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101位の国から4位の国へ、そして再び101位の国へ、、、。


毎週木曜朝の「主夫の会」にはその後も欠かさず出席を続けている。「この前、映画館のチケット売り場で並んでいたら、横からアゼル人が列を飛ばして入ってきた」と文句を言うものがいれば、「君の行っているジムのプールの水にはどんな化学薬品が入っているの?」などと、生産性が極めて乏しい会話が主流だ。今までだったら「そんなこと話してどうする?」なんて馬鹿にしていただろうが、今は違う。生産性を気にしなくていいということは、社会が平穏な証であり、私はこれまでにない新しい種類の居心地良さを感じ始めていた。(例えば、昨年6月、私が働いていた難民キャンプで、一緒に飯食ったことある友人が突然武装組織に拉致された。そんな時、プールに化学物質が入っているかどうかなんて考えている精神的余裕なんてないのだ)。

その後、メンバーは一人増え、アメリカ人のジョン(40代)が加わった。イギリス人のメタボのジョンと区別するために、「ニュージョン(アメリカの方)」「オールドジョン」という呼称を使っている。さらにややこしくするのが、ニュージョンの10歳の息子の名前も、なぜか「ジョン」。「困惑するから、彼は『リトルジョン』にしよう」ということになった。ニュージョンのワイフもBP(英国石油会社)で働いている。

私を主夫会に招き入れたハンズが、私と同じオランダのユトレヒト大学院出身という事は記したが、ニュージョンの出身地が、なんと私が卒業した大学があるフロリダ州マイアミなのだ。出会った日に、ニュージョンがマイアミ大学のTシャツを着ているのを見て、私は驚いた。「マイアミ大学には行かなかったけど、スポーツ観戦にはよく行ったよ」と言う。(甲子園で出身県代表の高校を日本人が応援する感じで、アメリカでは出身州の大学チームを応援する)マイアミ時代によく行ったレストランやカジノの話で盛り上がった。

私は2002年に卒業して以来、多くのアメリカ人に会ってきたが、マイアミ出身の人に会うのは初めてだ。ハンズといい、ニュージョンといい、私はこの主夫会と運命的なつながりの様なものを感じた。見知らぬ土地で「専業主夫」という、超マイノリティーに属した私の居場所を提供してくれたのが、日本人ではなく、アメリカとオランダ人ということが、私が歩んで人生をそのまま象徴しているかのように思える。日本で兄姉より成績が悪いことにいつも劣等感を抱いていた自分は、15歳で交換留学生として渡米し、自分が名字ではなく、ファーストネームで呼ばれることにたまらない開放感を覚た。日本で在籍していた高校に退学届を出し、そのまま大学院まで欧米で9年間過ごした。

 国連が算出したデータを基に、どの国がどれくらい男女平等なのかを示すランキングが毎年発表されている。日本は135カ国中、101位。アメリカ22位、オランダ11位、そしてスウェーデンは4位。ちなみに、アゼルバイジャンは99位で、日本と競っている。この指標は、「経済活動」「教育」「健康」「政治への関与」の四つの点数の平均で競っているのだが、教育と健康は、日本もトップクラスに属する。問題は、経済活動と政治への関与。つまり、他の先進国と比べ、日本では雇用や昇進の機会で男性が優遇され、国会や地方議会の議席の多くを男性が占めているという現状が示されている。

 私は、101位の国で生まれ、15年過ごした後、1996年からトップクラスの国で9年間過ごした。その時の「カルチャーショック」は凄まじく、再び、2005年に101位の国へ戻った時の「逆カルチャーショック」は、さらに凄まじいものだった。

 アメリカの高校の野球部には「マネージャー」というものはなく、水汲みなどの雑務はチームメートで手分けしてやっていた。「日本にはマネージャーがいて、道具を運んだり、スコアブックをつけたり雑務をしてくれるのだけど」とチームメートに言うと「誰がそんなのをやりたがるの?」と首を傾げられた。「生徒がボランティアでやり、多くの場合は女子生徒。私が通った日本の高校では、応募者多数で面接で選ばなければならないほどだった」と言おうとしたが、断片的な情報だけで「だから日本は、、、、」と評価したがるアメリカ人が多いことに辟易していた私は黙っていた。

 出身地、新潟で通った私の中学校は、私が入学する5年前に女子バスケ部ができたばかりで、それまではバレーボールだけが、女子生徒ができる団体球技だった。(この女子バスケ部が創設されたのも、私の三姉が「バスケがしたい」と言ったため、母親が学校へ電話をしたことが始まりだったという)。一方、米国の高校では、この二つの他に、女子サッカー部とソフトボールがあり、中でもサッカーが女子生徒の間で一番の人気スポーツだった。

 私が通った日本の中学や高校で、昼休みに男女が交わってご飯を食べる風景は皆無だったが、米国では当たり前。同じグループの女子生徒が出場するサッカーの試合を、男子生徒たちが観戦しに行ったりもしていた。

 オランダでは、当時、付き合っていた彼女に「私の家でご飯にしましょう」と言われ、行ってみると、台所に材料が置かれたままになり、「私が部屋の掃除するから、あなたが料理して」と言われ、「え?招待してくれたのじゃなかったの?」と聞くと「だって、あなたの方が料理するのが速いから、その方が効率的でしょ」と言われ、ガックリした。

 オランダは、今年のワールドベースボールクラシックで韓国やキューバを倒し、日本同様、準決勝進出したヨーロッパの野球大国だ。私は大学院時代、オランダのアマチュア二部リーグのチームでプレーしていたが。チームの監督は、5分でも選手が練習に遅刻したら、容赦なく次の試合のスタメンから外すような厳しい人だった。そんな監督だが、「6歳の息子の野球試合を観戦に行くから」という理由で公式試合を休んだ。しかし、チームの誰もが、それは誰にでも与えられた当然の権利として、驚かなかった。日本で、高校野球の監督が、県予選の試合に同じ理由で欠席したら、どうなるだろうか。

 オランダやスウェーデンでは、男女だけでなく、社会のあらゆる面が平等だった。学生は大学教授をファーストネームで呼び、講義は、原則、少人数で討論式。(米国で教授をファーストネームで呼ぶのはご法度)教授からレクチャーを受けるということがあまりなく、学生が教授の意見に異を唱えることなど、日常的な光景だった。(私は日本の大学に通ったことがないので、日本と単純比較はできないが、、、)

 大学院で、私が「難民」をテーマに発表した時、かなり気合い入れてやったのに、思った様な成績が取れなかった。教授に尋ねると、「発表はとても興味深くて、ヨーコーの想いが伝わったけど、あまり感情的に話されると、聞いている方が、自分たちの思ったことを率直に言いづらくなるから、できるだけ、自由な議論を促せるような発表を心がけて」というアドバイスを頂いた。それまで、「発表」とは他人を説得するためのものと思っていた私にとって、とても新鮮な発想だった。 教壇に立って話す人も、それを聞く人も平等だということなのだろう。

 同性愛の男性が手をつないで街中を歩き、大学院の卒業式に、担当教授がノーネクタイで出席したり、自分や他人の肩書をあまり気にしなくてよかった。フランスや日本の友人が「オランダに来て、初めて、周りの目を気にせず、自分らしい格好や言動ができるようになった」と言っていた。

 男女平等を徹底した母親に育てられ、その文化が日本より根付いている欧米で9年過ごし、2005年に日本に帰国した私は、大きな「逆カルチャーショック」を受けることになった。(続く)

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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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