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友人、武装集団に連れ去られる

6月29日午前11時半ごろ、ダダーブで活動するNGO「ノルウェー難民委員会」(NRC)の車両3台が10人以上の武装集団に襲われ、ケニア人スタッフ1人が銃で撃たれて死亡、外国人スタッフ4人が連れ去られた。他に2人、重傷を負った。連れ去られた4人は、ノルウェー人、パキスタン人、カナダ人、フィリピン人。これまで援助機関を狙った事件はいくつも起きてきたが、これほどの規模のものは初めて。

ダダーブには現在五つの難民キャンプがあり、事件が起きたのは、昨年開かれたばかりの「イフォ2」キャンプ。昨年10月には同じキャンプで、国境なき医師団で働くスペイン人2人が拉致されており、未だに行方がわかっていない。

私は、事件発生時は、現場から約4キロ離れた工場Bにおり、工場を去った直後の12時15分ごろ、工場Bの主任、ファラからの電話で、事件を知った。その後、午後6時に全援助機関を集めた緊急会議が開かれ、事件の詳細が知らされた。集まった約40人の表情は重く、報告後、質問する人は誰1人いなかった。

連れ去られたメンバーには、私の知り合いも含まれ、個人的に連絡を取り合うことはなかったが、食事会や会議で会って話をすることは頻繁にあった。1人は、ピザが好きで、ナイロビから材料を仕入れ、友人10人以上を招いてピザを振る舞う陽気な性格だった。そんな彼らと、一瞬にして連絡が取れなるという現実を受け入れることは容易ではなく、特に親しかった人たちの中には、泣いている者までいた。

武装集団は、車両ごと連れ去り、数時間後、現場から30キロ離れた所で、車両が乗り捨てられているのが見つかった。ダダーブから100キロ離れたソマリアとの国境をすでに超えている可能性もあり、捜索活動は難航を極めるだろう。また、昨年10月の拉致事件の2日後には、ケニア軍がソマリアに侵攻しており、今回の事件が、国際関係に影響を与える可能性も指摘される。

日本にいる友人からはよく、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」などと、聞かれることがある。そして、身近な人間がこういう事件に巻き込まれると、それらの質問が、自分にずっしりと重く響く。「国際協力だったら、もっと、安全な所でもできる」「日本にも困っている人たちはいる」などなど、自問し始めたらきりがない。

「みんながそんな風に考えたら、誰も紛争地帯に住んでいる人を支援する人はいなくなる」という、かっこつけた返答をしたこともあったが、今、改めて考えると、本当の自分の思いはもっと違うところにあるような気がする。

20歳の時、旧ユーゴスラビアで初めて難民に出会った時、自分とはかけ離れた人生を歩む人たちへの「好奇心」が沸いた。以来、もっと、その人たちのことを知りたいと思い、インターンや大学院で難民の研究に携わった。新聞記者になっても難民の記事をいくつか書いたが、数日の現場取材だけでは断片的な事しか書けず、長期的に人間関係を作ることでしか伝えられないストーリーを書きたいと思った。

それで2年前、ダダーブに来た。正直、好奇心が先行して、自分が危険な事件に巻き込まれる可能性など、あまり深く考えることはなかった。

でも、日本から遠く離れたアフリカで暮らしていると、「危険」という単語の定義も、あやふやになってくる。日本では、確かに外国の武装集団に複数が拉致されるという事件は滅多に起きないから、そういう意味では、ダダーブより安全なのかもしれない。でも、ここ10年以上、年間3万人以上が自殺で命を落とし続けているという現状は、「危険」ではないのか? 交通事故でも、年間約5000人が亡くなり、そして、昨年の原発事故。ケニアの治安は日本より悪いが、事件、事故、自殺を合わせて年間3万人以上が命を落とすことはないのではないか。

自殺や交通事故はメディアに取り上げられないが、「拉致」、しかも、イスラム武装組織の関与が指摘されれば特にメディアの関心は高くなる。それで、ダダーブは「テロの温床」「危険」などといイメージになるが、援助関係者が巻き込まれる事件は、この20年で数えるほどしかない。

そして、その仕事の「危険度」を、人生選択の重点基準にすること自体に、私は違和感がある。自分のやりたいことを一つもこなせずに80年生きるのと、やりたいことを一つでも達成して40年生きるのとでは、どちらが幸せなのだろうか。

少なくとも、今、私は自分の仕事におおきなやりがいを感じることができている。それは、日本の会社で働いている時のやりがいよりも、比べ物にならないくらい大きい。

「給料挙げろ!」しか言えなかった従業員たちが、自分たちのお金で識字教室を始めたり、全身をベールで覆ったイスラムの女性は、自分とは別世界の人間だと思っていたが、彼女たちが私と同じ様に野球のバットを思い切り振り、笑顔で一塁ベースへ走る姿を見たりと、私の好奇心はさらに壮大になっている。

だから、「なぜ、あえて、そんな危険な所に行くのか?」という質問には、「別に危険だから行く事に決めたわけじゃない。自分のやりたいと思った事が、たまたま、そこにあっただけ」と答えることしかできない。

連れ去られた友人らは、一体、どんなきっかけで、人道支援の世界に入ったのだろう?そんな事を考えながら、友人たちの無事の生還を祈る日々が続く。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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