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従業員の生い立ち ~ カトラ ~

 今年の干ばつでダダーブ難民キャンプの人口は30万人から45万人へ急増した。新しく入って来た難民の多くは学校で学んだことがない女性や子供で、キャンプで仕事に就ける者は少ない。ライフラインは、その中から2人の未亡人女性を工場に従業員として招き入れた。

 その内の1人、カトラ(仮名、20代後半)はソマリア南部のハガールで生まれた。父親は4人の妻がいて、兄弟が15人いた。ヤギや牛を飼う遊牧民の家庭で、7歳から家畜の放牧を任された。近くに通える学校などはなかった。

近所の子供たち5~6人で、100匹以上のヤギを連れて、赤道直下の砂漠を一日中歩いた。水たまりを見つけるまで歩かなければならず、「雨が降らない時は12時間ほど歩きまわらなければならず、午後には喉が渇いて大変だった」と振り返る。ヤギが一匹でも逃げるようなことがあれば、父親から棒で叩かれ、夜通し探し回らなければならなかった。雨が溜まった池で友人たちとよく泳いで遊んだが、友達の1人が溺れて亡くなってから、遊ぶのを辞めた。

 1991年、カトラが10歳の時、ソマリアで内戦が勃発した。間もなく、離れて暮らす伯父の訃報が届いた。銃撃戦に巻き込まれ、流れ弾が命中したという。実の兄を亡くした母親は一日中泣き続け、情緒不安定に陥った。次の日から、視線に入る男性すべてに「お前が兄を殺した」と殴りかかるようになり、生後間もない妹を背中に抱えたカトラさえ、棒で叩かれた。父親が、母親の見張り役となり、カトラや子供たちが家畜の世話をした。

 当時妊娠していた母親は、無事出産はしたものの、母乳をすることができなかった。そして間もなく、食べ物を拒むようになり、栄養失調で亡くなった。40歳だった。

 長女のカトラは11歳で母親の代わりとして家事を担った。15歳の時、村が武装集団に襲われ、家畜を連れて森の中へ逃げた。一ヶ月間、避難生活をした後、村に戻った。

 16歳でお見合い結婚。父親から紹介された親戚の男の子だった。3人の子供を授かり、昨年、夫が病気で急死。干ばつが襲いかかり、家畜がバタバタと亡くなっていった。

 生活の糧を失い、2~8歳の子供3人と父親と、夫の家族からお金を借り、今年7月、ダダーブへバスで向かった。

 9月、私が、新しい難民が住む地域を歩いた時、その地区の女性リーダーに「夫を亡くした女性を、私の工場で雇いたい」と伝えたら、連れてこられたのが、カトラだった。

 「学校すら行っていない私が、仕事に就けるなんて思ってもいなかった。父も喜んでいます」と言う。今は、親戚に頼んで、毎晩、文字の読み書きを学んでいる。「難民キャンプの存在をもっと早く知っていたら、良かった。本当は学校に行きたかった。将来は先生になりたい。失う物ばかりだったけど、これからは得る物もあるかもしれない」と希望を胸に託した。
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プロフィール

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Author:seventh star 7
黒岩揺光  
1981年、新潟生まれ。7人兄弟の末っ子。15歳で米国留学して以来、住んだ国は計8カ国に。海外生活計17年。日本では毎日新聞記者、アフリカでは難民キャンプの工場長、アゼルバイジャンで主夫、ジュネーブで国連職員などを歴任。現在は中東ヨルダンで妊娠した妻に寄り添う専業主夫。
 著書に「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(ユーキャン)「国境に宿る魂」(世織書房)。
メール連絡先 yokuroi×hotmail.com (「×」を「@」にしてください) ツイッター:@YokoKuroiwa

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