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主夫になって初めてわかる妻の気持ち

 4月15日日曜日午後5時ごろ、事件は起きた。妻のスージンと友人宅からの帰り道、自宅から300メートル離れたバス停で降り、ある服屋の前を通りすがった時、私が「ちょっと、服を見たいのだけど」と言うと、スージンは「ちょっと気分が良くないから帰りましょう」と返す。私は「じゃあ、先に行ってて。ちょっと服を見ていくから」と言うと、スージンは立ち止まり、強張った表情で私を睨みつけ「あなたはどこまで自己中心的なのよ」と言う。私は、わけがわからず、「じゃあ、ちょっと服屋に行っているから。家で会おう」と、店の中に入った。

 シャツ1枚で3000円、2枚目買ったら、二つで4000円のセールで、シャツを2枚買い、家に帰った。

 家に入ると、スージンは、「おかえり」も言わず、パソコンをいじっていた。私が歩み寄って、買ったシャツを見せると、「いいね」と初めて表情を緩めた。その後、二人で夕飯作りに取り掛かった。

私は考えた。なぜ、スージンは、私を「自己中心的」と非難したのか?確かに、スージンはアレルギー体質で、この日は特にひどく、ずっと鼻水を出していた。しかし、バスで1時間かかる友人宅まで行けないほどではなかったのだから、自宅寸前まで来ているにもかかわらず、一緒に家まで行かなくてはならない理由がわからなかった。

いつも、スージンが「この店見てみたい」と言えば、私は必ず、その店に一緒に入っていた。だから、スージンが、私が行きたい服屋に一緒に行きたくないこと自体、おかしいと思ったし、体調が悪くてはやく帰りたいなら、1人で服屋に行けばいいと思った。自分にとっては「譲歩」のつもりで「じゃあ、先に帰って」と言ったのに、「一緒に行けなくてごめんね」どころか、「自己中心的」と非難されるとは想定外だった。

いつも、1人で何かやろうとする私と、できるだけ2人で一緒にやりたいスージンとで対立してきた。今回も、スージンの非論理的な「一緒にいたい」という感情によって、私は服屋に行く自由さえ束縛されている感じがした。一体、そこには、スージンのどんな考えがあるのか、知りたかった。

 焼き魚と韓国風味噌チゲを食べながら、私はスージンに切り出してみた。

私:今日は、私が服屋に行こうとしたら怒っていたけど、なんでかな?

ス:もう、話したと思うけど。

私:うん。でも、まだ自分の中では理解ができていないから、もう一度説明してくれるかな?

ス:何度も何度も説明するのも嫌だから、疲れる。

私:それでも、違う人間なのだから、その違いについて分かり合おうと努力しないと。何度言っても伝わらないことってあるでしょ。

ス:何がわからないの?

私:私が1人で服屋に行って、スージンが1人で家に帰って、数分後に家で落ち合うという私の提案が、なぜ「自己中心」なのか理解できない。

ス:あなたはいつも、そうやって頭でしか考えられないからだめなのよ。私が体調悪いことは知っていたでしょ。

私:でも、数分間、私と一緒にいるから体調が良くなるわけでもないでしょ。それに、今日は遠出ができるくらいの体調だったのだから、そこまで悪いとも思えないし。

ス:ほらね、あなたは頭でしかものを考えられない。いつも論理的。いつも、「なぜか?」「なぜか?」と説明を求める。一から百まで説明しなきゃいけないのも辛いの。たまには、こちらが何を言わなくてわかってほしい。それに、こんなささいなことで、いちいち言い合いたくない。もう、いいじゃない、終わったことなのだから。

私:俺たち、まだ一緒に住み始めて数カ月だよ。これから、色々、お互いの違いが見えてくると思う。その時、大事なことは、常に話し合おうとする姿勢だと思う。どんなささいなことでも、話し合う。ため込んでしまうと、ささいなことが積み重なって、とてつもなく大きなものになって爆発してしまうでしょ。だから、こんなささいなことでも、スージンがどう思っているのか聞きたい。


 そもそも、私は、周りの空気に鈍くて太い「鈍太」(どんた)と母親から名付けられようとしていたのだ。「一から百まで説明しなきゃわからない」のを、私だけのせいにされては困る。

ス:言う方も辛いのよ。もう何度も何度も言っているから。あなたは一向に変わる様子がない。

私:人間が変わるのってとても難しいことだよ。スージンだって、私のハングルを伸ばすために「できるだけ、英語や日本語じゃなくてハングルで話して」って私が何度もお願いしても、なかなか変わらないでしょ?それでもお互いをあきらめず、変わろうと思うなら、話し合うこと以外で達成することはできない。

ス:(目に涙をためながら)私は、今日、とても体調が悪かったの、わかるでしょ?

私:体調が悪いのは、もう、ここ数週間のことじゃないか。

ス:でも、今日は特にひどかった。友人の家でも、ティッシュボックスを一つ空にするくらい、鼻水が出ていたでしょ。

私:でも、だからって、家から数百メートルのところから別行動しても、体調に影響はないでしょ。


ス:あなたは、今日、一度も私に「体調どうなの?」と聞かなかった。

 私は、ふと、友人宅で、友人のお父さんが、スージンを心配して薬を持ってきたのを思い出した。私は「いつものアレルギーだし、そんな心配することない」と心の中で思っていた。


ス:帰りのバスでも、あなたはずっと寝ていた。そして、到着すると、服屋に行こうとした。私が、自分の体調が悪いことを言っても、全く意に介する様子がなかった。あなたは、私のことを理解しようと努力してくれないの。

 スージンはすでに涙を数滴垂らし、長袖の裾で一生懸命拭いていた。私は、ようやく、理解できた。なぜ、スージンが自分を「自己中心的」と言ったのか。確かに、相手の体調に関して尋ねる回数は、私よりスージンの方が数倍多い。

私:やっと、理解できたよ。辛い思いをさせて悪かったね。スージンのアレルギーはもうずっと前からのことだから、今日も、いつものことだと勝手に思っていた。スージンは話し合うことに意味がないっていったけど、意味があったでしょ?話し合ったおかげで、ようやく、ジグソーパズルが完成できた。私は私なりにスージンを理解しようと努力しているつもりだから、これからも、辛いと思うけど、話してね。どんなささいなことでもいいから思ったことを。

 スージンは何も言わなかった。私は、席を立ち、茶碗を流し台に持って行った。スージンは、寝室へ行き、いつものように、韓国のバラエティー番組をインターネットで見始めた。

 「あなたに気にかけてもらっている感じがしない」。これは7年前に付き合い始めたことからずっと言われてきたことだった。だったら、なんでスージンが私と結婚したのか今でも疑問なのだが、とにかく、言われ続けてきた。

 そして、私にも自覚症状が少なからずある。「良い大学に行きたい」から始まり「世間をあっといわす記事をかける新聞記者になりたい」「周りから尊敬される難民の専門家になりたい」、前々からキャリア志向が強かった私は、自分の未来を考えるので精一杯で、周りの人への気配りというものができない人間だ。

 付き合い当初、スージンは韓国から親に内緒で日本にわざわざ遊びに来てくれたのに、日本滞在最終日に、私と元彼女が一緒に写っている写真の整理を手伝わされた。スージンは顔を強張らせて、私に「こんなことしたくない」とメッセージを放ったのに、私は「なんで、そんな嫌々なの?自分のことを知ってもらえる良い機会だと思って写真の整理を一緒にしようと思ったのに」と逆切れした。そんな私を、スージンは見捨てることなく、韓国から通い続けた。

 主夫になって、私がスージンのことをどこまで知らなかったのかがわかる。デザートにチョコレートケーキをいくつか買っておいたのだが、全く、ケーキが減らない。「どうしたの?」と聞くと「私がチョコレートケーキ好きじゃないの、知らなかった?」と言われた。私が「今日の夜ごはんはカレー」と言うと、違うものをリクエストしてくるスージン。実は、カレーがそこまで好物じゃなかったということも初めて気づいた。

 隣人を想う心。主夫になって、初めて、自分は、人にとって一番大切なものを養わせてもらっているように思う。


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遠い国にいるからこその一期一会

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 生涯学習で有名なユーキャンが、なぜ、難民キャンプについての本を出すのか?しかも、ケニアやアゼルバイジャンにいながら、どうやって、ユーキャンと接触したのか?今回、出版に至った経緯をたどると、人間は、本当に意外なところでつながり、そのつながりが時に思わぬ結果をもたらすことがあるということを思い知らされる。

 2010年3月、日本からケニアに来た当時、難民キャンプでの仕事以外に、私にはもう一つの大事な任務があった。日本の難民支援団体で働く妻が、ケニアで働けるよう、人的ネットワークを作り、情報収集するということだった。そのため、私は、機会を見つけては、なりふり構わず、色々な人に連絡をした。たとえば、共同通信のナイロビ支局に電話をし「私は元毎日の記者で、ダダーブの国連機関で働くのですが、一度御挨拶させてもらえないでしょうか?」と言った具合に。向こうからしたら、「なぜ、別の会社で働き、難民キャンプで働く人が挨拶したいのだろう? 」と思っただろう。

 外務省の事業で派遣された身分だから、在ケニア日本大使館に挨拶に行った時も、しっかり名刺交換をし、「今度、ご飯でもいきましょう」と、社交辞令で言ってくれる方が何人かいた。一ヶ月後、500キロ離れたダダーブから、休暇でナイロビに来た際、 社交辞令を言ってくれた方に連絡し、ランチを一緒にし、世界銀行で働く友人Nさんを紹介してくれた。Nさんは、その日、日本から友人が遊びに来ており、昼食後、ナイロビの観光地を巡る予定だった。「黒岩さんも一緒に行きますか?」と誘ってもらい、私は、そのまま、「キリン公園」などを一緒にめぐった。

 2ヶ月後、ナイロビの国連機関の幹部職に日本人医師Kさんが赴任するという話を聞いた。顔の広いNさんも知り合いということで、「是非、紹介してください」とお願いした。Kさんは、うわさ通りの人格者で、「じゃあ、家に食事に来てください」と見ず知らずの私を招待してくれた。そして、3カ月後、妻がナイロビに遊びに来た時、「妻を紹介したい」とKさんに伝え、再び、家に招待して頂いた。その食事会には、私たち夫婦の他にも、世界銀行で働くMさん夫婦も来ており、名刺交換をした。Mさんは、2児の父で、さらに博士論文執筆中という多忙な方で、それ以来、あまりお会いする機会がなかった。

 1年半後、すでにナイロビの国連事務所で働き始めた妻は、南スーダンに長期出張に出ていた。私は1人でご飯を食べるのがさみしいから、できるだけ友人宅を梯子していた。ある日、同じアパートに住む友人Iさんが、「親子丼食べるか?」と誘ってくれた。しかし、Iさんは、一つ条件をつけてきた。「二人で食べたくないから、もう一人連れてきて」と。すでに午後4時。2時間前に呼んで、すぐ来てくれる人はなかなかいない。しかも、Iさんは、「家が狭いから、もう一人だけ。2人以上はだめ」と、さらにハードルを上げた。何人かに電話したが、もう予定が入っているなどと、断られ続けた。

 そこまでして親子丼食べたくないや、と思い、自分で料理を始めたら、ふと、Mさんのことが頭に浮かんだ。Mさんとは、会う機会こそあまりなかったが、私がジャーナリストの友人らと大使館で開催した東日本大震災の現場報告会に足を運んでくれたり、私が新聞に提言記事を載せた際は、メールで感想をくれるなど、私の活動をいつも応援してくれていた。Mさんに電話をしてみると、「丁度、今、家族が日本に帰ってまして、私も1人なんです。今からランニング行くので、ちょっと遅れますが、参加させてもらってもいいですか?」と承諾してくれた。

 Iさん、Mさんと3人で親子丼を食べながら、私は「誰か、出版社の友達いないですか?」と尋ねた。当時、私は、会う人、会う人に、同じ質問を繰り返していた。約1年ぶりに会うのに、いきなり商談を持ち出す私に、Mさんは辟易する様子もなく、「いますよ。実は、この友人から、アフリカについての本を出さないか?って相談されていましてね」と言うではないか!「じゃあ、是非、紹介してください」とお願いし、Mさんは、早速、次の週に、メールでユーキャンのSさんを紹介してくれた。

 昨年10月、私が一時帰国した際、Sさんと、高田馬場のコーヒー屋で初対面。ダダーブの写真などを見せながら、話していると、Sさんは「世界最大の難民キャンプで頑張る日本人の話は面白いし、一般の人が読んで元気をもらえそうな気がします。来年の4月ごろ出版でいきましょう」となり、とんとん拍子で話は進んでいった。

 「遠い国にいるのに、なぜ、日本でネットワークができるのか?」と聞かれることがあるが、私は遠い国に「いるのに」ではなくて「いるからこそ」できると思っている。確かに、外国に日本の出版社はあまりないわけで、日本にいた方が売り込みやすいかもしれない。しかし、出版業界も結局は誰かの紹介がないと売り込むのは難しいわけで、紹介してくれる人をどうやって見つけるかが大事になる。

 ナイロビを去る前の一週間、私は3年間の滞在でお世話になった様々な人にお別れを告げた。新聞社、国連、大使館、ジャイカ、旅行代理店、NPOで働く人や、紙袋を作る会社役員、フリーカメラマンや主婦など。東京に住んでいたら、こういった多岐の分野で活躍する人と一度にネットワークを作るのは難しい。しかし、離れた外国で暮らすと「ああ、あなたも日本人ですか」と言うだけで挨拶する理由になり、ネットワークの幅は逆に広がりやすい。これからも、「ああ、あなたも日本人ですか」で得られる一期一会を大事にしていきたい。

 それにしても、Iさんの「お前と二人で飯は食いたくない」の失礼極まりない一言が、本出版を導き出すとは。影の殊勲者だ。

日本語がわからなくても本は書ける

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私が本格的にものを書き始めたのは、10年前。タイの難民キャンプに行った時だった。20年近くある難民キャンプに10万人以上の難民が暮らしている現実が受け入れ難く、そこで暮らす人々との会話があまりにも刺激的で、自分の胸の内だけに留めておくことができず、家族に読んでもらおうと、パソコンに向かい始めた。その文章が、東京のビルマの民主化支援団体のニュースレターに掲載され、「伝える」醍醐味を実感した。出版社にツテがある母親が、その文章を売り込み、2009年に出版された。17ページのあとがきを、なぜか私の母親が書くという、奇妙な本で、明らかに、母親におんぶにだっこされた出版だった。

毎日新聞に入る時も「難民の現状を紙面で伝えたい」と面接試験で言ったものの、日本語教育が中学で終わっている私の日本語知識は乏しく 、最終面接直前に配られたアンケートで「座右の銘」の意味がわからず、困り果てた。試験官に「『ざうのめい』ってなんですか?」と尋ねると「自分で考えてください」と言われた。「自分で考えられないから聞いているのです」と言おうとしたが、選考過程に悪影響が出たらまずいと思い、やめておいた。

そのアンケートは面接の待合室で配られ、他にも数人、面接待ちの受験者がいた。アンケート配布前までは、「緊張するねー」「他にはどんなところ受けているの?」などと、仲良く会話をしていたから、もしかしたら、「ざうのめい」の意味を教えてくれるかと思い、彼らに目線を向けた。そしたら、偶然か必然か、全員、アンケートから目を離そうとしなかった。私が試験管に質問した時は、間違いなく、こちらに目線があったにも関わらずにだ。「せっかく最終面接まできたのに、変人と関わって、落とされたら困る」とでも思ったのだろう。人間とは無情なものだ。

結局、「ざうのめい」は空欄で出し、幸い、面接でそれに関する質問はなかった。適当に「犬」とか書こうかと思ったが、やめといて正解だったと、後からわかった。

こんな私が、毎日新聞に合格したのは奇跡としか言いようがない。

そんな奇跡を起こして入った毎日新聞を3年半でなぜ、辞めたのか?難民問題を書きたくて入ったのだが、入社半年後、私はNPOや人権担当ではなく、警察担当を希望していた。 殺人事件などは世間の関心も高く、警察官は、一番、情報を取ってくるのが難しいことから、「事件記者」は新聞社でも花形的存在。「海外の支局に行きたかったら事件で特ダネ書け」と上司から言われ、実際、難民救済キャンペーンでアフリカなどに取材に行く記者は、警察や検察を担当して活躍した記者が多かった。自然と、「俺も、事件もので特ダネを書かなくては」と思うようになっていった。

記者2年目になると、「最低月に一本は全国版に記事を掲載する」と勝手に自分で自分に重圧をかけた。(地方支局の記者は、全国版に何本独自記事を掲載できるかで力量が問われる)いつのまにか、私は、入社当時抱いていた「難民の現状を伝えたいから書く」という原点を忘れ、「全国版に載せたいから書く」という態度になってしまい、取材対象者と十分な意思疎通をとらず記事を掲載し、気分を害してしまうことまであった。

 「自分が本当に書きたいと思うことを、書けるようになりたい。自分が心から感動したことを、他の人に伝えられるようになりたい」。2009年9月、毎日新聞を退社し、2010年3月、アフリカの世界最大の難民キャンプの国連事務所に入った。(続く)

(注: 伝えたいものを伝えられなかったのは、あくまで、私個人の問題、人間の弱さとか記者としての非力さとかで、毎日新聞という組織に問題があったということではない。事件記者が花形になるのは、警察組織で刑事が花形であるのと同じこと。毎日新聞は、記事の書き方を一から教えてくれた恩人であり、退社して3年半たった今でも、元先輩や同期たちから、さまざまな助言を頂いている)

本発売まで後10日

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 ついに、このブログで綴った記事が、4月26日に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」と題し書籍化されます。当日は、午後10時からBS11、「宮崎美子のすずらん本屋堂」で紹介されることになりました。『世界から猫が消えたなら』の川村元気さんらが出演予定です。

 すでに、アマゾンや楽天でも予約受付を開始しております。楽天では、難民キャンプの工場で撮影した動画メッセージも見ることができます。

 http://books.rakuten.co.jp/rb/%E5%83%95%E3%81%AF%E3%80%81%E4%B8%83%E8%BC%AA%E3%81%A7%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%92%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84-%E9%BB%92%E5%B2%A9%E6%8F%BA%E5%85%89-9784426604905/item/12262655/

 http://www.amazon.co.jp/%E5%83%95%E3%81%AF%E3%80%81%E4%B8%83%E8%BC%AA%E3%81%A7%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%92%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84-%E9%BB%92%E5%B2%A9%E6%8F%BA%E5%85%89/dp/4426604907/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1366175195&sr=8-2&keywords=%E9%BB%92%E5%B2%A9%E6%8F%BA%E5%85%89


 どうか、よろしくお願いします。

生まれて初めての無料ステーキ

無料ステーキ
 ホテルの試食会は12時半と聞いていたので、12時15分くらいに着いたら、すでにハンズとジョンがロビーに座っていた。ホテルは「フェアモント」という北米を中心に世界進出する高級ホテル。

ホテルは、バクー市中心部にある「フレームタワー」(火の塔)という、30階建の炎の形をした三つのビルにある。アゼルバイジャンは「火の国」を意味し、2007年に約350億円の予算で建設が開始されたフレームタワーは、同国の経済発展の象徴的存在だ。夜になると赤いライトが建物の側面に照らされ、闇の中に炎が燃え上がるようになる。

完成間近の建物に入ると、これまで見たことのない高さの吹き抜け天井で、シルバーのシャンデリアに圧倒される。アゼルバイジャンの石油バブルで、ヒルトン、フォーシーズン、マリオットなどの大手ホテルがここ数年でバクーに開業した。フェアモントも今夏の開業を前に、試食会を開き、ホテルの支配人と知り合いのハンズが招待されたのだ。

 ジョンは前日同様、あごひげは健在だったが、もみあげとあごひげをつなげていた頬にあった毛はきれいさっぱり剃られていた。さらに、茶色の背広を着用し、「あれ?今日は見違えるね」と言うと、「一応、高級ホテルの試食会だからな」と、自慢のあごひげをさすりながら答えた。

 私も、前日のポロシャツ姿から一転、白いワイシャツにオレンジのカーディガンを着た。少しして、ロッドニ―が到着。グリムは別件の用事で来れず、4人でレストランへ入った。受付の女性が「わあ!男性の方たちに来ていただいて、とても嬉しいです」と挨拶。店内を見回すと、レストランは端から端まで「マダム」たちで占領されていた。50人はいるだろうか。先週のお茶会で見た顔も何人かいる。今日は金曜だから、おそらく、午前のお茶会の後、そのままこちらへやってきたのではないだろうか。

 私たち4人は、隅の窓側の席を陣取った。「あの4人は仕事していないのかしら?」という目でマダムたちから見られるのかと冷や冷やするが、ハンズは全く動じた様子がなく「私たちがいなければ、ホテルは、男性の視点での評価を聞くことができないのだから、貴重な存在だよ」と胸を張る。メニューには、スープやサラダ各種、サーモン、ジャンボエビ、サーロインステーキなどがあり、「これ、いくつオーダーしても無料なの?」と思わず、聞いてしまう。

アゼルバイジャンの1人当たりの国民総生産は1万ドル(約100万円)と、それほど高くないが、石油バブルのおかげで、高級ホテルやレストランは、すべて「オイル富豪」をターゲットにしているため、おそろしく高い。日本料理屋の味噌汁一杯が700円、ご飯が500円とかする。ボーリングは一ゲーム1100円。(その代わり、一般の庶民向けのものは安い。バスや地下鉄は何キロ乗ろうが一回20円だし、パンは私の胴体サイズのものが100円)。

「こんなところ無料で来たなんて言ったら、妻に怒られるよ」と私が言うと、ジョンは「怒ったら『あなたが家の大黒柱でしょ』って言ってあげなよ」(笑)と言い、ハンズは「写真見せてあげればいいじゃないか」と適当だ。

 「午後は車で子どもを迎えに行かなければいけないから」とジョンとハンズは、お酒の飲めない私と同じクランベリージュースを頼み、ロッドニ―はコーラ。おじさん4人が高級レストランでジュースで乾杯か、、、。

 ロッドニ―は「アスパラガススープなんて生まれて初めて食べたかも」と感動し、私のステーキも、口の中で肉の脂身が広がる感じで、思わず目をつぶってしまった。生まれて初めての無料ステーキ。主夫最高!

 食後のデザートにはプリン、チョコレートケーキ、アップルタルトなどがあり、どれも甘すぎず、美味しかった。ロッドニ―は、デザートが出る前に「やばい!子どもが幼稚園を終える時間だ。迎えに行かなきゃ」と席を立った。2児を抱えるジョンも、「あと一時間くらいで迎えに行かないとな」と、しっかり仕事は忘れていない。

 デザートの皿を引き下げると、ウェーターが試食の感想を聞くためにアンケート用紙を持ってきた。テーブルに一枚だけだったため、私は「私とジョンが同じ意見だとは思わないから、各自に一枚ずつにしてください」とお願いし、ジョンはケラケラ笑っている。

 アンケートは、味、サービス、雰囲気などを10段階評価する欄があり、その下に「サービスは記憶に残るものでしたか?」「何か足りないものはありませんでしたか?」などの質問がある。

 ジョンは、神妙な表情で、一つ一つ記入していた。「記憶に残るもの」の項目には「残らなかった」と記していたので、「なんで?」と尋ねると、「記憶に残るサービスっていうのは、スープをズボンの上にこぼされた時のサービスを言うものだ」と返答し、さらに「足りないもの」の欄には「男性客」と記していた。

 私は、ジョンと別々の紙にして正解だったと胸をなでおろしたと同時に、無料で試食させた対価を受け取ることができなかったホテルに深く同情した。

メタボ主夫にはならない


 主夫会は木曜朝9時から、私の家から徒歩10分のカフェであった。9時に歯医者の予約があった私は、9時半ごろに到着。店内の黒いソファーにハンズら白人男性4人が座っているのが見えた。

 まず、ハンズに「ハーイ」と握手をし、その後、1人1人と握手を交わした。BP(英国石油会社)でワイフが働くアメリカ人のロッドニ―とスコットランド人のグリン。ワイフが英語教師をしているイギリス人のジョン。皆、40代から50代くらいだろうか。ロッドニ―は灰色のフリースに野球帽子、ジョンは厚いあごひげに黒いダウンベスト、グリンはリーボックの黒ジャージ姿。ブランド品のコート、サングラス、アクセサリーを身に付ける人が多かった先週の「お茶会」とは様変わりで、リラックスした雰囲気だ。

 私と同じ時期にアゼルバイジャンに来たロッドニ―が、滞在6年になる古株のジョンやグリンに「今度、デンマークに旅行に行くのだけど、どの航空会社がいいかな?デンマーク人で知り合いはいない?」などとアドバイスを求めていた。

 ロッドニ―は「アメリカでは映像作成の仕事をしていたけど、今は、失業者になったよ」と苦笑いをしながら、「ここでは、フリスビーゴルフをアゼルの子どもたちに教えたい」と言いだした。フリスビーゴルフは、ゴルフの球の代わりにフリスビーを投げ、ホールの代わりに、カゴに入れるというゲームで、私も米国滞在時にやったことがあった。「でも、カゴはどうするの?」と尋ねると「今、アメリカから郵送しているところ」とかなり本格的。「とにかく、何か自分ができることを見つけないと」とワイフに付き添ったために仕事ができなくなったもどかしさを吐露した 。

 私が「テニスをやる人はいる?」と尋ねると、グリンが「やるよ」と言う。「じゃあ、今度、平日の昼間にどう?」と誘うと「いいねえ」と電話番号を交換した。とても日常的なことに思えるが、先週の「主婦会」では、男女の壁が立ちはだかり、誰の連絡先も聞く勇気が出なかった。一度、アメリカ人男性と韓国人女性カップルと私たち夫婦で夕食をしたことがあり、韓国人女性が「昼間は彼が働いているから何もすることがない」と言った。そこで、私が「今、ハングル習っているんで、今度、話し相手になってください」と言ったら、男性の表情が若干強張ってしまい、結局、私は彼女の連絡先さえ聞かなかった。だから、グリンみたいに気軽に平日の昼間にテニスができる人がいるのはとても嬉しい。

 ジョンは、ロンドンで不動産コンサルタントをやっていたが、ワイフが英語を教えていたアゼル人から「私の国で英語を教えてください」と誘われ、6年前に2人の子どもを連れてアゼルに来た。資源大国のアゼルでは、BPなどの欧米メジャー会社が一番人気な若者の就職先になっている。先日出会ったアゼルの大学生は「BPで働きたいから、子どものころから家庭教師をつけて英語を学んできた」と言っていた。地下鉄のホームには英語学校の大きな広告が張られている。ジョンは「未知の世界だし、イギリスで英語教師やるよりも、待遇が数段良かったから、来ることに決めた」と話した。

 「女性に付いて行くことには何も抵抗がなかった?」と尋ねると、ジョンは「まあ、最初は一年だけの滞在のつもりだったから、リフレッシュするには良い時間かなと思った」と言う。しかし、ロンドンよりも生活費がかからない上、給料が高いことから、「貯蓄の増え率が上がったし、子どもたちもここが好きみたいだし、なかなか戻る決心ができなかった」と主夫歴6年になった経緯を明かした。

「毎日どんな日々を過ごしているの?」と聞くと「買い物かな。6年前なんて、今の様にスーパーがどこにでもあるような環境じゃなかったから、食材の購入だけでも、結構時間がかかったよ」と言う。(アゼルは、石油とガスの輸出で、世界でも有数の経済成長率を誇っている。1人当たりの国民総所得は約1万ドルで、2003年に比べ約10倍)

 6年も主夫をやるつもりはなかったけど、妻の待遇が良いことから、現実的な選択を取ったジョンの気持ちはよくわかる。おそらく、他の3人も世界最大規模の石油会社で働く妻の給料が良いということが主夫になった一因なのではないだろうか。

私も、主夫を長年やろうなんて思ってもいないし、どこかの段階で働けたらいいなと思う。しかし、そのためには、妻よりも良い待遇の仕事を見つけなければいけないのだが、納税義務がない国連職員の給料は、毎日新聞時代の私の給料とは比べものにならない。それこそ、ベストセラー作家にでもならない限り「俺についてこい」とは言えないだろう。

 改めて主夫一同を見渡すと、変な傾向に気づく。主夫歴2ヶ月の私とロッドニ―はやせ細だが、主夫歴2年のハンズは少しふっくらし、6年のジョンのお腹は明らかなメタボだ。これはひょっとしたら、「主夫メタボ―コース」みたいなものがあるのかと不安になった。

ハンズが「明日の昼、開業直前の高級ホテルでランチの試食会があるのだけど、行かないか?」と言ってきた。私は思わず「え?試食会?無料で食べられるの?」と聞き、「ああ。無料だ」とハンズは得意げに言い、ジョンと私は「行く行く!」と声を合わせた。

その瞬間、「主夫メタボコース」の修了者ジョンのお腹が再び私の視界に入り、「主夫会は参加するけど、このコースの受講生にはならない」と心に決め、午後はジムに行くことにした。

アゼルの主夫会


 次の日、ハングル講座を終えて、待ち合わせ場所へ向かった。日本と同じ四季があるアゼルにも春の訪れを感じされる暖かさで、半そでの人も見かけられた。

 マクドナルドが見えてくると、入り口10メートル手前に、白人男性が1人で立っているのが見えた。金髪に白髪が混じり、緑色の半そでシャツにジーンズを履いている。頭髪のフサフサ感に陰りがあり、想像した通りの年代に見える。

 私が歩み寄って「ハンズ?」と話しかけると、「ああ。ヨーコーか?」と右手を差し出してきた。「日本料理は好き?」と尋ねると、「いいね」とハンズは言い、近くの「ザクラ」という日本料理店に向かった。

 ハンズは、オランダ出身の50歳。なんと、私が卒業したユトレヒト大学が母校という。ワイフが、BP(英国石油会社)で働き、ハンズが家事や二人の子どもの育児を担当しているという。 「育児といっても、すでに14と15歳だから、学校ですぐ友達作って、逆に、こっちが遊んでくれって頼まないと、遊んでもらえないよ」とおどけて見せた。

 私が、アンに電話をしたら躊躇されたことを話すと、「私も、友人に誘われて、あのお茶会に1年前くらいに参加したことあるけど、馴染めなかったな。20人くらいの女性が100人くらいに見えたよ(笑)。なんか、『女性の会』みたいな雰囲気が醸し出されていたし、『あなた男性なのに、働いてないの?』みたいな目でも見られるし、、」と言い、私は「あー。わかるわかる。その気持ち」と、救われる思いになった。

 
私:どういう経緯で主夫になったの?

ハ:これまでは、イギリスやフランスなど20年くらい、色々な国を転々としてきたけど、妻がアゼルに赴任することになって、ここは配偶者に就労ビザが出にくいし、英語もあまり通じないから、少し、一息入れるのもいいかなと思ってね。

私:これまではどんな仕事を?

ハ:イギリスの医療関係の会社で管理職だったのだけど、とにかく激務だった。だから、こちらに来て、何もすることがないのに最初は戸惑ったよ。

私:こちらではどんな日々を?

ハ:通信教育で、コンピューター管理の資格を取ったり、アゼル語を学んだり、ジムに通ったり。家事もやっているよ。妻の帰りが遅くなることが多いから、基本、夕食作りは私だよ。
私:私の妻は5時半くらいには帰ってくるので、夕食は一緒に作ることが多いな。

ハ:それは羨ましい。

私:オランダでは、「主夫」という概念は浸透している?

ハ:そうだね。男性が育児休暇を取ったり仕事をパートタイムに切り替えて育児を女性と分担するのは普通だよ。私は、子どもが小さい時もイギリスにいて、1年半くらい仕事せずに育児に専念した時期があったけど、その時は、周りの男性から羨ましがられたよ。「自分も子どもとの時間を作りたいのに」ってね。「だったら、そうすればいいだろ」って言ってあげたよ。

私:日本では3年前、東京のある自治体の首長が2週間の育児休暇を取り、「育児休暇を取得する日本で初の首長」という見出しで、全国紙の一面トップで報道されました。テレビのトークショーでも話題になり、「革新的」と好評価も多くありましたが、「首長として他にやるべき仕事があるのではないかな」と批判的な女性コメンテーターもいました。ある男性著者のプロフィールには「育児休暇を取得したことがある」と書かれるなど、男性が育児休暇を取ることがどれだけ稀なのかがわかります。

ハ:へえ。オランダだったら、逆に、日本でそれが一面トップで報道されるということがニュースになるかもな(笑)。そしたら、君はかなり変わり者だね?(笑)

私:「アゼルではどんな仕事をしているの?」とアゼルの人によく聞かれるのですが、何て答えている?

ハ:定年ですとか、妻が働いているとか、適当に言っているよ。みんな、目を丸くするけどね。

私:周りからは変な眼でみられるし、お茶会に行けば、女性ばかりで馴染めないし、主夫はつらいね。

ハ:うん。私も最初は心細かったよ。私はマージャンが大好きで、マージャン倶楽部が木曜昼にあるのだけどね。女性ばかりかと思うと、足が遠のくよ。他にも3,4人、主夫がいて、毎週木曜朝にコーヒーを飲んでいるのだけど、良かったら、来てくれよ。

私:へえー。「アゼルの主夫会」ですね。他の人はどの国出身なのですか?

ハ:アメリカとかイギリスだね。

私:ちなみに、私と同世代の人は?

ハ:いや、みんな、私と同じくらいだよ。お年寄りと混じるのも、いいじゃないか(笑)。

私:ええ。是非。

 話は、アゼルバイジャンの見どころや、ハンズが日本に行った時の話など、盛り上がり、昼食後は、近くのカフェでお茶をし、2時間半があっという間に過ぎ去った。

 別れ際、「週末にうちで食事会を開くこともあるから、是非、一度、夫婦で来てくれよ」と固い握手を交わした。

 「主夫」という超マイノリティーに属し、虐げられる分、仲間を見つけた時の結束は速い。また、主夫の楽しみが一つ増えた。

男性が参加できないお茶会とは?


 「アゼルバイジャンで暮らす外国人のためのガイドブック」という英語本がある。どこに行けば何が買え、家、病院、学校探しのコツから、サッカーやテニス、チェスやマージャン倶楽部まで、どこで何が開催されているかが詳細に書かれている。「友達を作るには」という章もあり、そこには、誰でも参加できる「歴史を学ぶ会」、読書会、ボランティアグループなどが紹介され、「毎週金曜日午前10時半からは、誰でも気軽に参加できるお茶会がある」とも書かれていた。平日夜や週末は家族の時間にしたい主夫にとって、平日昼間に自分のネットワークを広げる絶好のチャンスだと思い、本に書かれている電話番号に連絡してみた。

私:私はヨーコーと言いますが、アンさんですか?
ア:はい、そうですが。

ブリティッシュアクセントの英語で、40-50代と思われる女性の声だった。

私:ガイド本でアンさんの電話番号を見つけたのですが、毎週金曜のお茶会は明日もあるのでしょうか?

ア:、、、、、。ありますが、、、、。

アンは、何かを躊躇っているようだった。

私:明日、参加してみようと思うのですが。

ア:ええ、、、。ただ、参加者は全員女性なのですが。

私:誰でも参加できるとガイドには書いてあるのですが。

ア:ええ。まあ、女性限定というわけではないのですが、15人くらいの女性の中に、男性1人というのも心細いかなと思いまして。一度、男性1人が参加したことがありましたが、あまり、楽しめなかったようで、それ以降は来ませんでした。あなたはアゼルバイジャンで何をしているのですか?

私:妻が国連で働いています。

ア:そうですか。明日は、私は参加できないのですが、とりあえず、行ってみてください。最初、皆、驚くかもしれませんが、「国連で働く妻の連れ合い」と紹介すれば、大丈夫だと思います。私たちはこの他にも、国際女性クラブというのを主催しておりまして、それに参加していただいても大丈夫ですよ。何なら、情報をすべてメールに送らせていただきますね。

 アンから送られてきた金曜のお茶会のチラシには、「外国出身の女性、誰でも大歓迎」とあった。ガイドブックには「誰でも」と書かれていたのに、なぜ?

 アンの応対からして、このお茶会に男性の出現は想定されておらず、私が行けば、かなり場違い的な雰囲気に包まれる可能性がある。

 私は、次の日、ハングル講座を終え、午前10時40分ごろ、お茶会の会場に足を運んだ。会場は、バクー市中心部の噴水公園にあるカフェ.4階建てのビルの屋上外にソファとテーブルが連なっている。

 ドクン、ドクンと胸の鼓動がなる。路肩爆弾が爆発する難民キャンプにいたときでさえ、こんな緊張感はなかった。

屋外テーブルには誰もおらず、カフェの入り口まで歩くと、ガラス越しに、40―50代と思われる白人女性十人ほどが、中でお茶しているのが見えた。店内には彼女たちしかいない。間違いなく、これがお茶会だ。無論、彼女たちは、私に気づいていないし、私が、この会のために来ているなんて思っていないだろう。今なら、引き返すことも可能だ。60を超えていそうな婦人も数人おり、明らかな世代間ギャップにもとまどった。白人の中年女性の中に、1人アジア人の30代男性が混じるのが想像できず、少し、入り口近くで立ち止まり、深呼吸した。一人前の主夫になるには、越えなくてはいけない壁なのだと、自分に言い聞かせ、カフェに入った。

作り笑顔で女性たちのテーブルに近づいた。まず、40代くらいの白人女性と私と目が合い、笑顔で返してくれた。私が「ハーイ」と言いかけると、それまで後ろ向きに座っていた別の白人女性が振り向き、「ヨーコー!」と言う。3週間ほど前、妻を通して知り合ったオランダ人のゲルマだ!まさか、知り合いがいるとは思っておらず、私は、思わず、ゲルマを指差し、「オー!」と声をあげた。おかげで、ゲルマの周辺に座っている女性たちが、「こちらへ座ったら」と、私のスペースを作ってくれた。

ゲルマの夫がアゼルのヨーロッパ連合代表部の職員で、「インターネーション」という、新天地で暮らす外国人同士の出会い系ネットワークを通して、ゲルマと私の妻が知り合い、夫婦二組で夕食を共にしたのだった。

ゲルマが周りに座る女性たちを紹介してくれた。夫が石油関連会社で働くカナダ人女性。夫がBP(英国石油会社)で働くイギリス人女性。(アゼルは国内総生産の五割が石油と天然ガスの資源大国)夫が四つ星ホテルの支配人の南アフリカ人女性、夫がドイツ人外交官のカザフスタン人。私が、アンに電話し、驚かれたことを伝えると「そんなの気にすることないわよ。誰でもウェルカムだから」と言う。孫が5人いるという英国人女性からは、「2年もこの会合に来ているけど、男性は初めてみるわ。よく来てくれたわね」と言ってくれた。

アゼルの前はどこにいたか聞かれ、「ケニア」と答えると、「いいところね!楽しかったでしょう?」と言われ、「、、、、。私は、難民キャンプにいたので、楽しいということはありませんでした」と答えると、「難民キャンプ?どんなところなの?どうやって生活しているの?」などと、色々と質問してくれた。キャンプには大きな市場があると言うと「その資本金はどこからくるの?店を経営するとき、税金はどうしているの?」などと、友人からも聞かれないような専門的な質問が飛び交った。

話の回転は速く、その後、カナダ人がタイやビルマへダイビングに行った話をし、イギリス人が、横断できない道路を横断してアゼル警察に罰金を払わされた話をし、カザフスタン人の登山体験など、多岐に及んだ。私も、週末にアゼル北部に旅行に行くことや、ケニアで登山してヘリに救出された話などをして盛り上がった。

それでも、電話でアンの戸惑った声が頭に残った。私が南アフリカの女性に、いつごろアゼルへ来たのかなど色々尋ねて、話の流れに自分を入れてもらおうとしたのだが、2、3分で彼女が反対側のグループへ顔を向け、そちらの話題へ入っていってしまった。普段なら気にならない行為でも、「私が男性だから避けられているのか?」などと感じてしまう。

気づいたら、時間は正午を過ぎ、支払いをして、店外へ出た。ガイドブックには「お茶会の後は、ランチへ出かけることが多い」と書いてあった。しかし、私は、カフェを出た瞬間、肩の力が抜けるような開放感があり、真っすぐ家へ帰った。

ビルマの話題が出た時、自分のビルマ難民とのかかわりについて話そうかと思ったが、彼女たちが「あそこでのダイビングは凄いわ」などと別世界の話に花を咲かせていたため、切り出すタイミングを逸してしまった。

電話でアンが、「男性も来たことがあったけど、次からは来なくなった」と言っていたが、その男性の気持ちが少しわかる気がする。「平日の昼間から他人の妻と遊んでいる夫」みたいな目で見られるのも嫌だなという思いがあった。

「専業主夫」の居場所のなさを痛感し、次のお茶会に行こうかどうか迷っている時、一通のメールが届いた。

「アンから君のアドレスをもらいました。私も、妻が働いていて、君と同じような立場にいます。もしよければ、今度、コーヒーでも飲みませんか?ハンズ」

アンが、私のことを気にかけて、別の専業主夫に連絡してくれたのだ。「ハンズ」という名前から、ドイツか、その周辺国出身の男性であることを想像し、私は、早速、ハンズに電話してみた。

私:メールを頂いたヨーコーです。
ハ:ああ。元気かい?
私:はい。コーヒーのお誘いありがとう。いつなら都合がいいですか?
ハ:明日でも、明後日でも大丈夫だよ。
私:じゃあ、明日の月曜日、私のハングル講座が12時半に終わるから、その後はどうですか?
ハ:いいね。それでは、昼ごはんを一緒にしよう。
私:わかりました。じゃあ、12時45分に、噴水公園で。
ハ:噴水公園のどこかな?
私:マクドナルドの前はどうでしょう?
ハ:それなら簡単だ。それでは明日。

 低いトーンの声は、私より一世代上の感じをさせた。英語はネイティブ並みで、外国生活が長いことがうかがえる。アゼルバイジャンという辺境地で、同業者を見つけたうきうき感と、変な人だったらどうしようーという、不安感が交錯した。

反響特集

前回の記事への反響が量、質ともに、他の記事を圧倒したので、少し紹介させていただく。
まず、知人女性から「私は日本人男性と結婚しながら、海外で国際協力に従事しているが、私が、その『たったの1人』なのか?」というメッセージが。すいません。結婚したことは知っていたのですが、その後、キャリアをどうするか知らなかったので、96人にカウントしていませんでした。なので、前回の記事を訂正し、97人中、既婚女性9人、内、相手が日本人男性は2人になりました。

その他、「男性目線から、こういう記事を書いて頂いて、本当に嬉しいです」「先人となって良い例をつくって」というエール。さらに、「自分も女性に付いていきたいタイプ」という男性は「どこでもできる仕事を男性が持つことが大事」と指摘した。

一番、熱のあるコメントを30代女性(独身)の国連職員の方からいただいた。

「私たちのようにバリバリ働いているキャリア女性が実は結婚したい願望が結構強いってのは実際そうなんだけど、だからって、『ついてきてくれるタイプがいい!』かっていうとそれまた別の問題だったりするのよね。どっかで『男性も責任のある仕事があってばりばり働いている人がいい!』と思っちゃう。お互いが切磋琢磨して上にいきたいというか。私も前の彼はキャリア志向なくて『ついてきたいタイプ』で、君の行くところにどこでもついていくよって行ってくれてこれはうまくいくといいなと思っていろいろ努力はしてみたんだけど、なんか喧嘩になると『誰が食わしてやってると思ってんだ』ちゃぶ台バーンみたいな心境になる(いやまじで)自分の醜さがいやだわーと思ってうまくいかなかったし」

なるほどーと思った。要するに、「ついていく主夫/主婦=収入ない=責任ない=刺激ない」のイメージを払拭しなくてはいけないということか。私は、スージンが「誰が食わしてやってると思ってんだ!」と言ってきたら「誰が家の管理していると思っているんだ!」と怒鳴り返す事ができるくらい、「主婦/主夫」は重責を負っていると思う。単なる掃除、洗濯、料理、買い物だけじゃない。英語がまともに通じない異国の地。スーパーでどれがシャンプーかリンスかもわからず、迷子の子どものようにしゃがみ込んだり、「卵」を買うために、八百屋の親父に、両手をバタバタと広げて鶏の真似をし、親指と人差し指で作った「○」を股間に当てたり。限られた「めんつゆ」を節約するために、昼に食べたそばの汁を、夜のカツ丼に使ったり。体調崩しがちの妻が、運動不足解消できるように、彼女が好きな水泳ができる場所がどこにあるか調べ、料金比較をしたり。

既婚男性の方は「子どもが出来たらなかなかヒモも忙しいと思いますけどね」というコメントをくれた。

全くその通りだ。「子育て」ほどの責任を伴う「仕事」はないと思う。私は11人の叔父で、姉や兄たちの苦労を間近で見てきた。そこで、私は、子育てをしていても「ヒモ」と呼ぶことができるのか疑問に思い、ネットで検索してみた。 そしたらなんと、「ひも」は

「女性に働かせ、金銭を貢がせたり、女性に養われている情夫をいう。 婚姻関係にある場合は女性の稼ぎで生活していてもひもと呼ばない」

なにーーー!!俺、ヒモじゃなかったのか!!ブログタイトルどうしよー(涙)。

しかし、この定義こそ、「主夫/主婦=責任ある」と間接的にほのめかしているではないか。世界の主婦/主夫の皆さん。「誰に食わしてもらってんだ!」とちゃぶ台を投げられたら 「誰に子育てしてもらってんだ?」とちゃぶ台を投げ返してやりましょう。もしくは「お前に、八百屋で鶏の真似ができるのか?」と真似をさせてください。

ちなみに、私の統計で、一つ書き忘れていた事が。97人中、50歳以上は8人で全員男性既婚者。サンプルが少なすぎて一概には言えないが、配偶者が見つかりにくい女性に比べ、男性は、海外の現場で長続きできている傾向があり、これこそ、「主婦/主夫パワー」をほのめかすものではないだろうか?
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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