こういう時だからこそ「ライフライン」

昨日「手榴弾を投げられたらどうするか」というタイトルのメールが流れてきた。想像するだけで怖くなり、メールを読むことができなかった。
 ケニア軍がソマリアへ侵攻し、治安は悪化の一途。2日前に、ナイロビ市内でディスコと乗り合いバスに、それぞれ手榴弾が投げ込まれ、多数の死傷者が出た。同じ日、ソマリア北部で、またしても援助関係者3人が誘拐された。そして、今日はケニア北部のソマリアとの国境地帯でバスに手榴弾が投げ込まれ、4人が死亡した。
 もう、私が1年半過ごし、親しみなれたダダーブは遠い世界のようだ。ダダーブの国連やNGO関係者が暮らす周囲3キロの塀に囲まれた敷地の入口のゲートでは、全員の身体検査が行われるようになった。難民キャンプは三つあり、この敷地からは5~17キロ離れている。月に20日間は通っていたキャンプには、もう2週間も行っていない。もう、市場でラクダのステーキを食べることもないのかもしれない。援助機関も食糧、医療以外の活動はほとんどが自粛。いまだに1日何百人規模でキャンプに入ってくる難民たちに十分な支援ができなくなった。
 そして、私は難題にぶつかった。私がキャンプに行けない状態で、果たして「ライフライン」の活動は継続できるのか?一応、二つの工場は難民35人で稼働できている。しかし、彼らだけでできるのか、正直不安だ。私は本部にメールで「活動継続するなら、誰か、私の代わりになりうる、優秀で信頼できるソマリア系ケニア人でも雇わないとだめです」と提案した。ソマリア民族はケニア北東部にたくさん住んでおり、ダダーブ周辺はほとんどがソマリア系だ。彼らは同じ言語・宗教で、外見は難民と変わらないから、武装集団に狙われる可能性は少ない。
誘拐してもお金はないし、同胞に危害を加えれば、祖国から反発されることは必至だ。本部は「それでいこう。誰か、信頼できる人はいるのか?」と尋ねてきたので、私は真っ先に、友人のモウリドに電話した。彼との付き合いは1年以上で、昨年一緒に、ユースフェスティバルという若者が集まって歌や踊りを披露するイベントを企画・運営した。彼は「わかった」と二言返事で引き受けてくれた。25歳の彼は地元の高等学校をトップの成績で卒業し、本来なら今月から奨学金で大学に入る予定だったが、ビザの手続きが複雑で断念したばかりだった。
 治安が悪化した時、外国人は無力だ。しかし、こういう時こそ、「難民にできることは難民で」をモットーにしてきたライフラインの特殊性が光る。難民がほとんどすべて自分たちでこなしているから、治安が悪化しても、ほとんど活動に支障が出ない。
 10月27日、給料を配布する日なのだが、工場に私が行くことはできないから、交通費を支給して工場Aの従業員20人にダダーブまで来てもらった。
私は従業員に「本部から『こんな治安が悪いなら活動を自粛した方がいいんじゃないか?』と聞かれた」と嘘をついた。活動が自粛になれば、彼らは収入源を失う。まさに死活問題だ。そして私は続けた。「でも、私はこう言いました。『従業員たちはとても真面目です。彼らだけですべてできます。自信あります』と。他のNGOは自粛しているけど、私たちはほとんど難民ですべてを回しているから、自粛する必要がない。こういう時こそ、私たちの力を見せてやりましょう。もし、何か問題があったら、『やっぱり自粛しよう』という事になりますから、気を付けましょう」と従業員にプレッシャーをかけた。とにかく、今は私とモウリドの信頼関係にすべてをゆだねるしかない。あーあ。私は一体、いつになったら、あの牛の糞くさい工場に戻れるのだろうか?
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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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