スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

難民のオーナーシップとは?

国際協力の現場で「オーナーシップ」という言葉がよく使われる。直訳すると「所有権」という意味だが、ここでは、支援される側の人間が、援助機関に頼らず、プロジェクトを自分たちのものとして「所有」(own)できるように促すこと。「主体性」や「当事者意識」とも訳される。援助機関が去ることで、そのプロジェクトが終わるようでは、結局、その支援に「持続性」がなかったことになる。


それこそ、私が2年半前にダダーブに来てから、ずっと取り組んできたことなのだが、20年間、緊急援助を受けてきた人々にとっては、なかなか難しい概念だ。9月26日、従業員全員を集めた合同ワークショップで、私は「オーナーシップ」について、話した。

私:私が座っているこのプラスチック椅子が壊れて、使い物にならなくなり、これが、皆さんの家の中に横たわっていたら、どうしますか?

従:捨てるか、別の場所に移します。

私:そうですよね。しかし、3ヶ月ほど前、私がこの工場に訪れた時、壊れて使えなくなった椅子が横たわっていました。私は、いつ、皆さんがそれを捨てるのかと期待していたのですが、結局、2ヶ月間、工場内に置かれっぱなしになっていました。もし、皆さんの家の中にあったら捨てるのに、なぜ、工場の中だと、ほったらかしになるのでしょうか?

従:この椅子は、組織に属するもので、私たちのものではないからです。私たちが勝手に捨ててしまったら、問題になりかねない。

私:でも、皆さんが、その椅子を不必要だと思い、それが、工場内に余計なスペースを占領してしまっているのだとしたら、「これを捨てた方がよいのではありませんか?」と尋ねることはできなかったでしょうか?

従:援助機関の所有物に対し、私たちが勝手に何かすることはいけないと思います。

私:私は、これまで、何度も「この工場は皆さんの工場です」と伝えてきました。それは、つまり、この工場を、あなたたちが自分たちの家を管理するように、管理してほしいのです。もし、あなたたちが「この椅子は要らない」と思うなら、援助機関に決断を任せるのではなく、いつでも、私に提案してきほしい。それが、本当の意味で「あなたたちが工場を所有する」ということだと思うのです

皆、頷いてくれた。

私:もう一つだけ、例題を上げさせてください。皆さんが、自分の父親から、ヤギ100匹の放牧を命じられたと仮定しましょう。朝早くに家を出て、一日中ヤギの群れと共に歩き回り、その辺の草を食べさせ、夕方、家に着きました。そしたら、ヤギ1匹がいなくなっていることに気付きます。その場合、あなたは、父親にそのことを伝えますか?それとも、父親がそれに気付くまで、待ちますか?

従:伝えます。

私:なぜ、父親が気付くまで待たないのでしょう?もしかしたら、父親は気付かないかもしれませんよ。

従:早く伝えれば、それだけ、そのヤギを探せるチャンスが増えるからです。まだ、そこまで遠くに行っていない可能性がある。

私:なるほど。それ以外はどうでしょう?もし、あなたが父親で、息子がヤギ1匹なくしたことを、自分から伝えてこなかったらどういう気分になりますか?

従:嫌な気分です。

私:それはなぜでしょう?

従:私が、息子に責任を与え、それを息子が果たせなかったからです。

私:そうですね。父親と息子の間で取り交わされた約束を、息子が破ってしまった。でも、大事な事は、それを、息子が正直に父親に伝えるのか、どうかじゃないでしょうか?もし、息子がそれを自分から伝えてこなかったら、父親は息子に対する信用をなくしませんか?

従:はい。

この瞬間、突然、副主任のアデンが「ちょっと、5分の休憩を入れませんか?」と尋ねてきた。私は、自分が真剣な話をしている時に、邪魔をされ、ひどく気分を害した。「今、私は重要な話をしているのです。できたら、静かに聞いていてほしいのですが?」と話すと、「お互い正直な気持ちを言い合うのが大事です。私は何か悪い事を言ったのでしょうか?」と聞き返してきた。私は「あなただけ休憩を取ってください」と伝えた。彼は、そのまま工場の外へ行った。通訳をしていたファラは、右手で頭を抱え、信じられないという顔付きで、首を横に降っていた。平の従業員ではなく、副主任がこういう行為に出るということに、私は腹が立った。

私は、何とか、気持ちを切り返して、話し始めた。

私:ヤギ1匹を放牧中になくした場合、それを自分たちの父親に報告することは、信頼関係を保つために大事だということでいいでしょうか?

従:はい。

私:それでは、ライフラインの活動に話を戻します。皆さんがサインした就業規則によると、皆さんは、毎朝、何時に工場に来る事になっていますか?

従:8時です。

私:はい。この工場に8時に来るということを、皆さんは私に約束したわけです。それは、あなたが、父親に100匹のヤギを責任を持って放牧するとい約束したことと同等のことです。ヤギを1匹なくした場合、父親に報告するはずの皆さんが、8時出勤という約束を果たせず、8時20分に来る場合、なぜ、私や主任に報告することを怠るのですか?電話もしない。工場に来ても、まるで、何もなかったかのように、業務に取りかかり始める。この違いは何なのでしょう?

従:父親と援助機関を一緒にはできない。ハイエナにヤギ3匹が殺されたら、父親や私を許してくれるだろうけど、援助機関は、許してはくれない。

私:ライフラインは、確かに出勤時間に関して、とても厳格です。それでも、遅刻や欠勤にやむをえない事情がある場合は、見逃してきました。従業員の友人が事件に巻き込まれて病院に運ばれ、その従業員が夜通し付き添った次の日は、特別に帰宅させました。問題は、その父親は、なぜ、ヤギ3匹がハイエナに殺されたという息子の弁明を信じるのでしょう?父親は、その現場を見ていないのに。

従:その父親が現場に行って、ヤギが殺されたのを見れば、大丈夫です。

私:あなたたちの父親は、実際、わざわざ見に行くのですか?

従:いえ。それは、父親と息子の関係次第です。息子が、それまでに一度も嘘をつかず、忠実に仕事に徹していれば、父親はそれを信じるでしょう。逆に、息子が、何度もハイエナに殺されたと言えば、見に行くかもしれません。

私:ありがとうございます。今、あなたは、今日の議論の核心を付きました。信頼関係というのは、普段のコミュニケーションから構築されます。遅刻するのに、連絡一つもせず、工場に来ても、何も報告をしないようでは、信頼関係は作られず、もし、やむをえない事情で欠勤したとしても、上司がそれを信頼することは難しくなります。だから、皆さんには、あなたの父親と信頼関係を作るように、私との信頼関係を作れるようにしてほしいのです。それが、皆さんにとっての「オーナーシップ」につながります。これは、皆さんの工場です。皆さんに所有してもらいたい。私たち外国人が、いつまでも、皆さんを管理、指導する必要は全くない。

従:私たちは、自分たちなりに工場を「所有」しようとしてきました。レンガを焼く窯が壊れた時は、自分たちで直しました。

私:はい。この1年で皆さんはとても努力してくれました。心から感謝しています。今回、私は、これから皆さんが工場を「所有」するということがどういうことなのか、話し合うために二つの例題を出しただけで、皆さんを批判するという意図は全くありませんでした。そもそも、私たち援助機関は、この20年、皆さんにどれだけ決定権を与えてきたのでしょう?あなたたちの能力を向上させ、あなたたちの意見をキャンプの運営にどれだけ反映させてきたのでしょう?皆さんが、工場の運営について決定権を持たないと思ってしまうのは、仕方のないことです。それについては、完全に私たちの責任です。しかし、もし、これから何かを変えていくとするなら、それは、援助機関と難民、双方から変わっていくしかないと思います。だから、私は、皆さんの潜在能力がキャンプ運営に最大限いかされるよう、努力してきたし、皆さんも、私の要望に応じて、一生懸命、働いてくれました。私たちは良い方向に向かっているのだと思います。

従業員たちは、私の目を見て聞いてくれた。「就業規則をもう一度読み直し、しっかり約束を守れるようにします」「考える機会をあたえてくれてありがとうございました」などと話していた。

 ソマリア人は、とても忠実で清潔な人たちだ。敬虔なイスラムで、毎日5回のお祈りは欠かさず、お祈りの度に、手足を洗い、整理整頓された部屋でメッカに向かってひれ伏す。そして、親戚や隣人に対してはとても忠実で、食べ物やお金を分け合い、薪集めや料理などは協力してやる。だから、家の中に壊れた椅子を放置しておくなんてあり得ないし、父親に財産を失った報告義務を怠ることもしない。しかし、それが、援助機関との関係になると、彼らの「良さ」が失われてしまうのだ。20年間、緊急援助を続け、難民のオーナーシップを促してこなかったツケなのかもしれない。

 ワークショップを解散すると、副主任のアデンが「工場長の話し中にあんなことを言ってすいませんでした。トイレに行きたかったのです」と謝ってきた。自分の犯した過ちを認め、謝ることができるということに、私は、自分が築いてきた従業員との信頼関係も、まだまだ捨てたものではないと、少し誇らしかった。
スポンサーサイト

ビルマ(ミャンマー)に捧げた20代

このブログを読む人は、私が人生のすべてをソマリアに捧げているかの様な錯覚に陥るかもしれない。しかし、ほんの3年前までは、ソマリアの「ソ」の字も知らなかった。私の20代は、ずっとビルマ(ミャンマー)に心を奪われていたからだ。

先月、政治改革の一環で、ビルマ政府は、ビザ発給を拒む「危険人物リスト」の中から2000人をリストから外し、その中に私の名前もあった。2009年、新婚旅行でビルマに行こうとしたら、私が書いた政府批判の記事を理由にビザ発給が拒否された。ビザ申請は、新聞記者としてではなく、父が経営する診療所の職員として申請したのだが、それでも、見破られた。

ビルマとの関わりは、2003年、大学卒業後、難民関連のインターン先を探し、世界中のあらゆる機関にメールを出しまくっていたら、タイのアジア移民研究所(チュラロンコン大学内)が受け入れてくれたことから始まった。そこでの業務が、ビルマとの国境沿いにある難民キャンプの調査だった。

1984年に設立されたキャンプに、半世紀以上続く紛争から逃れた難民が10万人以上暮らしているという現実は、当時22歳の私にとっては、とても信じ難いものだった。難民の人たちが語る事、自分たちの民族について、ビルマ政府からうけた人権侵害、キャンプでの生活、すべてが、自分の世界観を広げていった。

オランダの大学院に進学したが、論文調査のため、2004年に再び、タイに戻り、難民の若者が通う学校に4ヶ月住み込んだ。あまりに刺激的な体験を、自分の中だけにとどめておくことができず、家族に見せるために書き始めたエッセイが、たまりにたまって、「国境に宿る魂」(世織書房)として出版されてしまった。

毎日新聞に入ってからも、機会を見つけては、ビルマについて記事を書き続けた。奈良と広島の支局に在籍し、本来、管内のニュースを記事にするのが支局員の仕事なのに、私は、日本国内にビルマのニュースがあれば、どこへでも出張して記事にした。

2007年に、ビルマで僧侶による大規模デモを取材したジャーナリストの長井健司さんが殺された後、大阪のビルマ難民が、長井さんの実家(愛媛県今治市)を訪れ謝罪したのを、奈良から出張して記事にした。

2008年にビルマに大型サイクロンが襲い、14万人が亡くなった時は、大阪でビルマ難民が募金活動をするのを広島から出向いて取材し、「記者の目」という全国版コラムで、ビルマ政府の人権侵害について書いた。

2009年、新婚旅行でタイに行き、難民キャンプで、サイクロンから逃れて来た人を取材した。妻は「新婚旅行までそんなことしなくていいでしょ」と文句を言い、新婚早々、離婚騒動になった。

そして、ビルマのロヒンギャという、政府から国民と認められない少数民族が、群馬県館林市に多く住んでいるという話を聞き、難民支援団体で働いていた妻の活動に同行し、現状を記事にした。

日本政府が第三国定住で、タイの難民キャンプから毎年30人、日本に受け入れ始めたのだが、それを、長野県松本市の団体が、自分たちの自治体で受け入れようと名乗りを上げる話を聞き、再び、長野まで行き記事にした。

毎回、上司から「広島の記者を、ビルマ関連で何度も管外出張させるのはどうか」と当然のごとく渋られた。毎日新聞の記者は全国どこにでもいるわけで、会社的には、私に行ってもらう必要などない。それでも、私は諦めず、本社にいる先輩に出張要請を出してもらうなどし、毎回、強引に押し切った。

この長野の記事が出た約1ヶ月後、私は退社。平和構築に関心がある15人の若者を国連機関に1年送り出す外務省の事業に参加し、「タイのビルマ難民キャンプを支援する国連機関に行きたい」と何度も希望を出したのだが、ケニアに派遣されることになり、私のビルマとの関わりは中断したのだ。

それにしても、2、3年目の駆け出し記者の管外出張を何度も認めてくれた元上司の懐の深さと、私の支局不在中をカバーし続けてくれた元同僚たちには感謝してもしきれない。そんな、迷惑サラリーマンだった私が、今年1月に東京や新潟でソマリアについて講演をしたら、その元同僚たちが協力して、紙面で広報してくれた時は、涙が出そうになった。(勿論、私の強引な要請があったからなのだが、、、)。

  妻との出会いも、タイのバンコクで開かれたビルマの民主化について話し合うNGO会議だった。つまり、ビルマ軍政がなければ、妻と出会うこともなかったわけで、色々批判ばかりしてきたが、感謝しなくてはならないこともあるのだ。

(ちなみに、グーグルで私の名前とミャンマーで検索すると、いまだに、当時の記事が読めます)

ダダーブの2年半の活動の集大成を語る活動報告会

ダダーブの活動の集大成を、皆さんと共有したく、10月初旬に活動報告会「世界最大の難民キャンプの日本人工場長——ソマリアから逃れた従業員との日々」を東京、京都、新潟の3カ所で行います。

ダダーブに来て2年半。ソマリアの政情不安は一向に回復の兆しはなく、難民キャンプの人口は、この間、28万人から47万人に増えました。治安も著しく悪化しました。友人が拉致され、私の七輪工場は、ナイフを持った若者たちに襲われました。キャンプの治安を守る警察官は、路肩爆弾で10人以上なくなりました。

様々な活動制限がかかるなか、環境保全のため、難民の自立のため、日々、工場を稼働してきました。新しい人事制度改革を導入し、日本からのどら焼きを従業員に配り続け、信頼関係を築き、工場の七輪生産数は、月400個から、1100個まで上がりました。

それでも、改革は痛みを伴いました。従業員に仕事をボイコットされることも、工場長を替えてくれと言われる事もありました。他の団体から嫌がらせを受けることもありました。

それでも、話し合いを繰り返すうち、私の想いが伝わり始めました。従業員たちは、仕事の後、自分たちで識字教室を初め、「半年後には、工場長と英語で会話をしてみせます」と言う様になりました。

31歳の日本人工場長と、19—55歳までのソマリア人従業員40人との日々を語ることで、「支援」とは何なのか、皆さんと考える機会にできたらと思います。

活動報告会の詳細は以下の通りです。

10月2日午後6時半 東京、法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎523〜526 主催:国際協力学生プラットフォーム「絆」詳細はhttp://goo.gl/pq8VV

10月7日午後2時 新潟 働く婦人の家 (南魚沼市浦佐の浦佐駅前)

10月13日午後12時10分 京都駅前 京都キャンパスプラザ 
主催:立命館大学PASTEL。 
(入場料500円、学生無料、事前申し込み不要)

結局、私も「難民」に対して無知だった

2日前、突然、眼鏡のレンズが縁から外れ、大ピンチに陥った。予備の眼鏡もない。眼鏡がなければ仕事にならない。あーーあ!

ダダーブに眼鏡を治せる店があるとは思えない。仕方ないから、キャンプに行く時に付ける、度が入ったサングラスで辛抱することに。ただでさえ、髭が伸びて人相が悪いのに、サングラスかけながら、事務所で仕事していたら、単なるヤクザにしか見えない。夜なんて、通りすがりの人から、怪しい目で見られる。

国連で働く友人らに「眼鏡が壊れたのだけど」と尋ねても、「ナイロビに行くしかない」という返答ばかり。

そして、今日、サングラスかけながら仕事をする私を見てファラが「どうしたのですか?目が悪いのですか?」と尋ねてきた。事情を説明すると、「え?キャンプで治せますよ」と言うではないか!工場の従業員に手渡したら、なんと、5分で市場の時計屋で治して戻ってきた。修理費は50シリング(50円)。

モウリドに、「ダダーブに数年いる国連の友人に尋ねても、ここで眼鏡が治せるとは思っていなかった」と伝えると、開いた口が塞がらないようだった。

2年半もダダーブにいるのに、いまだに、難民キャンプでどんなサービスが受けられるのか、把握できていない自分に腹が立った。実は、2年前にも一度、サッカーをしている時、ボールが顔面に当たって、眼鏡を壊した事があった。その時も、誰1人として、「キャンプで治せる」と教えてくれる同僚はいなかった。

治安悪化で、自由にキャンプ内を移動することができないことなんて、言い訳にはできない。ダダーブは、人口50万人弱の大都市だ。住民のニーズを満たすため、様々な商売が繰り広げられている。何十台、何百台のタクシー車両、それを修理する車両工場、送金業者やインタネットカフェなどが並ぶ大市場に、眼鏡を治せる職人がいることくらい、なぜ、想像できなかっただろう?
おそらく、自分の頭の中に植え付けられている「難民」=「弱者」というイメージが、想像力を麻痺させてしまったのかもしれない。

人材育成や開発支援をする時、そこに住む人の能力がどれほどのものなのか、わからなければ、効果的な支援は難しい。例えば、昨年の飢饉で、学校机3万台が、ある先進国の政府系機関から寄贈されたが、実際、ダダーブには、机を作れる職人は、100人以上いる。そういった支援は、職人たちの仕事を奪うだけでなく、「職人になりたい」と思う子供たちの希望さえも継ぐんでしまう可能性がある。

と、かっこよく批判ばかりしている私も、結局は、眼鏡をナイロビで修理しようと思っていたわけだから、同罪だ。難民キャンプと国連敷地の距離は、近いキャンプで5キロ、遠いキャンプで20キロ。しかし、心理的距離は、その数倍、数十倍にも思えた。

堪忍袋の緒が切れる

他の援助機関で働いていたことが発覚し、解雇された前主任のアデン(仮名)(8月17日付けブログ参照)。解雇されたのが8月8日だったため、「8月に7日分働いた給料をください」とモウリドにお願いしてきた。私を騙したあげく、7日分働いた給料を要求する図々しさには、心底、辟易させられる。私は、モウリドに「一度、彼と直接会って話したい」と伝えた。

9月5日、工場で会う約束をした。ところが、アデンはモウリドに電話で「今日は忙しくて工場には行けない。お金を代わりにもらってくれないか?」と頼んできた。私は、モウリドに、「私と直接会うまでは、お金は払えない」と伝えた。そしたら、モウリドは、私に電話を差し出し、アデンと直接、話すよう促した。

ア:ヨーコー。アデンです。元気ですか?8月分の給料をもらいたいのだけど。

私:とりあえず、会って話をしましょう。

ア:でも、今日はちょっと忙しいのです。今、どうしてもお金が必要なのです。モウリドに渡してくれませんか?

私:いや。君と直接話すまでは、お金は出せない。

ア:でも、あなたと会う時間はいつ作れるかわからない。

私:それでは、明日午後にダダーブに来てください。

ア:交通費がありません。

私:じゃあ、次に私が工場に来る時に連絡します。

ア:わかりました。

そこで電話を切ると、数分後、「10分後にそちらに伺います」と電話が来た。

明らかに、私と直接対面することを避けようとしている。でも、私は、彼が私を騙した事に対し、どんな説明をするのか、どうしても、聞きたかった。

アデンは、笑顔で工場に入ってきた。他の従業員に「サラマレークン」(ソマリア語の元気)と大きな声で挨拶し、私にも握手を求めてきた。私とモウリドと3人で、工場の外に行き、椅子に腰をかけて、私が単刀直入に切り出した。

私:あなたは、別の援助機関で働いているのですか?

ア:いいえ。

私:でも、私が、ある援助機関に行って、現地代表にあなたの写真を見せたら、間違いなく、その機関の職員だと言っていましたが。

ア:働いていません。

アデンは、私の目をまっすぐに睨みつけていた。彼の鋭い声のトーンから、私の前で屈する気は毛頭ないということが伺え、好戦的な表情は、礼儀正しくライフラインの主任として働いていた、私の知っているアデンのものではなかった。私が、この後に及んで、あからさまな嘘をつくアデンに唖然としていると「なぜ、そんな驚いた表情をしているのですか?」と、さらに挑発的な視線を私に向けてきた。

私:それでは、もう一度、その機関の人事部に行って、確認してみますね。

ア:そんなことしてどうするのですか?私は、ここにお金をもらいに来たのです。そんな話をするためにきたのではない。

私:あなたは、私との面接で、他の援助機関では働いていないと言った。だから、私は、あなたに騙されたという思いがある。それについての、あなたの想いを聞きたかっただけです。

ア:そんなことをあなたがする必要はない。私とあなたには、何の雇用契約も存在していない。あなたは、私に相談する前に、私を解雇した。そして、あなたは、今、そんな質問を私にしている。とても不愉快です。

私が、どんなに和やかなトーンで話そうが、アデンの挑発的な態度は一向に軟化する様子がなかった。

私: 私が、何をするべきかどうか、あなたから言われる筋合いがあるのでしょうか?あなたは、私の上司なのですか? 私もあなたも同じ人間です。騙されたら、誰だって、良い思いはしない。だから、それについて説明を求めるのは、自然なことです。

ア:人間?あなたは、私を人間として扱わなかった。あなたは、私に何の相談もなく解雇したのです。それなのに、あなたは、今、私たちが人間だと言っている。

本当に、これが私の知っているアデンなのか、と問いかけたくなるくらいの変容ぶりだった。私の知っているアデンは、通訳を辛抱強くやり、「謝礼は要りません。また、何か必要なことがあったら言ってください」と言い、ミーティングでは積極的に発言し、真面目に人の言うことに耳を傾ける人間だった。そのアデンが、今は、嘘を平気で付き、自分の主張を通すためなら、他の人の気分を害しても構わない人間になってしまった。一瞬にして、人間とはここまで変わってしまうということに、私は、ショックを隠す事ができなかった。

ア:なぜ、そんな驚いた表情をしているのですか?

私:驚いていません。ただ、悲しいだけです。私はあなたを信頼していました。あなたはとても礼儀正しい人間で、仕事に真面目に取り組む人だった。それが、、

ア:今もそうです。

私:私の話を最後まで聞いてくれませんか?

ア:、、、。

私:私とあなたは、同じ組織で働いた、元同僚です。一度は信頼した同僚に裏切られたら、その信頼を取り戻すために、事情を聞きたいという私の気持ちを理解してほしい。そして、あなたが、もし、そうやって嘘を突き通し、人を騙すということに、何の罪悪感もないのなら、あなたのコミュニティーに将来はない。

ア:一つだけ言わせてください。私の「将来」はあなたが決めるものではない。唯一神だけが決められる。

私は、お金を取り出し、彼に差し出した。彼からサインをもらい、彼の豹変した表情を見つめ続けていると、再び、「なぜ、そんな驚いているのですか?」と尋ねてきた。ここで、私の堪忍袋の緒は切れた。

私は「あなたの顔が世界で一番醜く見えるから、つい、見続けてしまいました」と答えた。

アデンは、「私の表情が何だって?」

私:『醜い』と言いました。

ア:あなたの顔の方が醜いですよ。

私:そうですか。それでは、醜い顔同士、もう、見合うことはなさそうですね。

ア:、、、。

私:それでは、もう、行ってください。

ア:感謝の言葉もないのですね。

私:ここから出て行けー!!

ア:私が、出て行かなかったら、どうしますか?

私:そうですか。それでは、ここに、気が収まるまでいてください。

私がそう言うと、アデンは、そのまま出て行った。私は、人の顔を見る事が、ここまで苦痛なことだとは知らなかった。誰かに対し、ここまで嫌悪感を抱いたことが、これまであっただろうか?私は、しばし、呆然とし、モウリドに「なんだ、あれは?」と尋ねた。

モウリドは、「自分の過ちを認めることができませんでしたね」とだけ答えた。

私は「彼が私に謝罪して、握手して別れることができると信じていたのだけど、それは、あまりに期待が大きすぎたのかな?」と尋ねると、モウリドは何も答えなかった。

ダダーブを去りたい衝動にかられた。もう、人を信用するのが怖くなった。こんな裏切られ方されてまで、仕事を続けたいなんて思えない。アデンは、今頃、友人らと集まって、「あの日本人はこんな驚いた表情してやがったぜ!」なんて言いながら、笑いのネタにでもしているのだろうか。自分が情けなく、悔しかった。一体、何が彼をここまで追いつめているのだろう。援助機関に対する不信感か。内部の者に密告された事に対する悔しさか。

ダダーブに戻った後、ファラに報告し、「人間不信に陥った」とこぼすと、「人は人です。皆が皆、一緒ではありませんから」という彼の一言で、少し、気が楽になった。

ここで、私は、この事を密告してきた人物のことが心配になった。アデンが私に対して、あそこまで攻撃的になるということは、おそらく、密告者探しにもかなり力を入れ、もし、見つけた場合、かなりの制裁が加えられるはずだ。このことを私に報告しうる人間なんて、そんなたくさんはいない。

私は、その人物に電話をかけた。今日の事を説明し、誰から何も聞かれていないか尋ねると

密:何度も聞かれました。でも、私じゃないと伝えました。見習い期間で、そういう身元チェックをするようになっているから、工場長が独自に入手してきた情報だと伝えました。それでも、私に対する不信感はあるようです。

私は、自分が正しい事をしようとしているツケを、この人物に負わせているような気分になり、心苦しかった。

私が、アデンからいくら嫌われようが、結局、私は外部者だから、生活に大きな支障をきたさない。しかし、この人物は、アデンと同じコミュニティーに住まなくてはならない宿命なのだ。「裏切り者」のレッテルを張られ、居場所をなくした時、私に、その責任は取れるのだろうか?自分が正しいと思っていることを貫く難しさを肌で感じた。

腹心との対立 その3

モウリドの消息がわからなくなってから4日目、ファラの電話から、メッセージが届いた。「モウリドです。家庭内で問題が起きまして、仕事を休まなければなりませんでした。すいません。携帯電話が壊れて、連絡することができませんでした」

私は、とりあえず「無事で良かった」と返事を出した。「家庭内の問題」とは、どれほど深刻なものだのだろうか?電話一本かけることができないほどの状況だったのだろうか?色々な疑問が頭を駆け巡ったが、とりあえず、会った時に、事情を聞く事にした。

9月1日、またしても、モウリドは、毎月提出を求められているレポート 2本を提出できなかった。私は、モウリドに電話をし、「8月分のレポートが送られてきていないけど?」と尋ねると、「色々、忙しくて。1週間以内に送らせていただきます」と言う。私は、電話で小言を言いたくなかったため、「工場でゆっくり話しましょう」と伝えた。

突然、姿を消したと思ったら、今度は、レポート提出期限を守らない。ここまで話して、理解してもらえないなら、もう、最終手段をとるしかない。

9月3日、月例の全体ミーティング終了後、モウリドと2人きりになった。病気休暇を取得した従業員の診断書、休暇取得リスト、すべて、完璧に整理、記録されていた。「よく、やったね」としっかり、褒めれるところは、褒めちぎる。

その後、本題に入る。

私:君の8月分の給料についてだけど、先月、あなたは、就業規則を2度破りました。それについて、事情を聞いた上で、給料を支払わせてもらいます。(モウリドとの契約書には、「定められた業務を遂行しない場合、給料が差し引かれる場合がある」と記されている)

モ:なにでしょうか?

私:(モウリドの契約書を取り出し)ここを読んでください。就業規則12条。(特別な理由、または上司への報告なしに、欠勤することを禁ずる条項)

モ:、、、、。

私:先週、あなたは、私に報告することなく、仕事を欠勤し、4日間、音信不通になった。「家庭内の問題」というのは、どんな問題なのですか?

モ:兄の精神状態が悪く、家族に暴力に振るい、警察に届け出たのです。兄は、昔から麻薬に手を出し、最近は、マリファナを日常的に吸っていました。頻繁に暴力を振るうので、もう、私たちの手に終えない状態でした。

私:それは、大変でしたね。しかし、電話の一本もかけることができなかったのでしょうか?

モ:電話が壊れたのです。

私:この10ヶ月間、私たちは、従業員たちに、何と指示してきましたか?電話がない場合にそなえて、必ず、上司の電話番号をメモしておき、友人や家族の電話から、業務連絡をできるようにしておく、と指示してきたのではないですか?それを指示してきたあなたが、「電話が壊れたから、業務連絡ができなかった」という言い訳をするのですか?

モ:私は、家族を助けることで精一杯でした。規則違反をした事に関しては、悪いと思っています。それについて、罰則を受けることに、私は、何の不満もありません。

私:わかりました。さらに、もう一つあります。ここを読んでください。毎月、最低2本、従業員の生い立ちいついてレポートすることが義務づけられていますね。8月分はどうしたのでしょう?

モ:もともと、工場長は、8月分は、従業員の生い立ちではなく、七輪を受け取った難民の中で、特に、生活が向上した人にスポットを当てて、レポートするように指示しました。だから、その人を探すのに時間がかかったのです。

私:確かに。しかし、私は8月20日の時点で、「もし、適当な難民を見つけるのが難しいなら、通常通り、従業員の生い立ちでも良いとメールし、あなたは、それに『オーケー』と返事をしました。

モ:8月はラマダンで、しかも、本部からの出張もあり、その準備で忙しかった。月末は、新しい従業員への研修で、毎日時間が割かれました。

私:でも、8月27日と31日は、七輪が使われているかどうかの調査に行っていますよね?

モ:そうです。七輪を受け取って生活が向上した人を探していたのです。

私:でも、8月27日は、レポート提出締め切りの4日前です。そんな時に、探せるかどうかもわからない難民にスポットを当てるリスクを取るより、従業員の生い立ちをインタビューした方が、良かったのではないでしょうか?


モ:私は、コンピュータじゃない。人間なのです。人間だから、誰だった過ちは犯すし、忘れることだってあります。

私:だから、忘れない様に、私は、あなたにメールで「やるべきこと事項」を書いて出した。もし、その時点で、達成することが難しいなら、「すいません。今月は難しいです」と一言、返答することができなかったのか。

モ:その時点では、できるかもしれないと思ったのです。

私:じゃあ、8月31日は。その日が、提出締め切り期限ということはわかっていたはずです。なぜ、その日に、一言「すいません。期限内に提出することができません」と私に電話することができなかったのですか?あなたは、将来、ジャーナリストになりたいとい言っている。ジャーナリストが、原稿の締め切りを守れない時、編集者に詫びの一言を入れるのが筋ではないですか?‘

モ:ジャーナリストは、書くだけが仕事です。私は、それ以外にたくさんの任務を負わされている。工場長が私に託す任務は、私の能力では、遂行できないのです。

私:電話を一本いれる能力が、あなたにはないのですか?

モ:もう、疲れました。(イスラムの礼拝の時間である午後1時を過ぎていた)私の給料を差し引くなら、それで構いません。私は、あなたからの罰則を受け入れる心の準備はできています。

私:私だって、疲れている。私だって、こんなこと、言いたくて言っているのではない。いま、私がどれだけ、自分の気持ちを抑えて言おうと努力しているのか、理解してほしい。

モ:わかりました。私は、工場長が定めた給料を受け入れます。

私:8月分の給料から3000シリング(3000円)差し引きます。

モ:結構です。

私:領収書を準備するので、お祈りに行ってください。(すでに1時20分になっていた)。あなたのお祈りの時間を邪魔する事になって、すいませんでした。

約10分後、モウリドがお祈りから戻ってきた。「そういえば、レンガ作りに使う型のサンプルが届きました」と型を見せ、給料を差し引かれた事を、引きずることはなかった。

その後、モウリドの運転で、私はダダーブに戻った。車中、できるだけ、沈黙にならないよう、最近会った友達の話などで、時間を費やした。お互い、若干のぎこちなさを感じながらも、平静を装うとしていた。5キロ離れたダダーブに着くと、私は、「昼ご飯でもしよう」とモウリドを誘い、一緒に、ラクダ肉、ほうれん草、豆とご飯を食べた。ダダーブには、十数件のレストランがあるが、どこも、メニューは似たり寄ったり。「ダダーブで1年、2年と働いても、国連敷地外のこういったレストランで食べた事のない援助機関の従業員についてどう思う?」などと、たわいもない会話に終始した。

私は、レストラン近くの八百屋で野菜を買うため、モウリドに「もう、ここで、帰ってもらっていいですよ。ここからは歩けるので」と握手を交わした。モウリドには、いつもの、はじけた笑顔がなかった。

八百屋でピーマン、タマネギ、ジャガイモなどを選んでいると、突如の腹痛に襲われた。国連敷地外のレストランで食べると、1—2割の確率で襲われる腹痛だ。今回のは、いつものより激しく、前のめりになるほどの痛みだった。店員の男性に「トイレ、トイレ、、」と言い、隣の店の棚からトイレットペーパーを手に取り(「支払いは後で!」と言いながら)、店員が連れて行く方に必死に足を運び、何とか、用をたすことができた。2年半になっても、まだ、免疫がつかない。情けないなあ。ここで10年、20年生活している人たちへの敬意の気持ちが、また、一層強くなった。

腹心との衝突 その2

工場から少し離れた、別の団体の部屋で、2人きりになって話し合うことにした。一度、他の従業員がいる前で、モウリドと話し合いをした時、いつもの様に、私の声のトーンが上がり、「他の従業員の前で、声を上げるのはやめてもらえませんか?」とモウリドに指摘された経験を活かし、真剣な話は、必ず、2人だけで話せる環境にした。(当たり前といえば、当たり前か、、、)

私: 今回のメールについてだけど、改めて、モウリドの気持ちを聞かせてくれないか?

モ: 工場長が、私の過ちを指摘しなければいけないというのはわかります。しかし、私たちは、とても、困難な状況で働いています。日々の様々な困難を乗り越えるために、自分たちのベストを尽くしているのに、ああやって、細かい点を一つ一つ指摘されると、正直、辛いです。

私: これまで、モウリドは、私の「言い方」について改善を求めてきましたね。だから、メールの書き方も、話し方も、極力、和やかにしているつもりです。今回の件は、私の「書き方」が問題だったのでしょうか?それとも、過ちを指摘すること自体が、問題だったのでしょうか?

モ: これまで、私たちが働いてきた10ヶ月を総括して、私の想いを伝えたつもりです。

私: でも、10ヶ月前と今では、私の話し方、書き方、伝え方は改善されていませんか?あなたの仕事ぶりも、10ヶ月前とは、見違えるほどになった。

モ: はい。

私: だったら、過去をさかのぼるのではなく、今、現在、私たちのコミュニケーションにどんな問題があるのかについて、話し合った方がいいのではないだろうか。もし、あなたが、私だったら、今回の件については、何も言わないという処置を取るのか、それとも、伝え方を変えるのか。

モ: そうですね。私は、別に病気休暇を無限に従業員たちに与えているわけではないのです。ただ、先週、忙しかったから、チェックできなかっただけです。だから、伝えるタイミングでしょうかね。

私: 出勤簿をチェックするのは、そんなに時間を必要とすることなのかな?

モ: いえ。

私: 最後にチェクしたのはいつ?

モ: おとといです。

私: その時に、病気休暇が与えられた日数以上に取得されていることに気付かなかった?

モ: 気付いたけど、後で、言えばいいと思っていました。

私: できたら、気付いた時に言ってほしいね。それに、本来は副主任がやるべき仕事なのに、彼は、全く気付いていなかったようだね。(主任は他の援助機関との二股行為で解雇されたため、空席になっていた)

モ: はい。

私: この数ヶ月間、ずっと、出勤簿のチェック指導をお願いしてきたのに、なぜ、未だに、副主任が理解できていないのだろう。

モ:、、。

私: 七輪の説明会指導を担当する従業員を11時に帰宅させたことについては?

モ: それについては、自分たちで勉強すべきであって、彼らがマニュアル通りにできないからといって、私が非難されるべきではないとい思いました。それに、彼らも、なぜ、こんなたくさん指導を受けなくてはならないのか、理解できていない様子でした。工場長の前で模擬試験をすれば、細かい過ちを指摘され、試験を通らなければ、解雇されると恐れる従業員までいるくらいです。

私: もし、従業員が、そういう考えを抱いているなら、私たちライフラインが、どういう考えで、模擬試験をやっているのか、説明してあげてくれませんか?試験は、彼らの尊厳を根こそぎ奪うためのものではない。七輪の使い方が周知されなければ、七輪を配る意味はなくなる。そうなれば、森林伐採は歯止めがかからず、結局、そのツケは、あなたたちソマリア人に回ってくるのです。私は、それを何としても防ぎたいから、七輪の説明会が、しっかり実地されるよう、従業員たちに模擬試験を課している。

モ: わかりました。

私: 今回のモウリドからのメールをもらって、改めて、今の仕事の難しさを知りました。確かに、私には、あなたたちが乗り越えなければならない日々の困難について、知ることはできない。私は、国連の敷地で、セキュリティーガードに囲まれて暮らし、あなたたちは、完全無防備状態で、いつ、武装集団に襲われてもおかしくない状況で暮らしている。それだけでも、かなりの差があるのに、私とあなたたちとの生い立ちなんて、比べるまでもありません。
 
だから、指導する私も辛い。あなたたちが、とても苦しい体験を乗り越えてきたということを知っているから。できることなら、あなたたちの過ちをすべて見逃してあげたい。でも、果たして、それが、将来的にみて、ベストなのかどうか。私は、工場長として、どんな些細な事でも、過ちは指摘しなければならない。そうしなければ、いつまでたっても、「難民=助けられる存在」というイメージでみられてしまう。伝えるのはとても辛い。でも、伝えなきゃいけない。ジレンマですね。

モ: そうですね。ジレンマですね。以前、私が働いていた機関では、上司と対立することなんてありませんでした。就業時間なんてあってないようなもので、9時に来ようが、10時に来ようが、何も言われない。その日与えられた任務が終われば、11時でも帰ることができた。任務が全くない日もありました。上司がいないことも多く、彼の関心は、プロジェクトを無事終了させることだけでした。

私:つまり、彼がライフラインにいたら、七輪が難民に配布されさえすれば、それでいい。従業員が、どう働こうが、知った事ではない、ということですね。

モ:はい。従業員の勤務態度だけでなく、七輪が、キャンプでどういうインパクトを与えているのか。難民がしっかり七輪を使っているのかも、あまり気にしないでしょう。

私:どちらの上司がいいですか?私みたいなのか、彼みたいなのか?

モ:、、、。なぜ、そんなこと聞くのですか?

私:とても、重要な質問だと思います。

モ:あまりに厳しい上司の下で、働くのを好む人はあまりいないと思います。

私:もし、君が、私に前の上司みたいになってほしいなら、簡単なことだよ。仕事をさぼればいいだけの話だからね。とても簡単だ。アメリカの本部だって、そこまできめ細かに、チェックはしないだろうからね。

モ:そうですね。今のライフラインのやっている業務を考えるなら、工場長の様な、上司じゃないと、難しいかもしれませんね。

結局、お互い、感情的にはならず、話し合いは友好的に終わった。

「難民」を指導、監督する難しさを肌で感じる。紛争や飢饉で祖国を追われ、難民キャンプに閉じ込められた生活を10年、20年と余儀なくされた人たちは、その困難を乗り切って生活を送っているということ自体を、誇りに思っている。実際、彼らは私の想像を絶する世界を生き延びてきたのであり、日本という先進国の一市民として生まれてきた私より、何倍も強い魂を持ち合わせている。

遅刻や無断欠勤すれば、減給。上司の指示に従わなければ、口頭注意。自分が、彼らの人材育成のためにやっていると思っても、やり方を間違えれば、彼らのその「誇り」を傷つけかねない。「恵まれた暮らしをしているあなたに、何がわかるのか?」と気分を逆撫でするかもしれない。

その気持ち自体は、痛いほど分かる。私は15歳で米国に留学し、言葉が通じないから、同級生から馬鹿にされることもあった。その度、「言葉が通じない環境に放り込まれる辛さをあなたたちはわかるのか?」といつも感じていた。

それでも、私は、工場長としての任務を果たさなければならない。米国留学先の高校では、言葉がわからない留学生に対し、どんなにテストの点数が悪くても、「C」以上の評価を与えるという、特例制度があった。そのおかげで、私は、授業を真剣に受ける動機を失い、無駄な1年を過ごすことになった。

だから、「難民」だからといって、特別扱いをしたくない。20年以上、援助物資が与え続けられてきたキャンプなら、なおさらだ。彼らの「誇り」に最大限の敬意を払いつつ、任務に徹する。それが、今、私にできることだと思う。

そんなことを考えつつ、次の日、モウリドに電話をしたら、電話が通じない。充電中なのかと思い、数時間後に電話をしても、「電源が入っていません」と音声案内が流れる。ファラに電話をしたら、「モウリドは、今日、工場に姿を見せなかったようです」と言う。次の日も、モウリドは工場に姿を見せず、モウリドの友人に電話をしても、「わからない」という返答だった。まさか、前日のやりとりで、仕事を辞めたのだろうか?いや、そんなことはない。

じゃあ、なぜ、突然、姿を消したのだろうか?私は、モウリドの安否を心配し始めた。

腹心との衝突 その1


これまで、このブログに何度も登場し、大活躍してきたモウリド。従業員とトラブルを起こさない。お金の管理をしっかりする。外部からの訪問者がいたら、工場を案内し、ライフラインについてわかりやすく説明する。従業員との接し方について、私に色々アドバイスをする。治安悪化で、私が工場に行けない中、モウリドの様に、心の底から信頼できる存在というのは、とてつもなく大きな意味があった。

私にとっては、モウリドとの関係は、単なる部下と上司の枠を超えていた。援助機関に頼らない、難民自身による将来的なキャンプの自治運営を目指す同志として、休暇が重なれば、ナイロビで一緒にボウリングにも行ったし、治安が悪くなる前は、モウリドが私を彼の自宅に招き、ソマリア料理を御馳走になったりもした。ラクダ肉、野菜スープ、バナナを辛い調味料と一緒にご飯の上に載せたもので、これまでダダーブで食べた料理の中で一番美味しかった。
しかし、部下が親友の場合、組織の運営に支障をきたすこともある。親友の間で発生する「馴れ合い感」が、本来、上司が部下に指導すべきこと事柄を、「まあ、別にいいか」と曖昧にさせてしまうのだ。しかも、それが、日本人とソマリア人の間でできる「馴れ合い感」なのだから、一味も二味も違う。

ケニアでは、ミーティングに行ってみると、約束した相手が、別のミーティングに出席している場合がよくある。今日、ある援助機関の現地代表が一斉メールであるイベントの通知を流したのだが、肝心の時間と場所が通知から抜け落ち、英語の文法ミスが数多くみられた。

ケニアの大学を卒業し、援助機関の幹部でこれなのだから、高等学校を卒業しただけのモウリドに、日本レベルの勤務態度を期待することは、あまりにも酷なのだ。

私は、モウリドが、しっかり従業員の仕事ぶりをチェックできるよう、「工場で日々やるべき事柄リスト」を作り、2人でミーティングをし、今後の計画を話し合った時は、必ずメールで、概要を書き、「忘れました」と言われないよう、試みた。

しかし、何ヶ月経っても、「やるべき事柄リスト」に書かれてあることが、円滑に遂行されない。遂行されない度に、「これができていませんでした」と口頭で言い、さらにメールで伝えても、遂行されない。

例えば、毎月、モウリドには従業員の生い立ちをインタビューし、記事を2本作ってもらうことになっているのだが、昨年11月にライフラインに入って今年4月まで、一本も提出してこなかった。しかし、モウリド以外に、工場運営を任す事ができる存在がいない以上、少しくらいの怠慢は大目に見るようにしてきた。

次に、出勤簿。モウリドは、主任が出勤簿を正確に記しているかどうか、チェックする業務を与えられているのだが、真剣にチェックしている形跡がないのだ。 各従業員が、毎月、有給休暇や病気休暇を何日取得し、次の月に、休暇が何日取得できる権利があるかリストに記入するのだが、毎回の様に計算ミスがある。毎月の様に、「ちゃんとチェックしているのですか?」と尋ね、「これからちゃんとします」と返事をするのだが、次の月にチェックしても、同じ過ちが繰り返されている。

にも、かかわらず、「私がダダーブを去る時、あなたが、私の代わりに工場長になれると思う?」と尋ねると、「はい!」という、根拠のない自信を見せつける。私は、一体、どうすれば、モウリドの勤務態度を改めることができるのか、考え続けた。親友関係を壊したくない。壊れれば、工場運営も難しくなる。でも、部下が簡単に改善できることは、改善してほしいし、それが私の任務だ。
 
 8月1日、私は、メールで「あなたは、すでに、アシスタントとしてはとても優秀です。しかし、将来、工場長になりたいのなら、細かいところまで指導できるようにならないといけません。女性従業員が、病気休暇を取得したら、しっかり、次の月の休暇リストに正確に反映させなければなりません」などと、2、3点の注意事項を綴り、モウリドは「わかりました」と返答した。

しかし、8月20日、再び、いくつかの問題点が繰り返された。

1.従業員1人を午前8時半に国連事務所に来るよう、モウリドに伝え、国連事務所に行くと、従業員の姿が見えない。モウリドに電話をすると、「今から行かせます」という。工場から国連事務所までは徒歩20分。「なぜ、工場をもっと早くに出発させなかったのか?」とモウリドに尋ねると、「工場長が来るかどうか、定かでなかった」という。

2.七輪の説明会指導担当として、新しく雇った従業員7人に、指導の仕方を指導するようモウリドに指示。工場に午前11時に行ってみると、「皆、完璧にこなせるようになったので、家に帰しました」と言う。就業時間は午前5時まで。たまたま、まだ居残っていた1人の従業員に説明会の模擬指導をやってもらったが、マニュアル通りではなく、「完璧」とはほど遠かった。モウリドに、「これが、あなたにとって『完璧』なのか?」と尋ねると、「いいえ」という返事。「じゃあ、なぜ、こんな早い時間に帰宅させたのか?」と尋ねても、無返答。

3.病気休暇は年8日しか与えられておらず、8日以上取得する場合、病院からの診断書がなければならない。しかし、8月の出勤簿には4人の従業員が、病気休暇をすべて消化したにもかかわらず、診断書提出なしに、病気休暇を取っていた。

4.七輪配布後、七輪が実際にしっかり使われているか従業員が調査に行くのだが、毎回、その調査報告書の提出を求めているのだが、8月分の調査報告書が、工場になかった。

書類作成や整理、従業員の指導など、細かい部分でボロが出続ける。残念ながら、このままでは、モウリドを次期工場長として推薦することはできない。
しかも、3と4については、数ヶ月前から、何度も何度も、「出勤簿と従業員の休暇取得表を照らし合わせる」「調査報告書は日付順にまとめて管理する」と繰り返しメールと口頭で指摘し続けてきて、これなのだ。
私は、仕方なく、モウリドに、再びメールを書く事にした。

「細かくてすいませんが、いくつか、あなたが将来の工場長になるために、必要だと思う事を指摘させてください。これまでの私との付き合いで、私が細かい点を指摘する理由については分かっていただいていると信じています。私が気付いた問題点について指摘させて下さい。私は、いつ、ダダーブを去ることになるかわからない。だから、残された時間の中で、あなたを立派な工場長にするために、自分なりに貢献したいのです。」と、彼の誇りを傷つけないよう長い前置きを書いた上で、上記にある点を、「8時半に従業員を事務所に行かせるように指示したのに、実行しなかった」などと簡潔に記した。

そしたら、その日の夜、モウリドから返信が来た。

「アドバイスをありがとうございます。しかし、私が工場長の厳しい要求を満たすためにベストを尽くしているということを理解していただきたいと思います。小さな過ちを大目に見ようとしない工場長の指導方法は、私を圧迫し、さらなる業務の支障になりかねません!それにより、工場長の指導が、さらにきめ細かくなり、私の人材育成のためという当初の目標を達成することが難しくなるのではないでしょうか。これは、私たちの関係だけでなく、工場長と他の従業員との関係についての、私の気持ちです。

いつも、私の業務について褒めていただいていることには、感謝しています。先週は、本部から出張が来ていて多忙な上、ラマダン(断食の月)で、体力が落ちていました。それでも、何とか、与えられた任務を遂行しました。それにより、今週、やるべき任務を果たすことができなかったのです。だからといって、適切に任務を遂行できなかったことについて言い訳をするつもりはありません。ただ、とても、私がとても困難な状況にいたということをお伝えしたかったのです」

「!」マークが文面に使用されていることから、かなり感情的になっている。私は、これ以上メールでやり取りすることは得策でないと判断し、2人きりで話し合うため、工場へ向かった。これまで抱いてきた腹心との「モヤモヤ」を話し合うことで、すべて解消したかった。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。