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難民の「自立力」のシンボルが消滅する

写真2
29日午後7時ごろ、ダダーブ難民居住地区にあるキャンプの一つ、「ダガハリ」キャンプの市場で大規模な火事が発生した。数十センチの通路を隔てて引き締め合う店舗が次々と焼かれ、30日午前7時ごろまで延焼した。

30日午前9時ごろ、私は、国連の治安担当者とケニア警察と一緒に現場に向かい、延べ5000平方㍍に及ぶ 、市場の大部分が「消滅」したのを目の当たりにし、しばし呆然とした。野菜を買った食材店通りも、お茶を飲んだレストランも、すべて鉄板とがれきの山とかしていた。幸い、死人はおらず、数人がやけどなどのけがを負ったという。

 現場一帯は、白い煙に包まれ、多くの人たちが、ブラスチックのタンクで水をくみ、自分たちの店の跡地の消火活動や、残った貴金属類を拾い集めるなどしていた。中には、地面にまき散らされ、土まみれになった砂糖の山を、袋に入れている子供もいた。拳銃を肩にかけたケニア警察は、現場の跡地から物を盗もうとしている難民がいないか監視し、少しでも怪しい行動があれば、容赦なく、こん棒を振りかざし、私も危うく巻き添えを食らうところだった。

友人6人とお金を出し合って、昨年始めた雑貨屋を失った39歳男性は「店には200万シリング(約200万円)くらいあったけど、すべて失いました」と肩を落とした。男性によると、300以上の店が全焼し、数百万単位の損失は「めずらしくない」と言う。中には1000万シリング以上を失った人までおり、火事の深刻さを物語っている。

出火場所は、市場の店舗に電力を供給していた発電所で、電線を通して、電力供給先の各店舗へ一瞬で延焼し、市場から1キロ離れた所に暮らす男性は「爆発音を聞いてから、市場へ駆けつけようとしましたが、その時には、辺り一面火が燃え上がり、どうすることもできなかった」と言う。

ダガハリでの火事は、これで3度目。これまでは、援助機関も消火器を持って消火活動に当たることができたが、昨年からの治安悪化で、援助機関は、身動きがとりづらかった。 ダガハリでは先週、路肩爆弾が爆発して6人が重傷を負ったばかりだった。そのため、火事の一報が入った際、誰もが放火の可能性を考え、現場に近づくのをためらった。店舗を失った難民たちは口々に「なぜ、私たちを見捨てたのか?」と訴えた。

問題は、なぜ、店舗や住居が密集しているキャンプで、消火対策措置が設置されてこなかったということだった。店舗を失った男性は「昔の店舗はすべて、木造だったけど、みんな火事を恐れて鉄板を使う様になった。でも、今回の様に、発電所から電線を通して延焼するなんて予想しなかった」と言う。

私が国連に勤務していた昨年3月、ダガハリの青年組織が、消防団結成のための企画書を国連に出した。丁度、私の任務が終わる頃のことで、引き継ぎ書に記して、私は国連を去ったが、結局、上層部の判断で実現されることはなかった。今回の火事で、難民居住地区にも消防団などの長期的視野を入れた開発が必要なのだということを、私たちに改めて教訓とさせた。

ホテル、送金業者、レストラン、インターネットカフェ、DVDシネマ、雑貨屋、肉屋などが連なった市場は、1991年にキャンプが設立されて以来、住民たちが自分たちでコツコツ貯めた「財産」の結晶だった。また、市場の発展には、援助機関はほとんど関与しておらず、まさしく難民の「自立力」の証明でもあった。援助機関と難民が協力して、これらの「宝」を二度と失わないよう、対策を練らなくてはならない。

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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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