友人、武装集団に連れ去られる

6月29日午前11時半ごろ、ダダーブで活動するNGO「ノルウェー難民委員会」(NRC)の車両3台が10人以上の武装集団に襲われ、ケニア人スタッフ1人が銃で撃たれて死亡、外国人スタッフ4人が連れ去られた。他に2人、重傷を負った。連れ去られた4人は、ノルウェー人、パキスタン人、カナダ人、フィリピン人。これまで援助機関を狙った事件はいくつも起きてきたが、これほどの規模のものは初めて。

ダダーブには現在五つの難民キャンプがあり、事件が起きたのは、昨年開かれたばかりの「イフォ2」キャンプ。昨年10月には同じキャンプで、国境なき医師団で働くスペイン人2人が拉致されており、未だに行方がわかっていない。

私は、事件発生時は、現場から約4キロ離れた工場Bにおり、工場を去った直後の12時15分ごろ、工場Bの主任、ファラからの電話で、事件を知った。その後、午後6時に全援助機関を集めた緊急会議が開かれ、事件の詳細が知らされた。集まった約40人の表情は重く、報告後、質問する人は誰1人いなかった。

連れ去られたメンバーには、私の知り合いも含まれ、個人的に連絡を取り合うことはなかったが、食事会や会議で会って話をすることは頻繁にあった。1人は、ピザが好きで、ナイロビから材料を仕入れ、友人10人以上を招いてピザを振る舞う陽気な性格だった。そんな彼らと、一瞬にして連絡が取れなるという現実を受け入れることは容易ではなく、特に親しかった人たちの中には、泣いている者までいた。

武装集団は、車両ごと連れ去り、数時間後、現場から30キロ離れた所で、車両が乗り捨てられているのが見つかった。ダダーブから100キロ離れたソマリアとの国境をすでに超えている可能性もあり、捜索活動は難航を極めるだろう。また、昨年10月の拉致事件の2日後には、ケニア軍がソマリアに侵攻しており、今回の事件が、国際関係に影響を与える可能性も指摘される。

日本にいる友人からはよく、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」などと、聞かれることがある。そして、身近な人間がこういう事件に巻き込まれると、それらの質問が、自分にずっしりと重く響く。「国際協力だったら、もっと、安全な所でもできる」「日本にも困っている人たちはいる」などなど、自問し始めたらきりがない。

「みんながそんな風に考えたら、誰も紛争地帯に住んでいる人を支援する人はいなくなる」という、かっこつけた返答をしたこともあったが、今、改めて考えると、本当の自分の思いはもっと違うところにあるような気がする。

20歳の時、旧ユーゴスラビアで初めて難民に出会った時、自分とはかけ離れた人生を歩む人たちへの「好奇心」が沸いた。以来、もっと、その人たちのことを知りたいと思い、インターンや大学院で難民の研究に携わった。新聞記者になっても難民の記事をいくつか書いたが、数日の現場取材だけでは断片的な事しか書けず、長期的に人間関係を作ることでしか伝えられないストーリーを書きたいと思った。

それで2年前、ダダーブに来た。正直、好奇心が先行して、自分が危険な事件に巻き込まれる可能性など、あまり深く考えることはなかった。

でも、日本から遠く離れたアフリカで暮らしていると、「危険」という単語の定義も、あやふやになってくる。日本では、確かに外国の武装集団に複数が拉致されるという事件は滅多に起きないから、そういう意味では、ダダーブより安全なのかもしれない。でも、ここ10年以上、年間3万人以上が自殺で命を落とし続けているという現状は、「危険」ではないのか? 交通事故でも、年間約5000人が亡くなり、そして、昨年の原発事故。ケニアの治安は日本より悪いが、事件、事故、自殺を合わせて年間3万人以上が命を落とすことはないのではないか。

自殺や交通事故はメディアに取り上げられないが、「拉致」、しかも、イスラム武装組織の関与が指摘されれば特にメディアの関心は高くなる。それで、ダダーブは「テロの温床」「危険」などといイメージになるが、援助関係者が巻き込まれる事件は、この20年で数えるほどしかない。

そして、その仕事の「危険度」を、人生選択の重点基準にすること自体に、私は違和感がある。自分のやりたいことを一つもこなせずに80年生きるのと、やりたいことを一つでも達成して40年生きるのとでは、どちらが幸せなのだろうか。

少なくとも、今、私は自分の仕事におおきなやりがいを感じることができている。それは、日本の会社で働いている時のやりがいよりも、比べ物にならないくらい大きい。

「給料挙げろ!」しか言えなかった従業員たちが、自分たちのお金で識字教室を始めたり、全身をベールで覆ったイスラムの女性は、自分とは別世界の人間だと思っていたが、彼女たちが私と同じ様に野球のバットを思い切り振り、笑顔で一塁ベースへ走る姿を見たりと、私の好奇心はさらに壮大になっている。

だから、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」という質問には、「別に危険だから行く事に決めたわけじゃない。自分のやりたいと思った事が、たまたま、そこにあっただけ」と答えることしかできない。

連れ去られた友人らは、一体、どんなきっかけで、人道支援の世界に入ったのだろう?そんな事を考えながら、友人たちの無事の生還を祈る日々が続く。
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武装した若者、工場訪れる (その5)

次の日の朝、アヤレ、モウリド、そして工場Aの従業員全員が工場に集まり、地元住民代表6人と面会した。地元住民側が、「この度は、申し訳ないことをしました」と謝罪し、「もう、この様なことは起きません。何の心配もせずに、仕事に取り組んでください」と従業員たちに語りかけた。腕を掴まれ、引きずり回された女性従業員に対しては、「怖い想いをさせてしまいましたね。申し訳ありませんでした」と個別に謝り、工場は無事、7日ぶりに再開された。

本来、工場長である私も出席すべきところだったが、アヤレから「地元住民側から何人くるのかもわかりませんし、中には暴力行為に出る若者もいるかもしれない。ここは、私たちだけでやらせてください」とお願いされ、仕方なく、1人、事務所で工場が再開されることを祈っていた。

午後、モウリドとアヤレが事務所に来て、私に報告してくれた。2人は、最初、長老たちとの話し合いを試みたが、全く取り合ってもらえず、青年組織の幹部たちにアプローチをかけた。「私たちの工場の活動が停止すれば、地元住民が損をするだけです」と若者たちに呼びかけ、彼らを通して長老たちに話を通してもらったという。

長老たちは、いくつかの要求をし、アヤレとモウリドは、「できるだけ協力します。とりあえず、工場を開かせてほしい」とお願いし、了承されたという。

地元住民からの要求は四つ。

1.現金5万シリング (5万円)

2.地元住民の雇用

3.七輪の部品や土などを地元住民から購入

4.地元住民への七輪配布

 一番重要なのは、何と言っても「現金」。アヤレとモウリドは、「どの団体も、色々な形で、地元住民には便宜をはかっています。税金みたいなものです」と私を説得しようとした。これから、工場が安全に稼働されることを保障するためのお金だという。


私は、「お金については、本部と話し合う必要があります」と2人に伝えた。

しかし、なぜ、支援するのにお金を払わなければいけないのか。しかも、ナイフで脅されたあげく、お金を払うなんてことをすれば、それこそ相手の思うつぼではないか。私たちが支払うことで、他のグループから揺すられる可能性もある。

日本だったら、近所の家の周りを掃除するために、その近所の人にお金を払うことは想像できない。でも、東京の歌舞伎町で新しい居酒屋を始めるとしたら、その縄張りを仕切るヤクザに謝礼を払うのは、何となく想像できる。

ダダーブの場合、活動が、近所の掃除よりも「緊急性」があり、少しくらいのお金を払ってでも、活動をしなければいけない援助機関側の事情と、援助機関が団体登録する際にケニアの中央政府に支払う「税金」の恩恵を被ることができない地元住民側の事情が交錯している。

また、歌舞伎町で居酒屋を始める人のように、ダダーブの援助機関で働く人も、自分たちの利益を追求したいという思惑も少なからずある。日本で支援団体で働くというと、ボランティアか最低限の手当しか出ないイメージがあるが、ダダーブの援助機関で働くケニア人は少なくとも月4万シリングは稼いでおり、ケニアの1人辺りの国民総生産の5倍近くだ。極端な例を挙げるとすると、ある援助機関の運転手が、ナイロビの医師よりも2倍以上稼いだりしている。

しかし、私の場合、日本の会社員時代よりも給料が半減しており、賄賂を払ってまで活動を続ける個人的動機はない。ただ、ライフラインの目的である森林保全を達成するため、そして、従業員の安全を守るためなら、慣習になっている「非正規な納税義務」を果たすのは、仕方のないことなのかなとも思ってしまう。

うーん。難しい。モウリドとアヤレが頑張って交渉に臨み、工場再開させた努力を無駄にさせたくもない。しかし、援助をするために、お金を払うということを、どうやって本部に納得させるのか。一難去って、また一難だ。

武装した若者、工場訪れる (その4)

工場閉鎖期間中、私は他の援助機関で働く友人たちに様々な忠告をもらった。とても興味深かったのが、アフリカ出身の人と、欧米出身の人で、全く異なる見解をしていることだった。

まず、欧米出身の人たちの忠告。

「武器を持って威嚇して来る相手に妥協する必要なんてない。ここで、妥協すれば、彼らは、味を占めて他の援助機関も脅すだろう。すべての援助機関が協力して、活動を全面停止してでも、武器を振りかざす地元住民の要求に屈するわけにはいかない。警察、ケニア政府を巻き込んで、武器を持って威嚇してきた人間に罰が与えられるよう、取り組むべきだ」

中には、「テロリストと話し合う必要なんてない」とまで言う人までいた。

次に、アフリカ出身の人たちの忠告。

「欧米と違い、ダダーブでは、警察も政府もうまく機能しない。そういう所で生まれ育ってきた若者たちに、論理など通用しないから、彼らは、あなたたちに不満あれば、どんなことをしてでも、活動の邪魔をし続けるだろう。確かに暴力行為は非難されるべきだが、だからと言って、話し合いをしなければ、あなたたちは活動ができなくなる。彼らの要求を聞いて、飲める部分は飲んであげる。彼らを雇用して、勤務態度が悪ければ解雇すればいい。重要なのは、彼らの話を聞いてあげ、チャンスを与えてあげること」

私は、当初は欧米側の意見だった。妻と離れ離れになり、厳しい環境で2年以上、ダダーブの住民のために身を捧げてきた。感謝をしてもらいたいとは言わないが、まさか、ナイフを持ってこられるなど、夢にも思わず、そんな輩たちの要求などに耳を傾けられる寛容性など、持ち合わせていなかった。もう工場など投げ捨てて、ダダーブを去りたい衝動にまでかられ、友人たちから「機嫌悪そうだけど大丈夫?」と心配されるくらい、落ち込んでいた。

しかし、私が最初に、工場にやってきたファフィ開発委員会のメンバーと 話した時、「何か要求したいなら書面でお願いします」と言ってきたことにメンバーが怒ったように、ここでは、私が当たり前だと思っていた話し合いの仕方が通用しないのではと思い始めていた。モウリドも「『郷に入れば郷に従え』と言う様に、この辺で活動する援助機関はどこも、地元住民の意見をできるだけ聞き入れ、妥協を重ねた上でやっています」と柔軟に対応することを私に薦めた。

突然、「工場を閉めろ」と言ってきたり、ナイフで脅してくるだの、私にとってはありえない対応も、この世界では、そんなに珍しいことではないのかもしれない。脅されはしたが、けが人はいないわけだし、地元の若者も、私には想像できない厳しい生活を強いられてきたのかもしれないなどと思いを馳せる内、自分は、どんどん、柔軟路線に引き込まれていった。

そんな事を考えている時、アヤレから電話があった。「明日、工場再開することで地元住民代表と合意しました!地区の議員やファフィ開発委員会のメンバーや長老が、明日、工場で従業員に謝罪するということです」

私は、突然の朗報に驚いた。どうやって、アヤレは説得したのだろうか。アヤレの仕事への情熱が、地元住民に伝わったのだろうか。本当に、工場は再開できるのだろうか。現場に出向く事ができない自分は、アヤレの言っている事に、いまいち実感性を持つことができず、次の日のアヤレからの報告を待つ事にした。

武装した若者、工場訪れる (その3)

アヤレとモウリドによる交渉努力は何度も空振りに終わった。事件翌日は、相手側が「今日は忙しい」とキャンセル。翌々日にミーティングを設定したにも関わらず、 当日出向くと、「別の団体と協議中」とまたもやキャンセルされた。そして、6月11日に改めて出向くと、今度は「工場長と直接話さなければ意味がない」と相手側が取り合わなかった。工場長なしでも、交渉に臨むと当初は約束していたにもかかわらずだ。ナイフを振り回されたあげく、なぜ、こちらがここまで下手に出なくてはいけないのかわからず、私は苛立った。おそらく、現場で迷走しているモウリドとアヤレの苛立ちは、私以上だろう。


6月13日、ダダーブの国連事務所内で、地元住民代表と援助機関の協議があった。 ダダーブ難民キャンプは、五つのキャンプに別れており、端から端までの距離は約30キロで、二つの自治体に股がっている。東二つのキャンプはファフィ地区、西三つはラガデラ地区。今回の協議に出席するのはラガデラ地区の地元住民で、事件が起きたファフィ地区とは異なるため、直接関係はないが、事件が起きたことを報告し、こういう事がラガデラでも起きないようお願いする必要があると思った。

地元住民側からは5人、そして20以上の援助機関の代表が集まった会合で、私は立ち上がり、話した。

「私たち、ライフラインは5年前からダダーブで七輪を製造してきました。二つの工場で約40人の難民従業員が働いています。私がライフラインに入った昨年、従業員たちは、地元住民に対して良いイメージを抱いていませんでした。なぜなら、彼らの地元住民についての知識は限られており、薪を拾い集めに行くと、襲ってくる人たち、というぐらいの認識しかなかったからです。

それで、私は、従業員たちに研修を通して語りかけました。『私たちが作る七輪は一体、誰の生活を改善しているのか?』と。従業員たちは、『難民』としか答えることができませんでした。私は、『本当に難民だけでしょうか?確かに七輪を受け取るのは難民ですが、難民が薪を節約し、森林伐採に歯止めがかかれば、そこから恩恵を受けるのは難民だけではないのではないでしょうか?』と。ようやく、従業員たちは七輪プロジェクトが、地元住民の生活改善にも役立つということを知り、難民と地元住民の架け橋に自分たちがなっていることを誇りに感じるようになりました。そして、七輪を通して地元住民と難民が理解を深めていく劇を作り、キャンプの住民たちに披露し始めたのです。『自分たちの住んでいる所に突然46万人の人が押し寄せ、木々を伐採したら、誰でも良い思いはしない。地元住民の人たちも、難民と同じ様に苦しんでいる』と訴え始めました。

しかし、その従業員たちの努力が、先週、すべてぶち壊されました。6月4日、地元の青年組織メンバーが工場を訪れ、1時間以内に工場を閉鎖しろと要求してきました。そして、6月7日、ナイフや斧を持って強制的に工場を閉鎖させ、「明日以降、出勤したら殺すぞ」と従業員たちを脅しました。

彼らは、ライフラインが難民従業員しか雇わないことに腹を立てたようです。しかし、この様な暴力行為から得られるものは果たしてあるのでしょうか?私たちは、ケニアの森林伐採を食い止めるため、地元住民の生活改善のため、七輪プロジェクトを始めました。

ナイフを突きつけられたことにより、従業員たちの地元住民に対するイメージは再び悪化してしまいました。私たちの工場は現在活動を停止し、難民にとっても、地元住民にとっても、そして私たちにとっても、何の良い結果をもたらすことはありませんでした。雇用も大事かもしれませんが、その団体の活動全体を見て、評価することも大事なのではないでしょうか?もし、私たちの活動について知りたいなら、いつでもご案内させていただきます」

地元住民側は、頷きながら私の話に耳を傾けてくれていた。「ラガデラ地区内では特に問題はありませんか?何かあれば、私たちが仲介しますから、連絡してください」と気遣ってくれた。

現場で奮闘しているモウリドとアヤレのためにも、今、私がここでできることは、この事件の事を1人でも多くの人に知ってもらい、同じことが繰り返されないよう警鐘を鳴らすことぐらいだ。工場Aの作業が停止されて1週間。まだまだ、苛立つ日々は続く。

武装した若者、工場訪れる (その2)

事件が起きた午後、工場Aを統括するアヤレと電話で話した。アヤレは今月初旬にライフラインに入った。治安悪化で私が自由に動けない中、モウリドが二つの工場を一度に統括するのが難しくなり、工場Bをモウリド、工場Aをアヤレと分担した。

「とにかく、工場長が直接、地元の青年組織と話すことが大事だと思います」とアヤレは言った。しかし、私は「ナイフや斧を振りかざし、『工場長はどこだ?』と言う若者たちと話す勇気は残念ながらないよ。もし、君が彼らと話し合いができるという自信があるのなら、君にやってもらいたい。もし、君の安全が保障されないなら、とりあえず、今は時間を置いて、他の機関と連携して、話し合いができる環境を作るまで待つしかないよ」とアヤレに伝えた。ライフラインの本部からも、とりあえず、ダダーブの国連敷地外には出ないよう指示が出ていた。

アヤレは、「わかりました。それでは、モウリドも一緒に話し合いに参加してもらえるよう、お願いできないでしょうか?」と言う。私は、モウリドに電話をした。モウリドも、自分の身に危険が及ばないか心配しながらも「安全な環境で話し合いができるなら、参加します。七輪を配るだけでなく、技術指導などで、地元の人たちと協力できる余地はいくらでもあるはずです」と前向きだった。アヤレは地元の青年組織との個人的つながりを使って、交渉を進めるという。

自分の従業員の身に危険が及んでいるのに、工場長として、何もできないことが悔しかった。

しかし、ライフラインがダダーブで活動を始めて5年になるが、なぜ、このタイミングで、このような事が起こったのか?ダダーブはケニア北東部に位置し、住民の大半はソマリア民族で、難民と言語も宗教も同じである。つまり、ナイフを持って工場に来たのもソマリア民族の若者だ。

まず、考えられるのが、昨年の16万人という大量の難民流入により、木々などの資源が枯渇し、地元住民と難民との間の軋轢が増幅したということ。地元住民の大半は遊牧民で、ヤギやラクダを飼育し、限られた木々に生計を依存している。ケニア北東部に住むソマリア系住民は、1960年代にケニアからの分離独立運動をし、中央政府から弾圧された歴史があり、他の地域と比べ開発は遅れている。そこに、90年代から難民が押し寄せ、水、食料、教育、医療など、 地元住民が受けることのできないサービスが無料で難民に提供され、あげくに、木々がどんどん伐採されては、いくら同じ民族といっても、軋轢が生じるのも無理はない。


ダダーブには20以上の援助機関があり、2000人近くのケニア人が雇われている。しかし、多くは大学卒業などの資格を必須とし、ナイロビなどと比べたら教育水準が低いダダーブ周辺地域出身の人は、そこまで恩恵を受けることができない。また、6000人以上の難民が援助機関で働くが、就労許可がない難民は、「ボランティア」扱いで、ケニア人従業員とは待遇面で大きな差がある。そのため、人件費を抑えたい援助機関は、ケニア人よりも難民の方を雇いたいため、ダダーブのソマリア系ケニア人の不満は募るばかりなのだ。

次に、少し出前味噌になるが、この1年でライフラインの知名度が格段に上がったことが挙げられる。弱小団体であるライフラインは、事務所と工場が他の援助機関内にあり、 私が昨年5月にライフラインに来るまで、難民も援助機関職員も、ほとんどライフラインを知らなかった。

しかし、「難民自身で運営する七輪工場」をキャッチフレーズに、他の援助機関との共同プロジェクト、啓発キャンペーン、従業員への研修などを繰り返し、インターン制度で障害者を工場へ受け入れるなどするうち、ライフラインの知名度は上がり、以前、職員募集をしても数通しかこなかった申込書が、今は200通にまで膨れ上がった。新しい資金提供者も見つかり、従業員数も、当初の30人から53人にまで増えつつあった。

そして、その従業員が全員難民で、1人もダダーブ周辺のソマリア系ケニア人から雇われていないことが地元住民に知れ渡り、今回、こういう結果を招いた。実際、詳細は書けないが、先月初旬から、ライフラインに対するいくつかの「嫌がらせ行為」があった。

他の援助機関も地元住民とは様々な対立を乗り越えて活動を継続してきている。ライフラインはこれまで他の援助機関の隠れ蓑で活動してきたため、こういった問題に対処する必要ななかった。つまり、ライフラインが成長する過程で、起こるべきして起こったこととも言えなくもない。

アヤレとモウリドが彼らとどんな交渉をするのか。とにかく、彼らに危険がさらされないことを願うばかりだ。

武装した若者たち、工場訪れる

6月7日午前11時ごろ、ナイフや斧を持った地元の若者15人が工場Aを訪れ、「工場を今すぐ閉めろ!工場長はどこだ?もし、俺らの許可なしで、この工場に出勤したら、殺すぞ!」と従業員たちを脅した。女性従業員の1人は腕を掴まれ、地面を這いずり回された。従業員たちは、そのまま工場を閉め、退散。幸い、けが人はなかった。

電話で報告を受けた私は、早速、ライフライン本部、国連や関係機関に提出した。工場Aの活動を当分停止することも決めた。

事件の伏線はあった。6月4日、難民キャンプがあるケニアのファフィ地区の自治会や青年会で作る「ファフィ開発委員会」のメンバーと名乗る8人が工場を訪れ、理由もなく、「1時間以内に工場を閉めろ!」と命令をしてきた。その場にいなかった私は、すぐに、その組織についての情報を集めた。その結果、その委員会はケニア政府に正式に認められた組織ではないこと、これまでも同じ様に他の援助機関にも嫌がらせ行為をしてきたこと、などがわかり、ファフィ地区で活動する団体からは「閉鎖命令をしたいなら、ケニア政府からの要請書を要求すればいい」と忠告を受けた。私は、何の話し合いもなく、即座に工場閉鎖を要求してくるような団体が、まともな団体とは到底思うことができず、相手にするのも嫌だった。

 次の日、メンバー2人と私は面会。2人は、「ライフラインは、なぜ、難民ばかり雇い、地元のケニア人は雇わないのか?」と尋ねてきた。

私は、「難民キャンプ外にも工場を作りたいと思っています。工場の従業員は難民ばかりですが、七輪の材料である粘土や牛の糞、鉄などはすべて地元のケニア人から購入しており、工場の運営資金の半分以上はケニア人にいっています」と説明した。

しかし、彼らは納得せず、「その契約を結んでいるケニア人の名前を教えてくれ」と言う。私は「個人情報なので、何か書面で申請しいただき、本部と相談した上で決めさせてください。いきなり、工場閉鎖しろ、と言われても、私たちは国連のパートナーとして活動しています。ケニア政府からの要請書を国連に出す形で、やっていただけないでしょうか?」とお願いした。

彼らの怒りは増幅するばかりで、「書面でお願いなどする必要はない!あなたたちは、私たちの土地で活動している。私たちが閉鎖したかったら、閉鎖できるのだ。ここで活動しておいて、私たちを知らないとは何事だ。もう、工場は閉鎖しろ。明日、七輪一つでもあるようなら、すぐ閉鎖させるからな!」とそのまま出て行ってしまった。

今月から工場Aの総主任として雇ったアヤレ(29歳男性、仮名)は、難民キャンプの青年組織の副代表を努めており、地元の青年組織ともつながりがあった。アヤレは「ここは私に任せてください。彼らと話し合いをして、説得します」と言う。しかし、アヤレは和解をすることができず、6月7日の悲劇につながってしまった。

一生懸命仕事をしていた従業員たちを危険にさらしてしまい、とてもやるせない気持ちになった。

非常事態を受けて、国連やライフライン本部は口を揃えて「警察に連絡を」と私に忠告した。一方、モウリドやアヤレは全く逆の見方をした。「警察に連絡したら、逆に彼らをさらに怒らせ、事態を悪化させることになる」と指摘してきた。法治国家で生まれ育った人なら、こういう場合、警察に連絡するべきと思うのは普通だ。

しかし、ダダーブで2年働き、ケニア警察が、罪のない難民に暴力を振るうことに、何の躊躇もしないことを知っている私は、モウリドやアヤレの思いがよくわかった。警察に連絡したところで、 逆に、地元住民からのライフライン従業員に対する報復行為が過激化するだけかもしれない。

それでは、ナイフや斧を振りかざす彼らと話し合いをしろと言うのか?それもできない。自分の身の安全が保障されない場所には行くことはできない。でも、工場の運営を停止したままにするわけにもいかない。こんなに難しい判断を迫られたのは初めてだ。誰か助けてほしい。(続く)

業務命令に従えない従業員

以前にも書いたが、従業員たちは「業務命令」という感覚がとても希薄だ。学校にも行った事がなければ、会社で働いた事もないから、規約に縛られた「集団行動」をした経験が絶対的に不足している。

工場Bは、これまで、工場Aから運ばれてきたレンガを組み合わせるだけが仕事だったが、この度、工場Bにもレンガを焼く窯が作られたため、従業員たちはレンガ作りもしなければいけなくなった。

しかし、レンガ作りというのは、牛の糞を混ぜ合わせるなど、臭くてきつい仕事だ。女性にはなかなかできる仕事ではないため、男性従業員にどうしてもしわ寄せがいく。

レンガ作りが始まり、何日か経ってモウリドが「レンガ作りの人手が足りません」と言う。私が「男性従業員の4人は何をしているの?」と尋ねると、「彼らはやりたくないようです」と返答した。

私は、メールでモウリドに迫った。「『従業員がやりたくないようです』というのは、業務命令に従わない理由にはなりません。私たちの仕事は契約書に書かれた通り、従業員が仕事をするかどうか監督することです」と伝えた。

2日後、モウリドは「いくら説明しても、ノア(男性、仮名)とユスフ(男性、仮名)の2人が従いません」と言う。

 2人は、レンガを組み合わせるだけでも大変なのに、さらにレンガ作りまでやらされるのは辛い。工場Aから何人かこちらへ移動させるべきだと主張しているという。

私は「契約書に書かれた事を遂行できないなら、口頭注意処分。それでも、従わなければ、注意文書を出すしかありません」と伝えた。そして、次の日、彼らの態度は変わらなかったため、仕方なく、注意文書を手渡した。注意文書を渡されると、自動的に給料の8パーセントが引かれるシステムになっている。

モウリドは「注意文書は手渡しましたが、工場長と直接、話がしたいということです」と言う。治安悪化で工場に行く事が難しくなった私は、次の日、警察の護衛が付く国連の事務所の一室を借りて、2人に会った。

彼らは、「レンガ作りは女性ができないため、私たち男性だけでは人手が少なすぎる。ノルマを達成するのは難しい」などと言った上で、「給料を差し引かれるのは辛いから、注意文書を撤回してほしい」と陳情してきた。業務命令に歯向っておいて、よく、そんな事が言えたものだ。私は「契約書をもう一度、じっくり読んで、上司からの命令が、契約書に沿ったものなら、それに背くことは規則違反です。ノルマを達成できるかどうかは、やってみなければ分からないし、ノルマを達成できなかった場合の罰則規定はありません。残念ながら文書撤回はできません」と突っぱねた。

そして、給料日。全体ミーティングで、今回の事を話したら、従業員のタワネ(男性、仮名)が「レンガ作りの業務が始まった時、私たちは、工場Aから従業員が何人か派遣され、インターンと一緒に、レンガ作りを担当すると思っていました。だから、私たちがレンガ作りをさせられるとは思っていませんでした」と情状酌量を求めた。

私は「私たちと、あなたたちの工場運営に関して意見が異なることは多いに結構です。そして、その意見を述べること、質問をすることも、多いに結構です。問題は、意見が異なるからといって、私たちの指示に従わないということは、『ありえない』ということです。あなたたちが、レンガ作りは別の人間がやると思っていたということは仕方のない事です。ただ、それについて主任やモウリドと話し合い、それが思い違いだったと認識した時、なぜ、指示に従わないのでしょうか?40人の従業員が、それぞれの意見や哲学で動くのなら、組織は組織として成り立たなくなります。契約書に自分がサインしたのですから、皆さんには規約を守る責任があります」と伝えた。

そしたら、強ばった表情をしたノアが、「もし、レンガ作りをすることがわかっていたなら、契約書にサインはしませんでした」と言ってきた。

こういう無責任なコメントに関しては、私はとことん厳しく対応する主義だ。「別に、あなたがこの工場で働くことは義務でも何でもありません。契約を破棄しますか?」と尋ねると、ノアは黙って首を振った。

そしたら、今度は女性従業員たちが、「今回だけは、彼らの給料を差し引くのを見逃してやってくれませんか?」といつもの陳情をしてきた。「今回が最後です」というのは、昨年、何度も聞いてきたし、実際、一度見逃したことがある。ここは心を鬼にするしかない。

「以前、一度見逃してあげたから、今回はあきらめてください」と言うと、給料を差し引かれる張本人のタワネが「工場長は、確かに、一度見逃してくれた。その時、今回が最後だと約束した。だから、今回は差し引いていただいて構いません」と言うではないか!

最後にちょっと、感動させられたが、給料はしっかり差し引かせてもらった。これで、少しは「業務命令」というのがどういうものなのか、わかってくれればいいのだが。

ラホが去った後

ラホが去った後の工場は、まるで別世界だ。4月中旬の全体ミーティングで、新体制を発表。新しい主任には、公募で選ばれたブラレ(28歳男性、仮名)。副主任は、キモとドウボウ(23歳男性、仮名)の2人体制にした。

そしたら、ラホの妹であるミンシャが「なぜ、これまで1人だった副主任を2人にするのですか?私たちへの監視体制を強化するためですか?」と尋ねてきた。ラホの甥であるダヒールも「工場長は、またスパイを置いて、私たちに対する監視を強化させようとしている」と同じ様は質問をした。

私は、「『スパイ』とか『監視体制』とか、なぜ、あなたたちが心配するのか理解できない。あなたたちが契約書通りに仕事に励んでくれれば、それでいいのです。それについてあなたたちが心配するということに、私は逆に心配します。それは、あなたたちが、私に対して何か後ろめたいことがあるからじゃないでしょうか?皆さんが、自分たちの勤務態度に自信を持てるなら、監視されるということを心配する必要はないはずです」

ラホの親戚である2人が、なぜ、この様な質問をしたかは理解できなくもない。ラホが工場を去る決断をしたきっかけになったのは、工場内の2人の従業員が「ラホは遅刻して出勤しても、自分の出席簿には遅刻マークを付けていない」と私に密告したことだった。だから、2人は、未だにその「密告者」が許せないし、ラホを追求した私に対しての怒りもまだ消えていないのだろう。

私は続けた。「副主任を2人にするのは、二つ理由があります。まず、キモがエチオピア出身で、主任不在の場合、彼1人では皆さんとの会話が難しいこと。そして、ドウボウがこの1年、リーダーシップを発揮して工場を支えてくれたことを評価し、昇進させたかったこと。それだけです」

そしたら、他の従業員たちが、ラホがいた頃には、あり得なかった行動に出た。滅多にミーティングで発言しないサラット(21歳男性、仮名)が「副主任が2人いた方が、組織として機能しやすくなると思う」と発言した。次に、同じく普段は静かなイブラヒム(28歳男性、仮名)が「私もそう思います。1人より2人の方が、従業員と主任との意思伝達がスムーズになる」と言う。

従業員同士で異なる意見が交わされるのを、私は初めて見た。これが本来あるべき姿で、様々な意見が従業員から出され、それが工場運営方針に反映されていくことで、彼らの自立心は芽生えていく。

私が工場長就任当初、ラホに注意文書を手渡し、私が工場を去った後、ラホは従業員を集めて、「もし、工場長が再び私に何か罰則を与えるようなことがあったら、全員でストライキをする。皆、私のおかげでこの工場に入ったことを忘れないで」と話していたことを、思い出した。

56歳のエボ(男性、仮名)が、ミンシャやダヒールに「副主任2人の方がいい。ドウボウはこの1年、本当によく頑張って仕事をしていた。彼は副主任に適任だ」と言い聞かせていた。工場長就任して1年。やっと、スタートラインに立った気分だ。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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