戦争で負った傷と向き合う

カウンセリング専門の援助機関で働く友人から「あなたの工場で働くヤシン(仮名、20代男性)が、私たちのカウンセリングに通っているのだけど、かなり深刻なの。毎週火曜日と水曜日に、早退許可を出してもらえないか?」との連絡を受けた。

ライフラインでは、よりやる気のある難民に雇用機会を与えるための「インターン制度」がある。インターンは無給で1ヶ月間、七輪作りを学び、空席が出た場合に、インターン修了生で一番勤務態度が良かった人を雇うというもの。

ヤシンは、4月に、別の従業員の紹介で、インターンを申し込んできた。彼は英語が堪能で、私は「君みたいな教養が高い人なら、もっと、しっかりした仕事があるのではないの?インターンをしても、その後、仕事をもらえる保障はないのだけど、いいんだね?」と彼に念を押し、「わかっています」とインターンになった。

七輪作りは肉体的にきつい労働だ。私もレンガ運びを手伝うことがあるが、1時間でヘトヘトになる。インターンもかなりの割合で、「こんなきつい仕事を無給ではできない」と逃げ出してしまう。

しかし、ヤシンは、一ヶ月間、どんな辛い仕事も嫌がらず積極的にやり、無遅刻、無欠勤で終えた。インターン終了後も、何度か工場に顔を見せ、空席の機会を待っていた。そしたら、7月、女性従業員が育児のため、半年間、休職することになり、10人のインターン修了生の中から、ヤシンが代理として雇用された。

8月22日、私は、とりあえず、国連事務所にヤシンに来てもらい、事情を聞いてみることにした。げっそりとやせ細った体で、紺のTシャツは、工場から直接来たからなのか、所々、汚れがある。「友人から、あなたがカウンセリングが必要と聞きました。それについては全面的にサポートします。もし、差し支えなければ、話せる範囲内で事情を聞かせてくれませんか?勿論、言いたくないことは、言わなくていいです。これは、義務ではありません」と伝え、ヤシンは、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「約10年前、祖国で武装勢力のメンバー数人に家を襲われました。斧を振りかざし、私たち家族は拷問を受けました。私は、左耳をナイフで斬りつけられ、火あぶりにされました」

彼が左手で掴んだ左耳に目をやると、上部がへこんでいることに初めて気付く。

「数十頭いた牛や家具はすべて奪われました。『この民族は絶滅させなければならない』と、メンバーの1人が話しているのが聞こえました。父と母、兄弟3人いましたが、全員、体を縛り付けられました。幸い、誰も殺されませんでした。父親は『何とか、また、一からやり直そう』と私たちに言い、隣人からお金や食料を分けてもらうなどし、何とか生活を立て直しました。しかし、双子の妹が、精神的に不安定になりました。人の話に集中することができなかったり、突然、鼻血を出すようになりました。

2年前、再び、武装集団が家を襲ってきました。私は、牛の放牧作業から帰ってくる途中で、100メートル先で、数人の男が斧を持って家の庭にいるのが見えました。彼らは、父の髪の毛を掴み、斧で首を切り落としました。その瞬間、私の中で、すべての時間が止まり、頭が真っ白になり、何が何だかわからなくなりました。体が勝手に、家とは逆方向に走り出しました。走って、走って、走りました。森にたどり着き、1人で、果物などを食べながら、過ごしました。 他の家族が無事なのかさえわからない。でも、怖くて、家には戻れない。

震えながら、森で、数日間過ごした後、首都まで行きました。荷物運びなどでお金を稼ごうとしましたが、体に力が入らず、続けることができませんでした。そこには、対立部族が多く住んでいることから、身の危険を感じ、そこから、トラックの荷台に忍び込み、ナイロビに辿り着きました。

国連事務所で難民申請をし、ナイロビに住む同胞たちにかくまってもらいました。そしたら、双子の妹も、ナイロビにいることがわかり、再会を果たしました。死んだと思っていた妹が生きていることに、最初は大喜びしましたが、妹から、他の家族全員が殺されたことを聞き、言葉を失いました。さらに、妹の精神状態が、著しく悪化していたのです。

夜、突然、叫び出したり、火を見ると、鼻血を出したり、記憶があいまいだったり、とにかく正常ではなかった。国連に難民申請をしても、彼女の記憶があいまいだから、首尾一貫した供述ができず、申請は却下されました。

私たちは昨年、ダダーブ難民キャンプに送られました。今、カウンセリングに通っていますが、妹は、私が通訳してあげないと、カウンセラーに何も話すことができないので、私が同席しなければならないのです。

キャンプの治安悪化は、妹の状態をさらに悪化させます。路肩爆弾の爆発音を聞けば、恐ろしい記憶を呼び覚ますのか、一晩中、叫び続けます。

私は、妹と2人暮らしで、料理も洗濯も私がやらなくてはなりません。国連からの食料配給だけでは生きていけないので、妹のために少しでも収入を稼ごうと、国連職員の清掃係になりましたが、洗剤で手がかさばり、できませんでした。別の援助機関でも働こうとしましたが、職務が、他の難民が抱える問題を調査するもので、私に、そんな精神的余裕がなく、あきらめました。

ライフラインのインターン制度を知り、無給だとは知っていましたが、家にずっといるよりは、何か技能を身につけた方がいいと思い、参加しました。今は、とにかく、妹が、料理や洗濯、小さなことでもいいから、できるようになるまで、横で支えてあげたい。

未だに難民認定は受けていませんが、精神科医からの推薦書を出して、再申請している所です」

ヤシンは、時折、涙を流しながら、打ち明けてくれた。私は、呆然となり、何かかけられる言葉はないかと一生懸命探した結果、「大変だったね」と語りかけた。 ヤシンは、「大変?私なんか、まだ幸せです。妹に比べたら」。頬をしたたれる小粒の涙を左手で拭き取りながら答えた。
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酷い話ですね。なんか、精神的に、まともになんてなれないですよね。
でも、彼は、必至で、残された唯一の家族を守ろうとして、自分を我慢して毎日を生きてる。
あー、なんか、悲しくなりますね。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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