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祖国への軍事進攻を支持する人たち

 ケニア軍がソマリア侵攻してから一カ月。ソマリアの急進派イスラム武装組織のメンバーがケニアにも潜伏されているとされ、ケニアに住むソマリア人に対する取り締まりは一気に厳しくなった。ナイロビの大きなソマリア人街「イーストレイ」を歩いた。

 イーストレイは市中心部から東へ数キロ離れた所にあり、市内でも有数の繁華街だ。衣類・バック、金物、電気製品、家具、携帯電話の小売店が立ち並ぶ。ナイロビのソマリア人人口は10万人とも言われ、難民だけでなく、出稼ぎや留学などで来ている人も多い。「バンコク」や「香港」などと名付けられた5階建てショッピングモールがあるのは、商売上手なソマリア人が、中国や東南アジアなどからの輸入品を売っているからだ。ダダーブ難民キャンプにも大きな市場があり、売られている物の多くはイーストレイから取り寄せられている。

 「ケニアの軍事侵攻で、生活のすべてが変わりました」と嘆くのは、専門学校生のフセインさん(25)。10月18日、いつものように乗り合いバスで学校に向かうと、道路脇で検問している警察官に呼び出された。それまでなら、学生証を見せれば問題なかったのに、「滞在許可証はないのか?」と問い詰められた。

 フセインさんは、ダダーブ難民キャンプの住人で、本来ならキャンプから出てはいけない。しかし、フセインさんの様に、キャンプ内の教育や雇用の機会の乏しさから、ナイロビに来て学校に通ったり、親戚のビジネスを手伝う難民は少なくない。ケニア政府も、ソマリア人が行う経済活動からの税収に頼る部分があるからなのか、これまで、彼らの非正規滞在については曖昧にしてきた。

 「テロリストの友人はいないのか?」「ソマリアの武装組織について何か知らないか?」7人の警察官からフセインさんに対する尋問は一時間続いた。「今回は見逃すが、次は逮捕するぞ」と解放された。

 それ以来、フセインさんは、イーストレイのアパートから出ることは滅多になくなった。家庭教師の仕事も、日課だった午後8時のモスクでの礼拝も中断した。学校卒業まで後1年ある。同胞の子供たちに英語を教え、月1万5000シリング(約1万5千円)を稼ぎ、学費と生活費を工面してきた。卒業後はダダーブのNGOで働きたかった。

 賑やかだったイーストレイは、午後6時以降になると、ひっそりと静まり返る。「皆、警察からの取り締まりを恐れて出ることができないのです」とフセインさんは言う。

 しかし、こんな生活を強いられながらも、その原因となったケニア軍のソマリア侵攻については、「全面的に支持します」と言う。「私たちはもう20年も避難生活を続けている。どこにいても自由に動き回ることができない。ソマリアの武装集団が壊滅され、平和が訪れるのなら、何でも支持します」という。2週間前、ソマリア暫定政府の大統領がケニア軍の侵攻を批判したら、ダダーブの住人がそれに対してデモを行った。「暫定政府はケニア軍を支援すべきだ!私たちを祖国へ帰れるようにしろ!」と。

 今年2月、私がダダーブで行った実態調査では、アンケートした1300人の若者のうち、8割がキャンプで一番困ることは、「教育・雇用の機会の乏しさ」か「移動の制限」のいずれかを挙げていた。勉強しても勉強しても、それが生活の質の向上につながらないストレス。ソマリアで住む場所を失い、ダダーブで居場所を失い、そしてナイロビでまた居場所を失いつつあるフセインさん。彼が、落ち着ける場所を見つけることはこれから果たしてあるのだろうか。
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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