フリスビーを投げ続ける主夫


主夫会メンバーのロドニー(アメリカ人、42歳)は、毎日、一人で空き地へ出かけ、フリスビーを投げる。「フリスビーゴルフ」という、ルールはゴルフそっくりで、ボールの代わりにフリスビー、ホールの代わりに籠を使うもの。

「2週間後はフランスで大会があるんだ」と言いながら、家から持って来た26枚のフリスビーを鞄から取り出した。赤、青、黄色、茶色、などに色分けされ、「これはパター用(短距離)で、これはロングショット用」と得意げに説明する。

ロドニー1


周囲400メートルほどありそうな広い空き地で、ロドニーはレンガを三つ、それぞれ違う場所に立てた。「手前が70メートル、次が90メートル、一番奥が110メートル離れている」と言い、26枚のフリスビーを一つ一つ、レンガ目がけて投げ始めた。体を180度近くひねり、助走をつけ、腰の回転と共に、腕を振り、フリスビーが円盤の様に空中へ飛び立って行く。

ロドニー2

ロドニー3



フリスビーが100メートル近く飛ぶなんて知らなかった私は思わず目を奪われた。世界記録は200メートル以上だという。

アメリカ留学時代に2−3回、やったことがあったことを話すと「ええ!本当に!」とまるで同士を得たかの様に喜ばれた。おそらく、私がアゼルバイジャンで広島カープファンを見つけるのと同じくらい嬉しいことなのだろう。

「ヨーコー用にいくつかフリスビー持って来たぞ」と、さらに練習用フリスビーを8枚取り出した。「オラヨー!」と威勢の言いかけ声で、投げてみたが、ロドニーの半分の距離にも届かない。ロドニーは「オラヨー」のかけ声が気に入ったらしく、しばらく、「オラヨー、オラヨー」と真似していた。

ロドニーは毎日、正午から約2時間、この空き地で、フリスビーを投げ続ける。26枚投げ終わったら、一つ一つ広い集め、次は逆方向に26回、投げる。「今年だけで、アメリカやデンマークで3回、大会に出場したよ」と言う。すべてアマチュア大会で、交通費から参加費まですべて自費。プロ大会もあるが、それだけで食べて行ける人は「世界で10人くらい」とロドニーは話す。

米国テキサス州出身。両親は3歳の時に離婚。以降、母も父も3度、再婚を繰り返した。ロドニーは、母に引き取られ、母が工場の事務員などをしながら稼ぐわずかなお金で育てられた。継父もいたが、「酔っぱらって母を殴ったりして、どうしようもない奴だった」と苦笑い。一人っ子で、学校から帰っても家には誰もいなかった。貧しかったため、「お小遣い」というものをもらったことがなく、13歳くらいから、隣人の庭の草刈りなどをしてお金を稼いだ。「母親にお金がないことはわかっていたから自分から尋ねようと思わなかった。(実の)父親は警察官でお金はあったけど『自分が欲しい物は自分で買え』と子どもが何歳だろうと容赦なかった」と振り返る。

高校生になって、父親と時間を過ごすため、父が暮らすアラスカ州の高校へ転校した。プールの救護員のバイトをしながらお小遣いを稼いだ。高校卒業後、大学へ進学する同級生が多い中、ロドニーは父親に「大学に行きたいなら学費は自分で稼げ」と言われ、プールの救護員をいくつも掛け持ちし、学費を貯めた。「とにかく、大学出ないことには安定した仕事に就けないと思っていた」と、車社会のアメリカで一人、自転車を漕ぎながら、バイトに打ち込んだ。

4年後、母が暮らすテキサスの短期大学へ進学した。しかし、年間50万円の学費と毎月の家賃4万など、想像以上に出費が膨らみ、バイトをしながら勉学に勤しむのは容易でなく、中退。アラスカに戻り、プールの救護員のバイト生活に戻った。その後、本のセールスなどを転々とし、28歳の時、テレビのコマーシャル製作会社の雑用係の仕事を友人から紹介された。

車、ビール、ファーストフード、ありとあらゆるコマーシャルの製作現場で、「道具室からあれ持って来て」「これ空港まで運んで」「飲み物二つ!」「ちょっとここ掃除して」など、四方八方から来る指令を一つ一つさばいた。テレビでよく見るコマーシャルができる過程を目の当たりにし、次第にのめり込んだ。現場に知り合いができ、カメラの助手など、より待遇の良い仕事を任されるようになった。

そして、ロドニーが一番のめり込んだのが美術部門の物品調達の仕事だった。各場面、場面で必要になる機材を、決められた予算内で、締め切りまでにかき集める仕事。机、ベッド、電球からコップまで、その場面にあったデザインを考えて、選りすぐりの物を現場に持ち込んだ。雑用係の頃は1万円だった日給は、3—4万円にまで跳ね上がった。250万円する新型のトラックを買い、入ってくる仕事は増えた。

33歳の時、1ヶ月休暇を取って大型客船で旅行をした。船で、2歳年下のミッキーに出会った。彼女は、コロラド州の大学で地質学の博士号を取ったばかりで、アラスカのBP支社に就職したため、船でアラスカに向かう所だった。二人はすぐに付き合い始め、2年後に結婚した。

3年後、38歳で、娘が誕生した。夫婦は「どちらかが仕事を中断して育児に専念したほうがいい」と話し合った。ロドニーの中ではすでに決断は固まっていた。博士号まで取り、大手石油会社で働くミッキーの方が収入が多い上、将来性もある。医療保険など福利厚生もしっかりしている。一方、ロドニーの方は、日給だけみたら高給取りだが、短期契約の仕事ばかりで、「いつ仕事がなくなるかわからない」。福利厚生もない。

「俺が仕事辞めるよ」。ミッキーに伝えた。「俺が男だからっていう理由でミッキーに仕事辞めさせたらどうなるか?家族全員が苦しむことになる。収入が安定しないから、娘にまともな教育を提供できる保証もない。ミッキーは博士号まで取って、自分のキャリアを構築できないことに不満を抱く。私は私で、家族3人を幸せに養えないことを負担に感じる。良い事一つもないじゃないか」と言う。

「ベビーシッターを雇って、共働きを続けるという選択肢もあったのでは?」という私の質問に、ロドニーは「確かに、それもあった。でもさ、ミッキーの収入だけで十分私たち家族は暮らすことができた。だから、自分には娘とのかけがえのない時間を犠牲にしてまで、働く理由がなかった。ベビーシッター代で月10万、20万かかったとして、自分が働いて稼ぐ収入がそれより多かったとしても、娘との時間って、お金で計算できるものじゃないだろ?」

ロドニーは、2歳で娘が保育園に入るまで、付きっきりで面倒を見、保育園に入った後も送り迎えをし、夏休みは毎日遊んだ。「娘は絵や工作が好きでね、毎日、何が新しい発想で物を作ったり、絵を描くんだ」と自慢げに話す。ロドニーの家には、壁中に娘の絵が貼られ、段ボールのトンネルなどの工作もそこらじゅうにあった。

「自分は両親が離婚して、母とも父ともあまり過ごせなかった。大学に行く金さえなかった。だから、自分の娘には同じ様な想いさせたくないんだ。一緒にいたいし、高校卒業した時、娘が学びたいことを学ばせてあげたいんだ。そのためだったら、自分のキャリアを犠牲にするくらいなんてことないよ」と言う。

私が投げるフリスビーは必ず左によれ曲がっていくのに対し、ロドニーのは、真っすぐ飛び続けた。それは、ロドニーの家族への真っすぐな想いを象徴しているかの様だった。(私が妻へ曲がった想いを抱いているわけではないのですが、、、)
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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