難民は助けたいけど、妻は助けたくない

1月22日朝は、肉団子そばを作り、弁当は昨晩作ったピーマンの肉詰め。そばをすするスージンに「夕ご飯食べたいものある?」といつもの様に尋ねる。普段は「何でもいい」と言うスージンだが、この日は珍しく、「コロッケが食べたい」と言う。

主夫にとって、メニューを選定してもらえることほど助かることはない。 しかも、私も食べたいと思っていたコロッケ。ヨガレッスンの帰りに、モール(デパート)地下のスーパーで牛のひき肉、ジャガイモ、タマネギを買う。

午後5時ごろ、台所へ行き、米をすすぎ、炊飯器にかけ、ジャガイモを茹で、タマネギと人参をみじん切りにして、ひき肉と炒め始める。キャベツを千切りし、味噌汁のために、鍋に昆布と水をいれ、レンジにかける。午後5時半ごろ、スージンが帰宅。いつもの様に、台所に来て、「スープでも作ろうか?」と言ってくる。

いつもだったら、「じゃあお願い」となるところだが、この日はなぜか、「いや、もう味噌汁作っているからいいよ。休んでいて」と言う自分がいた。

スージンは「ええ?本当に?どうしたの?」と驚く。これまでは、私が料理中に、スージンが一分でも椅子に座って、iPhoneを見始めたら「何やっている?手伝って!」と喧嘩になっていたのに。

実は私自身も驚いていた。いつから、そんなに思いやり溢れた主夫になったのだろう?

私がジュネーブに行ったら、3ヶ月ほど離れ離れの生活になる。6月からジュネーブで一緒に生活できるようになっても、今のように、ゆっくりとスージンのために料理する時間なんてないだろうと思うと、切ない気持ちになっている。買い物をしている時間も、料理をしている時間も、それまでは「効率よく、一分一秒でも早く」と焦ってやっていたが、今は、包丁がまな板を叩く音が自分の胸をポカポカ暖かくするようになっていった。

そうか。何となくだけど、 なぜ、今まで私がスージンをたくさん怒らせてきたのか、少し理解できる様な気がした。

私が「iPhone見ている時間があるなら、手伝って!」と言った時、スージンは「ちょっとくらいいいでしょ?」と怒った。私は、スージンが私の細かすぎるところに怒っているのだと思っていた。が、今考えると、本来、家族への愛情表現であるべき「家事」をあくまで義務的にしかこなせない私への苛立ちだったのかもしれない。

「スージンのためにやっていることなのだから、私は嬉しいんだよ」と私が言うと、スージンは「どうして、今頃になってそんなこというの?あ!私に仕事辞めさせること、悪く思っているの?」などと逆に心配されてしまった。

世界の困っている難民を助けたいと言いながら、自分に長年寄り添ってくれている家族に対する奉仕を喜んですることができない自分に、常に矛盾を感じていた。頭ではわかっていっても、まあ、みんなそんなもんだろうー、と半ば諦めていたけど、これからは、その矛盾に素直に向き合っていこうと思う。

 23日朝は、私は健康診断で朝ご飯は食べられない。妻のために焼きそばを作ると、スージンは「ええ!私だけのために作っているの?ヨーコーが朝ご飯を食べたいから、そのついでに作ってくれていると思ったのに、違ったのね!」と驚かれた。そんな「自分本位」な主夫に見られていたと知り、少しがっくり、、、。
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年収50万円男


明けましておめでとうございます。

皆さん、2013年の私の年収、気になりませんか?この際、すべてばらしちゃいましょう。

印税(4月に発売された七輪の本)31万円

その他執筆/講演料(新聞投稿など) 8万円

寿司教室 (計7回)  約10万円 

合計、49万円なり。そうなんです。私は年収50万円男。

寿司教室を継続していたら、結構、いけたのかもしれないけど、日本大使館の人から「就労資格は?」とか言われて、ビビったのと、面倒くさくなったのとで、辞めてしまった。

それしか稼いでいないにも関わらず、2013年は贅沢三昧の年だった。

南アフリカ、エチオピア、ドバイ、日本(2回)、カンボジア(2回)と海外旅行。

屋上テラス付きの家に暮らし始め、天気のいい日は、海を眺めながら読書。(家賃は高いが、国連から補助がでる)

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HONDA「パイロット」という日本では売られていない、8人乗りジープを乗り回す。(妻が外交官扱いのため、免税され、比較的安く買える)

通常の年間会費が30万円の高級ジムに通う。(これも妻が外交官のため、特別割引される)テニス、バスケ、ヨガ、筋トレ、マッサージなどなどのため、週に3−4回利用。

「お前。妻のお金でそんな贅沢して罪悪感とかないのか?」と思う人もいるかもしれない。実際、10歳の姪に、「ええ?スージンのお金で車買ったの?」と驚かれた。私は妻と一緒に暮らすために、就労が困難な国に移住せざるをえなかったわけで、誰かを好きでいることに罪悪感を抱かなければならない社会ほど、息苦しいものはないと思う。逆に、罪悪感どころか、こんな贅沢な暮らしをさせてくれる優秀な妻と結婚できた私の「人間力」を誇りにさえ感じる。

物質的贅沢だけではなかった。

2012年まで毎年、100日前後しか顔を合わせられなかった妻と、300日以上、顔を合わせた。妻の勤務先は残業がゼロのため、基本、平日夕方5時半からは家族の時間だった。

2006年に毎日新聞に入ってから、毎年1度は体調を崩し(アフリカでは数回)ていたが、昨年は、一度たりとも、風邪を引かなかった。

大学時代から続いていた歯ぎしりも、週に数回から、数ヶ月に1度の割合になった。

手持ち料理の数は20前後から、100以上に激増。そして、韓国語の能力も上がった。

年収50万で、これだけ楽しい生活ができるなら、もう、ずっと「主夫」のままでいいやー。と、思うはずでしょ?

しかし、、、。今年は、主夫生活とは決別することになった。3月から、妻の働く国連難民高等弁務官事務所の本部(スイス)で働くことになりました。

「お前、就職活動してたのかーー?」と思われるでしょう。はいしてました。と、言っても、応募書類を出したのは一度だけ。

「JPO」という、毎年、日本政府が30人ほど試験で選抜した人を国連職員として国連機関に派遣する制度がある。35歳以下で修士号を取得し、関連業務経験がある人なら、誰でも何回でも受験でき、私は昨年、記念受験のつもりで、応募した。すでに3回受験し、3回とも一次選考で落とされていたから、今回も駄目だろうと思っていた。が!なんと、驚いたことに合格してしまった!政府の人も、「4回も受験して落としたら自殺してしまうんじゃないか」と思ったのかもしれない。

それで、派遣先がスイスのジュネーブに決まり、スージンは今年6月、アゼルバイジャンでの契約を中断し、ジュネーブで合流する予定だ。

「てめえ!今まで、さんざん『主夫』とか言っておいて、結局、妻に仕事辞めさせているじゃねえか!」と罵倒されるかもしれない。

これについては、説明したら、長————くなるし、長くなればなるほど、言い訳みたいに聞こえるのも嫌なので、ものすごく簡潔に答えさせてもらう。

妻はアゼルでの契約を辞めても5年間、国連の正規職員しか応募できない「内部職員専用の空席」に応募し続けることができる。要するに、職場復帰できる可能性がそれなりにあるのだ。それに対し、私はこのオファーを断ったら、国連はおろか、すでにブランクが1年以上あるため、一般の再就職はどんどん難しくなっていく。そうすると、妻が働き、私が主夫という構図が固定化し、妻が病気になったりした場合、一気に家庭の収入がなくなるリスクが生じる。二人とも、一定の収入を稼げる状態にしておけば、10年、20年続く家族生活を考えた場合、休みたい人が休み、働きたい人が働くという感じで、より選択肢が広がるのではないかと思った。

というわけで、残り2ヶ月となった「主夫生活」。既に支払った、高級ジムの会費を無駄にしないよう、たくさん通わせてもらう。そして、ジュネーブでは、妻がどんな料理をしてくれるのか楽しみだ。毎日、メニューを考える辛さを思い知ってもらいたい。

 今年もよろしくお願いします。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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