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日本の難民問題を社会に発信する上での四つの留意点

 難民に関わって、かれこれ10年以上になる。学生として、記者として、援助関係者として、「難民問題」を、日本の社会全体へわかりやすく伝えようと試行錯誤してきた。その集大成として、ここに、難民問題について社会に発信する際の「四つの留意点」を共有したい。


① 私が「原子力発電」や「株取引」の仕組みがわからないのと同様、「難民認定」の仕組みを理解している一般人は少ない。

② そのため、単純に「日本は難民認定率が低いからけしからん」と言われても、一般人は共感しにくい。異なる言語や文化を持った人が近所に移住してくることに不安を持つ人ならなおさらのこと。

③ その人が難民かどうかを認定するのは他でもない「日本政府」であり、「難民認定率が低い」と批判する際、必ず、政府側の見解を含めることが必要。

④ 「難民問題」は、人権、経済、国際関係など、様々な分野と絡まっている。しかし、一つの記事ですべてを網羅しようとせず、焦点を絞って話さないと、理解しずらくなる。

 以上を踏まえ、以下の記事を読んでいただきたい。2013年5月6日朝日新聞朝刊オピニオン面「私の視点」に、難民問題についての提言記事が掲載された。

1 法務省が発表した昨年の難民認定に関する統計は衝撃だった。認定を受けたのは18人と10年ぶりの低水準であるばかりか、1次手続きでの認定率は0・2%と1982年に難民認定制度ができて以来最低だった。これでは難民を救う制度ではなく、申請者を退けるための制度だ。

2 故国での迫害を逃れ、日本で保護を求め難民申請する人々を取材してきた。他の先進国では同じ理由で家族・親戚が認定されているのに、日本では認められず、長く苦しい闘いを強いられている。

3 認定の8割がミャンマー出身者に偏り、彼らについても本国の民主化の動きで認定が出にくくなった。申請者の国籍では最多のトルコ出身者(ほとんどがクルド人)はこれまでに一人も認定されていない。日本とトルコのテロ対策での協力関係などが背景にあると見られるが、認定判断とは別次元であるべきだ。国際法の難民条約が掲げる「難民」の解釈でここまでの開きがある日本の姿勢は、国際法違反ではと感じてしまう。

4 申請中に受けられる支援はわずかで、働くことも医療保険を受けることもできない人が多い。滞在資格がない場合は入管収容施設に入れられ、いつ終わるとも分からない「中ぶらりん」を強いられている。「無我夢中で逃げ、行き先を選べなかった。こんなに閉鎖的だと知っていれば日本には来なかっただろう」という声も聞こえるほどだ。
 
5 彼らの多くが故郷では地位も教育もあり、社会を担う存在だった。東日本大震災では、「故郷を失う」ことに感受性の高い彼らは、被災地でがれき処理などボランティア活動を行っている。こうした人々を適正に評価して認定するのは、理にかなっている。

6 せめてもの救いは、民の動きが広がっていることだ。ホームレス化した申請者の当座の宿泊施設を見つけたのは難民支援NPOだ。申請結果を待つ間のメンタルケアを支えるのもNPO。ある大学病院はNPOと連携して保険のない申請者の歯科治療を無料で行い、子どもが学校で落ちこぼれないよう大学生の難民支援組織が専門家の指導を受けて教育支援に参画している。

7 参加者たちが同様に言うのは、困難を乗り越えてきた人々との触れ合いから学ぶことの大きさだ。才能や教養への驚きもある。難民受け入れはこれまで「人権推進」「国際貢献」の文脈で語られることが多かったが、「足元からのグローバル化」と「人材確保」を加えたい。認定行政をつかさどる官の人々にも、早く気付いてもらいたい。


 記事内容自体は素晴らしいもので、長年、難民に寄り添い続けてきた筆者の想いが伝わってくる。しかし、800万部の部数を誇る朝日新聞の読者のどれくらいが、この記事の内容に共感できるだけの予備知識があっただろうか?

では、これから、四つの留意点を基に、この記事を分析してみたい。

まず、段落1。 「1次手続きでの認定率は0・2%と1982年に難民認定制度ができて以来最低だった」 
 難民認定制度について予備知識がない人は「1次手続きとは何なのか?1次手続きがあるなら、2次手続きもあるのではないか?2次手続きでの認定率はどうなのか?1次での認定率だけを記載する理由があるのだろうか?」など、色々な疑問が湧いてくるかもしれない。

 次に段落2。 「他の先進国では同じ理由で家族・親戚が認定されているのに、日本では認められず、長く苦しい闘いを強いられている」 

 これを読んで、一般読者は「へええ」と思うかもしれない。しかし、「難民申請をする人」について具体的イメージが湧かないため、「具体的に、どんな例があるの?」と思うのではないか。つまり、アメリカではこういう人が申請して認められたが、日本では認められなかった。アメリカ政府はこういう理由で認めたが、日本政府はこういう理由で認めなかった。しかし、残念ながら、次の段落では、別の話に移ってしまう。

 段落3を読むと「これまで認定されてきた人の大半がミャンマー人で、そこで民主化が進んでいるのなら、昨年の認定率が過去最低なのは、当然の帰結なのではないか?」と考えてしまう読者がいるのではないか。そして、次にトルコのクルド人。果たしてどれだけの読者が、トルコという国から難民が発生しているということを知っていただろうか? そして、たまに新聞の国際面を読んでいる人なら、昨年からクルド人の武装組織がトルコ政府と停戦へ向けて動き出していることを知っているかもしれない。「停戦へ向けて動き出しているのなら、なぜ日本が保護しなくてはならないのか?」と思ってしまわないだろうか?
 そして、筆者は、トルコ人が認定されないことについて、

 「日本とトルコのテロ対策での協力関係などが背景にあると見られる

と記している。まず、日本とトルコがテロ対策で協力関係にあったことさえ私は知らなかった。さらに、認定者の多くはミャンマー人と記していたが、ミャンマー政府と日本政府も色々な面で協力していなかったっけ?あれ?さらに、この一文は、筆者個人の想像なのか、政府関係者が話した内容なのか?政府はトルコ出身者が一人も認定されてないことに何と言っているのか?難民申請却下の取り消しを求める訴訟を起こしたクルド人がいるならば、裁判所が出した判決文に政府の姿勢が書かれているのではないか?

 段落1を読んだ時、一般の読者は「ああ、この人は日本の難民の認定率の低さについて書くのだろう」と思ったはずだが、段落4では、「難民申請者の人権」へ話が変わってしまっている。どういう人が「難民申請」できるかわからない読者が「働く事も、医療保険も、、、」と言われても、いまいちピンとこない。そして、この読者が、少し調べてみて、「難民申請は外国人なら誰でもができる」ということを知ったら、「え??そしたら、難民申請者が就労できることになれば、不法で滞在している外国人は、皆、就労許可が欲しいために難民申請してしまうのでは?」と疑問を抱いてしまうだろう。

 「難民」の正確な定義を知らない読者は、段落5と7を読んで、筆者は「ボランティア活動をしたり、故郷で地位や教育もある外国人は、難民として認定するべき」と書いていると勘違いしてしまうかもしれない。段落5と7は、「認定された難民の人材活用」について書かれ、段落1の「低い認定率」とは、少し焦点がずれてしまっている。一般の読者は、「活用できる人材が欲しいなら、インドネシアから介護士を受け入れた様な制度があるじゃないか」などと思ってしまうかもしれない。

 「難民の認定率を上げろ」「トルコとの外交関係を認定基準に影響させるな」「難民申請者の人権を守れ」「認定した難民の人材を活用しろ」。私は筆者の意見にすべて賛成だ。しかし、1000文字という限られたスペースで、「難民」の定義や「難民認定」の仕組みを知らない読者からすれば、あまりにも多岐にわたるテーマではないだろうか。

  最後に、政府関係者のコメントを一つも入れず、 「認定行政をつかさどる官の人々にも、早く気付いてもらいたい」 と批判するのは、「ちょっと一方的なのではないか?」と感じる読者もいるかもしれない。

 私が、難民行政を司る法務省入国管理局の人間だったら、まず、「なぜ、この筆者は、難民認定はしなかったが、人道上の配慮を理由に在留許可を与えた112人に触れていないのか?」と思うかもしれない。日本政府は、難民申請をした者の中から、難民認定とは別に、2010年に363人、2011年に248人、2012年に112人に「特別在留許可」という定住ビザを与えている。(参考資料:法務省入国管理局ホームページ http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00094.html)

 難民支援者からすれば「在留特別許可」と「難民認定」では全く異なると言うだろうし、その気持ちはわかる。 しかし、一般の人が、「難民認定」も「在留特別許可」もどちらも更新可能な一定期間の定住ビザが発給されることを知れば、日本政府がその人たちを「保護」をしていると受け取る人もいるのではないか。難民支援者が「違い」を理解してほしいと言うなら、「在留特別許可ではなく、難民認定を」と題した別の記事で、議論を巻き起こしてほしい。
 
 繰り返し強調したいのは、記事の内容は素晴らしい。ただ、一般の読者には少し難しすぎるのではないかということだ。

 筆者は最初に「難民認定率の低さ」に衝撃を受けたと書いている。だったら、その「衝撃」に焦点を当て、 以下の様な流れで書いてみてはどうだろう。

 皆さんは「難民」という単語を聞いて、どんなイメージが湧くだろうか?飢えている人?テントで暮らす人?荷物を担いで砂漠を歩いている人?

 どれも間違ったイメージではないが、「難民」の定義の本質からは少しずれている。日本が加盟する国連の難民条約では、難民は、様々な理由で命の危険にさらされている人で、その国では命を守ってくれる人がいないため、他の国へ逃れた人のことだ。「様々な理由」とは「民族、宗教、人種、政治的意見、特定の社会集団など」で、その人の経済的状況は全く関係がない。(無論、ボランティア活動歴や教養も関係がない)

 例えば、ある国で政府の独裁体制を批判し、政府から命を狙われた人が、隣の国へ逃れる場合など。この人は、逃れた国で「難民申請」し、「祖国で脅威にさらされている」ことなどを証明し、その国の政府から「難民」と認められて、初めて、定住許可を得ることができる。証拠が不十分だったり、供述に信憑性がないと判断されれば、難民として認定してもらえず、正規の滞在資格がもらえない。

 日本でもアジアやアフリカ諸国出身の人が毎年1000ー2000人「難民申請」をしている。昨年、日本政府が認めた「難民」は18人。その他に、人道上の理由から在留許可を発給したのは112人。9割以上の難民申請者が日本政府から保護を拒まれているという現状がある。

 なぜ、日本政府が彼らを保護しなくてはならないのか?まず、難民条約に日本は加盟している。さらに、日本人も、今後、何らかの理由で命の危険にさらされ他国へ逃れ、難民申請しなくてはならない日が来るかもしれない。 その時、他国の政府から助けてもらうためにも、今、日本に保護を求めにやってくる人たちに手を差し伸べなくてはならない。


 日本で難民認定者が少ない理由として、日本政府が「難民」をあまりにも厳格に定義していることがあげられる。毎年、万単位の難民を認定するアメリカでは、ミャンマーで、国籍を与えられず、迫害を受け続ける少数民族「ロヒンギャ」を一律認定しているが、日本政府は「ミャンマーのある地域に暮らすロヒンギャは安全に暮らしており、ロヒンギャ民族全員が命の危険にさらされているという証拠はない」という理由で、認定を拒んでいる。

 しかし、九州に住むアイヌ人が出目を理由に命を狙われ、「北海道のアイヌは安全だから、そこに行け」というのはあまりにも厳しいのではないか?1000キロ離れた北海道までどうやって行くのか。行く途中で、命を落とす危険はないのか?

 政府の「難民」の定義を柔軟にするには、世論の力が必要だ。言語や文化が違う人と隣り合わせに暮らすことを不安に感じる人もいるかもしれない。しかし、これまでに日本政府から認定された難民の中には、教養が高い人も多く、被災地でボランティアに従事した人もいる。難民を受け入れることは決して重荷ではなく、その国にとってプラスにもなり得るのだ。


(注意:上の記事は、あくまで例題として出した記事で、アメリカや「ロヒンギャ」の部分などは、事実と異なっています)
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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