専業主夫は「パンダ」並みに珍しい

 新聞記者時代は「お前なんか会いたくない」と言われることが多かった。仕事上、事故や事件の犠牲者の遺族の家を訪問したり、午後11時ごろに帰宅してくる刑事の家の前で張り込みをしたりと、どう考えても嫌がらせとしか思えないことをしなくてはならなかったから。

 それが、専業主夫になって一転。「あなたに是非お会いしたい」と言われる様になった。妻が「パキスタン人の同僚があなたに会いたがっている」と言えば、ある飲み会で出会ったばかりのドイツ人外交官が「あなたに会わせたい元主夫(ペルー人)の友人がいる」と言い、さらにブログに、日本の某テレビ局から「主夫であるあなたに是非お話をお伺いしたい」と言ってくる。
 
 要するに、「専業主夫」というものが世界遺産のように珍しく、しかも、それが男女平等の分野では後進国の日本出身というのが、さらに驚かせるらしい。「パンダ」になった気分だ。

 妻の同僚のパキスタン人女性(30代)は、約3年前に夫の転勤に付き添ってアゼルバイジャンに来た。生後6ヶ月の長女と3人暮らし。私に会うなり「あなたが『主夫』ね?ああ、やっと会えたわ」と微笑んだ。女性の友人のカナダ人男性とルーマニア人女性カップルと共に家に招待してくれ、美味しいパキスタンカレーを堪能した。

 「なぜ、私に会いたかったのですか?」と尋ねると、女性は「子どもの頃から女性の権利に関心があったのです。私は、何でも論理的に理解できなくては気がすまない性格だった。だから、兄や弟たちが午前3時に帰宅しても怒られないのに、なぜ私が午後10時に帰宅したら怒られるのかとか疑問に思っていた。『女性だから』という理由は、どうしても論理的に思えなかった。パキスタンでは男性は外で働き、女性は家で家事、育児という考え方が根強いです。妻の稼ぎで暮らしている男性なんて会った事なかったし、いたとしても、その人は、おそらく人前に堂々と出ることができないでしょう。だから、そういう考え方に縛られない生き方をしている人に会ってみたかった」と言う。

 さすが、女性の権利に関心が高い女性と結婚したからなのか、同じくパキスタン人の夫は、せっせと、家事、育児を手伝う。赤ん坊のミルクをやったり、「誰か水を飲みたい人は?」などと私たちに尋ね、台所とリビングを往復する。しかし、女性は、夫が台所へ行ったことを確認してから、声を小さくして「彼は否定するかもしれないけど、夫だってアゼルバイジャンにいるからこうやって家事、育児を手伝っていると思うの。パキスタンにいたら、そういうことすること自体が『恥』みたいに見られちゃうのよ」と言う。

 女性は、パキスタンでテレビ局のアナウンサーだったという。お見合いで結婚した夫が、アゼルバイジャンに転勤することになり、テレビ局を退社した。アゼルバイジャンに来た当初は「本当に辛かった」という。友人は居ない。アゼル語もロシア語もできない。仕事はない。毎日、家に引きこもり状態になった。パキスタンでは日々忙しくしていたのに、突然、見知らぬ土地で肩書きのない不安定な生活に戸惑った。それでも「夫の収入はドル払いで、パキスタンの現地通貨でもらう私の給料とは比べ物にならなかった」と付き添った理由を打ち明ける。

 今は、昼間はベビーシッターを雇って、子どもの面倒を見てもらい、現地の高校で英語を教え、私の妻が働く国連事務所の通訳業務をこなす。

 彼女が発した「論理」という言葉は、自分の胸を突き刺すような力があった。私も、彼女と同様、すべての物事を論理的に考えようと心がけている。妻と喧嘩する時も、ソマリア難民と誤解が生じた時も、自分の脳みそで考えられる論理に沿って議論を進めようと努力する。

 しかし、奈良や広島で新聞記者をする私との関係を維持するため、妻はイギリスの大学院進学を諦め、新潟の大学院へ進学した。韓国や新潟から毎月、会いに来てくれ、日本語を一から学び、東京で就職したと思いきや、私は新聞社を辞めてケニアへ行った。妻は私と一緒になるために東京の仕事を辞め、ケニアで仕事を見つけた。この不平等な関係は、私が考えつくどんな論理に沿っても説明することができない「非論理的」なものだったが、深く考えることも、妻と話し合うことも避けてきた。それは、大学進学率など教育指数で男女の差はほとんどなくなっているにも関わらず、共働き世帯の7割以上で「家事は妻中心」となっている日本社会にどっぷりつかってしまった自分がいたからかもしれない。(参考文献:内閣府男女共同参画局ホームページ http://www.gender.go.jp/whitepaper/h21/gaiyou/html/honpen/b1_s00_02.html)

 「男のプライド」———。論理では説明しようがないものが、私の胸の奥底にも宿っている。今でも「仕事はないの?」と聞かれることがあるが、「主夫です」と胸を張って言う事ができず、頭をかきながら「最近本を出版したのですよー」とか、適当に濁している。まだまだ、主夫のプライドが宿るまでにはまだまだ時間がかかるようだ。
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ああ、教えてあげたい

波乗りしてこちらに漂着しました。
私はパキスタン人の夫がいて、イスラーム学習会の主催者側(講師ではなくスタッフ)である日本人です。

長文失礼します。

あのパキスタン人の奥さんに教えてあげたい。
「男性が外で働き、女性は家で家事育児」というのは、パキスタンがそういう国だ、というだけではなく(笑)、クルアーン(コーラン)に男女の義務として書いてあります。
クルアーン第4章34節です。引用すると長くなるので割愛。
ネット時代なので、簡単に検索ヒットします。

「アッラーがクルアーンの中でそう仰るから」ということで普通はそこで話が終わるのですが、もし「でも何故そうなのか?」と聞かれたら、「アッラーがそれをよしとしたから。この世の全てを無から作り出した方の思考全てを、この数千年でじわじわと知恵をつけてきた(でも神を超えることは決してない)人間が理解できるわけがない」というのが論理的な理由です。
これは決して思考停止などではありません。

神を信じる人が無神論者に「ほら、これが神です」と神ご自身を出すことができず、逆に無神論者が「ほら、神様はこの世にいないよ」と見せることができないのと同じで、「完璧なる証拠提示は不可能なので、そう理解するのが最善」なのです。
…信徒側から言えば、クルアーンに充分なほどアッラーがいらっしゃることの具体例が挙げられていますがね(笑)。

但し、このクルアーンの節は夫が家事や育児を手伝ったり、妻が仕事をすることを否定はしていません。
ムハンマドさんご自身家庭の手伝いをしたり自分で靴を繕ったりしていたそうです。

また「兄弟が午前3時に帰宅しても何も言われないのに、私が午後10時に帰宅したら怒られる」という件。
詳細が分からないので勝手なことは言えないと知りつつも…

彼女が一人で、あるいは家族ではない人(友人など)と出かけて午後10時に帰宅するのは遅いと思います。
というか、ご兄弟も午前3時帰宅が常習だとしたら、そうとう自由なお宅だと思います、一般パキスタン人の家庭としては。大学生男子ですら夜ふらっと出かけるのを嫌がる家庭が多いです。

女性が友人と出かける場合でも夕方までには帰宅するとか、友人の家族が同伴ならばもう少し遅くてもまぁまぁ…という感じです。
※近年大学の課外授業や時間外の実験で帰宅が遅くなる女子がいるので、その場合は除きますが、そういう場合は家族が迎えに行くのが一般的。

理由は簡単です。
日本でも同じ感覚は(ある意味残念ですが)あります。
「女性は傷物になっては御嫁にいけない」から。

無事に帰宅するかどうか以前に、彼女が一人で出歩いて、彼女にヘンな噂が立ったらそれを否定する手段がありません。

「彼女はこの前どこどこで知らない男と会っていた」
「彼女はどこかの男の車に乗ってどこか行ってしまった」

日本では「ヘェ〜」で済んでしまうかもしれませんが、パキスタンでは「家族以外の男性と落ち合う=ふしだら」と思われてしまいます。
一人で夜遅くまで出歩く女性がこのような噂を立てられたら、アリバイを立証できません。誰かこのアリバイを立証してくれる人がいない限り。
だからアリバイ立証してくれてボディーガードになる同伴者(大概は家族)なしに遅くまで出歩くのを快く思わないのです。

彼女はお仕事をされていたし、ご家庭もそこは考慮されていたのでしょうが、それでも午後10時は遅い、ということなのでしょう。

ありもしない噂を立てるアホや一人歩きの女性を襲うアホがいるのが一番の問題なのですが、上記のような理由で女性が夜遅くに帰宅するのは怒られるのです。

話は少しそれますが…
クルアーンに「女性の不名誉を訴える者は、それを立証できる証人を4人連れてこい(クルアーン4章15節)」とあります。
更に「夫がいる貞節な女性を不貞で非難する者が、その証人を4人連れてこられない場合は、その(女性を不貞で非難する)者に80回のむち打ちを加え、(今後)この者の証言を受け入れてはいけない(クルアーン24章4節)」とあります。

だから噂を証明できる人が4人いないとその噂は受け入れられないのですが…「口に戸は立てられない」のが世の中です。

だからこそ、娘の帰宅時間に緩い家でも早く帰ってくるように諭すのです。
厳しい家だと必ず同伴者が付きます。いや、これが普通かも。

ということで、もし彼女にまだ会える機会があるとしたら、是非このようにお伝えください。

長々と失礼しました。
もしいろんな意味でお気を悪くされたとしたら、お許しください。
彼女へのお説教ではありません。
単なる私が知る限りの情報提供です。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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