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生まれて初めて母との対話 その2

家族写真


私:アゼルの主夫仲間と時間を過ごす内、夫婦どちらかの稼ぎで家計が支えられるなら、もう片方が育児に専念した方が、子どもにとって、ひいては家族全体にとって良いのではないかと思い始めた。うちの場合、お父さんの稼ぎだけで生活はできたわけだけど、お母さんは、なんで、私たちを生後間もなくベビーシッターさんに預けたの?

母:当時、育休制度っていうのがなかったからね。あなたが生まれた時はあったから、2ヶ月取った。それに、子どもは親だけでなく、他の子どもと時間を過ごすのってとても大事なのよ。生後6ヶ月だともう人見知りが始まるから、生後2ヶ月から他の幼児と時間を作ることが大事だと思っているの。

後、私は、自分にキャリアがなければ、夫婦の対等関係が維持できないとも思っていたの。私の父親は、母親に対し好き勝手していたけど、母親から離婚は絶対言い出せなかった。生活ができなくなるからね。父親が母親に「嫌なら出てってもいいんだぞ」と言う姿は痛ましかったなあ。でも、自分の子どもが本当に私を必要とするなら、いつでも仕事を辞めるつもりでいたけどね。

私:なるほどね。でも、他の幼児との時間は、自分で面倒を見たとしても、確保できるよね?近所にいる幼児たちと遊ばせればいいだけのことだからさ。私が生まれた時は育休制度があって、1年休んでも良かったのに、2ヶ月だけしか休まなかったよね。男女平等の観点からはとても喜ばしい制度なのに、なぜ、それを最大限使わなかったの?

母:なんで、育休が男女平等につながるの?

私:だって、育児を理由に仕事を辞めなくてもすむようになったってことでしょ?

母:そうね。制度ができたばかりのもので、必要悪だと思っていたのかな。どうしても必要じゃないかぎりは使う物でもないと思っていた。私にとって、家で一対一で子どもの相手をするということが退屈だった。みはえ(二女)の時、1年くらい専業で育児をしたけど、辛かったわ。子どもが一人で遊んでいる時は、こちらは基本的に何もすることがないからね。作家だったり、文学的素質があったら、それを見ながら文章を考えることもできたのかもしれないけど、そういう素養がなかった。

私:最初の1年くらいは付きっきりでいる親が結構いると思うのだけど、そういう人たちは大丈夫なのに、なぜ、お母さんは退屈になってしまったのだろう?

母:専業主婦にはなりたくないという想いがとても強かった。みはえの時は、保育士の資格がなくて仕事ができなかったから、主婦になっただけ。

私:いつから主婦に対しての抵抗があったの?

母:小学校のころから。私の母は、毎日、同じこと(家事)をするのを嫌がっていた。いつも「ああ家事なんていやだいやだ」って言ってた。彼女が亡くなる寸前、生まれ変わったら何になりたいか尋ねたら、「研究者」と言っていた。母は小学校の成績が良いことだけが自慢で、「女」であるがゆえに、それ以上、教育を受けることができなかったの。大学卒の父が解けなかった数学の問題を解いたから、父が母に惹かれたのよ。

私の友人の中には、主婦でいるのを楽しむ人もいる。色々な物を手で作ったりね。「母親」として、「妻」として誰かを支えるという仕事にやりがいを感じる人だっていると思う。でも、私は、どうしても「私」が直接社会と関わりたかった。障がい者差別、男女差別、そういう関心がずっとあるから、その社会とのつながりを断つ生活は考えられなかった。 1年の専業主婦生活を終えて、保育園に勤務するようになった時、「奥さん」から氏名を持った一人の人間になれたような気がしたわ。

私:社会的関心への原点は何?おばあちゃん?

母:小学6年で国会議員になりたいと思っていた。社会を良くするんだって、漠然と考えていた。「女らしくしろ」とか言い続ける母親にも反発していた。

私:お母さんは、若い頃から子どもが欲しいと思っていた?

母:いや。子どもはあまり好きじゃなかった。やすのぶ(弟)の世話もあまりせずに、いつも遊び歩いていた。だから結婚する時も子どもは産まないと話していた。でも、姪や甥が生まれるにつれ、子どもが可愛いと思うようになり、社会人になって「子どもがいないのは半人前」みたいな風潮もあったから、産むことにしたの。

私:それで、産まれて来たのが男と女の双子だった。(私の長兄と長姉)

母:そう。とても可愛くてね。男と女の子を同じように育てたら、男女の違いはどう出てくるのか実験をしてみたくなったの。それが楽しくて楽しくて、男女のカップルをもう二組欲しくなった。この時、高校教師から、保育園の保母になることに決めたの。そうすれば、より多くの子どもたちの成育が観察できるでしょ。

私:それで、6人子どもができ、私が予定外で生まれたわけね(笑)。家で、一対一で子どもの面倒を見るのは退屈だけど、保育園で複数の子どもを見るのは退屈じゃないんだね。

母:そうよ。だって、日々、園内で色々な問題が起こるでしょ。

私:主夫の友人たちは、「自分の子どもとの時間はお金に返られないものだ」って言っていた。お母さんにとって、私たちとの時間はどうだったのか?

母:昼間は預けて、夜一緒にいればそれでいいと思った。

私:なんで、そう思ったの?

母:昼間は別の子どもたちと一緒にいるわけだからね。

私:でも、その子どもたちとお母さんは一生、一緒に過ごすわけではないでしょ。自分の子どもたちは、死ぬまで一緒だからね。今、主夫になってみて、自分の人生を振り返ると、色々な疑問が浮かび上がってきた。なんで自分はこんなに競争心に満ちた人間なのか。なんで、家の兄弟はみんな違うプロ野球のチームのファンにならなければならなかったのか。全員で同じチームを応援する家族だって一杯いるはずだ。なぜ、自分はいつも兄姉より勝らなければならないと思い込んでいたのか。他人から認められるために必死だったのか。なぜ、自分は妻のスージンに対して思いやりを持って接することができないのか。もしかしたら、私が生後2ヶ月でベビーシッターに預けられたということと、何かしらの因果関係があるんじゃないかと思い始めた。要するに、私は、お母さんからの愛情を求めていた。でも、お母さんには、私よりも大事なものが常にあった。だから、私は、他の兄や姉よりも多くの愛情をもらうために、彼らと違うことをし、お母さんから認めてもらいたかったのかもしれない。

母:そう、、、。ようこうがそんな風に話してくれるの初めてだから嬉しいわ。確かに、ようこうは中学時代、とても静かだった。家の中では、いつも表情を強ばらせていたね。私は、ようこうが話をするのが好きでないのだと思っていた。

私:悩みがあってもお母さんには恥ずかしくて話せなかった。まあ、お母さんに何でも話せる中学生もあまりいないと思うけど。今でも、お母さんのささいな行動が気になることがある。例えば、今年の8月に、重い荷物があるから、車でお父さんの診療所まで送ってもらう時、車の中で「あなたが一人でこの荷物を運転して運んで、車を家に戻してから、歩いて診療所まで行くことができたのではないか?」と尋ねていた。そんな事は車に乗る前に言ってほしいし、もっと言えば、診療所は家から車で一分もかからないわけだから、それくらいの時間を息子のために捧げてあげようという想いはないのかと、少し苛立った。

その一週間前、私の友人が6人、東京から遊びに来ていて、車が2台必要だったから、お父さんの診療所から車を一台借りて、お母さんにもう一台の運転をお願いしたことがあったよね。友人たちを駅まで送り届けた後、私は、車を返しに、診療所の駐車場に車を停めて出て来たら、お母さんの車がいなくなっていた。携帯に電話をしたら「なんか、駐車に手こずっているようだったから、先に行ったのよ。そこからなら歩いて帰れるでしょ?」と言った。 確かに歩いて15分の距離(上記の診療所とは別のもの)だったけど、8月の真夏日で外の気温は35度。一緒にいたスージンは日差しに弱いから、それなりの負担になる。せめて一言「先に行っているわよ」と言うことができなかったのか、と、とても心を痛めた。

とにかく、お母さんにはやらなければいけないこと、やりたいことがたくさんありすぎて、私の入る隙がなかった。お母さんに褒められたという記憶もなかった。お母さんは、私の学校の成績とか気にする親じゃなかったから、それはそれで嬉しかったけど、スポーツに関しても、成績に関しても、褒められたという記憶がない。

私が小学4年の時、お母さんは保母を辞めて、自宅を改装して、登校拒否児や障がい者の駆け込み寺を作った。私も、たまに学校をズル休みして、そこに来る子どもたちと遊んだ。それで、ある日、私が、一つ年下の男の子とビリヤードをしたことがあったけど、その時、お母さんは、私と彼、どちらを応援したと思う?

母:年下の方を応援しただろうね。

私:そう。その子が玉を入れたら喜んで、外したら、残念がっていた。俺はそれがすごい辛かった。

母:ああ、そう、、。

私:なんで、お母さんは、別の人の子を応援するのだろうって。 私は、その時、妙な嫉妬心にかられた。おそらく、そんな小さいことが積み重なって、自分の中で、「お母さんには、私よりも大事なものがある」って思っていたのかもしれない。だから、必死に競争に勝って、誰かから認められてほしかった。

母:そうなのね。私は、たくお(父)とたかひろ(長兄)に対しては、徹底的に褒めなかったのよ。「男は褒めたらもっと威張る」って思っていたのね。だから、たかひろなんて、「俺は親から褒められない駄目な子どもだってずっと思ってた」って言ってたわ。7人の子どもたちの競争意識は本当に高かった。特に、上の双子。(長兄と長姉は双子)どっちがどんな成績で、どんな作品を作っていて、どんなことをしているのか逐一監視し合っていた。家族によっては、子どもが全員医者になる家もあるのに、私の子どもたちは、全員、違う職業についた。私は「子どもはそれぞれ違う色を出せばいい」と思っていたから嬉しかったけど、まさか、みんな違う道を選ぶとはね。

私:そう考えたら、私は末っ子だから一番大変だった。だって、生まれた時に、すでに6人もライバルがいたわけだから(笑)。一番上の二人は少なくとも、一時期はお母さんを独占できた。まあ、上の兄姉に言わせれば、私が一番甘やかされたと言うだろうけどね。
でも、そんな競争意識の高い双子がいて、片方は男だからという理由だけで褒めなかったの?たかちゃん(たかひろ)は大変だっただろうね、、、。

母:そうよ。大変だったと思う。母乳する時、赤ちゃんを見ながら母乳するのが良いと言われたけど、私は、本を読みながら母乳していたのよ。

私:本を読みながら?そしたら、赤ちゃんは、おっぱいを飲みながら、お母さんを見上げても、お母さんは本を読んでいるから、自分よりも本が大事だって思っちゃうんじゃない?お母さんだって、セックスする時、相手が本読みながらだったら愛を感じないでしょ(笑)?

母:本を読みながらセックスなんてできないでしょ!田舎に来るとね、なかなか、自分の知的好奇心を満たしてくれる物がないのよ。(両親は東京で結婚し、父が新潟の南魚沼の病院に招かれたため、母は仕事を辞めて父に付いて行った)それに、夫に家事/育児をやらせるために、戦う準備をする必要があった。だから、「女」と名のつく本は片っ端から読んで、たくおに論理的に説明する必要があったのよ。

私:お父さんは最初は家事はやりたがらなかったの?

母:貧しい家庭に育ったから、「僕は高校時代にたくさん家事はやったからもういい」って言っていた。共働きになってからも、「僕の仕事の方が忙しいし、収入が高い」と言って、家事はやらなかった。確かに、保母よりも医師の方が収入は高いし、忙しい。でも、私は、保母の職がほとんど女性で占められ、給料が低く抑えられている現状とかを話し、なんとか説得しようとした。口で言うと喧嘩になるから、手紙で伝えた。そしたら、洗濯や弁当作りはやってくれるようになった。

私:子育てをライフワークといいながら、2ヶ月で自分の子どもを預けるということについて、何か負い目はなかったの?

母:義母は「チヅコさんは、生みっぱなしで、子どもは全員預けている」と言っていた。でも、私は、ちゃんと育てていると思っていた。昼間預けるということは育児放棄だとは思っていない。これについては、松田道雄さんの本が私の支えになった。 その本は、子どもは社会の中で育つのだから、親との一対一の世界では、子どもは退屈だと言う。今でも、3歳までは母親の手でとか、保育所に預けるのは可哀想と言う人がいたけど、松田さんは、保育所でも子どもは幸せになれると書いてあった。

私:それは統計に基づいているもの?

母:そのうち、統計でわかってきたことは、育児ノイローゼは、勤めている母親ほどかかりにくいということ。

私:でも、それは、母親側の都合じゃない?まあ、母親がノイローゼになったら、子どもも困るけどさ。

母:そうよ。子どもにとっても大変よ。虐待にもつながるし。

私:子どもが2歳まで母親に育てられた場合と、数ヶ月で預けた場合、子どもに違いはでるのか?そういう統計はあるのかな?

母:預けられた先にもよるでしょ。テレビを見せっぱなしの所もあるし。私立の保育所なんてピンからピリまであるからね。

私:私たちが預けられた先は、しっかりした所だと思っていたの?

母:うーん。確信はできないよね。自分の子どもが劣悪な環境になったら、別の保育所に移すという選択肢もあると思う。でも、保母が悪くても、友達と遊んで楽しけりゃ良いやということもあるよね。

私:お母さんは、自分の本にも書いているけど、他の保母さんとは育児の考え方に違いがあったよね?それは、お母さんとこの町全体の違いでもあると思うのだけど、だとしたら、自分の子を他の人に預けるということに抵抗はなかったの?しかも、生後数ヶ月という一番大事な時期に。

母:なるべく、子どもがやりたいことはやらせてくださいってベビーシッターさんに伝えていたけどね。子どもがその預け先を嫌がるなら、それは考えないといけないけどね。

私:子どもが嫌がっているのかどうかって、わかるもんなのかな?

母:そうね。ヨーコーが、小学校の担任を嫌がっていたことなんて私全然知らなかったもんね。

私:お母さんは、「子どもが私を必要とするなら、いつでも仕事を辞める気でいた」とか「子どもが嫌がるなら預けない」とか言うけど、子どもの意志を汲み取るのって難しいのではないかな?少なくとも、ビリヤードでお母さんが他の子を応援した時、私は「私を応援して」とは言えなかった。だから、お母さんは子どもが必要な時は駆けつけるっていうけど、それを察するのは難しいんじゃないかな。やっぱり、子どものころから専業主婦っていうものに抵抗感があったのが一番大きいんだね?

母:そうね、、。自分の親が専業主婦を楽しんでいたら違っていたかもしれないけど、私の母は、本当に行動力があった。だから、主婦であることを楽しめなかったのよね。

私:専業主婦を1年やった時、精神的不安定になったりした?

母:毎日文句を言っていた。そんなに文句を言われるくらいなら、働いてくれた方がいいって夫は思っていた。

私:それをみいちゃんは感じ取っただろうね。近くで嫌々やっているの。

母:そうかもね。

私:大事な娘との大事な時間とは思えなかったの?

母:彼女にとって私といることがどうかっていうことをあまり考えなかった。やっぱり、かなり自己中心的に、「私にとって」を第一に考えていたな。母親としてかなり未熟で、他の母親たちは一人目から、子どもが病気になったら、自分が代わりに病気になってあげたいって思うけど、私は5人目くらいまでそんな考えはなかったな。

私:社会を変えたいという気持ちが強かったということ?

母:生まれた時から女であるがゆえに住みにくかった。積極的なこと、行動力があることは、男であればプラスなのに、女であればプラスに評価されなかった。

私:小学校では評価されなかったの?

母:友達いなかったね。いつも周りをいじめていたし。他の子のテスト用紙を見て「こんなのもわからないの?」って言ったりしていた。他の子の気持ちがわからない子だったな。

私:生後数ヶ月で預けるということが、何かしら、長期的にマイナスに転じるとは思わなかった?

母:子どもにとって、集団でいる時間がどれくらい必要かっていうのは、子どもによって違うと思う。今の保育時間は、親の労働時間に合わせられていて、8時間となっている。それは子どもにとって長いと思うの。4時間とか6時間とかにした方が、子どもにとって、家族と一緒にいる時間になったと思うのだけど。

私:だったら、それこそ育児休暇を取って、子どもと一緒に過ごした方がよかったじゃない。そこに矛盾は感じないの?

母:まあね。

私:(笑)いや、まあねじゃなくてさ。

母:家族でっていう時、一対一ということじゃなくて、家族全員ってことでしょ。

私:育児休暇をとっても、それでは、特定の子どもとの一対一の時間であって、7人の子どもとの時間ではないから、家族との時間ではないということ?

母:ううん。

私:でも、別に、一対一でもいいよね?

母:まあ、そうだけどさ。子どもとの一対一っていうのは退屈なのよ。

私:6時間労働になって家族との時間が増えるのがいいけど、一対一は退屈ということね?

母:(笑)うん。

私:意味わかんねえな(笑)。

母:母親としては欠陥人間だったってことよ。子どもたちは私を良く受け入れてくれたと思うよ。私自身が母親から無限の愛みたいなのを感じていないからね。困った時に母親のところに行くというのがなかったからさ。私の子どもに取っては大変だったと思うよね。

この人は7人くらい子どもがいないと、ちゃんとした母親になれないと思われたから、神様から7人授かったのかと思う。一番上の双子に対してなんて、本当にひどかったと思う。

私:どういうところがひどかったの?

母:一番上二人の時は、「早く寝なさい」って叩いたのよ。私が本が読みたいから、という理由だけでね。

私:叩いたの?寝かせるために?

母:そうよ。叩いたら寝ないよね(笑)。たかひろ(長男)のことはどれだけ叩いたことかわからないくらいよ。彼らからしたら母親とは思えなかったんじゃないかな。もえちゃん(長女)なんか、おばあちゃんの方が好きだったしね。

私:自分も、自分の時間が大事で、スージンを悲しませてしまうことがよくあるよ。この前、スージンの事務所に日本から荷物が届いたから、車で取りに来てとお願いされた。タクシーなら3−400円の距離だから、「タクシー呼んだら」と言ったら、スージンは「20分という時間を妻のために捧げられない夫なら、離婚した方がいい!」と怒ってしまった。それで、離婚されたら収入源がなくなると思い、真っ先に車で駆けつけたけどね(笑)。

母:そういう時は、あなたが謝るの?

私:うん。

母:そうなの。似た者同士なのね(笑)。私が執着するのって「時間」なのよね。最近は結構時間のゆとりが出て来て、こうやってあなたと話すこともできるようになった。読む本が溜まっているわけでもないし、書きたいことがあるわけでもないし。

私:それは喜ばしいこと?

母:微妙ね。

私:何かしらしないと落ち着かない?

母:今も、しえ(孫)のDVDを借りに行くと、選ぶのに時間がかかるのよ。だから、待っているが嫌なのよね。

私:なんで、自分の時間に執着するようになったの?社会変革のために一分も無駄にできないということ?

母:読書時間かな。読むのが遅いから、人が読んでいる本を自分が読んでないことがあって、たくさん本を読まなきゃなって感じだったな。なんか、本から追っかけられている感じだった。あれも読みたい。これも読みたい。読まなきゃ。人に伝えたいって思いもあるしね。

時計は午後1時15分になり、私たちは席を立った。「インタビューさせてもらったからここは俺が払うね」と私が2300円をレジで払った。母は財布を出すそぶりはしたものの「あ、そう」とだけ言った。

話し合いは終始穏やかだった。母が父と長兄を褒めなかったと話した時、少し、目が潤んでいたくらいで、たまに笑いが起きるくらいスムーズに行った。母は次の日に家族メール(家族全員が入ったメーリングリストがある)に「ようこうから色々インタビューされて面白かった。皆さんも次実家に来る時は、何か質問を用意してきてね」と送った。

間違いなく、32年の人生で、母親と最も深い話をした日だった。母親の一言一言が自分の肩に長年入り続けてきた力を、ポンプの様に吸取っていった。

成績優秀だったのに「女」であるがゆえに「主婦」になり、夫の好き勝手な行動に文句を言えなかった祖母。そんな不平等な社会を変えるべく、7人の子どもを産みながらもキャリアを持ち続け、一分一秒を惜しんで、読書に励み、執筆や講演で変革を訴え続けた母。そんな忙しい母から認められるために、15歳で日本を出て、計6カ国13年にも及ぶ海外生活を経て、キャリアよりも家族との時間を優先するため、「主夫」になった私。

霧で視界が悪い山を登り切り、霧が晴れて、振り返ると、これまで歩いて来た山道が見えた時の様な、清々しさがあった。

母はミーティングから戻って来たら、「これから(障がい者が働く)パン屋で売れ残ったパンを、売歩いてくる」とまた出て行ってしまった。あと何年、こうやって駆け巡り続ける母の姿を見ていられるのかと考えたら、初めて私の目が潤んでしまった。
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プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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