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お義父さんとお義母さんにお礼の手紙


お義父さん、お義母さんへ

この度は長い間、お世話になりました。とても楽しい時間を過ごすことができました。義息子を3週間もお世話してくれる両親はなかなかいないと思います。本当に思いやり溢れた家族に恵まれ、私は幸せです。

私は自己主張の強い人間です。だから、お二人には、色々、自分の意見を申し上げ、時にはお二人の信条を傷つける様なこともあり、大変、申し訳なく思っています。

私は、お二人とは全く違った環境で育ちました。

私は、朝鮮戦争直後に生まれたお二人と違い、子どものころ飢えた経験も、飢えた人が身近にいたこともありませんでした。「食べるためにはどうするべきか」「妹や弟の生活を楽にするにはどうすればよいか」と考える必要はありませんでした。家族の「命」を本気で心配したこともありません。食べるものに困らなかった分、「自分は何をしたいのか?」のみ、考えることが許されました。

私は、お義父さんと違い、十代で両親を病気で失うことはありませんでした。4人の弟や妹を養うために、サウジアラビア、イラン、リビアなど生活環境が厳しい場所へ単身で出稼ぎに行く必要もありませんでした。私は、「新しい世界を見てみたい」という好奇心だけでアメリカに行くことができました。

私は、お二人と違い、表現の自由がない、軍事独裁政権下で生きたこともありません。お二人が若い頃、独裁政権の下、韓国の経済は急速に延びました。お義父さんが「色々な意見が乱立すると進むものも進まなくなる。決断力があるリーダーの意見が通りやすい方が良いときもある。韓国の経済は、当時の朴正煕のおかげで良くなった」とおっしゃっていましたね。

スージンが学生時代、人権についての書物を読んだら「そんなものは読むな」とお義父さんが言われたのも、政権を批判したら家族全員が不幸になると考えられたからでしょう。


私は母親から「迷惑を掛け合おう」と育てられました。色々な意見を出し合う事で、その人それぞれの個性が伸びるという考えでした。

だから、ヘジン(義妹、25歳)の扱いについても色々議論しましたね。お二人は、宗教や賃金の差を理由に、ヘジンがカンボジア人男性と二人で食事をするのは良くないと思う。ヘジンが学びたい英語ではなく、学びたくないピアノを学ぶべきだと思う。ヘジンがなりたい幼稚園先生になるためには、それが必要だと思うから。

私は、ヘジンが食事をしたい人と食事をすればいいと思うし、学びたい英語を学べばいいと思う。それが間違った選択だったとしても、その失敗から人は成長するものだと思うから。そして、いつか、ヘジンはお二人なしですべて決断しなければいけない日がやってくるのだとしたら、なおさらです。

私は10歳で、友人と二人で1500キロ以上離れた沖縄を旅行しました。航空券の手配、宿泊所の選定/予約まですべて自分たちでやりました。帰りの寝台列車でお金がなくなり、お昼ご飯を食べるために、テレホンカードを列車内で売歩きました。そしたら、隣の乗客が買ってくれ、なんとか昼ご飯を食べることができたのです。お金を使いすぎたという失敗があったからこそ、自分で人間関係を作って、生き抜くという喜びを、学ぶことができました。

それからアメリカへ行き、英語を学び、様々な国を駆け巡るうち、スージンに出会い、お二人に出会うことができました。自分の数々の失敗があったからこそ、人とのつながりを求める欲求が沸き、お二人に辿り着く事ができたのです。

お二人は、常に、家族に愛情を注いでこられました。私の事も本当の息子の様に可愛がってくれました。
例えば、私が一人で出かけた日、お義母さんから私の携帯電話に不在着信が10分で5回あった時がありましたね。私は、お義父さんが死んだのかと思い、あわてて電話をかけましたが、お義母さんは「今日の昼ご飯、何食べたの?」と聞いてきて、「なんで、そんなことのために5回も電話するんだ」と思いました。

私が嫌がる「針灸医院」に無理矢理連れて行かれることも、「学校が終わったらすぐ帰って来なさい」「昨日はスージンと電話で何を話したんだ?」「子どもはなんで産まないのか?」と聞かれることも、生まれて初めての体験でした。

最初は煩わしいと思うことも多々ありましたが、徐々に、お二人が私を想ってくれるからこその言動だと理解できるようになりました。

妥協して週2回通った鍼灸医院ですが、少し足冷えが治ったように思います。私が一泊二日で旅行に行った帰り、空港まで家族3人で出迎えてもらった時は、心が温まりました。

私の家族なら、間違いなく「誰か、ヨーコーの迎え!」と母親が叫び、家族の一人が行かされることになっていたでしょう。

昨日、1週間の旅から日本の実家へ戻ったのですが、「駅から歩いて来なさい」と言われました。駅から家まで歩いて10分の距離だからだと思いますが、おそらく、お二人なら、駅まで出迎えに来てくれたのではないでしょうか。

 8年前、私が大学院でパソコンを使いすぎて腱鞘炎になり、実家から車で20分かかる整体医院に通った時です。免許がない私を、母親が毎日、送ってくれましたが、母親は「お願いだから早く運転免許とって」と言っていました。

私の両親は常に忙しく、私は生まれて数ヶ月で託児所に預けられました。お義母さんの様な「専業主婦」は家におらず、私に不在着信を5回もしてくれる人はいませんでした。

お二人の、「愛情表現」に対し、たくさん失礼な事を言って、申し訳ありませんでした。自分とは違う考え方に接し、それが大事な人の生育に関わる場合、(この場合はヘジン)、私は自分の意見をその人に伝えなくては気がすまない人間です。

「差し障りのあることを言い合おう」という母親の教えだけでなく、6カ国、計13年間に及ぶ海外生活で、「空気を読む力」だけでは到底理解できない文化/風習と触れ合った経験も大きいと思います。

韓国と日本の関係はぎくしゃくを続けています。ネットなどでは、色々な過激な文言も飛び交っています。こういった発信をする人の中に、一体、どれくらいの数の人が、お互いの言語を話し、私たちの様に信頼関係を作ろうと努力した経験があるのか、疑問に思います。

同じ屋根の下で暮らすために、お互いの宗教や言語を学び、謙虚にお互いの生い立ちに耳を傾け、対話を続ければ、いつかお互いが納得する答えが出る様な気がします。

お二人と過ごした3週間はとても有意義でした。本当にありがとうございました。まだまだ、私の韓国語は不自由です。これからも日々努力し、次はもっとお二人と話し合えるよう、頑張ります。

ようこう


カンボジア家族4人

私がカンボジアを去る時、プノンペン空港で。

アンコールワット

一泊二日で一人で訪れた世界遺産、アンコールワット。プンペンから飛行機で40分。

カンボジア家族

今年1月からカンボジアで新生活を始めた妻家族。食事はもっぱら韓国料理。

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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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