毎日3時間お手玉をして肩を痛める主夫

主夫会で一番穏やかで無口なのがアメリカ人のジェシー(40歳)。つるつる頭にあご髭があるから、一見、牧師かと思う。怒ったり感情的になるところを想像できない、スポンジの様な頬。普通、グループに一人だけ無口な人がいると、周りに気を使わせるものだが、なぜかジェシーの無口さは、「私は、こうやって座って話を聞いているだけで幸せです」というメッセージが放たれている。

さらに凄いのは、主夫会は午前9時から12時ごろまで続くのだが、ジェシーは、その間、コーヒーも紅茶もジュースも水も、何も注文しないということだ。私たちは、午前9時に1杯目を注文し、1時間後に2杯目を注文する。「もともと、コーヒーや紅茶を飲む習慣がないから」と言う。「周りの人が何か頼んでいるのだから、自分もせめて水(150円)くらいは頼まないと」という発想が彼にはないのだ。
周りに流されない強さと、周りを和ませる穏やかさを合わせ持つジェシーの生い立ちが知りたく、「インタビューさせてくれないか?」と電話した。「いつがいいかな?」と尋ねると、「月曜日から金曜日、娘が学校に出かける午前8時から、帰ってくる午後3時までの間なら、いつでもいいよ」という返事が返ってきた。

米国第二の都市、ロスアンジェルス近郊で生まれたが、自然溢れた田舎で子育てがしたいという親の希望で、4歳のころ、オレゴン州のログーリバーという数千人が暮らす村に移り住んだ。2万平方メートルの広大な庭に、ログハウス、池、草原と丘があり、馬、ヤギ、鶏、牛などを飼育した。

おかげで、ジェシーはカエル探しや丘登りなど、外で遊びながら育ち、手榴弾でウズラなどを穫って、自分で裁いて料理する高校生だった。自然と触れ合いすぎたせいか、人間とのコミュニケーションは得意でなく、自分から人に話しかけることは滅多になく、飲み会もダンスパーティーも部活も参加しなかった。狩猟好きな友人と2人で山に出かけるのが楽しみだった。この友人は狩猟狂で、早朝、スカンクを捕え、そのまま登校し、先生に「臭すぎる!」と下校を命じられたことがあったという。

学校の成績は良く、先生や親から奨学金で有名大学への進学を薦められたが、里山から離れたくなかったジェシーは、実家から近い(といっても車で2時間離れた)小規模なカレッジに進学した。大学ではロッククライミングやヨットを楽しんだ。
大学卒業後は、ログーリバーに戻り、建築コンサルタント会社に就職した。週末は、勿論、山でハイキングや狩猟をした。28歳の時、友人の紹介で、8歳年上のリサに会い、すぐ打ち解けた。キャンプやハイキングが好きで、ジェシーが無口でも、リサがうまく会話をリードしてくれた。生物学の博士号を持つリサは当時、オレゴン州の州都、ポートランドの大学に勤めていた。同じ州といっても、車で4時間かかる。

2年後、リサがカリフォルニアの州都、サクラメントの大学へ転職することになった。それまでずっと抱いてきた故郷への愛着があったものの、30年の人生で唯一、一緒に時間を過ごすことのできる女性。彼女となら、自分みたいな無口な人間でも、幸せな家庭が作れるかもしれない。ジェシーは会社を辞め、サクラメントのコンサル会社に転職した。
2007年、長女のエリシアが生まれたと同時に、アメリカはサブプライムローンでバブルが崩壊。2008年春、ジェシーは会社から解雇される。再就職口を探しても、建設関連の就職口はほとんどなかった。さらに、2004年に購入した家のローンが20年以上残っており、リサだけの収入では厳しかった。

そんな時、リサに「グルジア(アゼルの隣国)で1年、仕事をしてみないか?」という話が舞い降りてきた。

冷戦時代、グルジアやアゼルなどの旧ソ連諸国で建設された生物研究施設で、テロに使用されうる有害物質の管理体制を強化し、他国に対する脅威を防ぐため、米国政府が生物学者を長期間派遣するというプロジェクトだった。

オレゴンの山に囲まれてのどかに暮らすことが最高の幸せのジェシーにとって、見知らぬ国に移住するのには抵抗があった。しかし、仕事がない。グルジアに行けば、住宅は無料で提供してもらえるうえ、海外勤務手当が出るから、米国で共働きするよりも、給料が高い。家のローンのことを考えたら、ジェシーに残された選択肢は限られていた。リサも、新しい環境での仕事を望んでいた。「1年だけなら何とかなる」と自分に言い聞かせ、米国を旅立った。

グルジアでは、家事、育児に専念した。子育て中の母親が集まるクラブに参加してみたが、女性ばかりで馴染めなかった。エリシアが幼稚園にいる時間は、近くの公園で散歩したり、インターネットゲームで農園を作るゲームに熱中した。

1年の契約が終わる頃になり、米国へ戻る気満々だったジェシーに、リサは伝えた。「会社から、ウズベキスタンで同様のプロジェクトの仕事をしないかと打診された」。米国に戻っても、二人とも一から仕事を探さなければならない。米国の景気はまだ回復していない。家のローンもまだ大分残っていた。二人とも職が見つからなければどうしようーーー。

結局、ジェシーは渋々、ウズベキスタンに行くことに了承した。いつもの様に家事を担当し、昼間の空いている時間、インターネットゲームをやろうとしても、家のネットでは回線スピードが遅く、できなかった。ロシア語を勉強してみたが、「どうせ米国に戻ったら使わなくなるだろう」と思うと、なかなか集中することができなかった。

仕方なく、家にあったお手玉を練習するようになり、次第に夢中になっていった。3個ができるようになったら、4個。ネットでお手玉の技を色々観察し、玉を低く投げて、回転を速くする技術を学んだ。毎日3時間練習するようになり、リサからは笑われた。「お手玉のことは、あまり人に話していないんだ」と照れくさそうに笑う。

2年半後、資金不足でプロジェクトが頓挫し、ようやく、米国に帰れると胸をなで下ろした。自由に狩猟やハイキングができない生活はもう限界だった。

リサにサンフランシスコの研究所から仕事のオファーがあった。家族3人で帰ろうと準備を始めた。が、不景気で米国政府の研究費補助がカットされ、オファーが取り消された。と同時に、会社から、アゼルバイジャンで同様のプロジェクトをしないかと打診された。

ジェシーは米国に戻りたいとの思いを伝えた。が、リサは「米国に戻って、二人とも就職できなかったらどうするの?」といつもの台詞を放ち、ジェシーは返す言葉がなかった。その時点ですでに3年半のブランクがあるジェシーにとって再就職は困難を極めることが予測された。そして、肝心の家のローンはまだ残っている。
2013年5月、アゼルバイジャンに辿り着いた。丁度、学校が年度末で、8月末の新年度までエリシアを学校に入れることができず、3ヶ月半、毎日二人っきりで家の中で過ごさなくてはならなかった。出歩く場所もないジェシーは息詰まり、リサに切り出した。

「もう、こちらでの生活は限界だ。私がエリシアを連れて、米国に戻り、リサは単身赴任で残ることはできないだろうか?」

リサは首を縦に振らなかった。家族と離れ離れになりたくないし、エリシアにとっても、両方の親が付いていた方がいいだろうと言われた。ジェシーは納得するしかなかった。

9月のある日、マンションのエレベーター内で、若いアジア人男性に「ハウアーユー?」と声をかけられた。「どこからきたの?」「アゼルで何をしているの?」などと質問され、「妻が働いている」と答えたら、「え!私もです!」とその男性は喜んだ。「毎週木曜日に、主夫会があるから今度来てみなよ」と言われ、「そんな男性が他にもいるのか」と興味がわいた。しかも、そのアジア人男性は、ジェシーと同じ階に暮らしているという。次の木曜日、主夫会に行ってみると、皆、英語で会話をし、リラックスした雰囲気で居心地が良かった。以来、毎週参加するようになり、米国を出てから4年目で初めて、平日昼間に会う「友人」ができた。

お手玉の技術は向上し、5個を同時に投げ回すこともできるようになった。が、毎日3時間の練習を2−3年続けたら、肩を痛めてしまい、ここ半年はお手玉ができなくなってしまった。ここ最近は、インターネットで冬季五輪の中継に夢中になっている。

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私:他の主夫に「日中はどう過ごしているの?」という質問は必ずしているのだけど、なかなか本音を言ってくれない。ジョンの家には映画DVDが600枚以上あるのだけど、ジョンは「散歩したり、読書したり、買い物したり」と答えるだけ。私が「映画を見たりもするの?」と尋ねると、「時々ね」と答えたから、それをノートにメモろうとしたら、「メモらないでくれ」って言われた(笑)。そしたら、横から、ジョンのパートナーのジェシカが「今夢中になっているインターネットゲームについて話してあげたら?」と言うと、ジョンが「そろそろ出かける時間じゃないのか?」とジェシカを黙らせた。46歳のおっさんが、平日の昼間に家で映画鑑賞やゲームをすることの何がいけないだろうね。散歩や読書や買い物は生産的で、DVD鑑賞やゲームは非生産的だという位置づけなのかな。

ジェシー:この前、アメリカに一時帰国した時、友人が私が主夫であることを知って、「ジェシーは今、全く何もしていないんだってよ!」って周りの人たちに言いふらしていて、驚いた。ちょっと前までは、アメリカだって、男が働いて、女が家事というのが普通だった。そういう女性たちは、果たして「何もしていなかった」のか?今は不景気で共働きじゃないと生活が苦しい家庭が多くなったからか、収入がないということに対する偏見が凄い。自分の娘の世話をするということが、どうすれば「何もしていない」と解釈されるのか不思議でならない。

私:私も同じ様な体験はあるよ。配偶者の仕事のために、聞いたこともない国に付いて行くことが、どれだけ大変なことなのか、ほとんどの人は思いを馳せようとしない。アゼルの様に、就労ビザを取るのが難しい国なんて、長く滞在すればするほど、それだけブランクが長くなるわけだから、どんどん再就職を難しくさせる。

ジェシー:私のブランクももうすぐ5年になる。米国に戻っても、私が就職できる場所は限られるだろうし、まして生物学者のリサより高い収入を得るなんて不可能に近いだろう。そうなると、これからは、どうしても、リサの就職できる場所に、私が付いて行かざるをえなくなる。私にとって一番の幸せは、オレゴンの片田舎で狩りやハイキングをすることなんだけど、そんな場所にリサの就職口はないだろうな。

私:例えば、ジェシーが最初に働いていたコンサル会社に戻って、そこにリサが付いてくるというのは?

ジェシー:うん、あの会社なら喜んで、僕を受け入れてくれるだろうね。でも、リサは主婦にはなれないよ。彼女にとってやりがいのある仕事をするというのが、どれだけ大事なことなのかわかっているからね。これまで、ウズベキ、アゼルと外国での生活を続けたのも、経済的理由以上に、彼女が米国に戻って仕事のない生活を想像できなかったことの方が大きいかもしれない。私はその真逆で、仕事がなくても、食べていければそれでいいと思っている。

 リサが研究者の道に戻るのは難しい。この5年間、研究者にとって命綱である「論文」を一つも発表していない。とすると、今の会社でキャリアを積み上げていくことになるのだけど、そしたら、私が里山に戻れなくなる。ジレンマだよ。

私:そういったジェシーの将来への不安について、リサにはどこまで話せているの?

ジェシー:実はあまり話せてないんだ。もっと意思表示しないといけないとは思っているのだけどね。今回のアゼルのプロジェクトが終わる時、タイミングを見計らって、しっかり話ができたらいいと思っている。

私:ハイキングやキャンプなら、アゼルバイジャンでもできるじゃない。

ジェシー:道具は全部、米国に置いてきたし、車もないよ。

私:車ならレンタカーもできるし、道具だって、買ったり、借りたりできるんじゃない。私たち夫婦はドバイから道具を買ってきて、アゼルの北部でキャンプしたよ。すごい楽しかった!

ジェシー:、、、。言葉も通じないし、見知らぬ土地で動き回ろうという気分にどうしてもなれないんだ。タクシーの運転手に行き先も言えない。道に迷っても、歩いている人に声をかけられない。ここでは、バスも地下鉄もあまり乗らない。週末も買い物以外はあまり出かけないよ。

私:故郷から1万キロ離れた所での生活は辛いよね。DVD鑑賞だろうが、お手玉だろうが、ゲームだろうが、それが異国で受けるストレス解消になるなら、何も恥じることはないのにね。私も、たまに、っていうか、結構、頻繁に、YouTubeでドラマとかお笑い番組とか見ながら半日を過ごして「ああー!なんで、俺はこんな風に時間を無駄にしてしまったのだろう!」って罪悪感に悩まされる。でもそれって、自分が生まれたころから社会的に定義付けられた「生産的なもの」、例えば、語学勉強とか、執筆活動とか、スポーツとか、に対する執着なんだよね。本来、自分にとって何が生産的なのかって、自分で決められるはずなのにね。

ジェシー: 毎年9月に、1人でオレゴンに戻って、友人と狩りに出かける。それが今の僕にとっての唯一の楽しみなんだ。9月まで残り何ヶ月あるかカウントするくらいだ。

私:こちらで仕事を探そうと思ったことは?

ジェシー:いや。エリシアが家に帰って来たら一緒にいてやりたいし、風邪で休んだ時や、夏休みや冬休みとかに、一緒にいてやりたいから。娘が必要な時に、常にいてやれる父になりたい。言葉も通じないベビーシッターに預けるのも嫌だし。

私:30年、40年後、自分が死ぬ前に、人生を振り返る時、どんなことが「ああ、自分は良い人生を送れたなー」って思わせると思う?

ジェシー:、、、、。(しばらく考え込む)自分の住みたいと思う場所に住めて、狩りとかハイキングとか釣りとか、どれだけ自分の好きなことをやったかということかな。

私:いいね。多分、自分の場合は、そういうこと以上に、自分がどれだけ社会に良いインパクトを与えることができたのか考えてしまうと思う。

ジェシー:自分にはそれはないな。そういうのもっと考えるべきなんだろうけどね。

私:お手玉が上達したら、道ばたで芸をして、周りを楽しませることができるんじゃない?(笑)

話は3時間以上続いた。学歴や会社名や仕事の社会貢献度よりも、自分の住み慣れた場所で暮らすことが大事だという考えは、世間にあり触れていそうで、 あまり出くわしたことがない。そもそも、住み慣れた場所で暮らし続けたい人は、転勤を繰り返さなければならない毎日新聞社や援助業界には入らないだろうから、当たり前といえば当たり前だ。

ジェシーみたいに、自分が幸せになれる方法を知っている人ほど強い人はいない。社会貢献度とかを幸せの指標にしてしまうと、それこそ底なし沼にはまって、周りから評価されてないと感じると、嫉妬して、感情的になって、しまいには、怒鳴りつけたりもする。でも、ジェシーはその軸がしっかり定まっているから、不満を述べたり、怒ったりする必要がないのかもしれない。平日の昼間にお手玉をすることに羞恥心もあまり感じない。「住み慣れた場所に戻れれば、周りが自分をどう思うかなんて関係ないよ」。強いな、、、。


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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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