自分の時間を捧げられる主夫になるために


母との対話で、母が「自分の時間に固執していた」と過去を振り返ったのは、私の心に大きく響いた。それこそ、まさに、私自身の弱点でもあるからだ。誰かに何かを頼まれる時、必ず先に来るのは自分の時間。「ああ、あれやろうと思っていたのにー」となり、顔に出てしまう。会社員時代は「そんな嫌そうな顔しないでくれよ」と先輩に言われ、妻には「あなたに物を頼むのって、とても勇気がいるのよ」と何度も言われた。

母が自分の弱点と素直に向き合おうとしているのを見て、私も頑張らなくてはならないと思っていた矢先、早速、私の「主夫度」を試す機会が来た。スージンが出張でタイに行くという。出発は11月2日金曜日午後8時半の飛行機。空港までは車で30分くらいだが、金曜夕方は一番道が込む時間だ。従来の私なら間違いなく、空港までの送迎なんて考えない。タクシーなら2000円くらいで行けるし、おそらくその分の経費は出るはずだ。スージンも、超自己中心的な主夫である私が送迎するなんて夢にも思わないらしく、「送って行ってくれる?」と尋ねようとさえしない。

出発二日前、私は「金曜日は何時くらいに家を出る?」と尋ねた。「2時間前に着けばいいから、6時くらいかな」と言う。「ちょっと遅いんじゃないか?金曜夕方は渋滞凄いぞ」と私が言うが、「心配ないわよ。この前日本に行く時、同じ飛行機だったけど、それくらいに出たじゃない」と言う。私は「まあ、あなたが乗る飛行機だから、あなたが決めて」と伝えた。

そして次の日の朝、私は心を固め、「明日、空港まで送るよ」と伝えた。スージンは「ええ?本当にー?」と微笑んだ。

午後6時に出発するには、午後5時半に夕食を始めなければならない。サバの味噌煮を作るため、午後3時ごろに買い物に行き、午後4時半ごろから支度に入った。大根の味噌汁、焼きブロッコリーのサラダも用意し、午後5時半にスージンが帰宅した時には、食べれる状態になっていた。

午後5時50分、スージンが食べ終わり、着替え始めた。私は、茶碗を流し台に運ぼうとした時、味噌汁のお椀に大根が一切れ、残っているのに気付いた。いつもだったら、その瞬間に「大根が残っているぞ!」と大きな声を上げるところだが、「抑えろ!ヨーコー、抑えろ!離れ離れになる直前に喧嘩なんかするんじゃない!」と自分に必死に言い聞かせた。

私は、「スージンちゃーん」とできる限りの優しい、お茶目な声で呼んだ。スージンが台所に入ってくると、私は、お茶碗をスージンに見せ、「あのさー。スージンが6時に出発できるように、頑張って、準備したわけ。それでね、こうやって大根一切れ残されるとさー、作った方としては辛いんだよねー」と作り笑顔で語りかけた。主夫になって、「さー」とか「ねー」とか語尾に付けると、より友好的な会話ができるようになることを学んだ。

スージンは、いつもだったら「そんな細かいこと!」と言うところだろうが、今回は、空港まで送ってもらう手前、「ああ、わかった。ごめんね」と素直に言うしかなかった。大根事件は、なんとか、平和に乗り切った。

さあ、車に乗って出発だ。市内地図を広げ、渋滞回避するため、一番空いていそうな道を選び、スージンのiPhoneでナビゲーションをお願いした。アゼルで運転を始めたのが2ヶ月前で、基本、週末しか運転しないから、市内の道路事情にはまだ疎い。

私の予想は的中し、出発して間もなく渋滞に出くわした。全く進まない。お互いの苛立ちが募り始める。普段なら3分で着くホテルが、10分以上かかり、空港に6時半到着は難しくなった。

ここで、私は超非論理的、かつ超非生産的な議論をしかけてしまう。「だから、二日前に、もうちょっと早めに出た方がいいと、私が忠告しただろ。スージンは私の忠告を全く聞かない。しかも、私たちが日本に出発した日は祝日だったから、渋滞がないのは当たり前じゃないか」。

スージンは、「あ、そうか」と言いつつ、数秒後、「でも、今、その議論をして、どうなるの?」という、私の非論理性をすぐ見抜く。

そこで、何故か反撃しなくてはならない性格の私は「そもそも空港までの交通費は支給されないの?」と尋ねた。スージンは「もうもらったよ。現金で」と言う。「だったら、タクシーで行けば良かったなあ」と言うと、スージンは「これから離れるんだから一分でも長く一緒にいたいでしょー?」と可愛い声で、私を宥めようとする。私は黙るしかなかった。

私たちには、さらなる試練が待っていた。通行できると思って選んだルートが、途中から対向車線の一方通行に変わり、右に曲がらなくてはならなくなった。iPhoneの地図にはそこまで詳細な記載はない。スージンは「ああ!どうしよう!この道が行けないなら、すごい遠回りになる」と嘆く。

すでに6時45分。バクー国際空港での搭乗手続きはとても時間がかかるにもかかわらず、まだ市内中心部からも出ていない。募りに募った苛立ちをどこにもぶつけることができないことで、さらに苛立った。

スージンは自信を失い、「とりあえず、その辺に車を停めて」と言う。改めて、地図を広げ、私は、「これ以上、道に迷うことは許されない。渋滞がどうかとか気にせず、一番、私たちが知っている道で行こう」と伝え、スージンにルートを示した。スージンはそれを承諾。車を再発進した。

スージンは「次は左に曲がって」と言い、曲がり終わった後、私は「とりあえず、この道をしばらく真っすぐだね」と確認すると、スージンは「そう」と返事をした。

そしたら5秒後、スージンが叫んだ。「何やっているの?そこ左でしょ??」と言う。この瞬間、私の苛立ちを放出するターゲットが定まった。「何言ってんだ!さっき、しばらく真っすぐって確認しただろ!」。スージンは「あそこを左に曲がることくらい知っていると思っていたのよ。曲がってからはしばらく真っすぐよ」と説明した。確かに、そこは私たちが何度か通ったことがある場所で、冷静に考えれば、左に曲がることくらいはわかったかもしれない。でも、苛立ちで冷静さを失い、すべてスージンのナビに任せてしまいたい自分がいた。

「とにかく、正確にナビをしてくれ」と言い、スージンは「オーマイガット!なんで、そんな大声を出したの?とても小さなことでしょ」と問いただした。私は、「声を最初に上げたのはスージンの方だろ?」と収まることができなかった。

車は再び渋滞に飲み込まれ、しばらく、車内は静寂に包まれた。私は心の中で「落ち着けー。落ち着けー。これから10日間、離れ離れになるんだ!笑顔で優しく、スージンに語りかけろ、ヨーコー、頑張れ!」と必死に自分に言い聞かせた。しかし、残念ながら、その想いは私の唇には届かず、言語化されることはなかった。

出発1時間半前の午後7時を過ぎたが、まだ市内から抜け出せない。スージンは時計を見ながら、落ち着かない様子だ。

こんな微妙な雰囲気で別れを告げるのは嫌だ、とお互い思っていたようで、スージンは「ヨーコー、送ってくれて、本当にありがとうね。大きな声とか出してごめんね」と語りかけてきた。が、私は、何も言えなかった。あれだけ大きな声を出した手前、今更「いいんだよー。こちらこそごめんねー」なんて、お茶目な自分に切り替える精神的余裕がなかった。そんな自分が情けなく、それが、さらに私の唇を硬直化させ、悪循環に陥った。

午後7時10分、ようやく市内を抜け出し、片道4車線のバイパスを80キロで飛ばすことができるようになった。

午後7時半、空港に到着。スージンはトルコ航空のカウンターに走り、私も、車を停めてから、後を追った。カウンターで、スージンが発券された搭乗券を手に持っているのを見て、ようやく一安心。

隣のカウンターでは、重量制限をオーバーしたスーツケースの機内持ち込みを拒否られた男性客が「俺は外交官だぞ!外交官なんだから、30キロでも大丈夫なはずだ!」と大声を出し、担当者を困らせていた。大声を出すというのはこんなに醜いことなんだなあ、と改めて思った。

出発ゲート前で、スージンに、「じゃあ、気をつけてね」と声をかけた。スージンは笑顔で、「うん。離れ離れになるの寂しいね」と答えた。器の小さい私は、最後の最後まで100パーセントの笑顔を見せることができなかった。

空港を出て、駐車券支払いゲートで、駐車カードを提示したら、「これは空港で清算しなければならない」と言われ、約500メートル、一方通行道を逆走して、100円の駐車代を払わなければならなかった。さらに、帰り道も渋滞で、家に着いたのは午後9時半だった。サバの味噌煮を作り始めてから約5時間が経過していた。さらに、妻が食べた後の食器の片付けがまだ残っていた。改めて「主夫」の重労働さを思い知った。

それから10日間、妻がいなくなって、一人で執筆や語学勉強に専念できるなあ、なんて思っていたのが大間違い。朝ご飯作り、夕ご飯作りなどの日課がなくなったため、生活リズムが一気に崩壊。深夜の2時に寝たり、朝9時半に起きたり、午後3時に昼寝したり、午後9時半に夕食を食べたりと、散々だった。その上、なぜか、毎日新聞時代の同期に自分の記事を酷評されるなどの悪夢を3回も見てしまった(汗)。

スージンの存在の重要性を改めて思い知り、当初、空港までの送迎はもうご免だと思っていたのだが、スージンの飛行機が到着する11月12日、私は、その日の韓国語の授業時間を変更してもらい、空港まで車を走らせていた。
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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