主婦は「出張」できるのか?


今日からスージンがスペインへ短期語学留学に行った。9月6日に戻り、そして、11日から今度は韓国へ帰省する。私は9月20日に日本へ休暇で戻り、9月末にスージンと日本で合流する予定。つまり、今日から9月末までは5日間しか顔を合わせないことになる。

これについて決まったのは、もう3週間くらい前のことだった。その時は、「まあ、いいか」みたいな感じで軽く受け流していた。

スージンは9月にある国連のスペイン語試験を受けるべく、ずっと勉強してきた。これまでもずっと書いてきたけど、「主婦」の時間は語学を勉強するにはもってこい。私もアゼルで韓国語を勉強できたことをとても感謝している。たまに離れ離れになってお互いの時間を自由気ままに使うのもいいと思っていた。

それが、スージンの出発の日が近づくにつれ、「俺を1人ぼっちにするなんてけしからん!」的な発想が胸の奥底からブツブツと湧いてきた。

スペイン語なんて、ジュネーブでも勉強できるじゃないか。私がアゼルで韓国語を勉強していたように。

私が「主夫」だったころは、3ヶ月目で数週間海外に行くなんてしなかったぞ。

そんなこと、考え始めたら、腹立ってきた。でも、私に腹立つ権利はないことはわかっている。スージンはキャリアを中断してスイスに来てくれた。そして、私は主夫時代、広島カープの試合を見るために日本に帰った。ここで、喧嘩を売っても、絶対負ける。でも腹が立つ。腹が立つのに、それを出せないから、もっと腹が立つ。

出発2日前、「しばらく離れ離れになるから」と寿司屋、ラーメン屋、ケーキ屋と3軒はしごした。(ジュネーブではラーメン一杯2500円!)

私は、負けることがわかっていながらも、スージンに喧嘩を仕掛けてしまった。

私:そもそも、スペイン語なんて、ジュネーブでも勉強できるでしょ?わざわざ、お金と時間かけてスペインまでいかなくても。
ス:それはもう話したでしょ。短期間で集中してやる講座がジュネーブにはないのよ。もうすべて準備が整っているのに、こんな議論やめようよ。

自分の非論理性を指摘されるのが悔しく、無駄な抵抗は続いた。

私:私が主夫だったころは、こんな頻繁に1人で出かけたりはしなかったけどな。これで、海外旅行4回目でしょ?

ス:ロンドンは3日、イタリアは日帰り、スペインはヨーコーの出張中だった。だから、実質的には今回が初めてじゃない。

 議論を打ち切るのが一番だとわかっていながらも、私は、母親にだだをこねる息子のように、スージンにからんだ。

私:スペイン語と私、どっちが大事なんだ?
ス:広島カープと私、どっちが大事なんだ?

ついに、「カープ」カードが切られた。「カープの試合は日本でしか見れないけど、スペイン語はどこでも勉強できるだろ?」と言うこともできたが、これは、おそらく、熱狂的カープファン以外、誰の共感も得られないだろう。

結局、3軒目でスージンが「もう、帰りましょう。こんなことで喧嘩したくないし」と言い、店を出た。それから、私は、もう何も言えなくなった。

家に帰ってからも、無言で風呂に入り、歯磨きをし、そのままベッドに入った。スージンが「何怒っているの?」と聞いてきても「怒ってない」とぼそっと返事するだけが背一杯だった。

これまで、どれだけ喧嘩しても、寝る前には必ず仲直りしてきたが、今回ばかりは、黙って寝た。

朝、スージンが「ヨーコーのせいで悪夢だった。私がユダヤ人になって、ナチスに狙われる夢だった」という。それを聞いた私は心底悪いことをしたと思い、「悪かったね。くだらないことで、腹を立てて。1人になるのが悲しかったのだと思う」と伝えた。

お互いのやりたいことを束縛し合う夫婦にだけはなりたくないと思いながら、それと正反対のことをしているのだから、本当、自分ってよくわからない。

24日、出発の日。この日は珍しく、昼と夜、2食ともスージンが作り、ソファで寝ている私に「手伝って」と言わなかった。(スージンが作るのは普段は夕食のみ)そして、私は、自動皿洗い機の使い方をスージンに教えてもらい、生活費をすこしもらった。

空港までスージンを車で送り、家に戻り、1人でソファに横たわっていると、電話が鳴った。「これから搭乗するから。また、着いたら連絡するねー」とスージン。

さてと、明日の朝ご飯はどうしようかな、、、。
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「○○の妻」と紹介されるのは嫌ですか?

私がアゼルにいた時、毎週木曜日に「主夫」とのコーヒーを楽しんだように、スージンも週に一度、主婦仲間とランチをしている。その主婦仲間とは、私がケニアで一緒に働いていた友人、エリカ(米国出身)だ。

エリカの夫、サラムは私の同僚で、私たち同様、夫婦とも難民支援の現場を転々としてきた。2010年、私がケニアのダダーブでサラムに出会った時、エリカは西アフリカのガーナで働き、その後、ケニアの首都ナイロビ勤務になり、ようやくダダーブで仕事を見つけ、サラムと一緒に暮らせると思ったら、サラムがエジプトへ緊急出張となった。その後、サラムはレバノンへ、エリカはタイへ。エリカがレバノンで仕事を見つけ、一緒に住むようになり、今度は、サラムがジュネーブ勤務になったため、エリカはキャリアを一時停止し、「主婦」になった。

4人で食事することもしばしばあり、先日は、エリカが「主婦」でいることに、「そろそろ限界がきた」と言い出した。

5月の時点では「この機会に、国連とか大きな組織ではなく、自分に合った就職口を探してみたい」と話し、6月の時点では「小さい子どもの教育に携われる仕事がしたい」と話し、そして7月には「もう、就職できるなら国連でも構わない」となった。慣れない「主婦生活」で感情の起伏が激しくなるのは、1年前の私と重なるものがある。

私は「国連で仕事探すなら、サラムを通して、同僚や上司にどんどん挨拶して、自分を売り込むのが一番だよ」と話した。とにかく、国連は「コネ社会」。短期コンサルなどの空席の多くは通常の試験よりも「上司の引き」で埋まっていくことが多い。

しかし、エリカはサラムの上司にさえ挨拶したことがないという。

 理由は「どうせ挨拶しても『サラムの妻』としてしか認識されないのが嫌なのよ」という。それを横で聞いていたスージンも深く頷く。

私は「人と出会う時の多くは誰かを通して会うわけだから、『誰かの何々』と認識されるのは仕方ない」とか言っておいたが、「サラムの妻」という言葉が、その後しばらく頭に残った。

私が主夫の時、「スージンの夫」として認識されることに違和感があっただろうか?

なかった。私の場合「主夫」であることをネタにしていたからというのもあるけど、それ以上に、「肩書き」がないことへの「爽快感」があった。

私が働いていた毎日新聞も国連も大きな組織だ。毎日新聞は平社員から、キャップ、デスク、副部長、部長、局次長、局長。国連は、インターン、国連ボランティア、短期コンサル、正社員、ユニット長、セクション長、局次長、局長。それぞれの肩書は意識したくなくても、意識せざるをえない環境になっている。例えば、社員証は、正社員は縦型、非正規社員は横型になり、手当は勿論、与えられる机の大きさも、前者と後者では差がある。正社員になっても、終身雇用というわけではなく、原則、数年ごとの契約ばかりで「上司の引き」が次のポスト獲得へ大きなバネになるため、なおさら肩書を意識せざるをえない。

エリカが「サラムの妻」として紹介されるのも、私が「国連の黒岩」とか「毎日新聞の黒岩」と自己紹介するのも、自分が先にこないという意味では変わりがない。今は私に親切に接しているこの人は、私に「国連」という肩書がなくなったとき、果たして、同じ様に接してくれるのか、不安になることもある。10年、20年国連で働いて、上の役職に就いている人と話す度、その不安は増幅する。

アゼルでは他の主夫仲間だけでなく、大手石油会社社員から宣教師まで、色々な人と友達になったけど、私が「スージンの夫」でなかったとしても、親しくしてくれていたんじゃないな。 「○○の妻」と見られるのが嫌な気持ちはわかるけど、肩書に頼らない人間関係を作るチャンスでもあるのではないか。

主婦/主夫はかっこいい

7月25日から8月3日までアイスランドを旅した。アイスランドは北海道と四国を合わせた広さの島国で、人口はたったの30万人。そこに、毎年80万人の観光客が訪れる。寒いし遠いのに、これだけの人が訪れるのは、ズバリ「景色」。 そこら中に火山や滝、温泉があって、月の表面の様な景色があったかと思えば、天空の城ラピュタの様な景色が出てきたりと、外を眺めることにこれほど飽きないのは初めてだ。

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妻がフェースブックでアイスランド行きを告知すると、「私たちもアイスランドに行く予定だよ」という書き込みが。

誰かと思ったら、アゼルバイジャンで主夫仲間だったオランダ人のハンズだ!ハンズは、昨年夏にアゼルバイジャンを去り、妻のデボラが勤務する石油会社の本部があるスコットランドで暮らしていた。ハンズの詳細についてはここをクリック。

私たちは早速連絡を取り合った。あいにく、ハンズは私たちとは逆方向に向かう予定だったが、私たちがアイスランドを出発する前日に、近場で落ち合えるよう、行程を変更してくれた。一晩、同じキャンプ場で泊まることに。

約一年振りの再会。ハンズは妻のデボラ、長女のレベッカ(16歳)と長男のベンジャミン(15歳)、そして姪のサラ(15歳)と一緒だった。

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ハンズはアゼルで主夫を2年やった。スコットランドに戻ってからも、二人の子どもたちを、地元の学校ではなく、車で45分離れたインターナショナルスクールに通わせるため、毎日、子どもの送迎に3時間を費やさなくてはならず、就職活動どころなかった。

送迎生活をして3ヶ月がたったころ、「せっかく3時間も運転するのだから、送迎だけでなく、お金も稼ぐか」と思い、学校周辺にある会社に片っ端から履歴書を送った。

そして、12月に地質研究センターからビジネスコンサルタントとして雇ってもらえることになった。職場は学校から500メートル。二人を学校でおろし、出勤し、夕方に退社してから、子どもたちを迎えに行く。「おかげで、家に着くのは6時半くらいになるから、デボラが先に帰って料理してもらっているよ」とハンズ。給料はデボラの半分以下。それでも、「やっぱり、何か生活にリズムがあるのっていいよな」と言う。

私が「アゼルと今の暮らしを比べて、どちらが合っている?」と尋ねると、「丁度、二つの間くらいがいいかな」と言う。「アゼルでは、あまりにも生活にリズムがなかった。逆に今は、ちょっと忙しすぎる。子どもの送迎と仕事で日々追われる感じ」と言う。「週に3日くらいのパートタイムが丁度いいかな」とハンズ。

「パートタイムにして、できた時間で何がしたいの?」と聞くと、「色々な所を旅してきたから、旅行記でも書いてみたい。ブログでもいいし」と言う。

アゼルにいる時と変わらず、家族第一主義を貫くハンズ。相変わらず、子どもたちと仲が良い!ボードゲームをすれば、レベッカから「パパ!ちょっと負けそうだから手伝って!」と請願され、ベンジャミンが、新しいゲームを従兄弟とやろうとしたら、「おい、ちょっと俺も入るから、待ってくれ」と入り込んでいったり。

5年後、10年後の話になると、「とりあえず、子どもたちが自立したら、デボラとまた二人でどこか海外で住んでみたいな」と言う。デボラの会社が最近、韓国の会社に買収されたため、「韓国駐在もありえる。ソウルはどんな感じ?」と一生懸命、スージンに聞いてみた。

49—51歳という微妙な時期の2年のブランクを経て、しっかり仕事を見つけ、家族と幸せそうにしているハンズはとてもかっこいい。なんで、そんなにかっこよく映るのだろう。それはハンズが「男」で、本来「女」がすべきことをしているから?いや、そうあるべきではない。性別に関係なく、家族の幸せのために尽くしている人は、すべてかっこよく映るべきだ。

夫の転勤や出産を機に仕事を辞める女性もかっこいい。昨年、東京で友人何人かと飲んだ時、独身の女友達(30代後半)が「もし結婚相手が見つかるなら、仕事を辞めてもいい」と言い、隣にいた女友達(同じく独身)が「ええ!なんで!」と否定的見解を示した。私のブログを読んだある女性知人が「私も主婦になってみたくなった」と発言したら、他の女性たち(キャリアバリバリ)から「あなた何言っているの?あなたには無理よ」とお叱りを受けた。まるで、「これまで女性たちが頑張って築いてきた男女平等の潮流に逆行するのか?」と言わんばかりに。

「主婦/主夫」はかっこいい。そういうメッセージを放たなければ、男性も女性も主婦/主夫という道を選ぶ選択が与えられなくなる。よって、家族と過ごす自由も奪われる。家族を大切にする社会を築けなくなる。

ハンズと再会して、私はブログのタイトルを「国連職員×2」から「元ヒモのプライド」に変えることにした。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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