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ビルマ(ミャンマー)に捧げた20代

このブログを読む人は、私が人生のすべてをソマリアに捧げているかの様な錯覚に陥るかもしれない。しかし、ほんの3年前までは、ソマリアの「ソ」の字も知らなかった。私の20代は、ずっとビルマ(ミャンマー)に心を奪われていたからだ。

先月、政治改革の一環で、ビルマ政府は、ビザ発給を拒む「危険人物リスト」の中から2000人をリストから外し、その中に私の名前もあった。2009年、新婚旅行でビルマに行こうとしたら、私が書いた政府批判の記事を理由にビザ発給が拒否された。ビザ申請は、新聞記者としてではなく、父が経営する診療所の職員として申請したのだが、それでも、見破られた。

ビルマとの関わりは、2003年、大学卒業後、難民関連のインターン先を探し、世界中のあらゆる機関にメールを出しまくっていたら、タイのアジア移民研究所(チュラロンコン大学内)が受け入れてくれたことから始まった。そこでの業務が、ビルマとの国境沿いにある難民キャンプの調査だった。

1984年に設立されたキャンプに、半世紀以上続く紛争から逃れた難民が10万人以上暮らしているという現実は、当時22歳の私にとっては、とても信じ難いものだった。難民の人たちが語る事、自分たちの民族について、ビルマ政府からうけた人権侵害、キャンプでの生活、すべてが、自分の世界観を広げていった。

オランダの大学院に進学したが、論文調査のため、2004年に再び、タイに戻り、難民の若者が通う学校に4ヶ月住み込んだ。あまりに刺激的な体験を、自分の中だけにとどめておくことができず、家族に見せるために書き始めたエッセイが、たまりにたまって、「国境に宿る魂」(世織書房)として出版されてしまった。

毎日新聞に入ってからも、機会を見つけては、ビルマについて記事を書き続けた。奈良と広島の支局に在籍し、本来、管内のニュースを記事にするのが支局員の仕事なのに、私は、日本国内にビルマのニュースがあれば、どこへでも出張して記事にした。

2007年に、ビルマで僧侶による大規模デモを取材したジャーナリストの長井健司さんが殺された後、大阪のビルマ難民が、長井さんの実家(愛媛県今治市)を訪れ謝罪したのを、奈良から出張して記事にした。

2008年にビルマに大型サイクロンが襲い、14万人が亡くなった時は、大阪でビルマ難民が募金活動をするのを広島から出向いて取材し、「記者の目」という全国版コラムで、ビルマ政府の人権侵害について書いた。

2009年、新婚旅行でタイに行き、難民キャンプで、サイクロンから逃れて来た人を取材した。妻は「新婚旅行までそんなことしなくていいでしょ」と文句を言い、新婚早々、離婚騒動になった。

そして、ビルマのロヒンギャという、政府から国民と認められない少数民族が、群馬県館林市に多く住んでいるという話を聞き、難民支援団体で働いていた妻の活動に同行し、現状を記事にした。

日本政府が第三国定住で、タイの難民キャンプから毎年30人、日本に受け入れ始めたのだが、それを、長野県松本市の団体が、自分たちの自治体で受け入れようと名乗りを上げる話を聞き、再び、長野まで行き記事にした。

毎回、上司から「広島の記者を、ビルマ関連で何度も管外出張させるのはどうか」と当然のごとく渋られた。毎日新聞の記者は全国どこにでもいるわけで、会社的には、私に行ってもらう必要などない。それでも、私は諦めず、本社にいる先輩に出張要請を出してもらうなどし、毎回、強引に押し切った。

この長野の記事が出た約1ヶ月後、私は退社。平和構築に関心がある15人の若者を国連機関に1年送り出す外務省の事業に参加し、「タイのビルマ難民キャンプを支援する国連機関に行きたい」と何度も希望を出したのだが、ケニアに派遣されることになり、私のビルマとの関わりは中断したのだ。

それにしても、2、3年目の駆け出し記者の管外出張を何度も認めてくれた元上司の懐の深さと、私の支局不在中をカバーし続けてくれた元同僚たちには感謝してもしきれない。そんな、迷惑サラリーマンだった私が、今年1月に東京や新潟でソマリアについて講演をしたら、その元同僚たちが協力して、紙面で広報してくれた時は、涙が出そうになった。(勿論、私の強引な要請があったからなのだが、、、)。

  妻との出会いも、タイのバンコクで開かれたビルマの民主化について話し合うNGO会議だった。つまり、ビルマ軍政がなければ、妻と出会うこともなかったわけで、色々批判ばかりしてきたが、感謝しなくてはならないこともあるのだ。

(ちなみに、グーグルで私の名前とミャンマーで検索すると、いまだに、当時の記事が読めます)
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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