私の誤った嫌韓思想


新しい家に引っ越す前日、大家さんから一通のメールが。「暖房が壊れた」。

スイスの冬は寒い。氷点下は当たり前。引っ越してから数日は、妻は「寒い寒い」と口癖の様に言った。

しかし、そんな妻を見て、どうしても納得できないことがあった。私は、家の中でフリースなどを着て、膝にブランケットをかけ、厚手の靴下を履いたりし、できるだけ暖房に頼らないようにするのに対し、妻は、なぜか薄着のまま「寒い」と嘆く。

普段から、妻は必要以上に家の中を暖かくし、薄着でいたがる。「暖房の無駄遣いだろ」と言う私に対し、「家の中が暖かくないと、家にいるっていう感じがしない」と言う妻。
私が初めて韓国の妻の家に行ったとき、この違いが何なのか理解できた。韓国式床暖房「オンドル」である。日本ではとてもリッチな「床暖房」が韓国では日常的に使われ、家全体が春の様に暖かく、下着だけでも全然生活できた。

だが私にとって、人がいない部屋まで暖かくするオンドルは無駄なエネルギー消費でしかなく、「まったく、韓国の人たちは電気を節約しようという発想がないのか」と心の中でつぶやいていた。

普段から溜まっていた妻に対するこの不満が、この引っ越しによって頂点に達した。妻は「あなたがここに引っ越そうというからこんなに辛い生活になった」と。
 しかし、暖房が壊れたのは私のせいではないし、せめて、薄い長袖だけでなく、フリースやセーターくらい着る努力をしたうえで、「寒い」と言ってほしかった。

私は自分の赤いフリースを部屋から持ってきて、妻に着せてやり、さらに、ブランケットを膝にかけてあげた。それでも妻は「寒い」と繰り返した。そう言いつつ、妻はフリースのチャックを閉めなかった。私は「せめて、チャックくらい閉めろ!」と、怒鳴ってしまった。

それにしても、何なんだ。韓国と日本という近い国で、これだけ習慣が異なるなんて。妻が日本に来たとき、家の中で私の家族が分厚いチャンチャンコを着たり、暖房エアコンがあったり、石油ストーブがあったりすることに驚いたという。

そもそも、なんで、韓国よりもいち早く経済発展を成し遂げた日本で、「床暖房」(オンドル)という最先端なものが普及しなかったのか。妻によれば、オンドルは昔から韓国にあったというが、なぜ、韓国特有のものなのかは知らないという。

私はネットで「オンドル」を調べてみることにした。

Wikipediaによると、オンドルは

「本来の形式は台所のかまどで煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し、床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備」

むちゃくちゃ、効率的なエネルギーの再利用方法やないですか!

さらに、

「朝鮮半島においてはすでに三国時代から使用の痕跡が見られ」

ええ!三国時代!20世紀とか19世紀とかそういうレベルではないわけね。さらに、


「飛鳥時代の日本に渡来した高句麗や百済出身者もオンドルを備えた家に住んでいたらしい。しかしこの暖房方法は、日本には受け入れられなかった

なんで?そこ説明してよ!Wikipediaはここで終わっている。Googleで、「オンドル」「日本」「ない」「理由」をキーワードに検索したら、ヤフーの知恵袋につながった。

「日本の住居では、冬の寒さより、夏の高温多湿をしのぐ方が重要な課題でした。
四方を海に囲まれた日本に比べ朝鮮半島の冬の寒さは大変厳しいので暖房装置が発達したのです。
日本の冬は綿入れの着物を着て火鉢を抱えていれば何とかなりますがあちらではそれでは凍えてしまいます」

 だから日本の住宅は通気口が多く、韓国の住宅は窓が小さい。日本の気候でオンドルを作れば、カビが発生する可能性があったという。

 すげー、おもしろい。私たちの夫婦関係が、こんな日韓の違いに影響されていたなんて。何よりも、情けないのは、結婚6年たって、このことについて調べようと思ったこと。オンドルというものが韓国にあることは知っていたのに、それについて深く知ろうとは思わず、勝手に、「韓国=エネルギー浪費大国」というイメージを抱いていた。が、少し調べれば、事実は全く逆。日本が七輪や囲炉裏で石炭の消費量を節約しようとしたのに対し、韓国はオンドルでやったのだ。

 韓国人と結婚し、韓国語を勉強している私がこんななら、一般の日本人と韓国人に「隣国のことをもっと知りましょう」と言うことが、どれだけハイレベルな要求なのか、身を持って知らされた。

スージンが田舎暮らしが嫌で、私が好きなのも、もしかしたら、日韓の違いに起因するところがあるのかもしれない。これから、もっと注意深く観察してみよう。なにはともあれ、これから、この違いが原因で喧嘩することはなくなりそうだ。めでたしめでたし。
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ホームシックを患う

20代の頃なんて寝具と屋根があればどんな所でも住めると思っていた。日本でも、ケニアでも、アゼルバイジャンでも、勤務先から近ければどこでも良いという感じで、入居先を決めるのに時間をかけたことはなかった。
それが最近になって、「理想の家」に住みたいと思うようになった。私にとっての理想は、庭があって、ベランダがあって、一戸建てで、、、。それは、まさしく、私が生まれ育った新潟の実家に限りなく近いものだった。

15歳から34歳の19年間で、4大陸、8カ国、11都市に暮らした結果か、いつのまにか、人生に安定的な要素を求めるようになっていた。

問題は、私の理想である、田舎の一戸建て暮らしが、妻にとっての理想から、かけ離れたものであること。日本は、よく「東京一極集中」と言われるが、韓国の「ソウル一極集中」とは比べ物にならない。日本の「首都圏」の人口は全人口の4分の1であるのに対し、韓国のソウル首都圏は全人口の半分を抱える。京大、阪大、北大、九大などの地方エリート大学は韓国には皆無。トップ10大学はすべてソウルにあり、地方の方言に対する蔑視は、日本より強い。

しかも、1950年代はアジアの最貧国の一つだった韓国が、今の地位まで昇りつめたわけだから、ソウルの「都市化」のスピードは、東京のそれとは比べ物にならない速さだったはず。

ソウル近郊の「衛星都市」には、十数階建てのアパート群の縦横無尽にそびえ立つ。義母は「ソウルはアパートの森に囲まれている」と皮肉る。妻は、まさに、その衛星都市の17階建てアパートで暮らしていた。一戸建てに住んだ経験はほとんどない。

そんな妻と、田んぼと川と山に囲まれて育った私が、同じ屋根の下に暮らそうとすること自体が無謀なのだ。

昨年3月、ジュネーブに私が一人で移り住んだ際、すでに議論は白熱した。私はジュネーブ近郊の村にある、庭付きの広々としたアパートに住もうと言い、妻は少し狭くてもいいからジュネーブ市内のアパートが良いと言った。結局、そのときは、妻が「主婦」として私に付いてきてくれるということを考慮し、家でより多くの時間を過ごす妻の意見を尊重した。事務所から徒歩10分で、湖を眺める7階建てアパートに決めた。

しかし、そのアパートは少し狭く、仕切りがないため、一人が寝て、一人がテレビを見るということが不可能だった。夜、一人でゆっくり執筆や語学の勉強がしたい私にとっては住み辛かった。ブログの執筆頻度が減った原因の一つでもあった。

それで、せめて、寝室が二つ以上ある場所に引っ越そうと、様々なサイトで賃貸情報を集め、何軒か見学に行ったが、結局、市内のアパートばかりで、ピンとくる物件はなかった。一戸建ての物件もいくつかあるが、値段が高すぎたり、40キロ離れていたりと、なかなかない。数週間して、ジュネーブの国連のサイトに、ジュネーブから11キロ離れた村に木造の一戸建ての家が出てきた。2階建て、家具付き、庭付きで、しかも私たちの予算内!

早速、見学に行ったら、家の中には暖炉があり、庭にはブランコと滑り台。さらに、庭のそばを小川が流れ、森があった。村には家が数十軒あるだけで、商店や飲食店はない。国連までは車で20分。

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妻は案の定、大反対。まず、最寄りのバス停まで徒歩20分。バスは1時間に2本のみで、夜間は1時間に1本。車を運転するのが怖い妻にとっては行動の自由が束縛される。次に、私も妻も掃除が大嫌い。「部屋が六つもあって、広い庭まであって、誰が管理するのか?」と2点を挙げた。

私は、2点目に関しては「私が絶対、管理する。信じてくれ」と何度も頭を下げた。より深刻なのは1点目。妻は運転免許はあるし、ケニアなどで運転経験もある。運転はできるが、昔、交通事故に遭っているため、運転を極力やりたがらないのだ。

私は、妻に言いよった。「もし、運転が本当に怖くて、一生、運転したくないと言うのなら、諦める。でも、少しでも運転する気があるなら、一人で出歩く時は最寄りのバス停まで運転することは無理だろうか。」と。
 何日も議論は繰り返された。双方、同じことを何度も言い合った。時には声を張り上げ。時にはため息をつきながら。結局、「頼む。こんな家に住みたいとずーーと思っていたんだ。こんな家に住めたら、もう何も望むことはない」と私がお願いし、妻は首を縦に振った。「私をバス停まで送迎するの嫌がったり、掃除さぼったら、すぐ引っ越すからね」と言いながら。

庭付き2階建て一軒家に住むのは、15歳以来、19年ぶり。しかも、家のそばに川が流れていること。窓から2千メートル級の山が見渡せるのも、新潟の実家とそっくりだ。
これを機に、利便性や効率ばかりを追求した象徴である「アパートの森」で暮らすより、不便なことがたくさんある田舎暮らしの魅力を、妻に伝えられたら。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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