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工場長としての誇り

「かまど工場」をキャンプで運営する意義は、ただ、難民が使う薪を節約するだけでなく、失業率の高いキャンプの住民に、雇用の機会を創出するという面もある。今年2月に国連がやった若者の実態調査では、インタビューした18~35歳の難民1300人の内、仕事に就いているは約3割だった。中でも、一番大きな就職先はNGO。ダダーブには25以上のNGOがあり、通訳などとして、それぞれ難民を数十人から数百人雇用している。しかし、そのほとんどは小学校、または高等教育を卒業した、いやゆる「エリート層」で、文字の読み書きができない難民にとって、NGOで就職するのは至難の業だ。実際、文字の読み書きができない若者に限れば、仕事に就いているのは1割強だけだった。そういう中で、私の工場は、主に肉体労働のため、文字の読み書きができなくても就職できるという「弱者」に寄り添ったNGOなのだ。

 例えば、今回の「飢饉」で流入してくる難民たちのほとんどは文字の読み書きができない。つまり、キャンプで仕事を見つけるのは難しい。彼らはキャンプ内でも一番恵まれない状況にあるのだから、私としては、彼らから1人でも2人でも雇用の機会を与えたかった。

 しかし、どういう基準で、何千、何万の恵まれない難民から、1人、2人を人選すればいいのか。募集をかけると言っても、張り紙をすれば文字の読み書きができる人が必然と優遇されてしまうし、部族リーダーにお願いしても、彼らの親戚・友人らが優遇される可能性もある。結局、自分で歩いて、適当に、大変そうな難民に声をかけて、工場に連れてくるのが一番、「公平」で「現実的」という結論に至った。

 9月2日、今年になって入って来た難民が住む地区を歩いた。1人1人に声をかけていくうち、4人目で、子供6人を世話し、親も夫もいないという、ファトマ(仮名、20歳女性)に出会った。他の難民同様、木の枝とプラスチックシートで作られた、直径2メートルほどの「テント」に7人で暮らしているという。通訳を通して、私のNGOの説明をし、「工場で働いてみないか?」と尋ねると、笑顔で「はい」と答えた。「最初の一カ月は試験期間。ボランティアだ。もし、一ヶ月間、一生懸命やってくれたら、正式に雇用する」と伝えた。

 ケニア国境から約200キロ離れた町「ディンソウ」近くの村出身。7頭のラクダ、20匹のヤギ、30匹の牛を育て、豆などの畑を耕して暮らしていた。9人兄弟の4番目。父親は2003年、心臓病で42歳で亡くなった。村に学校はなく、幼少時から料理や水汲みなど家の手伝いをしながら育った。14歳で、いとこと結婚。16歳で妊娠したが、子供は生まれて間もなく亡くなった。3年前から雨がほとんど降らなくなり、家畜が次々に亡くなっていった。緑色だった地面が、茶色に変わり、3ヘクタールあった畑は、ただの赤土の地面と化した。18歳で2人目を妊娠したが、間もなく、夫が離婚を申し出た。ソマリア社会では、夫が離婚を申し出た場合、妻は受諾する以外に選択肢はない。理由を尋ねても、夫は何も言わなかった。しかし、ファトマには、離婚理由はわかっていた。干ばつにより、夫には家の生計を支えることが難しくなっていた。ソマリア社会では、夫に家族を扶養する義務が課されるが、それが果たせないというのは「恥」だ。「夫はそれが耐えられず、村から出て行ったのだと思います」と言う。「干ばつさえなければ、私たち家族は一緒にいられたのに」というファトマの目は、涙で少しうるんでいた。

 2011年6月、親戚ら30人でケニア国境を目指した。15日間歩き続け、ダダーブ難民キャンプに辿り着いた。1~10歳の6人の子供と一緒に住むが、ファトマと血の繋がっている子供は1人だけ。3人は自分の妹。そして2人は、甥と姪だ。母親は病気のため、兄と姉と共にソマリアに残った。もう1人の姉は、夫と共にエチオピアの難民キャンプを目指して旅立ったが、9月初旬、電話で「麻疹にかかって亡くなった」と姉の夫から連絡があった。6人の子供と共にケニアで1人ぼっちになり、「どうしたらいいのか?」と途方に暮れた。夫に見捨てられ、姉を亡くし、家族と分断された。配給される食糧は十分とは言えず、住む「テント」も居心地が良いとは決して言えない。

 それでも、「工場で働くのは好き?」と尋ねると、強張った彼女の表情が一気に緩む。「学校も行かなかった私が仕事に就けるなんて思ってもいませんでした」という。「工場長」であることに、また新しい誇りができた。
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No title

揺光さん久しぶり!前からたどって今夜じっくり読ませてもらってるよ。このエピソードは特にグっときました。本当に脆弱な人は目に見えにくい、だから、ささいなことでも一歩自分でコミュニティの中に入ってみることがすごく大事なんだよね。デスクワークが多い私は、個人レベルでのインパクトを感じる事が少ないけれど、揺光さんの仕事はとってもダイレクトに従業員の生活に関わっているから繊細で難しく、でもやりがいがありそう。遠くから応援してるよ!

No title

ご無沙汰です!!隣国にいるのに、まだ一度も会えてないね(涙)。去年の仕事より、こっちの方がずっと自分に合っている気がする。まだまだ、ドラマは続きますので、こうご期待!そちらの話も、またゆっくり聞かせてくれ。ナイロビにも来てくれよーー。
プロフィール

seventh star 7

Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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