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従業員たちの反応



私が工場を去る事については、9月の段階で、従業員たちにはほのめかしていた。

 まず、モウリドとファラと3人だけでミーティングをしていた時、(まだファラが失踪する前の頃である)「実は、今年の12月で工場を去ることになるかもしれない」と私が切り出すと、2人は同時に私の顔を見上げた。モウリドは「契約は来年の5月までなのではないですか?」と尋ねてきた。私は「もうダダーブに来て2年半になる。正直、色々あって疲れたよ。妻ともずっと離れ離れのまま。そろそろ、家族一緒に暮らす方向で考えていきたい」。モウリドは、私の心中を察した様に、「わかります」と頷いた。

ファラは「従業員たちは皆、工場長が来てから、ライフラインの知名度も評判も一気に上がったと言っています。これで工場長が去ったら、一体、ライフラインはこれからどうなるのか、、。」と地面を見つめながら話した。

モウリドが続いた。「確かに、次にどんな人が来るのか気になります。これまで、私たちは、自分たちがライフラインの従業員であることに胸を張ることができた。国連事務所に来ても、『ライフライン』って言えば、誰でもすぐに、認知することができた。工場長が去った後でも、その認知度が保たれるのか、正直不安です」

私は、「まあ、まだ決まったわけじゃないから、そういうこともありえるということで、考えておいてください」と伝えた。

その後、工場の従業員全員を集めての全体ミーティングでも年末で去る可能性について話した。治安悪化で、工場に来る頻度が激減し、従業員とは、月に1度会えるか会えないかくらいになっていた。だから、できるだけ早めに伝えることで、従業員たちに心の準備をしていてもらいたかった。私が去った後でも、築かれたシステムが存続されるように。

予想通り、従業員たちは、驚いた様子だった。

リーダー格のレゲ(仮名、女性)は「なぜ、突然、辞めるなんて言うのですか?」と尋ねてきた。

 「そろそろ疲れたし、家族と一緒に暮らしたい」と伝えると、それでもレゲは納得できない様子で、「それなら、数ヶ月休んでから、戻ってくればいいじゃないですか?」と切り返してきた。

私は「この仕事の一番の魅力は、皆さんと直に交流できることでした。しかし、最近の治安悪化で、工場に来る事すらまともにできなくなってしまった。 疲れだけが溜まり、家族と離れ離れになってまで、やり続ける気力がなくなっていきました。情けないですが、これでも、外国出身の援助関係者の中では、私は、かなり古株の中に入るのですよ」と話した。キャンプに10年、20年と避難生活を余儀なくする従業員たちに、「2年半で疲れたから去る」と伝える自分が、とても理不尽に思えた。

レゲは、一向に納得いかない様子で、「半年休んでから、戻ってきてください」と満面の笑顔で語りかけてきた。他の従業員も、「そんなのありえない!」などと、言ってくれた。

ミーティングの後、その前の月、遅刻が多くて減給処分を出したばかりのファルドソ(30代女性、仮名)が駆け寄ってきて、「お願いだから、行かないでください」と請願してきた。「あなたは、減給処分を受けたばかりじゃないですか。私が去れば、もう、減給されなくてすむじゃないですか」と言うと、「行かないでください」と、全く同じ台詞で私を説得しようとしていた。

ファルドソは女性従業員の中で唯一、小学校を卒業しており、英語が話せる。高校2年でお見合い結婚をし、家事に専念するため退学した。子供が手がかからなくなり、新しい仕事を探していたところ、今年4月にライフラインの空席広告を見つけ、応募してきたのだ。

「まあ、まだ決まった訳じゃないですから」と、その時は、話を打ち切っていた。

しかし、辞表を出した後の11月29日の全体ミーティングでは、もう、あやふやな事は言えなかった。はっきりと、12月末で去ることが正式に決まったことを伝えた。

従業員たちは、すでに心の準備ができていたのか、皆、黙って私の目に視線を注いでいた。再び、レゲが「工場長のおかげで、ライフラインは大きく成長しました。深く感謝しています。工場長のお別れ会では、私たちの感謝の気持ちが伝わるよう、しっかり準備しておきますね」と話し、副主任のアデンも「皆、レゲの気持ちと同じです」と話した。

昨年、ソマリアを大干ばつが襲い、レゲの母親がひん死の状態でソマリアからダダーブへ辿り着き、レゲの自宅へお見舞いに行ったこと。アデンと七輪配布後の事後調査に出かけ、私が作ったマニュアルに沿ってアデンが受益者に質問していないことを指摘し、アデンが「なぜ、こんな難しいことをさせるのですか?」と私に怒ったこと。そして、ファルドソが遅刻してきた時、「他の従業員の上に立つべきあなたが遅刻してたら、だめじゃないですか」と伝えると、「わかりました」といつもの無垢な表情で返答し、次の日、同様に遅刻してきたこと。

従業員との色々な思い出が頭の中を駆け巡り始め、自分が本当にここを去るのだということを少しずつ実感し始めていた。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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