従業員とのお別れ会 (その2)



 従業員たちからの発表が終わった後、前任者のJと副代表のバヒドの簡単な挨拶があった。Jは「私がいた時は大変だったけど、ヨーコーがプログラムを強化してくれて感謝している」と言い、バヒドも「Jが工場の基礎を作り、ヨーコーがそれに基づいて、強化してくれた」と私たちに謝意を表した。

その後、バヒドから1時間ほど、ライフラインの方針について従業員たちに説明があり、15分の休憩を挟んで、私からの最後の挨拶があった。

司会のモウリドが「それでは、工場長から最後の挨拶をしていただきます」と促し、私が立ち上がると、従業員たちは「パン、パン、パン」と手拍子を始めた。

10秒ほどで、手拍子が終わり、私は話し始めた。

私:皆さん、今日は祝日にもかかわらず、集まっていただき、ありがとうございます。(12月12日はケニアがイギリスから自治権を譲り受けた記念日。独立記念日とは異なる)
 さて、この1年8ヶ月、工場を運営してきて、仕事を辞めたいと思ったことは3回ありました。皆さんは、その3回がいつか、わかりますか?



従:拉致事件が起きた時。

私:いいえ。

従:路肩爆弾が爆発した時。

私:いいえ。(従業員たち自身が治安悪化を肌で感じているということが垣間見える)

従:地元住民が工場を訪れた時ですか?

私:はい。それが一つですね。ナイフをもって地元住民たちが脅しに来たときは、もう、辞めようかと本気で思いました。後、二つありますが。

従:ファラが失踪した時。

私:はい!その通りです。私は、これまで、皆さんと信頼関係ができさえすれば、できるだけ多くの仕事を任せようという考えに基づいてやってきた。ファラがお金と一緒に失踪した事は、私がそれまで積み上げてきたものがすべて崩れていくようなものでした。最後の一つは何でしょう?

従:ラホが仕事を辞めた時。

私:いいえ。それは違います。(その時は、辞めたいどころか、逆に、清々した気持ちすらあったが、それは胸の内に閉まっておいた)

従:、、、、。

私:ラホが辞める前に、私とあなたたちとの間で起こった事、覚えていませんか?

従:、、、、。

私:工場Aの皆さんに関してですが。心当たりありませんかね?

従:、、、、。

私:皆さんが、仕事をボイコットしたのを覚えていませんか?

と、私が言ったところで、何人かが「あー」と相づちを打った。

私: あの時も、大変でした。皆さんが何の相談もなく、仕事を中断するから、もう、辞めてやろうと思いました。悪夢を見て、ベッドでうなされていました。

モウリドが訳すと、何人かが笑った。

私:これだけ辞めたいと思っていたけど、ここまで続けて来れたのは、こうやって、皆さんが笑顔で接してくれたからです。どんな問題があろうとも、皆さんは切り返しが早く、それを笑って吹き飛ばすところは、いつもくよくよする私を励ましてくれました。特にボイコットされた時なんか、もう関係修復不可能かと思いましたが、和解した後は、皆さん、いつものように笑顔で握手をするようになりました。

それを聞きながら、工場Aの最年長、シヤド(59)が笑っていた。

私:それでは、これから、私の在任中、工場運営に特に貢献してくれた3人を表彰したいと思います。3人の受賞理由を説明しながら、皆さんへのお別れの言葉としたいと思います。まず、最初の受賞者は、、、、モウリド、イフティン、フジャレ!

従業員たちは一斉に拍手をした。

私:モウリドと出会ったのは、今から約3年前。私が国連で働いている時、キャンプの市場を案内してくれた時でした。一緒にレストランに行き、モウリドが私の分を支払ってくれました。私は自分で支払おうとしたのですが、モウリドは「外から来たお客さんをもてなすのが私たちの文化です」と言い、私は、ソマリア人の優しさに感動しました。

その後、私がライフラインに入り、治安悪化で工場に行けなくなった時、モウリドに電話をして、助手になってほしいと、お願いしました。モウリドは当時の仕事を辞め、ライフラインに入ってくれました。

モウリドの受賞理由は大きく分けて三つあります。

まず、私と皆さんの架け橋になってくれました。ソマリア語と英語の通訳をするだけでなく、私の考えを理解し、それを従業員たちにわかりやすく説明してくれました。様々な改革を断行するなかで、一般の従業員が不安にならないよう、コミュニケーションをはかってくれたのです。

二つ目は、七輪の質を向上させるため、七輪を固定させる鉄の枠を作る職人をキャンプの中で見つけたことです。これにより、いつも鉄の枠をキャンプの外から運んでくる必要はなくなり、さらに難民の雇用にも繋がった。七輪の寿命は飛躍的に伸び、難民からの人気も高まり、従業員たちの士気も高まった。

最後に、工場内で何か問題があった場合、就業規則に照らし合わせ、正確に、かつ正直に私に伝達してくれたことです。私はモウリドが言うことを疑った事が一度もなかった。

モウリドがいなかったら、ライフラインの運営は難しかったでしょう。本当にありがとうございました。


私はモウリドと握手をし、賞状を手渡した。

私:それでは、2人目の発表です。ドウボウ。

ドウボウはゆっくりと立ち上がり、私に歩み寄り、握手をした。特に驚いた様子もなく、いつもの笑顔で淡々としている。

私:私が工場に入って、間もなく、私とドウボウには問題がありましたね?皆さん、覚えていますか?

従:はい。

私:ドウボウは、月間報告書に偽りの記載をしたために1ヶ月間の停職処分を受けました。その日、作られたレンガの数が80前後だったのに、ドウボウは、200と記載しました。私は、わけがわからず、ドウボウに対して、強い不信感を抱きました。

しかし、停職処分から戻って来たドウボウは、一生懸命働きました。率先して劇団を作ったり、リーダーシップを発揮しました。今年の5月に副主任になり、8月からは新しいプロジェクトのチームに入ってもらいました。七輪の研修をする時のドウボウは、とても自信に満ちあふれています。高等学校を卒業していませんが、他の学歴が高い従業員よりも、よい仕事をしてくれます。難民が七輪を使っている様子についての報告書は、誰の物よりも信頼できるし、きめ細かく書いてあります。

そんなドウボウを見て、私は思ったのです。最初にドウボウが偽りの記載をしたのは、ドウボウが私を騙そうとしたのではなく、十分な指導を受けてこなかったからなのかもしれないと。ライフラインがしっかり、彼に指導をしていれば、ドウボウは、真面目に記録していたのではないかと。

だから、この場を借りて、ドウボウに謝らせてください。ライフラインは、あなたたちにもっときめ細かく指導するべきだった。


ドウボウに賞状を手渡すと、ドウボウは「ありがとうございました」と受け取った。

私: それでは、最後の受賞者の発表です。残念ながらその受賞者は今日はここには来ていません。新しい子供ができたばかりで、育児休暇中なのです。皆さん、誰だかわかりますか?

従: シュクリ!

私: はい。そうです。シュクリ(20、女性、仮名)は今日は来ていませんが、彼女からは、受賞した理由を皆さんの前で話しても良いと許可を得ていますので、話させていただきます。

シュクリは、工場から約3キロ離れた所に住み、毎日、片道1時間半かけて通勤しています。つまり、往復3時間。5時間働いて、3時間、通勤しているということになります。午後1時から、1時間半、炎天下を歩くというのは容易ではありません。私自身、30分歩いたら、ヘトヘトになります。

シュクリは、昨年、ソマリアから逃れてやってきました。ソマリアのディンソウで生まれました。7頭のラクダ、20匹のヤギ、30匹の牛を育て、豆などの畑を耕して暮らしていました。

 9人兄弟の4番目。父親は2003年、心臓病で42歳で亡くなりました。 14歳で、いとこと結婚。16歳で妊娠しましたが、子供は生まれて間もなく亡くなりました。

 3年前から雨がほとんど降らなくなり、家畜が次々に亡くなっていき、18歳で2人目を妊娠しましたが、間もなく、家計を支えることができなくなった夫が離婚を申し出てきました。

 昨年6月、親戚ら30人と15日間歩き続け、ダダーブ難民キャンプに辿り着きました。1~10歳の6人の子供と一緒に暮らしている。娘、妹3人、そして甥と姪 。

 母親は病気のため、兄と姉と共にソマリアに残りました。もう1人の姉は、夫と共にエチオピアの難民キャンプに行きましたが、昨年9月初旬、電話で「麻疹にかかって亡くなった」と夫から連絡がありました。さらに、今年1月、母親が栄養失調で亡くなったと、連絡が入りました。

 今年初め、シュクリは、近所に住む男性と結婚しました。その男性は、妻を麻疹で亡くしたばかりでした。

 6人の子供を世話するため、シュクリは毎日炎天下を3時間歩き続けています。これだけ苦しい人生を歩んでも、シュクリは、常に笑顔です。私みたいに気難しい人間にはできない、自然で無邪気な笑顔です。私は、シュクリに「なぜ、いつもそんな笑顔でいられるの?」と尋ねたことがあります。シュクリは「ライフラインの同僚たちが私を家族の様に接してくれるから」と答えました。

皆さんは、シュクリや他の新しい従業員を、いつも快く輪の中に入れてあげていますね。工場長である私は仕事をあげることはできても、精神的な部分でシュクリの様な人の支えになってあげることはできません。だから、私はいつも、思いやりをもって同僚に接する皆さんに感謝しています。シュクリへの賞状は、皆さんへの賞状だと思ってください。そんな思いやりの人が溢れたソマリアで、これだけ長い間、人々が殺し合っているという状況が、とても皮肉に思えるし、理解できません。

その思いやりを忘れず、これからも、周りの人に優しさを分け与えてください。皆さんが私にしてくれたように。

長い間、ありがとうございました。






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従業員とのお別れ会 (その1)


12月12日は、閉鎖された工場Aの従業員を含めた、全従業員を集め、私のお別れ会を開催した。私がダダーブを去るのは12月21日の予定だが、10—14日にかけて、ライフライン副代表のバヒドと、私の前任者のJが引き継ぎのためにダダーブを訪れていたことと、12日がケニアの祝日だったということもあり、この日の開催となった。(ちなみにJは、私の正式な後任が1月中旬に来るまでの、短期引き継ぎ役として来た)

国連敷地内にあるレストラン、プムジカ(スワヒリ語で「休息」)を借りきり、総勢35人が集まった。閉鎖された工場Aの従業員と会うのは4ヶ月振り。皆、笑顔でいつものように握手を求めてきた。

モウリドが司会を努め「皆さん、今日は工場長とのお別れ会です」と切り出した。まず、工場Bの従業員たちによる、歌、劇の発表があった。

15人の従業員が横一列に並び、「ライフライン、ライフライン」と、体を横に振りながら歌い出した。

そして、ブルンジ出身のレイチェル(40代、女性)が前に出て、自分で作詞した歌を歌い出し、他の従業員が連呼した。

ライフラインのすべての従業員に平和が訪れますように

最初に、大きな声で皆さんに伝えたい

ヨーコーがライフラインのためにした素晴らしい仕事

ヨーコーのおかげで、難民である私たちは成長した

ヨーコーは私たちと環境の架け橋になり、将来に役立つ知識を分け与えてくれた


ヨーコーは私たちを兄弟のように愛し、私たちは彼を模範にして生きていきたい

ヨーコー ジュー(スワヒリ語で「上」の意)ヨーコー ジュー

ヨーコーはどれだけ治安が悪くなろうとも、私たちに会いにきてくれた

私たちは、ヨーコーがここから去ることをとても悲しく思う

ヨーコー ジュー ヨーコー ジュー

でも、ヨーコーが私たちにかけがえのない知識と技術を与えてくれたから、私たちは何も心配はしていない

ヨーコー、さようなら

ヨーコー、あなたのスピリットは私たちの中にずっと残るでしょう




レイチェル

レイチェルは、胸にジーンと響く大きな声で、両手を大きく広げ、遠くを見つめながら歌った。紺色のワンピースには、自分で刺繍した『ライフライン』の文字が胸元にあった。

次に、ハナムが前に出て、自分が作った詩を読み上げた。

私は文字の読み書きができない

社会に何の役に立たない人間だと思っていた

ライフラインに入って、私は変わった

七輪の作り方を学び、環境保全の大切さを知った

普通の焚き火で料理することの危険性について学んだ

今は、自分の国のために何かできるという自信がある




後ろに並んでいる他の従業員たちが、大きな声で連呼した。

その後、演劇に移った。

劇では、まず、木を切る難民女性が地元住民に襲われるシーンから始まった。「俺の土地で勝手に木を切るな!」女性が悲鳴を上げて、逃げ回る。

そこにライフラインの従業員が仲介に入り「私たちの七輪を使えば、森林を保全することができます。どうか、私たちの工場に来てください」と地元住民の男性に伝えた。

男性は、「難民の大量流入で、ここ数年で木々が少なくなり、飼っていたヤギや羊が死んでいった。それで、収入が減り、子供に十分な食事を取らせることさえできなくなった」と嘆き、赤ちゃん役のファイサル(男性、仮名)が、栄養失調で痙攣を起こし、体をぷるぷる震わせ、会場の笑いを誘った。

そして、次に、ライフラインの従業員が七輪を配布する家族を選定するため、難民の住宅を訪れるシーン。最年長のマリヤン(40代女性)が難民の赤ちゃん役となり、焚き火に手を出し火傷をし、「ニャー、ニャー、ニャー」と猫の鳴き声の様にも聞こえる泣き声を上げた。マリヤンの演技に、再び会場は笑いの渦に包まれた。そこで従業員が「七輪を使えば、子供が火傷する危険性も下がりますよ」と母親に教えた。

次の日、工場に難民たちが集まり、七輪が配布される前の研修を受けるシーン。数人の難民が地面に座り、従業員からの指導に耳を傾けている。そしたら、時間に遅れて到着した難民女性に、工場長役のアデンが登場し、「チョン、チャン、チョン、チャン」(日本語を話すまね)と女性に指を指しながら話しかけ始めた。アデンは、私の青いリュックサックを背負い、モウリドが通訳となって「なぜ、遅れて来たのだ?研修を受けられない人に、七輪を配布することはできません。今日は帰ってください。そして、明日、研修があるのでそれに参加してください」と話した。アデンの日本語話しに、会場は大爆笑。私も、笑いをこらえきれなかった。

アデンは、他の従業員たちに、「チョン、チャン、チャン、チョン」と叫び、「難民の方たちに研修には時間通りに来るようにしっかり伝えてください」とモウリドが再び訳した。

そして、アデンは、研修を行っている従業員に、「チャン、チャン、チャン」とお金を差し出した。モウリドが「君の研修は素晴らしい。これは特別ボーナスだ」と訳した。

最後に、暫定的に後任者となったJ役が出て来て、背負っていたリュックサックをJに手渡して、劇は幕を閉じた。

私は、笑いと感動で、時間が過ぎていくのを忘れていた。上司として厳しく接しつつも、従業員が頑張れば、それを賞賛して、能力を伸ばしていこうとした私の姿勢が、コミカルに描かれていた。

1年8ヶ月、頑張ったかいがあった、としみじみと感じた。


従業員たちからの評価



私が築き上げたシステムが継続できるよう、12月8日、従業員4人を招いて、私が工場長になってからの評価を尋ねた。4人は全員女性。男性従業員の前では、話しづらくなるのではないかと配慮した。

私:昨年6月に私が工場長に就任する前と今でライフラインが、どういう風に変わったと思いますか?
アミナ:組織の知名度が違います。以前は、ライフラインの身分証明書を提示して、別の団体の事務所に入ろうとしても、入れてくれなかったりしましたが、今はそういうことはなくなりました。

ハナム:同感です。七輪の質が向上したし、新しく世界食糧計画とのプロジェクトも始まり、知名度が上がりました。以前は、近所や親戚の人が、私が援助機関のスタッフとはみなしていませんでしたが、今は、一目置かれるようになりました。

後、工場長と一般の従業員とのコミュニケーションがしやすくなりました。以前は、すべて主任を通して意思疎通が行われたので、ある意味、主任が情報をすべて独占する形になっていました。それにより、従業員同士のトラブルも減りました。次の工場長が、どんな人かとても気になります。同じシステムを引き継いでくれるとよいのですが。

私:従業員同士のトラブルが減ったのはなぜでしょう?

ハナム:工場長が来て、就業規則が作られたからです。皆、規則があるから、どんな事をしたら罰せられるのか、誰にどんな権利があるのか明確になりました。それまでは、主任の機嫌を損ねたら、罰せられると思っていたので、皆、日々、怖がっていたのです。誰も、主任に対して楯突こうとは思いませんでした。解雇されるのだけは嫌でしたから。出勤簿に「遅刻」マークを付けられても、それが何を意味しているのか、なぜ付けられているのかさえ、私たちには理解できませんでした。だから、主任と私たちとの間で、常に不信感がありました。

 でも、今は、主任の他に、モウリドがいて、さらに、工場長とも直接話すことができる。様々な意思疎通のルートができたので、安心できます。

マリヤン: 七輪に鉄の枠がはめられて、寿命が伸びたのも大きいです。以前、七輪が数週間で壊れる様な代物でしたから、私たちは「土の七輪を作る人たち(Mud Stove People))と揶揄されていました。誰も、ライフラインという言葉は知らなかった。

私:皆さんは、数週間で壊れる七輪のために、なぜ、ライフラインがお金を投資していると考えていたのですか?

ハナム:マンデレオ(別の団体が作る七輪で数年の寿命があり、難民から親しまれている)が配布されるまでの期間、代わりの代物として配っているという感覚でした。受益者の人たちも、皆、マンデレオが欲しいというので、「私たちの七輪を受け取れば、マンデレオがもらえますよ」と説明し、やっと受け取ってもらえる様な状態でした。

アミナ:ある受益者からは、「この土の七輪を作っているのは君たちか?君たちは、これを作るためにいくらもらっているのだ?だったら、私の家に来て、掃除、洗濯をやってくれないか。その方が、よっぽど有益な人件費の使い方だよ」と馬鹿にされたこともあるくらいです。

ハナム:でも、今は、鉄の枠が設置されたおかげで、「お願いだから、七輪を配ってください」と請願しに来る人が絶えなくなりました。

私: 皆さん自身が、この期間、変わったと感じますか?

アミナ:工場長が研修を通して、環境や七輪についての知識をくれたので、自分に自信が付きました。

マリヤン:私も自信が付きました。以前は、ただ、七輪を作って、お金を稼いでいる労働者でしたが、今は、自分が専門家になった気分です。私たちの作っている七輪が森林を保全し、その森林が放出する酸素を私たちが吸い、吐き出す二酸化炭素を森林が吸うプロセスなんて全く知りませんでした。以前は、七輪は、ただ、私たちが料理する時に、鍋を固定するためのものだと思っていました。まさか、環境を保全するものだなんて思っていませんでした。
後、七輪が森林保全に役立つことから、難民とケニア人との関係を改善するという役目も知りませんでした。それまで、キャンプ周辺に住むケニア人は、難民の事をただ嫌っているだけだと思っていましたが、私たちが彼らの土地で森林を伐採しているからだということに、気付かされました。

アミナ: 私は1991年からここに住んでいますが、私みたいに、文字の読み書きもできない人を雇ってくれる団体があるなんて信じられませんでした。ライフラインのおかげで、今は、家の近くの店も「ツケ」で買い物ができるようになりました。本当に感謝しています。

私: 工場長として、色々、厳しい面もあったと思うけど、それについてはどうですか?

ハナム: はい。最初は、本当に厳しいと思いました。遅刻や無断欠勤が多ければ、容赦なく、減給処分にされていましたから。皆、「大変な工場長がきたなあ」と思っていました。でも、時間が経つにつれて、工場長がなぜ厳しくしているのか理解できるようになりました。工場長は、私たち1人1人を平等に扱おうとしているだけだった。主任も従業員も、差別なく、1人1人を平等に扱うためには、就業規則を厳格に運用すること以外に、ないのだと。それによって、私たち従業員も、何をすれば良いのか、何をすれば罰せられるかも理解できるから、逆に組織を信頼できるようになりました。今は、誰が減給処分を受けても、文句を言う人はいませんよ。皆、なぜ減給にされているのか理解できているからです。

アミナ: 以前は、主任の気分次第で、私たちは罰せられていました。遅刻してきたら「もう、家に帰れ!」と怒鳴られて、家に帰り、次の日に来たら、「なんで、仕事をさぼるんだ!」とまた、怒鳴られました。今は、もう、そういうことがなくなりました。主任も私も、自分たちの権利を知っているからです。

私: 私との一番の思い出は何ですか?

ハナム:冗談を言い合うところです。普通の外国人の上司は、現場を視察に来るだけで、一般の従業員と会話したりしませんよね。でも、工場長は、「ハナムー。家族は何人いるの?」なんて、色々聞いてきました。それで、私があくびをしたら、「ハナムは減給処分だ!」なんて、突然叫び出して、、、、(笑)。思い出すたびに笑っていますよ。(口を手で押さえながら、笑いをこらえる)。もう一年くらい、一緒にいてほしかった。

マリヤン:なぜ、工場長を辞めるのですか?私たちが、工場長に何か嫌な事でもしたのかと心配になります。

私:拉致や殺人事件が頻繁に怒るこの過酷な生活環境に、もう1年私がいる理由があるとすれば、それは、皆さんたちとの人間関係だけです。皆さんと一緒にいる時間は、本当に楽しかった。でも、私もそろそろ、自分の家族との時間も大切にしなければいけないと思う様になったのです。

ハナム:ありがとうございます。私たちは、工場長が私たちのことを好きな以上に、工場長が好きですよ。離れても、たまには電話とかしてくださいよ。

私:そうだね。多分、数ヶ月はナイロビにいると思うから、来る機会があったら、連絡をください。それより、ハナムは、夫とはうまくいっているの?

ハナム:いえ、前の夫は、あれから、3人目の妻と結婚し、突然、全員の妻を捨てて、どこかへ行ってしまいました。その後、私は新しい夫と結婚したのですが、その夫も、2人目の妻と結婚しようとしたので、離婚しました。一夫多妻は、私には無理そうです。

などと、世間話に移り、ミーティングは終了。私の前だから、あまりネガティブなことは言いにくいだろうが、従業員たちが、概ね、私が行った改革に理解を示してくれたことは嬉しかった。彼女たちの評価をしっかり引き継ぎ書に記し、このシステムが維持/発展されることを願うばかりだ。

従業員たちの反応



私が工場を去る事については、9月の段階で、従業員たちにはほのめかしていた。

 まず、モウリドとファラと3人だけでミーティングをしていた時、(まだファラが失踪する前の頃である)「実は、今年の12月で工場を去ることになるかもしれない」と私が切り出すと、2人は同時に私の顔を見上げた。モウリドは「契約は来年の5月までなのではないですか?」と尋ねてきた。私は「もうダダーブに来て2年半になる。正直、色々あって疲れたよ。妻ともずっと離れ離れのまま。そろそろ、家族一緒に暮らす方向で考えていきたい」。モウリドは、私の心中を察した様に、「わかります」と頷いた。

ファラは「従業員たちは皆、工場長が来てから、ライフラインの知名度も評判も一気に上がったと言っています。これで工場長が去ったら、一体、ライフラインはこれからどうなるのか、、。」と地面を見つめながら話した。

モウリドが続いた。「確かに、次にどんな人が来るのか気になります。これまで、私たちは、自分たちがライフラインの従業員であることに胸を張ることができた。国連事務所に来ても、『ライフライン』って言えば、誰でもすぐに、認知することができた。工場長が去った後でも、その認知度が保たれるのか、正直不安です」

私は、「まあ、まだ決まったわけじゃないから、そういうこともありえるということで、考えておいてください」と伝えた。

その後、工場の従業員全員を集めての全体ミーティングでも年末で去る可能性について話した。治安悪化で、工場に来る頻度が激減し、従業員とは、月に1度会えるか会えないかくらいになっていた。だから、できるだけ早めに伝えることで、従業員たちに心の準備をしていてもらいたかった。私が去った後でも、築かれたシステムが存続されるように。

予想通り、従業員たちは、驚いた様子だった。

リーダー格のレゲ(仮名、女性)は「なぜ、突然、辞めるなんて言うのですか?」と尋ねてきた。

 「そろそろ疲れたし、家族と一緒に暮らしたい」と伝えると、それでもレゲは納得できない様子で、「それなら、数ヶ月休んでから、戻ってくればいいじゃないですか?」と切り返してきた。

私は「この仕事の一番の魅力は、皆さんと直に交流できることでした。しかし、最近の治安悪化で、工場に来る事すらまともにできなくなってしまった。 疲れだけが溜まり、家族と離れ離れになってまで、やり続ける気力がなくなっていきました。情けないですが、これでも、外国出身の援助関係者の中では、私は、かなり古株の中に入るのですよ」と話した。キャンプに10年、20年と避難生活を余儀なくする従業員たちに、「2年半で疲れたから去る」と伝える自分が、とても理不尽に思えた。

レゲは、一向に納得いかない様子で、「半年休んでから、戻ってきてください」と満面の笑顔で語りかけてきた。他の従業員も、「そんなのありえない!」などと、言ってくれた。

ミーティングの後、その前の月、遅刻が多くて減給処分を出したばかりのファルドソ(30代女性、仮名)が駆け寄ってきて、「お願いだから、行かないでください」と請願してきた。「あなたは、減給処分を受けたばかりじゃないですか。私が去れば、もう、減給されなくてすむじゃないですか」と言うと、「行かないでください」と、全く同じ台詞で私を説得しようとしていた。

ファルドソは女性従業員の中で唯一、小学校を卒業しており、英語が話せる。高校2年でお見合い結婚をし、家事に専念するため退学した。子供が手がかからなくなり、新しい仕事を探していたところ、今年4月にライフラインの空席広告を見つけ、応募してきたのだ。

「まあ、まだ決まった訳じゃないですから」と、その時は、話を打ち切っていた。

しかし、辞表を出した後の11月29日の全体ミーティングでは、もう、あやふやな事は言えなかった。はっきりと、12月末で去ることが正式に決まったことを伝えた。

従業員たちは、すでに心の準備ができていたのか、皆、黙って私の目に視線を注いでいた。再び、レゲが「工場長のおかげで、ライフラインは大きく成長しました。深く感謝しています。工場長のお別れ会では、私たちの感謝の気持ちが伝わるよう、しっかり準備しておきますね」と話し、副主任のアデンも「皆、レゲの気持ちと同じです」と話した。

昨年、ソマリアを大干ばつが襲い、レゲの母親がひん死の状態でソマリアからダダーブへ辿り着き、レゲの自宅へお見舞いに行ったこと。アデンと七輪配布後の事後調査に出かけ、私が作ったマニュアルに沿ってアデンが受益者に質問していないことを指摘し、アデンが「なぜ、こんな難しいことをさせるのですか?」と私に怒ったこと。そして、ファルドソが遅刻してきた時、「他の従業員の上に立つべきあなたが遅刻してたら、だめじゃないですか」と伝えると、「わかりました」といつもの無垢な表情で返答し、次の日、同様に遅刻してきたこと。

従業員との色々な思い出が頭の中を駆け巡り始め、自分が本当にここを去るのだということを少しずつ実感し始めていた。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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