部下から友人へ

私がダダーブに最初に来てから二年八ヶ月が経ち、人事異動が頻繁で、毎月の様に援助関係者のお別れ会があるダダーブで、モウリドは最初から最後まで一緒に活動をした数少ない友人だった。

モウリドは私がダダーブを去る週、通信教育の試験でダダーブを離れなければならず、十二月十四日に、最後の引き継ぎミーティングをした。

私:ライフラインに入って、モウリドは変わりましたか?
モ:色々な意味で成長したと思います。プロジェクト運営全般を学ばせてもらいました。ライフラインに入る前は、まだ、雑用しかできなかったけど、今は、どんな仕事でもできる自信があります。部下の監督、受益者の調査、経理、人事、様々な事を経験させてもらいました。振り返れば、工場長が国連勤務時代に一緒にやったユースフェスティバルで、工場長から「やらなければいけないことを紙に羅列し、やり遂げたものから消していく」と学びましたね。懐かしいです。
私:(笑)いや、その前に、「ミーティングの時は紙とペンを忘れるな」と教えたと思うけど。
モ:(笑)そうでした。物品の調達や、仕事の計画作成、それに応じて、従業員に任務を振り分けるなど、色々、やらせてもらいましたね。
私: モウリドは、ライフラインに入る前は、ダダーブでも最大規模の援助団体で働いていましたが、そこと比べて、ライフラインはどうでしたか?
モ:幹部と一般従業員の間の意思疎通のレベルが全く違いました。前の団体では、計画も何もない。その日に呼び出されて、言われた事をやるだけ。ライフラインでは、次の週に何をやるのか、次の月に何をやるのか、計画があって、それが従業員全員に共有されていた。そして、ほぼ計画通り仕事が実施され、もし実施されない場合は、必ず説明がありました。
私:すごい当たり前のことのように聞こえるけど、前の団体ではそれがなぜ難しかったのかな?
モ:組織内で、階級意識や縄張り意識が強く感じられました。それに従業員の雇用も、不透明な部分があって、縁故採用を疑われる様な例も多々ありました。そうなると、どうしても派閥ができて、組織内の風通しはよくなりません。
私:他には?
モ:前の団体では、ケニア人か難民かで、与えられる任務も待遇も大きく変わりました。でも、ライフラインは、国籍や出身は関係なく、従業員は従業員として扱われ、その人の能力によって任務と待遇が決められた。「難民であっても、様々な能力があって、様々な事を難民自身の手でできる」というメッセージが常に放たれた。他の団体も口では「君たちは将来、ソマリアを再建する人材なのだ」とは言いますが、それが行動で示されていません。
私:ライフラインで一番印象に残っていることは?
モ:昨年末、工場長が休暇で一ヶ月ダダーブを離れた時、私に組織運営資金七十万シリング(約七十万円)を預けた時です。それまで、難民であるがゆえに、管理資金を預けてもらえなかった。どれだけ努力して上司と信頼関係を作っても、自分が祖国から逃れてきているというだけで、同じ人間として扱ってもらえなかった。でも、工場長から引き継ぎ書とお金を預からせてもらった時、初めて同じ人間として扱ってもらっている感じがしました。他の援助機関関係者は、そんな事絶対にしてくれないと思います。

私は心中、複雑な想いで聞いていた。モウリドが私に一番感謝していることは、私がダダーブで犯した最大の失態に繋がったことでもあるからだ。

私:でも、ライフライン本部は、私がファラに運営資金を預からせた事は過ちだったと言っていました。
モ:実際、現場にいなければ、理解できないことはいくらでもあると思います。私が工場長でも、同じ事をしていたと思います。それだけファラは真面目で、信頼を置く事ができた。本部は工場長とファラがどういう人間関係だったのか知りません。工場長が、ダダーブの国連のトップだったら、どんな難民でも、気軽に事務所を訪れることができたのではないかとい思います。それだけ、私にとっては特別な存在でした。
私:最後だから、言いにくいかもしれないけど、何か、私にアドバイスとかはあるかな?
モ:工場長は日本人で、私たちはソマリア人で、なかなかうまくいかないこともありました。そういう時は柔軟性が大事だと思います。地元住民が工場を襲ってきた時、工場長は、政府からの許可証を要求したり、彼らが工場に鍵をかけた時、「鍵を開けない限り、交渉はしない」という頑な姿勢でした。日本という、政府がしっかり機能して、警察も信頼できるところなら、確かに、それでいいのかもしれません。でも、ここの人たちはそういう環境で生活してきていないのです。地元住民の一人は「私がこの地で生まれ、死ぬことに、政府からの許可証が必要なのか?」と聞いてきました。ここでは、ここでしか通用しない交渉手段があるので、そういった手段をもっと模索できたらよかったと思いました。
私:そうだね。あの時は、精神的に参っていて、何が何だかわからなかったな。もっと彼らと笑顔で、「一緒に協力していきましょう」って言えればよかったかな。もう半年前になるのだね。今度モウリドと会えるのはいつになることやら。
モ:私がナイロビに行く事があったら連絡します。また、ボーリング行きたいですね(笑)。

ファラの失踪事件に関して、モウリドなりの私への慰めだったのか、おかげで罪悪感から少し解放された。同時に、ダダーブという過酷な環境で、腰を長く据えて難民と信頼関係を作り、システムを変えていくことの難しさを肌で感じた。

モウリドを国連敷地の外まで見送り、抱き合って別れた。その時、初めて、自分が本当にダダーブを去るのだということを実感し、いつもは気にならない砂塵が、自分とモウリドを引き裂こうとしているような錯覚に陥り、私は少しの間、目を閉じた。
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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