武装した若者、工場訪れる (その2)

事件が起きた午後、工場Aを統括するアヤレと電話で話した。アヤレは今月初旬にライフラインに入った。治安悪化で私が自由に動けない中、モウリドが二つの工場を一度に統括するのが難しくなり、工場Bをモウリド、工場Aをアヤレと分担した。

「とにかく、工場長が直接、地元の青年組織と話すことが大事だと思います」とアヤレは言った。しかし、私は「ナイフや斧を振りかざし、『工場長はどこだ?』と言う若者たちと話す勇気は残念ながらないよ。もし、君が彼らと話し合いができるという自信があるのなら、君にやってもらいたい。もし、君の安全が保障されないなら、とりあえず、今は時間を置いて、他の機関と連携して、話し合いができる環境を作るまで待つしかないよ」とアヤレに伝えた。ライフラインの本部からも、とりあえず、ダダーブの国連敷地外には出ないよう指示が出ていた。

アヤレは、「わかりました。それでは、モウリドも一緒に話し合いに参加してもらえるよう、お願いできないでしょうか?」と言う。私は、モウリドに電話をした。モウリドも、自分の身に危険が及ばないか心配しながらも「安全な環境で話し合いができるなら、参加します。七輪を配るだけでなく、技術指導などで、地元の人たちと協力できる余地はいくらでもあるはずです」と前向きだった。アヤレは地元の青年組織との個人的つながりを使って、交渉を進めるという。

自分の従業員の身に危険が及んでいるのに、工場長として、何もできないことが悔しかった。

しかし、ライフラインがダダーブで活動を始めて5年になるが、なぜ、このタイミングで、このような事が起こったのか?ダダーブはケニア北東部に位置し、住民の大半はソマリア民族で、難民と言語も宗教も同じである。つまり、ナイフを持って工場に来たのもソマリア民族の若者だ。

まず、考えられるのが、昨年の16万人という大量の難民流入により、木々などの資源が枯渇し、地元住民と難民との間の軋轢が増幅したということ。地元住民の大半は遊牧民で、ヤギやラクダを飼育し、限られた木々に生計を依存している。ケニア北東部に住むソマリア系住民は、1960年代にケニアからの分離独立運動をし、中央政府から弾圧された歴史があり、他の地域と比べ開発は遅れている。そこに、90年代から難民が押し寄せ、水、食料、教育、医療など、 地元住民が受けることのできないサービスが無料で難民に提供され、あげくに、木々がどんどん伐採されては、いくら同じ民族といっても、軋轢が生じるのも無理はない。


ダダーブには20以上の援助機関があり、2000人近くのケニア人が雇われている。しかし、多くは大学卒業などの資格を必須とし、ナイロビなどと比べたら教育水準が低いダダーブ周辺地域出身の人は、そこまで恩恵を受けることができない。また、6000人以上の難民が援助機関で働くが、就労許可がない難民は、「ボランティア」扱いで、ケニア人従業員とは待遇面で大きな差がある。そのため、人件費を抑えたい援助機関は、ケニア人よりも難民の方を雇いたいため、ダダーブのソマリア系ケニア人の不満は募るばかりなのだ。

次に、少し出前味噌になるが、この1年でライフラインの知名度が格段に上がったことが挙げられる。弱小団体であるライフラインは、事務所と工場が他の援助機関内にあり、 私が昨年5月にライフラインに来るまで、難民も援助機関職員も、ほとんどライフラインを知らなかった。

しかし、「難民自身で運営する七輪工場」をキャッチフレーズに、他の援助機関との共同プロジェクト、啓発キャンペーン、従業員への研修などを繰り返し、インターン制度で障害者を工場へ受け入れるなどするうち、ライフラインの知名度は上がり、以前、職員募集をしても数通しかこなかった申込書が、今は200通にまで膨れ上がった。新しい資金提供者も見つかり、従業員数も、当初の30人から53人にまで増えつつあった。

そして、その従業員が全員難民で、1人もダダーブ周辺のソマリア系ケニア人から雇われていないことが地元住民に知れ渡り、今回、こういう結果を招いた。実際、詳細は書けないが、先月初旬から、ライフラインに対するいくつかの「嫌がらせ行為」があった。

他の援助機関も地元住民とは様々な対立を乗り越えて活動を継続してきている。ライフラインはこれまで他の援助機関の隠れ蓑で活動してきたため、こういった問題に対処する必要ななかった。つまり、ライフラインが成長する過程で、起こるべきして起こったこととも言えなくもない。

アヤレとモウリドが彼らとどんな交渉をするのか。とにかく、彼らに危険がさらされないことを願うばかりだ。
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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