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仕事がしたい

工場Aの閉鎖が決まり、私は、ある従業員の事が気になった。昨年末に、障害者支援の団体から紹介され、ライフラインの従業員になった、アフメッド(仮名、36歳男性)。足や股間などが象のように大きく膨れることから「象皮病」と呼ばれる病気を左足に負っている。小学校も卒業しておらず、しかも身体障害を背負う彼に、別の仕事を見つけるのは至難の業だろう。私は、彼をダダーブに呼び、話を聞いた。

私は、アフメッドに「仕事がなくなっても大丈夫?ライフラインでの仕事はどうだった?」などと尋ねるうち、アフメッドは自分について語り始めた。

「ライフラインで仕事ができなくなるのは本当に辛いですよ。私みたいに、教養もなく、障害を負い、しかも、少数派部族に属しているのを受け入れてくれるのは、ライフラインだけでしたから。

私は、これまでもこれからも、亡くなった母親との約束を守ることだけを考えて生きています。私は、ソマリアの首都モガディシオで生まれ、7人兄弟の長男で、母親は政府の職員でした。父親は一人目の妻の家で暮らしていたので、普段、あまり顔を合わせませんでした。母親はとても教養が高く、収入も安定していた。でも、なぜか、私は勉強が大嫌いだった。9歳くらいから、学校をさぼって、『ミラー』(ソマリアで人気の大麻の様な葉)を友人たちと噛んでいました。ミラーを噛むと、とても気分が良くなった。授業中に、教室の窓から飛び降りて抜け出していたから、「ジャンパー」なんてあだ名をつけられていました。結局、母親からの説得を無視し、10歳で小学校を辞めました。

1991年、内戦が勃発し、武装集団が私の家を襲いました。丁度、妊娠中の母親しか家におらず、銃を数発、空中に放ち、金品を奪って行きました。母親は直接危害は加えられなかったものの、精神的ショックで、流産し、腹部からの出血が止まりませんでした。私は、必死に医者を探しまわりましたが、戦争で、すべての病院が閉まっていました。母親の容態は悪化を続けました。意識がもうろうとしていく中、私は母の頭を膝の上に抱き寄せ、看病しました。母は、「あなたは長男で、父親はあまり家にいないのだから、あなたが、下の子たちの面倒を見てね。もう、ミラーを噛むのは辞めてね」。私は泣きながら、「何でもするから、頼むから、逝かないで!お願いだよ、、」。間もなく、母は息を引き取りました。39歳という若さで。

 私は、ミラーを噛む生活とは決別しました。父親の建築の仕事を手伝いながら、わずかな収入を稼ぎ、妹や弟たちの学費に充てました。母親に恥ずかしくない生活をすることだけを考えました。1995年、父親から紹介された女性と結婚し、息子を授かりました。しかし、間もなく父親が胃がんで亡くなり、妻とも離婚しました。そしたら、突然、左足が腫れ始めました。激痛に悩まされ、病院に一ヶ月入院しました。何が原因なのかは、わかりません。

父の死後は、仕事が大変になりました。大工でしたが、日雇い労働なので、数ヶ月仕事がないこともありました。そういう時は、弟や妹に満足に食事を与えることもできませんでした。どうしようか考えた時、近所の人たちが、サウジアラビアへ出稼ぎに行った親戚からの送金で、大きな家を建てているのを見ました。内戦は一向に終わる兆しもなく、私は「これしかない」とソマリアを出ることを思い立ちました。

しかし、ソマリアからサウジアラビアへ行くには、アデン湾を船で渡り、イエメンに密入国しなければいけません。私同様、イスラムの聖地で、裕福なサウジアラビアを目指すソマリア人は多く、定員超過状態で海を渡る密入国船が多く、転覆事故が毎年数十件あり、たくさんの同胞が命を落としていました。それでも、「母との約束を守るには、ソマリアにいてはだめだ」と自分に言い聞かせました。

20ドルを密入国業者に支払い、わずか長さ6メートルのボートに290人が詰め込まれました。体を寄せ合うこと12日間、ようやくイエメンが遠くに見えかけてきた時です。船長が、「イエメンの海上保安船がこちらに向かっている。密入国がバレたら、全員捕まる。ここから、泳いでイエメンまで行ってくれ」と私たちにお願いしてきました。イエメンは軍事独裁政権で、捕まったら終わりです。私たちは、「泳げる分けないだろ!」と船長たちと言い合いになり、拳銃を突きつける者まで出てきました。ボートの上で乱闘が始まり、船体はバランスを失い、そのまま転覆しました。

皆、お互いの体を掴み合いながら、必死に生き延びようとしました。私のシャツは隣にいた女性に脱ぎ取られました。私も、何か捕まるものを求め、がむしゃらに泳ぎました。そしたら、幸運にも、船体の一部に捕まることができたのです。他の6人とそれに捕まりながら、2晩、海の中で過ごしました。喉がからからになり、意識がもうろうとしていく中、大きな船体が目の前に現れ、救助されました。290人中、助かったのは私たち7人だけでした。

多くのソマリア人が暮らすイエメンでは、友人の紹介で、パン屋で働きました。しかし、アラブ系のイエメン人は、肌が黒いソマリア人を見下しています。店長は、私の給料を2ヶ月以上支払わず、「もし、この工場を出て行くなら、お前の不法終了について警察に届け出るぞ」と脅されました。仕方なく、私は、お金が溜まってから行こうと思っていたサウジアラビアを目指すことにしました。お金がないため、車や飛行機で行く事ができません.山間部を密入国ルートを1人5日間歩いて越境しました。サウジアラビアに入って間もなく、左足の痛みがひどくなり始めました。あまりにも激痛が続き、歩けないくらいになりました。近くのモスクへ助けを求め、国家警察に保護されました。私が不法で入国したことを知り、警察は、ソマリアへ私を強制送還しました。

ソマリアに戻っても、左足は治らず、病院からは「ケニアのダダーブ難民キャンプなら、医療施設も充実しているから、治してくれるかもしれない」と忠告を受け、2006年、ダダーブへ来ました。ナイロビの病院に入院し、足の痛みは和らぎました。

しかし、キャンプでは仕事がなかなか見つかりませんでした。援助機関は、文字の読み書きができないと難しいし、キャンプ内の市場で働くには、親戚や知り合いがいないと難しい。私は、ソマリアでの少数部族の「バントゥ」部族(ケニア、タンザニアなどから、ソマリアへ奴隷として送られた人たちの子孫で、『アラブ系』のソマリア人から蔑視の対象とされる)に属するため、それほど大きなツテがありませんでした。

ミシンを借りて、小さな仕立て屋をやりましたが、ミシンと場所の賃貸料が高く、売り上げが追いつかず、半年で辞めました。市場を歩いても、私の膨れ上がった足を見て、子供たちは逃げ出します。私は、途方に暮れました。

2011年秋、身体障害者を支援する団体から、ライフラインという団体が、インターンを募集していることを聞きました。私は、「どうせ、英語が話せなければ、だめなのだろう」と半ば諦めていましたが、工場に行ってみると、ほとんどの従業員が文字の読み書きができず、私の部族から3人の雇われていることに、驚きました。バントゥの同胞から、「ここで、一生懸命働けば、雇ってもらえるぞ。頑張れ」と励まされ、毎日毎日、働きました。そして、一ヶ月後、正式雇用の通知を頂いた時は、本当に嬉しかった。生まれて初めて、しっかりした組織に受け入れてもらった瞬間だった。

初めての給料で、他のバントゥ出身の若者たちにサッカーのユニフォームを買い、「ライフライン」というサッカーチームを結成しました。他の援助機関と違って、その人の教育レベルや部族、障害の有無など関係なく、誰でも快く受け入れてくれるライフラインのことを、1人でも多くの人に知ってもらいたかった。

その後の給料で、家を立て直したり、台所道具を買ったり、ソマリアの家族に送金したりしました。やっと、母親との約束を果たす事ができたと思っていました。

ライフラインでは、動物と植物が、酸素と二酸化炭素を交換して、相互依存の関係とういことを学びました。それで、七輪配布による森林保存の重要性を学び、この世界には、自分みたいな障害者でも、何か社会の役に立てることがあるのだとわかりました。木々が私たちに酸素を与える様に、私も、他の同胞たちのために七輪を作る事ができる。

でも、工場閉鎖で、私の一番幸せな時間は、長く続きませんでした。私の人生は、とことん、ついてないですね。

今年2月に私たちがストライキをしたことがありましたね。本当は、私は働きたかった。工場長を裏切るようなまねはしたくなかった。でも、皆がストライキをするって言うから、仕方なく追従しました。1人だけで働いても仕方ないですから。私は、あの時、工場長は何も悪い事はしていないと思っていました。あの時、ストライキなんてして、本当に申し訳なく思っています。

少しの間だけでも、幸せな時間を頂いた事、とても感謝しています。また、工場が再開できたら、一緒に働きたいですね。仕事がしたいです。ライフラインの活動は、もっと、色々な人に知れ渡るべきです。工場長、こんな自分を受け入れてくれて、本当にありがとうございました。母親も喜んでいると思います」
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No title

象皮病
この病気のウイルスの原因は、”蚊”だったはずですよ。

本当に、すさまじい人生を送っておられる方ですね・・・・・・

No title

alhamlillah!
この方の謙虚さと仕事を得た喜び、まじめな性格・・・・
inshaallah、彼に再び、仕事が得られますように。
アーミン。

No title

別の工場で雇ってあげたかったのですけどね。そうすると、彼だけ特別扱いになってしまうので、、、。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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