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戦争で負った傷と向き合う

カウンセリング専門の援助機関で働く友人から「あなたの工場で働くヤシン(仮名、20代男性)が、私たちのカウンセリングに通っているのだけど、かなり深刻なの。毎週火曜日と水曜日に、早退許可を出してもらえないか?」との連絡を受けた。

ライフラインでは、よりやる気のある難民に雇用機会を与えるための「インターン制度」がある。インターンは無給で1ヶ月間、七輪作りを学び、空席が出た場合に、インターン修了生で一番勤務態度が良かった人を雇うというもの。

ヤシンは、4月に、別の従業員の紹介で、インターンを申し込んできた。彼は英語が堪能で、私は「君みたいな教養が高い人なら、もっと、しっかりした仕事があるのではないの?インターンをしても、その後、仕事をもらえる保障はないのだけど、いいんだね?」と彼に念を押し、「わかっています」とインターンになった。

七輪作りは肉体的にきつい労働だ。私もレンガ運びを手伝うことがあるが、1時間でヘトヘトになる。インターンもかなりの割合で、「こんなきつい仕事を無給ではできない」と逃げ出してしまう。

しかし、ヤシンは、一ヶ月間、どんな辛い仕事も嫌がらず積極的にやり、無遅刻、無欠勤で終えた。インターン終了後も、何度か工場に顔を見せ、空席の機会を待っていた。そしたら、7月、女性従業員が育児のため、半年間、休職することになり、10人のインターン修了生の中から、ヤシンが代理として雇用された。

8月22日、私は、とりあえず、国連事務所にヤシンに来てもらい、事情を聞いてみることにした。げっそりとやせ細った体で、紺のTシャツは、工場から直接来たからなのか、所々、汚れがある。「友人から、あなたがカウンセリングが必要と聞きました。それについては全面的にサポートします。もし、差し支えなければ、話せる範囲内で事情を聞かせてくれませんか?勿論、言いたくないことは、言わなくていいです。これは、義務ではありません」と伝え、ヤシンは、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「約10年前、祖国で武装勢力のメンバー数人に家を襲われました。斧を振りかざし、私たち家族は拷問を受けました。私は、左耳をナイフで斬りつけられ、火あぶりにされました」

彼が左手で掴んだ左耳に目をやると、上部がへこんでいることに初めて気付く。

「数十頭いた牛や家具はすべて奪われました。『この民族は絶滅させなければならない』と、メンバーの1人が話しているのが聞こえました。父と母、兄弟3人いましたが、全員、体を縛り付けられました。幸い、誰も殺されませんでした。父親は『何とか、また、一からやり直そう』と私たちに言い、隣人からお金や食料を分けてもらうなどし、何とか生活を立て直しました。しかし、双子の妹が、精神的に不安定になりました。人の話に集中することができなかったり、突然、鼻血を出すようになりました。

2年前、再び、武装集団が家を襲ってきました。私は、牛の放牧作業から帰ってくる途中で、100メートル先で、数人の男が斧を持って家の庭にいるのが見えました。彼らは、父の髪の毛を掴み、斧で首を切り落としました。その瞬間、私の中で、すべての時間が止まり、頭が真っ白になり、何が何だかわからなくなりました。体が勝手に、家とは逆方向に走り出しました。走って、走って、走りました。森にたどり着き、1人で、果物などを食べながら、過ごしました。 他の家族が無事なのかさえわからない。でも、怖くて、家には戻れない。

震えながら、森で、数日間過ごした後、首都まで行きました。荷物運びなどでお金を稼ごうとしましたが、体に力が入らず、続けることができませんでした。そこには、対立部族が多く住んでいることから、身の危険を感じ、そこから、トラックの荷台に忍び込み、ナイロビに辿り着きました。

国連事務所で難民申請をし、ナイロビに住む同胞たちにかくまってもらいました。そしたら、双子の妹も、ナイロビにいることがわかり、再会を果たしました。死んだと思っていた妹が生きていることに、最初は大喜びしましたが、妹から、他の家族全員が殺されたことを聞き、言葉を失いました。さらに、妹の精神状態が、著しく悪化していたのです。

夜、突然、叫び出したり、火を見ると、鼻血を出したり、記憶があいまいだったり、とにかく正常ではなかった。国連に難民申請をしても、彼女の記憶があいまいだから、首尾一貫した供述ができず、申請は却下されました。

私たちは昨年、ダダーブ難民キャンプに送られました。今、カウンセリングに通っていますが、妹は、私が通訳してあげないと、カウンセラーに何も話すことができないので、私が同席しなければならないのです。

キャンプの治安悪化は、妹の状態をさらに悪化させます。路肩爆弾の爆発音を聞けば、恐ろしい記憶を呼び覚ますのか、一晩中、叫び続けます。

私は、妹と2人暮らしで、料理も洗濯も私がやらなくてはなりません。国連からの食料配給だけでは生きていけないので、妹のために少しでも収入を稼ごうと、国連職員の清掃係になりましたが、洗剤で手がかさばり、できませんでした。別の援助機関でも働こうとしましたが、職務が、他の難民が抱える問題を調査するもので、私に、そんな精神的余裕がなく、あきらめました。

ライフラインのインターン制度を知り、無給だとは知っていましたが、家にずっといるよりは、何か技能を身につけた方がいいと思い、参加しました。今は、とにかく、妹が、料理や洗濯、小さなことでもいいから、できるようになるまで、横で支えてあげたい。

未だに難民認定は受けていませんが、精神科医からの推薦書を出して、再申請している所です」

ヤシンは、時折、涙を流しながら、打ち明けてくれた。私は、呆然となり、何かかけられる言葉はないかと一生懸命探した結果、「大変だったね」と語りかけた。 ヤシンは、「大変?私なんか、まだ幸せです。妹に比べたら」。頬をしたたれる小粒の涙を左手で拭き取りながら答えた。
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難民支援と家庭の両立

難民支援に従事する者にとっての大きな課題は、家庭を維持すること。ダダーブを含め、現場の大半は治安が悪く、家族同伴が許されていない。配偶者や子供をナイロビなどの近くの都市に住まわせ、6−8週間に一度、家族同伴ができない現場のみ与えられる1週間の特別休暇で、家族との時間を楽しむ。

しかし、それは、無論、家族がいれば、の話。ダダーブにいる外国人スタッフの多くは独身者か離婚者。昨夜も、他の団体で働くカナダ人がピザを作り、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどの出身の友人たち10人ほどで食べたが、平均年齢35−40歳で、既婚者は、私を含め4人。

私の場合、ナイロビで妻が働き、私が出張で毎月10日間はナイロビに行かなくてはならない(いや、行く様に「出張理由」を作っている)ので、他の同僚たちと比べたら、かなり恵まれている。しかし、6月末から、妻が昨年独立した南スーダンへの緊急援助隊員として送り込まれ、2ヶ月間、離れ離れになった。毎日、電話で話す様にはしているが、長距離になると、喧嘩の頻度が増え、改めて、難民と家族支援の両立の難しさを思い知らされた。

例えば、普段なら、聞き流すようなことでも、腹が立ってしまう。妻が、男友達とインターネットでチャットをし、その男友達が妻に「君は、夫にこれまでずっと『誠実』でいてきたのか?」(要するに『浮気はしたことあるか?』)と尋ねたという。その男友達は既婚者で、長い間、難民支援の現場で働いてきたから、「もう、この業界から足を洗って、家族と一緒にいたい」とこぼした後、そういう質問を妻に投げかけたという。

私は、その友達と面識もないから、色々、想像を膨らませてしまい、「彼がそんなことを聞くと言うことは、お前に気があるのではないか?」と妻に尋問。妻は、「自分の悩みを打ち明ける延長で尋ねてきたことだから」と擁護。妻が、彼を擁護することが、私をさらに腹立たしくさせ、勝ち負けモードの不毛な議論となり、最後は、妻が「もう電話を切る」と会話を打ち切った。

毎日、電話をするのも容易ではない。私がナイロビに出張する時は、妻がいない家に1人でいると、捨てられた気分になるから、できるだけ友人宅にお邪魔させてもらっている。ある日、妻から電話がかかってきた時は、友人3人と、「スクラブル」という英単語を使うボードゲームに没頭中で、集中力が勝負のゲームだから、負けず嫌いの私は「ごめん、今、電話、無理」とこちらから切った。

そして、その2日後も、運悪く、同じ友人宅で、同じボードゲームで、ほぼ同じメンバーと熱戦中で、話すことができなかった。

さらに、その次の日は、トランプのポーカー好きな別の友人宅にお邪魔し、7人でテーブルを囲んで、ポーカートーナメントに参加中で、携帯電話を車に置き忘れて、妻からの電話に出ることができなかった。

そして、次の日、私がダダーブに戻り、やっと時間ができたと思ったら、今度は、電話とインターネット回線が悪く、思い通りの会話ができなかった。お互い、苛々が募り、妻は「4日間で、3回も電話に出れないなんて、どういうこと?」と怒り、私は、「あなたが南スーダンに行かなかったら、こんな問題は起きていない。家に1人でいて、何をしろというのか?」と怒り、再び、勝ち負けモードの不毛な議論に。

ダダーブの生活環境は厳しい。気温は40度を超え、原則、周囲3キロの国連敷地外に出ることができない。体調を壊して、祖国に戻ってしまう人もたまにいる。しかし、妻がいる南スーダン北部は、さらにひどい。雨期で道路が遮断され、野菜などの物資が運送できなくなるため、毎日、ヤギ肉と米しか食べれない。今年だけで10万人以上の難民が流入し、援助機関スタッフの住居も整っておらず、妻は八畳一間のプレハブ小屋を3人で共有している。先週は、熱を出して、2—3日、横になっていた。

そんな環境で働いていると、「不毛な議論」が「不毛」だと気付くのさえ難しくなる。が、そこが妻の凄いところ。「昨日は、ごめんね。こちらでの仕事が色々大変で、苛立っていたの」と私より、一歩先に、議論の不毛さに気付くのだ。

難民と家族支援の両立。そばにいる家族1人幸せにできない人間が、難民を支援できるとは、到底思えない。これは、私たち夫婦にとっての永遠のテーマになるだろう。

援助機関を二股する難民

「工場Bの新しい主任になったアデン(仮名)が、別の援助機関にも在籍しているらしい」。ある人物から報告を受けたのは先月下旬のことだった。私は早速、その援助機関の事務所に出向き、アデンの写真を見せ、彼がその援助機関が運営する小学校の副校長だったことが判明した。アデンへの解雇通知をモウリドに手渡したら、何と、アデンの方から退職願いを提出してきたという。私が、その援助機関に出向いたことが、すでにアデンの耳に入っていたのだ。

難民従業員による援助機関の二股行為は、ダダーブでは横行している。25以上の援助機関が、人事データベースを共有するのは不可能だし、お金を少しでも多く稼ぎたい難民の事情もある。しかし、一番の原因は、援助機関が難民従業員をいわば「使い捨て」のように扱っているため、二股できる余地を与えてしまっていることだ。各援助機関が、毎日、従業員の出欠や勤務態度をチェックすれば、小学校の副校長が、他の工場の主任を兼務するなど、不可能だろう。

難民の友人たちからの話を聞くと、いかに、彼らが野放し状態で働かされているかがわかる。

「出勤簿がない」

「出勤簿はあるが、毎月一度チェックされるだけなので、その時に、すべて適当に記入する」

「月に一度レポートを出せば、それでいい。日々の行動はチェックはされない」

「あるプロジェクトが終われば、数週間、何もすることがなくなる」

原則、難民従業員は、朝8時から午後5時までの就業時間になっているが、午後1時以降に、働く人を見た事がない。「人材育成」の視点が、完璧に欠如している。
アデンは、昇格したファラに代わって、7月1日から主任になった。昨年、一度、アデンに通訳をお願いしたことがあり、その時の礼儀正しい振る舞いや、面接での適格な受け答えを見て、主任に任命したのだが、見事に裏切られた。

モウリドに退職願を渡す時、アデンは、謝るどころか「一体、誰が、密告したのか?」と不思議がっていたという。

このアデンの一言は、援助機関と難民の間に溝があることの証左でもある。アデンが二股をかけていることを、キャンプから数キロ離れた国連敷地内に住む私が直接知る事は難しい。しかし、難民キャンプでアデンと一緒に暮らす同胞たちは別だ。横のつながりが強い難民キャンプで、小学校の副校長が、別の工場で主任をしていることが、知れ渡らないわけがない。それでも、アデンが二股をかけたのは、「同胞が、『外部者』に密告することはない」という暗黙の了解があるからだろう。

今年2月には、閉鎖された工場Aの元主任ラホの遅刻を密告してきた従業員がいたが、今回の密告とは、質が違う。ラホの場合は、彼女の強権体制に不満を抱いていた者たちによる密告で、明確な利害関係があった。しかし、今回の密告者は、アデンが解雇されたからといって、その人物が主任になれるわけでもないし、アデンの主任としての仕事ぶりに不満を抱く者は誰もいなかった。

じゃあ、なぜ、私に密告したのか?その人物が密告したことがバレれば、即刻、キャンプで村八分される。そんな危険を犯してまで、なぜ?

その人物は、私に伝えた。

「長い目でみたら、ライフラインの組織にとってよくないじゃないですか。アデンが、別の組織で働けば、それだけ、しわ寄せは別の従業員にいく。他の従業員の模範であるはずの主任が別の機関で働く様なことは、組織全体に悪影響を与えると思いました。そして、組織に悪影響を与えることは、社会全体に悪影響を与えることでもあります」


 私は従業員を諭す時、「これは、あなた個人に対する非難ではなく、組織、いやソマリア社会にとって有益だと思うから言うのです」と言ってきた。

私の想いが、少しずつだが、従業員たちに浸透している。こちらに伝える意思さえあれば、どれだけ大きな溝が私と彼らの間にあろうと、伝わるのだ。裏切られるばかりじゃないことがわかり、少し勇気づけられた。

簡単な計算はできないけれど


新しいプロジェクトの取り仕切り役になったファラ。工場Bの主任から昇格したわけだが、与えられる責任の大きさに、少々戸惑い気味だ。最大の課題は、お金の管理。

治安悪化で、難民キャンプに頻繁に行けない私の代わりに、従業員の給料や、工場で使う物品購入、交通費などの支払いをやってもらい、領収書を作成し、財務ノートに正確に記録してもらう。簡単な業務に聞こえるが、一筋縄ではいかない。

7月10日、私が、財務ノートをチェックすると、記録された支払いの領収書がないなどの間違いがいくつか見られた。ファラは、「領収書を取り忘れました。もう、このような間違いは、二度と起こしません!」と潔く過ちを認めた。私は、「これは、組織にとって、とてもとても重要な事です。本当に、これで最後にしてください」と伝えた。

7月17日、基本的に、財務ノートには支払いだけが記録されるから、残額は、毎回、減っていくはずなのだ。しかし、ノートには、7月12日の500シリングの支払いで、なぜか、残額が500シリング増えるという珍現象が記録されていた。「ここで、なぜ、残額が増えるのかな?」と尋ねると、ファラの表情は引きつり、「私の過ちです、、、」と言う。

私:この前、「もう二度と間違いは起こさない」と言いましたよね?

ファ:はい、、、。

私:この任務がこなせないのでは、残念ながら、この仕事をあなたに任せることはできません。なぜ、この様なミスが起きるのですか?

ファ:ちょっと、急いで記入していたからだと思います。妻が病気で、忙しく、携帯電話の電池切れで、電卓が使えませんでした。

私:毎回、何度も入念にチェックしながら、記入してください。もう、本当に、これで最後にしてくださいね。

ファ:わかりました。これが最後です。

こんな基本的なミスを連続で犯して、なぜ、ここまで自信に満ちあふれた表情ができるのか、私には理解しかねた。

7月25日、三度目の正直はあるかと期待しながら、財務ノートをめくった。しかし、7月20日、400シリングの支払いが記録されているのに、残額は200シリングしか差し引かれていなかった。私の期待は、見事に裏切られた。

私は、財務ノートを差し出し、「自分でもう一度、確かめてみてください」と伝えた。ファラは、1分ほどノートとにらめっこをしたが、過ちを見つけることができなかった。仕方なく、私は、「この項目、差し引かれる額に間違いはありませんか?」と尋ねた。

ファラは、電卓を取り出し、計算し始めた。差し引かれている額が200か400かを見分けるのに、電卓が必要だということに、私は、ショックを隠せなかった。

私:これで、三度目です。まだ、「これが最後です」と言うことができますか?

ファ:これが最後です!

私は、彼の根拠のない自信が、滑稽に思えた。

私:何度も言いますが、これは、とても簡単な算数です。これができないなら、今の仕事から降りてもらうしかありません。どうすればいいでしょうか?

ファ:今は、ラマダン(イスラムの断食の月)なので、頭の回転が遅いのだと思います。

私:もし、それが理由なら、この仕事から降りてもらうしかありませんね。毎年、決まった月に、計算ができなくなるようでは困りますから。

ファ:いえ。工場長が、いつも、財務ノートをチェックするのを知っているので、乗り合いバスを待っている時間にノートを記入していたので、正確な計算ができなかったのだと思います。

私:事務所に戻ってから、ゆっくりやればいいじゃないですか。

ファ:わかりました。それを聞いて安心しました。もう大丈夫です。

どうすればいいのか?私は、彼の能力以上の業務を要求しているのだろうか?いや、それはない。簡単な足し算、引き算さえできれば、こなせる業務だ。決まった額を支払い、領収書を取り、それを、一つ一つ財務ノートに記入し、前の残額から差し引いて、残額をはじき出す。難民キャンプの高等学校を卒業し、教員養成専門学校を卒業し、ソマリアの大学で英語を教えていた者なら、これくらいはできるはずだ。

では、何が足りないのか?私の言っていることを真剣に聞いていないのか?もしかしたら、ファラは、この業務は「そんなに、大事なことではない」などと思っているのかもしれない。だとしたら、この業務の重要性を、身をもってわかってもらうしかない。

私:この業務は、あなたにとって難しいですか?

ファ:いえ。簡単です。できます。
私:それでは、こうしましょう。これ以降、私がノートに過ちを見つける度に、あなたの次の月の給料を差し引くというのは?

ファ:、、、。そうですね。500シリングくらいですか?

私:2000シリングです。

ファ:それは、大きいですね。

私:でも、簡単な業務なのだから、特に問題はないはずでしょう?

ファ:、、、、。わかりました。

新たな契約書に、「与えられた業務を遂行できない場合、給料が差し引かれる」という一文を加え、ファラにサインしてもらった。

まともに計算すらできない人間を、なぜ、重要な地位にとどめておくのか、疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、治安悪化で、工場長自らが工場に行けないという状況で、ファラに求められる最も重要な資質は「誠実さ」だ。ファラは、確かに、小さな過ちは犯すが、少なくとも、彼は自分の過ちを認めることができる。だから、私は、彼の言っていることが信頼できるし、3度犯した過ちも、過ちの度合いは小さくなっている。その部分は、毎回、褒めるように心がけ、「君がいてくれるおかげで、ライフラインの活動を続けることができるのだよ」と伝えている。

ダダーブに来て2年半になるが、私が心から信頼できるのは、モウリドとファラの2人だけだ。援助提供者と受益者の間には、様々な利害関係が発生し、信頼関係を作るのは、とても難しい。でも、難しいからこそ、得られた時の達成感は大きいものがある。果たして、次の財務ノートは完璧に記録されているのだろうか。

綱を引く者には報酬を

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ダダーブでの七輪の需要の高まりをうけ、国連世界食料計画(WFP)が2万個の七輪を配布する事業を開始し、ライフラインがパートナーとなり、難民に七輪の使い方の指導などをすることになった。新しい七輪は、「エンバイロフィット」という中国産。メタルでできた頑丈な物で、牛の糞と粘土を混ぜて作るレンガが骨格をなすライフラインの七輪とは、歴然の差がある。ライフラインの七輪の最大の弱点は、ダダーブ周辺に良い粘土がないため、レンガが壊れやすく、寿命が1年と短いということだ。エンバイロフィットは、3年以上は保つという。(ちなみに、日本では、能登半島で良い土が採取でき、最高クラスの七輪ができる)

数ヶ月の間に2万個を配布するという大事業のため、七輪の指導者12人を新しく雇用した。250の応募の中から選ばれただけあり、かなり能力の高い従業員を得ることができた。

新しい従業員と工場長との最初のミーティング。最初に、ライフラインに入る誰もが驚くのが、従業員の勤務態度が点数ではじき出されるという、厳格な制度が取られているということ。遅刻で3点、無断欠勤で5点、無断早退で3点、口頭注意で3点、文書注意で15点。30分以上の遅刻は自動的に無断欠勤となる。一ヶ月で15点以上溜まると、給料の1割が差し引かれ、その代わり、0点で通せば、ボーナスがもらえる。

制度を導入したころは、「そんなの、どの団体もやっていない!」と従業員たちから抵抗があったが、「私とあなたとの間で交わした契約書通りに仕事をしてくれさえすれば、何の問題もないのです。契約書にあなたがサインするということは、私と果たした『約束』を守るということ。皆さんは、約束を守れない人間を雇いたいと思いますか? 私もあなたたちとの約束は守ります。だから、皆さんも守ってほしい」と説得し続け、今では、文句を言う従業員はいなくなった。

案の定、最初の日から、新しく雇われた女性従業員が30分遅刻してきた。私がいつもの様に、問いつめる。

私:どうして遅刻したのですか?
女:いつも、私が使う乗り合いバスが、時間通りに来なかったのです。

私:乗り合いバスは、決まった時間に来ませんよね?(ケニアの乗り合いバスは、車内が満席になってから発車するため、時刻表はない)

女:はい。でも、普段は来るのです。

私:決まった時間に来ない乗り合いバスが遅刻の原因に、なりえるでしょうか?

女:、、、。

私:自宅から工場までは徒歩で何分ですか?

女:20分くらいです。

私:それでは、8時の就業時間に間に合うためには、何時に家を出ればいいでしょう?

女:7時45分。

私:それでは、5分遅刻してしまいますよね?

女:7時半。でも、朝ご飯の支度とかで、その時間に出るのは難しいです。

私:皆、同じ条件で働いてもらっています。あなたたで特別扱いするわけにはいきません。

女:わかりました、、。

 8時2分に出勤しても「遅刻」になる。厳しすぎるという意見もあるかもしれない。しかし、2分が大丈夫なら、3分、5分、10分と、きりがなくなる。しかも、工場Aの様に、主任と特定の従業員が親戚関係にある場合、例外処置を出せば、「特定従業員が優遇されている」という批判が出やすく、監督する立場からすれば、ルールには厳格でいるのが、一番楽なのだ。

結局、この女性従業員は、次の日から来なくなってしまった。

「ライフライン」は、海で溺れている人を助け出す「命綱」の意味。両方が綱を引っ張ってこそ、溺れている人が助かる。つまり、援助をする側も、される側も、自助努力がなければ、「援助」は成り立たないという哲学だ。私は、「皆さんには、色々な能力がある。援助を一方的に与えるだけでは、その能力を引き出すことはできない。皆さんは、アメリカやヨーロッパへの定住を願っていますが、新天地で新しい仕事をする時、最初から30分遅刻するようでは、従業員として認められてもらえない可能性がある。あなたたちの能力が認められないのは、とても悲しい事です」と説明すると、何人かの従業員は頷いてくれる。

彼女を含め、すでに新しい従業員の中から、2人がライフラインを去った。ライフラインの哲学に賛同できないなら、去る者がいても仕方ない。それでも、残って、頑張って綱を引く者には、とことん報酬を与える。

良い例がファラだ。 昨年12月に入ってきたファラは、元々、七輪の指導役として雇ったが、人柄、真摯な勤務態度、コミュニケーション能力とすべてで抜きん出て、5月に工場Bの主任に昇格し、7月には、このプロジェクトの取り仕切り役に任命した。給料は当初の5倍にまでなった。ファラと一緒に会議に出席した国連の友人からは、「彼は会議で堂々と発言していた。工場長みたいだったぞ」と褒められ、私は鼻高々だった。

人生、初めての賄賂

4日午前、ナイロビの日本食材が売っている店で豆腐やらコンニャクやら仕入れに行った帰り道、友人から電話が入り、運転中だったが、電話に出た。

そこを、検問中の警察に見られ、呼び止められた。

「運転中に携帯で話してはいけません。運転免許を見せてください」

やばーい!免許はもう一台の車に置きっぱなしだった。ここは潔く、「忘れました」と答える。

「あなたは、運転中に携帯で話し、後部の車両がつまり、渋滞を引き起こしていた。それがわかっていますか?」と警察官。

「渋滞なんか起きてない」と私。

「先ほど、ここで事故があったばかりだ。あなたの様な運転は、危ない。事故を引き起こす恐れがあります」と警察。

「なんで、私が事故を引き起こすなんて、あなたにわかるのか?」と私。

ここで、警察の表情が険しくなる。「わかるのか、わからないのか、そんなことは、私たち警察が決める事だ。あなたに尋ねられる筋合いはない。とりあえず、近くの警察署まで同行お願いします」と、2人の警察官が私の車の助手席と後部座席にそれぞれ入ってきた。長さ約50センチほどあるライフル銃が、それまで車内にあった週末の平穏な雰囲気をぶち壊す。

私は、仕方なく、彼らの言う通りに車を走り出した。間違いなく、彼らは賄賂を要求してくる。免許不携帯の私に、罰金を逃れるすべはない。問題は、額をどれだけ下げられるかだ。数ヶ月前、妻も同じ様に警察に尋問され、6000シリング(約6000円)取られたばかりだ。

助手席の警察官は、「これから、あなたは、警察署で、まず手続き費用5000シリングを支払います。それから、来週、裁判所に行っていただき、最高3万シリングの罰金を支払わされます。運転中の携帯通話は、今年5月までの罰金1万シリングでしたが、今は3万シリングまで上がりました」

私は、「わかりました」と平静を装った。ここで、「そんな時間はない!」などと苛立てば、こちらの弱みを見せる事で、彼らの要求額は跳ね上がるだろう。

警察官は「手続き費用は持っていますか?裁判所に行くのは、いつがいいですか?」などと私の都合を聞いてくる。

私は「お金はあります。裁判所出廷は、そちらの都合に合わせます」と、従順な市民を演じた。

警察官は、「そうですか」と、それまでの強い口調が、若干、弱まった。

私は、考えた。相手の同情をかうような、作り話を。「実は、妻が昨日から病気で、今病院にいるのです。それで、妻からの電話で、どうしても、出なければいけなかった。運転中に電話に出ることはいけないと分かっていたのですが、妻の事が心配で、、、、」。

警察官の表情は一変する。「え!どこの病院?」

私は、「アガカン」と即答。2年前、私が熱を出して、お世話になった総合病院だ。ここで、即答しなければ、私の話が怪しまれると思った。

警察官は「入院したのか?」と尋ね、私は、頷いた。

「じゃあ、早く行ってあげないと。なぜ、それを早く言ってくれなかったんだ。私にも妻がいる。君の気持ちはよくわかる」と警察官。
「とりあえず、この手続きを終わらせましょう。それから、私は病院に行きます」と伝える。

しかし、警察官は、「何か、私たちにできることはないかな?こういうのは、どうだろう?私たちの昼ご飯代を出して、このまま病院に行くというのは?」

来たーー!賄賂要求。

「昼ご飯代って、いくらなんですか?」と尋ねると、「3000シリング」と言う。私は「へ!!」と驚く。そんな高級ランチ、どこにあるのだ。

そしたら、「じゃあ、2000シリングでいい」と言ってくる。

妻が6000シリング払わされた事を考えれば、2000シリングは、低い。それに、免許不携帯のことをつかれたら、こちらも不都合が生じる。

私は、黙って車をとめ、財布から2000シリングを出した。

払った後、もっと、額を下げられたのではと、少し後悔。政府が腐敗しきったケニアは、法の支配も確立されず、良い意味でも悪い意味でも、「ごね」が効く。


ちなみに、警察に呼び止められた時に、私に電話をしたのは妻ではなく、隣人。しかも、用件は、「私の分のこんにゃくも買ってきてー」。なんで、こんなくだらない電話に、出たのだろう??後悔してもしきれないものがある。

警察から解放された後、私は、隣人に電話を返した。「賄賂、割り勘にしない?」。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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