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20年振りに親子が再会



 工場Bのリーダー的存在で身長が180センチほどあり、10人の母親でもあるレゲ(仮名、33歳)が「給料2カ月分を前借りし、10カ月ローンで返させてほしい」とお願いしてきた。とても深刻な表情で、声にも力がない。「母親が病気なのです」という。私は「こういうことがこれまで了承されてきたの?」と主任のハサンに尋ね、ハサンが首を振ったので「本部と相談させてください」と、とりあえず返答した。
 6月初旬、レゲは「ソマリアで暮らしていた母親が干ばつで、ケニア国境に逃れてきたから迎えに行かせてください」と休暇を申請してきた。12日間の有給休暇を消化し、その後も「母親の看病をしなくてはいけない」と数日休暇を申請し、6月はほとんど出勤しなかった。私は、「古株のレゲが休みがちになると工場全体に影響がでないかな」とハサンに相談し、胸の奥底ではレゲの事を疑っていた。
 ソマリアがここ60年で最悪の干ばつに見舞われ、毎日1000人以上がダダーブ難民キャンプに避難しに来ていることは頭の中で知っていた。でも、それが自分の身近にいる人に影響しているという実感を、なぜか持つことができなかった。いや、工場の生産を第一に考えるもう1人の自分が、それを邪魔する要因を自動的に排除するよう仕向けていたのかもしれない。
 自分の母親が危篤状態で、それを上司から疑われたら、どれほど悲しいことだろう。昨年、ダダーブの国連事務所で働いている時、上司に「38度の熱が出たので、仕事にいけません」と携帯メッセージで伝えたら、「総務に伝えて」と一言返信があった。心身共にやつれきって、何事にも敏感になっていた自分は、上司が「お大事に」の一言も書いてくれなかったということが、とても冷たく感じた。「もしかしたら、私の事を疑っているのでは?」と考え始めると、とても自分がみじめになったのを思い出した。
 私は「思いやりのある上司にならないとだめだ!」と自分に言い聞かせ、次の日、工場に出向き、前日同様冴えない表情でコンロを作っているレゲに「お母さんのお見舞いに行かせてくれ」とお願いした。レゲは「ありがとうございます!」と即答し、仕事を中断し、コンロ製造に使われる土で汚くなった手を洗いに行った。近年急増し、キャンプ内に50台はあるとされるタクシーを1台拾い、工場から約1.5キロ離れたレゲの自宅に向かった。工場長に就任して2カ月弱だが、従業員の自宅を訪問するのはこれが初めて。
 タクシー運転手のモハメッドとは前からの顔見知りで英語が堪能なため、彼に200シリング(約200円)で通訳をお願いし、レゲの家に入った。レゲの夫が笑顔で出迎えてくれ、固く握手をした。「レゲはとてもよく働いてくれるのです」と笑顔であいさつした。そして、赤土で作られた約10平方メートルの建物の中に案内され、奥のマットレスの上に横たわっている母親、マイマン(70歳)に出会った。マイマンは、黒い布に全身を覆い、小柄で体が極度に痩せ細っており、最初見た時は、布の下に人がいるとは思えないほどだった。
 「お話はできるのですか?」と、マイマンに話しかけると、布から顔を出し、細目で私を見て、「よく来てくれました」と挨拶をしてくれた。両腕は骨と肉の皮1枚しかない。
 高度の熱が出ており、頭と胸に痛みを感じるという。歩くことはできず、寝たきりのままだ。横になりながら、私の質問に、丁寧に答えてくれた。
 マイマンは、ケニアーソマリア国境から約100キロ離れた都市アフマドウ近くの村で生まれ育った。遊牧民で、ラクダ、ヤギ、牛、羊が何百匹もいたという。1991年内戦が勃発し、村は敵対する部族の武将集団に襲撃され、娘のレゲは親戚らと共にケニアへ避難した。マイマンは「家畜を残すことはできない」とソマリアに残り、村周辺を歩き回りながら夫らと暮らした。現在でも内戦は続いており、何度も何度も武装集団に襲われ、家畜を奪われた。それでも、すべての家畜が略奪されることはなく、「一頭でも一匹でも家畜が残っている限り自分はここに残る」とケニアに来ることは考えなかったという。「家畜と生まれ、家畜と育った自分は、家畜と死ぬ運命にあると思った」と話す。
 しかし、今年に入り雨が一滴も降らず、家畜がバタバタと死んでいった。栄養失調で、やせ細った家畜は市場で売りに出すことができなくなった。どんなに武装集団に襲撃されようとも、頑なに守り続けてきた故郷への執念は、自然の力によってあっけなく打ち砕かれ、今年5月、20年音信不通になっていた娘のレゲを頼りにケニアに向けて旅立った。無論、交通手段もお金もない。足腰も弱っている。ケニアに避難するという同じ村の親戚が持っているロバの荷台に乗せられ、総勢20人ほどのグループで歩いて、100キロ離れた国境を目指した。
 マイマンなどの高齢者や子供たちに、限られた水や食料が優先に分け与えられた。ほぼ赤道直下の乾燥地帯。昼間は日差しが強いから木陰で休み、夜に歩いた。舗装された道路などはない。くねくね、でこぼこした砂道を一歩一歩歩く。出発して一週間で、2歳半の孫が栄養失調で亡くなった。何度も「もうだめだ」と思った。それでも、国境まで行けば、娘が迎えに来てくれることだけを望みに、踏ん張った。
 出発して16日目、ケニア側の国境の町、ディーフに着いた。そこからダダーブ難民キャンプへバスで向かう人に「難民キャンプに暮らす私の娘、レゲに伝えてください。母親がここで待っていると」と伝えた。4日後、レゲがディーフに来た。20年振りの再会はあまりにも不幸な形で親子に訪れた。栄養失調で、生きているのがやっとの母。大量の涙が流れ出てきた。一緒にバスに乗り、ダダーブのレゲの家へ向かった。
 レゲの家には夫と子供10人で、10平方メートルの寝室で寝ていた。そこに新たに、マイマンら5人が加わり、極度に混雑した。マイマンは、親戚から進められた栄養ドリンクを飲んでいるという。こんな状態なのにも関わらず、まだ一度も病院には行っていない。「『医者』や『病院』という概念が母にないのです。でも、私が説得して連れて行きます」とレゲは言う。
 マイマンの頭は白髪で、前歯などはもうない。私は、心の中で自分の胸に呟いていた。「レゲが母親と残された時間は、もうあまりないのでは?」。
 1時間ほどの話を終え、私はマイマンに「今、一番欲しいものは?」と尋ねたら「ラクダの牛乳」と初めて頬を緩めた。部屋を出ようとするとき、レゲは「私は工場に戻るべきでしょうか?」と尋ねてきた。「母親と一緒にいたい」という彼女なりのお願いの仕方だった。しかし、私は非情にも「工場に戻ろう」と即答した。時計は午前9時半を指していた。勤務時間終了まで4時間あった。マイマンの看病はレゲの夫や子供たちがしていた。レゲはすでに20日以上の休暇を取っていた。勤務が午後1時半に終われば、夜まで、レゲは母親といれる。一生懸命、自分の判断を正当化しようとしていた。でも、胸はズキズキと痛んだ。
 帰りのタクシーの中で、レゲは私に何度も「ありがとう」と言った。「他の従業員から白い目で見られているような感じがして。でも、ボスが看病に来てくれたのだから、もう誰にも疑われる心配はなくなりました」と言ってきた。私は、「私たちは一緒に働いているんだ。あなたの問題は私の問題だから」と伝え、「給料の前払い、了承するよ。工場に着いたらお金を渡すから」と伝えた。本部からの了承は取っていない。もし、レゲがお金と共に消えるようなことがあったら、自分の財布から工面する。給料2カ月分と言っても、日本円にしたら1万円くらいだ。それが、工場長として、レゲにしてやれる最大の思いやりだった。
 工場に着いた後も、レゲは「有給休暇は取れないでしょうか?」と尋ねてきた。私は「君の体調がもしすぐれないようだったら、休んでください。でも年次有給休暇は、もうすでに消化してしまっています」と伝えた。レゲは「わかりました。仕事に専念します」と返答した。
 自分が11歳から33歳まで出会うことができなかった母親が「死」と直面している。1分、1秒でも一緒にいて、これまでできなかった親孝行をしたいと思うのは当然だ。でも、それを許可することができない自分が何か腹立たしく、レゲの立場になって考えると、自然と涙が出てくる。
 私の常識では考えられない世界で生きてきた従業員たち。生きるのに何の苦労もいらない環境で蓄積されてきた自分なりの論理なんて、ここでは全く通用しない。「工場のことなんて忘れて、毎日、母親と一緒にいてやりなさい」と、なぜレゲに言ってやれないのか?
 医者を連れて行って、マイマンの容体がどの程度深刻なのか知ることができたら、自分の判断にもう少し自信を持つことができるのかもしれない。
 でも、レゲはおそらく私を責めることは決してしないだろう。車の中で何度も何度も私にありがとうと言ったのだから。でも、だからこそ、なおさら胸が痛くなってしまうのだ。
 
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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