誰でも譲れない一線を持っている

 誰でも譲れない一線というものを持っている。その一線を他人が越えたとき腹が立っていてもたってもいられないという一線。家の電気のつけっぱなしだったり、女性蔑視発言だったり、人それぞれの「一線」があると思う。

 私の一線を越える人が、先週現れた。場所はケニアのカクマ難民キャンプ。92年に設立され、現在は南スーダンやソマリアなどの難民18万人が暮らす。

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私は、洪水や地すべりが多発する難民キャンプの防災システムの視察で、キャンプの難民リーダー宅を訪れた。リーダーは30代のソマリア人男性Bさん。彼の自宅で話を聞いていると、突然、揃いの青いポロシャツを着た男女2人が入ってきた。女性は30代、男性は50代ぐらいで、何か調査をしているのか、ノートとペンを手に抱えている。おそらくケニア人。

 女性は入ってくるなり「ちょっとこの地区のリーダーに話を聞きたいのだけど、あなたはリーダー?(私を見ながら)この方とは後どれくらい時間が必要なの?」と切り出した。

 「ちょっと今取り込み中なのですが?」とBさんが答えると、「じゃあ、他のリーダーにつなげてくれないかしら?」と言ってきた。私が苛立ちを隠せず、二人にしかめ面を向けると、何かを察したのか、女性が「私は○○という者で、○○という団体でキャンプの調査をしているのです」と紹介を始めた。

 Bさんに「この二人とは約束があったのですか?」とたずねると、彼は首を振った。私は、二人に「事前に約束もなくやってきておいて、自己紹介もせず、いきなり他のリーダーを呼べとは、ちょっと失礼ではないですか?」と質問を投げかけた。できる限りのソフトな口調で。声を荒げたい気持ちを必死で抑えた。

 女性は苦笑いをしながら「キャンプのリーダーたちには私たちが今週調査を行っていることは伝えてあります。彼が忙しいのなら、他のリーダーでも私たちは構いません」と答えた。二人の団体名は聞いたことがなく、おそらく、カクマに駐在しているのではなく、ナイロビかどこからかやってきているのだろう。

 私は「あなたたちはBさんの個人宅を訪ねてきています。だから、ここで重要なのはまず、Bさんはあなたたちが誰かを知っているのか。そして、この時間にあなたたちが来ることを知っていたのか。キャンプのリーダーたちがどれだけ多忙なのかご存知ですか?」。女性は黙りこみ、Bさんが「他のリーダーに電話しておいたから、ここで待っていてください」と女性に伝え、私たちは別の場所へ移動した。

 Bさんと二人きりになった後、私はBさんに、「ダダーブにいたときも、援助団体がああいう態度で難民に接するのを何度も見てきました。本当に許せない。自分たちが難民よりも上に立っているという感覚がなければ、説明できない行為です」と言い、Bさんは「本当に嫌になります。ああいうことをされると、すべてを投げ出して、ソマリアへ帰ろうかと思うくらいです」とうつむきながら話した。

 キャンプのリーダーは、地区内の数百人の難民の苦情の取りまとめや、政府、援助機関、メディアなどキャンプへ訪問してくる人の対応などに日々追われる。これをすべて無償でやりながら、自分たちの家族を養うため、何かしらの仕事もしなければならない。家族との時間もある。

 そんなリーダーの家に勝手に入り、挨拶もせず、忙しいなら代わりを呼べと言う援助機関関係者が存在するという現実。そして、そういう現実を何度も出くわしてきた自分の経験。そしてその援助機関が近年「難民の自立と能力向上を!」をモットーにしているという大きな矛盾。先日、車上荒らしにあったときよりも、数倍の怒りがこみ上げてくる。

 難民のニーズ把握も、能力向上も、自立支援も、それは、支援する側とされる側が肩を並べているという前提で成り立つもの。その前提が崩れるとき、現在、ヨーロッパへ押し寄せる膨大な難民の数も、日本の難民認定率の低さも、20年以上長期化した難民キャンプがたくさんあるという現実も、自分にはどうでもよくなっていまう。担ぎ手のない御輿をいくらきらびやかにデザインしても、それは誰の目にも留まらない。まず、私たちと難民が一緒に御輿を担がなければならないのだ。

 パリの事件で、また「難民」という単語にネガティブなレッテルを貼ろうとする人が増えている。難民と一緒に御輿を担いでくれる人も増えてくれたらいいのだけど。
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特定の人種に対して偏見を抱いている自分と出会う


先日、妻や同僚たち数人と会社帰りにジュネーブ市内のレストランに行き、スイス名物フォンデュを食べ、午後10時ごろ、マイカーをとめた近くの地下駐車場へ向かった。

 地下に降りて、妻が「駐車券かして。支払機で代金払ってくる」と言い、私は車まで向かった。緑色の軽乗用車にたどりつき、リモコンボタンを押してロックを解除。まず、後部座席のドアを開けて、一緒にいた同僚が後部座席に座れるよう、コートやカバンやらを整理し、いざ、運転手席のドアを開けた。

 その瞬間、別世界に放り込まれた。きらびやかな白い小さなガラスが、座席下の黒いカーペット一面に散らばっていた。全く予想外の光景が目に入るとき、時間の流れが止まるということを改めて実感する。

 そのガラスが、運転手席斜め前、サイドミラー手前の小さな枠の窓ガラスの破片だということに気づき、何者かがガラスを割り、ドアを開けたのだということを理解するまでに数秒かかった。

「スージン!!!!!」何度も叫んだ。妻は全く、反応なし。支払機が想像以上に遠くにあるのだろう。「スージン!!!」繰り返し叫びながら、車内に何があって、何がなくなっているのかを目で追う。

 最初に後部座席を開けたときは気づかなかったが、私のイタリア製革カバンと、妻の手提げカバンがなくなっていること。そして、私のカバンの中には、パソコン一台、パスポート二冊(国連と日本のパスポート)があり、妻のカバンには財布とパソコン一台があったということを思い出した。

 妻がようやく、異変に気づいたのか、走って戻ってきた。「オーマイガット」と言い、クレジットカード会社に電話をするため、再び外に出た。地下では携帯の電波が悪い。私はどうしたらいいのかわからず、丁度通りかかった50代くらいのおじさんに歩み寄り、事情を説明した。「まず、警察に連絡ですよね」と言う私に、「まず、駐車場の管理会社に連絡だ」とおじさんは言い、入り口にある緊急連絡用のボタンを押して、フランス語で管理人と話してくれた。駐車場内にはCCTVがある。「警察にまず連絡して。そうすればCCTVで捜査できるらしい」とおじさんは言い、電話番号をくれた。「この時間だと開いている警察署が限られている」と言う。

 私たちは最寄の警察署へ行った。署では、「これは緊急な事件ではないから、明日の朝8時に改めて出直してください」とのこ
と。窓ガラスが割られたまま、その日は家に戻った。

 「なぜ車の中に貴重品を置いたままにしたのか?」と自分たちを責めたり、「どうせもう4年も経ったパソコン。買い替えの時期だった」と慰めたりした。私のパソコンは開ければ、そのままメールに接続できる設定だったため、メールのパスワードをすべて変更した。
 
次の日は朝早くから警察署で被害届を出し、車の保険会社、パスポート申請するために領事館などに出かけた。

 イタリアの革鞄は、7月にイタリアを旅行した時に買ったばかりのもの。4万円しがた。パソコンの中にはたくさんの写真が入っていた。何もバックアップしていなかった。

 駐車場にCCTVがあることに安堵感みたいなのを抱いていたが、落し物を届けにくるおじいちゃんと同等の扱いを警察から受け、単なる車上荒らしのために、警察がどこまで時間を費やしてくれるのか疑問を抱くようになった。CCTVで姿がわかったとしても、その人を見つけるためには、それなりの時間と人力が必要だ。殺人とか強盗とか大きな犯罪が優先されるのではないだろうか。犯人が捕まったとしても、パソコンやカバンが戻ってくるとは思えない。

 数日間、ボケーとする時間さえあれば、事件のことについて考えふけった。そうしているうち、自分の奥底に宿る恐ろしい偏見と向き合わざるをえなくなった。事件から1週間ほどした時、妻に切り出してみた。

私:犯人が窓ガラスを割って、物を盗んでいく光景を想像してみたことある?

妻:ある。

私:何度も?

妻:うん。

私:そこに出てくる犯人って、どんな人?

妻:、、、、。

私:女性?

妻:いや。

私:老人?

妻:いや。

私:若い男性か。

妻:うん。

私:肌の色は?アジア系?黒人?白人?

妻:白人かな。ようこうは?

私:白人だけど、ちょっと肌が濃い感じかな。

妻:私も。黒人ではないけど、真っ白い白人でもない。

私:二人とも同じような犯人像を想像している。本当の犯人は子どもや女性かもしれないのに。日本人か韓国人かもしれないのに。

妻:日本人や韓国人は数的に少ないし、女性の力じゃ無理でしょ。

私:いや、窓ガラス割るだけなら、ちょっとした器具があればいいだけだから、女性でも十分可能だよ。なんでこんな偏った犯人像になってしまうんだろう。

妻:そういう人たちが犯人になるのをテレビや新聞でみたり、夜に道路でたむろしているのを見て、勝手に「危険」と私たちが判断しているのかもね。

難民支援している私たちにも、こんなステレオタイプがあるのだ。今ヨーロッパにたくさん難民が流れている。今の仕事に就いていなかったら、「難民が来たら危険になる」という政治家の言葉に、私も扇動されていたかもしれないと。不公平さというか理不尽さに背筋が凍りつく。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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