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辞表提出

親愛なるダン(代表理事)へ

 ここに辞意を表明したいと思います。私がダダーブで働き始めたのが2010年3月。ダダーブに100人近くいる国際スタッフで、私より長く滞在している人は2人だけになりました。

 情けない話ですが、ここでの滞在中、様々な事が身に降りかかり、疲労がピークに達しております。従業員による全面ストライキ、地元住民からの脅迫、友人らの拉致事件、そして腹心の失踪。1年前と比べ、自分が仕事に集中できていないと思うことが多くなりました。こんな無責任な状態で工場を運営していたら、また皆さんに迷惑をかけることになりかねないと思います。
 
 さらに、私は妻と結婚して4年近くになりますが、未だに、長期間、同じ屋根の下で暮らした経験がありません。以上の理由で、来月31日をもってダダーブを去りたいと思います。

ライフラインでの仕事は、これまでの人生で一番、刺激あるものでした。こういった機会を私に与えてくださったこと、心から感謝しています。色々していただいたのに、こちらは迷惑をかけるばかりで、申し訳なく思っています。また、この狭い人道援助の世界で再会できることを楽しみにしています。

黒岩

契約は来年5月までだったが、今年一杯で辞めることは、数ヶ月前から考えていた。「5月までできるかな」「やっぱり12月で辞めようかな」などと数時間ごとに気持ちが揺れていた日々に終止符を打ったのは、他でもない、腹心の失踪事件だった。これまで築き上げてきたものを、色々な意味で一瞬にして壊された私は、心身共にリセットが必要と判断した。

先日、ハロウィーンパーティーで、国連で働くイギリスの友人が妻に「私もダダーブでは古株になった」と話し、自分の耳を疑った。彼がダダーブに来たのは昨年6月。私は、その1年以上前からいる。彼が古株なら、私は「超古株」ということか。

別に新しい仕事が見つかったわけでもない。妻の今の国連での契約も来年2月で切れ、次のポストを取れるかどうか、取れるとしたらどの国になるのか、見極めてから、次の進路を2人で考えることになる。だから、多少の貯金もあるし、次の行き先が決まるまで、体を休めようと思う。
 
上司からは3日後に返答が来た。少しくらい慰留の言葉をかけてくれるかと思ったが、「君の思いを尊重する」「これまで力を尽くしてくれてありがとう」とあっさり。副代表のバヒドは「いくら本人が希望しても、過酷な現場での仕事は2年で辞めさせるのが私のポリシー」と話していた。

おいおい。1年以内に7人の援助関係者が拉致されるような超過酷な現場に3年近く働いている自分はどうなるのだ、と思ったが、おそらく、最初の1年を国連で過ごしたから、彼の「2年」の定義に入らなかったのだろう。

というわけで、唐突だが私のダダーブ生活も、残りわずかとなった。

来年からは、このブログのタイトルも、工場長日誌から、「ひも日誌」に変更しなくてはならないな。
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「超」非正規労働者である私

11月11日朝日新聞デジタル版連載「民意のありか」から抜粋。
 
「総務省の労働力調査(2010年)によると、非正規で働く34歳以下の若者が同年代の働く者の27パーセント。20年前に比べ10ポイント増えた。好転の兆しは見えない。 『生活の安定』という幸せの土台が足元で揺らいでいる。」

 毎日新聞社を辞めて、1年という短期契約でアフリカの難民キャンプに乗り込んだ私も、34歳以下の非正規労働者の割合を増やす要因だ。収入も半分くらいになった。でも、私は、正社員だったころよりも、ずっと今の方が幸せだ。

 非正規労働者が増加したら、不幸な社会になるという議論は、当たっているかもしれないが、何か問題の本質が抜け落ちているよう気もする。

 国際協力業界は、「超」非正規社会だ。契約は1年、2年が普通。国連や政府系機関なら待遇はそれなりに良いが、(特に日本の)NGOなどは、一般企業とは比べものにならない。さらに、団体が自分との契約更新を望んだとしても、ダダーブなど過酷な生活環境で働いていたら、2年か3年で疲弊して、契約を更新できない状態になってしまう。実際、半年やそこらで辞めて、祖国へ帰る人もいた。

 確かに、次の仕事が見つからなかったらどうしよう、という不安はないと言えば嘘になる。でも、この仕事には、その不安に勝るだけの刺激がある。全く異なる文化の人たちとの信頼関係を築き、「ありがとう」と感謝される時の達成感というのは、日本の会社員時代にはなかなか得ることのできないものだった。

 「職を転々とする」と聞くと、どの職場でも成功できない人間みたいなイメージで語られることがあるが、常に新しい刺激を求めた結果、転職しているだけなのかもしれない。問題は、社会が、そういう生き方をどうみているかだ。

 私が、「もうそろそろ仕事辞めて、体を休めようかな」と言うと、「それって、『ひも』になるってことですか?」と言われることがある。妻が働き、私が少しでも働かないということは、自動的にそういうレッテルを張られるということに、驚いた。

 毎日新聞を辞めた後、3ヶ月ほど、アフリカへ派遣されるまでの待機時間があった。その時も「毎日、何やっているの?」「収入なくて、どうやって生活しているの?」「妻に養ってもらっているの?」などと何度か言われた。

 人は常に働き、家族を養うべき。非正規の人たちが不安になるのは、正規社員との物質的待遇の格差も一因だろうが、「非正規」という生き方や価値観を尊重できない日本社会にも、原因があるのではないか。
 
 多様な生き方を認め合い、人と人との絆が生まれて、本当の幸せは見つかるものだのだと思う。

腹心の失踪 (その8)

ファラから私に送られた最後のメールは、10月2日。

「今日、従業員の給料を払いましたが、コーレが別の援助機関でも働いていることが発覚しました。その機関に電話し、確認が取れました。これまで従業員と真摯に向き合ってきた工場長に、私も真摯に報告させていただきます」

休暇中だった私は、このメールを、日本で開いた。休暇から戻った後に対処できる問題だと判断し、返答はしなかった。

この日を境に、ファラの電話が通じなくなり、従業員の前に姿を見せることも少なくなった。お金を持ち出して逃げる人間が書く様なメールとは到底思えず、私は、これをファラから私に託された最後の任務と受け取り、コーレを呼び出した。

すでに援助機関を二股していたという事と、ファラに対して暴言を吐いたという事実は確認されており、そのまま解雇処分にすることもできた。だが、コーレにしか知らないファラの事情があるかもしれないという期待から、2人きりで話し合うことにした。

コーレへの解雇通知を準備し、約7キロ離れたキャンプから、国連事務所まで1人で来たコーレを、敷地内のレストランへ連れ、お茶を2人分注文した。

私: もうすでに一度話し合った件だけど、改めて事情を聞きたい。お願いだから、すべてを正直に話してほしい。君が嘘をついていると、こちらが判断した時点で、話し合いは辞めにする。

コ: わかりました。

私: いつからいつまで、別の援助機関に在籍していたのか?

コ: 8月から9月末までです。もうその機関には退職願は出しました。

私: なぜ、そんなことをしたのか?

コ: すいませんでした。

私: それで、10月1日の給料日の日、君とファラの間でどんなやり取りがあったのか教えてほしい。

コ: その日、私は、ファラの指示通りに、キャンプの市場に行き、ファラが来るのを待ちました。時間通りに来なかったので、ファラに電話をしました。でも、私の携帯電話にはもうお金がなかったので、友人の携帯電話からかけました。「今日、給料支払ってくれるのですか?」と尋ねると、ファラは「もうすぐ来る」とだけ返事をしました。そしたら、私の家族から電話があり、「祖母が病気だから病院に連れて行ってほしい」という要請がありました。ファラに再び電話して、早退の許可を求めたのですが、却下されました。ファラが到着すると、ファラは、私が他人に彼の電話番号を教えたことを怒っていました。私は謝って、ファラと和解したのです。

先日、ドウボウらと話した時と、全く、異なる話になっている。ドウボウは、携帯電話を貸した友人が、ドウボウを装って、ファラと話し、暴言を吐いたと言っていた。そして、ドウボウらの前で、ファラが、かかってきた電話番号にかけ直し、「あなたはコーレの友人か?」と尋ねたら、「友人だ」と答えていたという。

ドウボウは2009年からライフラインで働き、私が工場長就任直後、報告書に間違った記載をして停職処分を受けた。その後、勤務態度が一変。今年4月には副主任に昇格し、工場が閉鎖に追い込まれたため、新しく始まるプロジェクト担当に横滑りさせたのだ。今年7月からしか知らないコーレとは、私の信頼度が全く異なる。さらに、ドウボウの供述は、もう1人の従業員バーレのものとも一致している。

私:この前、話していたことと違いますね。

コ:この前は、私がソマリア語で話し、通訳をしていたのがバーレだったから、うまく通訳されていなかったのかもしれません。

私:その携帯電話をあなたに貸した友人と、ファラは会話はしていないのですね?

コ:していません。私だけです。

私:わかりました。

私は、解雇通知書を彼に差し出した。

コ:これは何ですか?

私:見ればわかるでしょ。

コ:なんで、私が解雇されるのですか?もうその援助機関は辞めたと言っているでしょう。

私:それは関係ありません。あなたは、毎朝8時から午後5時まで働くと書かれたライフラインとの雇用契約を破ったのです。さらに、上司に暴言を吐いた疑いもかけられている。ライフラインの身分証明書を返却してください。

コ:嫌です。まだ、10月分の給料ももらっていない。

私:ファラはあなたを停職処分にしたのではないのですか?私が休暇から戻って来てから、正式な処分を決めると、あなたに伝えたはずです。それなら、こちらに給料を支払う義務はない。

コ:私は10月に働かされています。七輪の配布の時に現場に行くようファラから指示されています。

私:わかりました。それについては、こちらで検討させてください。とりあえず、あなたは解雇されたわけですから、身分証明書を返してください。

コ:こんな通知書、受け取る事はできません!(通知書を私に差し戻す)

私:コーレ。あなたが今、どこにいるのかわかっていますか?警察と警備員がたくさん常駐している国連の敷地内です。私は、あなたの身分証明書を取り戻すために、彼らの助けを求めるようなことはしたくない。

コ:私は、どこにでも行って、自分の潔白を証明することができます!

もう、コーレは、ブレーキが壊れたレーシングカーの様な、錯乱状態になっていた。私は、仕方なく、立ち上がり、国連敷地の入り口ゲートまで、コーレと一緒に歩いた。念のため、コーレを数メートル先に歩かせ、彼が私に危害を加えようとした時の場合に備えた。

ゲートに近づいた所で、私は、コーレを追い越して、警備員に事情を話した。警備員は、コーレに身分証明書を返すよう、要求したが、案の定、コーレは拒絶した。「私を逮捕したいならすればいい!私を殴りたいのなら殴ればいい!」と、彼なりの意思表示をしていた。

警備員は警察を呼び、拳銃を持った警察官の説得にも、コーレは応じなかった。私は、終始、コーレから数メートルの距離を保ち、傍観者を装った。100パーセント勝ち目のない勝負に必死で挑もうとするコーレに同情し、警察官がコーレに手荒いことをしないか、少しハラハラもした。

「警備員室で話し合いませんか?」と私に、警備員が尋ねて来たので、私は、コーレと一緒に、警備員室に入った。

幹部は、私に「身分証明書を取り返すだけでいいのですか?それ以外に、彼が返却すべきものはないのですか?」と確認し、コーレの説得に入った.

コーレは「私は10月働いたのに、給料をもらえないと言われた」「50万シリング奪って逃げた上司から、不当な告発を受けている」などと、声を荒げながら話した。私は、「その件と、この件とは全く関係がない」と、初めて沈黙を破った。

幹部は、「とりあえず、10月の給料を支払うかどうか、検討していただき、その検討期間中、私たちが彼の身分証を預かるということでいいかな?」と妥協案を提示。私は、身分証をコーレが悪用することを防ぐのが唯一の目的だったため、「それでいいです」と頷き、コーレも、首に巻いていた身分証を取り外し、幹部に渡した。「私に連絡なしに、この身分証を彼に渡さないでくださいよ!」と必死に念を押していた。

私は、警備員たちと握手をして退出。コーレはそのままそこに居残り、おそらく、私に対する愚痴を警備員にこぼすのだろう。

数日後、モウリドと対応を相談し、10月にファラから仕事を任されているのなら、給料は支払うべきと判断。 しかし、支払った後は、あのコーレの強気の態度が一転し、「ボス。お願いです。許してください」という携帯メッセージや電話が、何度もかかかってきた。

私が、無視していると、コーレから「実は、イフティン(仮名)も、ライフラインで働きながら、別の援助機関で働いていたのです」という密告文が送られてきた。

その援助機関に確認したら、確かに、イフティンが在籍していた時期があったという。やれやれ。一難去って、また一難か。「解雇されてたまるか」というコーレの執念が、一瞬にして、「自分だけ解雇されてたまるか」という執念に変わってしまうことが、滑稽だった。

腹心の失踪 (その7)

ファラの失踪事件は、ライフライン本部にとっても寝耳に水で、当然のことながら、私に説明責任を求めてきた。

これまで、私と本部との関係は、それなりに良好を保っていた。今年5月、私はライフラインとの1年の雇用契約が切れ、2年目の契約更新時に、それまでの成果が認めてもらえたのか、給料を15パーセント上げてもらった。さらに、今年2月には、何の前触れもなく、代表理事から「バヒド(副代表)は滅多に人を褒めないけど、君の仕事ぶりにはとても感心している。私からも感謝の気持ちを述べたい」などと感謝メールが届いた。(無論、ウガンダやハイチの同僚にも送っている可能性はあるが、、、)。世界食料計画との新しいプロジェクトにも着手し、ケニアのプログラムは、すべてがうまくいっているかに見えていた矢先の出来事だった。

アメリカのワシントンDCの代表理事から電話をもらい、「休暇はどうだった?」などの社交辞令的挨拶を軽く済ませた後、本題に入った。

代表:今回の件で、どうしても理解できない事がある。なぜ、あれだけの大金を現地の従業員に手渡すようなことをしたのだ?私は、アフリカに何年も関わっているが、アフリカでそんな大金を渡したら、どうなるかくらい、簡単に想像がつく。

私:すいませんでした。ファラを信頼して渡した結果、こうなった以上、私に人を見る目がなかったとしか言いようがありません。しかし、私が長期休暇に出る場合、ライフラインの活動資金を誰かに渡さなければならないという状況は、常に出てきます。外国人スタッフは私だけですから、現地スタッフに渡さずには、プロジェクト運営はできなかった事情もあります。

代表:君が休暇に入る前に、払えるものは払っておき、君が休暇から帰ってくるまでに、支払いを待ってもらえるところは待ってもらうようにしたら、そこまでの金額を渡す必要はなかったのではないのか?

私:、、、。その通りです。確かに、そうすることで、リスクを軽減することはできました。しかし、今年1月に4週間休暇に行った際も、モウリドに同じくらいの額を渡していました。本部の了承済みだと思っていました。

代表:それなら、なぜ、今回、モウリドに渡さなかったのだ。

私:最近の治安悪化で、モウリドは大金を預かるのを躊躇しました。ファラは、預けられる店があるというので、3人で話し合った結果、ファラに渡す事になりました。

代表:モウリドに賛成だね。それだけのお金を誰かに渡すというのは、その人を危険な立場に立たせているということだ。一言、私たちに相談してくれてもよかったのではないかな。これから、どうするつもりだ?

私:これまで聞いた話をまとめた報告書を送ります。今後についてもそこに書きますので、判断をしていただけたら。

代表:わかった。報告書を待つ事にする。

さすが、弁護士だけあって、ピンポイントで私の弱点を付いてきた。実際、長期休暇に入る前、自分でできる限りの支払いをするべきか、考えたこともあった。しかし、活動資金を任せられるくらい、現地職員と外国人スタッフが強い絆で結ばれているということを証明したかったし、外国人スタッフが現地職員のために、常にお金の管理をしなければいけないという現状を変えたいという想いが先行してしまった。
そんな未熟な願望と理想が、自分の脇を甘くさせ、団体の資金管理という一番大事な業務に徹底することをできなくさせた。

代表理事は2003年にライフラインを設立した。弁護士で、自分の稼ぎの幾分かを団体に寄付し、現在、ハイチ、ウガンダ、ケニアの3カ国で七輪事業を展開している。「少しでもお金に余裕があれば、それを、世界にある不平等をなくすために寄付するのは当たり前」という彼の理念を踏みにじる結果になってしまい、申し訳ない気持ちで一杯だった。

最後に、代表理事は「それより、ようやく、本部からも君に、良い知らせを届けることができるよ。国連の本部と話し合った結果、国連が私たちの団体に車を貸してくれることになりそうだ。良かったな、ハッハッハ」と、私たちの間に流れた気まずい雰囲気を和らげることも怠らなかった。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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