親の老いと向き合う


父親が77歳になった。

海外を転々とし続ける国際協力業界の人間にとって、親の老いとどう向き合うかは切実な問題だ。特に私みたいに、お母さんっ子で、子どもの頃、父親とまともに時間を過ごさず、15歳で故郷を出た場合、「え、もう平均寿命近くなっちゃったの?」という感じだ。

国際機関で働く友人が、親の体調悪化を理由に一時帰国するケースはよくある。そういう話を聞く度、体調が悪化してからでなく、悪化する前に、できるだけ時間を過ごさなければと思う。

私が「主夫」の時は、その絶好のチャンスだった。1年間で日本へ3度帰り(といっても帰国の主な理由は野球観戦などだったが)、生まれて初めて両親を温泉旅行に招待するなど、親孝行に励んだ。(といっても、その度、父は、美術館で5万円のオルゴールを妻にプレゼントしたり、私の就職祝いにスーツを買ってくれたりして、結局、金銭的には親孝行にはならないのだけど、、、)

親孝行

そんな親不孝息子の私にとって唯一の救いは、両親の行動力だった。母は、これまで私が長期滞在した6カ国(米国、オランダ、スウェーデン、タイ、ケニア)すべてを訪れ、父もオランダとタイを除く4カ国に来てくれた。

そして、今月末には7カ国目のアゼルバイジャンに二人で来る予定だった。今年1月くらいから、父が「アゼルを見てみたい」と言い、ビザ取得の手続きをし、私は、休みを申請して、スイスからアゼルへの航空券を予約し、妻と受け入れ態勢を整えた。

そしたら10日前、母から「ごめんなさい」というタイトルのメールが届いた。「アゼル行きはキャンセルにしたい」という。「風邪気味で体力に自信がなくなった」という。70近くになっても、女性の権利をテーマにしたドキュメンタリーを世界各地で上映し、西アフリカのブルキナファソまで行った母が、自身の好奇心と妥協しなければいけない日が遂にやってきたのだ。
事務的な用事がない限り実家に電話なんてしなかった私は、3年くらい前から、月に1度は電話をするようになった。しかし、

私:あ、お父さん。
父:あ、ようこうか。どうした?
私:いや、とくに。
父:そうか。そっちの天気はどうだ?
私:うん、いいよ。

と、1、2分経過した後、

父:じゃあ、お母さんに変わる。

ってな具合(涙)。父の耳は年々遠くなっているし、電話での会話はこれからどんどん難しくなるだろう。

 先日なんて、いつもの「お母さんに変わる」で、受話器がお母さんに渡り「給料たくさんもらっているの?」などと相変わらず、プライベードにずかずか入り込まれた後、受話器越しから「バジャーーーン」という水が大量に流れる音が聞こえてきた。「実は、トイレにいたのよ、ふふふ」とお茶目な声を出す母。つまり、父は、トイレで用を足している母に、「おい、揺光から電話だぞ!」とトイレのドアを開けさせて、受話器を渡したということだ。

お父さん。せめてお母さんがトイレから出るまで、私と話してくれたっていいだろーーー!



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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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