従業員とのお別れ会 (その2)



 従業員たちからの発表が終わった後、前任者のJと副代表のバヒドの簡単な挨拶があった。Jは「私がいた時は大変だったけど、ヨーコーがプログラムを強化してくれて感謝している」と言い、バヒドも「Jが工場の基礎を作り、ヨーコーがそれに基づいて、強化してくれた」と私たちに謝意を表した。

その後、バヒドから1時間ほど、ライフラインの方針について従業員たちに説明があり、15分の休憩を挟んで、私からの最後の挨拶があった。

司会のモウリドが「それでは、工場長から最後の挨拶をしていただきます」と促し、私が立ち上がると、従業員たちは「パン、パン、パン」と手拍子を始めた。

10秒ほどで、手拍子が終わり、私は話し始めた。

私:皆さん、今日は祝日にもかかわらず、集まっていただき、ありがとうございます。(12月12日はケニアがイギリスから自治権を譲り受けた記念日。独立記念日とは異なる)
 さて、この1年8ヶ月、工場を運営してきて、仕事を辞めたいと思ったことは3回ありました。皆さんは、その3回がいつか、わかりますか?



従:拉致事件が起きた時。

私:いいえ。

従:路肩爆弾が爆発した時。

私:いいえ。(従業員たち自身が治安悪化を肌で感じているということが垣間見える)

従:地元住民が工場を訪れた時ですか?

私:はい。それが一つですね。ナイフをもって地元住民たちが脅しに来たときは、もう、辞めようかと本気で思いました。後、二つありますが。

従:ファラが失踪した時。

私:はい!その通りです。私は、これまで、皆さんと信頼関係ができさえすれば、できるだけ多くの仕事を任せようという考えに基づいてやってきた。ファラがお金と一緒に失踪した事は、私がそれまで積み上げてきたものがすべて崩れていくようなものでした。最後の一つは何でしょう?

従:ラホが仕事を辞めた時。

私:いいえ。それは違います。(その時は、辞めたいどころか、逆に、清々した気持ちすらあったが、それは胸の内に閉まっておいた)

従:、、、、。

私:ラホが辞める前に、私とあなたたちとの間で起こった事、覚えていませんか?

従:、、、、。

私:工場Aの皆さんに関してですが。心当たりありませんかね?

従:、、、、。

私:皆さんが、仕事をボイコットしたのを覚えていませんか?

と、私が言ったところで、何人かが「あー」と相づちを打った。

私: あの時も、大変でした。皆さんが何の相談もなく、仕事を中断するから、もう、辞めてやろうと思いました。悪夢を見て、ベッドでうなされていました。

モウリドが訳すと、何人かが笑った。

私:これだけ辞めたいと思っていたけど、ここまで続けて来れたのは、こうやって、皆さんが笑顔で接してくれたからです。どんな問題があろうとも、皆さんは切り返しが早く、それを笑って吹き飛ばすところは、いつもくよくよする私を励ましてくれました。特にボイコットされた時なんか、もう関係修復不可能かと思いましたが、和解した後は、皆さん、いつものように笑顔で握手をするようになりました。

それを聞きながら、工場Aの最年長、シヤド(59)が笑っていた。

私:それでは、これから、私の在任中、工場運営に特に貢献してくれた3人を表彰したいと思います。3人の受賞理由を説明しながら、皆さんへのお別れの言葉としたいと思います。まず、最初の受賞者は、、、、モウリド、イフティン、フジャレ!

従業員たちは一斉に拍手をした。

私:モウリドと出会ったのは、今から約3年前。私が国連で働いている時、キャンプの市場を案内してくれた時でした。一緒にレストランに行き、モウリドが私の分を支払ってくれました。私は自分で支払おうとしたのですが、モウリドは「外から来たお客さんをもてなすのが私たちの文化です」と言い、私は、ソマリア人の優しさに感動しました。

その後、私がライフラインに入り、治安悪化で工場に行けなくなった時、モウリドに電話をして、助手になってほしいと、お願いしました。モウリドは当時の仕事を辞め、ライフラインに入ってくれました。

モウリドの受賞理由は大きく分けて三つあります。

まず、私と皆さんの架け橋になってくれました。ソマリア語と英語の通訳をするだけでなく、私の考えを理解し、それを従業員たちにわかりやすく説明してくれました。様々な改革を断行するなかで、一般の従業員が不安にならないよう、コミュニケーションをはかってくれたのです。

二つ目は、七輪の質を向上させるため、七輪を固定させる鉄の枠を作る職人をキャンプの中で見つけたことです。これにより、いつも鉄の枠をキャンプの外から運んでくる必要はなくなり、さらに難民の雇用にも繋がった。七輪の寿命は飛躍的に伸び、難民からの人気も高まり、従業員たちの士気も高まった。

最後に、工場内で何か問題があった場合、就業規則に照らし合わせ、正確に、かつ正直に私に伝達してくれたことです。私はモウリドが言うことを疑った事が一度もなかった。

モウリドがいなかったら、ライフラインの運営は難しかったでしょう。本当にありがとうございました。


私はモウリドと握手をし、賞状を手渡した。

私:それでは、2人目の発表です。ドウボウ。

ドウボウはゆっくりと立ち上がり、私に歩み寄り、握手をした。特に驚いた様子もなく、いつもの笑顔で淡々としている。

私:私が工場に入って、間もなく、私とドウボウには問題がありましたね?皆さん、覚えていますか?

従:はい。

私:ドウボウは、月間報告書に偽りの記載をしたために1ヶ月間の停職処分を受けました。その日、作られたレンガの数が80前後だったのに、ドウボウは、200と記載しました。私は、わけがわからず、ドウボウに対して、強い不信感を抱きました。

しかし、停職処分から戻って来たドウボウは、一生懸命働きました。率先して劇団を作ったり、リーダーシップを発揮しました。今年の5月に副主任になり、8月からは新しいプロジェクトのチームに入ってもらいました。七輪の研修をする時のドウボウは、とても自信に満ちあふれています。高等学校を卒業していませんが、他の学歴が高い従業員よりも、よい仕事をしてくれます。難民が七輪を使っている様子についての報告書は、誰の物よりも信頼できるし、きめ細かく書いてあります。

そんなドウボウを見て、私は思ったのです。最初にドウボウが偽りの記載をしたのは、ドウボウが私を騙そうとしたのではなく、十分な指導を受けてこなかったからなのかもしれないと。ライフラインがしっかり、彼に指導をしていれば、ドウボウは、真面目に記録していたのではないかと。

だから、この場を借りて、ドウボウに謝らせてください。ライフラインは、あなたたちにもっときめ細かく指導するべきだった。


ドウボウに賞状を手渡すと、ドウボウは「ありがとうございました」と受け取った。

私: それでは、最後の受賞者の発表です。残念ながらその受賞者は今日はここには来ていません。新しい子供ができたばかりで、育児休暇中なのです。皆さん、誰だかわかりますか?

従: シュクリ!

私: はい。そうです。シュクリ(20、女性、仮名)は今日は来ていませんが、彼女からは、受賞した理由を皆さんの前で話しても良いと許可を得ていますので、話させていただきます。

シュクリは、工場から約3キロ離れた所に住み、毎日、片道1時間半かけて通勤しています。つまり、往復3時間。5時間働いて、3時間、通勤しているということになります。午後1時から、1時間半、炎天下を歩くというのは容易ではありません。私自身、30分歩いたら、ヘトヘトになります。

シュクリは、昨年、ソマリアから逃れてやってきました。ソマリアのディンソウで生まれました。7頭のラクダ、20匹のヤギ、30匹の牛を育て、豆などの畑を耕して暮らしていました。

 9人兄弟の4番目。父親は2003年、心臓病で42歳で亡くなりました。 14歳で、いとこと結婚。16歳で妊娠しましたが、子供は生まれて間もなく亡くなりました。

 3年前から雨がほとんど降らなくなり、家畜が次々に亡くなっていき、18歳で2人目を妊娠しましたが、間もなく、家計を支えることができなくなった夫が離婚を申し出てきました。

 昨年6月、親戚ら30人と15日間歩き続け、ダダーブ難民キャンプに辿り着きました。1~10歳の6人の子供と一緒に暮らしている。娘、妹3人、そして甥と姪 。

 母親は病気のため、兄と姉と共にソマリアに残りました。もう1人の姉は、夫と共にエチオピアの難民キャンプに行きましたが、昨年9月初旬、電話で「麻疹にかかって亡くなった」と夫から連絡がありました。さらに、今年1月、母親が栄養失調で亡くなったと、連絡が入りました。

 今年初め、シュクリは、近所に住む男性と結婚しました。その男性は、妻を麻疹で亡くしたばかりでした。

 6人の子供を世話するため、シュクリは毎日炎天下を3時間歩き続けています。これだけ苦しい人生を歩んでも、シュクリは、常に笑顔です。私みたいに気難しい人間にはできない、自然で無邪気な笑顔です。私は、シュクリに「なぜ、いつもそんな笑顔でいられるの?」と尋ねたことがあります。シュクリは「ライフラインの同僚たちが私を家族の様に接してくれるから」と答えました。

皆さんは、シュクリや他の新しい従業員を、いつも快く輪の中に入れてあげていますね。工場長である私は仕事をあげることはできても、精神的な部分でシュクリの様な人の支えになってあげることはできません。だから、私はいつも、思いやりをもって同僚に接する皆さんに感謝しています。シュクリへの賞状は、皆さんへの賞状だと思ってください。そんな思いやりの人が溢れたソマリアで、これだけ長い間、人々が殺し合っているという状況が、とても皮肉に思えるし、理解できません。

その思いやりを忘れず、これからも、周りの人に優しさを分け与えてください。皆さんが私にしてくれたように。

長い間、ありがとうございました。






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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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