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やっぱり日本に馴染めない日本人

今年2月、ナイロビを旅立つ前、私たち夫婦のお別れ会をやった際、参加者約30人の9割以上が日本人だった。一方、3週間前、新居披露パーティーをやった際は40人集まり、出席者の国籍の数は20を超え、南極以外の6大陸すべてを網羅した。その中に日本人はたったの2人。ケニアからアゼルへ移り、私の友人層が一気に国際化した。

新居祝い

新居祝い2
(パーティー終了後も何人か居残ってくれた)

在留邦人の数がケニアが600人、アゼルが30人だから、日本人の友人が減るのは当たり前と言えば当たり前だ。でも、なんか、それだけじゃない様な気がしてならない。

主夫になってもうすぐ1年。私が「主夫」であることに、色々な国の人が色々な反応をしてきた。改めて、それらの反応を振り返ると、主に、下の四つの種類に分けられる。

1.賞賛。

私の「ハウスハズバンド」と書かれた名刺を見て「おもしれー」と喜んでくれる人。家の冷蔵庫に名刺を張る友人までいた。国際機関で働く日本人女性からは「救われる思いです」というメールを頂いた。本当は世界の色々な現場で働いてキャリアを積みたいが、その思いを夫に伝えることができないという。

2.「あなたは主夫じゃない」と評価したがる人

「ようこうさん、もっと家事やった方がいいんじゃない」(30代独身女性)

「え?じゃあ、主夫って言っても、朝ご飯作りと買い物だけってこと?」(長姉と三姉)

「私なんか、今日の朝も洗濯してきましたよ」(20代独身男性)

私が週に一度家政婦を雇い、掃除、洗濯をしていないこと。講演や韓国語の勉強、そして広島カープ応援のために、妻を一人残して、日本やカンボジアに行ったこと。夕食作りを妻に手伝っていることなどから、「あなたは主夫じゃない」とよく言われる。

3.「どうやって食べているのか?」と探りたがる人

「今、スージンに食わしてもらってんのか?」(三兄)

「印税生活ですか?」(50代日本人男性)

仕事探しているなんて一言も言っていないのに、「仕事は何か見つかりましたか?」(60代日本人男性)

4.完全否定、もしくは見下す人。

私の韓国語の先生(40代男性独身)は、「私は主夫です」と書いた文章を見て、『主夫』という部分を消し、「家事をしている」と書き直した。先生は「あなたは難民キャンプで働いていたでしょう」「本も出しているでしょう」と私が主夫であることを完全否定しようとした。8月にあった浜松での講演では、男性参加者に「あなたは男のロマンはないのか?難民キャンプへ戻って働いたらどうか?」と尋ねられた。そして、3週間前、妻の同僚たちとのパーティーに参加した時は、アゼル人男性から「男が女に養ってもらう事は日本では大丈夫なのですか?」と言われ、「アゼルでは絶対だめですよ」と駄目人間扱いされた。

で、この4種類の反応の主を国籍/性別で分けると、さらに面白い。

まず、賞賛の反応をするのは、欧米人(男女全般)か、日本人女性。

評価をしたがる人は、日本人、韓国人の男女全般。

どうやって食べているのか探りたがる人は、日本人男性かアゼル人男性。

否定したがる人は、日本人男性、韓国人男性か、もしくはアゼル人全般。

まず、賞賛するのは私が定期的に遊ぶ友人たちで、新居祝いに来てくれた人たち。主に3グループあり、私の寿司教室に来たイギリス人男性が招待してくれたホームパーティで知り合った、BPで働く30代前後の若者グループ。アメリカ、コロンビア、マレーシア、ベネズエラなど、9人くらいの多国籍グループで、今週だけで3回会う予定になっている。次に、スージンの同僚のパキスタン人女性のグループ。カナダやルーマニアなど、6人ほどの多国籍グループで月に1、2回会う。そして、毎週木曜に会う主夫会のメンバーたち。無論、これも多国籍だ。

新居祝い3
(BPで働く友人たちと私たち夫婦)

次に、2、3、4番。

つい先週も、韓国人の友人と食事をした時も、「え?家政婦来ているの?それじゃ、主夫じゃないじゃない」と言われたばかり。「主婦/主夫」に課せられる社会的義務の度合いが、欧米などと比べ、韓国や日本はものすごく強いということだろうか。

周りの評価に対して鈍感でいれればいいのだけど、自分の肩書に関して、ごちゃごちゃ言う人と、ごちゃごちゃ言わない人と、どちらと一緒に時間を過ごしたいかと聞かれたら、後者に決まっている。 そもそも、「弁護士」「先生」「大工」などの肩書で自分を紹介する人に「あなたは先生でない」なんて、面等向かって言う人は少ないだろう。それが「主婦/主夫」になると、全く違う対応になるのが興味深い。

あと、一人暮らしの男性が、「私も家事やってます」と言うのは、言いたいことがよくわからないし、少しアンフェアだとも感じる。一人暮らしということは、食べたい時に、自分の好きな方法で、好きな物を食べられるということだ。食べないという選択肢もあれば、3日連続でカレーを食べることだってできる。しかし、2人以上の世帯で暮らしている場合の「家事」というのは、『用意しない』という選択肢は基本ない。必ず、特定の時間に朝ご飯、夜ご飯を用意し、そのための買い物をし、「相手」を失望させない程度の物を用意しなければいけないという重圧が生じる。だから、一人暮らしの「家事」と、二人暮らし以上の「家事」は同等で扱うべきじゃないと思う。

なぜ「ヨーコーが主夫って言っているから主夫でいい」という風にはならないのか?一度、テレビ局の人に「なぜ、『主夫』という肩書にこだわっているのか?」と聞かれたことがある。確かに、本を出しているから、『フリーライター』でもおかしくはないかもしれない。でも、今、自分がご飯を食べていけるのは、私が物書きをしているからではなく、妻に寄り添っているからだ。私の物書きだけの収入に頼るのだとしたら、今頃、夫婦で路上生活になっているかもしれない。

負けず嫌いの私は、私が主夫でないと評価したがる人に、必ず、尋ねる質問がある。

「じゃあ、あなたなら、自分の配偶者が、アゼルバイジャンで仕事を見つけたら、今の仕事を辞めて、付いて行けますか?」

ほとんどの場合(特に男性)、この瞬間、「しーーーん」という気まずい雰囲気が流れる。絶句というやつだ。

アゼルで働く日本人男性は単身赴任者が多い。それだけ、家族のために、自分のキャリアと妥協し、友人に別れを告げ、言葉が通じない国に移り住むというのは、難しいことなのだ。

主夫会のメンバー、ロドニーなんて、毎日、ベビーシッターと家政婦と運転手が家に来るから、ほとんど家事はしていない。 それでも、私はロドニーを心から尊敬している。人生42年目にして、初めての海外生活。10年以上付き合いのある親友たちに別れを告げ、アゼルに来た当初は、とても寂しそうだった。

必死に自分でできることは何か考えた末、好きなフリスビーゴルフをアゼルに広めようと、アメリカから機材を郵送し、自宅近くの空き地に、アゼルでは初めてとなる「フリスビーゴルフ場」を作った。もし、ロドニーに「お前は妻に食わせてもらっているのだから、もっと家事やれ」という社会的義務が課せられたら、精神的に追いつめられ、ニュージョンの様に米国へ戻らなくてはならなかったかもしれない。

確かに、「主婦/主夫」の定義は曖昧極まりない。でも、だからこそ、厳格な定義を相手に押し付けるのではなく、色々な「主婦/主夫象」が認められればいいのになあ。
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人生最悪のクリスマス

もうすぐクリスマス。この日になると、どうしても、2010年の人生最悪のクリスマスを思い出してしまう。

当時、私はケニア、スージンは日本にいた。スージンはすでに日本での仕事を辞め、2011年2月からケニアの国連事務所で働く前の準備期間中だった。私は、年末年始に3週間の休みを取り、アフリカと日本の中間地点となる中東で合流して、シリア、ヨルダン、イスラエルを旅する計画を立てた。

スージンは、12月23日にすでに現地入りし、25日夜に、シリアの首都、ダマスカス空港で私を出迎える予定だった。私は、ケニアの首都ナイロビを24日夜に出て、トルコのイスタンブールを経由して、ダマスカス空港へ到着した。

今「シリア」と聞くと、内戦のイメージがあるが、当時はとても平和だった。

 私は入国審査ゲートでパスポートを提示し、「ビザを申請したい」とお願いした。日本人の場合、シリア入国の際は、空港でビザが申請できるとのことだったため、私は事前にビザを取得していなかった。

審査官は私のパスポートを見ながら、「職業は何か?」と聞いた。当時、私は、ケニアの国連事務所で働いていたため、自信を持って「国連です!」と身分証を示した。日本の感覚だと「NGO」とか「NPO」とかより、「国連」の方が信頼できそうな感じがあるため、私は何の躊躇もしなかった。まさか、この一言が、その後、とてつもなく大きな問題に発展するなんて予想しなかった。

その男性審査官は、私の国連の身分証を手に取り、数秒間見つめた後、「ちょっとこっちへ」と手招きした。

私が連れて行かれたのは、審査ゲートから数十メートル離れた小部屋。私の胴体より大きい禁煙マークのシールがドアに貼られているにも関わらず、部屋の中にいる男性3人は、ぷかぷかとタバコを吹かしていた。大きな机が一つあり、そこに男性が一人座り、隅にある待ち合い客用の長椅子に二人座っている。3人とも制服姿だが、デスクにいる男性の制服の方が、よりきらびやかとしているため、彼が一番偉い人なのかなと想像する。

私は、国連で働く人が入国するなんて滅多にないから、何かの事実確認をしたいのだろうと勝手に想像し、促されるがままに、机前にある椅子に座った。

審査官はゆったりとして口調で語りかけた。入国審査官とは思えないほどの片言英語だ。

審:フロムウェアトゥウェアー?(どこからどこへ行こうとしているのか?)
私:ナイロビからダマスカスです。
審:ホワイ、カム、ヒア?(なぜここに来たのか?)
私:観光です。

たどたどしい英語での質問は数分続いた。そして、私の国連の身分証を示しながら、「ウァット、ミーニング、オブ、ディス?」(これの意味は何?)と、「Refugee」という文字を差しながら、尋ねた。(私が働いていた機関名が、「United Nations High Commissioner for Refugees」のため)

私は、「難民」というのを、英語が話せない人にどうすれば伝わるか考えた。私は仕方なく、全身を使って、「バッバッバ!」と銃声の音を口で真似、両腕でマシンガンを打つ仕種をした後、後ろを振り返りながら走る「難民」を演じた。審査官は「オーー」と言いながら、頷き、私は意思疎通ができたことを素直に喜んだ。

そして、審査官は、私に「モーメント、プリーズ」(少し待って)と言い、固定電話をダイアルし始めた。

アラビア語で何やら話しているが、ときたま、「難民」「日本人」などの聞き取れる単語が出て来た。私は、単なる事実確認以上の聞き取りなのではないかと心配し始めていた。

数分後、電話を終えた審査官が私に発した言葉は、想像を絶するものだった。

「ユー、ゴーバック、ケニア」(ケニアに戻れ)

私は、彼の英語力不足による誤解だと思い、「え?」と聞き返した。そしたら、前回よりもさらにゆっくりとした口調で。

「ユー、ゴーバック、ケニア」と言うではないか!

強制送還????

いやいやいや。私は夢を見ているのだ。クリスマスの日に、日本から来た妻が待っている中東の空港で、アフリカから来た私が、妻と会えないまま、強制送還されるなんて、そんなわけないだろ。相当なお金と時間をかけてやってきているのだから。

私は夢から覚めるため、その審査官に質問した。

私:なぜですか?
審:ユーエヌ。ノービザ。ノーグッド。(国連。ビザないとだめ)
私:日本人はビザは空港で取れるのではないのですか?
審:ユー、ユーエヌ。ノー、ノー。
私:なぜですか?なぜ、国連だと駄目なのですか?
審:ユーエヌ、ノービザ、ノー、ノー。

駄目だ。まだ夢から覚めれない。

私:私は、国連ボランティアという身分で、国連職員ではありません!ボランティアです。ボランティア!
審:ノー。ユーハブ、ユーエヌ、アイディー(あなたは国連の身分証がある)

ここで悟った。「難民」という意味を説明する際、あんな過激なジェスチャーにすべきでなかったことを。

とにかく、二つの覆し様のない事実に向き合わなくてはならなかった。まず、国連関係者は事前にビザ申請がない場合、シリアに入国はできないということ。そして、私が国連関係者であるということ。私が考えうる最後の手段は、彼らの感情に訴えることだった。私は、この世で一番不幸な人間になったかの様な悲しい表情を作り、

私:実は、この旅行は妻との新婚旅行なのです。シリアという素晴らしい国で、素晴らしい思い出を作りたかった。優しいシリア人に出会って、美味しいシリア料理を食べたかった。妻は、すでに入国し、到着ゲートで待っています。今、ここで私がアフリカへ戻ったら、妻は一人でどうするのでしょう?お願いです。どうか、今回だけは見逃してください。

私の英語がどこまで通じたのかはわからないが、審査官の表情が少し緩んだ。

審:ユアワイフ、ヒア?(あなたの妻がここにいるのか?)

よし!!彼の感情が揺さぶられた!もう少しで夢から覚められそうだ。

私:そうなのです。妻は、今、到着ゲートで、私が出てくるのを待っています。
審:ハーネイム、プリーズ。(彼女の名前を教えてくれ)

私は、スージンのフルネームを書き、審査官は、それをパソコンに打ち込んだ。私は画面を覗き込み、「12月24日、ヒョン、スージン、入国」の文字を読み取った。

私:ほら!2日前にシリアに入っているでしょう?今ここで、私がアフリカへ返されたら、彼女は一人ぼっちになってしまいます。私たちの新婚旅行も台無しです。

審:オーケー。モーメントプリーズ。(わかった。ちょっと待って)

審査官は、再び、電話をダイアルし始めた。何の根拠もないけど、さっき、話した相手ともう一度やりとりしているのだろうと想像した。「ハーネームーン」という単語も時たま聞き取れることから、審査官が私のために上司を説得しようとしくれていることがわかった。

数分後、審査官は電話を終え、私の目を見つめながら話した。

「ソーリー。ゴーバック。ケニア」

あああーー!!!!もう夢じゃない。これは現実だ。私は強制送還される。パスポートは審査官の手にあり、私は完全に、首輪をかけられた犬状態。「国家」というものに睨まれたら、一個人の無力さを思い知らされる。

審査官がトルコ航空の男性従業員を呼び、「次のイスタンブール行きは4時間後の午前5時半発です。片道料金は350ドル(約3万5000円)。現金ですか、クレジットカードで支払いますか?」と事務手続きに入り始めた。

私は、「イスタンブールからナイロビまではどうするのですか?」と尋ねると、「あなたは、ナイロビではなく、イスタンブールへ戻されます。原則、強制送還先は、あなたが最後に降り立った国になります」と説明する。

そうか。イスタンブールで約9時間の乗り換え時間があったため、私は、空港から出て、市内観光をしたのだった。それにより、私は、ケニアからではなく、トルコから来たことになったため、幸い、送還先がトルコになったというわけだ。

そしたら、審査官が、何やら、私に話しかけようとしている。「テレフォーン!」と受話器を持ちながら言っている。私は「え?私に電話?」と尋ね、審査官は頷いた。私は「もしもし?」と言うと、「ヨーコー!!!どうしたの!!」というスージンの声が聞こえた。私は妻の声が聞けたことが嬉しくてたまらず、「スージン!!」と思わず、叫んでしまった。

私は、できるだけ冷静にスージンに指示を出した。

「私は、午前5時半の飛行機でイスタンブールに返される。スージンは、今すぐ、ホテルに行き、荷物を取り、同じ飛行機に乗ってくれ。チケットはまだあるはずだ」

スージンは、「ええ?どういうこと?」と言い、私は「とにかく、説明は後でするから、今は、急いでホテルに戻って荷物を取ってきて」と言った。

スージンは何となくだが、事態を悟ったようで、「わかった」と言い、電話を切った。

私は、クレジットカードで航空券を買い、パスポートは取り上げられたまま、「時間まで、ここでお待ち下さい」と入国審査場近くのベンチに座らされた。

寒い。時間は午前2時。私はボケーとベンチに座り続けた。

午前4時ごろ、「ヨーコー!」と言いながら、歩いてくるスージンの姿が見えた!「スージン!!」。

スージンは、「いくら待ってもヨーコーが出て来ないから、心配になって、トルコ航空に確認しに行ったら、『彼なら、ケニアに返されるよ』って言われて、それで涙が出て来て、通話ができるよう、アレンジしてもらったの」と事の経過を話した。

私の方も事情を説明し、午前4時半、私のパスポートを持った、トルコ航空の人が迎えに来た。無論、パスポートはまだ渡されない。

そしたら、厚い化粧をした白人女性2人が泣きながら、連れられて来た。ヒョウ柄のコートにハイヒール。そして、大きな胸。「モルドバ(東欧の国)から来たのですが、シリアに入れてもらえなかった」と片言英語で話す。外見からしてそっち系の商売なのかなと想像したが、勿論、そんな事は聞けない。とにかく、二人ともわんわん泣いている。モルドバは東欧でも最貧国の一つ。シリアへ入り、そこから、さらに賃金が高い、イスラエル、またはトルコ経由でギリシャあたりを目指していたのかもしれない。航空券を買うために、一生貯めたお金をつぎ込んだのかもしれない。彼女たちに比べたら、私はまだ幸せなんだろうなと、何故か前向きになれた。

出発ゲートへ向けて、泣きじゃくる白人女性2人と、私とスージン、そして、私たちのパスポートを持つ係員の5人で歩く。当然、周りの視線を一気に集める。「あの東洋人の男が人身売買の斡旋屋で、白人二人を売ろうとして失敗したのよ」みたいに見られているのではないか不安になる。

搭乗口が開いてからも、私たちは最後まで飛行機に入れさせてもらえない。全員が入ったところで、私たちは係員に連れられ、機体の最後尾の席に座らされる。パスポートは、乗務員に手渡される。

手錠をかけられた様な気分で、イスタンブールまでの3時間を過ごす。もう7時間以上も何も食べていなかったから、機内食にかぶりつく。モルドバ人はまだ泣いている。

イスタンブールへ着く。機体を出ると、乗務員が、そこで待っている係員に「この人たちです」と伝え、係員にパスポートを渡した。係員は、私たちを入国審査ゲートまで連れて行った。途中、モルドバ人二人は、個室に連れて行かれてしまった。おそらく、ここからモルドバまで乗り継ぎをさせられるのだろう。ほとんど口を交わさなかったけど、よくわからない親近感が湧いてしまい、別れの瞬間、少し胸がズキズキと痛んだ。

入国審査ゲートでは、係員が直接、私のパスポートを審査官に渡し、トルコ語で何やら説明していた。おそらく「強制送還された人たちです」とか言っているのだろう。審査官は、前日に押された「トルコ出国」のスタンプの上に、「無効」というスタンプを押し、私をゲート内へと促した。要するに、記録上、私は、前日からずっとトルコにいるということになったのだ。そんな、無効スタンプがあるなんて初めて知った。

IMG_8112.jpg


ゲートを通り抜けた所で、やっと、係員からパスポートをもらい、「それでは」と一言挨拶し、去って行った。私は8時間振りに、自由の身になった。

さあ、どうするか。

私たちの当初の予定では、ダマスカスから陸路で、イスラエルに行き、イスラエルの最大都市、テルアビブからケニアに向けて飛び立つ予定だった。すでにテルアビブからの航空券は買ってあるてめ、「じゃあ、とりあえず、テルアビブまで陸路で行こう」ということになった。しかし、ダマスカス空港で数時間、待たされ、体が冷え込んだからか、精神的疲労からか、熱を出してしまい、2日間、寝込んだ。

イスラエルに行くには、まず陸路で隣国のシリアに入らなければならない。強制退去になっているのだから、普通ならシリアには入れないと思うだろう。しかし、ダマスカス空港の入国管理官と、そこから数百キロ離れたトルコとの国境地点の入国管理官が、統一のデータベースを共有し、私が強制退去されたことを把握できるほど、組織化されているとは思えなかった。

高速バスで10時間かけて国境地点まで行き、シリア側の入国審査官に「職業は?」と聞かれ、「広告代理店に勤めています」と言ったら、予想通り、数分後にビザが出てきた! 要するに、「国連」って言ったのがいけなかったのだ。日本では「国連」って言うと、なんか信頼できそうなイメージがあるけど、シリアとか欧米と敵対する国にとって、国連なんて、アメリカやイギリスの出先機関だと思われているのかもしれない。強制退去処分のおかげで、また視野が広がった。

それにしても、遠くから私に会いにやって来て、空港で待っている妻を残して、アフリカへ強制送還されそうになる恐怖は、もう二度と味わいたくない。

ちなみにシリアはこの3ヶ月後、内戦が勃発。現在も続いている。

妻にささげたサプライズパーティー

もう主夫になって1年。なんか、ブログを読み返すと喧嘩ばかりで、ちょっと、仲の良いエピソードも書いておこう。

私が主夫になって間もない2013年1月18日はスージンの30歳の誕生日。それまでずっと遠距離だったため、出会ってから8回目にして、初めて一緒に祝える誕生日となった。(当時はまだケニアにいた)

韓国の女性というのは、男性にロマンチックな愛情表現を期待する。驚いたのは、証券会社に勤めるスージンの友人が海外出張で香港に行った時、滞在先のホテルの部屋に彼氏から花束のプレゼントがあったというのだ。誕生日とかそういう記念の日でもないのに。韓国人って凄いなー。

そこで、私もそんな「ロマンチック」な夫になろうと、友人たちにメールを送った。

「18日はスージンの誕生日で、サプライズをしようと思います。午後7時に私たちの家に集まってください。午後7時半ごろ、私はスージンを連れて、家に帰って来ますので、サプライズで出迎えてやってください。できるだけタクシーで来てください。知っている人の車が駐車場にあるとばれてしまうので」

そして、特に仲のいい友人2人に別途メールを送った。

「私は午後5時ごろ、スージンを家から連れ出します。合鍵を予め渡しておくので、家に入り、掃除をし、午後6時ごろに中華料理の出前が届くので、それをテーブルに置き、他の友人が来たらドアを開けてやってください」

仕事がない私は、このメールを家のパソコンで送らなければいけなかった。スージンに見られたら一環の終わりのため、部屋に鍵をかけて、各友人から来る問い合わせメールに対応していた。そしたら、スージンは「なんで、鍵かけているの?誰かと秘密の会話でもしているの?」と怪しんだ。私は「執筆に集中したいだけだよ」と苦しい弁明をした。

次の難関は掃除だ。基本、私たちは掃除は家政婦さんに任せっきりで、脱ぎっぱなし、置きっぱなし夫婦だ。(ケニア時代は人件費が安く、週に3回家政婦さんに来てもらっていた)どちらか片方が綺麗好きだったら夫婦として成り立たないくらい、散らかし放題だ。さすがに、私がうんこを便器にへばりつけた状態でトイレから出ると、「ちょっとー!!!また、ウンコがついているよ!」と雷が落ちるが、、。

しかし、皿洗いから下着の始末まですべて友人に任せるのも気が引ける。スージンに怪しまれない程度に掃除はしておこうと、皿を洗った。私が皿洗いをするなんて相当久しぶりだったのだが、幸い、スージンは何も聞かなかった。とにかく、何がきっかけでバレるかわからないから、余計に神経を使った。

スージンには「今日は誕生日だから、レストランを予約しておいたよ」と伝え、午後5時ごろに「レストランに行く前に、どこかでお茶をしよう」と、家から連れ出すのに成功した。スージンは「どこのレストランなの?」と聞いてきたが、私は「秘密」と答えた。下手に知っているレストランの名前を出して、「そこ嫌いなの」とか「あれ、あそこって潰れなかったっけ?」とか言われたら面倒だと思った。

午後5時半ごろ、自宅近くのショッピングモール内にあるカフェに入った。その途端、私の視界に想定外のものが入ってきた。3−40人ほどいる客の中に、パーティーに招待している友人のベティーナ(ドイツ人)が、奥の席で知らない友人とお茶しているではないか!ベティーナに話しかけて、「今日、パーティー行くわよ!」なんて話になったら大変だ。勿論、サプライズだということは伝えてあるが、何かの行き違いで伝わっていない可能性だってあるし、一緒にお茶をしている人たちはスージンを知らないわけだから、「今日は誰のサプライズパーティなの?」などと私たちの前で話題にする可能性だってある。

私は、スージンがベティーナの存在に気付かないよう、入り口に一番近い席を選び、スージンがベティーナに背を向ける形になるよう促した。しかし、そんな私の努力もむなしく、数秒後、「あ!ベティーナがいるよ!」とスージンが言う。

私は、「ああ。そうだね」とわざとそっけなく答えた。スージンは「あれ?挨拶しないの?」と当然の様に聞く。ベティーナとは、同じ難民キャンプで1年以上働いた仲で、ベティーナがナイロビに数ヶ月前に異動してから会っておらず、挨拶をしないのは明らかに不自然だ。

私は、必死に平静を装い、「うん。別にいいんだ」とだけ答えた。「彼女とは喧嘩しているんだ」とか言う事もできたが、下手に突っ込まれてもやっかいだ。スージンは「ああ、そうなの」と少し、不思議そうにしていたが、怪しんでいるという感じではなかった。私とベティーナが直接連絡を取り合って定期的に会う友人でもなかったのが唯一の救いだ。

お茶を飲みながら、「これまでの誕生日っていつも離れ離れだったけどどんなことしてきたっけ?」などと、事前に用意しておいた話題をスージンに切り出した。そしたら、私の電話が鳴り、パーティー出席予定者から「あなたの家に着いたけど、誰もいないみたいなんだけど?」というメッセージが届いた。私は、心の中で「ばかやろ!今、俺が電話に出れないことくらい想像してくれよ!」と叫びながら、スージンに「ちょっとトイレ行ってくる」とその場を離れ、「今、スージンといるから、連絡してこないで。私の家にいる友人と直接連絡して」と返信した。時計の針が午後6時45分になったところで、「そろそろ出よう」と会計を済ませた。

さあ、ここからが本番だ。サプライズを成功させるためには、レストランではなく、家に立ち寄る理由を作らなければならない。忘れ物をしたとかいう理由なら、スージンは間違いなく、駐車場で「あなたが取りに行け」と私に言い、3階にある私たちのアパートまで上がろうとはしないだろう。スージンを3階まで自発的に上がらせなければならない。私が数日間、考えて編み出した作戦をいよいよ実行する時がきた。

ショッピングモールの地下駐車場から車を出し、料金ゲートを出た後、私は「あ!レストランのクーポンを家に忘れた。ちょっと家に寄るね」とスージンに言った。「へえ。そんなクーボンがあるんだ」と言い、難なく承諾した。

アパートの駐車場に入りながら、「頼むぞー。スージンが家に入るまで、誰ともはち合いませんように」と祈りながらハンドルを回した。無論、メールではしっかり「スージンは7時ごろに到着するから、その時間帯に来ることは絶対避けて」と伝えていたが、何が起こるかわからない。3階の私たちのアパートはしっかり暗くなっている。誰かが顔とか出してないかしっかりチェックした。

そして、私は、とっておきの台詞を発した。

「スージン。クーボンをパソコンから印刷しなくてはならないのだけど、うまくできないんだ。ほら、俺ってパソコンとか苦手じゃん?スージンがやってくれたらできると思うんだけど?一緒に来てくれない?」

スージンは私の機械音痴をいつも馬鹿にしていた。だから、これならスージンも「嫌」とは言えないだろうと思った。

しかし、予想に反し、面倒くさがりのスージンは少し躊躇し、私に尋ねてきた。「そのクーポンがあるとどれくらい安くなるの?」

「1割」とか言えば、「それだったら、もうレストラン行こう。お腹すいた」と言われそうだ。

私は「5割」と答えた。

スージンの表情は一変し、「え?それは大事ね。何としても印刷しないとね!」とやっと車から降りてくれた。

階段を一つ一つ上がった。何故か、いつもより、段数が多い感じがした。ようやくドアの前まで来て、私が鍵を出して、ドアを開けた。家の中は真っ暗だったが、中華料理のオイスターソースの匂いがぷんぷんしてきた。私は「しまった」と思ったが、もう残り数秒だけの我慢だ。スージンは「何か、中華料理の匂いがするけど、、」と不思議そうな顔をしながら、靴を脱いだ。

リビングへつながる7メートルほどの廊下を歩き、スージンがリビングに足を踏み入れた瞬間、明かりが付き、「サプライーズ!」と15人ほどが壁を背に一列に並んで叫んだ。スージンの同僚、日本人や韓国人の友人らが一同に私たちに視線を注いでいた。

スージンは、「オーマイガッド!!」と両手で頬を抑えた。私は、「完璧!」と友人たちにお礼を言った。スージンは「なんか、、、クーポンがいるとか言われて、、、」と混乱して、うまく気持ちを言葉にできず、私を抱きしめた。

サプライズパーティー

集まってくれた一人一人に感謝し、全員が飲み物を持った所で、私が「皆さん、ありがとうございます。私たちは出会って8年になりますが、今日が私にとって初めて祝うことのできるスージンの誕生日なのです。これからは二人一緒に暮らすことを最優先に考えていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします」と挨拶。皆から「よくやった!」と褒めていただいた。私は「天空の城ラピュタ」に出てくる様な青い石のネックレスをプレゼントし、スージンは「うわあ。こんなに素敵なもの、ヨーコーから初めてもらったなあ」と再び抱きついて来た。その前の年の誕生日プレゼントは、エクストララージのワンピースで、スージンには大きすぎて着れなかった(汗)。

パーティーは10時頃まで続き、遅れてきた人も含め、30人ほどが祝いに来てくれた。こうやって、私の主夫生活は幕を開けたのだった。どうですか?喧嘩ばかりじゃないでしょ?
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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