カンボジアへ3週間出張に行く



今日から3週間、カンボジアへ出張する。主夫の大きな役目の一つは、姑と舅(妻の両親)と仲良くすること。妻の家族は今年初めから、カンボジアの首都、プノンペンに宣教師として滞在しており、私は一人で妻の家族と3週間暮らしながら、韓国語学校へ通う。

日本人同士でさえ、嫁と姑の関係というのは様々な軋轢が生じるのに、言語や文化も違えばなおさらである。結婚して4年半、私と妻の両親は、これまで譲歩に譲歩を重ね、お互いの間にある壁を乗り越えようと努力してきた。

まず、日本と韓国の間にある歴史問題。2005年、私が妻に初めて出会った時、妻は「日本人の男性で好きな人ができた」と義母に伝えた。そしたら「忘れなさい!」と義母は一蹴。義母の祖父は、戦時中に日本軍に殺されていた。それで、妻は、私との交際をずっと秘密にした。韓国から日本にいる私に会いに来る時も「インドで学生ボランティアしてくる」と嘘を付き、東京のインド雑貨店でお土産を買っていた。

当初、イギリスの大学院進学を予定していたが、私との交際を続けるために日本の大学院へ進学した。その時も、パナソニックから学費と生活費が出る奨学金をもらい、「この大学院なら一銭も出さなくていいのよ」と両親を説得した。

秘密の交際が3年以上たち、ようやく妻の両親の耳に入った時、義父は「日本人と娘が結婚するなんて恥ずかしくて親戚に言えない」と反対した。しかし、その時、妻は25歳。私と出会うまでは、妻が長い恋愛をしたことがなかったことをを十分承知している義母は、「すでに3年以上経過した関係を断ち切らせたら、娘は一生、結婚できないかもしれない」という不安を抱いた。「娘が一生独身でいるよりは、日本人でもいいから結婚した方がいいのではないか。とりあえず、彼に会ってみよう」ということになり、2008年6月、妻の大学院の卒業式に合わせ、両親は来日し私と面会した。

歴史問題の次は、言語。義父は日常会話レベルの英語は話せるが、義母は韓国語のみ。出会った時から「私は話し好きなのに、あなたのせいで全く話せない!すぐハングルを学んで!」と言われていた。



歴史問題と言語だけでも十分なのに、私と妻の両親の間には、もう一つ大きな壁がある。宗教だ。義父が宣教師と書いたが、妻の家族はものすごーい敬虔なキリスト教徒だ。両親共に生まれた時から毎週数回教会へ通い、親戚、知人はほぼすべてキリスト教徒だ。教会での活動が常に生活の中心だった。ご飯前のお祈りは勿論、寝る前に家族で集まってするお祈りも欠かさない。

初めて出会った日、義母からは「祖父が日本軍に殺された」と言われ、義父からは、ハングルと日本語で書かれた大きな聖書を頂き、突然、喫茶店内で「お祈りの会」が開かれた。会では、私とスージン家族、そして義父の友人の牧師5人がテーブルを囲み、手をつないで、「私のこれまでの人生は自分中心でした」「これからは神中心の人生を歩んでいきます」と5人全員で声を揃えて私のために読経した。

結婚のために姑/舅が出した条件が、ハングル語習得とキリスト教への改宗だった。「こんなの宗教の押しつけだ!」と最初は心の中で反発もあった。でも、食わず嫌いはいけないし、現在でも「ヨウコウのご両親にしっかり布教はしているの?」と尋ねてくる義母を見ると、非キリスト教徒の私を家族として迎え入れるということが、彼らにとってどれだけ大きな譲歩だったということがうかがえる。

結婚許可が降りてからは一転、それまで反対していたということが信じられないくらい、私のことを可愛がってくれた。妻と私が韓国に遊び行くと、必ず、新しい靴下、パンツ、セーター、パジャマなどが用意され、カニ味噌チゲやカルビなど、義母の得意料理がとてつもない量でもてなされた。義父は2泊3日で韓国の景勝地に連れて行ってくれ、私にスーツなどをプレゼントしてくれた。日本と韓国の歴史問題に関しても、私のキリストへの信仰心に関しても追求することはほとんどなかった。

当時、私は毎日新聞の尾道支局(広島県)勤務で、週1回、隣の福山市にあるNHK文化センターの韓国語教室に通い始めた。そして、日曜日には尾道や福山にある教会にも通い始めた。

私がアフリカに行ってからは、ハングルを学ぶことができなくなり、義母からは「全然、韓国語上達していないじゃない。娘との結婚は取りやめにするわよ!」と冗談を言われるほど、ハングルが話せなくなった。

それで、専業主夫になったいま、長年の課題だった韓国語修得に向けて、週に2—3回、1時間半の家庭教師をつけて勉強している。アゼルバイジャンには韓国人が200人前後いて、大学などで韓国語を教える韓国人先生も10人以上いる。最近は妻との会話の半分以上をハングルでするようになり、義父ともハングルでメールのやりとりをするようになった。

 韓国のキリスト教は布教活動がものすごい盛んで、世界の至るところに韓国人教会がある。ケニアにもいくつかあり、なんと、アゼルバイジャンにも一つあり、毎週日曜日には30人ほどが集まって礼拝をしている。

妻の両親は、カンボジアでも大きな韓国人教会に通い、現地の人に布教するためにカンボジア語(クメール語)を学んでいる。義父は59歳。この年齢で異国の地に住み、新しい言語を学ぶのは容易ではない。義父の強い信仰心の裏返しでもある。

義母と直接ハングルでやり取りするのはこれが初めてとなる。一体、どんな3週間となるのか、楽しみだ。おそらく、妻の両親は不安で一杯だろうけども、、。

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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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