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工場長からの指導、監督は誰のためなのか

4月24日の全体ミーティングで、私は、いつもの様に従業員たちに質問を切り出した。

私:皆さんの活動は、誰の生活の役立っているのでしょうか?
従:難民です。
私:そうですね。他にはいませんか?
従:私たち自身です。
私:はい。他には?
従:私たちがソマリアに戻れば、ソマリアの人たちの生活にも役立ちます。
私:そうですね。森林を保全することで、昨年の干ばつなどの自然災害を自分たちの力で予防することができるようになりますね。果たして、私たちの活動は、難民やソマリア人たちだけを助けているのでしょうか?

(少し間が開いて)

従:キャンプ周辺に住む、ケニア人も助けています。
私:でも、七厘を配っているのは、難民だけです。
従:私たちの七厘によって、周辺の森林が保全されれば、ケニア人の生活も改善されます。
私:そうですね。皆さんの活動は、難民やソマリア人だけでなく、ケニア人の生活改善にも役立っているわけです。では、次の質問です。この工場での私の役割は何でしょう?
従:本部と私たちとの繋ぎ役です。
私:はい。とても重要な役割ですね。他にはありますか?
従:、、、、。
私:私の役割は、本部と皆さんを繋ぐことだけでしょうか?
従:私たちの能力を高めることです。
私:そうです!私の最も重要な役割は、皆さんを指導、監督するということです。それでは、何のために、私は皆さんを指導するのでしょうか?目的は何でしょうか?
従:私たちが将来、ソマリアへ戻った時、自分たちで七厘工場を運営できるようにするためです。
私:はい。そうですね。では、私の指導は、あなたたちだけのためにあるのでしょうか?他の人は、誰も恩恵をこうむっていませんか?
従:、、、、、、、。


従業員たちの表情は困惑した。私から次々と浴びせられる質問に一生懸命答えようとしているが、どうやら、限界が来たようだった。

私:「私は、ライフラインの支援の質の向上のために、皆さんに日々、指導しています。ライフラインの支援の質が上がれば、皆さんの同胞たちの生活が改善されることを心から信じているからです。だから、私が、皆さんに何か指導する時、私があなたたちを嫌っているからだとか、工場から出て行ってほしいだからだとか、考えないでください。あくまで、皆さんの生活を改善していという想いだけで、これまで皆さんに語りかけてきたつもりです。

この10ヶ月間、皆さんには色々指導してきましたが、その度に、逆切れしたり、黙り込んだり、まるで母親を亡くしたかのような悲しみを見せる人までいました。もし、私の言い方に問題があったのなら、謝ります。これからも、言い方には気をつけていきたいと思っています。それでも、決して、私は皆さんを憎んだりはしていないということだけは、忘れないでください。私は、あくまで、皆さんの同胞たちを救いたいという一心で、これまでやってきたつもりです。

就業時間に遅れたりすることや、就業時間が終わる前に仕事を中断すること、無断欠勤すること。それらは、すべて、皆さんがサインした就業規則に書いてあることです。それに従わないというのは、皆さんが私に嘘を付いていると同じことなのです。将来のソマリアを考える時、皆さんが規則を守れるようになった方がいいと、私は信じているからこそ、規則を破る行為に対しては、しっかり注意してきました。

色々、融通がきかない所も多々あり、言い方も辛辣かもしれませんが、そういう時こそ、話し合ってお互いを理解していくようにしましょう」

従業員たちはいつもの様に黙って聞いていた。モウリドは、「皆、とても工場長の言葉に感謝しているようでしたよ。皆、他人から何かを本気で教わるという経験がないから、工場長からの指導も、自分たちのため、同胞のため、ましてやソマリアのためなんて、考えることなかったと思いますよ」と言っていた。

ミーティング後は、レクリエーション活動として野球をした。ナイロビで買ったゴムボールとプラスチックバットで、工場近くの広場で、従業員たちに教えた。大根打ちをする者、守備でボールを取り合いする者、打っても走ることを忘れる者、バットを持って走る者もいて、打順を守らず、とにかく毎回打席に立とうとする者などなど、従業員たちと笑いが絶えない時間を過ごせた。将来は、アフリカからプロ野球選手が誕生しないかな。
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私の指導を従業員が素直に受け取れない理由


副主任に降格させられたアダンが、私のモニタリング指導に対して怒りをぶつけたことが、頭に引っかかり続ける。こちらは、彼らの能力向上のためだけでなく、難民の生活改善を目的に、従業員を指導しているつもりでも、それが、彼らに伝わらないのはなぜだろうか。「工場長に仕事振りを観察されるのは、自分の失態を検索されている気分」とアダンはモウリドに言っていたという。工場を去った元主任のラホも、同じような事を言っていた。

原因は色々考えられる。

1.私の言い方が良くない
2.彼らの活動が「生活改善」へ結びつくという認識がない
3.他人から襲われることはあっても、何かを教わった経験がない
4.援助団体全般や外国人に対して「信頼」がない

まず、私の言い方。私の顔はスペイン人顔負けに堀が深く、目つきが鋭いため、普通に人を見るだけで、その人が睨まれていると勘違いしてしまうことがあるほど。声も自然と大きくなるため、私は普通に話しているつもりが、他人は怒鳴られていると勘違いすることもある。だから、従業員に対しては、できるだけ笑顔で、静かな口調で語りかけることを心がけているつもりでも、気がつくと、モウリドに「口調が感情的になっていますよ」と忠告を受けることがある。

2は、私が工場長になる以前、七厘が環境保全のために作られているということさえ知らない従業員がいた。だから、どれだけ私が一生懸命指導したところで、それが、彼らの生活のためだという認識がなければ、指導をありがたく受け取ることは難しい。

3は、難民特有のもので、祖国で武装組織に襲われたり、ケニアで警察に暴力を受けた経験はあっても、学校は行った事がなく、授業や職業訓練など、新しい知識や技能を家族以外の人間から教わるという経験がない。だから、私が、彼らの改善点を指摘するということは、自分たちに対する攻撃だと自動的に考えてしまう。

 4は、少し意外かもしれない。なぜ、難民を援助する団体に、難民が不信感を抱くのか。昨年2月、私が国連勤務時代に実地した18―35歳の難民1300人の調査では、難民と援助団体の関係について興味深い結果が出た。「援助団体から難民の若者はどう見られていると思うか?」の質問に、教養が高い難民ほど、ネガティブに見られていると考える割合が高かったのだ。本来、教養が高ければ、援助団体などで働き、キャンプ運営に貢献できるのだから、ポジティブに見られると考えるのが自然だ。

 この背景には、ケニア政府の難民政策がある。本来、難民に認定されれば、その国の市民同様、在留許可は勿論、就労の権利などが与えられる。しかし、ケニア政府は、難民キャンプに閉じ込める政策を取り、難民は原則、就労許可は与えられない。それにより、援助団体で働く難民は「ボランティア手当」というお金しか支給されず、ケニア人従業員との賃金の格差はものすごい。同じ学校の先生でも、ケニア人は3万円、難民は7千円といった具合だ。

 つまり、教養が高ければ高いほど、援助団体で働く割合が増える。それにより、難民とケニア人の待遇の差に直面し、難民は「低賃金労働者」として搾取されていると感じることが、調査結果の背景にあると思われる。

 私の従業員も、口を揃えて、ケニア人との賃金格差について不満の声をあげている。だから、私がどんなに頑張って彼らの能力向上に勤めたとしても、彼らは、「結局、どれだけ頑張っても賃金が変わらない」というあきらめムードがあるのだ。

 私が就任当初は、従業員は就業規則も契約書もなく、彼らが労働者としてどんな権利があるのか、知らされることはなかった。だから、彼らの「低賃金労働者として搾取されている」という感はものすごく、ライフラインが真剣に彼らの人材育成に取り組んでいるなんて、微塵も感じていなかったという。

 そんな、複雑な背景がある中、私は、話し合うことでしか、お互いの信頼関係構築の方法はないと思い、4月末の全体ミーティングで、自分が彼らの指導、監督する目的について話す事にした。

降格人事ー続編ー

先日、主任から副主任への降格人事を告げられたアダン。彼の私に対する怒りは収まらない。

4月19日、配布された七厘がしっかり使われているかどうかのモニタリング(調査)をアダンとモウリドとやった。3月下旬に、モニタリングをする手順を書いた説明書をアダンらに渡し、半日に渡って、説明をした。その成果を知りたかった。

ライフラインに入って、モニタリングがとても敏感な作業だと痛感した。うちの従業員は、自分たちが作った七厘について問題があるなんて思いたくない。そんな事を言えば、ドナーから見放され、仕事を失うことを恐れる。受益者側も、無料で七厘をもらっておいて、それについて文句はいいたくない。文句を言えば、次から七厘を配布してもらえない恐れだってある。だから、私が工場長に就任した当初、モニタリング報告書には、すべての受益者が私たちの七厘に「満足」をしていると、記録されていた。

しかし、私が実際、モニタリングに同行してみると、報告書とは全く別の現実がそこにはあった。「この七厘の形では、ウガリ(ケニアの主食)を料理するのが難しい」という意見が多く聞かれたのだ。ウガリは、トウモロコシ粉などを混ぜて作り、とても粘っこく、長い時間かき混ぜなくてはいけないため、私たちの七厘の形では、ウガリを混ぜる際、鍋が固定されにくいということだった。

私は、モニタリングを行う際の方法を変えれば、受益者も本音が言いやすくなるだろうと思い、細かく手順について書かれた説明書を作った。これまで、従業員たちは、「モニタリングに来ました」などと挨拶をし、「七厘はどうですか?」などと聞くだけだった。そこで、説明書では、「笑顔で自己紹介した後、『私たちは、将来、さらに良い質の七厘を皆さんに配れるよう、現在の七厘について調査をしております。皆さんの七厘についての感想は、私たちにとって良い参考になるので、是非、協力していただけないでしょうか?』と言う」など、目的を明確化させ、受益者が本音を言うことが、彼らにとっての利益になるということを伝えるようにした。

そしたら、効果は的面。「薪を入れる枠が小さい」「薪に点火しにくい」「壊れやすい」「背が高く、幅が小さい」などなど、様々な問題が浮上した。

 今日は、アダンが、説明書に書かれた手順に従ってモニタリングをするかどうか、確認したかった。

 2ヶ月前に七厘を受け取ったと言う20代女性の家に行き、アダンは話しかけた。「七厘はどうですか?」「私たちの七厘で何でも料理できますか?」

 肝心のモニタリングの目的について話していない。表情も強ばっている。受益者の女性の表情も固い。説明書が手元にあるにもかかわらず、アダンはそこに書かれた質問のいくつかも飛ばしている。

私は、その後、満面の笑顔で、女性に自己紹介をし、目的を話した。そしたら女性の表情も少し明るくなり、アダンにした説明よりもさらに詳しく、七厘が抱える問題について聞く事ができた。

女性にお礼を言い、アダンとモウリドと日陰に入って反省会をした。私は、主任が、一ヶ月前に配った1ページ半の説明書通りに仕事をすることができないことに苛立った。アダンは、それを十分に自覚しているようで、「この説明書はまだ一回しか目を通しておらず、すべてを覚えきることはできませんでした。それに、この説明書を受け取ってから、私は1度もモニタリングをしてきませんでした」と弁明した。

私:説明書は一ヶ月前にあなたに渡したのに、なぜ、一度しか目を通していないのか、私には理解ができない。先週、副主任に降格させると言った時、あなたは「自分のどこがいけないのか?」と言っていました。1ページしかない説明書すらまともに目を通すことができないで、どうやって、他の従業員を指導する立場にいれるのか?

ア:これまで、私は、工場長からたくさんの説明書を配られ、頭がパンク状態になっていました。まともなアシスタントもおらず、「あれやれ」「これやれ」と言われ続ける。工場長が、私をこの工場から出て行かせたいなら、出て行きます。もう、これ以上、私の頭を混乱させるのは辞めてください。

私:私の言い方に問題があるのなら謝ります。しかし、工場長として、あなたの上司として、モニタリングの質を上げようとするなら、説明書を書いて、それをあなたに半日かけて説明をし、実際にモニタリングに同行する以外に、どんな方法があるというのですか?説明書作成だって、これまで私が見た体験を基に書き上げた、いわば、私がライフラインに入って活動した集大成です。それだけ私が時間を割いてきた目的が、あなたを工場から追い出すことだと本気で思っているのですか?あなたが私だったら、一体、従業員の仕事ぶりを見る以外にどうやって、従業員の能力を高めようとするのですか?

ア:工場長は、私の英語力が低いという理由で主任から降格させた。英語力が低いなら、まず、英語を教える塾に通わせるとか、時間をかけて、その人の能力を高めようとするのではないでしょうか?小学校だって、1年、2年、3年と順を追っていく。いきなり4年生からスタートはしないでしょう。

私:あなたを降格させたことについて、私はあなたの英語力については一言も言及していません。作り話で私を非難することだけはやめてください。議論がさらに感情的になってしまいます。もう一度、質問します。あなたがわたしだったら、一体、どんな方法で、従業員の能力を高めようとするのですか?

ア:工場長は、今日、一緒にモニタリングをする前、「あなたの能力を伸ばすため」と説明をしてくれなかった。私は、一つでもミスを犯したら、今度は、副主任の座から降格されるかもしれないと、恐れで一杯だった。

私:こちらのコミュニケーション不足なら、謝ります。でも、これまで10ヶ月間、あなたと一緒に働いてきて、様々な研修やワークショップを催し、ミーティングを催し、従業員の人材育成に大きな時間を割いてきた私が、本気で、あなたを苦しめるために、こうやってモニタリングに同行していると思っているのですか?治安悪化で、外国人援助関係者がキャンプ内をあまり移動できない中でも、私はこうやってあなたに付いてきている。自分の身の危険を犯してまで、あなたを苦しめる理由が、私にあると思いますか?

ア:、、、、。わかりました。これから、説明書をしっかり読んで、努力します。

私:この前は、言いませんでしたが、こちらにミスがあったのは確かです。本来、主任という職は、投票で選ばれるものではありません。従業員たちからの人望があるからといって、その職に適した資質があるとは限らないからです。だから、あなたが主任になり、本来、あなたが持っている能力以上の責務を課してしまっていたことは事実だと思います。それについては謝ります。

ア:いえ。私の能力に問題はないと思います。

私:でも、実際、自分で頭が混乱していると言っていたじゃないですか。

ア:休みがなく、助手もおらず、すべて1人で抱え込まなければいけなかったからで、実際の仕事はしっかりこなせる自信はあります。

私は、彼のプライドをこれ以上傷つけることはしたくなかったので、そこで議論を終わりにした。彼の「小学校」を比喩した表現は、ある意味、的を得ていた。「主任」のポストが中学生並みだとすれば、アダンはまだ、小学校3年生並みで、明らかに、不釣り合いだった。しかし、アダンが立派な主任になるまで、3年、4年かけられる余裕はなく、外部の中学生を呼ぶ以外に方法はなかったのだ。

七厘の生産が頓挫している今こそ、アダンに休暇を与える絶好のチャンスだと思い、モウリドに「1週間ほど休ませて、少し、頭の混乱から解放させてあげよう」と提案した。

工場Aの元主任のラホも、私が彼女の仕事ぶりを観察するのをとても嫌がっていた。おそらく、私の接し方にも多いに問題があるのだろうな。モニタリングと同様、しっかり目的を話し、彼らのプライドを最大限に守れる形でやらないといけない。能力開発って難しいな。

釣りの名人がいる町に魚を寄贈すること

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難民キャンプの市場を歩くと、インターネットカフェ、薬屋、診療所、ホテル、レストラン、両替商、海外への送金会社、雑貨屋、家具屋、携帯電話屋などなどがあり、20年間の難民生活によって培われた彼らの潜在能力には驚かされる。しかし、治安の関係で、私を含め援助団体関係者はキャンプを自由に動き回ることができず、難民たちに実際どれだけの能力があるのか知るのは難しい。

援助団体が難民の能力について知らないというのは、適切な支援の提供を難しくさせる。釣りの名人がいる町に、魚をたくさん寄付したら、名人の仕事を奪うことになる。つまり、難民が自分たちで提供できるものを、外から持って来た場合、彼らの「援助慣れ」は促進され、支援がかえって彼らの能力開発の機会を奪ってしまうことになるのだ。

私たち、ライフラインの七厘も例外ではない。私が工場長になるまでは、七厘に取り付ける鉄のフレームは、当初、ダダーブから500キロ離れたナイロビから取り寄せていた。雨期になると、ナイロビとダダーブの間の道路は寸断されることもあり、生産が滞ることもあった。しかし、先週、モウリドに案内されて行った、ある難民の家で驚くべきものを発見した。

私たちがこれまで購入してきた鉄のフレームよりも丈夫な代物が、その難民宅で作られていた。バロックという31歳の男性は、1992年に難民キャンプに来てから、ずっと大工として生計を立ててきた。ソマリアで消息がわからなくなった父親から技術を学び、12歳でキャンプに来た時には、すでに他人から注文を受けられるほどの腕前だった。鉄のフレームだけでなく、机、椅子、小屋なども作れるという。

ライフラインが、最初からバロックから注文をしていれば、それが、他の難民にも波及し、バロックの技術はもっとキャンプに広まっていたのかもしれない。

ライフラインだけじゃない。今年、ある先進国の政府系援助機関は、ダダーブの学校に3万個以上の机を寄付した。その内、1万個ほどは、中国から取り寄せた物だ。バロックは、「難民キャンプ内で生産できるものを、なぜ、わざわざ、中国から取り寄せなくてはいけないのか?なぜ、援助団体は、私たちに仕事をくれないのか?」と嘆いた。

 バロックは、20年間、一度も援助団体から仕事をもらったことはないという。私は彼に伝えた。「私たちとの仕事がうまくいけば、あなたの存在が知れ渡るように頑張るよ」。

私よりも、従業員の方ができること

七厘の生産が滞ることもしばしばある。現在は、七厘の母体となるレンガを焼く窯の修理のため、従業員は七厘を作る事ができない。そこで私は今月初旬、スピーカーホンを買い、七厘に関する啓発キャンペーン実地を提案した。

4月17日、従業員14人を乗せたワゴンが、昨年できた新しいキャンプの一角に止まると、女性や子供たちが一気に押し寄せて来た。5回目の啓発キャンペーンの日で、私が立ち会うのは初めて。主任のアダンは「これから、環境啓発キャンペーンを始めますので、集まってください」とスピーカーで呼びかけた。辺り一帯に白い国連のテントやビニールシートを被せた住居が敷き詰められている。一瞬で100人ほどの難民が集まった。

「私たちは、ライフラインという団体で、七厘を作っています。七厘を使えば、最低限の薪の量で料理をすることができます。それにより、森林伐採が抑制し、ケニア人と難民の関係も良好になります」などと、集まった人に活動について話した。その後、七厘で実際にお湯を沸かし、お茶を作った。

そして、子供たちによる相撲ゲームをし、 場を盛り上げた後、従業員たちが作成した「ライフライン」の歌を披露した。皆、恥ずかしさから顔をたまに隠しながら、一生懸命、体を左右に振って歌った。

その後も、アダンによる環境についての説明が続き、私は「環境も大事だけど、難民自身でほぼすべてが運営されていることも強調すべき」と提案し、昨年のソマリア飢饉でキャンプに逃れ、ライフラインで働き始めたシュクリを紹介し、彼女がライフラインで働き始めた体験についてインタビューした。

たくさんの同胞の前で、七厘や環境など私が教えた事について、一生懸命にマイクを通して伝えようとする従業員たちの姿には胸を打たれるものがあった。

工場に戻り、「とても素晴らしかった」と私は従業員の努力を労い、早速、従業員に感想を聞いた。

「ライフラインについて知ってもらえて私たちは嬉しかったし、難民の人たちも嬉しそうだった」
「相撲というゲームをやることで、雰囲気が和んだ」
「環境について知ってもらえたのが良かった」

 私は、「それでは、なぜ、こういった啓発活動をやるのか考えてみましょう。」

「ライフラインの事について知ってもらうことです」
「環境や七厘について難民の知識を高めることです」
「難民による森林伐採を抑制し、ケニア人と難民の関係を良好にすることです」

などなど、色々な目的が出てきた。

私は、「それでは、なぜ、ライフラインについて知ってもらう必要があるのでしょう?」

1人の従業員は、「私たちの存在は、あまり知られていないからです」と答えた。

 私は「確かに、私も、ライフラインの名前が知れ渡れば嬉しいです。でも、大事なことは、皆さんが、ライフラインの名前が知れ渡ることで、難民の人たちが、どういった利益を得るのかということを理解することです。ただ、自分たちが有名になりたいだけで啓発をするなら、単なる自己満足で終わってしまう可能性もあります。自分たちが有名になることが、難民キャンプにとって有益であるということを、皆さんが固く信じることができて、初めて啓発活動をすることに意義があるのです」

選挙も全く同じだ。ただ「勝ちたい」と思う候補者の演説と、「自分が勝つ事で社会が良くなる」と思う候補者の演説とでは、伝わり方が全然違う。

そしたら、男性従業員は、「ライフラインが知れ渡れば、七厘や環境についての知識も知れ渡り、生活が改善されます」と言った。

私は、「そうですね。 環境や七厘の件はよくわかりました。他にはありませんか? 」と尋ねたが、返答はなかった。

私は、まだ、従業員たちが、難民キャンプにとって、どれだけ特別な存在になりえるのか、理解していなかったようなので、立ち上がり、ゆっくりと大きな声で説明した。

「ライフラインがこの難民キャンプに提供しているのは、七厘だけではありません。私たちは、『新しい支援のあり方』を社会全体に提言しています。私たちが作っている七厘は、難民キャンプで配布される様々な物資の中で唯一、難民自身によって作られたものです。『難民キャンプ』は『緊急援助』の場と位置づけられ、食料、医療、住居、初等教育などが無料で提供される一方、難民の長期的な人材育成などにはあまり重点が置かれません。20年間、何でも無料でもらえることが当たり前になり、突然、ソマリアに戻って、果たして自分たちで生活再建することはできるのでしょうか?ライフラインは、すべての仕事を難民自身でやることにより、援助慣れが蔓延した難民キャンプに、新しい支援のあり方を提言しているのです。では、それを、啓発キャンペーンでどうやったら伝えることができるでしょうか?」

従業員たちは、「工場がすべて難民で運営されていることを伝え、中には孤児、高齢者、障害者などが含まれ、誰でも七厘の作り方を学びに来れることを伝えます」と返答した。

私は、「皆さんは、私よりも、数倍、難民の人たちに伝える潜在能力があるということを忘れないでください。私がマイクを持って話しても、注意を払う人はいるかもしれませんが、それは、『ああ、アジア人が何か話しているな』ぐらいの感覚でしょう。でも、あなたたちが話すというのは、全く違う重みがあります。それは、あなたたちが、彼らの越境の体験に共感することができるからです。ソマリアで戦争や干ばつで故郷や家畜を失い、ケニアに逃れ、文字の読み書きすらできず、すべてを援助団体に依存した生活だったのが、ライフラインに入って、新しい技術を学び、コミュニティ開発に貢献できるようになった。そういった皆さんの体験話は、難民の人たちの心に響くと思います。私には決してできない芸当です。ダダーブでは、私なんかよりも、皆さんの方が、コミュニティとの信頼関係構築に果たせる役割は大きいということを忘れないでください」

皆、黙って聞き込んでいた。「それはとても、良いアイデアです。私は、ライフラインに入る前は、コミュニティのために何かできるなんて夢にも思わなかった。学校も行った事がない。育てた家畜も失った。ただ、このキャンプですべてに依存して暮らすしかないと思った。でも、今、工場長の話を聞いて、自分にも伝える力があるのだと思いました」と最年長のマリヤン(仮名、40)は話した。

 「とにかく、これは皆さんの啓発活動です。1人1人、自分たちでどうすればうまくいくか考え、話し合って、やってみてください」と伝え、会議を終了した。ライフラインの活動の幅が広がっていくのが、とても嬉しかった。

降格人事


4月末で、従業員全員との契約が切れることから、5月からの新体制をモウリドと話し合った。工場Aはラホが辞めることで、新しい主任を公募することになり、次の焦点は、工場Bの主任アダンをどうするかだ。

 アダンは、前任のハサンが横領容疑で解雇され、他の従業員たちからの「投票」という異例の形で主任に選ばれた。ハサンからの強権政治に苦い思いを強いられた従業員たちに同情した私は、次の主任を選ぶ権利を与え、少しでも彼らの傷をいやしてやりたかった。

 しかし、その私の同情が、長期的な工場運営に支障をきたすことになった。アダンは、当時、従業員の中で一番英語ができるという理由で周りから推されたが、キャンプ全体で見たら、高等学校を中退しているアダンより教養が高い若者は何千人単位でいた。つまり、公募していたら、アダンよりも適任が見つかった可能性は高かったのだ。

 そして、昨年末、私が危惧していたことが起こった。ソマリアの大学で英語を教えていたファラが工場に入って来たのだ。アダンより教養が高いだけでなく、他の従業員たちへの気配りから、説明会での振る舞い、劇や識字教室など新しいプロジェクトへ向けての準備を率先してやるなど、様々な意味でアダンを圧倒した。アダンの仕事に対する真摯な姿勢も、就業時間後にワークショップに向けて劇の指導をいとわないファラの前ではかすんでしまっていた。

 3月中旬、アダンの説明会を見学したら、私が書いた説明書の順序を全く無視した形で始めたので、「ファラ。代わりにやってくれないか」と、途中で説明者を交代せざるをえなかった。

 「二人の資質にはあまりにも明確な差がある」と、私とモウリドの見解は一致し、ファラとアダンの地位を逆転させる人事を決定した。問題は、それをアダンにどう伝えるかだ。アダンの給料を減らすつもりはなかったが、3ヶ月前に入って来た新参者に、自分で掴んだ地位を取られるというのは、ものすごい屈辱だろう。

 私は、「まず、君の方から彼に伝えて、どんな感触か教えてくれないか?」とモウリドにお願いした。本来なら、私が直接言うべきなのだろうが、言語の問題もあるし、ソマリア人同士なら、納得のいきやすい言い方で伝えることができるのではないかと思った。次の日、モウリドは「アダンは了承しました。ただ、工場長から直接、理由を聞きたいとは言っていましたが」と報告してくれた。

 そして、私は、イースター休暇に入り、高山病で入院し、本来の予定より遅れてダダーブに戻って来た。それにより、新体制に入るにあたってのミーティングを1日でも早くやらねばならず、アダンと二人きりで話し合う時間を取ることができなかった。モウリドも「彼は了承している」と言っているので、私は4月14日、工場Bでの全体ミーティングで5月からの新体制について発表した。「5月からの主任はファラで、副主任はアダンの体制でいきます。人には色々な資質、才能がありますが、この10ヶ月、皆さんの能力を診断した結果、この体制が一番適切だと判断しました。アダン、今まで主任として工場を支えてくれてありがとう。これからは副主任という新しい地位で、ファラを支えてください」と言った。アダンは、強ばった表情だったが、特に取り乱すこともなく頷いた。

 しかし、全体ミーティング後、アダンは「工場長と話しをさせてください」と言ってきた。

ア:私は、長年ライフラインで働き、主任としても精一杯やったつもりだ。それなのに、何の事前通知もなく、主任から降ろされるなんて心外です。本来なら、発表される前に、私に通知され、理由について説明されるべきだったのではないでしょうか?

私:通知はモウリドの方からあったでしょ?

ア:ありましたが、理由について説明がありませんでした。

私:私が、あなたより、ファラの方が主任に適していると判断しました。

ア:そうですか、、、。適したと判断した理由は何ですか? 

私:彼の方が、監督能力があると思いました。

ア:それでは、私に、監督能力がないということですか?

私:これは、白か黒かの議論じゃない。色々な面を総合的に考えて判断した結果です。

ア:私に何か不足しているのなら、話してくれたらよかったじゃないですか!工場長は、私に何も言わず、突然、新しく入っていた人と交代しようとしている。工場長が私なら、どう感じますか?

私:私は、これまで、あなたに何も指導してこなかったかな?あなたがどうすれば主任としてもっと適格になれるか、ことあるごとに話してきたつもりです。そして、今回、それらについて列挙しないのは、あなたの面子を守るためです。私は、あなたにこれまで色々話してきたのだから、なぜ、こういった決断に至ったのか察してくれると思った。でも、もし、もう一度、私の口から、あなたが不足している点を言ってほしいのなら、言います。
  まず、正確な情報をレポートに記載する能力です。昨年11月、七厘が配られた数を記載する月間報告書と、七厘を受け取った人のサインの数が全く一致していませんでした。私は、それについて深刻に注意しました。
  次に、他の従業員に対する接し方です。あなたの指導方法に不満を抱いた従業員が文句を言い、あなたはそれに対し感情的になり、その従業員に「喧嘩なら、工場じゃなく、外でやってやるよ!」と言いました。これは、15人の従業員を監督する人の言葉の使い方じゃないと、私は、その時、あなたに指導しました。
   最後に、説明会の仕切り方です。私は、七厘についての説明方法を書いた紙を昨年9月にあなたに配布し、数回、実践練習を通して、指導してきました。そして、3月にあなたの説明会を見てショックでした。説明会後半で話すべき事柄を、あなたは一番最初に話し始めた。一体、私が用意した説明書をどこまで目を通してくれていたのか、疑問に感じました。

ア:誰だって、間違いは犯すでしょう。説明会だって、すべて完璧にやれる人間なんていません。従業員に対する接し方だって、暴言を吐いたのは一回だけです。ファラがソマリアの大学で講師をしてたくさんお金を稼いでいる時、私は難民キャンプで厳しい生活に耐えてきた。昨年末、ケニア警察が工場を取り締まりに来た時も、私が先頭に立って、他の従業員を守った。私がこれまで工場のためにしていたことは一体何だったのか?

私:あなたがこれまでしてくれた事については感謝しています。

ア:分かりました。でも、もうこれ以上、新しい従業員を連れて来て、私を降格させるのは辞めてください。

何も返答することができなかった。その場その場でベストの判断をしていかなければいけないのだから、そんな約束はできなかった。結局、5月になったら、彼が主任として工場に貢献したことを讃える賞状を用意するということで、解決した。

 アダンは、1996年にソマリアから逃れてきた。キャンプで荷物運びをやってわずかな賃金を稼ぎ、キャンプ内にある塾で英語を学び、援助団体で働くことがずっと夢だったと言う。より良い賃金を求め、親戚を頼って、100キロ離れたガリッサで畑作業に従事したが、在留許可がないため、警察から何度も賄賂を要求され、2年でダダーブへ戻った。援助団体で働く夢をあきらめず、各事務所を尋ね歩いた。ライフライン工場にも頻繁に顔を出し、 私の前任者に熱意が伝わり、2009年に従業員となった。

 現在35歳独身。結婚することが社会的義務とされるソマリ社会の規範に反し、ダダーブにはアダンの様な未婚男性が多い。現金収入がなく、結婚する際に貢ぐ結納を揃えることができないためだ。

 そんな、苦労人だからこそ、今回の降格人事は胸が痛かった。私が、最初から、従業員に同情なんてかけず、主任のポストを公募で募集していたら、こんなことにはなっていなかったかもしれない。40人の従業員を束ねる難しさを改めて思い知らされた。

初めての入院


4月6-9日のイースター休暇に、ケニア最高峰のケニア山(5200メートル)に挑戦した。3泊4日の行程で、私と妻、他の友人3人の計5人で参加。旅行会社を通して、私たち一行には、案内人2人、料理人1人、荷物運び屋7人、計10人のケニア人が付き人として付いた。

大学時代に、賭博付けの日々を送っていた自分は、本当の幸せを探るため、ラッセルの「幸福論」を読み、「人間にとって最高の余暇の過ごし方は登山」と書いてあったのを鵜呑みにし、以来、ハイキングや登山をするようになった。しかし、前回の登山は、2008年の愛媛県石鎚山(1900メートル)。多少、不安はあったが、欧米のバックパッカーが普通に登っているという話を聞き、「まあ、大丈夫だろう」と軽い気持ちで臨んだ。

ナイロビから車で約3時間かけて標高2300メートルの麓まで行き、初日の3時間10キロの行程は、難なく終える事ができた。「荷物運び屋なんて雇って、金の無駄遣いだったな !」と、私はいつもの様に、調子に乗っていた。

二日目、3200メートル地点から4200メートルの7時間の行程。前半は、いつも通り友人たちとゲラゲラ冗談を言い合い、高山植物と記念撮影するなど、楽しい一時を過ごしていた。しかーーし!3時間経過したころから、両足が重く感じるようになり、声を出すのが億劫に。友人たちの歩くペースがとても速く感じるようになった。昼休憩では、すでにくたくたで、案内人の「食べたらすぐ出ますよ」の声が、体にずしんと響く。それまで余裕しゃくしゃくの発言ばかりをした手前、「ちょっと疲れました」とは、口が避けても言えない。試しに、「Mさん。大丈夫ですか?」とさりげなく、休憩時間を伸ばそうと試みるが、「え?全然、行けますよ」という残念な反応、、、。

休憩後は、MさんとOさん男性二人のペースはスーパーマン並になり、遠い彼方の存在に。案内人は「ちょっとペースが下がってます。天気が心配なので、できるだけ速いペースの方がいいです」と、とても残酷な一言が。

そしたら、本当に雪が降ってきた!頭と足がふらふらで休憩したいけど、
休憩したら、汗が冷えて寒気が走る。もう、どうすることもできない。人間なんて、自然の中に入り込めば、とても弱い存在だということを体で痛感する。

辺り一面真っ白になる中、「ここは根性だ!」と自分に何度も言い聞かせる。ほとんど登山をしたことのない妻のペースに着いて行くことさえできない自分が情けなくて仕方ない。荷物運び屋のおかげで、自分が持っていたのはカメラの鞄だけだったが、もうそれすら、持っているのが辛い。案内人のピーターに「カメラお願い」と頼むと、二言返事で了承。もう、彼が私にとっての神様だ。

「あの登り坂を登れば、ほとんど終わりですよ」というピーターの声を頼りに、一歩一歩坂を登る。雪で足が冷える。数時間前まで「天空の城ラピュタみたいですね」と景色を楽しんでいたのが、もう、大分昔のことのようだ。

ようやく、登り坂を終え「もう着いた?」とピーターに尋ねると、「あの建物です」と彼が指差した先は、まだ500メートル以上ある遠い彼方の世界だった。もう、30秒歩くごとに、30秒の休憩を取りながら、ピーターの済ました顔だけを頼りに歩いた。

山小屋に着き、そのままベットに倒れ込んだ。びしょびしょになった下着を変え、二つの寝袋を体に巻きつけた。「ポップコーンとお茶の用意ができました」という案内人のかけ声にも反応できなかった。

晩ご飯は美味しい魚フライだったが、ほとんどのどを通らず、パイナップルとオレンジだけ食べることができた。次の朝3時、山頂を目指すことになっていたが、私は、「無理です」と辞退し、山小屋で待機することに。
夜中、うなされて目が覚めると、妻が、「すごい熱」と私の額を触っていた。トイレに行くために立ち上がると、めまいに襲われ、ベットを手すり代わりに歩き、5メートル先のトイレに行ったが、なぜか、尿が出ない。

朝7時半ごろ、妻に起こされる。「早めに出ないと、下山できなくなる」と言う。しかし、5メートル先のトイレに行くのが辛い自分が、どうやって14キロの登山道を歩くというのか?全く、自信がなかった。試しに、山小屋周辺を歩いてみたが、20メートル歩くのがやっと。めまいと発熱で、気力が出てこない。案内人たちは、「酸素不足でめまいが生じているだけで、少し標高が下がれば、元気になるよ」と励ましてくれるが、14キロ歩く自分が全く想像できない。

ダダーブという医療施設が充実していない所で働いているため、しっかりした民間保険には加入していた。加入する際、「僻地での緊急事態で、飛行機やヘリなどでの救助も保険でカバーされること」を条件で加入したのを思い出した。「ヘリなどでの救助はできないか?」と尋ねると、案内人たちは、「とりあえず、聞いてみる」と山小屋に設置された固定電話で連絡を取った。

そしたら、「ヘリは天候が良ければ来れるそうです」とのことで、私は「念のため、保険が適用されるかどうか確認したい」と、私の保険会社に連絡するようお願いした。そしたら、ツアーを企画した会社社長から電話で、「もう、ヘリは飛んで行ったぞ!」との電話が。私は、「とりあえず、保険会社と連絡取り合って!」とお願いした。数分後、社長から電話で、「保険は適用されないらしい」という返答が!私はすかさず「ヘリを止めてくれ!」と発声した瞬間、山小屋の上空から「パタパタパタ」とヘリのプロペラの音が!!私は、社長に「ヘリ代は?」と尋ねると、「3000ドル(約25万円)」。ああああ。3000ドル払うくらいなら、死んでも、歩いて降りようとするだろう。絶対絶命だ。しかし、もうヘリは来てしまった。「帰ってくれ」とも言えない。

ヘリが着地し、山小屋に泊まっていた登山者数十人は、一斉にヘリの周りに集まり、記念撮影を始めた。パイロットが、「君が病人か?」と尋ねて来て、頷き、荷物を持って、妻と二人でヘリに乗り、数十人の野次馬たちに見送られながら、上空へ飛び立った。初めてのヘリで、乗客は皆、ヘッドフォンをすることが決まりになっていることさえ知らなかった。ヘリからの壮大な景色を前に、私はカメラに手を伸ばす気力さえなかった。3000ドル、どうしようーー。

山麓近くの病院に運ばれ、「高山病」と診断。すぐ、酸素マスクを付けてもらった。本来、酸素レベルが90以上はるはずが、私の体には80前後しかなかった。医師から「とりあえず、1日入院ね」と言われ、人生31年目で初めての入院が決まった。

まず、保険会社の担当者に電話。そしたら、案の定、「4000メートル以上に行くということは、その行いに危険が伴うということを自覚していながらの行為とみなされ、保険は適用されない。山登り、バンジージャンプ、スカイダイビングなどが例」という。私は、電話口で声を張り上げ、「ダダーブで働くことだって十分危険でしょ!それを自覚して活動し、事故、事件に巻き込まれても、保険が適用されるのに、なぜ山登りはだめなんだ!」と。しかし、向こうの答えは変わらず、私はあきらめるしかなかった。

酸素吸入したら、一気に食欲が出てきて、チキンカレーを食べ、体調は快方に向かった。しかし、夫婦共々、3000ドルの事が頭から離れず、妻は、「本当は、下山できたのではないか?」と疑問を投げ始め、私は「病人の私を責めることはしないでほしい」などと、口喧嘩に。

登山に行く荷物しかないため、本もパソコンもなく、病院の個室で妻と二人で何することもなく、時間を過ごし、次の日の朝、晴れて退院。ナイロビの自宅に着いたのは午後2時ごろ。

「本当に大きな問題というのは、お金で解決できない問題のことをいう」。昔、カジノで負けた時に自分で作った慰め言葉を自分に言い聞かせながら、ベットに入り込み、昼寝を始めた。

主任からの意外な申し出


4月3日、「総主任」の公募用紙を5枚用意し、工場Aに向かった。主任のラホは、工場Aのトップの地位から事実上外されることに、どういう反応を示すだろうか。私は、内心ドキドキした。

この日は、昨年新しく開かれたキャンプでの七厘についての説明会があった。私は、この説明会を「ラホにやってもらいたい」とモウリドにお願いした。昨年末から、七厘の説明書を新しく書き換え、主任や説明会担当の従業員に配り、説明会の質向上に取り組んできた。昨年11月、ラホの説明会を聞いたのだが、新しい説明書を配る以前の説明会と全く変わっていなかった。私は、ラホにしっかり新しい説明書に沿う形で、やってほしいとお願いした。

それから、何度か、ラホの説明会を見ようと、工場を尋ねても、「今日は気分が悪い」「子供が病気で病院に連れて行く」などと言い、私の前で自分の技量を披露するのを避けてきた。2007年から、ずっと同じ形でやってきた説明会を、突然変えるのは難しいかもしれないが、逃げてばかりではいつまでたっても、成長はない。

今日も、工場に行くと、「今日は、子供が病気なので、病院へ連れて行かなければなりません」と任務を避けた。私は、「ここ数ヶ月、何度もラホの説明会を見ようと試みても、必ず、拒否されてきた。だから、今日はどうしても見させてほしい」とお願いした。「いつか、見る事ができるようにします」と言うが、私は、どうしても納得がいかなかった。なぜなら、私が工場に着く前、モウリドから「ラホは今日の説明会を担当すると言っています」と報告を受けていたからだ。「なぜ、私が来たら、突然、予定を変更するのか?」と尋ねても、彼女はいつもの様に何も言わなかった。

私は「病院は何時で閉まるのか?」と尋ね、ラホは「12時」と答えた。私は、早速、病院を管轄する団体の知り合いに電話を入れ、「病院は13時まで受け付けている」と確約を得た。まだ朝9時だ。説明会は1時間で終わる。私は「じゃあ、説明会が終わったら、すぐ病院へ行けばいい」と言い、彼女を説得させた。

説明会の会場に着いても、ラホの表情は浮かない。いつもの様に、難民たちの到着が遅れ、私たちが待っている間、モウリドに、「『総主任』を採用する件、今、話すのは無理かな?」と尋ねると、「今はやめた方が言いでしょう。」と苦笑い。しかし、5月1日から新体制でやるとしたら、公募はもう始めなければならない。

そしたら、モウリドが、「実は、ラホから、『二人で話がしたい』という申し出を受けています。彼女が、何かしら工場への不満があるようなので、今の時間に話を聞いてみてもいいですか?」と尋ねて来た。私は、頷き、モウリドとラホは、二人で離れた場所へ行き、ソマリア語で何やら話し始めた。私は、ラホがモウリドに何の話があるのか、検討がつかなかった。

先週、私とモウリドで、ラホに「就業時間内は、従業員がしっかり仕事をしているかどうか監督すること。そして、出勤簿に『無断欠勤』の印を付ける場合、それについて、その従業員になぜ、その印が付けられたのか説明できるようにすること」と指示したばかりだが、まさか、そんな細かいことではあるまい。工場で全面ストライキがあって以来、主任と工場長のコミュニケーションを強化しようと、毎月月末、私が気付いた点を一つ一つ紙に書き、それを一緒に読むようにした。私は、それによって、お互いの関係は良好に向かっていると思ったのだが。

約15分後、話し合いが終わったようで、私はモウリドに話を聞きに行った。そもそも、私がここにいるのに、何で、モウリドが、私とラホの通訳係にならなければいけないのか理解できなかった。私に直接話してくれたらいいのに。「何だって?」とモウリドに尋ねると、「ラホは、『ライフラインを辞めるか、主任の職から降りたい』と言っています」とモウリドは答えた。私は、その言葉にしばし呆然となった。この10ヶ月間、私とラホが対立し続けた最大の原因は、ラホが「工場長は私を主任の座から外そうとしている」と感じたことだった。彼女の主任の座に対する執着心、工場を自分の支配下に置こうとする権力欲には、ずっと辟易してきた。

それが、何と、私が彼女を主任の座から外す宣告をする同じ日に、彼女の方から辞退の申し出がくるとは 、夢にも思わなかった。

私:辞退理由は?
モ:彼女は、それについては、言おうとしません。
私:でも、理由なしに、辞めるなんてありえない。
モ:何か彼女に理由があって、それを言えないのだとしたら、その理由が工場長との関係にあるからだと思います。
私:そうか。それについては、彼女は話したくないということだね。
モ:はい。今は、とりあえず、仕事を辞めたいということだけのようです。
私:わかった。とりあえず、私は、彼女から話を聞く努力をしてみるよ。
モ:でも、彼女が辞めることは、工場長にとってはどうなのですか?
私:正直言って、彼女の決意ならそれを尊重したい。でも、彼女の上司として、どんな理由なのかは知りたい。それが、私の成長にもつながるのだから。
モ:おそらく、ストライキをした理由の延長上だと思います。工場長の対応が厳しすぎるというものです。

私:確かに、私はすぐ声を上げるところがあるし、表情も強ばっているから、厳しいととらえられることもあるかもしれない。でも、私の前任者と比べて「厳しい」と言われるのだとしたら、それは、どうかなと思う。私が来る以前、彼らはほとんど「育児放棄状態」だった。就業時間を守るかも、七厘をいくつ作るかも、それを誰にどういう風に配るかも、全く監視されてこなかった。4年働いても、七厘がなぜ配られているのかについて、教えてさえもらえなかった。私は、彼らが、難民キャンプでの生活を終えた時、自律できるには、どうすればいいか真剣に考えてきた。だから、契約書と就業規則を作り、彼らにそれらを説明し、もし、自分たちが約束したことをしないのなら、それに対し、しっかり指導してきた。それは、私が、彼らを育成したいと思ったからだ。

モ:はい。彼女の中では、前任者時代は「普通」で、それを基準にすべてを考えてしまっているのです。前任者時代、彼女の能力が問われることは一度もなかったわけですから。彼女の問題は、工場長のやることをすべてネガティブにとらえてしまうことだと思います。今日だって、工場長は、彼女の能力を向上させるために、彼女の説明会を見たかったけど、彼女からしたら、自分は屠殺場に連れて行かれるヤギのような気分なのでしょう。彼女の失敗を探られ、それに対して罰を与えられることを恐れている。

私:でも、私は、実際、彼女に注意以外の罰則を課したことはない。とりあえず、私からは、彼女に、「何か話があるなら、何でも聞く準備はできているよ」というメッセージを伝えたい。

モ:わかりました。
二人で、ラホがいるところへ行き、少し離れた所に3人で座り込んだ。ラホに笑顔はない。

私:モウリドからラホの気持ちについて聞いたけど、できれば、ラホから直接聞きたいのだけど?

ラ:色々考えた結果、ライフラインを辞めることに決めました。
私:理由を教えてくれないか?
ラ:それについては、辞表にすべてを書くつもりです。今、ここで言う気にはなれません。
私:君はライフラインにとってとても重要な存在だ。その君が辞めるのは、とても大きな損失になる。だから、できたら、何が問題なのかを話し合い、解決したいのだけど。
ラ:もう、固く決心しました。私は、多くの他の難民従業員が団体を辞めていくように、去りたいと思います。
私:私は、これまで工場長なんてしたことがなかったから、すべてが初めての事だった。だから、私の気付かない所で、ラホに色々負担をかけてしまったのかもしれない。だとしたら、謝るし、それについて知りたいと思う。
ラ:理由については、ここでは言えません。
私:他の従業員にはなんて説明するの?
ラ:ただ、『辞めます』と。
私:理由を聞いてくると思うけど。
ラ:理由については、辞表に書くから、それを見てくれと。
私:辞めた後も、ライフラインの活動を支援してくれるのでしょ?
ラ:どういった支援ですか?
私:例えば、近所の人や親戚に、ライフラインについて宣伝するとか?
ラ:私は、ライフラインについて、良い事も悪い事も言うつもりはありません。

私は、彼女の意思が固いことを確認し、これ以上の慰留は無理だと思った。

私:いつ辞めるの?
ラ:明後日。
私:就業規則は、従業員が辞める際は、最低一月前に辞表を提出することを義務づけているのだけど。
ラ:、、、、。それでは、4月末まで働きます。
私:もう、辞める前なら、説明会を担当しても仕方がないね。子供を病院に連れて行くのに、もう帰ったら?

 ラホは黙って、それに応じ、挨拶もなく、その場を去った。再び、モウリドと二人きりになった。

私:驚いたな。まさか、私が主任交代を告げようとした日に、向こうから辞めると言ってくるなんて。
モ:ストライキの時から、辞めることを考えていたようでした。
私:私は、やっぱり、厳しすぎたのかな?
モ:ご自分は、どう思っているのですか?
私:うーん。確かに、細かいことに注意することはあるけど、でも、それが、彼らの能力向上のためだということをわかってもらうよう、努力したつもりなのだけどね。

モ:昨日、工場Bで、工場長は、モニタリングに同行しましたが、同行された従業員のファラは、難民に「ほら。言った通り、私たちの工場長が来てくれただろ!」と難民たちに自慢げに話していました。ファラは工場長が、ファラのためを思って、同行してきてくれていることを感謝していました。でも、それが、ラホの場合、能力向上ではなく、失敗探しになってしまうのです。

私:二つの工場でこんなに違うなんて、なぜだろうか?ファラは、2ヶ月前に雇われたのにたいし、ラホは5年前。その違いがやはり大きいのかな。

一つ、自分の中に引っかかる部分があるとしたら、前任者からの引き継ぎで、「ラホはやりたい放題やっているから、注意しろ」と言われ、私は最初からラホに対してネガティブなイメージを抱き、何か問題がある度に、ラホの責任を追求してきた。しかし、時が経つに連れ、責任をすべてラホに背負わせるのは筋違いで、前任者がラホたちの育成を放棄してきたことにも、原因があるということがわかった。その最初の部分で、ラホの私に対する「厳しい」というイメージが植え付けられ、それが、最後まで払拭することができなかったとしたら、申し訳ない気持ちで一杯だ。

これからの最大の懸案事項は、ラホの辞職を、他の従業員がどう受け止めるかだ。再び、ストライキなんてことになったら、とても面倒だ。モウリドの感触では、ラホがライフラインに良いイメージを持っていないことは明白だが、今までの様に他の従業員を動員する可能性は薄く、静かに身を引くだろうという。

ラホは、私の監督体制に不満を抱いて辞める。私の指導力が足りなかったのかと思うと、残念だ。自分はとても楽観的で、ラホともいつか本当に理解し合える日が来るのではないかと、期待しているところがあった。でも、これにより、ラホとの和解の可能性は永遠になくなった。

私がライフラインに入った当時の主任二人は、これで二人ともライフラインを去ることになる。1人目は横領容疑で解雇され、2人目は工場長に不満を抱き自主退職。

ライフラインに入った時から、ラホの存在が最大の頭痛の種だったはずなのに、実際に、ラホが抜けるとなると、「もっと、自分が彼女を受け止めて上げたら、違う結果になったのではないか」と思ってしまう。だったら、最初から彼女に対してもっと暖かい視線を向けてやれなかったのか。

私は、「総主任」の公募用紙を手に取り、「総主任」の「総」の部分をペンで塗りつぶし、モウリドに手渡した。ラホの上司を探すはずが、一転して、ラホの後任を探さなくていけなくなった。ライフラインは、新たな転換期に入ろうとしていた。

遂に改革に着手

 遂に、私がライフラインに入ってから、ずっと着手しようと準備してきた改革が始まろうとしている。工場Aの主任、ラホを代えることだ。

 これまで、何度もラホはこのブログに登場してきては、私と対立してきた。彼女は2007年、ライフライン設立当初から主任として、工場Aを牛耳ってきた。人事権も彼女の手に託され、彼女の親戚や友人らが次々と雇用され、ラホの独裁政権が築かれた。小学校4年で中退したラホに、特に何の研修もしないで、人事権だけを与えてきた、ライフラインの方針にも非があり、ラホだけを責めるわけにはいかない。

 しかし、この10ヶ月、何度も何度も私が指示、監督することが、工場で実地されない。先週、就業時間が終わる1時間前に、すでに仕事を終えて着替え、椅子に座って休んでいる従業員に「なぜ、もう、仕事を終えているのか?」と問いただした。「少し風邪気味なので」という返答で、私が「それはラホから許可は取っているのか?」と尋ねると、「はい」という。ラホに尋ねると、「風邪ということは聞いていたが、休んでもいいという許可は出していない」と曖昧な答えが帰ってきた。

 「就業時間内、従業員がしっかり仕事をするのを監視するのが主任の役目」と就業規則にしっかり明記し、何度も何度も、ラホに伝えてきたにも関わらず、この有様だ。ラホに忠誠心さえ捧げれば、叱責されることはないという、従業員たちの暗黙の了解が、この馴れ合い感を出させているとしか思えなかった。

 昨年12月には、ラホの甥にあたる、ダヒールが、レンガ作りチームから、レンガ組み合わせチームに配置換えされた。ダヒールは「ちょっと手を怪我したので」と私に伝えていたが、作業がより過酷なレンガ作りチームから、主任の甥が配置転換され、その代わりに、ラホとは別の部族に属するイブラヒムがレンガ作りチームに転換され、「不公平だ!」と従業員たちから反発の声が上がった。ラホは、この配置転換について、私に説明することは一度もなかった。

 従業員全員の契約は4月末で切れる。5月1日からは、従業員を新しい配置で始める。問題は、ラホの逆鱗に触れないように、どう、うまくこなすかだ。

 4月2日、モウリドと二人だけでミーティングをした。ラホを代えることに、モウリドも賛成だった。「彼女が主任であり続ける限り、工場内にある不公平感は常に続き、仕事へのやる気を起こさせるのは難しいでしょう」という。

 「ラホが納得いく形で、どうやって配置転換をしようか?君だったら、ラホに何て伝える?」と私はモウリドに尋ねた。

 「『これまでよくやっていただき感謝している。小さい赤ん坊もいることだし、これからは、少し肩の荷を降ろしてもらいたい。そのために、私たちも最前の努力をしたい。給料はこれまでと変わらないが、主任の地位ではなく、アドバイザーとして、七厘の説明会やモニタリングの方に専念してもらいたい』と伝えます。おそらく、給料さえ変わらなければ、彼女は文句を言わないと思います」と答えた。

 彼らしい謙虚な案ではあるが、ラホの権力欲を少し甘くみていないだろうか?2月前半の全面ストライキは、ラホが「工場長は、私を主任の地位から外す理由を探している」と感じ、他の従業員たちに仕事をしないよう重圧をかけたことが引き金だった。昨年9月には、七厘の質を向上させるため、従業員たちが首を長くして待っていた「鉄の枠組」を作れる職人をキャンプ内で探し出した副主任のアダンに「皆に報告する前に、なぜ、主任である私を通さないのか?」と叱責した。彼女の主任職への執着心はものすごい。

 私はモウリドに、「ラホが、『赤ちゃんがいることなんて気になさらないでください。私は子育てと仕事を両立できます』と言ってきたらどうなる?ラホに、このことで話しかけたら、もう後には引けない。彼女が私たちを説得できる余地は残せない」と伝えた。

 私は、「2007年から一度も、主任が代わっていないのだからここで一度、主任の職を公募にかけるというのはどうか?」と尋ねたが、「それは、間接的に、ラホが無能だと言っているようなものです」とモウリドは指摘した。

 うーーん。二人でしばし、色々な可能性を探りながら考え続けた。
私は、ふと、疑問が沸いた。「君がライフラインに入ったのは5ヶ月前だ。君が入った事に、ラホは嫌そうな態度は示した事はあるの?君が、ラホの上司として入り、彼女に対して色々指示を出す事に、面白く思っていないとか?」とモウリドに尋ねた。

 「いえ。ラホは、私が入って、工場長の考えを私がソマリア語で代弁してくれるから、それまでの誤解がいくつも解けたと言っています」とモウリドは言った。

 なるほど。つまり、ラホも私とのコミュニケーションがうまくいっていないことは自覚していた。ラホの英語は日常会話レベルで、少し複雑な会話になると通訳を必要とする。ラホが不得意だった部分を、モウリドがうまくカバーしてくれていたということだ。私は、「これだ!」とひらめいた。

 「ラホにこう伝えるのはどうだろう?2月初旬、工場長と従業員のコミュニケーション不足から、ライフラインでは初めての全面ストライキになった。これにより、ライフラインの本部は、工場長と従業員のコミュニケーション強化策の一つとして、『総主任』という新しい地位を作ることに決めた。総主任は、主任の直属の上司として、工場全体を取り仕切り、工場長とパイプ役をなす。総主任は公募で決められ、もちろん、ラホも応募することができる」

 モウリドは、「それはいいですね!それなら、彼女も納得してくれるかもしれません。彼女の主任の地位は守られるし、公募で選ばれた人が取り仕切り役になれば、工場内に公平感も保たれるでしょう」

 方針は固まった。総主任の公募用紙を作り、明日、ラホにこれを見せる。一体、どんな反応になるのだろうか?果たして改革は成功するのか。

ソマリアの再建を担うのは誰か?


モウリドの演説後は、私の番だ。

 「皆さんは、3月中旬に能力診断テストを受けました。全体的に成績は良く、皆さんはよく勉強してくれたことに、感謝しています。問題は各工場に4問で、全部で8問あったわけですが、一番、点数が低かった問題は、『ライフラインの活動目的』と『ライフラインのロゴの意味』でした。ここで、この二つの問題の答えとその重要性についてお話させてください。

 皆さんは、『ソマリアはアフリカのライオン』というフレーズを聞いた事がありますか?(皆頷く)70年代、80年代、アフリカ大陸で一番長い海岸を持つソマリアは貿易や海運業で繁栄しました。それが、今では、20年以上、内戦が続く政情不安な国になってしまった。

でも、ソマリアが政情不安になった原因は、ソマリア人自身だけにあるのではなく、恣意的な他国からの介入にもあると思います。欧米諸国や国連の主導で、これまで15以上の国際会議が開かれてきましたが、すべて失敗しています。

皆さんは、もし、これからソマリアが安定するとしたら、それは欧米諸国の人間が担う任務だと思いますか?それとも、ソマリア人自身が担うべき仕事だと思いますか?」

この質問が、ソマリア語に訳されると同時に、従業員たちから「ソマリア人。私たちです!」と大きな声で頷きながら返答があった。

「そうですよね。あなたたち自身が、担わなければならないと、私も思います。私は日本人で、両親、兄弟は日本に、妻はナイロビにいます。私は、これからの人生すべてをソマリアに捧げることはできない。あなたたちから見たら、無責任な傍観者でしかない。そんな私たち傍観者が、ソマリアの再建を担うことになるのだとしたら、それは、また無責任な結果を招く事になりかねない。私がソマリアに持つ関心なんて、あなたたちに比べたらちっぽけなものです。あなたたちは、これからずっと一生、ソマリアと関わっていかなければならないのですから。
 もし、ソマリア人自身が祖国の再建を担うのだとしたら、ダダーブ難民キャンプで、欧米の援助機関が、難民のためにすべてしてあげてしまったら、再建を担える人材は育つのでしょうか?20年間、食料、医療、住居をすべて無料で受け取ることができ、難民キャンプで生まれ育った子供たちは、親がソマリアで培った農作業の知識を持たずに大人になってしまっている。そんな、子供たちがソマリアに帰ったら、どうやって自分たちの生活を再建するのでしょうか?

ライフラインのロゴを見てください。五つの手が、ロープを握っています。このロープは命綱、つまり『ライフライン』です。海で溺れている人を助ける時、船から投げられるロープです。船にいる人がロープを引っ張るのはもちろんですが、溺れている人もロープを引っ張らなければ助からない。つまり、助けられる人の自助努力がなければ、本当の支援はできないという、ライフラインの哲学です。

難民は、ただ、助けられるだけの存在ではない。あなたたちには様々な能力がある。その能力を最大限に引き出したい。日本人とソマリア人が一緒に手を取り合ってやっていく。それによって、将来、ソマリアの再建を担う人材がこの難民キャンプから生まれ、ソマリアが再び『アフリカのライオン』と呼ばれる日が来るのではないでしょうか?

ライフラインの活動目的は、環境保全と、従業員と受益者に自分たちで環境保全を担える技術、知識を伝授することです。皆さん、ライフラインの哲学、わかってもらえましたか?」

従業員たちは深く頷き、拍手をしてくれた。「ソマリアはアフリカのライオン」のフレーズを使ったのは、ライフラインの哲学が、彼らの胸の奥底にある祖国への思いと同調するものだということが、伝わると思ったから。これで、少しは、従魚員たちの仕事への態度もかわってくれたらいいのだけど。

大変だからこそ、やりがいがある


3月31日、二つの工場の従業員全員を集めての第三回合同ワークショップ。いつもの様に、各工場の主任から、過去3ヶ月の活動などについて発表があった。

工場Aの主任、ラホは「他の団体は車があるのに、ライフラインには車がなく、いつもロバで七厘を運ぶのは恥ずかしい。給料が低い。自分たちの敷地がない。七厘の質が低い」など、いつもの様に、様々な要求をしてきた。これでは、経営陣と労組の団体交渉のようだ。

次に、工場Bの主任、アダンは英語で「この3ヶ月間、能力診断テストのため、従業員たちは一生懸命勉強し、知識を蓄えました。また、就業時間後、工場で小さな塾を始め、従業員たちは文字の読み書きや算数を学び始めました。課題は、レンガを焼くオーブンが壊れているため、七厘の生産量が伸びません。七厘の質も良くなく、従業員の数も足りません。これからの抱負は、キャンプ内の学校で環境教育プログラムを始めたいです」と話した。

抱負や達成した事柄が具体的で、ラホの発表よりは良かった。それでも、主任として、一番重要な部分が欠けている。本来、主任の役割は従業員の監督、指導であるのだから、他の従業員のやる気を引き起こす演説を期待していた。しかし、「援助慣れ」からか、支援団体に要求して、自分たちの利益を引き出すことが主任の仕事だと思っているのではないだろうか。

私は、直接的に批判するのを避ける形で、自分の想いを伝えてみた。「要求の一つに、七厘の質の向上がありました。皆さんが、今作っている七厘には、鉄の枠が入り、私が来た頃よりは数段質が上がりましたが、この鉄の枠は、どういう経緯で入手することができるようになったか覚えていますか?」と尋ねた。

そしたら、工場Aのドウボウが「当時の副主任だったアダンが、キャンプの市場で、鉄の枠を作れる職人を探し出し、契約を結びました」と言った。

私は、「そうですね。つまり、従業員自身の手で、七厘の質を上げることも可能ということですよね。だから、工場長の私に要求するだけでなく、自分たちでできることは何か考えることも大事なのではないでしょうか?」と問いかけ、従業員たちの何人かは頷いていた。

 その後は、アシスタントのモウリドの番だ。二人の主任とは、一味も二味も違うスピーチを期待していた。モウリドは、大きな輪になって座る40人の従業員たちの真ん中に立ち、英語で話し始めた。

 「皆さんは、ライフラインに車がないことを『課題』だと言いました。でも、それは、考え方によるのではないでしょうか?私たちは、他の団体と違い、車ではなく、歩いて難民の自宅を訪問する。強い日差しが照りつける中、1キロ、2キロ歩いて辿り着いた時には、疲れ果てている。その時、『なぜ、私たちの団体だけ車がないのか?』と不思議に思うのかもしれない。でも、訪問した家の難民の方が、私たちが来る事で喜んでくれた時、その疲れは吹っ飛ぶのです。それは、私が、難民の方と同じ様に歩き、彼らの生活の大変さを、共有しているからなのだと思います。難しい状況で人を支援しているからこそ、その仕事にやりがいを感じるということはないでしょうか?
私がライフラインに入って5ヶ月が経ちました。この5ヶ月で、私は色々な事を学ばせてもらっています。ライフラインは難民の私たちにも色々な機会を与えてくれます。例えば、私は、お金の管理を任されています。他の団体で、難民にお金の管理を任せるというのは、聞いた事がありません。ここまで、難民の事を信用し、難民の能力を伸ばそうとしている団体は聞いた事がありません。

私たちが作っている七厘は、難民キャンプ内で配布される物資の中で唯一、難民自身の手によって作られたものです。私は、ライフラインで働くことに大きな生きがいを感じています。車も大事ですが、考え方によっては、ポジティブに働くことがあるということを皆さんにわかってほしい」

私は、感動して言葉を失っていた。ダダーブに来てもうすぐ2年が経つが、難民が他の難民を鼓舞する演説を初めて聞いた。これまで私が聞いてきた演説のほとんどは、援助団体に何かを要求するか批判するかのどちらかだった。しかし、モウリドは、他の難民従業員に「違う考え方」があることを悟り、それによって仕事に対する彼らのやる気を引き起こさせようとした。

合同会議
モウリドは将来のソマリアにとってとても重要な存在になるのではいか。そんな期待がこみ上げ、私は、モウリドの上司として、自分の演説をこれより上等な物にしなければならないというプレッシャーを感じた。

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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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