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紐のプライド

昨年末にダダーブでの仕事を終え、ナイロビの国連事務所で働く妻も今年2月で契約が終わり、二人で次の行き先を探さなくてはならなかった。出会って7年。結婚して4年。これまでお互いのキャリアを優先し、年平均したら100日前後しか顔を合わせない遠距離夫婦だった。

妻30歳、私32歳。そろそろ、夫婦生活を優先した上で、お互いのキャリア構築を考えていこうということになった。どれだけキャリアが充実しようが、10年、20年、30年先、喜びや悲しみを常に分かち合える存在が横にいなければ寂しい。

しかし、難民支援現場は世界に散らばり、多くは治安が悪いため、家族同伴が不可能な場所だ。常に、二人とも同じ場所で働くのは難しい。だからこそ、難民支援業界の離婚/独身率は高い。知り合いのカナダ人女性は、夫と子ども二人を抱えながら、難民支援現場を渡り歩き、現在はジュネーブ(スイス)の国連本部で出世街道を突っ走っている。彼女に「キャリアを構築しながら、家族生活を維持する秘訣は何か?」と尋ねたら、「家族同伴が可能な場所しか応募しないこと。そして、片方がキャリアを妥協し、もう片方について行く事」という答えが。彼女の場合、夫が自分のキャリアと妥協し、彼女の行く先々で英語を教えるなどしながら、娘二人を育てているという。

確かに、家族を優先するなら、この手しかない。妻と二人で話し合い「次に応募する先は、すべて家族同伴可能な場所にし、待遇がより良い方に、相方がついていく」という約束をし、妻との「対決」が始まった。

まず、私が先手をかけた。東京の国連事務所から広報担当の空席が出た。新聞記者とダダーブの経験が活かせそうだ。書類選考、筆記試験と通過し、最終面接へ。たまたまその日は、日本に帰国しており、事務所に午前10時半に来るように指示された。ケニアとの時差は6時間で、午前5時(ケニアは午後11時)ごろ目が覚めてしまい「よーし。やるぞー」と意気込んだ。新聞を読んでいるうち、うとうとし始め、「数分だけ横になるか」とソファーに体を倒した。次の瞬間、妻の「よーこー!!」という叫び声で、意識が戻った。時計を見ると「午前10時35分!!!」。あまり、パニックすることがない私だが、この時ばかりは、さすがに気が動転し、しばし呆然と立ち尽くした。どうしよう、どうしよう、、。とりあえず、ケニアから持ってきたスーツを着て、タクシーに飛び乗った。事務所に電話をかけても繋がらない。(私の字が汚すぎて「7」が「1」に見えたから繋がらなかったことが後で判明)。

午前11時10分に到着し、一応、面接はしていただいたが、落選。先手必勝とはいかなかった。ちなみに、この空席の座を掴んだのは、全国テレビの元アナウンサーで、私が遅刻していなくても、合格は難しかっただろうということが判明。

その後、妻は、インド、マレーシア、マラウイ、トルコなど、いくつかの国連事務所に応募し、結果を待っている時、私に、「タイで難民支援の仕事をしないか」と日本のNGOから話が来た。タイは私と妻が出会った思い出の場所で、「いつか一緒にタイで働きたい」と言っていた。治安よし、食べ物よし、気候よし。難民はビルマ(ミャンマー)からで、ケニアに行くまで、私がずっと追い続けてきた人たちだ。タイなら、多くの援助機関があるし、妻も仕事を見つけられるかもしれない。「一緒にタイに行こう」と妻と盛り上がった。

しかし、、、。その数日後、勤務中の妻からメールが届いた。「バクの国連事務所からオファーが来た」。バク???どこだ?グーグルで調べると「ア、ゼ、ル、バ、イ、ジャ、ン」の首都ということがわかった。

名前は聞いた事があるが、おそらく、口で発したことがあるかないかわからないほど、未知の世界だ。旧ソ連で、世界最大の湖といわれるカスピ海に面し、イランやロシアなどと国境を接する。

タイとアゼルバイジャンの待遇を比べてみたら、高校野球で言うと、5回コールド負けレベルの差でタイが負けた。国連職員の待遇と、日本のNGOでは、勝負にならない。

これから、家庭を築いていくことを考えれば、給与だけでなく、教育手当などが手厚い国連の方にどうしても傾いてしまう。

「この度、妻がアゼルバイジャンに駐在することになりまして、付いて行くことになりました」と自分を紹介する日本人男性は、私が最初で最後かもしれない。「『ひも』ですか?」と心の中で馬鹿にされるかもしれない。

それでも、仕方ない。英語、韓国語、日本語、スペイン語を使いこなす妻のキャリア発展を、私は、これまで何度も邪魔してきた。英国の大学院進学しようとしていたが、私と出会い、日本の大学院に進学し、日本語を一から学び始め、2年後には東京の難民支援団体で日本語で仕事ができるまでになっていた。そして、私がケニアに来た後、倍率100倍以上の超狭き門である、韓国政府が実施する国連試験に合格。行きたかったビルマからのオファーを蹴り、私がいるケニアの国連事務所に来てくれた。

私に付いてきながらも、妻は自分のキャリアを伸ばした。今度は私の番である。昨年末の内閣府の調査で、日本人の半分が「男は外で仕事をし、女は家庭を守るべきだ」という考え方に賛成しているという。そんな社会からしたら、私はかなり「異質」かもしれない。毎日新聞記者から、難民キャンプの工場長になり、「アゼルバイジャンの紐」になった。そんな人間に、どんな「プライド」が残されているというのか?こうご期待。
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新たなブログ、おめでとうござんす。

これから、初めて訪れた街、国での新しい夫婦生活がスタートですね。

私も、結構気になっていた、どのようにお互いの仕事を優先して夫婦を続けてきてたのか。
今回は、そこが書かれていたので、また、新たに黒岩さんご夫婦のことをしれた気がします。
っていうか、本当に、仲良しだなー、しかも、スマート。
奥様は、本当に、仕事が出来る感じがするし、黒岩さんは、ジャーナリスト的で、やはり表現がお上手。

本当、ケニアで、知り合うことができて、感謝です。
日本に居てたら、出会わなかったジャンルの方たちが多かった。

これからも、応援させていただきます。
毎回ブログ楽しみにしておます。
頑張ってくださいねー☆

ひもバンザイ

いやー、相変わらずおもしろいですね〜黒岩さん。最高です。
更新、楽しみにしてます。

No title

みやびさん、いつもありがとうございます。二人だけの時は喧嘩も多いのですけどね。わたしたちも、みやびさんに出会えて良かったです。これからもよろしくー。 たくくん、ありがとう!
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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