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生まれて初めての母との対話 その1


「主夫」になり1年近くが経ち、アゼルの主夫と接するうち、私は自分の両親の育児方針に疑問を持つようになっていた。

今年の夏に日本に帰国した際は、実家で2週間ほど過ごし、北海道、滋賀に住む兄姉の家を初めて訪れ、親や兄姉と時間を過ごすことができた。これも主夫になったおかげである。実家近くに住む次男とは二人きりで夕飯を食べ、「二人きりでのご飯なんて12年振りだな」なんて話をした。別に仲が悪いわけではないのに、私の海外暮らしが長い上、それぞれに家族ができると、兄姉とはいえ、なかなか二人だけの時間というのは取れない。

両親と一緒に美術館へ出かけた日、母親と昔話になり、「ヨーコーは子どもの頃、甘えん坊で、ベビーシッターさんに預ける時は、母乳が欲しくてずっと大泣きしたのよ」と言った。私が「何歳から預けられていたんだっけ?」と尋ねたら、「生後2ヶ月」という答えが。

私は、自分の耳を疑った。この32年間、自分がベビーシッターや託児所に預けられていたことは知っていた。でも、まさか、生後2ヶ月という早い段階で母親の手元を離れていたなんて、、。

アゼルバイジャンで、様々な「主夫」と交流をし、父と息子がレストランで肩を組んだり、日常的に映画やキャンプに出かけたりと、私が自分の親とはありえなかった関係を構築しているのを目の当たりにした。それで、「夫婦どちらかの収入で家計が支えられるなら、子どもが小さい時は、片方が育児に専念した方が、家族全体にとっては良いのではないか」と思い始めるようになった。

しかし、私の周りは、夫婦どちらかの収入だけで家計が支えられるのに、夫婦共働きの家庭が多い。例えば、新潟の実家近くに住む私の二姉(42歳)。夫婦揃って弁護士で、それぞれの法律事務所を持ち、いわば自営業。10、8、5歳の子ども3人おり、平日は姉、義兄、私の母の3人で育児担当を持ち回りし、家族5人揃っての夕食は週末に限られる 。子どもが1、2歳の時からずっとこんな感じで、先日、5歳の姪が熱を出した時も、二人とも仕事は休まず、姪は病児保育に預けられた。施設は伝染を防ぐため、4畳くらいの狭い部屋に仕切られ、そこに一日中入れられる姪が可哀想で仕方なかった。

そんな姉に疑問を抱き始めていた矢先、私自身が生後2ヶ月で預けられていた現実を知り、姉に対する疑念など二の次になった。私の父は医者である。私が生まれた当時は町立病院の院長だった。家計のことを考えたら、母が働く必要は全くなかった。にもかかわらず、上の兄姉も同様、生後まもなく、ベビーシッターに預けられたという。

母は育児の専門家として知られる。元保母の体験をもとに、官僚的な保育園の体質に警鐘を鳴らし、園児の個性を重んじる重要性について説いた著書「おお子育て」(教育史料出版会、1981年)が2万部売れ、全国各地から講演依頼が届いた。そして、「続、おお子育て」(同、1986年)では7人の子どもを育てた体験を綴り、その後も執筆を重ね、著書は合計9冊に。当時生まれたばかりの私は、親が本を出すことが普通のことだと勘違いし、同級生に「お前の親はどんな本書いているがあ(書いているの)?」と尋ねていた。

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本では「育児をライフワーク」と書きながら、自分の子どもは生後間もなく他人に預けっぱなし、、、。何か腑に落ちないものがあり、私は、改めて、本を読み返してみた。

「続、おお子育て」には各子どもの章があり、「揺光章」によると、私は生後46日で、ベビーシッターさんの家に預けられた。母乳が欲しくて泣きじゃくり、ベビーシッターさんから「母乳を辞めてくれ」と言われるほど、ずっと泣きじゃくったという。これについて母は、当時「(勤務先の保育園で)あと1ヶ月で卒園していく子どもたちを受け持っており、その子たちの気持ちを考えると、なんとしても3月いっぱいは(仕事を)がんばらなくてはと思った。揺光にはがまんしてもらった」と記している。

そして、子どもたちが卒園した後の、4—5月の2ヶ月間、母は「育児休暇」を取った。この期間で、母は1日も早く職場復帰するため、おかゆなどの離乳食を始め、6月、私を託児所に預けた。本には「(託児所でも)1日中泣いている日が続いた。でも、それもほんの一ヶ月くらいで卒業し、、」と書かれている。私からしたら「ほんの一ヶ月」ではなく「一ヶ月も!」と思ってしまう。つまり、人生で一番重要な時期である生後6ヶ月の間の計2ヶ月間(3月と6月)泣き続けたということだ。さらに、ネットで調べると、生後3ヶ月で離乳食を始めるのは、あまりにも早すぎで、乳児の体に負担がかかるリスクがあるという。母は私を2ヶ月間泣かせ、体にリスクを負わせてまで、職場復帰を、いや、保育園の子どもたちと一緒にいることを優先したのだ。

本を読み返せば読み返すほど、この32年間、「なぜ?」「なぜ?」とバラバラに考えていたことが、一つの糸で結ばれていく思いだった。なぜ、私は5歳まで母のおっぱいをしゃぶり続けたのか?なぜ、私は中学までおねしょを続けたのか?なぜ、私は兄姉と同じ球団ではなく、広島カープを応援したのか?なぜ、私は人一倍競争意識が強いのか?なぜ、、、。

母は本で、「3歳ころまでを極端な愛情不足の中で育った子どもは、後になっては、その埋め合わせがつかないという例をよく耳にする」(おお子育て、130ページ)と書いている。それでは、私みたいに、最初の6ヶ月の内の2ヶ月間、母親を求めて泣き続けた場合は、どうなるのだろう?

本の「揺光章」の最後、テレビ局が家を取材に来た時、「お母さんはどんなお母さんか?」とレポーターが私に尋ねた時のことが紹介されている。当時3歳の私は「虹」と答え、その理由は「きれいだから」。この虹発言は、私がどれだけお母さん子だったのか象徴する言葉として、家族内でずっと受け継がれていた。しかし、今一度、改めて、当時の私の心境を探ってみた。虹は、きれいだが、見たい時に見ることができず、見えたとしても、決して触ることができない。言い得て妙とはこのことだ。

10月18日夜、東京ドームでカープの敗戦確定を見届け、19日、東京の三兄の家に立ち寄って、最終の新幹線で新潟の実家へ戻った。午後11時半に家に着き、居間のテーブルに「先に寝る。布団は和室に敷いてある」という母の置き手紙があった。

20日朝、午前8時くらいに起きると、父はすでに出勤し、母は、テレビを見ながら日課のストレッチ体操をしていた。「ああ、起きた?」と、絨毯に横たわって足を開いたり閉じたりしながら、いつもの甲高い声で母は言った。 「カープ残念だったわね」と言い、台所で、朝ご飯のパンを用意してくれた。「パン、パン、パン」という母のスリッパの足音の中に「ブッ!」というおならの音が混ざるところは、何年も変わらない。そして、体内から臭気を放出したことなど全くおかまいなしといった様子で「コーヒーでいいの?」などと聞いてくるところも変わらない。こんな愛きょうある母親だから、私たちの間では「チヅコ」とファーストネームで親しまれている。

保母を20年した後、自宅を改造して、登校拒否時や障がい児が通える駆け込み寺を8年運営し、数ヶ月だが参議院議員も勤めた。今は、社会福祉法人の理事長として、老人のケアハウスやグループホーム、障がい者が働くパン屋やカフェの運営をしている。

私がパンをかじり始めると「じゃあ、すずかけ(老人のケアホーム)にミーティングに行ってくる」と出かけて行った。家に一人になり、考えた。母親に尋ねるべきかどうか。なぜ、私が小さい時、私よりも、保育園の子どもたちを優先したのか?

うーん。母親のすべてを否定してしまうようで、躊躇してしまう。でも、母とゆっくり話せるのは年に1—2度しかない。「さしさわりのあることを言い合おう」というキャッチフレーズが母の名刺に綴られていることを思い出し、私は思い切って、母の携帯に電話した。


「今日、昼飯でも行こう」。母は「もうすぐ家に着くから、その時に」と言い、電話を切った。家に来ると、「12時にケアホームの入居者の人にこの前の市議選挙の結果報告と挨拶をしなきゃいけないし、1時半からはミーティングがある」と言う。

私は「12時の挨拶は明日でもいいだろ?」と言うが、「昨日、市議選が終わったばかりだから、今日しなきゃいけないのよ」と引かない。私は、車で15分かかる自然食レストランに行きたかったため、「じゃあ、ちょっと時間的に難しいな」と言い、部屋に戻ると、3分後、母が「わかった。12時の挨拶は、午後6時にずらせるから、行きましょう」と言って来た。

ズボンを履き替え、財布をポケットに入れ、準備をしていると「何やっているの?行かないの?」と母。とにかくせっかちで、周りの人間が自分ペースで動くと思うところも、ずっと前から変わらない。

私の運転で行き、茅葺き屋根のレストランに入り、私はあんかけ豆腐定食を、母は、鮮魚定食を頼んだ。水を飲みながら、私は、勇気を振り絞って母に切り出した。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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