祝結婚3周年

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今日で妻と結婚して3周年。結婚後9ヶ月で日本の会社を辞めてケニアに来た自分を「結婚詐欺」と非難するどころか、 同じケニアで就職先を見つけて、追いかけて来てくれた彼女には、感謝してもしきれない。

出会ったのは2005年10月。タイのバンコクで開かれた、ビルマの民主化について考えるNGO会議だった。彼女も私も、それぞれが所属する団体から本来出席する予定だった人が突如出席できなくなり、代替要員として、彼女は韓国から、私は日本から会議に出ていた。私は一目惚れだったが、彼女は「何この人、きもい」と思っていたらしい。「きもい」と思われたのは、会議終了後、出席者数人と行ったバンコクのクラブで私が披露したブレイクダンスが原因だったらしい。

明らかに避けられているのを感じながらも、私はめげなかった。会議終了後、彼女は数日、ビルマ国境の町を訪れるというので、私は「いやあ、実は、私も行く用事があるのですよ。丁度良かった」と話を作り、一緒に高速バスに乗り込んだ。7時間の乗車時間中、それまで負けた事のなかった世界地図ゲーム(特定の国名を言い合い続け、言えなくなった方が負け)で自分の知識を披露しようと試みたが、3回連続で惨敗を喫した。

自分の過去の女性の話をして、「俺って、もてるんだぜ!」と彼女の注意を引こうとしても、彼女の表情は曇っていくばかり。

そんな危機的状況を救ったのは、他でもない、難民だった。偶然にも、私は、そのメーソートという国境の町に、修士論文執筆のために、以前、半年間住んでいたことがあった。そこでできた難民の友人たちに彼女を紹介し、一緒にご飯を食べながら、同年代の難民たちが、私をからかったりするところを見て、「ああ、この人は、ただのナルシストではないのかな」と思い始めたらしい。

それから、ソウルと新潟での遠距離恋愛が始まり、ソウルと奈良(私の赴任地)、新潟(妻の大学院)と奈良、新潟と広島(私の転勤先)、東京(妻の就職先)と広島、東京とケニア、そして2011年2月からケニアで、やっと同居できたかと思ったら、5月から、私はダダーブへ舞い戻り、再び遠距離になった。

今日は私がダダーブにいて、お祝いはできないけど、週末におしゃれなレストランで一緒にお祝いをしようと思う。先週のウガンダ出張から買って来たお土産は、彼女の体には大きすぎるドレスだったらしく、改めて自分の身勝手さを思い知ったのだった。
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考える力を身につける

毎月定例の全体ミーティング。毎回、私が適当にトピックを選び、グループ討論を促し、従業員たちの考える力を養う。今回は、「説明会」をトピックに選んだ。説明会は、七厘を配布する前に一時間ほど、難民たちに七厘の使い方について説明するものだ。

「七ヶ月前と、今とで、説明会の様子は変わりましたか?」と尋ねた。そしたら、皆、頷く。「どんな風に変わりましたか?」と再び尋ねると、「前は150人も説明会に参加していたけど、今は30人くらいです」という。

私:どちらの方が、より効果的な説明会ができたでしょう?
従:30人の方です。
私:それは、どうしてでしょう?
従:人数が少ないから、収拾がつきやすい。参加者の注意を引きつけやすい。
私:150人を一度に説明していた時は、皆、説明に耳を傾けていたでしょうか?
従:いいえ。隣の人とべちゃくちゃ話している人のいれば、子供の世話をしている人もいました。
私:そうでしたね。では、皆さんに尋ねますが、150人で説明会をしている時、収拾がつきにくいと感じた時、なぜ「参加人数を減らそう」という提案ができなかったのでしょうか?

今回のグループ討論の核心部分に入った。これを彼らに尋ねることで、彼らにも工場運営について意見を述べることができるということを知ってもらいたかった。しかし、彼らからの答えは、私の予想通りのものだった。

工場Bでは、

 「工場長が来る前は、私たちと前工場長との関係は希薄でした。前工場長に何か提案できるような雰囲気はなかった」

工場Aでは、

 「工場長が、七厘の配布数を増やすように指示したから、そうせざるをえなかった」

工場Bの指摘については、師弟関係が希薄だったのは事実だろうが、もし、彼らが本気で説明会について考えようとしていたなら、いくら関係が希薄であっても、一度くらい提案できなかっただろうか。

工場Aの指摘は、少し的外れで、私は、配布数を増やせといったが、それを一日で配布しろと指示した覚えはなかった。150を一日でするのではなく、5日に分けてすればいいだけの話なのだ。

二つの工場の答えは、内容は異なるにせよ、重要な共通点がある。それは「悪いのは私たちではなく、援助団体側にある」というスタンス。そして、これは、ダダーブ難民キャンプが抱える大きな問題、私が昨年3月に来てからずっと悩まされ続けた「支援依存症」という問題に行き着くこと。

昨年、国連で働いた時も、難民の青年リーダーにイベント開催後、反省点を尋ねても「援助団体がこれをしてくれなかった、あれをしてくれなかった」というだけで、自分たちの中にどんな欠点があるのか述べることができなかった。

私は七人兄弟の末っ子で、とにかく家族皆に可愛がられた。そのおかげで、甘えん坊の典型で、自分の中に気に入らない部分があったら、それを全部、親や兄弟のせいにしてきた。おかげで、自分と正直に向き合うこともなく、成長することもできなかった。

20年間、幼少のころからずっと生活保護を受け続けて生きてきたらどうなるだろうか。ダダーブにはそういう人が10万人以上いるのだ。

なぜ、従業員たちは、「説明会の人数を減らそう」という提案ができなかったのか?なぜ、そういう考えを抱くに至らなかったのか?そして、なぜ、その失敗から学ぶということができないのか?私は従業員たちに問い続けるつもりだ。

従業員による初めてのボイコットー総括編ー


2月1日にラホとの対立から端を発した、従業員たちによる初めてのストライキ。2月7日に仕事が再開されるまでの6日間は、とても長く感じられた。難民キャンプという非日常的環境で、全く異なる文化、宗教、そして生い立ちの従業員たちを監督するという難しさを改めて思い知らされた。

ストライキの背景にあったのは、 従業員たちが 「工場長から信頼されていない」と感じたことだった 。確かに、私は、最初から彼らを信頼してあげることができなかった。就任当初、新しい副主任を雇ったのも、毎回、生産されたレンガの数を細かく数えたのも、ソマリア人と仲の悪いエチオピア人を副主任に昇格させたのも、自分が工場に訪れる正確な日時を従業員に伝えなかったのも、すべて、彼らのことが信頼できなかったから。彼らに対する私の不信感は、他でもない彼らが一番感じていたはずだ。なぜ、私は彼らを信頼できなかったのか?それは、就任最初の一ヶ月で2度騙され、別の工場で主任から横領されたことだけが理由じゃない。

私は、いつのまにか、キャンプで暗黙の了解となっている「難民を信頼してはいけない」という雰囲気に呑まれていた。他の団体では、難民従業員がお金の管理を任される事はないし、昨年、国連で働いた時、キャンプの実態調査のために難民従業員に社有パソコンを預けたら「それは間違っている」と同僚から言われた。私が治安悪化で工場に行けなくなった時、「従業員は毎日寝ているのではないの?」と何人の友人からからかわれた事か。「難民」という枠に属するだけで、周囲の目線がこれだけ変わるということに、最初はショックを感じていた。でも、いつの間にか自分もその目線の持ち主の1人になっていたのかもしれない。

「新しくキャンプに来た外国人の援助関係者と知ると、平気で嘘を付いてくる難民がいるから気をつけろ」と何度言われた事か。それによって、私は『立派な工場長』とは、難民たちから騙されない工場長だと、自然と思うようになっていた。彼らが私に言う事に対して、首尾一貫性と論理性を求め、つじつまが合わない事があれば、とことん追求し、「この工場長は騙せない」と従業員に思わせたかった。

しかし、今振り返ると、60年以上戦争がない日本で生まれ、親の金で大学院まで行かせてもらった自分が、20年以上内戦が続くソマリアで生まれ、小学校さえ行けなかった従業員たちに、同等の論理的思考レベルを求めるのは、あまりにも酷すぎた。

 


新聞記者時代、取材先からクレームを付けられた事を上司に報告した時、「どうせ、お前が何か相手の気に障ることを言ったのではないか?」と頭ごなしに言われ、「せめて、どんな事情があったのか聞いてくれても良かったのではないですか?」とその日の夜に長々と上司にメールを打ったのを覚えている。(その後、上司は私に「気分を害して悪かった」と謝ってくれ、逆にこちらが恐縮し「感情的なメールですいませんでした」と謝った)上司から信頼されないことがどれだけ辛いことか自分では分かっていたはずだった。でも、その日常的感覚が、難民キャンプという場所では麻痺してしまっていた。

「私たち援助関係者が彼らを信頼してやらなかったら、誰が信頼してやるのか?」いつか、こう、ブログで書いた事があった。その時は、まるで、自分だけは他の人と違うような傲慢さがあった。どうすれば、彼らと本当の信頼関係が築けるのか。工場長に就任してもう8ヶ月たつが、答えは全く見えない。

従業員による初めてのボイコットー第五話ー

次の日、モウリドからメールで報告があった。

「工場長の手紙を、きめ細かくソマリア語に訳して従業員全員に読み聞かせました。彼らは理解し、次の日から仕事を再開すると言いました。いつも通り、一筋縄ではいかず、何度も何度も、彼らが理解するまで話さなくてはならず、ミーティングは2時間半にも及びました。彼らは、私が『工場長側にいつも立っている』と非難し、工場長自身か、本部の幹部に直接話がしたいと言いました。私は、工場長はナイロビで大事な会議に出席しているから、来れないことを何度も伝えました」

私は、工場が再開するということに、まず胸をなで下ろした。とにかく、文化も宗教も考え方も違うから、自分の記した言葉が、どんな受け止め方をされるか全く予想ができない。だからこそ、モウリドの存在は、とてつもなく大きい。誤解されそうな表現などがあれば、モウリドは、少しニュアンスを変えて、彼らが理解できる形に翻訳してくれるのだ。

会議は2月7日に終わったが、その後も、ライフライン本部(米国)から来た副代表のバヒドと、ナイロビで仕事が残っていたため、私がダダーブに戻ったのは13日だった。ナイロビの自宅を午前5時半に出て、市内のウィルソン空港から国連機でダダーブへ飛び立ったが午前8時15分。午前9時半にダダーブの滑走路に国連機が到着。約10キロ離れたキャンプにある工場Aに着いたのは午前10時45分ごろだった。工場まで向かう途中、私は「とにかく笑顔」と自分に言い聞かせた。

工場への門を開けると、工場の前では、七厘を配る前の説明会が開かれており、10人の難民が木陰の地面に敷かれたゴザの上に腰を下し、従業員からの説明に耳を傾けていた。工場では、従業員たちが、土と牛の糞を混ぜ合わせ、レンガ作りに励んでいた。私に気付くなり「ヨーコー」と笑顔で挨拶してくる者もいれば、少し気まずそうに目を合わせない従業員もいた。私は、とにかく笑顔を作って、土や糞で汚れた従業員の手を握り、「マフィアン?」(ソマリア語で元気)と話しかけた。

主任のラホは工場の中で、何やら書類に目を通していた。私が来ていることは気付いているはずだが、自分から声をかけてこようとはしなかった。私はラホの所へ行き、挨拶すると、少し歯にかみながら、笑顔で接してくれた。私は、まず、ラホに「今回の事は、モウリドから聞いていると思うけど、本当にすまないと思っている。工場内の問題をすべて、ラホの責任にしてきた。これから、従業員全員とミーティングをして、改めて、自分の想いを話そうと思う」と伝えたら、ラホの表情は少し和らぎ、「わかりました」と頷いた。

従業員の作業が一段落した頃、全体ミーティングを開いた。

「もう、すでに、モウリドから聞いていると思いますが、先週は、大事な会議がナイロビであり、皆さんに直接、自分の想いを伝えることができませんでした。申し訳ありませんでした。皆さんの想いは、モウリドから伝えてもらいました」

 そこまで話した時、1人の従業員が立ち上がり、携帯電話で何やら話し始めた。別の従業員は、隣の従業員と、何やら私語を始めた。「またか」と心の中でつぶやく。自分なりに真摯に彼らに向き合おうとしているのに、彼らの対応が、この様子だと、どうしても真剣に話す気になれない。彼らの緊張感のなさに、事態の深刻さが伝わっていないのかと不安にもなる。

私は、頑張って作り笑いをして「私は、今、自分の想いを一生懸命話そうとしているので、どうか、私語は謹んでください」と、静かに語りかけた。

 「モウリドからは、皆さんがこれまで、私に対して色々な不満を抱いてきたことを聞きました。私がこれまで厳しく接してきたこと。常に小さな失敗を探し出し、滅多に、従業員が達成したことを褒めてくれないこと。もし、他にも何かあるのなら、今この場で話してください」と、従業員に尋ねた。

そしたら、予想通り、リーダー格のモハメドが話し始めた。

「モウリドにも伝えましたが、私たちは、工場長からの謝罪を受け入れ、仕事を再開することにしました。でも、できたら、本部のバヒドと直接話がしたかった。私たちの中に、工場長に密告した者が誰なのかも教えてほしい。そして、これから、主任に関して何か問題があるなら、従業員全体で話し合いをさせてほしい。
 
 これまで、何人もの工場長の下で働いてきましたが、今の体制が一番きついです。私たちは、以前に一度、工場長に『私たちをもっと信頼してください』とお願いしたことがありましたが、その、お願いを聞き入れてもらえなかったようで残念です。これまで、私たちは頑張って工場長からの厳しい指導に耐えてきましたが、今回、密告者が従業員の中から出たことで、我慢の限界に達しました。工場長は、私たちを信頼していないという証だと思ったからです。
それでも、工場長の謝罪を受け入れますし、私たちも悪かったと思っています。もし、もう一度、この様なことが起こった場合、バヒドと直接話しをさせてもらいます」

私は「他の人はどうでしょうか?」と尋ねると、ダヒールが手を挙げた。

「工場長が来てから、以前の工場長時代にはなかった問題が起こる様になりました。それは、従業員同士が信頼し合うことができなくなったということです。さらに、主任の与えられた権限が激減しました。例えば、主任が付ける出席簿を他の従業員が見られるシステムを工場長が作り上げたために、主任は常に従業員の目を気にしながら仕事をしなくてはいけなくなった。

工場長が来てからすぐに、二人の従業員が停職処分を食らった。その内の1人は、故意でやったわけではないのに厳しい罰を受け、私たちが情状酌量を求めても、工場長は聞き入れてくれなかった。私たちが出すアイデアは常に拒絶された。工場長が来た当初、工場長は外部から副主任を新しく連れていて、彼に監視役を勤めさせた。工場長は、私たちが時間通りに工場に来ているか確認するために、午前7時半に工場に来ることもあった。私たちが作ったレンガの数を数え、私たちが嘘を付いていないか、確認していました。

工場長は、ある日、各従業員がレンガをいくつ作ったのか記録するよう提案したことがありました。それは、従業員同士で競争をさせることになり、不信感を増幅させるものになると思い、私たちは拒否しました。

ストライキに入った日のミーティングで、工場長は私に対してとても高圧的でした」

私は、彼らが言う事を一つ一つメモに取り、一生懸命、頷きながら聞き入った。

 私は「皆さん、自分たちの胸の内を明かしてくれてありがとう。信頼関係を作るには、まず、自分たちの正直な気持ちを伝えることだと思うので、感謝しています。そして、これまで、皆さんに私のいないところで、とても大変な想いをさせてしまったようで、とても申し訳なく思っています。

私がなぜ、皆さんに厳しい対応を取らなくてはならなかったのかは、モウリドに渡した手紙にある通りです。ソマリア人に囲まれ、唯一のアジア人で、最初の1ヶ月で二度も騙されました。『もうこれ以上、騙されないぞ』と想い、罰則規定を厳格化し、皆さんの行動を小まめにチェックする様にしました。そうすることで、皆さんは私に嘘をつくことはできないだろうと思ったからです。そしたら、今度は8月に、別の工場の主任の横領疑惑が浮上しました。私の皆さんに対する不信感は絶頂に達し、何としても、もう騙されない様に、皆さんの行動をチェックする様になりました。

私と皆さんの間に信頼関係がなければ、この工場を運営することはできない。従って、私もあなたも仕事を失うことになる。だから、それだけは避けなければならないと想い、私は、騙されない様に必死でした。だから、皆さんを信頼していなかったという事は否定できません。

私は、罰則を強化するだけでなく、皆さんの能力をのばすことで、信頼関係構築をはかりました。しかし、それが、私の意図していない結果につながってしまったようです。例えば、私が、『昔と今の説明会ではどちらが良いでしょう?それはなぜでしょう?』とミーティングで尋ねた事がありました。私は、皆さんに考えてもらうことで、思考能力を高めてもらおうと思ったのですが、おそらく、皆さんからしてみれば『工場長は、私たちが昔やっていたやり方を批判している』という風にとらえてしまったかもしれません。

また、皆さんが『日傘がほしい』とリクエストしたことがありました。私からしてみれば、工場長に就任してから半年以上、一度も傘についてリクエストを受けてこなかったのに、『なぜ、突然?』という風に聞き返し、皆さんの論理的思考能力を伸ばそうと思ったのですが、皆さんからしてみれば、『頑張って考えた末の要望だったのに、また、工場長に断られた』という風に解釈されたかもしれません。私は、皆さんの能力を伸ばすことばかりにとらわれ、皆さんがこれまで達成したことを褒めるという一番大切なことを忘れていました」

 そして、私は手紙に書いた様に、「私は、これから皆さんとの接し方を変えます。その代わりとして、皆さんは私に嘘だけは付かないでください」と伝えた。

すでに午後1時を過ぎてしまっていたため、この日のミーティングはもう終わりにしなければならなかった。

私は、「もう、私は行かなければなりませんが、もし、何かありましたら、また、次のミーティングで話をしましょう」と伝えた。

ラホは、「これで工場長と和解したのだから、皆でお礼を言いましょう」と従業員に呼びかけ、「マーサンタイ」(ソマリア語でありがとう)と合唱してくれた。私は立ち上がり、ラホから順々に1人1人と握手をし「ごめんね、ありがとう」と頭を下げながら、輪を一周した。そしたら、ムードメーカーのエボ(男性、50代)が「私たちは過去の事は忘れます。だから、工場長も過去の事を忘れてください。私たちは、工場長が日本にいようが、ナイロビにいようが、一生懸命仕事をしますから」と自分の手を胸に当てながら、ソマリア語で言い寄って来た。私は、「わかりました」とエボの肩を抱き寄せた。

ラホが「工場長。この前、私たちを昼食に誘ってくれましたが、それは、今日は駄目なのでしょうか?」と照れ笑いを見せながら話しかけて来た。私も笑いながら「今日はもう行かなければ行けないけど、次のミーティングの時にしょう」と返答した。

従業員のボイコット-第四話-

「ハガデラ従業員へ

ナイロビで、七厘についての会議があり、それに出席しなくてはいけないため、直接、話すことができず、すいません。

まず始めに、皆さんが正直な気持ちを伝えてくれたことに感謝します。私がライフラインに入ってから、これまで、不満を自分たちだけの中に抱え込ませてしまったようで、申し訳なく思っています。

モウリドからの報告書を読んで、とても心が痛みました。これまで、私が皆さんにどれだけ厳しくしてきたのか、気づきました。これまで、私が皆さんの尊厳をどれだけ痛めつけてきたのか、気づきました。そして、あなたたちがどれだけ我慢強く、耐えてきたのかも、理解しました。本当に申し訳なく思っています。この手紙で、これから、私の皆さんに対する接し方を変えることを約束させてください。

なぜ、私が皆さんにとても厳しかったのか説明させてください。私が最初、ライフラインに入った時、とてもショックを受けました。まず、1人の従業員は、主任が自分の出席簿に偽りの記載をしていると訴え、後に、その訴えが偽りだったことが発覚しました。次に、その日、レンガを生産した数は80だったのにも関わらず、別の従業員は「200」と偽りの記載をしました。最初の一ヶ月で、2回も従業員から騙されました。私は、皆さんから歓迎されている感じも、信頼されている感じもしませんでした。私との関係なんてどうだっていいと思っている様に感じました。

皆さんにとったら、この二人の従業員がやった行為は、工場全体と切り離して考えられるかもしれませんが、私は違いました。工場長として、従業員からもう騙されないようなシステムを作らなくてはならないと思いました。工場長と従業員の信頼関係がなければ、ライフラインはダダーブで活動することはできません。私も、あなたたちも仕事を失うことになるのです。だから、私たちが信頼し合えるシステムを作る必要があったのです。

まず、罰則規定を厳格化しました。私は二人の従業員を一ヶ月の停職処分にしました。 一人目の従業員は、既に、前任の工場長から口頭で注意を受けていましたし、二人目の従業員は、注意は受けた事がありませんでしたが、ライフラインの生命線である報告書に偽りの記載をした罪は大きいと思いました。

皆さんが、もし20人のアジア人と一緒に仕事をしていることを想像してください。あなたが唯一のアフリカ人です。最初の一ヶ月で、二人のアジア人から騙されたとしたら、どうでしょう?アジア人グループと信頼関係を築くのは簡単なことでしょうか?

私はあなたたちを信頼することが難しくなり、とても用心深くなりました。用心深くなることで、あなたたちからこれ以上騙されないように心がけました。

もちろん、罰則以外でも、あなたたちとの信頼関係構築のために努力したつもりです。従業員と工場長とのミーティングの数を増やしたり、Tシャツや看板を作りライフラインの存在感を高めたり、忘年会でヤギを一匹振る舞ったり、日常的に冗談を言い合ったり、、。信頼関係ができれば、騙されることはないと考えました。

だから、私の接し方がとても厳しく、疑心暗鬼に満ちていたのは、最初の一ヶ月で二回も騙されたトラウマを引きずっていたからだと思います。

でも、これからは違います。もう過去の事は忘れ、頭をリフレッシュします。皆さんを信頼することにし、怒鳴ったりはしないようにします。皆さんの能力を試すより、皆さんの努力を感謝するようにします。

皆さんがストライキに入った日のミーティングでとったような高圧的な態度はもう取りません。あの日、私は、再び皆さんに裏切られた思いでした。私に何の相談もなく、仕事を中断したからです。私に電話をしてくれた人はいませんでした。ミーティングを申し出た人もいませんでした。あなたたちに再び裏切られた思いで、苛立ち、あの様な態度になってしまいました。でも、今は、あなたたちがなぜストライキに入ったのか理解できましたし、あの様な厳しい接し方をしたことをすまなく思っています。

これからは、あなたたちの言うこと、書く事、すべて信じる様にします。もっと皆さんの前で笑顔でいる様にします。あなたたちを非難するより、褒めるようにします。

その代わりに、皆さんに一つお願いがあります。私に嘘はつかないでください。皆さんが嘘をついたら、再び、これまでの不信感に満ちた関係に逆戻りすることを意味します。

1月、二つの工場で生産された七厘の数は1100個でした。これは2007年以来、ライフラインがダダーブで活動を始めて以来の最高記録です。1000個を超えること自体初めてのことでした。私は、皆さんの努力を心から感謝しています。

今回のストライキの直接の引き金となったのは、ラホの過ちについて、従業員が私に直接報告したことでした。これからは、あなたたちの中で、できるだけ情報共有することにしてください。そして上に情報を上げる際は、正式なルートを使ってください。従業員から、主任、主任からモウリド、モウリドから私という風に。もし、とても敏感な情報の場合は、ルート外から情報を上げてもらっても構いませんが、その場合、他の従業員の尊厳を傷つけないよう、できるだけ配慮した形でやりましょう。

何か質問や提案があったら、いつでも、私に伝えてください」

私は、これをモウリドに送り、電話で「これで、従業員たちは納得してくれるだろうか?」と尋ねた。モウリドは、「大丈夫だと思います。明確な謝罪文と、工場長なりの言い分が、わかりやすく説明されています」と言った。

文面で、私は低姿勢を貫いた。彼らにとって、私に不満を意思表示するということは容易ではない。ライフラインから解雇された場合、読み書きのできない彼らにとって他の就職口を探すのは至難の技だ。だから彼らは、私が工場長になってから様々な痛みを伴う改革も、黙って従ってきた。私が工場に入った当初、従業員の規律の乱れはあったものの、彼らだけを非難するのは酷で、ライフライン側がしっかり彼らを世話してこなかった面もあるのだ。これを機に、彼らとの信頼関係を再構築できたらという願いを込めて書いた。

モウリドは、次の日に、この手紙を持って、従業員を説得するという。果たしてどんな、反応になることやら。

従業員による初めてのボイコット ―第三話―

2月3日深夜、ナイロビの自宅で悪夢にうなされ目覚めた。こんなことは何年振りだろうか。どんな悪夢だったかは覚えていないが、「プリーズ!」と叫びながら、ベットから起き上がり、我に返った。 工場長になって8ヶ月。従業員が全面ストライキに入ったことは、自分が意識している以上に、精神的ショックになっているようだ。

自分は最悪のシナリオを思い描いていた。 昨年12月、ソマリアの首都、モガディシオで活動する援助団体から解雇されたソマリア人が、元上司のベルギー人を射殺した。ここまで直接の危害は免れたとしても、 従業員が、難民キャンプの長老に報告し、キャンプ住民から「ライフラインは出て行け!」と言われることだってありえる。

2月4日は、妻の友人が韓国から遊びに来ており、ナイロビ市内を案内していた。ストライキに入った工場をほったらかして、ナイロビに来るのは工場長としていかなものかと思うが、2月6、7日と、七厘に関する国際会議がナイロビで開かれるため、2月3日の飛行機でナイロビに来ていた。

ナイロビにある、ゾウの孤児園へ友人を案内し、多くの西洋人観光客に混じって、赤ちゃんゾウがミルクを飲んでいる姿を眺めながら、工場の事を考えていた。モウリドは「朝八時からミーティングをして、うまくいけば、九時から、仕事を開始させるようにします」と言っていた。果たして、物事がそんなにうまく進むのだろうか?

午前11時になっても連絡がない。11時半、モウリドに「どうなった?」と携帯メッセージを送った。「後で、メールで報告させてください」という。モウリドの思惑通りに進んでいないことを察した。

午後5時、自宅に戻り、メールチェックをしたら、モウリドから報告書が添付されていた。

「今日、従業員と話してわかったことは、彼らの中に、工場長に対する積もりに積もった不満があったということでした。今回のラホの件だけを話そうと思っていたら、従業員たちは、次から次へと、工場長がライフラインに入ってからを遡って、話し始めました。

彼らは、工場長が入って直後に二人の従業員を停職処分にし、それからもずっと対応が厳しいと言っていました。ラホも、工場長が工場に来ると、事情を聞かずに様々なミスを指摘され、信頼されていないと感じると言っていました。他の従業員も、たくさんレンガを生産しても、褒めてもらえず、一方で、細かいミスに関しては徹底的に批判してくることに不満を感じています。

工場長が不在中も、しっかり仕事をしたのに、全く信頼されている感じがしない。一生懸命仕事をしても、工場長は工場の内部に密告者を作り、従業員間に不信感を生ませる。

木曜日のミーティングでも、工場長はとても怒っているようで、従業員たちは工場長の対応に恐怖を感じたとの事です。

だから、従業員全員がお互いを信頼しあって働き合えるようなシステムを導入してもらわないと、この工場では働くことができない。もし、システムができないなら、ライフラインから別の人を連れて来て、問題を解決してほしい、と要求しています」

私は、二度、ゆっくりと読み返した。今回のラホとの対立はストライキの引き金になっただけで、実際の問題は、もっと根深いところにあったということだ。

私は、早速、モウリドに電話をした。

私:報告書、読んだよ。ありがとう。私に対する不満が、かなり溜まっていたということだね。
モ:はい。
私:残念ながら、今、ダダーブに行って、彼らと話し合う事ができない。どうすればいいだろうか?
モ:メールで、工場長の思いを書いてもらえば、それを、私が彼らにソマリア語に訳して伝えますよ。
私:わかった。とにかく、早くしなくてはいけないね。
モ;はい。今日中に送ってもらえれば、明日にでもそれを伝え、すぐに、仕事再開できると思います。
私:従業員は、彼らなりに一生懸命やってきたのだよね。二日前に、君からもらった月間報告書を見たら、1月は、七厘が1100個も配布されていた。これは、ライフラインの歴史上、最高の数だよ。私は、褒めてやることを怠ってきたのかもしれないね。
モ:工場長は、ライフラインの良いところは、読み書きのできない人や、障害を持っている人など、社会的弱者に雇用の機会を与えていることだと強調してきました。従業員はそれは理解できるのですが、だったら、弱者に対して、もって、優しく対応してくれてもいいのではないか、と思っているようです。
私:そうだな。木曜日の彼らに対する私の話し方は、そういった配慮に欠けていたかもしれないね。
モ:このまま彼らを解雇したら、キャンプ全体からの反発は免れないばかりか、「弱者に寄り添うライフライン」、というメッセージの説得性も一気に失われます。
私:うん。とにかく、自分の思いをメールに書くよ。それを、まず、君が読んで、彼らが納得してくれるかどうか、助言してくれないか?
モ:わかりました。それでは、メールが来るのを待っております。
私:ありがとう。

 私は、早速、机に向かい、キーボードを打ち始めた。この8ヶ月間の思いを、一つ一つ、わかりやすく綴り始めた。

従業員による初めてのボイコットー第2話ー

ここで、遅れてやってきたラホが輪に入ってきた。ラホは、いつもの様に、長々と話し始めた。

1.昨日、工場長に呼ばれ、「1月に3回遅刻したのに、出勤簿に遅刻マークを記さなかったと、他の従業員から聞いた」と言われた。私は、「何も覚えていない」と伝えたが、繰り返し尋問を受けた。工場長から「もしこの密告が本当なら停職処分だ」と脅された。誰が流した情報かもわからないのに、こんな風に脅されるのは心外だ。
2.工場長は、昨年、この工場に来てから、ずっと、私のミスを細かく指摘し、厳しすぎる。
3.先ほど、別の主任が「犬」と従業員を呼んだことを例に出しましたが、ああいう言い方をされると、自分が他の従業員を侮辱したように思われ、心外
4.昨年、新しく雇った副主任のアデンが、工場長が私について悪口を言っていることを聞いた。
などなど、まくしたてるように言い続けた。
私は、一つ一つ、メモに取りながら、答弁した。

1.犬については、単なる例です。情報の流れをすべて主任に任せた場合のリスクについて説明したかっただけです。もし、私がこの例を出すことで、他の従業員が、ラホと照らし合わせて考えてしまったのだとしたら、謝ります。

2.次に、昨年の副主任のアデンの件ですが、彼からは、ラホ自身が私について良くない話をしていたことを聞いています。だから、これについてはイーブンですね。

3.私が、あなたに対して特に厳しくしてきたという指摘ですが、この工場は私が来た当時、問題がたくさんありました。報告書に偽りの記載をした者もいれば、でっち上げ話で他の従業員を侮辱したものもいれば、2ヶ月間の無断欠勤もありました。こういった問題に取り組むためには、私とあなたで協力しなければいけない。それについて、あなたに話す時、もし、私があなたを責め立てているような言い方だったとしたら、それについては謝ります。

4.最後、私が昨日、あなたを脅したということですが、昨日の会話のやり取りをすべて覚えているので、皆と共有させてください。(「主任との確執、再び」2月2日のブログに書いたことを一つ一つ説明した)。私は、ラホが「私は遅刻していません」と断言していれば、それ以上、事情を聞くことはしなかった。でも、ラホは『覚えていない』と言ったから、色々、質問しなくてはならなかった。こちらに脅すつもりは全くなく、もし、ラホがそういう風にとらえてしまったのだとしたら、謝ります。(これで3回目の謝罪)

それに対し、ラホは反論した。「私たちは一つのチームとして、真摯に仕事に取り組んできた。にもかかわらず、従業員が直接、工場長に情報を流すシステムは、チームワークを台無しにする。ライフラインは、アメリカに本部があり、工場長がいて、アシスタントのモウリドがいて、私がいる。情報伝達のはしごがしっかりあるのに、それを飛ばして情報が流れる場合、従業員同士に不信感が生まれる。工場長は私たちを信用してないのではないか。従業員が組織のトップの為にスパイ行為をするなんて聞いたことがない。工場長が敷いたシステムは良くない」

私は長い議論は嫌いだった。要するに、ラホは、彼女を通さずに、従業員が私に密告したことに対し腹をたてている。それに対し、私は何の躊躇もなく、真っ正面から 、ゆっくりとした口調でラホに質問した。「あなたが工場長で、主任が従業員を誰も見ていないところで殴ったと仮定しましょう。この殴られた従業員は、工場長に直接このことを報告できるのか、それとも、この主任を通さなければならないのか?」

 ラホは「直接、報告できると思います」と答えた。

 私は続けた。「それで、報告を受けたら、あなたはどんな行動をとりますか?」

 ラホは、「主任に事情を聞きます」

 私は「それは、私がした事と違うのでしょうか?」

 ラホは、また、これまでと同じ議論を繰り返し始めた。

 私は、彼女に真っ向から質問をくりかえした。「つまり、あなたは、状況によっては、従業員が、主任を通り越して、工場長に直接報告することは仕方ないと思っているということでいいのですね?」

 モウリドがソマリア語に訳してラホに質問するのだが、何やら、何度も何度も、ソマリア語でやり取りが続き、モウリドから英語での返答が返ってこない。「ラホが質問をはぐらかすのです。彼女がこれまで積み上げてきた功績とかについて話し始めるので、私が、繰り返し、質問に答えるように言っているのです」と言う。

結局、10往復近くソマリア語でやりとりが繰り返された後、ラホは「主任に関わる問題の場合、従業員が工場長に直接報告するのは仕方のない事だ」と静かに頷いた。

そこで私は「じゃあ、今回の問題は一体何だったのですか?」と尋ねた。ラホは「私に言えないのなら、モウリドに報告することもできたのではないですか?工場長より下に、モウリドがいるのですから」と言ってきた。私は「私に報告されるのと、モウリドに報告されるのと、何が違うのでしょう?モウリドに報告がいったとしても、あなたに事情を聞くという意味で、結果は同じだったはずです。それに、今回の報告は、私とモウリドが両方いるところで行われました」と伝えると、ラホは、もう何も言えなくなった。

 私は「これからどうするのですか?」と尋ねると、ラホは「少し考えさせてください」と納得いかない表情で答えた。

 私は「もし、次、ボイコットするなら、その前に私に話をしてください」と全員にお願いし、会議をしめた。

 私は、お互いの和解のために「昼ご飯でも行きましょう」と誘ってみたが、反応がなかった。二人ほど付いてきたが、他の従業員たちに呼び戻された。「ここで、工場長と一緒にご飯を食べたら、密告者扱いされてしまいますからね。皆、恐れているのですよ」とモウリドが説明した。事態は、私が思っている以上に深刻なのだと悟った。

 毎日、工場に顔を出せず、言語の違いから従業員と直接会話を交わせない工場長にとって、内部密告者はとても大切な存在だと思っていた。従業員の規律を正すことや、従業員の中の人間関係を知る上で、欠かせない存在。それが、従業員同士の信頼関係を崩すというリスクは知っていたつもりだったが、組織が成長するためには、取らざるを得ないリスクだと思っていた。

しかし、ここでは、その考えが通用しない。ソマリア人同士の信頼関係を私は甘く見ていた。20年以上内戦状態のソマリアから国外へ逃れて暮らしているソマリア人は100万人以上と言われる。アメリカにいようが、ヨーロッパにいようが、ソマリア人専門の送金業者がおり、 電話一本で、お金のやり取りが瞬時でできる。20年間、中央政府が機能しないソマリアでは、家や家族をなくしても、政府から生活保護などを受け取る事はできない 。つまり、同胞内の信頼関係を頼りに、ソマリア人は生き抜いてきた。

 そのネットワークの延長上に私の工場もあった。ラホの親戚や知人が優遇して雇用され、従業員の信頼関係は絶大なものだっただろう。その中に、不信感を募らせたことは、従業員にとっては一大事だった。

 しかし、じゃあ、私には何ができたのか。密告があっても、それに対し、何の行動も取らないという選択はあり得たのか?行動を取れば、それは、自動的に内部密告者がいることをほのめかすことになる。モウリドに尋ねたら、「難しいですね。とにかく、彼らに、密告者が出ないよう、何かあったら、常に主任に報告し、できるだけ自分たちだけで解決する。解決したら、それを、工場長に報告するというシステムを奨励する。そうすれば、従業員たちも理解してくれるかもしれません」と言う。私は「ただ、今回みたいに、主任に対しての問題は、主任に報告はできないのでは?」と聞いた。「工場長ができるだけ、従業員間で情報を共有するよう奨励すれば、今回の様な密告行為が好ましくないという、彼らの考えを間接的に支持することになり、彼らも理解してくれるのではないでしょうか?」と言う。

私は、モウリドの存在を心の底から感謝した。彼は、私の発言を、何度も何度もソマリア語で話し、従業員が理解するまで話し続けてくれた。私以外全員ソマリア人で、仕事をボイコットし、今まで抱いた事のない疎外感があった。モウリドが中立を保ち続けて、ソマリア人社会の事情を酌みつつ、双方が理解し合えるよう、通訳に徹してくれたおかげで、何とか、自分の思いを伝えることができた。

私はモウリドに、「要するに、私が工場長としてした行為を論理的に非難することはできないが、結果的に、工場内の従業員の間にあった信頼関係に傷がついたことが一番の問題ってことだよね?」と尋ねたら、「そういうことです」と答えてくれた。

モウリドは「工場長の考えはもう伝わりました。ここからは、私に任せてもらえませんか?」と提案してきた。モウリドなら、ソマリア人社会の事情を酌んだ形での話し合いができるはずだ。すべて「論理」でしか説得できない私には無理だ。私は「頼むよ」と言い、「本当に今日はありがとう」と彼の右手を強く握りしめた。

従業員による初めてのボイコットー第1話ー


ラホとの対立から一夜明けた朝、モウリドから電話があった。「ラホが工場長から公平に扱われていないと言って、今日は出勤しないと言ってきました。そして、工場にいる副主任のキモからも、他のスタッフ全員が出勤はしたが、仕事をせず、ただ、座って話しているだけのようです」との報告だった。時間は午前8時半。勤務開始時間を30分過ぎている。この日は工場に行かず、事務所で1月の報告書作成に費やそうと思っていたが、予定を変え、モウリドと工場へ向かった。

向かう途中、モウリドは「ラホが仕事に来ないから、他のスタッフ全員も仕事をしなくなるなんて、おかしい。ラホが圧力をかけたとしか思えない」と言う。私は「何の説明もなしに仕事をボイコットするのはルール違反だ。ラホに電話して、私が工場に向かっているから、説明に来るように伝えてくれ」とモウリドにお願いした。モウリドはすぐ電話をし「病院に行くから、少し遅れるとのことです」と話した。

工場に着くと、ラホ以外の従業員全員、私服姿で、工場の前の木陰に座っていた。私は「ラホが仕事に来ないから、あなたたちが仕事をボイコットする理由にはならない。あなたたちは、ラホと契約を交わしたのではなく、私と交わしたのだから、何か不満があるなら、私に話してください」と伝えた。

従業員のリーダー格のモハメドが「私たちはこれまで皆を信頼し合って仕事をしてきました。でも、今朝、ラホから電話があり、昨日、工場内の複数の従業員がラホの失態について工場長に密告したことを知りました。ラホは、私たちのせいで、仕事に行くことができなくなったと嘆きました。私たちの中に、密告者がいるということに、私たちは耐えることができません。皆、お互いを疑い合っています。これでは、仕事はできません」

私は、「ラホについて問題が、他の従業員から指摘されたのは事実です。それについては今調査中で、私はラホに何の罰則も与えていない。昨日、ラホからは事情を聞いただけです。それだけのことで、あなたたちが仕事をボイコットする理由がわからない」

女性のミンシャが「他人について誤った情報を流すのはいけないと思います」という

私は「その情報がどんな情報か皆さん知っているのですか?」と尋ねると、皆、首を振った。「ではその情報が正しいのか間違っているのか、ここで判断するのはやめましょう」と伝えた。

私は「皆さん、自分が工場長で、従業員が、他の従業員について問題を指摘してきたら、その従業員に事情を聞きますか、聞きませんか?」と尋ねたら、皆「尋ねる」と答えた。「それでは、何が問題なのですか?」と聞きただすと、モハメドは「誰からもわからない情報によって、私たちは混乱している。お互いへの信頼がなくなった。だから、ラホも仕事に来れなくなった。一体、この中の誰が密告したのか、皆、知りたがっている」と言った。

私は「どんな組織、社会でも、内部密告者というのは大切な存在です。組織の中にある問題をあぶり出し、その問題を対処することで、その組織は成長していくものです。そこで大事なのは、この内部告発者の秘匿です。この存在が明らかにされたら、密告によって危害を被った人から復讐されかねないため、彼らのプライバシーを守ることは大切なのです」と説明した。

私が一生懸命話している間、後ろで従業員の1人が「くす」と笑うのが聞こえ、頭に血が上った。「何がおかしいのですか?」とその従業員を睨みつけた。「あ、ちょっと、携帯電話がなったので」とその従業員は弁明した。仕事をボイコットされ、従業員全員を敵に回しているような感覚になり、私も頭が混乱していた。

モハメドは、さらに続けた。「私たちには、工場長の下に、主任がいて、副主任がいる。何か問題があれば、従業員は直接工場長にではなく、主任や副主任に伝えればいい。情報伝達のはしごはしっかり守らなければならない」と言う。

私は「昨年、前任者のJから仕事を引き継いだ時、別の工場の主任はとても信頼できる人だと聞いていました。だから、彼を私も信頼し、彼からだけの情報に頼って、工場を運営していました。しかし、数ヶ月後、その主任が、他の従業員を『犬』と呼んでいたことがわかったのです。私が、主任からの情報だけを頼りにしていたばっかりに、主任が犯した従業員に対する侮辱行為を見抜くことができなかった。モハメドに尋ねますが、あなたが、主任から犬呼ばわりされたら、それを工場長に伝えようとは思いませんか?」。

モハメドは「伝えます。でも、私は、名前を公表して、皆の前で伝えます。工場長は、なぜ、昨日、ラホに個人的に伝えたのでしょうか?皆の前で伝えれば良かったのではないでしょうか?」

私は「それはラホの名誉を傷つけることになります。まだ、その情報が正しいのか、間違っているのか、わからない状況で、それを公表することはできません。それに、皆、モハメドと同じ様に名前を公表して密告することは難しいと思います。例えばソマリアの武装勢力から人権侵害を被り、それを新聞記者に伝えるとした場合、あなたは実名を公表できますか?」と尋ねた。

従業員は「それと、これとは話が違います」と言う。私は「根本的な概念は同じです。今回だって、名前を公表することで、その人たちが、復讐されないとは限らない。だから、もし、私が名前を公表するべきだと考えるなら、私たちは一緒に働くことはできないと思います」と強く言った。

ここで、遅れてやってきたラホが輪に入ってきた。ラホは、いつもの様に、長々と話し始めた。

主任との確執、再び

これまで何度か対立してきた工場Aの主任、ラホ(仮名)との関係に再び亀裂が入った。

ある従業員が「ラホは、1月、3回遅刻してきたのに、出席簿には、遅刻マークを付けなかった」と告げてきたのだ。

報告書に偽りの記載をすれば、即、停職処分。しかも、主任がそれをやっているとすれば、深刻な問題だ。報告書は、毎日、工場に行けない私と従業員との信頼関係を保つ唯一の代物だ。それの信頼がなくなれば、工場の運営はやっていけない。

私は、別の従業員に個別で「ラホが3回、遅刻してきたと聞いたのだけど」と尋ねたら、「はい」と即答してきた。その従業員は「絶対、私があなたに告げ口したこと、誰にも言わないでくださいね」と言ってきた。ラホからの復讐を恐れている。

2月1日、ラホはこの日も、遅刻してきた。8時出勤なのに、8時5分に工場に無言で入ってきた。他の従業員は全員出勤してきている。

モウリドとラホの3人だけで、話し合いを始めた。ラホは日常会話レベルの英語は話せるが、自分より英語を巧く話せる人がいる場合、ソマリア語で話す。モウリドが通訳に徹してくれた。

私: 今日は遅れてきたけど、どうかしたの?
ラ: ちょっと、子供の世話に時間がかかりました。
私: 複数の従業員が、1月に、あなたが3回遅刻したと告げてきました。
ラ: (首を振りながら)よく、覚えていません。
私: 何を覚えていないの?
ラ: 普段、私は、8時前に来て、他の従業員が時間通りに出勤しているかチェックしています。

私:1月の出勤簿を見ると、あなたの欄には遅刻マークがないのだけど、これは、あなたが、毎日、時間通りに来たということではないの?
ラ:私は主任として、他の従業員が時間通りに来ることを確認しなければなりませんので。
私は、質問への答えが返ってこないことに、不信感を募らせた。

私:出席簿に遅刻マークがないなら、「毎日、時間通りに出勤しました」と断言はできないのかな?
ラ:、、、よく、覚えていません。もしかしたら、私が午前8時に門を入って、門番と話をし、工場に入ったのが8時5分だったから、その従業員たちは私が遅れてきたと勘違いしているのかもしれません。

門と工場は約70メートルの距離があり、確かに、工場の中にいたら、門に誰かいるか見ることはできない。それでも、私は、不信感を払拭できなかった。

私:あなたが言うように、主任の任務は、他の従業員が時間通りに来るかどうかチェックすることです。だとしたら、主任であるあなたが、午前8時丁度に門に着いたら、門番と話すより、まず、工場に顔を出し、従業員の出欠確認を優先しないのでしょうか?

ラ:、、、、。

私:あなたが遅刻した場合、あなたは自分の出勤欄にどう記入するのですか?

ラ:遅刻、と記します。
私:主任であるあなたが、遅刻するようなことがあると、従業員全体の規律に大きく影響します。さらに、遅刻した時、それを出勤欄に「遅刻」と記載しなければ、停職処分に値する大きなルール違反です。
ラ:私は2007年以来、この工場の発展のために一生懸命働いてきました。なのに、なぜ、工場長は私に対していつも厳しいのか理解できません。これまでも、何度か、工場長から厳しい応対をされた記憶があります。一つでも小さな失敗があれば、その失敗に対し、工場長はとても敏感に反応します。工場長に告げ口した従業員は、私が主任であることを良く思っていないから、話をでっち上げているだけです。そんなでっち上げた話を基に、私が非難されるなんて心外です。

  ラホの私に対する非難は、長々と続いた。小さな失敗も細かく指導するというのは、案外、当たっているかもしれない。でも、今回のケースと、それとを混同してはいけない。

私:あなたの正直な気持ちを伝えてくれてありがとう。お互いの胸の内を明かし合うことは大切だと思います。ラホに一つ尋ねます。工場の従業員が、あなたに「別の従業員から殴られた」と告げてきたら、どうしますか?その別の従業員に事情を聞きますか?それとも、何もしませんか?

ラ:事情を聞きます。

私:私が、今やっていることは、それと同じではありませんか?
ラ:告げ口した従業員たちに裏切られた思いで、気分が悪い。
私:その従業員たちだって、私に告げ口して良い思いはしていないでしょう。私だって、今、こうしてあなたに事情を聞くのも、良い気持ちにはなりません。あなたが立派な主任だと思っているから。皆、悪い気分です。

ラホはふて腐れた表情で、頷き、退出していった。これから、ラホが内部告発者の摘発を始めるのか、それとも、勤務態度を改めるのか。

工場からの帰り道、モウリドと二人きりになり、尋ねてみた。
私:私はラホに厳しすぎるのだろうか?
モ:ラホは、工場長が、ラホを主任の職から外そうとしていると思っているのかもしれません。そのための「理由」を探していると。
私:でも、悪いことは悪いと言わなければならないし、難しいな。もっと、褒めてあげれるところは、褒めてあげればいいのかな?
モ:そうですね。

小さなミスでも、指摘してあげることで、従業員がそれについて考え、自分たちで対策を練って、彼らの能力向上につなげたかった。でも、あまり、小さなミスばかり指摘し続けることで、彼らの能力以上のものを要求しているのかもしれないという不安もある。

例えば、今日のラホのやり取り。「門番と話したから遅刻と勘違いされたかもしれない」、という彼女の言い訳に対し、私がしたように彼女の論理的思考に疑問を投げかけるか、「そうか」と納得してあげるべきか、選択は分かれるだろう。後者をとって、彼女との人間関係を優先するか、前者をとって、彼女のコミュニケーション力や勤務態度を試すべきか。ただ、前者をとることにより、私が、小学校4年で中退したラホが持ち合わせている能力以上のものを要求しているのだとしたら、それは彼女にとっても酷なことなのかもしれない。

そんなことを考えながら、この工場を運営していく難しさを改めて思い知った。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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