本出版へ向けて、アイデア募集


「もう少し、短めに書けば、ブログの読者は増えるかもしれない」と、これまで色々な方から何度も忠告を受けてきた。確かに長い記事で4000字以上。多い月は、10本から11本書いてきたわけだから、「長い」と言われるのは、仕方ない。

しかし、私は、長い記事を書き続けた。なぜなら、ブログを一人でも多くの人に読んでもらうことが、執筆の最大の目的ではなかったからだ。最初の記事を書いた時から、いつか本として出版することを念頭にしていた。だから、日々のありとあらゆる情報を忘れないよう、細かく書き留めておき、本として編集する時に、必要だと思うところだけ残し、コンパクトにまとめようと思っていたのだ。だから、私にとってのブログは、情報発信というよりも、本番のための「メモ帳」の役割の方が大きかった。

だからこそ、そんな長い文章とこれまでおつきあいしていただいた読者の方には、本当に感謝の気持ちで一杯だ。小学校時代の同級生から、ハングル講座で隣に座った元クラスメート(50代女性)まで、様々な年代の人に読んでいただいた。

そして、この度、私の念願が叶い、生涯学習で有名な「ユーキャン」から、このブログが今年4月に書籍化されることになった。

そこで、読者の皆さんにお願いがあります。これから、30万字以上あるブログを10万字まで削り、編集しなくてはなりません。これまで読んでこられて、どの部分が特に面白かったか、教えていただけないでしょうか?

今回の本は、できるだけ幅広い人に読んでもらいと思っています。だから、もし、あなたが、難民や国際問題に興味がなかったり、ブログを読むまで黒岩揺光の名前を聞いた事がなかったりしたら、このブログを読みたいと思うきっかけになったことを教えていただけるとありがたいです。(両方に該当する方がいたら特に!!)おそらく、その答えが、幅広い層に受ける本にする良いヒントになると思うからです。

勿論、私のことを知っていて、難民の興味のある方も、どんどんアドバイスを下さい。皆さんが「拍手」やフェースブックで「ライク」を押し続けてくれたからこそ、ここまでやってこれました。だから、皆さんと一緒にこの本を作っていきたいのです。どうか、よろしくお願いします。

後、良いタイトルも募集中です。「アフリカ」「難民」などのキーワードはタイトルでは使えません。読者層が限られてしまうからです。

今の所、案として上がっているのが

1。七輪のサムライ

2。工場長になった私

3。紛争地の熱血工場長

などです。
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部下から友人へ

私がダダーブに最初に来てから二年八ヶ月が経ち、人事異動が頻繁で、毎月の様に援助関係者のお別れ会があるダダーブで、モウリドは最初から最後まで一緒に活動をした数少ない友人だった。

モウリドは私がダダーブを去る週、通信教育の試験でダダーブを離れなければならず、十二月十四日に、最後の引き継ぎミーティングをした。

私:ライフラインに入って、モウリドは変わりましたか?
モ:色々な意味で成長したと思います。プロジェクト運営全般を学ばせてもらいました。ライフラインに入る前は、まだ、雑用しかできなかったけど、今は、どんな仕事でもできる自信があります。部下の監督、受益者の調査、経理、人事、様々な事を経験させてもらいました。振り返れば、工場長が国連勤務時代に一緒にやったユースフェスティバルで、工場長から「やらなければいけないことを紙に羅列し、やり遂げたものから消していく」と学びましたね。懐かしいです。
私:(笑)いや、その前に、「ミーティングの時は紙とペンを忘れるな」と教えたと思うけど。
モ:(笑)そうでした。物品の調達や、仕事の計画作成、それに応じて、従業員に任務を振り分けるなど、色々、やらせてもらいましたね。
私: モウリドは、ライフラインに入る前は、ダダーブでも最大規模の援助団体で働いていましたが、そこと比べて、ライフラインはどうでしたか?
モ:幹部と一般従業員の間の意思疎通のレベルが全く違いました。前の団体では、計画も何もない。その日に呼び出されて、言われた事をやるだけ。ライフラインでは、次の週に何をやるのか、次の月に何をやるのか、計画があって、それが従業員全員に共有されていた。そして、ほぼ計画通り仕事が実施され、もし実施されない場合は、必ず説明がありました。
私:すごい当たり前のことのように聞こえるけど、前の団体ではそれがなぜ難しかったのかな?
モ:組織内で、階級意識や縄張り意識が強く感じられました。それに従業員の雇用も、不透明な部分があって、縁故採用を疑われる様な例も多々ありました。そうなると、どうしても派閥ができて、組織内の風通しはよくなりません。
私:他には?
モ:前の団体では、ケニア人か難民かで、与えられる任務も待遇も大きく変わりました。でも、ライフラインは、国籍や出身は関係なく、従業員は従業員として扱われ、その人の能力によって任務と待遇が決められた。「難民であっても、様々な能力があって、様々な事を難民自身の手でできる」というメッセージが常に放たれた。他の団体も口では「君たちは将来、ソマリアを再建する人材なのだ」とは言いますが、それが行動で示されていません。
私:ライフラインで一番印象に残っていることは?
モ:昨年末、工場長が休暇で一ヶ月ダダーブを離れた時、私に組織運営資金七十万シリング(約七十万円)を預けた時です。それまで、難民であるがゆえに、管理資金を預けてもらえなかった。どれだけ努力して上司と信頼関係を作っても、自分が祖国から逃れてきているというだけで、同じ人間として扱ってもらえなかった。でも、工場長から引き継ぎ書とお金を預からせてもらった時、初めて同じ人間として扱ってもらっている感じがしました。他の援助機関関係者は、そんな事絶対にしてくれないと思います。

私は心中、複雑な想いで聞いていた。モウリドが私に一番感謝していることは、私がダダーブで犯した最大の失態に繋がったことでもあるからだ。

私:でも、ライフライン本部は、私がファラに運営資金を預からせた事は過ちだったと言っていました。
モ:実際、現場にいなければ、理解できないことはいくらでもあると思います。私が工場長でも、同じ事をしていたと思います。それだけファラは真面目で、信頼を置く事ができた。本部は工場長とファラがどういう人間関係だったのか知りません。工場長が、ダダーブの国連のトップだったら、どんな難民でも、気軽に事務所を訪れることができたのではないかとい思います。それだけ、私にとっては特別な存在でした。
私:最後だから、言いにくいかもしれないけど、何か、私にアドバイスとかはあるかな?
モ:工場長は日本人で、私たちはソマリア人で、なかなかうまくいかないこともありました。そういう時は柔軟性が大事だと思います。地元住民が工場を襲ってきた時、工場長は、政府からの許可証を要求したり、彼らが工場に鍵をかけた時、「鍵を開けない限り、交渉はしない」という頑な姿勢でした。日本という、政府がしっかり機能して、警察も信頼できるところなら、確かに、それでいいのかもしれません。でも、ここの人たちはそういう環境で生活してきていないのです。地元住民の一人は「私がこの地で生まれ、死ぬことに、政府からの許可証が必要なのか?」と聞いてきました。ここでは、ここでしか通用しない交渉手段があるので、そういった手段をもっと模索できたらよかったと思いました。
私:そうだね。あの時は、精神的に参っていて、何が何だかわからなかったな。もっと彼らと笑顔で、「一緒に協力していきましょう」って言えればよかったかな。もう半年前になるのだね。今度モウリドと会えるのはいつになることやら。
モ:私がナイロビに行く事があったら連絡します。また、ボーリング行きたいですね(笑)。

ファラの失踪事件に関して、モウリドなりの私への慰めだったのか、おかげで罪悪感から少し解放された。同時に、ダダーブという過酷な環境で、腰を長く据えて難民と信頼関係を作り、システムを変えていくことの難しさを肌で感じた。

モウリドを国連敷地の外まで見送り、抱き合って別れた。その時、初めて、自分が本当にダダーブを去るのだということを実感し、いつもは気にならない砂塵が、自分とモウリドを引き裂こうとしているような錯覚に陥り、私は少しの間、目を閉じた。

真相を探る

ダダーブを出る前、停職処分を受けながら、その後、立ち直り、優秀従業員として表彰されたドウボウと話をした。なぜ彼が報告書に偽りの記載をしたのか知りたかったし、全面ストライキなど色々問題があった工場Aの真相を探りたかった。工場Aはずっとラホの支配下に置かれ、ラホの親戚が雇用されるなど、私の知らない闇があるような気がして、ずっと気になっていた。ドウボウとはそれなりの人間関係ができたし、もう、ダダーブを去るのだから、胸襟を開いてくれるかと期待した。

私:停職処分を受けた時はどう思った?
ド:自分の失態でしたが、とてつもなく厳しすぎる処分だと思いました。
私:なぜ、偽りの記載をしたの?
ド:その日は主任のラホが不在で、私が任されていました。それで、ナイロビからライフライン幹部が来ると聞いていたので、ノルマの二〇〇個を生産しておいたことにしないと問題が生じると思ったのです。
私:偽りの記載は、それ以前にも横行していたのかな?私が来る前の報告書は、毎日「二〇〇」とか「一五〇」とかきりのいい数字で、私が来た後は「二一二」「百八十八」とかに変わったのだけど。
ド:私自身はやっていません。ただ、、、、報告書記載業務は前の工場長を怒らせないためにやる建前上のものだという認識はあったのかもしれません。
私:自宅訪問した調査報告書も、私が来る以前はほぼすべての欄が「ハッピー」と書かれていたけど、それも同じ理由かな?
ド:はい。難民たちは配布された物に文句を言えば、もう何も配布されなくなると恐れるので、基本的に良いことしか言いません。そして、私たち従業員も悪い事を書けば、プロジェクトが終了して仕事がなくなると思うから、悪い事を書きたくない。

  良い報告書を出してドナーからお金をもらいたい援助機関、仕事を失いたくない従業員、そして、支援物資を受け取り続けたい難民。すべての利害関係が一致し、本当の意味での「支援」ができなくなっていた。

私:工場Aでストライキがあったのは覚えている?
ド:はい。
私:あれは、なんで起きたのかな?
ド:従業員たちは、ラホの遅刻を工場長に密告した人間が誰なのか知りたかったのです。
私:実際、密告者の言う通り、ラホは遅刻していたの?
ド:はい。していました。
私:じゃあ、ラホの失態だとあなたは知っていた。それでも、なぜ、ストライキに参加したの?
ド:参加しなかったら、私が密告者扱いされてしまいます。
私:ストライキ初日、私との話し合いがまとまらずに解散した後、従業員たちで集まっていたようだけど、どんな話し合いがあったの?
ド:密告者が誰なのか教えてもらわない限り、仕事は再開しないことで合意しました。私は、その密告者を吊るし上げる様なマネはしてはいけないと伝えました。
私:でも、私は密告者が誰か言わなかった。それでも仕事は再開された。
ド:工場長の気持ちが私たちに伝わったので、再開しました。
私:ラホは間違ったことをした。それでも、その密告者が誰なのか知ることが重要なの?
ド:何が正しくて、何が間違っているということでなく、内部のことを外部に密告するということは、それだけ大きな罪なのです。

学校で先生に密告する生徒がいじめられるのは想像できるが、成人社会で、それがストライキにまで発展するというのが理解できない。通訳しているフセインも「これがソマリ社会なのです。同胞を裏切るのは最大の罪なのです」と付け加えた。

私:ラホが去った後の工場はどうだった?
ド:仕事がしやすくなりました。ラホは、遅刻しようが欠勤しようが自分の出勤簿には必ず「出勤」マークを付け、気に入らない従業員に対しては容赦なく、遅刻や欠勤マークを付けていました。でも、それを工場長に伝えられるだけの勇気が誰にもなかったのです。
私:最後に何か言いたいことは?
ド:長い間、ありがとうございました。今、考えれば、あの停職処分のおかげで、今の自分がいるのだと思っています。仕事を責任もって果たすということを、工場長に教わりました。この恩は一生忘れません。

同胞を裏切ることが最大の罪の社会にいるドウボウにとって、これらのことを私に打ち明けるのは、相当の負担だったはずだ。ドウボウと抱き合いながら、私は改めて「ありがとう」と伝えた。

仕事納めと思わぬ年賀状


ダダーブを去る前日の十二月二十日、従業員との最後のミーティングがあった。十二月分の給料を支払い、最後のお別れをする、、、予定だったが、もう一つ、大事な仕事ができた。従業員四人に、二〇一三年一月から契約更新をできない旨(要するに解雇)を伝えるという任務だ。ライフライン本部が資金不足を理由に、新年からリストラを指示してきた。それにより、出勤簿や主任の評価などを基に、工場の作業員十六人の中から、イクラン、ハナム、ファイサル、ハオを選び出した。

まさか、お別れの日に解雇通達なんて夢にも思っていなかった。ハナムは、昨年十一月に生まれた息子を「ヨーコー」と名付けるほど、私のことを慕ってくれていた。当初は、一月に工場長になる後任者にやってもらえたらと思っていた。しかし、すでに方針が決まっており、解雇される側からしたら、一日でも早く通達してもらいたいだろう。

私たちが、雇用する側とされる側である以上、どれだけ人間関係が深くても、避けられない痛みは付き物だ。一月に後任者が伝えたとしても、結果は同じだし、四人は「なぜ、工場長が直々に言ってくれなかったのだろう?」と、逆に関係にひびが入るかもしれない。

ミーティングで給料の支払いが終わり、「これまでありがとうございました」と従業員たちに最後のお礼をし、一人一人と握手をした後、「ちょっと、数人の従業員には個別に話があるので、残ってください」と伝えた。残念ながら、四人中三人は、病気などで欠勤しており、唯一、イクランだけが来ていた。

イクランは、十九歳。女性従業員で唯一独身だ。「ライフラインのおかげで結婚資金がたまったので、来年くらいには式ができそうです。式には是非、来てください」と私に話していたのを思い出し、気が重くなった。

私:大事な話があります。
イ:、、、。
私:皆さんの現在の契約は十二月末までです。それで、来年一月からは、資金不足で、四人の契約を更新できない状態になりました。ファイサル、ハオ、ハナム、そして、あなたです。
イ:、、、、。(黙って、私の目をじっと見つめる)

私:資金調達に目途が立てば、真っ先に工場に呼び戻します。なので、とりあえず、ライフラインとの契約は今月で中断ということになります。何か質問はありませんか?

イ:ありません。

私:本当にありませんか?何を聞いても大丈夫ですよ。

イ:特にありません。

私:そうですか。それでは、もう、行っていいですよ。

イクランは立ち上がり、部屋のドアを出る前に、私の方を見て、握りこぶしで右手親指を上げ「ヨーコー、バイバイ!」と白い歯を見せながら去って行った。罵声を浴びせられるどころか、笑顔で対応されるとは想像しておらず、少し拍子抜けした。他の三人には、主任のモゲに伝言をお願いした。

 その後、国連世界食糧計画(WFP)との間で新しく始まった七輪プロジェクト担当従業員四人とのミーティング。この従業員たちは、二〇一二年八月に雇用されたばかりで、工場の作業員と比べ、私との関係は希薄だ。WFPが仕入れた七輪についての説明会と事後調査を担当する者たちで、高等学校卒業者がほとんどで、英語も話せる。

工場の従業員たちには、この日で年内業務終了のため、十二月分の給料全額を支払ったが、このプロジェクトは年末も続くため、全額を払うことができなかった。「とりあえず、半月分、今渡して、残りの半月分を、月末に渡させてもらいます」と伝え、私が、お金を数え始めると、四人は「それは、納得できません」と強い口調で言ってきた。

従:他の援助機関は年末年始に事務所を閉じるため、十二月分の給料をすべて支払っています。なぜ、私たちだけ、半分なのでしょうか?
私:ライフラインが他の援助機関の方針を踏襲しなくてはいけない義務はありません。皆さんは働いた分の代価をもらうことになっています。十二月は、まだ半分しか過ぎていません。だから、ライフラインは半分だけ払うと言っているのです。
従:でも、工場長は明日、ダダーブを去ります。誰が私たちにお金を払うのでしょうか?
私:今まで、私から毎回、直接お金をもらっていましたか?モウリドから手渡された事だってあったでしょう?
従:モウリドはここにいません。(モウリドは休暇中)
私:モウリドがいなくても、フセインがいる。(フセインは、ファラの後任として雇ったソマリア系ケニア人)
従:フセインなんて、知らない人だ。そんなの信頼できない!(上司にあたるフセインがいる前での、この発言にショックを受ける)
私:私たちは就業規則に行動や言動を定められています。規則には、あなたたち従業員は、上司の全うな指示に従う義務が課せられており、あなたたちはそれにサインをした。これまで、給料は、月末か次の月の始めに払ってきた。十二月分の給料を従来通りに払うという私たちの方針は「全う」だと思います。
従:工場長は明日、去るのに何を言っている!今、お金を払え!(Give Us Money, Now!)
私:今、何て言いましたか?
従:、、、、。
私:あなたたちの口の利き方は、とても無礼です。私はあなたたちの上司であって、飼い犬ではないのです。口の利き方には注意してもらえませんか?とにかく、今、半額払うというのも、もうやめにしましょう。月末、十二月三十一日に、全額払いますので、それまでお待ち下さい。
従:誰が払うのですか?
私:フセインです。
従:フセインは信頼できない。モウリドに電話しろ!(Call Moulid Now!)
私:今、何と言いましたか?
従:、、、。
私:もう一度、そのような口の利き方をしたら、すべてを終わりにさせていただきます。
従:あなたの様な工場長が去ってくれて、こちらはとても嬉しいですよ。次の工場長は、あなたよりもベターでしょうから。
私:あなたが喜んでくれるなら、私も嬉しい。

私は、立ち上がり、ミーティングを切り上げた。「お金をよこせ!」と暴言を吐いた女性従業員のハリモは、私と目を合わさず、何やらソマリア語でぶつぶつ言いながら、出て行った。「去ってくれて嬉しい」発言をした、男性従業員のオスマンは、少し罪悪感があったのか、うつむきながらではあるが「よい旅を」と握手してきた。

解雇通達は笑顔で受け入れられ、給料の支払いを変則にするという何でもないようなことで、罵声を浴びてしまった。相手の尊厳など、どうでもいいというような口の利き方には、もう慣れていたはずなのに、こんな別れ方しかできなかった自分が悔しかった。

思えば、工場の従業員たちも最初の頃は小さい事で、私に何度、罵声を浴びせた事か。しかし、就業規則を作り、何度も説明を繰り返しすうち、話し合いはスムーズになった。

おそらく、五ヶ月前に雇わればかりのこの四人とも、それなりの時間を費やせば、こんな終わり方にはならなかったのかもしれない。二十年間、援助機関と信頼関係を作ろうが、作るまいが、無条件で食料、薬、教育などを一律無料で与え続けられた難民たちに、当事者である私たち援助機関が、今更、「私たちの尊厳を傷つけるな」と言うことは、少し理不尽にすら思える。

ダダーブを去って十日後、知らない番号から携帯メッセージがあった。「工場長に去ってほしくありません。戻ってきてくれたら、とても嬉しい。また会える日まで」。英語の綴り間違いだらけのメッセージで、従業員の一人だろうと予想し、その番号にかけ直した。「メッセージをもらったのですが、誰ですか?」と尋ねると、「ファイサル」と返事があった。解雇された四人のうちの一人だ。「元気ですか?挨拶したかっただけです。」(Are you OK? I greet you)と片言英語で、話しかけてきた。

無論、解雇取り消しを求めたかっただけなのかもしれない。それでも、メッセージやファイサルの話し方から、彼が私の尊厳を守ろうとしてくれていることが伝わった。折しもこの日は、日本の元旦。最高の「年賀状」だった。
 
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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