も聞きに来たこと。「発表内容は変えないよ」と伝えても、「私が来れば、東京の私の友人も来てくれるかもしれないから」と言い、会場では、質疑応答の時間じゃないのに質問したり、立ち上がったりと、私よりも目立っていた。難民の自立の重要性を発表したのだが、自分も早く母親から自立しないとな。

講演会記事掲載 ~毎日新聞新潟県版、1月7日~

毎日新聞新潟支局が講演会を取材してくれました! 

 20年間、無政府状態が続くソマリア。昨年には過去最悪といわれる大干ばつに見舞われ約25万人が飢餓に苦しむ。そのソマリアから逃れてくる難民たちをケニアで支援している南魚沼市出身で、元毎日新聞記者の黒岩揺光さん(30)が6日、同市浦佐の地域交流伝承館「夢草堂」で、世界最大といわれる難民キャンプ「ダダーブ」の現状を紹介する報告会を開いた。黒岩さんは「援助慣れしている難民に、いかに自立精神を芽生えさせるかが最大の課題」と訴えた。
 黒岩さんは、10年3月からケニアのダダーブ難民キャンプ国連事務所に勤務後、昨年5月から同キャンプ内の米国NGO「国際ライフライン基金」プロジェクト・マネジャーとして難民を支援する。
 この日は、妻で国連職員のヒャン・スージンさん(28)と一緒に難民の実情について分かりやすく説明した。
 黒岩さんによると、ソマリアは91年以来、無政府状態が続き、同キャンプには現在、約44万人が暮らし、うち約16万人が干ばつで逃れて来たという。
 黒岩さんは、難民自身が自立するために、燃料の木を節約できる改良型かまどの作り方を指導、他の難民に無料配布する活動を支援する。黒岩さんは「日本は幾多の災害を乗り越えてきた国としてお金だけでなく、そのノウハウと人材などさまざまな分野で手を差し延べてほしい」と呼びかけた。【神田順二】

1月7日朝刊

なぜ、アフリカの報告会を日本で?

 いよいよ、明日は地元・新潟で、初めての活動報告会。そして7日は、東京大学だ。ダダーブで1年半活動して貯めた写真で、学生から社会人・年金生活者まで、さまざまな人にわかりやすく難民支援の現場の様子を伝えられたらと思う。

 「難民」や「アフリカ」など、一般の生活からかけ離れたキーワードが出てくる報告会に人を集めることは難しい。たくさんの理由があると思うが、私がこれまで聞いてきたものは大きく分けて三つある。

1.そんな遠い大陸の話に関心はない

2.自分の生活で精一杯。

3.国内が大変な時で、他国に支援している場合じゃない。


 三つとも、ごもっともな意見である。仕事、介護、育児などを抱えていたら、なかなか、アフリカで起きていることを聞くために半日を割くのは難しい。

 それでも、私は報告会をする。なぜなら、三つとも、別の見方ができると思うから。

 まず、1。自分は、今の仕事に生きがいを感じる大きな理由に、自分とはかけ離れた文化の人と信頼関係を築く楽しみがある。対立ばかりだった難民から「ありがとう」と言われ、手を取り合った時。かけ離れた人だからこそ、逆に好奇心をそそるし、信頼関係ができたときの感動は特別なものがある。外国人に限らず、世代の異なる人や、障害を持つ人などと交流を深めることに、喜びを感じるのは私だけではないと思う。

 次に、2。人々が苦しいときだからこそ、その苦しみを共有することで絆が生まれ、助け合いの精神が芽生えることもある。震災や原発で家を追われた人と、飢饉で国を出なければいけなかった人。そこには共通の苦しみがあり、共感できる部分はあると思う。

 最後に、3。「支援」とは、何もお金に限らない。私が、工場で行ってきた支援は、お金だけでなく、新しいシステムの構築など、「アイデア」を提供することも多かった。難民の持っている能力をどれだけ伸ばすことができるのか、自分なりに考え、従業員たちと話し合い、ワークショップや研修を実地してきた。災害大国・日本には、他国と共有できる知識・技術がたくさんあるはず。また、「人を育てる」会社文化が根付いている日本には、人材育成の面でも、開発支援には大きく貢献できる部分があるのではないか。実際、私は、国際協力とは関係のない自営業の父親から、従業員の監督・指導の面でいろいろアドバイスを受けている。

 聞きなれない言葉だからこそ、その人の人生に、新しい風を吹かすこともできる。無論、仕事や家族で忙しい人に無理にとは言わないし、私自身、すべての報告会に出ることは不可能だ。それでも、少し時間に余裕ができ、少し好奇心がそそられたら、是非、お越し下さい。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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