ヒモになることを決めた理由

半数の人が「男は外で仕事をし、女は家庭を守るべきだ」(昨年末、内閣府調査)という日本で育った自分が専業主夫を選ぶ人間になった背景には、母親の存在が大きい。

私が生まれた当初、母親は私に「鈍太(どんた)」と名付けようとした。周りからの雑音に対し鈍く太く、自分の信念を貫いてほしいという願いで。しかし、(ありがたいことに)周囲から鈍く太くなれないレベルの雑音があり、結局、父親が「七番目の子だから、北斗七星の七番目の星からとって『揺光』にしよう」ということで収まった。
そんな母親が子どもに抱き続けてほしかった信念の一つが「男女平等」だった。家では、「主人」「家内」「旦那」「奥さん」「亭主」など、女性蔑視ととられる言葉使いはすべて禁句だった。だから、今でも、私はファーストネームで呼ぶように心がけ、それが馴れ馴れしく聞こえるような関係の場合、「ワイフ」や「ハズバンド」などと濁すようにしている。
保育所に入る前、持っていく鞄を買いに母親と行った。なぜか、私は赤い鞄を選び、母親は大喜び。そして、5歳の誕生日に姉からスカートをもらい、スカートに赤い鞄をぶら下げていたため、男子トイレに入ると「間違えるなよ」と追い出されたこともあった。

無論、両親は共働きだったから家事は分担。父は、朝ご飯と高校生の弁当作りを任されていた。私が米国留学した時、受け入れ先のホストマザーが手紙で、私の好きな食べ物を両親に聞いた際、父親から返事がきたことに驚き「日本は進んでいるのね」と話していた。
小学校の時、親子キャンプで、先生が男女混合の6人グループに児童を班分けする際、「じゃあ、Aグループは○○さんの所に集まって」と指示した。その、○○さんが、すべて男児だったことに、母親は違和感を抱き、「そうしたら、自動的にその○○さんがリーダーみたいになってしまうのでは?」と先生に尋ねていた。実際、各班とも、その○○さんが、グループ班長に選出されていた。卒業アルバムの顔写真も、なぜ男児が先で、女児が後になるのかまで、少しでも女性蔑視と思われるサインがあれば、とことん追求していた。

私が紹介した本にアフリカのルワンダという国の経済発展について数ページ割かれていたのを見て、その部分に下線を引き「ルワンダが世界で一番、女性国会議員の比率が高いことが書かれてない」とメモをしていた。日本国憲法に男女平等の条項を入れたアメリカ人女性のドキュメンタリーを世界各地で上映する活動もしており、4年前は、アフリカのブルキナファソという国を訪問していた。現在、73歳というのが信じられない行動力だ。

姉3人が3人とも夫婦別姓にしているのも、名字を変えるのがほとんど女性側という現状に違和感があった母の影響が少なからずあったのだろう。毎日新聞時代、2007年に能登半島を襲った地震で被災した夫妻についての私の記事で、夫を名字で記し、妻を名前で記したことに対して、「なぜ両方、名前で記さないのか?」と家族メール(黒岩家では家族全員をつなぐメーリングリストがある)で批判を受けた。記事の本質とは全く関係のない部分で批判を受けたことに苛立ち、「アドバイスをありがとう」と返すことができず「読者が分かりやすいように書きたかった」という返事をしてしまった。それにより、状況は悪化。記事を読んでいない姉らも「その考え方自体に偏見がある」と続き、私もさらに頭に血が上り、メールで乱闘騒ぎになってしまったこともあった。

今でさえユニークな発想なのだから、40年前、50年前からこの姿勢を貫き続ける事は、容易ではなかっただろう。新潟の南魚沼という片田舎だったらなおさらのことだ。私に「鈍太」と名付けたくなるのも、少しわかる気がする。

そこまで革新的な考えを行動に移すバイタリティーは一体どこから来たのか?一度も、母親にそれについて尋ねた事はなかったのだが、最近、母親が2008年に亡くなった祖母(母方)へ手紙を書き、それを、私たちにメールで送って来た。それを読み、母の信念の源泉を垣間みることができた。(続く)
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お久しぶりです。

揺光さん、先日の主婦/主夫会でお会いした由佳です。
「黒岩・ひも」のキーワードを思い出して検索したら、すぐに見つかりました(笑)
さすがジャーナリスト、文章に引き寄せる力と笑わせてくれる要素もありますね!
アフリカでの記事は色々と興味深く読ませて頂きました。
お互いにアゼルバイジャンという小さな国で慣れないこともあると思いますが、頑張りましょう。
またお会いできるといいですね。またこちらにもお邪魔させて頂きます。

No title

ゆかさん、ご無沙汰です。コメントありがとうございました。こうやって皆さんからご声援をいただいているおかげで、何とか、頑張れています。これからもよろしくお願いします。野球チームの話も、また今度聞かせてください。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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