主夫会が存続の危機に

9月1日、約2ヶ月振りにアゼルバイジャンに戻った私は、早速、主夫会メンバーのニュージョンに電話をした。しかし、電話は不通になっている。次の日かけても繋がらないため、フェースブックで「どこかに行っているのか?」と尋ねたら、驚きの返事が戻って来た。

「ヨーコーへ 私たち家族はもうアゼルバイジャンを去りました。思い通りにいかないことが重なり、自分たちの生活が色々なことに縛られ、積もりに積もったストレスが、私たちをこの決断に導いた。私たちはフロリダに移り、妻は、以前働いていた部署に、子どもたちは、前通っていた学校に、それぞれ戻る。私は、金曜日に、就職面接がある。みんな、新しい生活を楽しんでいるよ。もし、フロリダに来る機会があったら連絡くれよ。主夫会のメンバーによろしく伝えてくれ」

私はしばし言葉を失った。今年1月にアゼルバイジャンに来たニュージョン一家は、ここに3年いる契約だった。(ジョンについての詳細を知りたい方はここをクリック。) 

そして、7月初め、私がカンボジアへ発つ前に会った時、ここを去る兆候は微塵もなかった。喫茶店で知らない米国人に話しかけら、その人が語学学校を経営していると知ると、「仕事探しているんだ。アメリカでは大学に勤めていたんだ」と積極的に自分を売り込んでいた。それが、私がアゼルを離れた1、2ヶ月の間に何が起こったというのか。

一緒にドライブに出かけたり、プールで遊んだり、ボーリングやテニスをした仲なのに、去る前に一言も声をかけてくれないなんて、、、。「ストレス」「思い通りにいかないこと」とは一体何なのか。

ジョン立ち去る

9月5日、毎週木曜日の主夫会で、ロドニーとオールドジョンに事情を聞いても「俺たちも驚いているんだ。ニュージョンは何も言わないでアゼルを立ち去った」と困惑気味だ。

そもそも、突然、「アメリカに帰ります」なんていうわがままが会社で通るものなのか?オールドジョンは「キャリアの観点からしたら、大きなダメージだろう。もう海外に派遣されることはなくなるのではないか」と言う。私も一応、元会社員だ。どんな事情があったにせよ、会社に渡航運賃など多額の資金を払わせておいて、「来月去ります」なんて言ったら、間違いなくブラックリストだ。

さらに気がかりなのは、長男のリトルジョンだ。小学校5年生(11歳)で、これまで両親の転勤に伴い、アラスカ → カリフォルニア → フロリダ(2回) → アゼルバイジャン とすでに計4回転校を繰り返している。これが5回目の転校となるのだ。

子どもにとっても、妻のキャリアにとっても、プラスになることはない。

さらに、彼らがアゼルに転勤することに決めた最大の理由であった「お金」。住居、車、運転手、健康保険、子どもの教育費、すべて会社が負担する上、一時帰国手当(毎年一回、家族全員分の本国へのビジネスクラス往復航空券代に相当する現金支給)、僻地勤務手当、配偶者手当、レジャー手当(ジムや語学教室など)、などなどなど、大手石油会社の海外勤務というのは「ドル箱中のドル箱」なのだ。

BPで働く複数の友人らの話を総合すると、一月に入るお金は200万以上。 しかも、出費は食費とガソリン代だけ。

米国のBPに戻れば、「国内スタッフ」の身分になるため、あらゆる手当がなくなるため、入るお金は半分以下になる。(それでも十分だけどー)アゼルを立ち去ることに、一体、どんなプラス要因が考えられるだろうか?

私はジョンにフェースブックでメッセージを送った。

「元気でやっているの?皆心配している。一体、ここで何があって、去ることに決めたのか。子どもたちは元気でやっているのか」

返事はすぐ来た。

「みんな元気だ。去った理由は、色々ある。会社から割り当てられるはずの住居や車が割り当てられなかったり、そういった思い通りにいかないことに対するストレス。あと、妻の業務の激務さ。私たちは滅多に妻と話すことができなかった。給料は良かったけど、お金より家族が大事だ。アゼルバイジャンは私たちが住む所ではないという決断に至ったんだ。人生は短い。家族が一番幸せになれる所にいようということになった。長男はアメフトのチームに戻った。次男は野球を始める。私はある大学での就職面接をすでに二回した。妻は、前のように、2週間、アラスカの僻地で働き、2週間休むという勤務体系に戻る。これが一番私たちにとっていいんだ。アゼルに移る前に自分たちがどれだけ幸せな生活を送っていたのか、わかったんだ。ここでは大好きなアメフトの試合も見れるしね(笑)」

私もすぐ返事を出した。

「新しい生活をエンジョイできているようで良かったよ。野球が見れるのが羨ましい。それでも、まだちょっとわかりにくい部分がある。7月初めに話した時、ここを去る兆候は全くなかった。すでに車と運転手は割り当てられ、一軒家にもうすぐ移れるところだった。君は仕事を一生懸命探してた。アナマリア(妻)はそんな毎日遅くまで働いている感じでもなかった。だから、あの1—2ヶ月という短い期間で、『アゼルは俺たちの住む場所じゃない』という決断に至るきっかけになったことはなかったのだろうか?」

また、返事はすぐだった。

「誤解がある。妻はいつも遅くまで働き、週末も働くことがあった。一戸建ての家は7月末までに入居できる予定で、すべて荷物をまとめて用意していたのに、さらに1ヶ月待たされることになった。会社に対し、多くの不満があった。例えば、会社は私たちの住民登録をするのを忘れ、一からすべて書類を用意しなおさなければならなかった。こういうのが重なって今回の決断に至った」

一軒家というのは、子ども連れで来る社員のためにBPが買い取った住居群にある家のことだ。欧米のカリキュラムで教える国際学校が近く、塀で囲まれた中に、100軒近くの芝生付きの三階建て住居が立ち並んでいる。確かに、最高の住居環境だが、そこに移るまでに割り当てられる短期滞在用マンションだって、私からしたら超高級だ。「ハヤット」という五つ星ホテルに併設されるマンションで、3LDK(200平方㍍)に、屋内、屋外プールなどがある高級ジムが下にある。日本の大手商社の現地代表や外交官らが住むようなところだ。

一戸建てに移り住めないことが、そこまでのストレスになるのか、、。うーん。仕事が激務というが、前の部署だって大変だったはずだ。

石油会社の「現場」である産油地帯は僻地にあることが多く、イラクなど治安が悪いところもあり、特別な勤務体系がとられる。イラクなら、4週間働いて、4週間休む。ジョンの妻が働くアラスカの産油地帯は、2週間働いて、2週間休むというものだ。

年の半分休めるわけだから、聞こえはいいが、実はかなりしんどい。フロリダとアラスカは同じ米国といっても、日本からパキスタンくらいの距離がある。2週間ごとに、この距離を飛行機で移動するのは肉体的に相当辛い。アゼルバイジャンなら少なくとも毎日家族と一緒に過ごせ、飛行機移動はほとんどない。

アゼルバイジャンがジョンや子どもたちにとって最初の外国であり、色々井戸惑うことはあっただろうし、住み慣れた米国の方が「幸せ」だというのもわかる。に、しても、消えるように去るほどのことなのだろうか。

主夫会のロドニーもショックを隠せなかった。同じアメリカ出身で、しかも同年代。「ジョンは、『主夫』であることが耐えられなかったんだ。ジョンは俺と違って『自分が男』だという意識が高かったからな」と言う。

ジョンはよく「周りの男性から、自分が主夫だから『羨ましい』と言われるけど、俺は『仕事がないっていうのは、そんな楽なもんじゃないぞ!』って言っているんだ」と話していた。

確かに、海外の「駐在主夫」をネガティブに語ろうと思えば、いくらでも語れる。明確な肩書きがない。やる事がない(海外駐在の場合は家政婦が付いたりするから特に)。友達ができづらい。言葉が通じない。さらに、アゼルバイジャンの様に男女平等が進んでいない国では、「え?男なのに女のお金で食べているの?」と言われたりする。

私も、この夏、日本へ一時帰国した時は結構言われた。まず、男女平等を推進しているはずの姉から「今回の帰国費用はスージンのお金なの?」と聞かれた。(海外駐在する男性の妻に「ご主人のお金で帰国されているの?」って聞かねえだろー)さらに、10歳の姪からは「アゼルバイジャンには車あるの?」と聞かれ、「最近買ったよ」と答えると、「スージンも少しは払ったの?」と聞かれ、「全部、スージンのお金だよ」と答えると「ええ!普通、男が払うんじゃないの?」と驚かれた。

こういう一コマ一コマを「ストレス」ととらえてしまうと、確かに「主夫」は辛いかもしれない。私は「新しい時代を切り開いているんだよ」って適当に流しているが。

ジョンは、フロリダで最初に主夫になった時、親戚一同集まったところで、妻の親戚から「ああ!あなたが噂のハウスボーイなのね!」と言われたという。「あの時は本当に腹が立ったよ」と、まるで昨日の事の様に語気を強めていた。私が「単に、『珍しい』という意味だったのではないの?」と尋ねても「いや。あれは、完全に私の事を見下している目つきだった」と譲らなかった。

考えれば考えるほど、彼らの突然の退去には、ジョンの都合が色濃くあるように見えた。米国なら就職口はある。アゼルで3年間無職のままでいて、米国に帰れば、50歳近くなり、再就職は難しくなるかもしれない。さらに、希望就職先が大学機関であり、米国の新学期が9月から始まることを考えれば、空席が出やすい7−8月に帰った理由も説明がつく。

ジョンについて紹介したブログでは、ジョンが主夫であることをプラスに考え始めているようだったが、心の奥底ではモヤモヤがあったのだろう。

私は、再び、メッセージを出した。

「アメリカに行けば、就職口があることも、ここを去った理由の一つなのかな?」

ジョンは返事をしなかった。図星だったからなのか、それとも、私からの質問攻めに辟易したからなのかはわからない。

いずれにせよ、当初6人いた主夫会は、これで3人になり、存続の危機に立たされることになった。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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